私たちはいつの間にか「ある考え」にとらわれています。
「立派な人にならなければいけない」です。
「立派な親にならなければいけない」
「立派な上司にならなければいけない」
「立派な先輩にならなければいけない」
もちろん立場もあるでしょう。
親・上司・先輩など、手本とされる立場であれば、ふさわしい生き方や振る舞い方が求められます。
手本としてふさわしい生き方や振る舞い方ができれば、尊敬と人望を集めることができるでしょう。
「立派な人にならなければいけない」と考えている人も多いのではないでしょうか。
しかし、ここに落とし穴があります。
立派な人になろうとすると、人目を気にするようになります。
余計な緊張をもたらし、ストレスが増えます。
素晴らしい行動をしなければいけなくなり、強制感が出てきます。
中には、立派な人になれず、挫折に終わる人もいるでしょう。
立派な人になれなければ「自分はダメな人間だ」と自己嫌悪に陥ってしまいます。
立場があるとはいえ、立派にとらわれるのも問題です。
立派な人にならなければいけないと思うと、人目と評価ばかりが気になって落ち着きません。
余計なストレスやプレッシャーを感じてしまい、心が疲弊していきます。
自分が自分でなくなり、複雑な葛藤に悩まされることになるでしょう。
「立派だね」と言われても「無理をしているのだけどね」と思い悩むようになります。
たとえ立派な人になれたとしても、無理をしているなら長続きしません。
自分を「立派」という型にはめてしまい、生きるのが苦しくなります。
立派な人にならなくてかまいません。
立派な人になれなくてもいいのです。
立派な人になれないからといって自己嫌悪になる必要もなければ、自分を責める必要もありません。
人間失格でもなければ、ダメ人間というわけでもありません。
気づいてください。
「立派な人」になるより基本的なことがあります。
「普通の人」になることです。
立派な人にならなくてもいいのです。
普通の人でいいのです。
立派な人になるのは難しくても、普通の人なら難しくないでしょう。
実際のところ、普通で十分です。
普通の人は「普通」が達成できているのですから、十分誇らしいことです。
少なくとも平均を達成できています。
当たり前のことが当たり前にできているということです。
普通とは「基本」です。
基本ができているのなら十分です。
親・上司・先輩など、手本とされる立場であっても、普通の人を目指すことです。
普通の人であっても、普通に尊敬され、普通に人望を集めることができます。
きちんと感謝されます。
いきなり高い目標を目指さないことです。
立派な人は、普通を達成できたうえで余裕が残っているとき、目指せばいいことです。
普通の人になれるだけでも、十分素晴らしいことです。