初めに最も知っていただきたいことがあります。
多くの人が誤解していることです。
「みんな、勉強が嫌いだ」という誤解です。
ある日、私は夕食の食材を買おうと、スーパーの食品売り場を歩いていました。
ちょうどそのとき、子ども連れの親子に出くわしました。
おそらく7歳前後でしょうか。
デパートは、人間が社会生活を営んでいくために必要なことがたくさん詰め込まれた場所です。
デパートの規模にもよりますが、数百以上のお店が1カ所に終結しています。
少し例を挙げてみましょう。
あまり大きな声では言えませんが、私はいつも会社の帰りに、わざと食品売り場を通って帰っています。
食品売り場が大好きです。
「夕食を買って帰るため」というのは、表向きの理由です。
子どもがある程度の年齢になれば、分別がつくようになります。
交通ルールやお金の使い方を覚え、自分で買い物ができるようになれば、ぜひとも「お使い」をお願いしてみましょう。
お使いとはいえ、さまざまな勉強ができるようになります。
子どもが勉強するときに必要な物と言えば、何でしょうか。
そうです「机と椅子」ですね。
床の上で、本を読んだり字を書いたりするわけにはいきません。
知られていない話ですが、プロの選手には、面白い傾向があります。
「一流選手には、長男より次男が多い。長女より次女が多い」という結果です。
プロ野球選手は、次男が圧倒的に多い傾向があります。
大人から見れば、子どものあらゆることがもたもたしているように感じます。
着替えるときも時間がかかる。
靴を履くのに時間がかかる。
私が子どものころ、テレビのニュースで聞いてわかるのは、天気や芸能関係の話くらいでした。
そのほかの話題は、専門用語も増えるため、理解に苦しみます。
特に厄介だったのは「政治経済の話」でした。
実家では、ペットの雑種犬を1匹飼っています。
「1匹」というより「1人」と言ってもいいでしょう。
家族も同然です。
親としては、子どもからの質問にできるだけきちんと答えたい気持ちがあります。
子どもの質問には丁寧に答えて、子どもの期待に応えたいところですね。
ところが子どもからの質問には、答えにくい内容もあります。
ある日、家族で食卓を囲んでいると、テレビで大地震のニュースが流れました。
マグニチュード8級の巨大地震のニュースでした。
テレビには、全壊した民家や血だらけになった人が泣き叫んでいる様子が映し出されていました。
ある休日前夜、ふと、母が口にする言葉がありました。
はっとした表情をして、唐突に「明日の朝食は、外食でバイキングに行こう」と言い始めます。
「どうしたんだ? いきなり」と思います。
しつけがうまい親は、優しい表情と厳しい表情の2面性を持っています。
優しい表情は、日常生活や普段の会話のときに見られる顔です。
優しい表情だからこそ話しかけやすく、会話も弾みやすくなります。
私は、昔からいろいろ考える習慣があります。
いつも考えてばかりで頭がパンクしそうなので、サイトを通じて考えてきたことを公開しています。
考える性格は頑張って身につけたものではなく、昔からいつの間にか自然と身についたものです。
どんな家庭でも必ずしつける代表といえば「物は大事に扱いなさい」です。
おそらくあなたもわが子に対してしつけた経験があることでしょう。
壊れたら、買い直さなければなりません。
「強い子に育ってほしい」
子どもが大人へと成長し、社会に出ることを考える親なら、ある程度、強さを身につけて育ってほしいと願うでしょう。
そういう気持ちから、親としては「泣かない」というしつけをしてしまいがちです。
昼下がり、うつらうつら眠くなる場面には共通点があります。
学生時代、午後の授業で先生の話を聞いていると、眠くなる。
社会人になっても、じっと黙って仕事をしていると、眠くなる。
今、大人であるあなたは、生活の大半が知っていることで占めていることでしょう。
本を読んだり書いたりでき、言葉を自在に操ることができる。
見慣れた町の風景。
ある日、私は久しぶりに風邪になったので、病院に向かいました。
病院の待合室で待っているときのことです。
平日とはいえ、大勢の人がたくさん来院していました。
子どもを教育するうえで大切なことは「一貫性」です。
言っていることがいつもばらばらだと、子どもはどれを信じていいのか混乱してしまいます。
常に同じことを発言し、繰り返すことです。
子どもにしつけるときの基本は「一貫性」ですが、やむなく、一貫性を保てないことがあります。
そもそも一貫性を保てない状況です。
なぜこういうことが起こるのかというと、時や場所に応じて、そのときの対応も変わってくるからです。
あらゆる人間関係は、信用の上に成り立っています。
友人の話を聞けるのは、相手に信用があるからです。
信用がないと、相手の話も信じられなくなり、人間関係を築くことができなくなります。
中学生のころ、授業の話を聞いていると、わからないところが出てきました。
気になったので、手を挙げて先生に質問すると、こんなことを言われました。
「いい質問だね」
「勉強がわからない。自分は勉強に向いていないのか……」
勉強を苦手とする子どもに悩む親御さんは多いことでしょう。
「子どもができない」と言って嘆いたとき、親としては「もっと頑張りなさい」と言います。
子どもと散歩をするときのペースは、どうなっていますか。
親が手を引っ張って、大人のペースで歩いていませんか。
歩くスピードが速いと、たくさんの風景を目にでき、多くの発見があるように思えます。
私の実家には、庭に大きな桜の木がありました。
今はもう切って、なくなってしまいましたが、当時は大木でした。
春になれば、立派な桜が満開に咲き乱れます。
都会と田舎。
子育てには、どちらの環境がいいと思いますか。
一般的に考えると、田舎より都会のほうが物やサービスにあふれているので、子育てに有利に働くと考えることでしょう。
「日記をつける人は、ぼけにくい」
医療現場にはそういうデータがあります。
事実、私の祖父も日記をつける習慣がありましたが、78歳で死ぬ最後まで、まったくぼけることはありませんでした。
日記を続けるのは、難しいです。
毎日習慣として定着させるためには、かなりパワーが必要です。
「どうしても日記は肌に合わない」
初めに最も知っていただきたいことがあります。
多くの人が誤解していることです。
「みんな、勉強が嫌いだ」という誤解です。
勉強なんて、ほとんどの人が嫌いだと思いますが、そうではない。
机に向かって詰め込み型の勉強を想像しがちです。
子どもが勉強したくないのは、嘘です。
すべての子どもたちは「勉強がしたい!」という熱い気持ちがあります。
もし子どもが「勉強したくない」と言うなら、子どもの勉強への姿勢を邪魔しようとする親がいるだけです。
本来、子どもは勉強がしたくてたまらない。
その証拠があります。
たとえば、あなたのお子さんは、こんなことを言いませんか。
「これなに?」
「その黒い箱は何?」
「あの空に浮かんでいるものは何?」
さまざまなことに興味を持って、親に尋ねますね。
自分から「これ何?」と聞いてきたことは、言い換えれば「これについて勉強がしたい」と言っているのと同じです。
自発的に勉強しよう、勉強したい気になっている、なによりの証拠です。
しかし、問題なのはその後です。
子どもが「これなに」と言ってきたとき、親の対応は2種類にわかれます。
ここで、子どもの考える力が変わります。
この2種類の対応によって、子どもの行く末がまったく異なります。
「子どもはそんなこと気にしなくていい」というのは、子どもに「勉強するな」と言っているのと同じです。
親が「そんなこと気にするな」と言うと、子どもは「勉強はしなくていい。勉強は悪いことなのか」と思い、勉強しなくなります。
勉強しようとする子どもの気持ちに、泥を塗っています。
一方、子どもの何気ない質問に丁寧に答える親の対応は、子どもが考える力を伸ばしています。
子どもが興味を持っていることですから、親からの説明に対しても吸収が早い。
わかるようになると、子どもはもっと勉強が面白く感じるようになる。
自分から進んで勉強するようになります。
こういう親に育てられると、子どもはすくすく育ちます。
子どもの考える力を左右するのは、子どもではなく、実は親なのです。
ある日、私は夕食の食材を買おうと、スーパーの食品売り場を歩いていました。
ちょうどそのとき、子ども連れの親子に出くわしました。
おそらく7歳前後でしょうか。
幼い男の子が、母親に「これは何?」と尋ねていました。
夕食の準備のため、母親がショッピングカートに入れるものに興味を持っているようです。
ふと、昔の自分を回想しました。
「そういえば昔、自分も同じようなことを口にしていた記憶があるなあ」
つい、昔の自分とその子とが頭の中で重なって、1人、感慨にふけっていました。
しかし、です。
母親が残念な言葉を言ってしまいます。
「今忙しいから。後でね。また今度ね」
子どもからの質問をごまかしていました。
母親は買い物に夢中で、子どもの相手をする余裕はないという様子でした。
子どもの残念そうな表情が忘れられません。
親の気持ちもわからないわけではありません。
