人生では「もうダメだ」と思うことがあります。
何度やっても成功しない。
いくらやっても失敗続き。
「物事は簡単にうまくいってほしい」と願っている人は多い。
たしかになかなかうまくいかないと大変です。
頭をひねって解決策を考えるのは面倒です。
人生では追い抜かれてしまう瞬間があります。
自分のほうが先輩なのに、急成長する後輩がいて、成績が逆転してしまうことがあるでしょう。
自分のほうにキャリアがあるにもかかわらず、年下のほうが早く昇進してしまうこともあるでしょう。
行動しない人に見られる特徴の1つ。
それは「できない理由探し」です。
「お金がないからできない」
集中力を出すにはどうすればいいのでしょうか。
一般的によく聞かれるのが「集中力のトレーニング」です。
集中力をつけるには、鍛えることが必要になるのではないかと思われます。
自分が理解されなかったときどうするか。
ここは大切な場面です。
あるとき、自分の意見や考え方が理解されなくて、もやもやすることがあります。
突然ですが、あなたに質問です。
「体調が悪いときこそ○○」
さて、あなたなら、このフレーズの後にどんな言葉を続けますか。
規制を最大限に生かした絵師と言えば「歌川国芳」です。
歌川国芳は、江戸後期に活躍した浮世絵師です。
江戸後期は水野忠邦による天保の改革によって厳しい規制が強いられていました。
解決策がなくて、困り果てる場面があります。
難しい問題に直面して行き詰まり、解決の手だてがない状態です。
解決策がないと、どうしようもなく、諦めるしかないように思えます。
小鳥たちが巣立つ瞬間をご存じですか。
自分たちで積極的に羽ばたいて巣立っていく様子をイメージしているかもしれません。
もちろん自分から羽ばたいて巣立つ小鳥たちも存在しますが、すべてがその限りではありません。
「Aにするか、Bにするか」
日常では、2択から選ばなければいけない状況があります。
2択なので、どちらか一方を選ばなければいけません。
問題が起こったとき、どんな言葉を発するか。
ここは問題解決の成り行きを決める、大切な場面です。
厄介な問題が起これば、普通は慌てふためくでしょう。
「もともと私は夜型だから」と言う人がいます。
実際に夜型の人がいるのはたしかです。
DNA解析では、朝型・夜型に関係する遺伝子が見つかっています。
残り時間が少なくなったとき、私たちは焦りを感じます。
試験の残り時間が少なくなると「時間がない。早く問題を解かなきゃ!」と焦ります。
納期の期限が迫ると「もう余裕がない。急いで終わらせよう!」と焦ります。
スポーツの試合では、点差がついてしまうことがあります。
1点差や2点差なら、まだ逆転のチャンスはありますが、10点差になると逆転は難しいように思えます。
点差が開くにつれて、追いつくのが大変です。
年齢を重ねていくにつれて、失いやすい感情があります。
それは「恥じらい」です。
若いころは、ちょっとした失態に恥じらいを感じていました。
トーナメントでは「敗者復活戦」が設けられていることがあります。
敗れても、敗者復活戦で勝利すれば本戦に復帰できます。
そのまま順調に勝ち進めば、優勝できる可能性もあります。
ストレスで苦しくなったとき、どんな対処をしますか。
ストレスで苦しいとき、情報を得たくなる人もいるでしょう。
「何かストレスを解消できる方法はないだろうか」とインターネットで検索する。
「恥ずかしくて謝れない」
「謝るとかっこ悪い」
「プライドが邪魔して謝れない。こけんに関わる」
選択肢があって、迷うことがあります。
迷っているとはいえ、意外とエネルギーを消耗します。
迷う時間は、生産的な時間でもクリエイティブな時間でもありません。
鏡を見てください。
目つきが悪くなっていませんか。
目元が枯れたようになっていませんか。
新しいことに挑戦すると、思ったより大変で戸惑うことがあります。
「こんなに苦しいことなのか!」
「こんな恥ずかしいことなのか!」
あるとき面白そうなことを発見することがあります。
「面白そうなこと見つけた。やってみようかな?」
ところが次の瞬間、別の感情が襲ってきます。
泣くのがいけないなんて誰が言ったのでしょうか。
泣くのがいけないなんて思い込みにすぎません。
人生では、涙を流して泣くこともあります。
誰かに裏切られても、やけになってはいけません。
裏切られると、大きなショックを受けます。
特に信用している人から裏切られると、特大のショックを受けるでしょう。
動きが遅い人がいます。
歩くのが遅い、話すのも遅い、仕事も遅い。
全体的にスピードが遅く、のろのろしています。
あなたがいらいらしたとき、どう感情を落ち着かせますか。
定番の方法の1つが「時間を置くこと」です。
時間は、心を癒やす万能薬です。
負けそうになったら、窮地を切り抜ける一言があります。
「かわいそうだから、今回は負けてあげよう」です。
お互いの立場が逆転する一言。
「ああ、つらい……」
そう思ったら、気づいてほしいことがあります。
「つらい」という感覚の大半は、気のせいです。
最悪・最低の状態のことを、私たちは「どん底」と呼びます。
どん底のときは、心が真っ暗で元気がなく、気力もありません。
谷に例えると、いちばん下の底の状態です。
人生では「もうダメだ」と思うことがあります。
何度やっても成功しない。
いくらやっても失敗続き。
やることすべてが空回り。
いくら頑張ってもうまくいかなければ、だんだん嫌になって諦めたくなるでしょう。
そんなとき、自然とため息が出て「もうダメだ」と嘆いてしまう。
もちろん「もうダメだ」と思うことはあっていいのです。
「もうダメだ」と思うのは、人間らしい普通の感覚です。
なかなかうまくいかない状況があれば、だんだん気持ちが萎えてくるのは当然です。
別に悪いことではなく、人として普通の感覚です。
しかし「もうダメだ」と思うのはいいですが、そこで終わりにするのが良くありません。
「もうダメだ」と思ったまま終わりにしたら、本当にダメになります。
道が途切れ、可能性が閉ざされ、希望の光が消えてしまうのです。
では、どうするか。
「もうダメだ」と思ったら、そこで終わらせるのではなく、次の言葉を続けてください。
「でも諦めない」と。
「でも諦めない」という一言は、諦めない底力を発揮させる言葉です。
シンプルな一言ですが、あなたの底力を引き出す力があります。
落ち込んでいた気持ちが元気になり、暗かった心が明るくなります。
沈んでいた心から、だんだんやる気が出てきます。
そして不可能に思えることでも、再挑戦したい気持ちが湧いてくるのです。
「もうダメだ。でも諦めない」というフレーズを口癖にするといいでしょう。
そうすれば、常に諦めない力を高い状態に維持できます。
99回挑戦してうまくいかなくても、100回目に挑戦する粘り強さを持ちたい。
こういうしつこさは大切です。
可能性が1%でもあるなら、挑戦する価値があります。
99回うまくいかないなら、100回目こそうまくいく可能性が高いと言えます。
「もうダメだ」に続く言葉は「でも諦めない」なのです。
「物事は簡単にうまくいってほしい」と願っている人は多い。
たしかになかなかうまくいかないと大変です。
頭をひねって解決策を考えるのは面倒です。
仕事も勉強もスポーツも、余計な手間暇はかけたくありません。
できるだけ一発でスムーズにうまくいってほしいと願っている人が多いでしょう。
しかし、一発でスムーズにうまくいくのは理想的に思えますが、本当にそうでしょうか。
ここに誤解があります。
簡単にうまくいったら、これはこれでつまらないのです。
苦労もストレスも1つもないのは理想的に思えますが、実際のところ、これほど退屈なことはありません。
ゲームをイメージするとわかります。
とても単純かつ簡単で、誰でも楽にクリアできるゲームなら、つまらなく感じるでしょう。
敵のいないロールプレーイングゲーム。
答えが表示されているパズルゲーム。
直線コースしかないレーシングゲーム。
最初から無敵のシューティングゲーム。
弱い対戦相手しか出てこない格闘ゲーム。
最初から犯人がわかっているアドベンチャーゲーム。
どれも最高に楽ですが、最悪につまらないはずです。
プレイを始めた瞬間、何の苦労も試行錯誤もなく、すらすら進めてしまうとつまらない。
「楽しい」「面白い」という感覚もなければ、はらはらどきどきすることもない。
ゲームをやっている感覚がなくなります。
「ゲーム」というより「作業」をしているかのように思えるでしょう。
簡単すぎるのも、つらくて仕方ない。
あくびが止まらず、すぐ飽きてしまうでしょう。
ゲームは、なかなかうまくいかないから面白いのです。
私たちが面白く感じるのは、わくわくしながら試行錯誤をするときです。
クリアするのに悩んだり苦しんだり時間がかかったりすることが大切です。
悩みに悩んで、苦労に苦労を重ねたからこそ、うまくいったときの喜びもひとしおです。
「よし、やった!」という達成感と満足感が得られます。
ドーパミンが大量に放出され、脳の報酬系が刺激されるのです。
人生も同じです。
なかなかうまくいかないことを歓迎することです。
なかなかうまくいかなくて、幸いです。
「どうすればうまくいくだろうか」と、悩んだり考えたりするのが面白い。
トラブルが発生して、わくわくしながら解決策を考えるのが面白い。
解決したら、また別のトラブルが発生して、試行錯誤するのが面白い。
「うまくいった」と思ったら、別の問題が浮上してくるのも面白い。
