猫が猫として生まれてきたとき「自分は猫として生きるのだな」とわかります。
チューリップがチューリップとして生まれたとき「自分はチューリップとして生きるのだな」とわかります。
自分がどう生きるべきかは、自分の姿形、環境、状態などを見れば、おのずから見えてきます。
生まれつき、目が見えない人がいます。
目が見えないことは不便ですが、耳や肌の感覚が人一倍敏感になります。
普通の人が気づかないような音や感覚を察知できます。
自分の知らないところで、生き方そのものが、同じ境遇の人にとって、手本や励ましになるでしょう。
目も耳も口も不便なヘレン・ケラーは、生き方を全うすることで、同じ境遇の人たちに生きる勇気を与えました。
目も耳も口も不便な状態で、どう生きるのだろうかと、想像を絶する世界です。
しかし、実際にヘレン・ケラーは、アメリカでも名門のハーバード大学を卒業し、障害を持った人たちの支援に力を尽くしました。
目も耳も口も不便な状態であることは、そのように生きるしかありません。
そういう事実があるのですから、素直に受け止めて、自分の持っている素質で人生を全うするのです。
そうしたとき、ヘレンのように大業を成し遂げ、多くの人へ影響を与えることができるようになります。
生まれつきの宿命を、否定したい気持ちもあるでしょう。
ほかの人より、貧乏であったり、身長が低かったり、障害を持っていたり、両親が他界したりとさまざまです。
しかし、どれもありのままを受け止めて「この宿命に従った生き方をすればいいのだ」と悟ります。
素直に自分も宿命に従うのです。
猫が猫として生き、チューリップがチューリップとして生きることが天命を全うすることです。
そうなら、自分の状態が何であろうと、そのありのままで生ききることが天命を全うすることなのです。