おそらく夕食の時間まで余裕がなく、子どもの質問にいちいち答える余裕がなかったのでしょう。
子どもの質問に答えたい気持ちはあっても、限られた短い時間で説明するのは難しい。
こういうとき、どうすればいいのでしょうか。
そもそも時間ぎりぎりに買い物をするからいけません。
十分に時間がないから、子どもの質問に答える余裕もなくなります。
親は「あらかじめ子どもが興味を持つだろうな」ということを想定して、時間に余裕を持って買い物に出かければいい。
いつもより、ほんの10分早めに買い物に出かけるだけでもいい。
さらに余裕があれば、20分や30分早く買い物に出かけるのもいいでしょう。
子どもの質問に対応できる余裕は、ずいぶん変わるはずです。
せっかく子どもから質問してきた機会を、ぜひ十二分に生かしていきましょう。
デパートは、人間が社会生活を営んでいくために必要なことがたくさん詰め込まれた場所です。
デパートの規模にもよりますが、数百以上のお店が1カ所に終結しています。
少し例を挙げてみましょう。
エレベーターの乗り方。
駐車場にある山ほどのある車。
買い物の風景。
フードコート。
休憩広場。
数多くのお店。
さまざまな売り物。
本当はまだまだありますが、ここには書ききれません。
デパートは、大人でさえ「たくさんあって全部見切れない」と思うほどです。
子どもには、もはやワンダーランドそのものでしょう。
これだけ不思議なものがたくさん目の前にあるのに、興味を示さないわけがありません。
子どもと一緒にデパートに行ってみましょう。
必ず「これは何?」という質問を投げてくるはずです。
それはいいことです。
学習塾で勉強するよりデパートに行くほうが、はるかに子どもの人間性を高める勉強ができるはずです。
デパートほど、子どもに社会経験させる場所はありません。
少し考え方を変えてみましょう。
「デパートに買い物に行く」というより「デパートに勉強しに行く」と考えてみます。
そこで次の休日、親子でデパートに出かけましょう。
ある程度、子どもが投げかけてくることを想定して、時間も余裕を持って出かけます。
買い物ついでに、子どもの勉強にも付き合ってあげます。
子どもにいろいろなものを見せてあげて、興味を示すものから、親ができる範囲のことで説明してあげます。
デパートほど、勉強のネタが集まっている場所はありません。
いい勉強になるはずです。
あまり大きな声では言えませんが、私はいつも会社の帰りに、わざと食品売り場を通って帰っています。
食品売り場が大好きです。
「夕食を買って帰るため」というのは、表向きの理由です。
本当の理由は、元気が出るからです。
食品売り場は、すごい場所だと思いませんか。
食べるものばかりが置いてあります。
魚・野菜・パン・お総菜・お菓子・飲み物・アイスクリームなど、あらゆる食品がそろっています。
どこを見ても、食べるものばかりです。
「おいしそうだな」と思い、自然とにやにやしてきます。
売り場によっては試食コーナーがあり、試食をさせてもらえるところもあります。
私は仕事帰りに限らず、落ち込んでいるときも、食品売り場にいきます。
自然と元気が出てくるからです。
癖というか、習慣というか、自然と体が食品売り場へ向かいます。
一歩間違えれば、かなり危ない人です。
実際、これまで何度か助けられているのも事実です。
落ち込んで元気がないときにおいしい物を食べれば、ある程度回復します。
食べるまではいかないまでも、見ているだけで元気が出ます。
何しろ180度、食、食、食です。
おいしい物を短時間で見られる場所と言えば、世の中、食品売り場しかありません。
色鮮やかな食品を見ているだけで食欲を刺激され、そのうち元気が出てきます。
だから私は仕事帰りで疲れたとき、夕食を買うついでに元気を出すため、食品売り場に行っています。
笑うなら笑ってください。
単純な方法ですが、これは元気が出ます。
そんなある日、ふと気づいたことがあります。
「これは自分だけではないのでは?」という疑問です。
食欲は人間の3大欲の1つです。
すべての人に食欲がありますから、誰でも食品売り場に来れば、自分に限らず誰でも自然と元気が出るはずです。
今度、食品売り場に行く機会があれば、チェックしてみましょう。
歩いている人は、みんな、明るい表情になっているはずです。
私に限らず、あなたも同じではないでしょうか。
さて、ここがポイントです。
もし、あなたのお子さんが、学校やテストの成績など落ち込んでいるときは、慰め方が難しいところです。
そんなときこそ、食品売り場に連れて行ってあげましょう。
連れて行くだけで、OKです。
「お買い物のお手伝いをしてほしい」という表向きの理由をつけて、一緒にお買い物です。
「慰める」のは難しいですが「一緒にお買い物に行こう」と誘うくらいなら、すぐできることでしょう。
子どもは食べるものばかりを見ているうちに、次第に元気を取り戻してきます。
広い食品売り場を歩いていると、いい気分転換になるに違いありません。
もしかしたら親が慰めるより、はるかに効果があるかもしれません。
実は私も浪人時代、母と一緒に買い物につれられ、何度か元気づけられたことがあります。
笑える話ではありますが、確実に効果があります。
まさに食品売り場は、あらゆる人を元気にさせる場所なのです。
子どもがある程度の年齢になれば、分別がつくようになります。
交通ルールやお金の使い方を覚え、自分で買い物ができるようになれば、ぜひとも「お使い」をお願いしてみましょう。
お使いとはいえ、さまざまな勉強ができるようになります。
さて、この「お使い」も少し工夫を加えることで、実に子どもの想像力を鍛える方法になります。
あなたは、子どもにお使いをお願いするとき、どう指示していますか。
おそらくカレーをつくりたければ「材料」を直接指定してお願いしていることでしょう。
「ジャガイモ、ニンジン、お肉、カレーのルーを買ってきて」
これは普通のお願いの仕方です。
もちろんお使いに慣れていないころは、この方法でなければいけません。
何を買ってくるのかわからないとお使いになりませんね。
さて、そんなお使いも何度も繰り返していれば、慣れてくるようになります。
子どもが十分にお使いに慣れたと感じれば、ぜひ実践していただきたいレベルアップがあります。
「つくりたい料理だけ」を指定して、必要な食材を子どもに任せる方法です。
「ジャガイモ、ニンジン、お肉、カレーのルーを買ってきて」という言い方をしません。
「カレーをつくりたいから必要な物を買ってきて」という言い方に変えます。
脳にとって、いい刺激になる方法です。
子どもはいつも食べているカレーを思い浮かべながら、買い物に出かけ、食品売り場をうろうろするはずです。
「そういえばカレーにはジャガイモが入っていたな」
「お肉も入っていたし、ニンジンも入っていたな」
「カレーのルーも必要だ」
子どもなりに、いつも食べているカレーを思い浮かべながら買い物をするはずです。
これによって何が鍛えられるのかというと「想像力」です。
頭の中でいつも食べているカレーを思い浮かべながら、入っている材料を分析します。
そうすると、子どもなりに食材選びがうまくなります。
もちろんハードルの高い買い物です。
慣れないうちは難しいと感じるのも事実です。
子どもが慣れないうちは、一緒に行って「○○をつくるのに必要な食材はどれでしょう?」とクイズ形式で進めましょう。
初めは、単純な料理からのほうがいい。
「お刺し身をつくるのに必要な物はどれでしょう」から始めればいいでしょう。
お刺し身は、お魚1つあればOKですね。
子どもでもすぐわかるはずです。
だんだん食材の多い物へとレベルアップします。
オムライスをつくるのに必要な材料。
カレーをつくるのに必要な材料。
シチューをつくるのに必要な材料。
焼きめしをつくるのに必要な材料。
子どもに必要な物を答えさせます。
もし、足りない食材があれば、親がフォローすればいい。
慣れてくれば、1人で買い物をさせるところから、子どもに任せてみます。
ときどき買い足りない材料も出てきますが、そのときはその材料を抜きにして料理します。
カレーやシチューくらいなら、材料が1つや2つ足りなくても、なんとか口にはできるはずです。
足りない材料でつくられた料理を子どもは食べて、次からは「気をつけよう」と思います。
注意していただきたいのは「できなくても叱らないこと」です。
叱ると、子どものやる気や元気を奪い、つまらなく感じます。
必要な物を買ってくればその分「偉いね。よくできました」と言って褒めてあげましょう。
褒められれば、次からもっとやる気を出すに違いありません。
これは同時に、子どもが料理の関心を高める勉強にもなります。
食事は食べて終わりではなく「何が入っているのかな。何でできているのかな」と、食べるものを注意深くみるようになります。
こうしたことがきっかけで、自分から料理を始める可能性だってあります。
ご家庭で、簡単にできる子どもの想像力を鍛えるトレーニングです。
ぜひ、試してみましょう。
子どもが勉強するときに必要な物と言えば、何でしょうか。
そうです「机と椅子」ですね。
床の上で、本を読んだり字を書いたりするわけにはいきません。
机と椅子は、子どもが勉強するためになくてはならない必需品です。
