頑張る人をばかにする人がいます。
・懸命に勉強している人をばかにする人
・真面目に練習している人をばかにする人
「さあ、今日も頑張ろう!」
1日の気合を入れる言葉です。
この一言によって、心に気合が入って気持ちが前を向き、1日をスタートダッシュできます。
「頑張る」
そう聞いてまず思い浮かべるのは、力を入れた頑張り方でしょう。
気合を入れ、気持ちを集中させ、全力を出す。
「これは難しそう」
そう思うことがあると、ためらいが生じます。
もちろん「これは難しそう」と思うのはいいのです。
競争の勝者は誰でしょうか。
普通に考えると「1位でフィニッシュした人」と考えることが多いのではないでしょうか。
たとえば、短距離走・長距離走といったスポーツなら、1位でフィニッシュした人が勝者です。
人生では勝ち負けが関わる場面が存在します。
学校では、成績上位と志望校合格を目指して、頑張って勉強します。
スポーツでは、高得点を上げるために、日々体を鍛え、技術を磨きます。
慰めてもらうのを待っていませんか。
落ち込んだとき、慰めの言葉が欲しくなります。
「誰かに慰めてもらいたい」
仕事の差はどこに出るのか。
大きな仕事ではありません。
小さな仕事です。
「自分は無気力な人間だ」
「なかなかやる気が出ない」
「元気が出なくて苦労している」
多くの人が注目するのは「自分の気持ち」です。
自分の気持ちについては、誰もがよく考えます。
「嬉しい」「楽しい」「面白い」といった快の気持ち。
苦労のない仕事はつまらない。
苦労のない仕事は誰でもできます。
誰でもできる簡単な仕事もいいですが、なかなかやりがいや達成感が生まれません。
頑張ってもうまくいかないときがあります。
全力を出した。
ベストを尽くした。
チャンスが得られそうな場所があれば、ぜひ行ってみましょう。
誘われていくのではありません。
用事があっていくのでもありません。
チャンスは、どこにあるのでしょうか。
実は意外なところにあります。
チャンスは、トラブルの中にあるのです。
あなたの前には、大きな壁が立ちはだかっているでしょう。
高い壁なら、跳び越えられません。
分厚い壁なら、叩いても壊せません。
頑張ることは、素晴らしいことです。
全力を尽くせば、ベストな結果が得られるでしょう。
頑張れば報われます。
失敗することを恐れる必要はありません。
たしかに失敗は、つらい経験でしょう。
時間やお金の無駄が発生します。
あなたの周りに「疲れた」が口癖の人はいませんか。
「ああ、疲れたなあ」
「今日も仕事で疲れた」
小さなことにかっかしていませんか。
・挨拶をしたら、無視された
・人から傷つくことを言われた
悪条件に怒る人がいます。
その人は、悪条件があるとわかった瞬間、険しい表情になります。
不機嫌な様子で、ぶつぶつ文句を言い始めます。
世間では「不純な動機で始めるのはよくない」という声が聞かれます。
「不純な動機で始めたところで長続きしない」
「少しでも嫌なことがあると、すぐ逃げ出すに決まっている」
「どうせダメに決まっている」
そう思ったときこそ、運命の分かれ道です。
日常では「どうせダメに決まっている」と思う瞬間があります。
「成功に向かう階段」
そう聞いて思い浮かべるのは、どんな階段でしょうか。
ぱっと思い浮かべるのは、上に向かう階段ではないでしょうか。
神様は、ベストタイミングで困難を与えます。
そのタイミングで苦しみがあるということは、何か意味があります。
困難は、言い換えれば、チャンスです。
相手が無礼な態度を取ってくることがあります。
偉そうな態度、見下すような発言、非常識な振る舞い。
感情的になっていると、自然と態度や言葉遣いが荒くなります。
個人で行う仕事があります。
人と協力する必要がなく、自分一人で進められる仕事です。
個人プレーなら、誰かと競争する必要はなく、人間関係に苦しめられることもありません。
「少しでも早く成功したい」
「なるべく楽に成功したい」
「できるだけ簡単に成功したい」
時には待つことも大切な仕事です。
ベストタイミングまで待つ。
機会が巡ってくるまで待つ。
仕事で失敗したとき、どう責任を取るか。
責任の取り方は、自分の行く末を決める、重要なポイントです。
よく見られるのは、職から退くことで責任を取ろうとする方法です。
あなたのライバルは、どこにいますか。
「ライバル」というくらいですから、普通に考えると、実力がほぼ同じ人を思い浮かべるでしょう。
対戦校の、とある人物かもしれません。
頑張る人をばかにする人がいます。
「そんなに頑張ってどうするの?」
「あまり意味がないと思うよ」
「真面目に頑張って、ばかみたい」
頑張る人がうらやましいのでしょう。
目標に向かっている姿がまぶしくてたまらないのでしょう。
頑張る人の足を引っぱって、邪魔してやりたい気持ちがあるのかもしれません。
しかし、頑張る人をばかにすれば、結果を出せず、生産性の低い人生が待っているでしょう。
それはなぜか。
頑張る人をばかにすることは、頑張ることを否定することになるからです。
頑張ることを否定すると、自分も頑張ることができなくなります。
頑張る人をばかにすることは「頑張ることは悪いことだ」と自分に言い聞かせることになる。
今までさんざん頑張る人をばかにしたのですから、その発言が跳ね返ってきて、自分も頑張れなくなります。
もし頑張る人をばかにする人がいれば、ばかにする人の生産性に注目してみてください。
おそらく生産性が低く、スピードも遅く、大した結果を出せていないはずです。
頑張る人をばかにしているため、自分も頑張れないのです。
何かに挑戦して結果を出すためには、頑張ることが欠かせません。
短期的な努力ではなく、長期的な努力も必要です。
もし頑張ることができないなら、人生では何も成し遂げられないでしょう。
頑張る人をばかにすればするほど、自分も頑張れなくなります。
だから結果を出せず、生産性の低い人生になるのです。
では、成果を出せる人生にするにはどうすればいいか。
頑張る人を応援することです。
表向きだけ応援するのではありません。
純粋な気持ちになって、心から素直に「素晴らしい」「いい調子ですね」と褒めたたえましょう。
うらやましい気持ちや悔しい気持ちがあるかもしれませんが、余計なプライドは捨てて、純粋な気持ちで応援することです。
褒めるだけですから、お金も時間もかかりません。
相手は「自分が認められた」と喜び、ますます頑張れるでしょう。
褒めることによって、人間関係も良好になります。
頑張る人を応援する恩恵は、それだけではありません。
頑張る人を応援することは、相手の努力を肯定すると同時に「頑張ることは良いこと」と自分に言い聞かせることになります。
つまり、頑張ることを肯定することになる。
そのため、やる気や行動力が湧きやすくなり、自分も頑張りやすくなるのです。
頑張る人がいれば、素直な心と純粋な気持ちで応援しましょう。
「応援しているよ!」
「きっとうまくいくよ!」
「明るい未来が見えます!」
頑張る人を応援すればするほど、不思議と自分まで力がみなぎってくるはずです。
人に発した言葉は、自分に返ってきます。
すぐ跳ね返ってくるとは限りません。
タイムラグがあってから跳ね返ってきます。
頑張る人をばかにすると、自分も頑張れなくなります。
頑張る人を褒めると、自分も頑張れるようになるのです。
「さあ、今日も頑張ろう!」
1日の気合を入れる言葉です。
この一言によって、心に気合が入って気持ちが前を向き、1日をスタートダッシュできます。
朝眠くても「さあ、今日も頑張ろう!」と思えば、眠気が吹き飛ぶでしょう。
寝起きに元気が出なくても「さあ、今日も頑張ろう!」と思えば、自然と気力が出てくるから不思議です。
老若男女、誰でも使える一言です。
「さあ、今日も頑張ろう!」という一言は、シンプルですが、パワーフレーズです。
元気な毎日を送る生活習慣の1つとして、ぜひおすすめです。
さて、ここでひとつ気づいてほしいことがあります。
「思うのと言うのとでは、効果が違う」という点です。
「さあ、今日も頑張ろう!」と思うのもいいですが、効果は不十分です。
気合は入りますが、まだ弱い。
思うだけでは、本来の半分しか効果を発揮できません。
ぜひ、声に出して言ってみてください。
「さあ、今日も頑張ろう!」と。
きちんと声に出して言うと、ますます強い効果が感じられるはずです。
声を出せば、覇気が出ます。
自分の声を自分の耳で聞くことになるため、言い聞かせる効果が高まるのです。
演技でもいいので、わざと元気で明るい声を出せば、完璧です。
パワーフレーズが、自分の頭の中で反響して、ますますパワーアップします。
もし朝、友人と会話する機会があれば「今日も一緒に頑張りましょうね」と言ってみるといいでしょう。
気持ちのいい挨拶ができ、お互いが元気になれます。
「たったこれだけ」と思いますが、たったこれだけです。
同じ言葉でも、思うのと言うのとでは、効果に大きな差があるのです。
では、さっそく声に出して言ってみてください。
朝だけでなく、昼からでも間に合います。
