画家・山下清は、全国を放浪しながら、滞在先で見た景色や名所を貼り絵で表現したことで有名です。
「放浪の画家」「日本のゴッホ」とも言われています。
彼の生き方はユニークなこともあり、映画やテレビにもなっていて、見たことがある人も多いのではないでしょうか。
彼が放浪の旅に出かけたきっかけは、意外なことでした。
住んでいた学園生活が嫌だったのです。
窮屈だったり、先生から叱られたり、単調な毎日だったりなど、ストレスの多い生活でした。
そこで彼は、無断で学園を飛び出ました。
つまり、逃げたのです。
しばらく放浪の旅を続け、諦めて終えるのかと思いきや、そうではありませんでした。
脱走から2年が経過して20歳になった彼は、徴兵年齢が近づいていました。
当時の日本は、太平洋戦争が暗い影を落としていた時代でした。
彼は、徴兵され、戦地に出兵することに恐怖を感じていたため、引き続き放浪の旅を続けたのです。
その後、滞在先の食堂で発見・保護され、学園に連れ戻されることになります。
これで一件落着かと思いきや、違いました。
再び施設を飛び出し、放浪の旅に出かけました。
再び滞在先で見つかっては学園に連れ戻され、また脱走しては連れ戻されるということを繰り返しました。
「学園生活も嫌。徴兵されるのも嫌」ということで、とにかく逃げまくったのです。
そうして全国各地を放浪する波瀾万丈の生活を送ることになりました。
しかしこのことが、彼に思わぬ恩恵をもたらしました。
各地を転々としながら、さまざまな風景を目に焼き付け、それを貼り絵として表現しました。
もともと趣味だった貼り絵が、見事な芸術へと昇華されることになったのです。
世間では「逃げることはいけないこと」とされています。
しかし、それは本当でしょうか。
逃げることが一概にいけないこととは言い切れません。
嫌なことがあれば、逃げたくなって当然です。
逃げれば、苦しみから解放されます。
逃げることで、解決できることもあります。
そして山下清のように、逃げることで才能が開花することもあるのです。
ちなみに山下清は、全国を放浪しながら作品を制作しているイメージを持たれがちですが、実際は違います。
放浪中は景色を見るだけで、作品を制作するのは学園に戻ってからでした。
彼は驚異的な記憶力を持っていました。
放浪中は、素晴らしい景色を脳裏に焼き付けることに専念していたのです。
メモやスケッチを取らずとも、頭の記憶だけで、あの素晴らしい貼り絵作品を作ったことにも驚きです。