さて、あなたの家庭にはそんな机と椅子はありますか。
「もちろんだ。うちにはすでに机と椅子はたくさんあるぞ」
ちょっと待ってください。
もしや、それらは大人たちが使う机と椅子ではないでしょうか。
大人たちからの目線でみる机と椅子は、子どもには大きすぎます。
背の低い子どもには、大人が使っている机と椅子は、大きなビルのように見えることでしょう。
まったく身の丈に合っていません。
子どもたちには大きな障害物にしか見えません。
大人と子どもとでは、見える景色も全然違います。
「大人が使う机と椅子」と「子どもが使う机と椅子」はまったく別物と考えましょう。
子どもには、子どもの身の丈にあった専用の机と椅子を買い与えてあげましょう。
小学校に入る前と言わず、幼稚園になれば買い与えてもいい時期です。
時期にも寄りますが、本に興味を示すようになれば、本を置くための机と座るための椅子が必要です。
まだ手足が十分しっかりしていない時期ですから、かどが丸くて、ぶつけてもけがの心配がない物が最適です。
自分専用の机と椅子があればどう感じるでしょうか。
「自分専用の物だ」という所有の自覚があると、全然違います。
子どもは自分の身の丈にあった、机と椅子があるからこそ、それを使って活動を開始します。
本が読みやすくなります。
字を書きやすくなります。
食事もしやすくなります。
勉強もしやすくなります。
さまざまな行為がしやすくなります。
もし、ご近所に勉強ができる子どものいる家庭があれば、チェックしてみましょう。
おそらく子ども専用の机と椅子を買い与える時期がかなり早いはずです。
勉強しやすい環境が早くにあるから、学力の伸びが早くなります。
一方で勉強ができない子どものいる家庭をチェックしてみましょう。
子ども専用の机と椅子を買い与える時期が遅かったり、家庭によっては子ども専用の机といすすらない場合さえあったりします。
それでは勉強ができないのも納得ですね。
子どもの成長を促すためにも、子ども専用の机と椅子は早めに買い与えたほうがいいのです。
知られていない話ですが、プロの選手には、面白い傾向があります。
「一流選手には、長男より次男が多い。長女より次女が多い」という結果です。
プロ野球選手は、次男が圧倒的に多い傾向があります。
たとえば、誰もが知っている野球界のヒーロー「王貞治」「長島茂雄」「イチロー」「松井秀樹」など、次男です。
大横綱といわれる「大鵬」「北の湖」「貴乃花」「朝青龍」にも兄がいます。
オリンピックに出場した選手の兄弟・姉妹関係を調査したリサーチ結果を見たことがあります。
長男・長女が全体のおよそ20%、次男・次女がおよそ70%、一人っ子がおよそ3%という結果でした。
見てのとおり、圧倒的に次男が多いですね。
はたまた歴史上の偉人たちも、なぜか長男より次男が多い。
聖徳太子・坂本竜馬・織田信長も、次男です。
なぜ、次男ばかりがこれほど強くなるのでしょうか。
まず1つ目に挙げられる理由は「体格」です。
体格は、長男より次男、長女より次女のほうが身長は高くなりやすいです。
次男次女は、母親にとって二度目の出産になります。
つまり、すでに子宮が伸びているため、2人目のほうがお母さんのおなかの中でのびのび育ちやすくなります。
その結果、身長も高くなりやすい。
もちろんすべてがその限りではありませんが、傾向が強いのは事実です。
メンタル面にも違いが出てきます。
長男・長女は、親にとって初めての子どもです。
初めての子どもですから、親は懇切丁寧すぎる子育てをしてしまいがちです。
面倒見がいいのは素晴らしいですが、度合いにもよります。
面倒を見すぎてしまうと、子どもが試行錯誤したり努力したりする機会まで奪ってしまいます。
「面倒見がいい」と言えば響きはいいですが、あまりにやりすぎるのも問題です。
その点、次男や次女は違います。
親には、2人目の子どもです。
育児については慣れがあるため「このくらいはほうっておいても大丈夫だろう」「このくらいは安全だ」と、手を抜きやすくなる。
そのうえ、2人目の子どもですから、次男・次女の世話に割ける時間はどうしても少なくならざるを得ない、という事情もあります。
結果として「いい意味」で、子どもをほったらかしにします。
これがいい。
次男や次女は、親が面倒を見てくれないので、子どもなりに努力をしようとします。
親からの面倒見が少ない分、わからないことは自分で試行錯誤します。
「自分のことは自分でやる」という習慣も身につきやすい。
常に年上の兄や姉の存在がいるので、競争心を燃やしやすいです。
その結果、自立心の成長が促され、優れた精神力を兼ね備えやすくなります。
だから、オリンピック選手には、次男・次女が多いです。
「面倒見のいい親=子育て上手な親」とは限りません。
面倒見が悪いほうが、子どもは強く成長するとは皮肉ですが、そういう現実があるのもたしかなのです。
大人から見れば、子どものあらゆることがもたもたしているように感じます。
着替えるときも時間がかかる。
靴を履くのに時間がかかる。
靴下を履くのにも、やけに時間がかかります。
それは完全に大人からの目線です。
長く生きている大人からすれば、手足が器用で当然です。
靴下はすぐはくことができ、着替えもあっという間にでき、靴ひももすぐ結べます。
しかし、子どもはどうでしょうか。
子どもは、手足をまだ十分操れるわけではありません。
運動神経が十分に発達していないからです。
時間は余分にかかって当然です。
そこで見方を変えてみましょう。
もたもたしている時間ではなく、トレーニングの時間なのだと。
これから手足を自由に操れるように運動神経のトレーニングをしている最中です。
子どもにとって、もたもたしているつもりはまったくありません。
むしろ頑張っている証拠です。
ゆっくり時間をかけるからこそ、質のいいトレーニングができます。
親の都合で「早くしなさい」とせかすより、時間をかけたほうが子どものためになります。
運動神経の発達には時間がかかりますから、そこは大人が長期で見てあげるようにしましょう。
子どもが運動神経のトレーニングをしているところを邪魔せず、ゆっくり見守れる親になりましょう。
自分のペースでゆっくり指を動かすことで、次第に手先が器用になります。
私が子どものころ、テレビのニュースで聞いてわかるのは、天気や芸能関係の話くらいでした。
そのほかの話題は、専門用語も増えるため、理解に苦しみます。
特に厄介だったのは「政治経済の話」でした。
政治の話は国民に知らせなければいけないというマスメディアの義務があります。
そのため、トップニュースはいつも政治経済から始まります。
いつも不思議に思っていたのは、代表者が数名で「申し訳ございませんでした」と頭を下げている光景です。
3名程度のネクタイにスーツを着た会社の代表者が、一斉に頭を下げるのは、子どもながら異様な光景だったことを覚えています。
「何か悪いことをしたのだろう」
子どもでもなんとなくわかりますが、肝心なのは「どんな悪いことをしたのか」ということです。
ニュースの中で、説明が入っても専門用語が多かったり仕組みが複雑だったりして、理解に苦しんだことを覚えています。
いちばん知りたいことが、いちばん理解できなくてもどかしいです。
そんなとき、いつも助けてくれたのは両親でした。
わからないことは「なぜ」と両親に尋ね、いろいろ教えてもらったことがあります。
「人を騙してお金を盗んだのよ」などという説明から始まり、詳しい話を聞かせてもらいました。
そういう親の熱心さは、どこか子どもに伝わります。
あなたにも子どものころ、そういう経験はありませんか。
政治経済の話は、前提となる知識が多くあります。
憲法を知り、政治家の名前を覚え、国が抱えている問題、国の仕組み、大統領と首相の違いや意味。
商品の流通、為替相場、資本主義社会の成り立ち。
政治は経済につながり、経済は政治につながっています。
その政治経済をきちんと理解するためには、前提となる知識が多いがゆえに、なかなか子どもには難しい。
母国語で話しているのに、なぜか理解できないという苦痛を味わいます。
そういうときこそ、親の出番です。
親は、子どもに理解できるような簡易な言葉を使って、ニュース番組を翻訳してあげましょう。
環境問題のニュースでも、政治の話でも、事件の話でもOKです。
子どもが「これはどういう意味?」と疑問を投げかけたことは、興味を持っている証拠です。
たとえ理解の難しい話でも親は、専門用語は使わず、わかりやすく説明してあげましょう。
時には図やグラフを使いましょう。
子どものために時間を省くだけの価値はあります。
せっかく子どもがニュースに興味を持っているなら、勉強するチャンスです。
「そんなことわざわざしなくても、学校が教えてくれるだろう」
まあ、そう堅いことを言わないでください。
結局子どもにニュースの説明をするのは、子どもだけでなく、親のためにもなります。
どんな勉強でもそうですが、生徒になるより先生になるほうが、よく身につきます。
親が教える側になることで、子どもへの教育になると同時に、親もニュースの再認識の機会になります。
親は、政治の勉強を「再認識する機会」になるはずです。