「さあ、今日も頑張ろう!」という一言で、心に火がつきます。
「頑張る」
そう聞いてまず思い浮かべるのは、力を入れた頑張り方でしょう。
気合を入れ、気持ちを集中させ、全力を出す。
もちろん代表的な頑張り方ですが、それがすべてではありません。
頑張り方は、大きく分けて2種類あります。
「力を入れて頑張る」と「力を抜いて頑張る」です。
どちらも頑張る点は同じですが、効果・特徴・活用場面に違いがあります。
一般的に私たちがイメージする頑張り方です。
スポーツに例えると、100メートル走です。
全力で一気に短い距離を駆け抜けるようなイメージです。
力を入れた頑張り方は、瞬間的に強いパワーを発揮させるときに有効です。
全神経を研ぎ澄ませ、気合を入れ、一点に力を集中させることで、最大限のパワーを発揮できます。
時には限界を超えた力が発揮できることもあります。
110%や120%、時には200%以上の力を発揮することも可能です。
力を入れた頑張り方がふさわしいのは「一瞬で結果が出る場面」「短時間で勝敗が決まる場面」です。
ただし、力を入れた頑張り方にはデメリットもあります。
「長期的な継続には不向き」という点です。
全神経を集中させるため、気力・体力・精神力の消耗が激しくなります。
途中で息切れを起こして、バテてしまいます。
また、力が入っていると、動きが不自然になる場合も少なくありません。
余計な力が入っているせいで、自然な様子が失われます。
フォームが乱れたりがつがつした様子が目立ったり、かえって不利を招くことも少なくありません。
力を抜くとはいえ、怠けるわけではありません。
あくまで余計な力を抜いて、リラックスしながら頑張る意味です。
発揮できるパワーは、普段の70%程度ですが、長続きしやすいメリットがあります。
スポーツに例えると、マラソンです。
ペースはスローですが、長い距離を走り続けることができます。
体力が続くかぎり、どこまでも走り続けることもできます。
力を抜いた頑張り方がふさわしいのは「長期的な継続が必要な場面」「自然体が重要になる場面」です。
たとえば、日頃から行う勉強や練習です。
毎日こつこつ続けることなら、力を抜いて頑張るのが適切でしょう。
こつこつ鍛えていけるので、着実な成長が見込めます。
ペースやスピードは遅くても長続きするため、最終的に大きな結果をもたらします。
恋愛のアプローチでも、力を抜いて頑張ったほうがうまくいきます。
力を入れて頑張ると、がつがつした雰囲気が出てしまい、相手を驚かせてしまいます。
力を抜いて自然体でアプローチしたほうが、好意がスムーズに伝わって、相手のハートをつかめるでしょう。
頑張り方には、2種類あることを念頭に置いてください。
力を入れた頑張り方しか知らないと、思うようにいかない場面が増えるでしょう。
力を入れて頑張るか、力を抜いて頑張るか。
頑張る場面になったとき、どちらのタイプで頑張ればいいか判断してください。
もし力を入れて頑張ってもなかなかうまくいかないなら、力を抜いて頑張ったほうがいいかもしれません。
2種類の頑張り方を、時と場合に応じて使い分けることで、より賢く人生を歩めます。
「これは難しそう」
そう思うことがあると、ためらいが生じます。
もちろん「これは難しそう」と思うのはいいのです。
正直な印象であり感想です。
ごちゃごちゃしていて難しそうだと「できるだろうか」と不安になります。
自分の能力にも限界があります。
少し頑張るくらいならできても、大幅に能力を超えることなら、達成は難しいでしょう。
失敗する可能性が高いなら、不安や恐怖におののいて、早々に諦める人も多いはずです。
しかし「これは難しそう」と思うのはいいですが、そこで言葉を終わらせるのは良くありません。
「これは難しそう」と思ったら、次の言葉を続けてください。
「でも実は大したことない」と。
実は難しくありません。
難しそうに見えているだけです。
「大したことない」と思えば先入観が消え、本当に大したことがないように見えてくるでしょう。
少し誤解をしていただけです。
大げさに考えすぎていただけです。
妄想がエスカレートしていただけです。
難しそうに見えるから、難しいとは限りません。
実際に取り組んでみると、意外と簡単という話はよくあること。
人生は、どれもこれも難しそうに見えるのが特徴です。
特に未経験のことは、すべて難しそうに見えると言っても過言ではありません。
思い込みとは怖い。
せっかくチャンスがあっても「難しそう」という曖昧な理由で弱気になって諦めてしまいます。
見た目や外見だけで判断するのは少し早すぎます。
余計な先入観で、自分の人生の可能性をつぶすことほど惜しいことはありません。
「これは難しそう。でも実は大したことない」という一言を口癖にしておきましょう。
先入観を取り払う、魔法の一言です。
見た目や外見に惑わされなくなり、未来の可能性が切り開けます。
競争の勝者は誰でしょうか。
普通に考えると「1位でフィニッシュした人」と考えることが多いのではないでしょうか。
たとえば、短距離走・長距離走といったスポーツなら、1位でフィニッシュした人が勝者です。
実用化を求められる研究なら、いちばん早く結果を出した人でしょう。
スピードが求められる仕事なら、いちばん早く仕上げた人でしょう。
もちろん1位でフィニッシュした人は、紛れもない勝者です。
1位は1位。
1位という実績は、高い能力と実力の証明です。
誰よりも優れた結果であることが客観的に証明されています。
1位という実績があれば、自分に自信がついて、自己肯定感も高まるでしょう。
しかし、ここに誤解があります。
1位でフィニッシュしたから、100%満足しているとは限りません。
1位でフィニッシュしたとしても、不足や欠点が多くて本人が不満なら、嬉しい気持ちも半減するでしょう。
1位という結果は素晴らしいですが、本人が満足していないなら、心から喜べません。
逆に、心さえ満足しているなら、結果に関係なく幸せです。
大切なのは「フィニッシュの瞬間、笑顔があるかどうか」です。
笑顔があるということは「プロセスに満足している」「充実した時間を楽しんだ」「心残りがない」という証拠。
つまり「心が満たされている」ということです。
結果は不十分かもしれませんが、自分では満足していて、幸せを感じています。
1位でなくても、本人の心が満たされているなら、勝者です。
たとえ最下位でも、心が満たされているなら、立派な勝者と言えるのです。
自分の勝利は、自分で判定しましょう。
結果も大切ですが、結果だけに惑わされないことです。
不器用でもいい。
マイペースでもいい。
自分らしいプレイができているなら、それでいい。
自分が「勝った」と思ったら、それが正解です。
自分にとって素晴らしいなら、幸せと満足を感じることができます。
「楽しかった」「素晴らしい時間だった」「貴重な体験だった」と心から喜べます。
そして、両手を挙げて、にこにこしながらフィニッシュができるでしょう。
自分なりに勝利を感じていれば、結果に関係なく、勝者です。
1位でフィニッシュした人だけが勝者ではありません。
笑顔でフィニッシュした人は、すべて勝者なのです。
人生では勝ち負けが関わる場面が存在します。
学校では、成績上位と志望校合格を目指して、頑張って勉強します。
スポーツでは、高得点を上げるために、日々体を鍛え、技術を磨きます。
仕事で営業を担当しているなら、トップを目指して争います。
企業間でも競争の連続です。
より良い商品やサービスを提供しながら、生き残りをかけた戦いを繰り返しています。
「勝ちたい。負けたくない」と思いながら、勉強・スポーツ・仕事に取り組んでいるでしょう。
負けたくないなら、勝つしかありません。
評価されるためにも、勝つしかありません。
勝てば夢に近づけますが、負けると夢が遠のきます。
「競争なんてしたくない」と思っても、人生では避けて通れない道。
社会で生きていると、本人の意思と関係なく、競争の世界の中で戦わなければいけないときもあります。
しかし、勝ち負けを意識していると、いつも闘争心を燃やし続けなければいけません。
いつも競争を意識するため、安心できず、心が休まりません。
勝ち負けを意識すると、目つきがぎらぎらして、表情が険しくなります。
態度が厳しくなって、ぴりぴりした雰囲気が漂います。
競争のストレスにさらされると、精神を消耗しやすくなって、ストレスもためやすくなる。
勝ち負けばかり気にしていると、疲れるのも当然です。
闘争心を燃やすにはエネルギーが必要ですが、そのエネルギーにも限界があります。
あまりストレスをためすぎると、いずれ限界になるでしょう。
では、どうするか。
勝ち負けのない時間をつくりましょう。
1人になる時間やリラックスする時間をつくって、疲れた心を休ませましょう。
勝ち負けのない時間をつくることで、ストレスやプレッシャーから解放されます。
たとえば、趣味です。
読書・音楽鑑賞・映画観賞なら、勝ち負けがないので、リラックスしながら楽しめます。
ぼんやりとする時間も、時には大切です。