もし、なかなかうまくいかないことに悩んでいるなら、楽しむ気持ちが足りないのではないでしょうか。
結果ばかりを考えていて、楽しむことを忘れているのかもしれません。
大切なことは「楽しむ気持ち」です。
もっと楽しむ気持ちを大切にしながら取り組んでみましょう。
なかなかうまくいかないことに感謝するくらいでちょうどいい。
「トラブルが発生した。さあ、どうしようか。面白くなってきた!」とわくわくすればいい。
人生は、なかなかうまくいかないから、面白いのです。
人生では追い抜かれてしまう瞬間があります。
自分のほうが先輩なのに、急成長する後輩がいて、成績が逆転してしまうことがあるでしょう。
自分のほうにキャリアがあるにもかかわらず、年下のほうが早く昇進してしまうこともあるでしょう。
マラソンで走っている最中、必死で走っているにもかかわらず、後方の選手に抜かれてしまうこともあるでしょう。
最初から才能のある人は、短い時間と少ない練習で、めきめき伸びていきます。
追い抜かれる瞬間は、焦りを感じます。
しかも自分より若かったりキャリアが浅かったりする人に抜かれると、情けなくて悔しい気持ちが湧いてくるでしょう。
ぶざまな姿を見せてはなるまいと、つい自分もペースアップをして、阻止したくなります。
負けず嫌いのスイッチが入り、なんとか意地を見せてやろうと、限界を超えた領域に踏み込みたくなります。
しかし、ここは大切な瞬間です。
追い抜かれることがあっても慌てないことです。
気持ちが動揺して、精神的にストレスを感じるかもしれませんが、無視することです。
人は人、自分は自分です。
「抜かれてなるまい」と無理にペースを上げると、ろくなことになりません。
急成長の人に引っ張ってもらいたくなりますが、そもそも限界を超えたことは長続きしません。
リズムやペースが乱され、ちぐはぐな状態になります。
余計なミスを犯したり途中で息切れを起こしたりしてへばってしまうでしょう。
無理をすると、ろくなことにならないのが人生です。
人に惑わされてペースを崩すと、リズムが狂い、不規則に苦しみ、調子も悪くなり、本来の実力すら発揮できなくなります。
一時的にペースアップができても、エンストを起こしては台無しです。
普通に達成できることすら達成できなくなるリスクが高まります。
「あのとき無理をしたのがいけなかった」と後悔することになるでしょう。
大切なことは、マイペースです。
いくら追い抜かれて悔しいとはいえ、あくまで自分のペースを死守しましょう。
追い抜かれたとき、プレッシャーを感じるかもしれませんが、あくまでマイペースを貫くことです。
抜かれたら仕方ないことです。
焦る必要もなければ、自分を責める必要もありません。
マイペースこそ、ベストペースです。
マイペースで進めることが最も長続きします。
抜かれることが気になるなら、いっそのこと見ないように無視すればいいのです。
そもそも視界に入らないように、上手に視界や情報を遮断すれば、周りの様子が気にならなくなります。
追い抜かれることがあっても慌てず、最後までマイペースを貫きましょう。
行動しない人に見られる特徴の1つ。
それは「できない理由探し」です。
「お金がないからできない」
「時間がないからできない」
「やる気がないからできない」
「人が足りないからできない」
「タイミングが悪いからできない」
あげくには「運がないからできない」とまで言い始めます。
行動しない人は、何かとできない理由を探し出し、行動できない自分を正当化させようとします。
できない理由探しの天才になっていませんか。
できない理由を探しているかぎり、いつまで経っても行動できません。
できない理由を探すのは簡単です。
少しでも都合の悪いことがあれば、それを大きく取り上げ、ぐだぐだ文句を言えばいいだけです。
それでは物事が思うように進まなくなり、人生が停滞します。
できない理由を探していると、ネガティブな雰囲気も出てしまうため、人も運も逃げてしまいます。
できない理由を探したところで、結局は自分の人生が悪くなるだけなのです。
今から心を入れ替えましょう。
できない理由を探すのではありません。
できる理由を探すのです。
できない理由を探す時間があるなら、できる理由を探しましょう。
「お金がなくてできない」と思うなら「じゃあ、お金のかからないことから始めればいいよね」と考えてみる。
「仕事が忙しくてできない」と思うなら「じゃあ、休日ならできるよね」と考えてみる。
「やる気がなくてできない」と思うなら「じゃあ、やる気がなくてもできることから始めればいいよね」と考えてみる。
「協力してくれる人がいないからできない」と思うなら「じゃあ、自分一人で始めればいいよね」と考えてみる。
「タイミングが悪いからできない」と思うなら「じゃあ、タイミングが悪くてもできることから始めればいいよね」と考えてみる。
その気になれば、できる理由が1つくらい思い浮かぶはずです。
今までできない理由を探すのが得意だったなら、必ずできます。
「探す」という行為の方向を逆に変えるだけです。
今まで「できない理由」を探していたなら、これからは「できる理由」を探せばいいのです。
それは本当にできないことでしょうか。
いいえ、どこかにきっとできる手段があるはずです。
まず「解決策はある!」と信じることが大切です。
時間やお金がないなら、時間やお金がなくてもできる方法を考えましょう。
運やチャンスがないなら、運やチャンスがなくてもできる方法を考えましょう。
「この方法ならなんとかできそう」と思えることを探すだけです。
ゲーム感覚になって考えれば、わくわくしながら楽しく考えることができるでしょう。
可能性が0%なら諦めるしかありませんが、できる理由を探してみます。
たとえ可能性が1%でも、希望があるかぎり、できる理由を探すことが大切です。
困難な現実に直面して、すぐ諦めるのではなく、なんとかできる方法を探し出しましょう。
知恵を振り絞れば、何か1つくらいアイデアが出てくるでしょう。
地味でもかっこ悪くてもいいので、何かできる理由をつくることです。
今までできない理由を並べて、行動しない人生だったのかもしれません。
今までそうだったかもしれませんが、これから変わればいいことです。
これからは、できる理由を探しましょう。
まだまだ人生はこれからです。
できる理由探しの天才になるのです。
集中力を出すにはどうすればいいのでしょうか。
一般的によく聞かれるのが「集中力のトレーニング」です。
集中力をつけるには、鍛えることが必要になるのではないかと思われます。
呼吸法を習得したり、精神統一をしたり、瞑想をしたりします。
トレーニングにかかわらず、もともと性格や遺伝が関係していると考える人もいるでしょう。
生まれつき足の速い人がいるように、生まれつき集中が得意な人がいるのもおかしくありません。
なかなか集中できないと「自分は能力不足ではないか。自分が情けない」と自責の念に駆られ、自己嫌悪になります。
もちろんトレーニングも有効ですが、実はもっと単純かつ簡単に集中力を発揮できる方法があります。
それは「集中力の阻害要因をなくす」という方法です。
「集中力が出ない」と悩んでいる人の大半は、周辺に集中力の阻害要因があることが原因です。
友人から急に連絡が来て、集中力が奪われます。
視界に漫画・雑誌・テレビが置いてあると、誘惑になって集中できません。
周りがにぎやかでうるさいときも、音が気になって集中できません。
集中力を邪魔するものに囲まれていれば、集中できるほうが不思議です。
集中力の阻害要因に囲まれていれば、どれだけ頑張って集中しようとも限界があります。
発想を切り替えましょう。
集中力を鍛えるのではありません。
集中の阻害要因をなくすのです。
集中力が出ない原因は、あなたの能力が低いせいではありません。
集中力の阻害要因が悪いのです。
集中力の阻害要因がすべてなくなれば、目の前のことに集中せざるを得なくなります。
結果として、集中力が出てきます。
本当に集中したいなら、集中力の阻害要因を排除することが大切です。
「大切なものだから」「私のこだわりだから」と思っても「集中力の低下」という実害が出ているなら、改善が必要です。
こだわりにこだわりすぎず、あくまで集中力と生産性を優先して考えてください。
集中したいときは、あらかじめ携帯電話の電源をオフにして、邪魔が入らないようにしておきましょう。
周りがにぎやかでうるさいなら、落ち着いた場所に移動しましょう。
部屋に漫画や雑誌など、誘惑になるものが置いてあるなら、段ボール箱に詰めて押し入れにしまいましょう。
身の回りに注意を払い、徹底的に集中力の阻害要因を排除していってください。
集中力の阻害要因を排除して、それでもまだ集中できないなら、どこかにまだ阻害要因が残っています。
表向きは美しかったりきれいだったりすると、見抜きにくいことが少なくありません。
阻害要因は、大小や内容にかかわらず、しっかり取り除くことが大切です。
心を鬼にして、集中力の阻害要因をしっかり排除していきましょう。
集中力の阻害要因をなくせば、わざわざ集中力を鍛えなくても、集中力を発揮できるようになります。
自分が理解されなかったときどうするか。
ここは大切な場面です。
あるとき、自分の意見や考え方が理解されなくて、もやもやすることがあります。
「それは変だよ」
「理解できない」
「何を言っているか意味がわからない」
相手になかなか理解してもらえません。
理解してもらえなければ、もやもやした気持ちになる人が多いでしょう。