なにより、知識が豊富だと親が子にアピールできる時間にもなります。
何でもよく知っている親を、子どもは「さすがだ。すごいなあ」と感心し、尊敬します。
子どもの成長と親の成長が同時に行える方法です。
ニュース番組を毛嫌いせず、ぜひ有効に活用していきましょう。
実家では、ペットの雑種犬を1匹飼っています。
「1匹」というより「1人」と言ってもいいでしょう。
家族も同然です。
犬にも喜怒哀楽があります。
悲しいときにはくんくんと泣きますし、怒っているときはわんわんと吠えます。
喜んでいるときはしっぽを左右に大きく振って表現します。
何か恐れを感じたときは、全速力で逃げていきます。
ところによっては表現方法が少し人間とは違いますが、秘めたる感情は人間とまったく同じです。
私はペットに限らず、さまざまな動物たちに触れていると、ときおり驚かされることがあります。
「人間以上に感情をストレートに表現しているなあ」という点です。
人間の場合は、考えることが高度すぎるため、行動に裏がある場合があります。
先のことを考えたり、損得を考えたりできるのは、素晴らしい脳のおかげです。
しかし、その一方、なかなか素直な行動や感情表現がしにくいのも事実です。
動物にはそうしたことが一切ありません。
鮮明に感じている感情を混じり気なく、無邪気にありったけ表現します。
人間と接するのもいいですが、動物たちと接するのも素晴らしいなあと感じます。
子どもと動物とが触れる機会があると、こうした生き物からストレートな喜怒哀楽と接する機会が増えます。
喜怒哀楽に接する機会が増えることで、子どもにも喜怒哀楽などの感情が豊かになるでしょう。
動物アレルギーには気をつける必要がありますが、体質が許されるなら、ぜひ生き物を飼ってみるといいでしょう。
生き物と接することで、ストレートな感情に触れる機会ができます。
生と死を身近に感じることができ、命について考える機会になるのです。
親としては、子どもからの質問にできるだけきちんと答えたい気持ちがあります。
子どもの質問には丁寧に答えて、子どもの期待に応えたいところですね。
ところが子どもからの質問には、答えにくい内容もあります。
理由はわかっていても、はっきり答えにくい質問です。
あなたが子どもから質問されて、いちばん困る内容は何ですか。
おそらく赤ちゃんはできる理由についての質問でしょう。
「赤ちゃんは、どうやってできるの?」
「赤ちゃんは、どこからやってくるの?」
「赤ちゃんは、どこから生まれてくるの?」
ほとんどの親は言葉に詰まるでしょう。
知らないから言葉に詰まるのではなく、知っていても具体的に答えにくいから言葉に詰まります。
まだ幼稚園や小学生には、刺激の強すぎる話です。
子どもは、悪気があって質問しているのではありません。
純粋に「なぜだろうか」と気になって質問しています。
こうしたときに使える、響きのいい回答があります。
「結婚したら自然とできる」
これでいいのです。
「自然と」という部分がポイントです。
これにはいろいろな意味が含まれています。
愛し合っている2人が結婚しますね。
結婚をすれば、夫婦が深く愛し合い、妊娠・出産を経験する。
夫婦なら、自然なことですね。
したがって「結婚したら自然とできる」という答え方が自然です。
ぼかしているように聞こえますが、子どもには、最も心地よく聞こえる回答です。
子どもは大人になるにつれて「自然に」という意味を理解していくはずです。
ある日、家族で食卓を囲んでいると、テレビで大地震のニュースが流れました。
マグニチュード8級の巨大地震のニュースでした。
テレビには、全壊した民家や血だらけになった人が泣き叫んでいる様子が映し出されていました。
食卓には、少しきつい場面です。
最初は、人ごとのように話が始まります。
親は「うわっ、大変だなあ。すべてがつぶれて台無しだ」と言います。
だいたいいつも、ここから話が脱線します。
必ず「もし」が続きます。
「もし、この場所であれくらいの大地震が来たらどうなるか」と言う父。
「よし。とりあえず、近くに神社があるからそこを家族の避難場所にしよう」と言葉を続けます。
いつの間にか、父は大地震が来たときの避難場所を決めてしまいます。
いえいえ、まだまだ脱線は続きます。
次に母が言います。
この家は建築して20年くらいだから強度が弱ってきている。大きな地震があれば壊れるのではないか。
さらに父が続けます。
「だったら、一度、専門業者に検査してもらったほうがいい。でももし補強工事をするなら、あまり予算に余裕はないぞ」
すると、節約志向の強い母は、鋭い指摘をします。
「だったら、業者が忙しくない時期に言えば割り引いてもらえるはず。壊れてから治すより、長持ちさせたほうが節約できる」
私は口を挟めません。
「考えすぎ。心配しすぎ。そこまで話を進めなくても」
そう思いながらも、両親は真面目な表情で真剣に話し合っています。
自分や家族に関係している話なので、とりあえず話の内容は気になりますし考えさせられます。
そういうことは、日常茶飯事でした。
水口家では、ふとしたニュースをきっかけに、いつの間にか話が進んでいます。
これが、ニュースのいいところです。
単に、ニュースを見て終わりにするのではありません。
重大ニュースを家族で一緒に見て、自分と重ねたり、家族と重ねたりして、考える機会に変えましょう。
テレビで、さまざまな災害や事故のニュースが流れます。
水害・盗難・事故・誘拐・借金など。
こういうニュースが流れるたびに、家族で話し合える機会になるはずです。
小さなテーマでも、かなり幅を広げて話し合える機会になるはずです。
自分の身に降りかからないとは限りません。
人ごとと思えるニュースも、自分に重ねたり、家族に重ねたりして考えると、真剣になれるはずです。
自分や家族に関係している話ですから、子どもは耳を傾けますし、考えさせられる機会になるでしょう。
もちろんこうした話は「危険を予知する能力」につながります。
子どもも家族も危険を予知し、話し合って考える。
テレビニュースは、素晴らしい学習教材なのです。
ある休日前夜、ふと、母が口にする言葉がありました。
はっとした表情をして、唐突に「明日の朝食は、外食でバイキングに行こう」と言い始めます。
「どうしたんだ? いきなり」と思います。
面白いことに、だいたい言い始めるのは母です。
おそらく母の頭の中では次のようなプロセスがあったのでしょう。
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こうした思考プロセスは、不思議なことに子どもでもよくわかります。
そういうこともあって、ときおり水口家では、休日の朝食として外食に行くことがありました。
いきなり朝から外食も悪くありません。
たまたま家の近くに、バイキング形式で朝食を提供するレストランがあり、そこによく行きました。
私は母の気持ちが見える一方で「やった!」という気持ちでいっぱいでした。
ほとんどの子どもは、バイキングが大好きです。
子どもが「バイキングが嫌いだ」という人を見たことがありませんね。
自分で好きな料理を自分で選べ、しかも食べ放題だからです。
子どもにとって「バイキング」は嬉しくてたまりませんし、私もその1人でした。
次の日、朝食としてバイキング形式のレストランへ外食することになりました。
外食に出かけると、意外な効果がありました。
家族全員が、確実に早起きをするようになります。
もちろん私も「バイキングのためなら」と思い、休日でも早起きをするようになりました。
家族全員が「明日は朝食に出かける」ということがわかっているので、休日の朝が引き締まりやすい。
しかも、朝から家族全員が必ずそろうことになります。
休日ですから、時間はゆっくりしていますし、会話も弾みやすい。
食べに行った帰りに、デパートに寄ってさらに時間をつぶすということも、珍しくありませんでした。
子どもを休日に早起きさせたければ、食い物の力です。
しつけがうまい親は、優しい表情と厳しい表情の2面性を持っています。
優しい表情は、日常生活や普段の会話のときに見られる顔です。
優しい表情だからこそ話しかけやすく、会話も弾みやすくなります。
一方、厳しい表情は、しつけのときに見られます。
真面目な表情から真剣さが伝わってきます。
表情は、言葉に重みを与える効果を果たしています。
ときどき、子どもだから軽い調子で子どもをしつける親がいます。
もちろん単なる日常会話なら軽い調子でいいですが、子どもをしつけるときまで軽い調子ならどうでしょうか。
にたにたしていると、本気さが伝わりにくくなります。
言葉の説得力も小さくなり、親の言葉を軽く受け止めてしまう。
しつけのつもりで言っていることが、冗談に聞こえてしまいます。
そういう緩い親だと、子どもからなめられてしまい、きちんと言うことを聞かなくなります。
あなたはいかがでしょうか。
子どもにしつけようとするときの親としての態度やしぐさを振り返ってみましょう。
にたにた笑いながらではありませんか。
だらだらした言い方になっていませんか。
腰が曲がっていませんか。
きちんとしつけをしようとするなら、そのときくらいは厳しい表情が必要です。
親の言っていることが本気かどうかは、親の表情や声で感じ取ります。