ぼんやりしながら楽しむ散歩や入浴には、勝ち負けがありません。
無意味な時間に思えますが、心を競争から解放できます。
ストレスやプレッシャーがないので、心が休まり、ストレスも解消されていきます。
社会で生きるかぎり、完全に勝ち負けから解放されるのは難しいですが、減らすことならできるはずです。
勝ち負けを気にしない時間をつくってエネルギーが充電されれば、再びエネルギッシュに競争にも立ち向かえるようになります。
たまにはストレスに満ちた世界を抜け出し、穏やかな環境で過ごしましょう。
勝ち負けのない時間は、本当の自分に戻る時間です。
慰めてもらうのを待っていませんか。
落ち込んだとき、慰めの言葉が欲しくなります。
「誰かに慰めてもらいたい」
「慰めてくれないと元気が出ない」
「嘘でもいいから私を元気づけてほしい」
たしかに人に優しい言葉をかけてもらうと、精神が安らぎ、元気も出やすくなるでしょう。
つらいときほど、優しい言葉が心に染み渡ります。
救われた気持ちになり、癒やされるはずです。
共感の言葉をかけてもらえると、一時的でも笑顔になれるでしょう。
気にかけてもらえると、自分の存在価値が感じられ、落ち込みから立ち直るのも早くなります。
元気になる言葉に触れたくなるのはとても自然なことです。
しかし、慰めの言葉を待ち続けるのは良くありません。
じっと待っていると、時間が過ぎていくばかり。
時間は、あっという間に過ぎていきます。
慰めの言葉を待っていると、人生が停滞します。
落ち込むたびに慰めてくれるのを待っていると、停滞時間も長くなります。
慰めてもらうまでぐずっているのは、未熟な子どもと変わりません。
かまってもらいたい様子が目立つと、あなたの魅力が下がってしまいます。
慰めの言葉を待ってばかりいると、慰めの言葉を待つのが癖になります。
慰めの言葉を待つのが癖になると、慰めの言葉がないと、立ち直れない人になってしまいます。
受動的な生き方では、なかなか幸せにはなれません。
偶然や成り行きに任せていると、流された生き方になります。
慰めの言葉を待つのは、もうやめましょう。
誰かに慰めてもらわなくても、なけなしの力を振り絞り、自分の力で立ち直るのです。
誰かに言われるのではなく、自分で自分に前向きな言葉を言い聞かせればいい。
「さっさと立ち直ろう!」
「早く気持ちを切り替えよう!」
「次のステージに進もう!」
自分に語りかけ、気持ちを奮い立たせます。
前向きな言葉すら出てこないなら、落ち込んだまま行動してもかまいません。
やる気や元気がなくても、体は動くはずです。
行動していると、だんだんテンションが上がってきて、元気が出てきます。
だんだん心が熱くなり、勢いもつきます。
気づけば、落ち込みが吹き飛んでいるでしょう。
慰めの言葉があれば「ラッキー」と思うくらいでちょうどいい。
慰めてもらえなくても、できるだけ自分の力で立ち直るようにしましょう。
自分の足で立ち上がり、自分の力で前に進みます。
慰めの言葉を待たなくても、意外とやればできることに気づくはずです。
「慰めの言葉がないと立ち直れない」と思い込んでいただけでした。
誤った思い込みがあると、悪い自己暗示にかかってしまい、自分の可能性を制限してしまいます。
慰めの言葉がなくても行動できるようになれば、落ち込むことも怖くなくなります。
仕事の差はどこに出るのか。
大きな仕事ではありません。
小さな仕事です。
多くの場合、小さな仕事になると、油断して手抜きをしがちです。
「小さな仕事だから手抜きしてもいいよね」
「小さな仕事なんて誰も見ていない」
「小さな仕事を頑張っても効果がない」
たしかにスポットライトを浴びる仕事ではないでしょう。
少しくらいミスをしても問題なく、会社の利益に直接関係するというわけでもありません。
小さな仕事に少しくらいミスがあっても「謝れば済む」「やり直せば済む」と思う気持ちもあるでしょう。
会社に所属すれば、しょせん自分は歯車の1つ。
ミスをしても「代わりはいくらでもいる」「代わりに誰かがやってくれる」と思ってしまいます。
しかし、そうした小さな仕事を手抜きする人に限って、大きな仕事も頑張れません。
いざ大きな仕事に着手しようとしても、普段から仕事の基本ができていないため、あたふたします。
経験も実績も積んでいないで大きな仕事をするのは、失敗しに行くようなもの。
また普段頑張っていない人が、急に頑張ることは難しい。
プロや社会人としての自覚も足りません。
小さな仕事を軽視している人は、油断と慢心の心があるため、大きな仕事も甘く考えます。
仕事に対する責任感や忍耐力が養われていないため、根気や集中力が不足して、スムーズに仕事ができない。
基礎や基本の不足や、仕事に対する責任感や忍耐力の甘さが、大きな仕事で露呈します。
小さな仕事を頑張れない人は、大きな仕事も頑張れないのです。
だからこそ、あらためて冒頭の一言を思い出したい。
仕事の差はどこに出るのか。
大きな仕事ではありません。
小さな仕事です。
仕事の差は、大きな仕事ではなく、小さな仕事に現れます。
普段の小さな仕事こそ、一生懸命になることです。
小さな仕事は、基礎や基本を鍛える機会でもあります。
きちんと能力を高め、成長を繰り返し、こつこつ実績を積んでいれば、仕事の守備範囲がどんどん広がります。
普段から責任を持って仕事をしていれば、いざ大きな仕事を任せられたときも、責任を持ってスムーズに対応できるでしょう。
どんな仕事でも、常に一生懸命に取り組むことです。
特に雑用全般は「小さな仕事」と思って手抜きしがちですが、そういうところこそ仕事の差が出ます。
お茶くみ・買い出し・コピー取りを命じられたら、社内でいちばんのプロを目指したい。
仕事の規模にかかわらず、常に本気で頑張ることです。
小さな仕事の一つひとつは、大きな仕事に向かう階段です。
1歩は小さくても、着実な実績です。
小さな仕事を頑張れる人は、大きな仕事も頑張れるのです。
「自分は無気力な人間だ」
「なかなかやる気が出ない」
「元気が出なくて苦労している」
ときどき無気力に悩んでいる人がいます。
気力が湧かないと、モチベーションも上がらず、行動を妨げます。
体を動かす筋肉はあっても、動かそうとする気力がなければ、動きません。
気持ちがぼうっとしたり、体が抜け殻のような感覚になったりして、何をする気も起きない。
「ただ呼吸をしているだけ」
「ただ生きているだけ」
「不毛な時間を過ごしているだけ」
もやもやした考えが頭を巡り、変な罪悪感に苦しめられます。
無気力で苦しんでいると、目の焦点が定まらず、ふらふらすることもあります。
無気力の自分に嫌気を起こしている人も多いのではないでしょうか。
しかし、無気力と思い込むのはまだ早い。
少し誤解しているだけです。
本当に無気力なら、もう死んでしまっているでしょう。
胸に手を当て、心臓の鼓動を感じてみてください。
どんなに元気がなくても、心臓は休みなく動き続けています。
あなたが起きているときはもちろん、寝ているときもどんなときも、心臓はずっと動き続けています。
あなたの中には、偉大な生命力が宿っているのですから、無気力というのは思い込みです。
元気はないのかもしれませんが、少なくとも生命力はあるのですから、必ず気力は出ます。
気力の出し方がわからないだけです。
自分は無気力と思い込むのではなく、気力の出し方を工夫してみてください。
たとえば、運動です。
激しい運動は必要ありません。
軽い運動でも十分です。
筋肉は気力を生み出す発電機です。
散歩や掃除を通して、軽く体を動かしていくうちに、だんだん気力が出てくるでしょう。
だんだん体温と心拍数が上昇して、気づけばテンションも上がっているはずです。
また、とりあえず仕事に着手する習慣も大切です。
元気もやる気もなくてもかまいません。
気力はゼロでもいいので、とにかく仕事を始めてしまいましょう。
最初はやる気や元気がなくても、仕事をしているうちに、だんだんやる気や元気が出始めてきます。
仕事を通して刺激を受けることで、じわじわ心が温まり、テンションも上がります。
気分が乗ってから仕事をするのではありません。
仕事をするから気分が乗ってくるのです。
どうか自分は無気力と思わず、気力の出し方を工夫してください。
気力の出し方がわからないだけであり、あなたの中にはきちんと気力が眠っています。
気力を出す生活を習慣にすれば、無気力に悩むことも少なくなります。
多くの人が注目するのは「自分の気持ち」です。
自分の気持ちについては、誰もがよく考えます。
「嬉しい」「楽しい」「面白い」といった快の気持ち。
「悲しい」「苦しい」「悔しい」といった不快の気持ち。
やはり自分がいちばんかわいい。
快の気持ちになると、心が明るくなって、幸せを感じます。
人は感情の生き物です。
いつも何らかの感情を持ちながら生きています。
その一方で、相手の気持ちを考える人は少ない。
自分と相手とは、別々の存在です。
別々の存在なので、自分の気持ちを考えることはあっても、相手の気持ちまでなかなか考えが及ばない。