自分の考えを理解されなかっただけですが、自分を否定されたような印象を受けます。
中には、くよくよするだけでなく、怒りや憎しみを感じて嫌な気分になることもあるかもしれません。
しかし「理解されなかった」と落ち込む必要はありません。
世の中にはいろいろな人がいますから、それはそれで仕方ありません。
あなたの意見や考え方を理解できない人もいて普通です。
その人は、まだ理解の範囲が狭いのかもしれません。
別の価値観があったり、特別なこだわりがあったりするのかもしれません。
自分の考えが受け入れられないこともあって当然のこと。
そのため「理解されなかった」と、くよくよ落ち込む必要もないのです。
では、こういうときはどう対処するのがいいか。
簡単です。
「理解できない相手だった」とさらりと流しましょう。
「そうか。まだ理解できないか。それなら仕方ない」と考えます。
理解されない人がいたとき、くよくよしたり深く受け止めたりする必要はありません。
「そういう人だった」とさらりと考えるだけでいいのです。
落ち込むと元気がなくなりますが、さらりと流せば、元気なままでいられます。
さらりと受け流す力も、生きる力の1つです。
少し自己都合にも思えますが、くよくよ落ち込むくらいなら、さらっと流したほうがまだ健全です。
その代わり、相手を恨んだり憎んだりしないのがマナーです。
批判も反論もしません。
もちろん仕返しもしません。
相手も悪気があったわけではなく、ただ理解できなかっただけのこと。
自分の考えを拒まれたり見下されたりするかもしれませんが、感情的になるのは控えます。
たとえ厳しい言葉で反発されたとしても、冷静を保ちましょう。
細かいことにかっかせず、穏やかに考えましょう。
理解されなくても、にこにこしながら「そうですか」とうなずくだけです。
感情的にならずに済むことで、心の安定を保てます。
突然ですが、あなたに質問です。
「体調が悪いときこそ○○」
さて、あなたなら、このフレーズの後にどんな言葉を続けますか。
普段の自分を思い出しながら、純粋な気持ちで正直に答えてみてください。
このとき、気合や根性で仕事を進めるタイプの人なら、体調が悪いときこそ頑張ろうとします。
体調が悪くても「こんなはずではない。自分はもっと頑張れるはずだ!」と自分を奮い立たせます。
弱い自分を認めたくありません。
体調が悪い自分も嫌いです。
気合や根性で頑張るタイプの人は、体調が悪いときも気合や根性でなんとかしようとします。
体調が悪い自分を認めたくないので、弱っている体にむちを打って、なけなしのパワーを振り絞ろうとします。
体調が悪いときに頑張ろうとするのは、前向きかつ意欲的であり、立派なことに思えるでしょう。
しかし、ここに落とし穴があります。
そもそも体調が悪いときは、頑張ろうにも頑張れません。
体調が悪いからです。
「体調が悪い」ではなく「調子が悪い」という状態なら、まだいいのです。
「調子が悪い」と「体調が悪い」は、似ていますが違います。
「調子が悪い」はリズムが整っていないだけですが「体調が悪い」は心身に明らかな問題を抱えている状態です。
体調が悪いときに頑張ったところで、ストレスが大きいわりに、なかなか仕事が進みません。
空回りが多くなったり、無駄が多くなったりします。
時間がかかっている割に結果が出ません。
また、注意力も集中力も低下しているため、ミスや失敗も発生しやすい状況です。
前に進むどころか、後ろに下がってしまうことも少なくありません。
あまり体を酷使させると、ダメージによって体がダウンしてしまい、回復に時間がかかってしまう可能性もあるのです。
では、体調が悪いときにはどうすればいいのか。
正解は単純です。
「体調が悪いときこそ、無理をしない」が正解です。
「無理をしない」が大事なポイントです。
仕事をするか休むかは、そのときの具合の様子によって判断します。
仕事はしてもいいですが、無理をしない程度に進めましょう。
たとえ体調が悪くても、単純作業や小さくて簡単な仕事なら、さほど悪影響がなく進めることができるでしょう。
あまりに体調が悪いなら、思いきって休むのも得策です。
状況が許すなら、無理をせず早退させてもらいましょう。
体調が悪いときは、素直に休めば、回復も早くなるでしょう。
思いきって休んだほうが、体調の回復も早くなり、遅れを最小限に抑えられます。
学生でも社会人でも関係なく、すべての人に共通です。
体調が悪いときは、無理をしないのが正解です。
規制を最大限に生かした絵師と言えば「歌川国芳」です。
歌川国芳は、江戸後期に活躍した浮世絵師です。
江戸後期は水野忠邦による天保の改革によって厳しい規制が強いられていました。
規制の範囲は絵師の仕事にもおよびます。
描かれる絵にも規制が入ることになって、役者絵や美人画が禁止されることになりました。
役者絵や美人画は風紀を乱すということで規制対象になってしまったのです。
しかし、歌川国芳のすごいところはここからです。
規制があるからといって彼はめげませんでした。
「規制があるなら、規制に触れない表現で描けばいい」と考えます。
知恵を絞った結果、これまでにない斬新でユニークな浮世絵が誕生します。
歌舞伎役者を、人ではなく猫で表現した絵を描きます。
猫や魚などを擬人化した戯画を描きます。
判じ絵を通して、時代を風刺した浮世絵を生み出します。
結果として奇想天外な絵が誕生して、大人気を博します。
規制をマイナスではなくプラスとして生かすことで、ユーモアにあふれる作品を次々生み出していきました。
規制を逆に生かすことで、浮世絵の枠にとどまらないユニークな作品を多数生み出しました。
歌川国芳の逆転の発想力には驚かされます。
私たちも、歌川国芳の発想力に見習うところがあります。
規制があるなら諦めてはいけません。
規制があるなら、規制に触れない工夫や方法を模索しましょう。
規制を生かして、プラスに変えましょう。
規制をプラスに生かせば、新しい発想につながり、今までにない芸術が誕生するでしょう。
規制は、ピンチではなく、チャンスです。
規制とは、芸術性を高める起爆剤なのです。
解決策がなくて、困り果てる場面があります。
難しい問題に直面して行き詰まり、解決の手だてがない状態です。
解決策がないと、どうしようもなく、諦めるしかないように思えます。
しかし、そんな状況でも「解決策はない」と思ってはいけません。
「解決策が見つからない」はOKですが「解決策はない」はNGです。
「解決策はない」と諦めた瞬間、本当に解決策がなくなるからです。
考えることを放棄することになり、完全に可能性がゼロになります。
可能性を諦めた状態で、どうやって解決策が見つかるのでしょう。
結局のところ解決策の有無は「可能性を信じているかどうか」にあります。
すべての手段を試したかもしれませんが「本当にすべての手段を試したのか」と疑ってみてください。
表側しか見ておらず、裏側の存在を忘れていないでしょうか。
逆の発想をしてみると、意外な解決策が見つかるかもしれません。
「すべての選択肢を検討した」と思うかもしれませんが、油断はできません。
トランプのカードが13枚あるなら、13枚のすべてを検討します。
すべての選択肢を検討したなら、新しい選択肢をつくることもできるはずです。
トランプのカードが13枚しかなければ、14枚目をつくればいい。
二次元で考えたなら三次元で考え、三次元で考えたら四次元で考えてみる。
「すべての手段を試した」と思っているだけであり、本当は意外な視点があるかもしれません。
「どこかに解決策はある」と考えることです。
解決策のない問題はありません。
どんな問題でも、必ず解決策があります。
「それはきれいごとだ!」と疑っているから解決策が見つからないのです。
常に希望を持つこと。
諦め癖があるなら、吹き飛ばしてください。
きれいごとだと思わず、とことん本気になって考えることです。
本気で解決したいなら、どんな状況でも、解決策の存在を信じることが大切です。
完全に可能性がゼロの状態に思えても、そこに希望の光を見いだすのが人間です。
人類の発展は、解決策を信じ続けたことにあります。
医療技術の発展、科学技術の発展、経済社会の発展。
人類が月に行くことができたのも、解決策を信じ続けた結果です。
結核を治す薬「ペニシリン」が誕生したのも、解決策を信じ続けた結果です。
社会体制が、独裁体制から民主主義に移行できたのも、解決策を信じ続けた結果です。
諦めず、可能性を信じ、解決策を模索してきたから、人類は進化してきました。
解決策を信じた人は前進して、解決策を諦めた人は停滞、もしくは後退します。
「必ずどこかに解決策がある」と信じて、十二分に脳を働かせれば、いずれ解決策が見つかります。
思考の壁を打ち破りましょう。
脳に汗をかきましょう。
考えるのではありません。
考え抜くのです。
「必ずどこかに解決策がある」
そう信じて考え抜いた果てに、素晴らしい知恵・斬新なアイデア・秀逸な発明が生み出されます。
小鳥たちが巣立つ瞬間をご存じですか。
自分たちで積極的に羽ばたいて巣立っていく様子をイメージしているかもしれません。
もちろん自分から羽ばたいて巣立つ小鳥たちも存在しますが、すべてがその限りではありません。
野生の世界では、意外と冷酷な場面があります。
巣から追い出されるかのように、無理やり親鳥に背中を押されて、仕方なく巣立つ小鳥たちもいます。
小鳥は必死で巣にしがみつきます。
親鳥は、その手を振り払い、追い出すかのように小鳥を巣から追い出します。