笑わない。
背筋を伸ばす。
少し声を低くする。
低い声で語りかける。
熱意を持って本気で語りかける。
ポイントは「怖い表情」ではなく「真面目な表情」で語りかけることです。
そういう親の真面目な表情やしぐさから、子どもは「これは本気だ。本当に大切なことなんだな」と伝わってきます。
普段はだらだらで軽い調子でもいいですが、きちんとしつけるときだけは、厳しくなることです。
このメリハリをつけることが大切なのです。
私は、昔からいろいろ考える習慣があります。
いつも考えてばかりで頭がパンクしそうなので、サイトを通じて考えてきたことを公開しています。
考える性格は頑張って身につけたものではなく、昔からいつの間にか自然と身についたものです。
HAPPY LIFESTYLEの話のネタなら、死ぬまでいくらでも出てきそうです。
いつからこういう性格になったのかと振り返ったとき、ふと、親からの影響に心当たりを感じました。
親からの影響を受けている部分が大きいのではないかと思います。
もちろんすべてが親の影響とは限りませんが、親譲りの部分はあると感じます。
私の親はどういう人かというと、真面目な顔をして話しかける人です。
父もそうです。
母もそうです。
子である私に話しかけるとき、真面目な顔になります。
特に父は日常会話でも、あまり冗談は言いません。
笑いながら話をしたり冗談を言ったりすることは、あまりありません。
私は長男なので、特にそういう傾向が強いのでしょう。
家族なのに、急に静かな雰囲気になります。
「貴博、高校を卒業したらどうするつもりだ」
「中学に入ったら、どんな部活に入るつもりだ」
「友人とはうまくやっているか」
「この前のテストの結果はどうだった」
会議室で話をしているような、厳粛な雰囲気があります。
それは私が社会人になった今でも変わりません。
「仕事の調子はどうだ」
「職場のみんなとうまくやっているか」
「実家には帰ってこないのか」
真面目な顔をして、いろいろ尋ねてきます。
親が笑いながら尋ねてくれば、おそらく私も笑いながら適当に言い返したでしょう。
しかし、親の表情には冗談がありません。
親が真面目な顔になって尋ねてくると、子どもは冗談が言えなくなります。
「真面目に心配している。だから真面目に考えて答えてほしい」
そういう印象がひしひし伝わってきます。
親が本気になって話しかけるため、親の質問に答えるときは、真剣に考えて答えていました。
昔からそういう人でした。
昔から続いていたので、その結果、私もいろいろ真剣に考える習慣がついていきました。
子どもに話しかけるときの「顔」は大切です。
子どもが真剣に考える習慣は、言って身につくものではありません。
親が真面目な姿勢を見せて、身につくものです。
見せると言っても、難しいことはありません。
両親は、真剣で真面目な顔をして話をすることで、子どもにも同じように真面目に考え、答えさせようとします。
もちろんたまにはジョークを交えてリラックスもいいですが、どこかでそういう本気さは必要です。
親が真面目な顔をして話しかけることで、子どもも考えるような性格へと変わるのです。
どんな家庭でも必ずしつける代表といえば「物は大事に扱いなさい」です。
おそらくあなたもわが子に対してしつけた経験があることでしょう。
壊れたら、買い直さなければなりません。
経済的な面から考えても、物を長く大事に使い続けることは、多くの親が同意するはずです。
しかし、その一方、親が子どもに与えるものとしてはどんなものでしょうか。
経済面や安全面を考えて、壊れにくい物を与えてしまいがちです。
これは良くありません。
ここで矛盾が発生しています。
親は物を大事に扱いなさいと言う。
子どもが手にしている物は、壊れにくい物ばかり。
壊れにくいものを与えられていると「物を大事に扱うのは、どういうことなのか」が、きちんと理解できません。
落としても、投げても、踏んでも壊れない物です。
どう扱っても大丈夫だと思い、親が「物を大事に扱いなさい」という意味を理解できません。
子どもには実感が湧きません。
たしかに乳幼児のような幼い時期なら、壊れにくい物を与えるのはわかります。
手足が器用ではないので、物を持っても頻繁に落とします。
万が一を考え、壊れにくいものを与えて当然ですね。
しかし、乳幼児ならまだしも、小学生くらいになっても、いまだに壊れにくい物を与えられている子どもがいます。
小学生くらいになれば、ある程度、指先もしっかりしているはずです。
そのくらいの時期になれば、私たち大人が使う同じ物を与えましょう。
壊れやすい物でも結構です。
実感を持たせるためには、体験を直接させて、わからせます。
「乱暴に物を扱うと壊れる。壊れたら修理が必要。場合によっては二度と元には戻らない」
そういう経験をさせてあげるのがいちばんです。
指先がしっかりする時期になれば、ぜひ壊れやすいものを与えましょう。
たとえば、プラスチックのコップより、ガラスのコップです。
落としたとき、プラスチックのコップは割れませんが、ガラスのコップはすぐ割れます。
子どもは大きなショックを受けることでしょう。
これは「いいショック」です。
自分がうっかり手を滑らせてしまって壊してしまった。
壊れたものは、二度と元には戻らない。
これは自分の扱い方が悪かったせいだ。
こうした悲しい経験をさせてあげましょう。
一度死んだ人間は生き返らないように、物を壊したら元には戻らないという経験ができます。
こういう生々しい経験があって初めて「物を大事に扱うとはどういうことなのか」を理解するようになります。
「物を大事に扱おう」ということが理解できるようになります。
次からは子どもは落とさないように持ち方を工夫したり、いつもより力を入れたりして持つようになるでしょう。
どうすればいいのかを、頭で覚えるより、体で覚えます。
ガラスのコップの1つや2つ壊れたとしても、その費用は知れたものです。
もちろんコップを落とした直後は、破片には注意をしましょう。
破片やけがにさえ注意ができれば、子どもは貴重な経験を得られるはずです。
うっかりしたミスで物を壊し、失うことで、得られることがあるのです。
「強い子に育ってほしい」
子どもが大人へと成長し、社会に出ることを考える親なら、ある程度、強さを身につけて育ってほしいと願うでしょう。
そういう気持ちから、親としては「泣かない」というしつけをしてしまいがちです。
転んだとき「泣かない!」と言うまでは問題ありません。
小さな痛みくらい涙を見せずにこらえられるのは、強さの証しです。
多少の肉体的痛みや精神的痛みがあっても、すぐ泣かないことも大切です。
勉強にしろスポーツにしろ、涙を辛抱しなければ、乗り越えられません。
しかし、何でもかんでも泣かないことばかりしつけると、子どもはどうなるでしょうか。
あらゆる場面に泣かないことを禁止するようになると、子どもとしては「とにかく泣くのは悪いことなんだ」と思うようになります。
すると、いかなるときも泣くのを我慢するようになります。
何があっても弱音を吐かず、涙を見せないのは強いように思えます。
一見すれば、精神力の強い人間に育つように思われますが、実際はストレスをため込みやすい性格になってしまいます。
我慢は大切ですが、それでもそればかりでもいけません。
うつ病にかかりやすい人は、普段、泣かない人に多いと聞きます。
愚痴をこぼさず、真面目に働き、つらいことがあっても涙をみせません。
泣かないから、ため込みやすく、あるときから体調に異変を来します。
泣くことは、ストレスを吐き出すためにとてもいい効果があります。
悲しい映画を見て泣くとすっきりするのは、ストレスを吐き出すからです。
強くなりたければ、適度に泣くほうがいい。
「泣ける子」に育てます。
「泣ける」というのは「泣く・泣かない」を自分でコントロールできている状態です。
泣こうと思ったら泣けるが、我慢もできる。
状況に応じて涙を我慢し、状況によっては自分から積極的に泣ける、ということです。
この両方を兼ね備えています。
本当に強い人は、泣ける人です。
うまくストレスを発散させることができるということです。
ストレスを吐き出せられる能力があるから、肉体的・精神的苦痛にも耐えられる余裕が生まれます。
映画を見て泣いたり、友人に愚痴を聞いてもらったり、回想して泣いたりなど、強い人ほど泣き上手です。
泣かない子が強い子とは限らないのです。
昼下がり、うつらうつら眠くなる場面には共通点があります。
学生時代、午後の授業で先生の話を聞いていると、眠くなる。
社会人になっても、じっと黙って仕事をしていると、眠くなる。
何か共通点に気づきませんか。
「黙ってじっとしているとき」です。
黙ってじっとしていると、脳の活動も鈍くなります。
受け身になっているからです。
逆に、絶対に眠くならないのは「自分が発言しているとき」です。
自分が考案した新商品のプレゼンをしている最中は、絶対に眠くなりません。
自分の手や口を動かしての発表は、眠気を吹き飛ばす刺激です。
しかし、無事に自分のプレゼンが終わって、ほかの人の発表を聞く側になると、うつらうつら眠くなります。
同じような経験をしたことがあるのではないでしょうか。