もちろん相手の気持ちを考える人もいますが、自分の気持ちを考える人に比べれば、少ないのが現実です。
自分の気持ちを最優先して、相手の気持ちは二の次にしている人が多いのではないでしょうか。
しかし、相手の気持ちを無視するのは良くありません。
自分の気持ちばかり集中して、相手の気持ちを配慮し忘れていることが少なくありません。
コミュニケーションのすれ違いは、気持ちのすれ違いでもあります。
相手の気持ちは考えず、自分の気持ちしか考えていないコミュニケーションは、どこかですれ違い、摩擦を生みます。
コミュニケーションでは、相手の気持ちを考えることが重要です。
自分の気持ちばかり考えるのではなく、相手の気持ちも考えましょう。
相手に喜んでもらうためには、相手の立場を想像する必要があります。
「相手は今、どんな気持ちだろうか」
「これをすると、相手はどんな気持ちになるだろうか」
心や感情は、直接見ることができなくても、態度や表情から読み取れます。
快の気持ちなら、笑顔が多く、声のトーンも高くなり、明るい雰囲気が漂います。
不快の気持ちなら、険しい表情が目立ち、声のトーンも低くなり、暗い雰囲気が漂います。
相手の気持ちを推し量ると、自分が取るべきアクションも見えてきます。
相手の感情に応じて、臨機応変に発言や態度を調整しましょう。
相手が不快にならないよう注意しつつ、快になるような言動を心がけましょう。
自分中心のコミュニケーションが癖になっている人は、気をつけましょう。
自分の気持ちも大切ですが、相手の気持ちはもっと大切です。
コミュニケーションでは、自分より相手の気持ちを優先させたほうがスムーズです。
たとえ十分打ち解けた関係でも、相手の気持ちを考えることは必要です。
相手の気持ちを軸にしてコミュニケーションを進めると、より良い人間関係が実現します。
苦労のない仕事はつまらない。
苦労のない仕事は誰でもできます。
誰でもできる簡単な仕事もいいですが、なかなかやりがいや達成感が生まれません。
簡単だからこそ、自分の代わりにできる人も大勢います。
もちろん簡単な仕事もいいですが、仕事の醍醐味は、なんと言っても「苦労」です。
難しい仕事なら、創意工夫と試行錯誤しながら解決策を考えます。
大量の仕事なら、時間をかけてこつこつ進めます。
心配事に苦しめられ、不安に追いかけられ、悩みに振り回されます。
苦労の多い仕事は、達成するまで時間もかかり、それだけ大きなストレスが伴います。
精神的にも肉体的にもつらいことの連続です。
途中で何度諦めようとしたでしょうか。
頭の中に「諦め」の文字が浮かんでも、振り払って粘ります。
「もう少し」「もう一歩」「もう一晩」を繰り返し、こつこつ前に進んでいきます。
苦労が多い仕事は、つらくて大変ですが、悪いことばかりではありません。
今はつらくて大変でも、あとから素晴らしいご褒美が待っています。
大きな達成感です。
大きな達成感を得るためには、まずしっかり苦労しておかなければいけません。
簡単な仕事なら苦労がないので、小さな達成感しか味わえませんが、難しい仕事なら苦労が多いので、大きな達成感が味わえます。
苦労の量に比例して、達成感も大きくなります。
ストレスをためるのはいけませんが、苦労をためるのはOKです。
仕事に苦労を重ねている今は、大きな達成感を得る条件が整っている段階です。
苦労が多ければ多いほど、仕事を終えたとき、大きな達成感が味わえます。
涙が出るほど嬉しくて、叫びたくなるほどの達成感です。
思い出になるほどの達成感は、いつでも得られるものではありません。
雄たけびを上げたくなるほどの達成感は、もはや一生の思い出にもなります。
今のうちにたくさん苦労しておきましょう。
大きな達成感に期待しながら、今はしっかり苦労しながら仕事に取り組むのみです。
苦労、苦労、また苦労。
どんどん苦労を重ねていきましょう。
必要な苦労はしっかり味わっておくことです。
「苦労の多い仕事ができるのは幸せ」と思うことです。
長期戦を覚悟して、簡単には諦めないと誓いましょう。
諦めそうになっても「ここまで来たらやり抜くしかない」と思えば、気力が湧いて、踏ん張れます。
疲れても、適度に休憩を入れれば、長期戦にも対応できます。
困難の壁が壊れるのは、あと少し。
苦労を重ねた仕事から、大きな達成感が生まれるのです。
頑張ってもうまくいかないときがあります。
全力を出した。
ベストを尽くした。
自分にできることはすべてやり尽くした。
最大限まで頑張ったにもかかわらず、結果が出ないと、心底がっかりするでしょう。
「これだけ頑張ったのに、結果が出ないなんて悔しい」
期待どおりにならないと、失望します。
肩の力を落とし、ため息が出ます。
手抜きをしてうまくいかないならまだわかりますが、頑張ったのにうまくいかないと、悔しさもひとしお大きい。
言葉にできない複雑な感情が渦巻き、強いストレスを感じるでしょう。
「ついていないな」
「恵まれない人生だ」
「神様のばか野郎」
自分の不運・不幸を嘆き、恨む人もいるでしょう。
悪い霊にとりつかれ、呪われているような錯覚を感じる人もいるかもしれません。
そんなとき、思い出してほしいことがあります。
頑張らなくてもうまくいったときを思い出してほしいのです。
人生には、逆のパターンもあるはずです。
頑張ってもうまくいかなかったときもあれば、頑張らなくてもうまくいったときもあるでしょう。
「難しそうだけど、やってみると、意外に簡単だった」
「大変そうだったけど、あっさりできてしまった」
「長期戦を覚悟していたのに、すぐ片付いてしまった」
きっとそんな経験も、今まで数え切れないほどたくさんあったはずです。
頑張らなくてもうまくいけば「ラッキー」と思います。
そのときのことを思い出し、あまりかっかしないでください。
心を大きくして「こういうときもあるか」と思えばいい。
私たちは、幸運・幸福より、不運・不幸の経験のほうをよく覚えている傾向があります。
不運・不幸の経験のほうが精神的ショックが大きいため、記憶に深く残りやすい。
不運・不幸の経験をよく覚えているので「恵まれない人生」と錯覚しているだけです。
頑張ってもうまくいかなかったとき「近い将来、頑張らなくてもうまくいくことがあるだろう」と期待していいでしょう。
たまたま今回は「頑張ってもうまくいかなかった」というパターンです。
別の機会では「頑張らなくてもうまくいく」というパターンになるでしょう。
それは遠い未来ではなく、明日起こるかもしれません。
アンバランスに見えますが、誤解です。
長い目で見ると、それぞれバランスが取れているのです。
チャンスが得られそうな場所があれば、ぜひ行ってみましょう。
誘われていくのではありません。
用事があっていくのでもありません。
自分から行くのです。
用事がなくても行ってみましょう。
自分にとって重要なチャンスなら、なおさら行くことです。
もちろんチャンスが得られそうな場所に行っても、必ずチャンスが得られるとは限りません。
空振りとなり、無駄な行動で終わるかもしれません。
特に収穫もなく、手ぶらで帰ることもあるでしょう。
「何しに来たの?」と笑われるだけで終わることもあるでしょう。
しかし、収穫が得られるかわからなくても、積極的な行動は大切です。
チャンスは、手でつかむものとは限りません。
チャンスをつかむには、足を使うことも大切です。
幸運が集まる場所に自分から行くことで、チャンスをつかみやすくなります。
手間暇がかかろうと疲れようと交通費が必要だろうと、足を使ってチャンスをつかみに行くことです。
「大げさ」「下品だ」「それはずるい」と思う人もいるかもしれませんが、誤解です。
大げさなことでもなければ、下品なことでもありません。
足を使って苦労もしているのですから、ずるいことでもありません。
自分から積極的にチャンスをつかみに行こうとする、勇敢な行動です。
行動力を発揮しているのですから、むしろ立派です。
たとえ少々見苦しくても、自分から積極的に動くことは大切です。
積極的に動く人には、熱意と意欲が感じられます。
自動的にチャンスのほうからやって来ると思うなら、大間違い。
待っているだけでチャンスが得られるなら、誰も苦労しません。
万一、待っているだけでチャンスが得られたなら「奇跡が起こった」と思うことです。
チャンスをつかむためには、足を使うことが欠かせません。
自分の足を使って積極的に動く人こそ、チャンスを得る資格があります。
少しでも偶然が起こる確率を上げましょう。
少しでも奇跡に巡り会う可能性を高めましょう。
完全にチャンスをコントロールするのは不可能ですが、自分の意思と努力によって高めることなら可能です。
足を使って行動すれば、チャンスをつかむ確率が上がります。
移動距離に比例して、チャンスをつかむ可能性も上がります。
チャンスは、あなたがやって来るのを待っています。
だからあなたは、足を使って、チャンスのある場所に行くのです。
チャンスは、どこにあるのでしょうか。
実は意外なところにあります。
チャンスは、トラブルの中にあるのです。