親鳥は、わが子に早く自立してもらいたいと思っています。
そのため、小鳥がある程度まで成長すると、親鳥は無理やり巣から追い出して、巣立たせようとするのです。
小鳥は、初めて空を飛ぶのが怖いので、必死で巣にしがみつきます。
鳥でさえ、初めて空を飛ぶのは怖い。
途中で巣にしがみつくのを諦め、仕方なく巣から飛び出していきます。
その厳しさがあるおかげで、小鳥は空の飛び方を覚え、たくましく育っていきます。
その小鳥たちがゆくゆく親鳥になったとき、わが子に同じことをして、自立を促すのです。
これは野生に限った話ではありません。
私たち人間の世界でも起こります。
あるとき私たちは、追い出されるような出来事に遭遇することがあります。
背中を押す人も、さまざまです。
親かもしれません。
友人や恋人かもしれません。
先輩や先生かもしれません。
「あなたはここにいてはいけません。出て行きなさい!」といったニュアンスで、強制的に追い出されます。
追い出されるのは誰もが嫌です。
そのときは抵抗感があったり、孤独を感じたり、ストレスを感じたりするかもしれません。
しかし、ここが大切な場面です。
追い出されているのではありません。
背中を押してくれているのです。
表向きは、追い出しているように見えますが、実際は自立を促すために背中を押してくれています。
「ずっとここにいてはいけません。ぬるま湯につかるのはもう終わりです。さあ、勇気を出して、次のステージに羽ばたきなさい」
そう思いながら、申し訳ない気持ちで追い出しています。
人生では、誰かに背中を押してもらわないと、前に出られないことがあります。
追い出されても、相手を恨まないことです。
相手も、罪悪感にさいなまれながら泣く泣く追い出しています。
追い出されたら、新しい環境のため最初は苦労しますが、だんだん慣れてきます。
そのおかげであなたは大きく成長できます。
「やればできる」ということを経験します。
後になって「あのときは、追い出されたのではなく、背中を押してもらった」と気づき、感謝することになります。
「Aにするか、Bにするか」
日常では、2択から選ばなければいけない状況があります。
2択なので、どちらか一方を選ばなければいけません。
もちろん判断基準が明快であれば、迷うことなくすぐ選べます。
スムーズに話が進み、次のステップに進めるでしょう。
さて、問題なのは、どちらも都合が悪いときです。
AもBも都合が悪いと、なかなか選ぶのが難しい。
どちらも都合が悪くて選べないなら、行き詰まって諦めそうになりますが、そんなときこそ頭を柔らかくしてください。
新しく「C」という選択肢をつくってみるのです。
頭を働かせ、あらゆる可能性を張り巡らして、現実的な新しい選択肢を考えましょう。
新しい選択肢が思い浮かんだら、無理を承知で持ちかけてみるといいでしょう。
相手から提案してくれるとは限りませんから、自分から提案することが大切です。
「こういう方法はいかがでしょうか」と丁寧に提案してみます。
「それはできません」と断わられるかもしれませんが、案外スムーズに話が通るかもしれません。
お互いがWIN&WINになるような提案なら、スムーズに進むはずです。
諦めかけていた現実に新しい道ができ、希望の光が見えるのです。
これは2択に限った話ではありません。
3択しかなければ、第4の選択肢をつくってみます。
4択しかなければ、第5の選択肢をつくってみます。
選択肢は、限られているようで、限られていません。
ルールは、あってないようなもの。
選択肢がなければ、新しい選択肢をつくるのです。
「道がなければ、道をつくる」ということです。
選択肢が多くなることで、可能性が広がり、人生を切り開くチャンスになります。
常識を打ち破り、非常識に考えましょう。
既存のルールにとらわれず、新しい選択肢をつくれる人間になってください。
「ほかに選択肢はないのか」と思ったら、あなたの知恵と工夫の見せどころです。
新しい選択肢を生み出し、新しい道をつくりましょう。
選択肢は、選ぶためにあるのではなく、増やすためにあるのです。
問題が起こったとき、どんな言葉を発するか。
ここは問題解決の成り行きを決める、大切な場面です。
厄介な問題が起これば、普通は慌てふためくでしょう。
「大変、大変」と騒ぎやすい場面です。
しかし「大変、大変」と騒ぎたくなっても、できるだけ控えるのが得策です。
「大変、大変」と騒いでいると、自分に悪い暗示をかけることになります。
不安と焦りが助長され、ますます心拍数が上がって、心と視野が狭くなります。
どんどん谷に転げ落ちているような錯覚が生まれます。
冷静な判断ができなくなり、どんどん気持ちの余裕がなくなります。
「大変、大変」と騒ぐことで、理性と自制心が失われ、さらに事態がエスカレートする。
自分で自分の首を絞めるようなものです。
自己暗示の力が悪い方向に働いてしまう。
また「大変、大変」と騒ぐことにもエネルギーを使います。
余計なところでエネルギーを消耗していると、疲れやすくなり、問題解決に回すエネルギーまで足りなくなってしまいます。
「大変、大変」と騒いでいると、ますます大変になるのです。
問題が起こったときはどうすればいいか。
逆のことを心がけるのです。
「大丈夫、大丈夫」と笑っていましょう。
「そんなこと言っていられない。笑っている場合ではない」
そう思うかもしれませんが、騙されたと思って試してみてください。
難しい問題が発生したら、まず心を落ち着かせるのが最優先です。
冷静にならなければ、解決できる問題も解決できません。
「大丈夫」という言葉は、我を取り戻す言葉です。
「大丈夫、大丈夫」と言っていると、だんだん心が落ち着いてきます。
これも自己暗示の力です。
「大丈夫、大丈夫」と笑っているうちに、だんだんポジティブな気持ちにもなってくるでしょう。
平常心を取り戻せ、心拍数が正常になり、心に余裕が出てきます。
少なくとも気持ちが上向きになるのは間違いありません。
気持ちさえ上向きになれば、後は行動するのみです。
冷静と落ち着きがあるおかげで、適切な判断と正しい行動が取れるようになります。
笑っていれば、やる気とパワーが生まれるので、問題解決にも集中しやすくなります。
また、明るい雰囲気が出るので、周りの人の協力も得やすくなります。
「大丈夫、大丈夫」と笑っていれば、本当に大丈夫になるのです。
「もともと私は夜型だから」と言う人がいます。
実際に夜型の人がいるのはたしかです。
DNA解析では、朝型・夜型に関係する遺伝子が見つかっています。
夜のほうが調子が良くて、仕事も勉強も夜のほうスムーズに進む人もいるでしょう。
しかし「もともと私は夜型だから」の「もともと」には要注意です。
もともと夜型だと思っている人にありがちなのは、生活リズムがずれているパターンです。
人には体内時計があります。
日頃から夜更かしを繰り返していると、だんだん生活リズムが崩れていき、調子のいい時間帯が昼から夜にずれてきます。
研究によると、人間の体内時計は、24時間より少し長いことがわかっています。
個人差もありますが「およそ24時間10分」とされています。
地球の自転周期とは少しずれが生じているのです。
もともと朝型の人でも、油断しているとだんだんリズムが崩れていき、日中から夜中にずれてしまいます。
その結果「夜のほうが調子が良い」と誤解して、自分は夜型であると思い込むことがあるのです。
人は元来、昼型の生活を送っている生き物です。
20万年前ホモサピエンスが誕生したとき、私たちは夜になれば寝て、昼になれば起きて活動する生活を送ってきました。
人類史を振り返ったとき、電球が発明されたのはまだ最近のことです。
エジソンが白熱電球を発明したのは1879年です。
人類が明るい夜を手に入れ、夜にも活動ができるようになったのは、ここ100年あまりのことにすぎません。
もともと夜型と思っているなら、実は生活リズムがずれているだけである可能性があります。
昼夜逆転の生活を送っていると、肥満や病気になりやすいこともわかっていて、軽視できません。
夜勤の多い仕事では、日中に仕事をする人に比べて、さまざまな疾患にかかりやすく、健康リスクが上昇することは有名です。
思い込み・勘違いほど怖いものはありません。
もともと夜型なのか、それとも生活リズムがずれて夜型になっているだけなのか、いま一度チェックしてみてください。
生活リズムを整えれば、実は夜中心より昼中心の生活のほうが快適で、高いパフォーマンスを発揮できる可能性があります。
残り時間が少なくなったとき、私たちは焦りを感じます。
試験の残り時間が少なくなると「時間がない。早く問題を解かなきゃ!」と焦ります。
納期の期限が迫ると「もう余裕がない。急いで終わらせよう!」と焦ります。
試合で秒読みに入ると「最後のチャンスだ!」
タイムプレッシャーを感じると、きゅっと心を締め付けられる感覚になる。
時間に敏感になって、1分1秒が重く感じられるようになります。
間違えるのは、こういうときです。
残り時間が少なくなると、タイムプレッシャーが生まれます。
焦ると、余裕がなくなって、視界も狭くなります。
残り時間ばかりが気になってしまい、目の前のことに集中できなくなる。
そして、つまらない間違いを犯してしまいます。
普段なら絶対間違えないようなところで、なぜか間違いを犯してしまう。
後になって振り返ると「どうしてこんなところで間違ってしまったのだろう」と不思議に思います。
初歩的な間違いを犯してしまい、自分が恥ずかしくなるのです。