これはどういうことかというと「聞くより話すほうが、脳は活発に働く」ということです。
話を聞くのは受動的ですが、話をするのは能動的です。
話をするときには、自分の頭で言うことを考え、口を動かしたり自分の声を耳で確認したりします。
言いたいことを考えて、口を動かしたり、耳で声を聞いたりしているときは、脳までフル回転するので、絶対に眠くなりません。
何か自分の頭で考えて情報を発信しているときは、自然と脳が活性化されます。
親としては、子どもに考える力をつけさせようとすると、自然と教育も熱心になりがちです。
その結果「黙って言うこと聞きなさい」という教えになりがちです。
たしかに黙って言うことを聞かなければならないときもあります。
世の中のことをまだきちんと理解していない子どもには、親の言うことを無条件に従うほうがスムーズです。
しかし、そういう従順すぎるのも問題です。
従順で素直な子は、いい子に育つように思えますが、これも問題です。
何でも「はい、はい」と言っているのは、考えているようで、頭はあまり回転していません。
親の言っていることをすべてうのみにしているだけで、受け身になっています。
「親の言うことさえ聞いていればそれでいい」と思い、自分の頭で考えなくなります。
子どもに考える力をつけさせるなら「黙ってないで、言いたいことを言いなさい」です。
わかるときには黙ってうなずき聞きますが、疑問点や不明点があれば積極的に尋ねる勇気です。
黙っているばかりではいけません。
できるだけ子どもに発言をする機会を与えましょう。
気になることや言いたいことがあれば、どんどん発言させることです。
内容は何でもかまいません。
学校であったこと、悩み、将来のこと、疑問に思ったことなど、何でも結構です。
自分で発言する機会は、自然と考える機会になります。
時には親と考えや意見がぶつかり、激しい言い合いを交わすこともあるでしょう。
よく考え、よく話すことは、それだけ脳もよく使っているということです。
すると子どもは「話をすることはいいことなんだ」と、会話に対してプラスの印象を持ち始め、よく話をする子へと育ちます。
たくさん話をするから滑舌もよくなります。
考える力がつき、積極的に自分の考えを表現できる子どもへと育つのです。
今、大人であるあなたは、生活の大半が知っていることで占めていることでしょう。
本を読んだり書いたりでき、言葉を自在に操ることができる。
見慣れた町の風景。
買い物の仕方、電車の乗り方、仕事の段取りなど、すでに理解している。
口にするのは、食べたことのある料理ばかり。
経験することのほとんどが、以前にも一度見たり聞いたりしたことばかりでしょう。
すべて完全とはいきませんが、世の中の概要をおおむね理解し、知っているばかりのはずです。
それが大人です。
だからこそ、落ち着きがあります。
大人が落ち着きのある理由は「豊富な経験量」です。
しかし、言い換えれば、感動が小さくなっていることでもあります。
見るもの聞くもの触るものなど、すべてに慣れ切ってしまっている。
そんな大人である親の目線から子どもを見ると、はしゃいでうるさい子どもたちが理解できなくなる場合があります。
大切な初心を忘れていませんか。
子どもはどうでしょうか。
まだ経験量が少ない時期です。
子どもはなぜ、はしゃぐのか。
見たり聞いたりするものなど、すべてが初体験ばかりだからです。
「はしゃぐ」というのは、言い方を変えれば「感動する」ということです。
見るもの聞くもの経験するものが初めてなら、自然とわくわくします。
初めてのことばかりに心が揺れ動き、感動しています。
大きな感動で、大笑いしたり走り回ったりして、落ち着いていられない。
驚きを体中で表現している姿です。
あなたもはるか昔、子どもだったころを思い出しましょう。
何もかも初めて経験していることばかりだったころは、いつもはしゃいでいたことでしょう。
幼稚園くらいだったころ、道端に咲いていた花に興味を持っていた時期があったはずです。
今となっては、単に「花だ」で終わっていますが、子どもだったころは「何だろう。きれいだ」と興味津々だったはずです。
花を触ったり、においを嗅いだりしたことでしょう。
初めて見る町の風景。
慣れない買い物の仕方。
どうすればいいのかわからない電車の乗り方。
初めて口にする料理ばかり。
あらゆることが新鮮だった時期です。
感動するときには、落ち着いていられません。
つい、はしゃいでしまいます。
「知っていることばかりの大人」と「知らないことばかりの子ども」
親は、このギャップを理解しておく必要があります。
「知る・知らない」の違いだけかと思っていると、幅が広がります。
「知る・知らない」の違いだけで「落ち着き」と「はしゃぐ」という態度まで、180度変わります。
子どもは初体験が多くて感動が大きいから、はしゃいでいます。
そんな子どもの目線で、今からもう一度、あなたのお子さんを見てあげましょう。
優しい気持ちになれることでしょう。
はしゃぎ回る子どもを、単にうるさいなあと思うのではなく、感動している子どもの気持ちを理解してあげます。
当たり前の話になりすぎましたか。
当たり前とはわかっていますが、大人になるにつれて、つい忘れがちな初心です。
あえて、ここで再認識としてご紹介させていただきました。
いま一度、子育てをするにあたり、初心に返る意味でも、ここでお話ししたかったのです。
ある日、私は久しぶりに風邪になったので、病院に向かいました。
病院の待合室で待っているときのことです。
平日とはいえ、大勢の人がたくさん来院していました。
その中で、子どもを連れた親と出会いました。
おそらく子どもが何かの病気で、順番待ちをしていたのでしょう。
病院は待たされる時間があります。
病院といえば、何か不思議な雰囲気があります。
その不思議な雰囲気に、子どもはどきどきしているのか、走ったり騒いだりしていました。
それこそ「本当に病気なのか」と疑いたくなる元気さです。
病院の慣れない雰囲気が、病気を吹き飛ばすほど新鮮だったのでしょう。
そういえば、私も小さいころ、同じような状況だった記憶があります。
叫んだり、騒いだりするのは、子どもの仕事です。
そんなときです。
親は騒いでいる子どもに対して、こう言いました。
「うるさい!」
それはもう病院中に響き渡るほどの大きな声でした。
驚いたのは、子どもばかりではありません。
待合室で待っている人たちも飛び上がらんばかりの表情でした。
「うるさい子どもを黙らせようとした親のほうがうるさいよ」
おそらく誰もが心の中で、そう思っていたに違いありません。
こういうことはよくありがちです。
親の気持ちも、理解はできます。
騒ぐ子どもに腹が立った勢いで「うるさい!」と怒鳴ってしまったのでしょう。
しかし、大声で「うるさい!」という言い方は、まったく教育になっていません。
発言にとげがあり、親が怒っているように見え、怯えてしまうでしょう。
少しだけ言い方を変えればいい。
もし「うるさい」と言いそうになったら、代わりに小さな声で「静かにしましょう」と言いましょう。
言わんとしていることは同じです。
ほんの少し言い方を変えるだけですが、子どもが受ける印象はまったく異なります。
「うるさい」という言い方は、感情をぶつけているだけですが「静かにしましょう」と言われると言うことを聞きやすくなります。
周りの人たちにも、迷惑をかけない言い方です。
感情をぶつけた教育はやめて、落ち着きのある教育を施すようにしましょう。
子どもを教育するうえで大切なことは「一貫性」です。
言っていることがいつもばらばらだと、子どもはどれを信じていいのか混乱してしまいます。
常に同じことを発言し、繰り返すことです。
「そんなこと当たり前だ」
これが、子育てをしていると、なかなか難しいです。
たとえば「約束を破ってはいけません」というしつけです。
親は子どもに「約束は徹底的に破らない」という発言でしつけます。
親がそういえば、親も必ず約束を破るという姿勢を貫くのが当然ですね。
よくありがちなのは、気分によってころころ意見を変えてしまうことです。
人間は、感情の生き物です。
そのときの感情によって意見を左右することがあります。
機嫌がいいときと悪いときとでは、考えることも感じ方も発言も異なるでしょう。
これは、気づかないうちにしてしまいます。
親に余裕があるときは「嘘はいけません」と言います。
その一方で、親が何かトラブルを抱えて、ひどくいらいらしているときがあります。
心に余裕がないときは、つい焦る気持ちが大きくなり「少しくらいなら嘘をついても大丈夫」と言ってしまう。
この両者は矛盾しています。
嘘はついていいのか、悪いのか。
子どもは、対応の仕方に困ってしまいます。
気分によって意見が変わるのは、残念なことです。
子どもはそういう親を見抜きます。
「なんだ。気分によって言うことを変えているな」
子どもはがっかりします。
もし気分によって言うことを変える親がいれば、どう感じるでしょうか。
「気分によって言うことを変えていいのか。じゃあ、自分もいらいらしたときには、好き勝手にしてしまおう」
気分に流された発言と行動をする親を見て、子どもも気分に流された発言と行動をするようになります。