一見すると、トラブルとチャンスは無関係に思えますが誤解です。
トラブルに対する悪い先入観です。
たしかに表向きは、不幸や災難に見えるでしょう。
トラブルが起これば、トラブル対応です。
回復にお金や手間暇が必要だったり、謝罪や反省が必要だったりします。
ストレスやプレッシャーがあり、心の負担も大きい。
しかし、発想を転換すれば、チャンスを見つけることができます。
もっとじっくりトラブルの様子を見つめてください。
トラブルは、表や表面だけ見るのではなく、裏や奥を見つめると、上手に生かせます。
たとえば、想定外のトラブルが起こり、仕事が中断したとします。
仕事が行き詰まると予定が遅れます。
じわじわ予定が遅れるのはもどかしい。
プロジェクトが遅れると、お客さんにも迷惑がかかります。
「遅れを早く取り戻さなければ」と思いますが、遅れを取り戻そうと焦っていると、ますます体力と精神力を消耗します。
精神的なプレッシャーが強くなり、ストレスも倍増します。
ようやく再開できる状態になっても、今度は体力や精神力が不足しているのです。
では、どうするか。
発想を変えましょう。
うっかりつまずいて転んだら、ついでに休憩しましょう。
そうすれば、トラブルが休憩するチャンスに変わります。
行き詰まっているうちにしっかり休憩して、体力や精神力を回復させておきましょう。
トラブルが起こったことで、仕事を見直すチャンスにもなるでしょう。
謝罪が必要になれば、メンタルを鍛えるチャンスになるでしょう。
仲間と一緒にトラブル対応に取り組めば、絆を深めるチャンスにもなるでしょう。
生かし方は自由自在。
これが「トラブルをチャンスに変える」ということです。
どんなトラブルにも、その中には何らかのチャンスがあります。
チャンスがないように見えるなら、まだ見つけることができていないだけです。
トラブルが発生したら「この出来事をチャンスに変えることはできないか」と考えてみてください。
「そんなことはできない」と思っても、冷静になって考えると、意外なチャンスが得られるでしょう。
トラブルの生かし方は、あなたしだいです。
発想しだいでは、1つのトラブルから、2つや3つのチャンスを生み出すことも可能です。
トラブルが起こったらチャンスです。
チャンスは、トラブルの中にあるのです。
あなたの前には、大きな壁が立ちはだかっているでしょう。
高い壁なら、跳び越えられません。
分厚い壁なら、叩いても壊せません。
明らかに突破は不可能とわかるなら、わざわざ壊そうとも思いません。
時間や体力の無駄が明らかなら、悪あがきすら無駄な行為と思ってしまいます。
「こんな大きな壁なら、どうあがいても突破するのは無理だ」
諦めて引き返そうと思うかもしれませんが、ちょっと待ってください。
目の前にある壁は、そもそも本当に壁でしょうか。
ぶつかるのを覚悟のうえ、思いきって壁に向かって突撃してみましょう。
体当たりです。
ぶつかるかと思いきや、不思議なことが起こります。
するりと壁を突き抜けてしまうでしょう。
気づけば、壁の向こう側に移動できているはずです。
もちろん痛みも衝撃もなく、無傷です。
目の前に立ちはだかっていた壁は、本当の壁ではありませんでした。
自分がつくり出した幻でした。
人間には「想像」という能力がありますが、時と場合によっては、よからぬ方向にエスカレートすることがあります。
不安や恐怖が大きいと、想像が妄想に変わり、次に妄想が暴走して、実在しない幻を生み出すことがあります。
いつの間にかありもしない壁をつくり出し、本物と見間違えていることがあるのです。
行き止まりではありません。
行き止まりに見えるだけです。
無意識のうちに、少し妄想が悪い方向に走っているだけです。
壁があるからといって、諦めないことです。
高くて分厚くても、それが本当の壁なのか、きちんと確かめましょう。
私たちは、勝手に妄想の壁をつくり出し、勝手に諦めています。
貴重なチャンスをいくつも失っていることに気づくことです。
本当に壁なのかどうなのか、体当たりするまではわかりません。
妄想の壁なら、どんなに高くて分厚くても恐れることはありません。
壁を壊すどころか、あっけなく通り抜けてしまうかもしれないのです。
頑張ることは、素晴らしいことです。
全力を尽くせば、ベストな結果が得られるでしょう。
頑張れば報われます。
頑張るからこそ、見合った結果が得られます。
勉強なり、スポーツなり、仕事なり、まず頑張ることが基本です。
しかし、頑張ろうとして、気づけば、無理をしている状態になっている人がいます。
「頑張る」と「無理をする」は、似ていますが、違います。
頑張るとは「ベストを尽くすこと」です。
無理をするとは「ベストを越えて、尽くすこと」です。
ベストを越えているのでは、もうベストではありません。
無理をすると、自分に無理な負荷がかかります。
肉体的にも精神的にもダメージが大きくなり、かえって結果が悪くなるのです。
あなたの今の努力は、いかがですか。
たしかに頑張るのは大切ですが、無理になるのは良くありません。
無理をしない程度に、頑張ることが大切なのです。
失敗することを恐れる必要はありません。
たしかに失敗は、つらい経験でしょう。
時間やお金の無駄が発生します。
叱られたり恥をかいたりなど、精神的なショックがあります。
ストレスを感じて、腹が立つこともあるでしょう。
自分の評価が下がったり印象が悪くなったりするデメリットもあるでしょう。
失敗にはネガティブな印象が多いため、失敗を恐れる気持ちがあるのもわかります。
しかし、失敗なんて、人生全体から見れば小さなことです。
そのときは落ち込んでも、しばらくすれば、元気を取り戻すでしょう。
そのときは精神的にショックを受けても、しばらくすれば、忘れるでしょう。
たとえ時間やお金の無駄が発生しても、致命的ではないはずです。
お金を失っても、また稼げばいい。
時間を無駄にしても、次から注意すればいい。
失敗は恐れることではないのです。
では、本当に恐れたいことは何か。
それは、本気でないことです。
本気でないのは注意が必要です。
後悔を招く原因になるからです。
中途半端な姿勢で仕事に取り組んでいると、どこかでミスや手抜きが発生します。
ミスや手抜きが発生すると、不完全や中途半端になります。
ケアレスミスが増えることで、チャンスを逃したり見逃したりします。
十分な成長ができなくなります。
得られたはずの未来を得られなくなる。
「あのとき本気になっていれば良かった」と後悔するのです。
後悔は、長く続く傾向があります。
本気を出した失敗は納得できますが、手抜きをした失敗は悔いが残るのでなかなか消えません。
くよくよ後悔することが続き、ため息の数が増えるのです。
失敗を恐れるより、本気でないことを恐れてください。
勉強も仕事も本気になりましょう。
スポーツも恋愛も本気になりましょう。
趣味も遊びも本気になりましょう。
人生は常に本番しかないのですから、常に本気でいることが大切です。
本気になっていれば、あとから悔やむことがありません。
たとえ失敗してもいいのです。
本気の失敗には価値があります。
本気だからこそ課題や教訓が見つかり、レベルアップにつながります。
「最善と全力を尽くした結果だから悔いはない」と、すっきりした気持ちでいられます。
本気になる習慣は、後悔を減らす習慣です。
運を引き寄せ、未来を切り開く習慣なのです。
あなたの周りに「疲れた」が口癖の人はいませんか。
「ああ、疲れたなあ」
「今日も仕事で疲れた」
「本当に疲れてしんどいよ」
ことあるごとに「疲れた」と言っていると、耳障りでうるさく聞こえるかもしれません。
「疲れたばかり言わないでほしい」
「聞いているこちらまで疲れてくる」
「疲れているのはあなただけではない。みんな、疲れている」
聞いていて不快になる人もいるでしょう。
たしかに「疲れた」という言葉は、気持ちのいい一言ではありません。
どちらかというと、ネガティブな言葉です。
相手が「疲れた、疲れた」としつこく言っていると、重い雰囲気が漂い、自分まで悪影響を受けそうです。
しかし「疲れた」と言われたくらいでいらいらしないことです。
「疲れた」と言っている、本当の意味に気づいてください。
その人は「疲れた」ということで、ストレスを発散させているのです。
あなたも疲れたときは「疲れた」と言いたくなるでしょう。
「疲れた」と言うだけで、少しだけ心が癒やされ、ストレスが軽くなります。
カラオケで声を出せばストレス発散になるように「疲れた」とぼやくことも、少なからずストレス発散の効果があります。
あなたがそうであるように、相手もそうなのです。
ストレスで爆発しないように、ちびちびストレスを発散させています。
「うるさい」と責めてしまうと、ますますその人を疲れさせてしまいます。
「この人も疲れているのだな。大変そうだね」と思えばいいこと。
気が済むまで「疲れた」と言わせてあげましょう。
「疲れた」と聞くだけで、あなたは相手のストレス発散を手伝っていることになります。
もしうるさく感じるなら、あまり重く受け止めず、さらっと受け流せばいいでしょう。