それだけではありません。
一度間違えると、さらに焦りが高まり、ますます間違いを引き起こしやすくなります。
「なんとか挽回しなければ!」と帳尻を合わせようとした結果、注意力が低下して、不注意を招きやすくなる。
そして、さらに間違いが増えるという悪循環に陥るのです。
誰でも一度は経験があるのではないでしょうか。
このことから見えてくる事実があります。
間違えるから慌てるのではありません。
慌てるから間違えるのです。
残り時間が少なくなっていても、慌てないでください。
タイムプレッシャーが出てきても、できるだけ気にしないことです。
慌てそうになったら「落ち着け」「平常心」と自分に言い聞かせるといいでしょう。
普段から慌てないトレーニングをして、落ち着きと平常心を保つ練習をしておきましょう。
焦りを感じやすい場面ほど、焦りを忘れることです。
どんなときも落ち着きを貫きましょう。
たとえ秒読みの段階に入っても、冷静に落ち着いて振る舞いたい。
冷静と落ち着きは、最後の最後まで、貫き通すことが大切です。
残り時間が少ないからといって、慌てる必要はありません。
最後まで慌てない人のほうが、本来の実力をスムーズに発揮できます。
そして、きちんと勝利を勝ち取れるのです。
スポーツの試合では、点差がついてしまうことがあります。
1点差や2点差なら、まだ逆転のチャンスはありますが、10点差になると逆転は難しいように思えます。
点差が開くにつれて、追いつくのが大変です。
逆転の見込みはないように思えます。
しかし、現実はどうでしょうか。
現実では、大きく点差が開いた状況から試合の流れが変わり、逆転してしまう奇跡が見られます。
しかもさほど珍しくありません。
10点差でも、意外と逆転するケースは少なくありません。
奇跡の大逆転劇は、アマチュアの世界だけでなく、プロの世界でもよく見られます。
むしろ1点差より10点差のほうが逆転するケースが多いと言っても過言ではありません。
なぜ逆転は、1点差より10点差のほうが起こりやすいのか。
それは、相手が油断するからです。
「もう10点も差が開いた。もう安心。これだけ差ができれば、もう逆転されることはないだろう」
1桁の点差と2桁の点差は、印象が違います。
点差が1桁から2桁に変わると、心理的に大きな差ができたように錯覚します。
優勢側はまだ試合中にもかかわらず、結果が決まったかのように喜ぶ。
心の中でガッツポーズをして、勝利の気分に酔いしれます。
そして、油断するのです。
一方、点差が開いても、劣勢側は諦めずに粘り続けます。
「まだチャンスはある。最後まで諦めない。今までのすべてを出し切ろう!」
試合終了の笛がなるまで、希望を持ち続けて粘ります。
このとき、試合の流れが変わります。
油断した相手の隙を突いて、一気に出し抜いていきます。
たとえまだ点差はあっても、じわじわ追いつかれていると、相手は心理的に焦り始め、ますます不利になる。
焦ることで単純なミスが出ると、ますます焦ってしまい、悪循環に陥ります。
そうして、奇跡の大逆転が起こるのです。
「点差が開くと、逆転のチャンスがない」と思いますが、実際は逆です。
「点差が開くと、相手が油断するので、チャンスがある」です。
点差が開いても諦めないでください。
点差が開いて逆転を諦めるのは、スポーツマンシップに反します。
途中で諦めたら、せっかく相手が油断しても逆転できません
奇跡の逆転は、1点差より10点差のときに起こります。
点差が開くからこそ、諦めないほうがいい。
「点差が大きく開いた。相手は油断し始めているだろう。今こそチャンスだ」と考えましょう。
10点差になっても諦めず、逆転を信じて粘り続けると、奇跡の大逆転が起こるのです。
年齢を重ねていくにつれて、失いやすい感情があります。
それは「恥じらい」です。
若いころは、ちょっとした失態に恥じらいを感じていました。
面前で間違えたとき、おならをしたとき、マナー違反をしたとき。
少しでも恥ずかしい失態をしようものなら、顔を真っ赤にして、冷や汗をかいていました。
マナー違反であれば、すぐに非を認め、自分の行いを反省しました。
ところが年齢を重ねるにつれて、恥じらいが薄れがちです。
「見られたら恥ずかしい」と思っていたことが、年齢を重ねると「別に見られても大丈夫」に変わります。
「きちんとしよう」と思っていたことが「別にだらだらしてもかまわない」に変わります。
たとえば、マナー違反をしたときです。
マナー違反をしたとき、若いころは「恥ずかしい」と素直に反省しますが、年齢を重ねるにつれて緩んだ考えになりがちです。
「まあいいか」「これくらいいいよね」「別に問題ないだろう」といった考えに変わります。
「真面目にやってたまるか!」と、横柄な考え方になることも少なくありません。
一見すると、勇気が鍛えられ、度胸が身についたように思えます。
経験が増えることで物事に動じなくなり、いいことであるように思えるかもしれません。
しかし、気づいてください。
年齢を重ねていくにつれて恥じらいがなくなったら、それは勇気が鍛えられたのではありません。
心が老化しているのです。
人は、恥じらいがなくなると、品性とモラルが失われ、態度が悪くなります。
人間らしい振る舞いが失われ、だんだん野蛮な振る舞いが目立ち始めます。
完全に恥じらいがなくなると、もはや野生の生き物と同一になります。
恥じらいを忘れないことです。
年齢を重ねても、恥じらいだけは大切にしたい。
年齢を重ねても、マナーは守り、モラルを大切にしたい。
品性を大切にして、人としての品格を保ちたい。
自分の行いを振り返り、恥ずかしい振る舞いになっていないか、客観的な目を持つことが大切です。
恥じらいは、年齢を重ねても保ち続けたい感情です。
人として恥ずかしい行為をしないよう、緊張感を持つことです。
そうすれば、外見は老いても、心は美しい状態を保てます。
目指したいのは、赤面ができる年配者です。
赤面ができる年配者は、心が若々しいのが特徴です。
勇気を鍛えつつも、恥じらいは持ち続けたい感情です。
恥じらいは、品性を保つために必要です。
どれだけ人生経験を経ても、恥じらいは忘れてはならない感情なのです。
トーナメントでは「敗者復活戦」が設けられていることがあります。
敗れても、敗者復活戦で勝利すれば本戦に復帰できます。
そのまま順調に勝ち進めば、優勝できる可能性もあります。
一度負けた人にも、復活のチャンスが与えられるのは嬉しいことですね。
トーナメントでは敗者復活戦をよく見かけ、もはや定番と言ってもいいでしょう。
「人生にも敗者復活戦があればいいのにな」と思うところですが、ここは大事なポイントです。
実は人生にも敗者復活戦は存在します。
ないように見えるだけであって、実はきちんと存在しています。
ただし、最初から準備されているとは限りません。
自分でつくっていく必要があります。
敗者復活戦がないくらいで諦めないことです。
敗者復活戦がなければ、自分でつくればいいのです。
人生における敗者復活戦は、自分でつくるのが基本です。
好きな人に告白してノーと言われても、交際が100%不可能と決まったわけではありません。
その場は潔く引き下がり、いったん時間を置きましょう。
しっかり自分を磨いてから再び告白すれば、次はすんなりOKをもらえるかもしれません。
憧れの企業から不採用をもらっても、その企業への就職が完全に不可能と決まったわけではありません。
多くの企業では、再面接が可能です。
キャリアと実績を積んだうえで数年後に再チャレンジすれば、次は採用となる可能性があります。
ある企業に契約交渉を持ちかけたところ、断れることがあります。
いったんその場は見送りますが、敗者復活戦の機会をつくることです。
過去に断られた契約交渉でも、別のタイミングでもう一度声をかければ、次はうまくいくかもしれません。
ニート生活でつらい日々を送っていたとしても、社会で働くことを諦めないことです。
働く意欲を持ち、職業訓練や資格を取ってスキルを身につければ、内定をもらうことは可能です。
その後の努力しだいで昇進していくことも可能です。
自分に合った仕事が見つからなければ、独立という道もあります。
自分で起業すれば、社長になることも可能です。
「敗者復活戦がないから諦める」という考え方は良くありません。
「敗者復活戦がなければ自分でつくる」という考え方を身につけてください。
敗者復活戦は、どんどん自分でつくっていくものです。
人生の場合、最初から敗者復活戦が準備されているのはまれで、自分でつくっていくのが基本です。
この考え方を身につければ、人生は多くのチャンスにあふれていることに気づくはずです。
ストレスで苦しくなったとき、どんな対処をしますか。
ストレスで苦しいとき、情報を得たくなる人もいるでしょう。
「何かストレスを解消できる方法はないだろうか」とインターネットで検索する。
気晴らしや気分転換として、テレビやSNSを楽しんだりすることもあるでしょう。
ストレスを解消できる方法が見つかれば、ストレスからも解放されるように思われます。
しかし、ここは注意したい場面です。
ストレスで頭がいっぱいになったとき、安易に情報を得るのはリスクがあります。
世の中は情報化社会です。
普通に生活しているだけで、さまざまな情報が自然と流れ込んでくる状態になっています。
テレビをつけると、さまざまな情報が押し寄せてきます。
ためになる情報もあるかもしれませんが、不必要な情報も多いでしょう。