言うだけ言って、嘘を軽く破ってしまうようになります。
子どもが気分に流されず、一貫性のある発言や行動ができるかどうかは、親がしつけたところで本当に身につきません。
親がそういう手本を見せることで、子どもに伝わります。
気分に関係なく、一貫性を保てる教育ができているかどうかです。
「いつも言っていることが同じ」というのは、安定です。
気分に流されず、信念を貫く親になることです。
ここが、親の器のみせどころになります。
簡単なようで難しいところですが、ぜひとも心がけるようにしましょう。
子どもにしつけるときの基本は「一貫性」ですが、やむなく、一貫性を保てないことがあります。
そもそも一貫性を保てない状況です。
なぜこういうことが起こるのかというと、時や場所に応じて、そのときの対応も変わってくるからです。
一貫性が大事とわかっていても、矛盾したことを言わざるを得ない場面に出くわします。
たとえば「けんかをしたらすぐ謝りましょう」というしつけがあります。
けんかをすれば、すぐ謝るのはいいことですね。
しかし、本当に「すぐ」かどうかは、時や場所など状況によります。
相手の状況によって、しばらく様子を見ることも必要です。
そういうとき、親は「今、謝るのはやめなさい」といいます。
親としては時と状況に応じて言ったつもりですが、子どもは混乱します。
「すぐ謝る」というしつけと「今は謝ってはいけない」矛盾がぶつかるからです。
しつけとはいえ、なかなか難しいですね。
こういうときは「理由」をつければいい。
「こういう理由だから、後にしましょう」
理由をつけることで、子どもは「なるほど」と思います。
理由を言うことで、矛盾しているような親の発言に一貫性を保てます。
「~だから、こうしましょうね」という理由があれば、子どもは一貫性がない親のしつけも理解するようになります。
この理由が大切です。
なぜ今はいけないのか、してはいけないのか理由を聞くことで、一貫性がないような対応のつじつまを合わせることができます。
状況によって、最も良い対応が変化することを教えます。
理由とは、対応の判断基準です。
親が指導した理由を手がかりに、子どもも自分で判断できるようになり、状況に応じて行動できるようになります。
しつけの一貫性を保つのが難しい場面がありますが、必ず理由をつけるようにしましょう。
理由をつけてしつけるほど、子どもは「臨機応変」を学べるようになります。
あらゆる人間関係は、信用の上に成り立っています。
友人の話を聞けるのは、相手に信用があるからです。
信用がないと、相手の話も信じられなくなり、人間関係を築くことができなくなります。
信用があるからこそ、話している内容を真面目に聞けます。
逆にあなたに信用があると、相手から話を真面目に聞いてもらえるようになります。
では、もし信用がなければどうでしょうか。
これは大変です。
時間を決めて待ち合わせすらできません。
言うことはすべて疑われます。
仕事にならないのはもちろん、恋愛も友人関係も大変なことになるでしょう。
相手を信用できなくなったら、もはや人間関係は崩壊です。
「信用される人間になる」
家族でも、友人関係、社会に出て取引先との関係も、すべて「信用」があってのことです。
人間関係は、信用に始まり、信用に終わります。
基本的なことでありながら、最重要項目です。
信用は目には見えませんが、人間関係は「信用」が根本です。
では、ここからが本題です。
子どもを教育するときには、どうすれば信用される人間へと育てることができるのでしょうか。
信用されるような子どもに育てるのは、方法論が曖昧のように思えます。
しかし、基本は2つだけです。
これだけでいい。
「よし、今日からしっかり子どもに教えるぞ!」
おや、ちょっと待ってください。
もちろん「約束を守り、嘘をつかないように教えることは大切です。
親から子に教えることも大切ですが、それ以前に大切なことは、そういう親であることです。
親が約束を守り、嘘をつかないようにすることです。
子どもは、常に親の真似します。
親が約束を守り、嘘をつかない姿勢を見せることで、子どもも自然と約束を守り、嘘をつかないようになります。
あくまで、親が先行する形です。
この2つのポイントさえ守れていれば、子どもも親の真似をして約束を守り、嘘をつかないようになります。
中学生のころ、授業の話を聞いていると、わからないところが出てきました。
気になったので、手を挙げて先生に質問すると、こんなことを言われました。
「いい質問だね」
これを言われると、嬉しく感じます。
「いい質問だね」と、質問を褒めているだけでなく、そんな鋭いところに気づく生徒も同時に褒めていることになるからです。
「そういうところに気づくなんて素晴らしい。あなたはいい問題意識を持っているね」
口に出しては言いませんが、そうしたニュアンスが伝わってきます。
つい、私も「ありがとうございます」と言ってしまいました。
嬉しく感じて、先生に何か認めてもらえたような気になります。
子どもが親に質問してきたら、可能なかぎり言ってあげましょう。
「いいところに気づいたね」と。
子どもは嬉しくなり、親からの返事を真剣に聞くようになるでしょう。
いい質問かどうかは、大した問題ではありません。
子どもが疑問を持つことは、素晴らしいことですから、すべてに対して「いい質問だね」と言えるはずです。
「もっと認めてもらいたい」という気持ちが湧いてきます。
さまざまなことに対して、さらに疑問を持ち始めることでしょう。
「勉強がわからない。自分は勉強に向いていないのか……」
勉強を苦手とする子どもに悩む親御さんは多いことでしょう。
「子どもができない」と言って嘆いたとき、親としては「もっと頑張りなさい」と言います。
「頑張れ」は、精神論です。
応援しているようで応援になっていません。
頑張るのは子どもでも十分にわかっていますし、頑張ってできるなら悩みません。
では、どういえばいいのでしょうか。
「どこがわからないの?」と尋ねてみればいい。
解決を導く言い方です。
子ども1人の力でわからなければ、親も一緒になって協力してあげましょう。
子ども一人の知識や知恵でできないなら、親がサポートしていきます。
なぜうまくいかないのか。
どうすればうまくできるようになるのか。
どうすれば解決するのか。
できなければ、できるようになる突破口はあるはずです。
親の協力が加われば、たいていのことは解決するはずです。
子どものレベルに応じて、わかるまできちんと指導です。
「わかるようになった」という感動があると、子どもは自分からどんどん勉強をし始めます。
子どもに希望を抱かせることが大切です。
うまくいく方法さえわかれば、子どもはまた行動し始めます。
子どもと散歩をするときのペースは、どうなっていますか。
親が手を引っ張って、大人のペースで歩いていませんか。
歩くスピードが速いと、たくさんの風景を目にでき、多くの発見があるように思えます。
子どものためにもいいのではないかと思います。
大人にとっての普通のペースを、子どもはどう感じるでしょうか。
大人の普通のペースは、子どもにとって速すぎます。
見るもの聞くもの触るものなど、初めてのものが多いので、一つひとつを認知するのに時間がかかります。
散歩のペースを、もう少し、ゆっくりにしてみましょう。
10分で歩ける距離なら、15分かけて歩いてみましょう。
ゆっくり歩くので、移動距離は短くなります。
しかし、ゆっくり歩くほうが、多くの発見があることに気づきます。
大人でさえ、ゆっくり歩くと、たくさんのことに気づくことができるはずです。
時間の余裕が生まれることで、周りのさまざまな景色に注意を向ける余裕が生まれるからです。
道端に咲いている花に気づける。
青空を眺めながら歩くことができる。
空を飛んでいる鳥たちに気づく余裕が生まれる。
歩くペースを2分の1にすれば、歩ける距離は短くなりますが、発見は2倍に増えます。
歩くスピードがゆっくりになるほど、発見が多くなります。
一つひとつをゆっくり見て、深く感じ、自分のペースで物事を考える余裕が生まれます。
大人のペースで歩くのではなく、子どものペースで散歩をしましょう。
多くのことを発見して、子どもの成長に変えるのです。
私の実家には、庭に大きな桜の木がありました。
今はもう切って、なくなってしまいましたが、当時は大木でした。
春になれば、立派な桜が満開に咲き乱れます。
春には、家族が庭でお花見をするのが恒例になっていました。
その桜も、しばらく経てば花が散り、まもなく夏を迎えると、次はセミたちのすみかになりました。
大きな桜の木いっぱいにセミがつき、大声で鳴きます。
騒音といってもいいほどのうるさい音です。
目の前にある桜の木に、たくさんのセミがいるので、よく網を使ってセミを捕まえていました。
問題が起こったのは、捕まえた籠の中に入れた次の日でした。
あれほど元気でうるさかったセミのほとんどが、籠の中で死んでいます。
生き永らえたとしても、ほんの数日。
実は、土の中にいる時間は5年から7年と長いですが、成虫になってからは1週間ほどしか生きられない昆虫です。
捕まえたと思ったら、あっという間に死んでしまいます。