響きのいい言葉ではありませんが、さらりと受け流せば、さほど悪影響はありません。
もし余裕があれば、優しくいたわる言葉をかけると喜ばれます。
「お疲れさまです」
「大変そうですね」
「大丈夫ですか」
「無理しないでくださいね」
「早く元気を出してくださいね」
相手は「自分の気持ちをわかってくれた」と感激するでしょう。
共感するだけでいいのです。
共感は、人の心を癒やす力があります。
癒やされて元気が出てくれば、自然と「疲れた」という愚痴も減っていきます。
小さなことにかっかしていませんか。
たしかにどれも不快感が伴う出来事です。
トラブルと言えばトラブルでしょう。
トラブルは、大小にかかわらず、できるだけないほうがいいに決まっています。
トラブルが起きると、いらいらしたりがっかりしたりすることもあるかもしれません。
「運が悪い」「ついてない」と思って、テンションも下がります。
しかし、だから何なのでしょう。
かっかしたところで仕方ありません。
小さなことにいちいち反応していると、疲れやすくなります。
小さなことでかっかしていると、小さなトラブルが起こるたびにいらいらすることになって大変です。
小さなトラブルが起こるのは日常茶飯事。
小さなトラブルは「普通の出来事の範囲」と考えたほうが楽です。
大きな借金を背負うわけでもなければ、大けがをしたわけでもありません。
大げんかをしたわけでもなければ、友人を失ったわけでもありません。
命を取られるわけでもなければ、人生が終わるわけでもありません。
地球の運行に何の影響もありません。
小さなことにいちいちかっかしていると、出る元気も出なくなります。
ダメージといえばダメージかもしれませんが、小さなことです。
「ほぼゼロのダメージ」と思えばいい。
小さなことは気にしないのがいちばんです。
気にしなければ、かっかすることはありません。
無視できることなら、無視しましょう。
許して済むことなら、許しましょう。
笑って済むことなら、笑って済ませましょう。
トラブルを笑って吹き飛ばせば、楽しい雰囲気に変わります。
時には積極的に忘れることも大切です。
忘れてしまえば、不快感もすぐ消えてなくなります。
「別に大したことないよね」と思えば、自分を納得させやすくなります。
悪条件に怒る人がいます。
その人は、悪条件があるとわかった瞬間、険しい表情になります。
不機嫌な様子で、ぶつぶつ文句を言い始めます。
「どうしてこんなに条件が悪いのだろう」
「こんなに条件が悪いと、いい仕事ができない」
「悪条件では、失敗するも同然だ」
あげくの果てには、悪条件にした犯人捜しまで始めます。
たしかに悪条件が多いと、失敗しやすくなるでしょう。
悪条件が多ければ多いほど、障害が増えて、仕事をスムーズにできなくなります。
ストレスが多いとわかっているので、なかなかやる気も出ません。
不平不満ばかりを並べ、行動しないので、仕事が成果に結びつきません。
怒ることにエネルギーを使っているので、いざ本番でも仕事がうまくいかないのです。
しかし、悪条件のとき、誰もが怒るわけではありません。
悪条件を喜ぶ人もいます。
悪条件を喜ぶ人は、悪条件をポジティブに受け止めているのが特徴です。
悪条件は、見方を変えれば、素晴らしいチャンスです。
実力の差を見せつけるチャンスになるでしょう。
試験では、難易度の高い問題のほうが差をつけやすいように、仕事でも、難易度の高い業務のほうが、差をつけやすくなります。
実力を鍛えるチャンスにもなるでしょう。
悪条件だからこそ、成長の機会になります。
難しいことに挑戦するため、能力を高める機会になります。
「どうすればうまくいくだろうか」と試行錯誤しなければいけないので、思考力が鍛えられます。
ストレスに耐えなければいけないので、メンタルも鍛えられます。
悪条件をうまく活用できれば、飛躍のチャンスに変えることができます。
悪条件だからこそ選択肢を絞ることができ、仕事に集中しやすくなります。
余計な仕事をしなくて済むので、無駄を省けます。
仕事で成功するには「悪条件を利用してやる!」と思うくらいでなければいけません。
悪条件は、怒るものではなく、喜ぶもの。
悪条件に振り回されるのではなく、むしろ振り回してやりましょう。
悪条件は、恐れるものではなく、利用するものでもあります。
悪条件に怒る人がいれば、喜ぶ人がいます。
あなたはどちらですか。
願わくは、喜ぶ人になりましょう。
悪条件くらいめげないことです。
そもそも最初から好条件がそろっているほうがまれです。
どんな仕事でも、悪条件が1つや2つあるのが普通です。
むしろ悪条件があったら喜びましょう。
悪条件を生かして、チャンスと勢いに変える人が成功するのです。
世間では「不純な動機で始めるのはよくない」という声が聞かれます。
「不純な動機で始めたところで長続きしない」
「少しでも嫌なことがあると、すぐ逃げ出すに決まっている」
「どうせ弱音を吐いて、すぐやめてしまうだろう」
「不純な動機では、厳しい練習に耐えられない」
「何事も純粋な動機で始めるべきだ」
不純な動機は、世間的にも社会的にも不評です。
純粋な動機で始めたほうが、世間的にも社会的にも「いいね」「立派」「素晴らしい」と認められるでしょう。
しかし、ここが注意ポイントです。
実際は不純な動機で始めてもいいのです。
「不純な動機で始めてはいけない」というルールなんてありません。
世間の勝手なルールによって、自分の行動を制限しないことです。
最初は不純な動機でもいい。
あとから純粋な動機になればいいからです。
たとえば「モテたい」という理由で音楽活動を始めたとします。
本来であれば「自己表現をしたい」「興味が湧いた」といった純粋な動機がベストですが、不純な動機で始めることがあります。
本当は音楽を楽しみたいのではなく「モテたい」という下心から音楽を始める人もいるでしょう。
ところが最初はモテたいつもりで始めた音楽でも、あとから音楽活動に愛着や思い入れが出てくるのはよくあることです。
音楽を知れば知るほど面白さが理解でき、楽しくなって、夢中になる。
気づくと、いつも音楽活動のことを考えるようになっていて、人生の一部になっている。
すっかり音楽にはまってしまい「モテる」という動機を忘れます。
あとから「自己表現をしたい」「素直に音楽が楽しい」「音楽を愛している」という動機に変わればいいのです。
意外と不純な動機のほうが、長続きすることも少なくありません。
最初の動機は、あくまで最初の動機にすぎません。
実際に始めてみると、楽しさや面白さに気づいたり意外な発見があったりして動機が変わっていきます。
周りから「不純な動機はいけない」と言われるかもしれませんが、無視することです。
「不純な動機で始めてはいけない」というアドバイスなんて大きなお世話です。
「不純な動機ではいけない」と言いつつ何もしない人のほうが、はるかに消極的であり、大きな機会損失です。
何が自分に合うかわかりません。
わからないから、いろいろやってみるのです。
始めるときは、不純な動機でもかまいません。
もちろん三日坊主でもOKです。
途中でやめたとしても「自分に合わなかった」ということがわかるので、それはそれで収穫があります;
不純な動機でもいいので、まず具体的に動いてみること。
積極的に何かを始めることは、積極的に人生を生きることになります。
不純な動機に後ろめたい気持ちを持つ必要はなく、堂々とできます。
最初は不純な動機でも、あとから純粋な動機になればいいのです。
「どうせダメに決まっている」
そう思ったときこそ、運命の分かれ道です。
日常では「どうせダメに決まっている」と思う瞬間があります。
たとえば、困難な相手に営業をかけるときや、高嶺の花に告白をするときです。
成功確率が限りなくゼロに近いと、取り組む前から「どうせダメに決まっている」と弱気になります。
失敗するとわかっているなら「行動するだけ無駄」と思います。
ダメとわかっているなら、そのまま何もせず、諦めることが多いでしょう。
しかし「どうせダメに決まっている」と思ったとしても、確定しているわけではありません。
あくまで想像でそう思っているだけのこと。
失敗で終わるとわかっていても、実際に試していないのならわかりません。
行動する前から、完全に諦めるのはもったいない。
ではどうするか。
どうせダメなら、当たって砕けましょう。
たとえば、営業の仕事です。
契約困難が予想される相手だと「どうせダメに決まっている」と思い、何もしないで諦めるかもしれません。
こういうときこそ「どうせダメなら、当たって砕けろ」の精神です。
派手に失敗しに行くつもりで営業をかけてみるのです。
思っていたとおり玉砕で終わるかもしれませんが、万が一の確率で、うまく契約が取れるかもしれません。
高嶺の花に告白するときも同じです。
99%振られるとわかっていても、必ず振られるとは言い切れないはずです。
1%の可能性は残っているでしょう。
告白しないで諦めたら、数年後、後悔に悩むかもしれません。