SNSを開けば、個人情報を含めた雑多な情報が流れ込んできます。
時には知りたくもない情報を知り、感情を揺さぶられることもあります。
インターネットを開くと、広大な情報の海が広がっています。
膨大な量の情報があふれていて、真偽の判断に時間と体力を奪われます。
情報の海を泳ぐのも疲れます。
いずれ情報の海に溺れてしまうかもしれません。
情報は便利である反面、リスクもあります。
ストレス解消のつもりで情報に触れていると、ますます情報過多の状態に陥ります。
精神的ストレスを増やしてしまい、健康状態を悪化させてしまうリスクがあるのです。
ストレスで頭がいっぱいになったら、逆のことを心がけましょう。
情報を得るのではありません。
情報を遮断するのです。
「頭がいっぱい」ということは、すでに情報過多の状態になっている証拠です。
考えすぎたり悩みすぎたりして、脳に大きな負荷がかかっています。
いろいろな情報を吸収しすぎていて、頭がパンクしそうになっています。
そのためストレスを解消したいなら、情報を得るより遮断したほうが賢明です。
できるだけ情報を遮断して、何も情報が入ってこないようにします。
新聞も雑誌も読みません。
テレビも見ません。
SNSも通知をオフにします。
インターネットも、必要な場合を除き、できるだけ利用しないようにします。
手元に携帯電話があると、つい情報を見てしまうなら、いっそのこと携帯電話を持ち歩かないのも悪くありません。
解約までする必要はなく、机の引き出しにでも入れておくといいでしょう。
普段は携帯電話の電源をオフにして、半日に1回、もしくは1日に1回の利用で制限して済ませるのもいいでしょう。
意識的に情報を遮断することで、入ってくる情報が制限され、心が楽になります。
完全に情報を遮断することはできなくても、いくつかの情報を遮断することならできるはずです。
ストレスは減っていき、だんだん心が軽くなっていくことがわかるでしょう。
もちろん情報の遮断は、恒久的ではなく一時的でかまいません。
最初のうちは慣れないため落ち着かないかもしれませんが、しばらく続けていると慣れてきて、快適な環境に気づくでしょう。
今までの自分は、情報を吸収しすぎていたことに気づくはずです。
慣れてくれば、情報を遮断しても思ったほど不便はなく、意外と普通に暮らせることに気づけるはずです。
「情報を遮断したら大変なことになる」と思うかもしれませんが、ストレスでつぶされるほうが、もっと大変なことになります。
少し不便は生じるかもしれませんが、ストレス対策として情報の遮断は有効です。
情報は、便利である反面、多すぎると毒になります。
ストレスで頭がいっぱいになったら、情報を得るのではなく、遮断するのが正解です。
情報を遮断したら、ぼうっとする時間をつくりましょう。
散歩をするのも良し。
瞑想をするのも良し。
半身浴をするのも良し。
ぼうっとする時間をつくると、疲れていた脳の回復がますます早くなります。
やることがないなら、普通に寝るだけでもかまいません。
ぼうっとすることで、脳は落ち着き、本来の自分を取り戻せます。
「恥ずかしくて謝れない」
「謝るとかっこ悪い」
「プライドが邪魔して謝れない。こけんに関わる」
たしかに謝るのは抵抗があるでしょう。
謝ることを「自分の負けを認めるようなもの」と考える人もいるはずです。
特に頑固な人や見栄っ張りの人は、謝るのが大変な仕事に感じるはずです。
もし謝れない自分がいたら、こんな言葉を言い聞かせてください。
「謝っても死ぬことはない」と。
「恥ずかしくて謝れない」と思いますが、だから何なのでしょう。
謝ることを大げさに考えているだけです。
自己保身・自己防衛の気持ちが強すぎるだけです。
借金を背負うわけでもなければ、人生が終わるわけでもありません。
「謝るとかっこ悪い」と思っているなら誤解です。
見栄や体裁を気にしている場合ではありません。
見栄や体裁を気にして謝れないほうが、はるかにかっこ悪いことです。
自分に非があるにもかかわらず、あれこれ言い訳を並べるのは子どものすること。
きちんと謝らなければ、解決も仲直りもできません。
「プライドが邪魔して謝れない」と思うのも勘違いです。
謝ることを邪魔するプライドなんて大したことがありません。
つまらないプライドなんてさっさと捨てて、きちんと謝るのが得策です。
謝ることに強い抵抗感を覚えるかもしれませんが、だからといって死ぬことはありません。
死ぬことはないのですから、難しく考えないでください。
自分に非があることは、素直に認め、きちんと謝りましょう。
偉そうに批判していても、自分の非があるとわかれば、急に態度を変えて謝ってもかまいません。
「意地を張るのはやめよう。謝っても命まで取られるわけではないよね」
そう思えば、謝る勇気が湧き出てきます。
難しそうに思えますが、難しく考えているだけです。
その気になれば、意外とあっさり簡単にできてしまいます。
自分に非があるなら、少しでも早く謝っておくのが得策です。
今日中に謝ることもできるはずです。
謝るのが早ければ早いほど、トラブルが収まるのも早くなります。
謝っても死ぬことはありません。
命までは取られないのです。
選択肢があって、迷うことがあります。
迷っているとはいえ、意外とエネルギーを消耗します。
迷う時間は、生産的な時間でもクリエイティブな時間でもありません。
ただの不毛な時間です。
「どうしよう、どうしよう」と迷う時間だけが過ぎていき、その時間に何かが生まれることはありません。
そのため迷う時間は、少なければ少ないほどいい。
迷いが生じたとき、イエスであれノーであれ、少しでも早く決断して、前に駒を進めることが大切です。
では、どのような基準で選べばいいのでしょうか。
ここで参考にしたい判断基準があります。
わくわくしながら迷うなら、両方選びましょう。
わくわくしているということは、心がポジティブに反応している証拠です。
「どちらも好きだ! どちらも魅力的だ! どちらも選びたい!」という本音があります。
興味関心があり、期待や喜びで心が弾んでいて、前向きな気持ちがあります。
「どちらも選びたい」と思っているなら、両方選ぶのが正解です。
たとえば、レストランでパンケーキとパスタで迷ったら、両方注文すればいいのです。
少しお金はかかりますが、一度で二度楽しめます。
両方を楽しむことで、幸せも2倍になります。
幸せを制限する必要はありません。
欲張りな選び方に思えますが、誤解です。
人生の貴重なチャンスを生かす選び方です。
人生を楽しむためにも、チャンスが目の前にあれば、貪欲になっておくことが大切です。
したがって、わくわくしながら迷うなら、両方選ぶのが正解です。
もやもやしながら迷うときもあるでしょう。
もやもやしているということは、心がネガティブに反応している証拠です。
「どちらも嫌だ。いまいち納得できない。どちらも選びたくない」という本音があります。
もやもやしながら迷うなら、両方選ばないほうがいい。
もやもやしながら迷うということは「どちらも嫌だ」という本音がある証拠です。
もやもやがあるということは、何らかの不安や懸念点があるともいえます。
心にしこりが残っている状態で無理に選ぶと、後悔を招く可能性があります。
「やっぱり選ぶべきではなかった。なんだか嫌な予感がしていた」と後悔することになるでしょう。
不安や懸念があるなら、それを解消させるのが先決です。
心の違和感には敏感になっておくことが大切です。
明確な根拠がなくても、違和感には正直になっておくほうがいい。
健康や財産が関わることならなおさらです。
少なくとももやもやが晴れるまでは、判断を保留しておくのが賢明です。
したがって、もやもやしながら迷うなら、両方選ばないのが正解です。
もちろん現実は、そう単純にいかないことがあるでしょう。
実際は予算や時間が限られていたり、一方を選ばざるを得なかったりする条件などがあるはずです。
あくまで理想論ではありますが、迷ったときの判断基準の1つとして覚えておく分には損はないはずです。
理想論ではありますが、人生における幸福論でもあるのです。
鏡を見てください。
目つきが悪くなっていませんか。
目元が枯れたようになっていませんか。
それは、最近涙を流していないせいかもしれません。
最後に泣いたのは、いつですか。
思い出せないくらい泣いていないなら、大変です。
それは、心の冷たい大人になりつつあります。
私たちは「涙は我慢するもの」という考え方を植え付けられてきました。
強くたくましくなればなるほど、涙を流すこともなくなるように思われます。
「大人は泣かない。泣いてはいけない」という考え方にとらわれています。
泣くことを我慢して、感情を殺すことが当たり前の習慣になる。
大人になるにつれて、泣く機会が少なくなっているのです。
しかし「大人は泣かない」という考え方は良くありません。
泣くことは、人にとって基本的な感情の1つ。
大人でも、悲しいことや感動したことがあれば、涙を流すものです。
泣かない大人より、泣ける大人のほうが、優しい心を持っています。
まったく泣かない生活が続くと、どうなるでしょうか。
目の周りの筋肉が衰え、涙腺の機能が低下します。
目の周りの筋肉が衰えることで、目つきも悪くなります。
心が枯れてしまい、感度の鈍い人間になってしまうでしょう。
泣くのを我慢するのは、心にも体にも良くありません。
あげくには、泣き方まで忘れてしまうでしょう。
泣くべきときに泣けない大人になる。
これは大変危険です。
感情の窓を閉ざすことは、自分の心を殺すことになる。