私はそのとき、生き物は最後には死を迎えることを学びます。
あれほど元気に飛び回っていたセミが、ぴくりとも動かなくなります。
実家は、田舎にあります。
セミに限らず、アゲハチョウ・カエル・トンボ・アメンボ・ホタルもいました。
川には、なんとザリガニさえいたくらいです。
夏には、夜中、ホタルが飛び回っていました。
動物園の中に実家があるようでした。
大きな虫取り網を持って、視界に入ってくるあらゆる昆虫たちを捕まえました。
捕まえては籠に入れましたが、最後はみんな、同じでした。
必ず死んでしまいます。
私はそれを見て、どん底に落とされたような気持ちになりました。
昆虫たちを捕まえては、必ず最後には死んで、動かなくなる。
「自分もいつかそうなるのか」
自分の行く末を見た気がしました。
生きているということは、最後には必ず死を迎えるということ。
「死にたくないよ。嫌だ!」
私は怖くなって親にしがみつき、泣きわめいたことがあります。
子どもながら、絶望を感じました。
生きていることは素晴らしいですが、その反面、必ずいつかやってくる死に怯えていました。
数多くの昆虫たちの死を見ることで、昔から死について、よく考える性分になりました。
「必ず最後には死ぬ」
今この瞬間でも、その意識は変わりません。
たくさんの昆虫たちの死に触れたことはつらく悲しいことでした。
しかし、昆虫たちの死の瞬間から、大切なメッセージを受け取った気がしました。
「現実をしっかり生きてほしい。生きている時間を大事にしてほしい」というメッセージです。
かなり若い時期から「生きること」については、よく考える性格になりました。
「どういう人生を送ればいいのか」
「どのような生き方が望ましいのか」
考えた末に見つけたのは「自分を生かす生き方」でした。
自分が好きなことをして、自分が輝く。
輝いた自分がほかの人を照らし、他人にも喜びを与える。
太陽のように自他ともに輝く理想的な生き方を見つけました。
HAPPY LIFESTYLEでも、生と死について触れる文章が多いですが、実はそうした経緯があります。
いつまでもつかはわかりませんが、死ぬまでHAPPY LIFESTYLEは続けていくつもりです。
多くの昆虫たちの死を見てきたため、生きている時間を貴重に過ごしていきたい気持ちが、より強くなったのです。
都会と田舎。
子育てには、どちらの環境がいいと思いますか。
一般的に考えると、田舎より都会のほうが物やサービスにあふれているので、子育てに有利に働くと考えることでしょう。
物やサービスがそろっていれば子育てもしやすく、質の良い教育が受けさせられると思います。
しかし、必ずしもそうとは限りません。
たしかに都会には多くのサービスが集まり、都会なりのいいところがありますが、田舎にも田舎なりのいいところがあります。
すなわち「昆虫と自然との触れ合い」です。
それが、田舎だからこそ得られる貴重な経験です。
何もない田舎とはいえ、実は数多く存在していることがあります。
育ちなら、田舎だからこそ得られる経験をたくさん子どもたちに触れさせてあげましょう。
私は子どもたちには、できるだけ昆虫たちと触れ合うよう勧めています。
たくさんの昆虫たちと触れ合うことで、生と死を実感してもらいたいからです。
生き物は動きます。
生きるために食べますし、怒り、悲しさ、恐怖を見せます。
人のように、おしっこもしますし、ふんもします。
そうした一生懸命に生きる様子を見て、子どもたちはコンクリートの冷たいビルにはない、温かさを感じるようになるはずです。
生きるものは最後には必ず死を迎える。
人とは違い、昆虫の寿命は大変短いです。
多くの昆虫たちの死を目の当たりにすることで、言葉だけでは伝わらない貴重な経験ができるに違いありません。
昆虫だけではありません。
植物も同じです。
昆虫とは違い、喜怒哀楽はありませんが、植物も生きていることに変わりありません。
水を吸って、太陽の光を浴びて、次の世代のためにタネを残します。
最後は枯れます。
これは、人も昆虫も植物も同じ生き物としての営みです。
物やサービスが乏しい田舎でも、その代わり多くの植物と昆虫があるではありませんか!
物やサービスがあふれているか。
昆虫や自然にあふれているか。
たったそれだけの違いです。
どちらの環境でも、生かし方しだいです。
昆虫や植物など、多くの「生」に触れることで、教科書だけでは学べない貴重な経験ができるに違いありません。
田舎育ちであることを恥じる必要はありません。
堂々と子どもを育ててあげましょう。
「日記をつける人は、ぼけにくい」
医療現場にはそういうデータがあります。
事実、私の祖父も日記をつける習慣がありましたが、78歳で死ぬ最後まで、まったくぼけることはありませんでした。
いえ、死ぬ直前まで若者のようにはっきりした話し方で、記憶も意識もはっきりしていました。
その祖父には、毎晩就寝前、日記をつける習慣がありました。
何冊も日記があり、昔の日記を見ると、なんと私が生まれた日の記録まで残っていて、驚かされたことがあります。
「そんな昔から続けていたのか!」
生まれる前の何十年も前から、1日も欠かさず書き続けていたのかと思うと、言葉を失います。
まさに尊敬です。
日記をそんなに続けられる人は、そういるものではありません。
祖父の日記から、自分の生まれた様子を知るのは、不思議な感じがします。
私は、1980年の7月7日の月曜日、夜中に生まれました。
日記によると生まれた直後、まず父が急いで病院に駆けつけた様子がつづられています。
その後祖父や祖母が車に乗って病院に駆けつけたそうです。
生々しい記録が残っており、すごく印象深い文章でした。
一方、日記をつけない祖母は、70代に入ってからぼけてしまいました。
昔から積極的に外出することが少なく出無精で、家でじっとしていることが多い祖母でした。
そもそもそういう性格でした。
「日記は頭にいい」と昔からよく言われます。
なぜかというと「想起を促す行為」だからです。
ぼけるというのは「昔を思い出せなくなる」ということです。
思い出す習慣がなくなるからぼけます。
私たちの日常には、普通に暮らしていれば、思い出す機会がたくさんあります。
人と会ったとき、名前を思い出す。
仕事に着手しようとするとき、仕事内容を思い出す。
買い物でデパートに向かったとき、買おうとしていたものを思い出す。
普通に暮らしていると、思い出す機会は数多くあり、記憶力の低下を防ぎます。
しかし、足腰が弱ってしまうと出無精になり、部屋でじっとしている時間が長くなります。
部屋でじっとしていると、刺激も入ってこない時間も長くなり、同時に思い出す機会も少なくなります。
脳の神経は、使っているところは強化されますが、使わない部分は衰弱します。
思い出す機能を使わなくなったため、脳の「思い出そうとする機能」も弱ってしまいます。
日記をつけると絶対にぼけないわけではありませんが、脳にいい刺激を与えることはたしかです。
脳は、使えば使うほど強化されます。
強化するためには、どんどん使うことです。
そこで、子どもに日記をつける習慣を持たせてみましょう。
日記をつけると、子どもの成績が良くなります。
テストもいわば、昔を思い出す行為です。
頭が柔らかい時期に昔を思い出す機会が習慣になれば、思い出すために使う脳神経が強化されます。
昔を思い出す力が強化されると、テスト前に覚えたことも思い出しやすくなる。
その結果、テストの結果が良くなります。
脳が柔らかいときこそ、過去を思い出す機会を頻繁につくると、それだけ脳が柔軟に対応しようとします。
特に子どもは毎日が新しい発見の連続ですから、日記のネタも続きやすいことでしょう。
どんどん日記を書かせて、思い出す機会をつくらせましょう。
日記は脳を鍛えるダンベルになるのです。
日記を続けるのは、難しいです。
毎日習慣として定着させるためには、かなりパワーが必要です。
「どうしても日記は肌に合わない」
人によっては、日記を続けられない人もいることでしょう。
大丈夫です。
日記が難しいなら、日記の代わりになるようなことをすればいい。
実は日常の中でも、日記と似た行為があります。
「昔を思い出しながら会話をする」ということです。
旧友と久しぶりの再会を果たしたとき、友人と昔話に花が咲くことがあります。
日記をつけているのと同じです。
昔を思い出しています。
親は子どもに「以前にこんなことがあったね」という話をしてみましょう。
自分の力では思い出せなくても、親から「覚えている?」と刺激されたことがきっかけで、過去の出来事を思い出せるはずです。
昔旅行に行った話。
以前に笑った話。
以前に読んだ絵本の話。
昔にあった出来事を会話に盛り込むことで、子どもは思い出す機会をつくれます。
しかもそればかりではありません。
過去にあった出来事を思い出すことで、子どもは落ち着いた性格になります。
過去の自分と比べて、成長している自分に気づけるからです。
また逆に成長ができていない部分も見つけるなどして、反省を促す効果もあります。
当時はつらかった出来事も、時間を置いて考えることで、客観的になれたり冷静になれたりして、記憶に触れられるでしょう。
たまには昔を思い出し、成長を確かめる機会にするのは、いい刺激になるはずです。