こういうときも「どうせダメなら、当たって砕けろ」の精神です。
思いきって告白すると、奇跡が起こり、OKがもらえるかもしれません。
もちろん失敗で終わることがほとんどでしょうが、それでもいいのです。
自分なりにやるべきことはやりました。
ベストを尽くしました。
たとえ失敗で終わっても、悔いはなく、すがすがしい気持ちになれるでしょう。
夢を叶えるには、そのくらいの意気込みが大切です。
どうせダメなら、何もしないで諦めるのではありません。
どうせダメなら、当たって砕けましょう。
当たって砕けに行く人が、貴重なチャンスをつかむのです。
「成功に向かう階段」
そう聞いて思い浮かべるのは、どんな階段でしょうか。
ぱっと思い浮かべるのは、上に向かう階段ではないでしょうか。
天まで続くような、長くてまっすぐな上向きの階段です。
成功には「成長」「向上」という印象があるため、上に向かうイメージがあります。
上に向かうイメージが強いためもあってか、成功に向かう階段も「上向き」をイメージしがちです。
ここに誤解があります。
もちろん上に向かう階段もあります。
売上が上がったり能力が高まったり可能の範囲が広がったりすれば、成功に近づいている実感があるでしょう。
上に上がれば上がるほど、景色が良くなります。
客観的に見ても、成長や向上が明らかなら、安心しながら歩めるでしょう。
しかし、成功に向かう階段は上向きと思い込んでいるなら誤解です。
成功に向かう階段は、下向きもあります。
あるとき、売上が下がることもあるでしょう。
あるとき、成長が後退することもあるでしょう。
「成長が止まっている」「下がっている」「悪くなっている」と思いますが、決めつけるのはまだ早い。
低下や後退でも、きちんと前進ができているなら問題ありません。
成功に向かう階段の、下向き部分を進んでいるのです。
一時的な低下や悪化を恐れないことです。
「下向きの階段=悪」と思い込んでいると、前進ができなくなります。
成功に向かう階段は、上向きの部分と下向きの部分が、混在しています。
下がったり悪くなったりする状況があっても、どうか恐れないでください。
いったん低下や後退を経験しないと、突破できない壁もあります。
勇気を持って低下を受け入れましょう。
わくわくしながら悪化を受け入れましょう。
一過性の不調に惑わされず、マクロの視点から全体を見てください。
「成功に向かう階段をきちんと前進できている」と信じて、一段ずつ進んでいきましょう。
下向きの階段は、足を踏み外しやすいので、その点だけ注意が必要です。
低下や悪化を通り抜けた先には、新しい世界・新しいステージが待っています。
神様は、ベストタイミングで困難を与えます。
そのタイミングで苦しみがあるということは、何か意味があります。
困難は、言い換えれば、チャンスです。
成長するチャンス。
自分を変えるチャンス。
仕事を片付けるチャンスです。
何かの意味であるのかは、乗り越えたときにわかります。
逃げてしまうと、せっかくのチャンスを逃すことになります。
苦しいときは、自分にこう問いかけましょう。
「ここで頑張らなければ、いつ頑張るのか」と。
今頑張るから、いいのです。
神様の計画は、常に完璧です。
あなたに素晴らしい人生を送ってもらうために、ベストな出来事を、常にベストタイミングで引き起こします。
逃げることなく、素直に今、乗り越えましょう。
神様の計画どおりに困難を乗り越えていけば、素晴らしい人生が待っています。
そのときは苦しくても、乗り越えたときに、困難を与えてくれた意味がわかります。
神様の期待に応えるために、困難から逃げず、今頑張りましょう。
次々と困難を乗り越えるあなたを見て、神様はこう思うでしょう。
神業のようだと。
相手が無礼な態度を取ってくることがあります。
偉そうな態度、見下すような発言、非常識な振る舞い。
感情的になっていると、自然と態度や言葉遣いが荒くなります。
態度や言葉遣いが悪いと、ついこちらまで感情的になってしまいます。
「負けてなるものか」
「なめられてはたまらない」
「態度を改めてほしい」
反抗的な気持ちが湧き、だんだんいらいらむかむかしてくるでしょう。
しかし、こういうときこそ、あなたの真価が問われる場面です。
相手につられて自分まで無礼になると、口論の始まりです。
自分まで感情的になると、相手はますます感情的になります。
火に油を注ぐことになり、どんどんエスカレートします。
醜い対立をすれば、人間関係に重大な亀裂を生むことになるでしょう。
口論では終わらず、場合によっては暴力に発展する可能性もゼロではありません。
けんかは、同じレベルの者同士でしか起こりません。
相手の無礼な言動を真に受けて、自分まで無礼になってしまうと、結局は相手と同じレベルになります。
では、どうするか。
相手がどんなに無礼でも、自分は礼儀を貫きましょう。
相手の態度や言葉遣いがどれだけ悪かろうと、自分は礼儀よく対応します。
相手の言葉遣いが乱暴でも、敬語を貫きましょう。
相手の態度が偉そうでも、謙虚な態度を貫きましょう。
焦った表情は見せず、余裕のある表情を心がけましょう。
相手がけんかを売ってきても、真面目に受け止めず、さらりと低姿勢で受け流します。
たとえ相手が暴力を振るってきても、正当防衛を除き、やり返さないことです。
不快な気持ちになっても、表に出さず、ぐっと抑えることが大切です。
冷静になりにくい場面かもしれませんが、できるだけ平常心を心がけ、礼儀を貫きましょう。
呼吸を整えると、心も落ち着きやすくなります。
あなたが礼儀を徹底していると、相手はあなたにつられてだんだん冷静になってきます。
だんだん平常心が戻ってきて、1人でうるさく騒いでいる自分が恥ずかしくなるでしょう。
結果として、怒りや興奮が静まるのも早くなります。
トラブルを避けるのを防いだり、トラブルの早期沈静化にもつながったりします。
相手がどんなに無礼でも、自分は礼儀を貫きましょう。
礼儀を貫くことが、大人の対応です。
個人で行う仕事があります。
人と協力する必要がなく、自分一人で進められる仕事です。
個人プレーなら、誰かと競争する必要はなく、人間関係に苦しめられることもありません。
個人プレーのメリットは、なんと言っても「自由」でしょう。
ほかのメンバーとの連係がないので、マイペースで仕事を進めていけます。
仕事の手段や手順も、自分の自由です。
仕事をしたいときにして、休みたいときに休めます。
人間関係に苦しめられることもありません。
陰で愚痴を言われることもなければ、いじめや嫌がらせを受けることもありません。
ライバルがいなくて、自分一人でできる仕事なら、マイペースで進めることができます。
自分らしく仕事をしたいなら、個人プレーを大歓迎するでしょう。
しかし、個人プレーのメリットである自由は、同時にデメリットでもあります。
すべてが自由ということは、すべて自分で決めなくてはいけないということです。
自己管理が得意ならいいですが、苦手なら大変です。
自分を律することができないと、気持ちが緩んで、気合が入りません。
仕事の取り組みがだらだらしたり、スケジュール管理がおろそかになったりします。
怠け心が肥大化して、苦しめられます。
個人プレーなので、仲間たちと喜びや苦しみをわかち合うこともできません。
人間関係の不和で悩むことがない反面、人間関係がなさすぎて悩みます。
孤独の恐怖に陥ってしまい、なかなかスムーズに進まないのです。
自由は、素晴らしい反面、怖いところもあるのです。
もし個人プレーの自由に苦しんでいるなら、ある工夫があります。
架空のライバルを意識しましょう。
つまり、想像によってつくり上げるライバルです。
たとえば、メディアで活躍している成功者です。
話したことも会ったこともなく、完全に面識がなくても、想像するだけならOKです。
一緒に仕事をしている様子をイメージします。
優秀な人と一緒に仕事をしていると思えば、自然とやる気が出てくるでしょう。
張り合いが生まれ、孤独感が薄れます。
すでに亡くなった偉人や巨匠をイメージするのもOKです。
すでに亡くなっていても、想像は自由です。
自分のそばにいて、一緒に作品をつくっていると想像します。
「こんなに頑張っている人がいるなら、自分も負けていられない」という気持ちになるでしょう。
個人プレーでいながら、仲間がいるかのような感覚が感じられます。
ポジティブな刺激を受け、心に火がつくでしょう。
あくまで想像ですから、ライバルの設定は自由です。
架空のライバルをつくることで、適度な緊張感が生まれ、モチベーションが向上します。
自分の都合に応じて、架空のライバルを設定すれば、個人プレーでありながら上手に競争相手を生み出せます。
もしライバルの存在が邪魔になれば、想像をやめればいいだけです。
必要なときに想像して、不要になればやめます。
「少しでも早く成功したい」
「なるべく楽に成功したい」
「できるだけ簡単に成功したい」
誰もが思う願いでしょう。
自分の夢や目標が簡単に叶うなら、どれだけ楽でしょうか。
余計な苦労や努力なんてしたくありません。