心の冷たい大人になってしまう。
つまり、人間性を失ってしまうのです。
だから私たちは、ときどき泣く機会が必要です。
ときどき泣く機会をつくりましょう。
大人だから、泣くのを避けるのではありません。
大人だから、泣く機会が必要なのです。
泣くのは、悪いことではなく、いいことです。
ときどき泣く機会をつくって、目の周りの筋肉を鍛えてください。
映画やドラマで感動したときは、たっぷり大粒の涙を流しましょう。
嬉しいことがあれば、嬉し涙を流しましょう。
悔しいときがあれば、悔し涙を流しましょう。
時には悲しいことがあれば、我慢しないで素直に泣くことも大切です。
たっぷり泣いた後は、気持ちがすっきりして、心も軽くなります。
ストレスが発散され、負の感情が昇華されるからです。
泣けば泣くほど、目の筋肉も鍛えられ、優しい目つきになります。
定期的になく機会をつくっておけば、感情的な刺激によって心が潤い、優しい心が養われます。
新しいことに挑戦すると、思ったより大変で戸惑うことがあります。
「こんなに苦しいことなのか!」
「こんな恥ずかしいことなのか!」
「思ったより難しいじゃないか!」
想像していたより大変という現実を知ると、心の準備ができていない分、ショックを受けるでしょう。
「こんなはずではなかった」と思う。
最初は方法がわからず、緊張したりあたふたしたりして、強いストレスを感じます。
方法がわからないので、ミスや失敗も多くなり、恥をかく連続になるでしょう。
最初が大変だと、それがずっと続くと思いがちです。
「これがずっと続くのは耐えられない。早めに中断しよう」
早々に諦めそうになるかもしれませんが、ちょっと待ってください。
最初の印象で、すべてを決めるのは良くありません。
初めて経験することは、誰でも初心者です。
ゼロから始めるときは、まず失敗から経験することになるでしょう。
いましばらくの辛抱です。
もう少し続けてみてください。
最初の大変さがずっと続くことはありません。
最初が大変でも、あとから楽になることが多いからです。
人には、適応能力があります。
人の適応能力は驚異的です。
繰り返し経験するにつれて慣れが生まれ、順応していき、臨機応変に対応できるようになります。
経験の回数を重ねるにつれて、だんだん印象が変わってくるはずです。
大変なのは、せいぜい最初の10回までです。
10回も経験すれば、ずいぶん楽になっているでしょう。
100回も経験すれば、もはや簡単と思うようにさえなっているかもしれません。
慣れてしまえば、ストレスも半減します。
それどころか心地よいとさえ思うようになるでしょう。
最初の大変さがずっと続くと思わないことです。
最初に山場がありますが、そこさえ乗り越えれば、後は楽な道が待っています。
初めて挑戦することは、抵抗感があってストレスを感じますが、最初だけです。
「何事も最初がいちばん大変で、あとから楽になる」というのは人生の法則です。
この人生の法則に気づけば、初めてのことに挑戦する抵抗感を大幅に減らせます。
「最初がいちばん大変だけど、慣れてくれば楽になるから大丈夫」と前向きに構えることができます。
実際そのとおりになるでしょう。
最初が大変でも戸惑わないことです。
後になればなるほど、楽になっていくのです。
あるとき面白そうなことを発見することがあります。
「面白そうなこと見つけた。やってみようかな?」
ところが次の瞬間、別の感情が襲ってきます。
不安です。
「失敗するかもしれない」
「間違えるかもしれない」
「恥をかくかもしれない」
不安があるのは誰でも嫌です。
面白いことがあっても、どんなものかよくわからないと、不安を感じます。
不安のほうが大きいと、尻込みをして諦めてしまいがちです。
さっきまで高かったテンションが急に下がってしまいます。
「面白そうだ。でも不安がある。やめておこう」となる。
こうした経験は誰にでもあるのではないでしょうか。
ここでひとつ、気づいておきたい人生の真理があります。
それは「不安と面白いはセットになっている」という人生の真理です。
「面白いことをしたいが、不安は感じたくない」というのは難しい注文です。
往々にして面白いことには不安が伴います。
面白ければ面白いほど、大きな不安が伴います。
たとえば、面白そうな旅行には不安があります。
「トラブルになったらどうしよう」と不安に思いますが、その不安を乗り越えれば、面白い体験を楽しめます。
面白そうな習い事にも不安があります。
「恥をかいたらどうしよう」という不安がありますが、その不安に打ち勝つことで、新しい経験を楽しめます。
パンジージャンプは面白そうですが、不安があります。
「縄が切れたらどうしよう」とびくびくしますが、その不安を乗り越えれば、一生ものの面白い体験ができます。
不安を避けていると、面白いこともできなくなります。
面白いことを楽しむためには、不安を受け入れることが必要です。
たとえ不安のほうが大きくてもいいのです。
不安が10で面白さが5でも、そこに価値があるなら挑戦する意味があります。
不安はゼロで、面白さは100ということはありません。
面白いことには、大なり小なり、不安があります。
つまり「不安」と「面白い」はセットになっていると考えてください。
面白いことには不安はつきものなのです。
不安を避けていると、面白いこともできなくなります。
面白いことを楽しむためには、不安を受け入れることが必要です。
もう1つ、気づいてほしいことがあります。
それは「不安が、面白さを高めるスパイスになっている」ということです。
不安があるおかげで、心が高揚してどきどきした気持ちになり、面白さに転化します。
難易度の高いゲームに挑戦するようなものです。
うまくいかない可能性のほうが高くても、勇気を出して挑戦するから、どきどきはらはらして面白く感じます。
面白く感じるのは、実は不安があるおかげともいえるのです。
不安があることを喜び、歓迎しましょう。
不安は、邪魔な存在ではなく、歓迎すべき存在です。
不安と面白いはセットになっているのですから、不安があって当然です。
「面白そうだな。でも不安がある。だからやめておこう」ではありません。
「面白そうだな。でも不安がある。だからやってみよう」です。
泣くのがいけないなんて誰が言ったのでしょうか。
泣くのがいけないなんて思い込みにすぎません。
人生では、涙を流して泣くこともあります。
悲しいこと、つらいこと、不運なこと……。
そんなとき、思わず涙がこぼれます。
あまりに心が苦しいと、ぼろぼろ滝のように涙を流すこともあるでしょう。
わんわん声を上げて泣くこともあるかもしれません。
しかし、涙を流しても、その後が大事です。
涙を流した後は、必ず笑顔になる出来事が待っています。
悲しい別れがあった後は、嬉しい出会いが待っています。
つらいことがあった後は、素晴らしいことが待っています。
不運なことがあった後は、幸運なことが待っています。
涙を流すことばかりに焦点が当たっていないでしょうか。
大切なことは、泣いた後の笑顔です。
今は心に余裕がなくて、苦しいときかもしれませんが、涙を流した後に待っている笑顔にも気づいてほしい。
人生には、波があります。
上がったり下がったりを繰り返しますが、そもそもそれが自然であり正常です。
波がなくなる人生ほど怖いものはありません。
泣いたり笑ったりしながら生きるのが人生です。
泣くこともあれば、笑うこともあります。
それでいいのです。
泣いて笑って生きるのが人生です。
別に泣くのは悪いことではなく、人間らしい一面です。
泣いてばかりの人生はあり得ません。
泣き顔の後には笑顔がやってくるので大丈夫です。
泣いてしまう出来事があっても、希望を持ってもう少し待ちましょう。
もうすぐすると、笑顔になる出来事がやってきます。
泣いたり笑ったりしながら生きるのが人生なのです。
誰かに裏切られても、やけになってはいけません。
裏切られると、大きなショックを受けます。
特に信用している人から裏切られると、特大のショックを受けるでしょう。
「もう人間が信用できなくなった」
「裏切られたから、相手に仕返しをしてやる」
「自分も誰かを裏切ってやる」
今までその人のことを信用していた自分が情けなくなります。
幻滅して、人を信用することが怖くなるかもしれません。
強烈な怒りを感じ、仕返しをしたくなるかもしれません。
しかし、裏切られてやけになったところで、いいことは1つもありません。
一瞬頭が混乱しますが、感情的になって衝動的な行動を起こすと、後悔が待っているだけです。
仕返しをするのは言語道断です。
仕返しは、最も醜い行為の1つです。
結局、裏切った相手と同じレベルになってしまいます。
仕返しをしたい衝動に駆られるかもしれませんが、ぐっと抑えるのがいいでしょう。
人間不信に陥り、やけになって誰かを裏切ってしまうと、相手を悲しませることになります。
そして、あなたも「裏切る側の人間」になってしまい、人から信用されなくなります。
人から裏切られたなら「その人の本性がわかった」というだけのこと。
親友から裏切られたなら「本当の友人ではなかった」とわかっただけのことです。
ショックかもしれませんが、本当の姿がわかっただけ幸いです。
「今のうちにわかって良かった」「騙され続けなくて済んだ」「取り返しのつかない事態になる前にわかって良かった」とも言えます。
精神的なダメージはあるかもしれませんが、時がたてば回復するでしょう。
経済的なダメージがあるかもしれませんが「授業料だ。この金額で済んで良かった」と考えることです。
強烈な怒りを覚えるかもしれませんが、だからといって、やけになってはいけません。
裏切られた後こそ、冷静な対応です。
「そういう人だったのですね。残念です。さようなら」
一言言ってお別れをすればいいだけです。
人を裏切るのは簡単です。
信用され続けるのが難しいのです。
あなただけは、今までもこれからも「信用される側」の人間でいましょう。
動きが遅い人がいます。
歩くのが遅い、話すのも遅い、仕事も遅い。
全体的にスピードが遅く、のろのろしています。
動きの遅い人が相手なら、勝負する前から勝ったような気がします。
スピード勝負なら、普通はスピードの速い人が勝ちます。
負ける要素がなく、勝負するまでもないように思えます。
しかし、動きが遅い人をばかにしてはいけません。
動きが遅いからといって、勝てるとは限らないからです。
『ウサギとカメ』という童話があります。
足の速いウサギと足の遅いカメが競走をした結果、最終的にはカメが勝利する話です。
油断したウサギと、地道な努力で最後まで諦めなかったカメの話です。
動きが遅い人は、スピードこそ遅いものの、ほかのところで秀でている可能性があります。
動きは遅くても、仕事の精度は高いのかもしれません。
忍耐力があって、メンタルが強いのかもしれません。
諦めない性格があって、努力家なのかもしれません。
人望が厚くて、人気者なのかもしれません。
高い技術があったり、隠している能力があったりするかもしれません。
そもそも動きが遅いふりをしているだけかもしれません。
動きが遅いだけで、勝てる保証はどこにもありません。
そもそも動きが遅い人をばかにする姿勢は、童話『ウサギとカメ』に登場するウサギの態度と重なります。
ウサギは、のろのろしたカメを見下して、油断したから負けました。
のろのろしている人をばかにしそうになったら「自分は今、ウサギになりかけている」と気づくことです。
悪気はなくても、見下している時点で油断が生まれています。
油断があると、実力やスピードの差はあっても、逆転される可能性があります。
どれだけ実力差があろうと、緊張感が抜けると、思いもよらぬ愚かな失態を犯す可能性がある。
動きが遅い人をばかにしないこと。
最後まで油断しないことが大切です。
あなたがいらいらしたとき、どう感情を落ち着かせますか。
定番の方法の1つが「時間を置くこと」です。
時間は、心を癒やす万能薬です。
どれだけ感情が乱れていても、時間を置けば、だんだん落ち着きを取り戻していけます。
いらいらしたら、とりあえず1人になって、落ち着くのを待つ人も多いでしょう。
もちろん悪くない方法ですが、もっと積極的にいらいらを解消する方法があります。
しかも効果は抜群で、即効性もあります。
とても簡単な方法です。
それは、勇気が必要なことに挑戦することです。
いらいらしたら、勇気が必要なことに取り組んでみましょう。
私たちは、勇気が必要なことをしたとき、どきどきします。
「緊張する。恥ずかしい。怖い」とあたふたします。
怖い気持ちがあったり照れくさい気持ちがあったりして落ち着きません。
呼吸が荒くなったり、変な汗が出たりします。
適度な緊張感が漂い、身も心もきゅっと引き締まります。
この瞬間、脳の状態が変わります。
脳の優先順位が「いらいらの対処」から「恥ずかしさの対処」に切り替わるため、いらいらが吹き飛んでいくのです。
早くいらいらを解消させたいなら、勇気が必要なことに取り組んでみましょう。
もちろん勇気が必要なこととはいえ、悪い行いではなく、良い行いであることが条件です。
普段勇気が出なくて挑戦できないことがあるなら、いらいらしたときこそチャンスです。
恥ずかしければ恥ずかしいほど効果的です。
心拍数が上がって、どきどきする経験に飛び込むと、脳の優先順位が切り替わり、いらいらが解消されていきます。
「さっきは何にいらいらしていたんだっけ?」と思うでしょう。
いらいらが解消されるだけではありません。
勇気が必要な仕事もできるうえ、メンタルを鍛える効果まであります。
つまり、一度に3つの得があります。
いらいらしたときこそ、勇気が必要なことに挑戦するチャンスなのです。
負けそうになったら、窮地を切り抜ける一言があります。
「かわいそうだから、今回は負けてあげよう」です。
お互いの立場が逆転する一言。
「本当は勝つこともできたが、哀れで仕方ないから、今回はわざと負けてあげる」という意味です。
少し上から目線なのが面白い。
形勢が不利にもかかわらず、力不足や弱々しさを感じさせない一言です。
少し厚かましくて、負けていると思っていない態度がいいのです。
強気の一言が言えれば、負けてもユーモラスな雰囲気が出るので悲壮感がありません。
むしろ勇ましい雰囲気が出ます。
わざと負けてあげたことになるので、面白い雰囲気が出ます。
「次はもっと強くなっておくんだよ」と言っておけば、もっとユーモラスな雰囲気が出るでしょう。
結果で負けても、態度で負けないことです。
負けたとしても、態度で負けなければ、負けたことになりません。
「その一言はずるい」と言われてもいいのです。
言ってしまった人の勝ちです。
実力は不十分でも、ずぶとい神経は持っておきましょう。
上手に負けて、ぎりぎり立場を保っておこうではありませんか。
負けそうになったら、強気のセリフで切り抜けてください。
相手が笑ってくれれば、負けそうな状況でもうまくごまかせるでしょう。
負けたにもかかわらず、勇ましい雰囲気が出るのです。
「ああ、つらい……」
そう思ったら、気づいてほしいことがあります。
「つらい」という感覚の大半は、気のせいです。
「痛い」「疲れた」であれば、気のせいではなく、明らかな感覚です。
痛みは、体にダメージを受けることで感じます。
疲れは、血液中に乳酸がたまることで感じます。
痛みがあるなら治療が必要であり、疲れているなら休憩が必要です。
体が悲鳴を上げていますから、無理をしないことが大切です。
しかし「つらい」という感覚は、意外と曖昧です。
不確かな感覚であり、原因もはっきりしません。
心の問題であり、気分や心持ちに左右されていることが少なくありません。
不確かな感覚によって「つらい」と錯覚しています。
自分が「つらい」と思い込んでいるだけのこと。
心の中で「つらい、つらい」と繰り返していて、自己暗示の力がかかっています。
自己暗示による思い込みが生まれると、なかなか拭えません。
ネガティブに考えると、ますます気持ちが落ち込んでいき、悪循環に陥ります。
安易な思い込みで、自分の可能性を制限しているのはもったいない。
ネガティブのスイッチが入っていて、つらく感じているだけです。
心の方向が少し下向きになっているだけで、悪い方向に考えやすくなっているだけなのです。
「つらい」という心の声が聞こえたら「本当はつらくない」と考えましょう。
軽い気持ちで考えるのではなく、本気で考えることが大切です。
「本当はつらくない」と考えれば、本当にそう感じてくるでしょう。
考え方を、ネガティブからポジティブのスイッチに切り替えるだけです。
心のスイッチを切り替えると、気持ちがV字回復します。
自然と体が軽くなり、元気が出てくるのです。
時間があるなら、気分転換もおすすめです。
本を読んだり、音楽を聴いたり、外を歩いたりしてみます。
友人とおしゃべりを楽しむのもいいでしょう。
気分転換をすれば、適度なリフレッシュになって、暗い気持ちを一掃できるでしょう。
「そんな単純な話ではない」と思うかもしれませんが、一度自分の思い込みに気づいてください。
つらいのは気のせいです。
本当はつらくないのです。
最悪・最低の状態のことを、私たちは「どん底」と呼びます。
どん底のときは、心が真っ暗で元気がなく、気力もありません。
谷に例えると、いちばん下の底の状態です。
どん底のときは、これ以上落ち込めないほど落ち込んでいます。
心が死んでいて、涙がこぼれます。
しかし、どんなにどん底でも、一瞬でパワーが湧いてくるおまじないがあります。
外に出て、空を指さしてください。
そして、神様に向かって、次の言葉を言いましょう。
「今ここから這い上がる!」と。
大胆に宣言しましょう。
大きな声ではっきり言い切りましょう。
「這い上がれなかったらどうしよう」と不安に思う必要はありません。
這い上がれなくても、這い上がろうとする姿がかっこいいのです。
神様に、あなたがどん底から這い上がる姿を見てもらおうではありませんか。
どん底かもしれませんが、それは今の話です。
これから這い上がればいいだけです。
神様は、あなたをじっと見ています。
「それでは頑張っているところを見せてもらいましょう」とほほ笑んでいるでしょう。
背筋を伸ばして、前を向きましょう。
姿勢が良くなれば、パワーがみなぎってくるはずです。
どん底でも、神様が見てくれていると思えば、ほど良い緊張感が出てくるはずです。
這い上がる姿を神様に見てもらえるなら、力が湧いて頑張れるでしょう。
どん底から這い上がるのは、英雄になるチャンスでもあります。
映画ではピンチから復活した人が英雄になりますが、人生ではどん底から這い上がった人が英雄になれます。
時間はかかってもいいので、少しずつ這い上がっていきましょう。
急いで一気に崖を這い上がる必要はありません。
ゆっくり少しずつ崖を這い上がっていけば十分です。
這い上がっている途中で疲れたら、もちろん休憩してもOKです。
見事這い上がることができれば、神様からご褒美があるはずです。