負担は、大きいより小さいほうが助かります。
難しいより簡単なほうが嬉しいに決まっています。
苦労や努力は無駄なものと思うかもしれません。
しかし、ここに誤解があります。
簡単に成功してしまうと、達成のありがたみもありません。
実感が湧かず、喜びも感動もないでしょう。
「これだけでいいの?」「こんなものなの?」と、不思議な気持ちに包まれるはずです。
簡単に成功してしまうと、自分の能力をうぬぼれてしまうでしょう。
自分の能力を勘違いして、威張ったり偉そうになったりなど態度が悪くなります。
せっかく成功しても、実感が伴わないなら意味がありません。
成功は、難しいからいいのです。
時間も労力もかかる。
お金もたくさん必要になる。
苦労や努力もたくさんある。
面倒なトラブルもたくさん乗り越えなければいけない。
成功するのが難しいからこそ、実際に成功したとき、大きな喜びと感動を味わえます。
そして、忘れられない一生の思い出にもなるのです。
時間や労力がかかるのも、正常です。
お金がかかるのも、正常です。
苦労や努力が必要なのも、正常です。
なかなかうまくいかず、トラブルの連続になるのも、正常です。
苦労と努力を重ねましょう。
難しさにひいひい言うことが大切です。
時には悔しくて涙を流すこともあっていい。
成功するまでの大変さと感動の大きさは比例します。
苦労と努力は、成功の必要条件。
努力と苦労が大きい分だけ、成功したとき、大きな喜びと感動を味わえます。
今はまだゴールが見えないかもしれませんが、努力を続けましょう。
うまず、たゆまず、諦めない。
失敗しても、また立ち上がって歩き出せばいい。
試行錯誤を繰り返しながら、1歩ずつ前に進みましょう。
3歩進んで、2歩下がることもあっていい。
ストレスとのシャワーを浴びながら、少しずつ前に進むことが大切です。
なかなかうまくいかないときこそ、いばらの道を進んでいるイメージで考えましょう。
成功に直結する道だからこそ、普段より厳しくて痛いのです。
諦めることさえなければ、道が途絶えることはありません。
難しく感じるときは、成功に必要な苦労をしていると思うことです。
いずれ「あのとき苦労しておいて良かった」と思える日がやってきます。
難しい道のりだからこそ、多くを学ぶチャンスがあり、しっかり成長できます。
あるとき、ぱっと目の前が明るくなる瞬間があります。
視界が開ける瞬間まで、あともう少し。
成功は、難しいから意味があるのです。
時には待つことも大切な仕事です。
ベストタイミングまで待つ。
機会が巡ってくるまで待つ。
相手の都合が合うまで待つ。
待つべきときは、きちんと待つことが大切です。
待つだけでいいなら、これほど楽な仕事はありません。
待つのが必要な場面では、欲をコントロールして、きちんと待つのが得策です。
ところが待つだけとはいえ、なかなか苦しい。
欲求や感情を抑えるだけですが、自分の欲求を押し殺して待たなければいけません。
最初はうまく我慢できても、だんだんつらくなってくるときがあります。
人は前頭葉が発達している生き物です。
強い情動が湧いても、それをコントロールする能力が備わっています。
いらいらしても落ち着かなくても、待つのが仕事なら、じっと待つのが正解です。
もし待つのがつらくなったら、トレーニングされた盲導犬を思い出してください。
盲導犬は「待て」が得意です。
目の前に餌があっても、飼い主が「待て」の命令を出すと、ぐっとこらえて我慢します。
よだれを垂らしながら、欲を抑えて待ちます。
10分でも20分でも待てます。
たとえ飼い主がその場から離れても、命令を守ります。
犬ですら待てるのです。
もし待つことができないなら、あなたは犬以下ということになります。
犬以下になりたくないなら、頑張って待てる人になりましょう。
仕事で失敗したとき、どう責任を取るか。
責任の取り方は、自分の行く末を決める、重要なポイントです。
よく見られるのは、職から退くことで責任を取ろうとする方法です。
「失敗をしたのだから責任を取らなければいけない。仕事を辞めることで責任を取ろう」と考えます。
業務なら、離れます。
取引なら、担当から外れます。
プロジェクトなら、辞任します。
自分がいなくなった代わりに、別の人間が担当します。
失敗を犯した人間が職に残るのは不適切という考えもあるでしょう。
過ちを犯した人の顔なんて誰も見たくないだろうと、周りに配慮する気持ちもあるのかもしれません。
自分の地位を失うことで責任を取るスタイルは、たしかに責任感があると言えるのかもしれません。
責任を取るには、職を退くのがいちばん適切と考えがちです。
しかし、本当にそうでしょうか。
あらためて考えるとおかしな話です。
責任を取るために職から退く様子は、客観的に見て、仕事から逃げているように見えます。
辞めるなら簡単です。
「辞めます」という一言を言って、その場から立ち去ればいいだけです。
最も簡単な方法であり、知恵も工夫もありません。
面倒で難しいトラブル対処は、次の担当者に任せればいいだけです。
失敗がきっかけで仕事を辞めてしまうと、せっかくの教訓が生かされません。
失敗するたびに、責任で職を退くなら、極度に失敗を恐れることになります。
失敗ができないなら、保守的な姿勢になるでしょう。
挑戦的な仕事もできなくなります。
急な担当者の変更は、引き継ぎも発生して手間暇がかかります。
職を退くしかない状況もありますが「職を退く」という責任の取り方は、本当に最後の手段です。
では、どうするのが良いか。
社会人として失敗の責任をきちんと取るなら、職務を全うすることに尽きます。
職から逃げるのではなく、むしろより誠実に対応するのです。
失敗した本人が仕事に残ると、再び失敗しやすくなるように思えますが、誤解です。
実は、失敗した直後のほうが仕事はうまくいきます。
失敗した直後ほど、深く反省しているタイミングはありません。
しっかり反省しているため、同じ失敗が起こらないよう、より慎重になって精度が高くなるでしょう。
失敗を経験したなら、状況の一部始終を知っているので、教訓を生かしながら対応できるはずです。
反省しているからこそ、仕事の結果を通して責任を果たすことが大切です。
「次こそ必ず成功させる」という気持ちも、ひとしお大きいはずです。
失敗したから辞めるのではありません。
失敗したから続けて頑張りましょう。
仕事でより良い結果を出すことが、最高の責任を取り方です。
あなたのライバルは、どこにいますか。
「ライバル」というくらいですから、普通に考えると、実力がほぼ同じ人を思い浮かべるでしょう。
対戦校の、とある人物かもしれません。
対立関係にある、友人や仲間かもしれません。
仕事のできる上司や先輩をイメージする人もいるはずです。
会ったことも話したこともないが、自分が勝手にライバル意識を燃やしている人もいるかもしれません。
もちろん自分が認める人なら、誰でもライバルになります。
ライバルの決め方にルールはなく、自分が「ライバル」と思えば、その人がライバルになります。
ライバルとは、自分の可能性を引き出してくれる存在です。
底力が湧いて、踏ん張りながら頑張れます。
力量を認め合った競争相手がいると、励みになります。
しかし「最高のライバル」となると、話が変わります。
最高のライバルは、もっと身近なところに存在します。
過去の自分なのです。
現存のライバルは、突然いなくなることがあります。
進学や就職で離ればなれになるかもしれません。
転勤や引っ越しで、遠くに行くかもしれません。
けがや病気といった体調不良で、第一線から退くこともあります。
自分がぐいぐい成長すれば、いつかライバルを追い抜くこともあるでしょう。
実力に大きな差がついて、いつでも楽勝で勝てるようになれば、もはやライバルではなくなります。
しかし、過去の自分は違います。
過去の自分は、進学や就職で離ればなれになることはありません。
転勤や引っ越しで遠くに行くこともない。
急な体調不良で第一線から退くこともありません。
もちろん逃げたり裏切ったりすることもありません。
比較的近い過去の自分から、実力も張り合っていて、いい勝負になるはずです。
過去の自分は、いつでもあなたと一緒に存在しています。
つかず離れずの、ちょうどいい距離にいます。
実力がほぼ同じだからこそ、適度な緊張感と張り合いが生まれます。
ライバルは過去の自分ですから、人付き合いでトラブルになることもありません。
成功も向上も、別の言い方をすると、過去の自分を超えるということ。
昨日までわからなかったことがわかるようになり、昨日までできなかったことができるようになります。
過去の自分は、最も乗り越えるべき存在です。
「過去の自分を超えてやろう」と思えば、自然と心に火がつき、やる気が出るでしょう。
怠け心が吹き飛び、気合が入ります。
過去の自分をライバルとすることで、強力なモチベーションが得られるのです。
ライバルの設定に迷ったら、過去の自分をライバルにしましょう。
過去の自分ほど、うってつけのライバルはいません。
最高のライバルは、過去の自分なのです。