誰がなんと言おうと、あなたはオンリーワンの存在です。
世界に1人だけの、貴重な存在です。
「あなたの代わりはいくらでもいる」と言われても、真面目に受け止めないことです。
世間では「ありのままの私」という言葉がはやっています。
「ありのままの私でいたい」
「ありのままの私を大切にする」
自分のことを好きになることは大切なことです。
自分のことが好きになると、自分に自信が持てます。
おのずと勇気が出て、新しいことにもチャレンジができる。
多くの人が「長所=個性」と考えています。
たしかに長所は、強みです。
大切な魅力であり、人生の武器にもなるでしょう。
私たちは、昔から「好き嫌いがあってはいけない」と言われてきました。
「人の好き嫌いがあってはいけません」
「食べ物の好き嫌いがあってはいけません」
うまくいかせたいなら、先手を心がけることです。
仕事でも勉強でも人間関係でも、何でもそうです。
仕事でやるべきことがあるなら、他の人より先に取りかかります。
落ち込んだときには、歌ってみましょう。
友人とカラオケに行って、思うがままに歌うことは精神的な健康にとても有効です。
カラオケで歌っているうちに、元気になったという不思議な経験はありませんか。
ちまたでは「目標を持つべきだ」という声が飛び交っています。
仕事の目標、勉強の目標、遊びや趣味の目標。
自己啓発書でも「目標はないよりあったほうがいい。人生では目標が大切だ」といったフレーズをよく目にします。
知らない土地で、ふいに道を聞かれることがあります。
その土地を初めて訪れているのですが、見た目なのか雰囲気なのか、地元の人と間違われるのです。
このとき、実際は土地勘がないにもかかわらず、相手の期待に応えたくて臆測で答える人がいます。
「褒めてくれない」と言う人がいます。
褒めてくれないという人は、褒めていないのです。
褒めてほしいと願うばかりで、自分からは何もしません。
あなたは今日、怒りを我慢しました。
本当にいらいらしたし、むかむかしました。
爆発寸前のところでしたが、ぎりぎりのところで感情を抑えました。
秘密主義な人がいます。
秘密主義な人は、何でも秘密にしておく考え方を持っています。
仲良くなって、いろいろな話をすることはあっても、自分のプライベートとなると話そうとしません。
本当の自分に気づきましょう。
私たちは、ポジティブな自分だけ認め、ネガティブな自分は否定しようとする傾向があります。
明るいときや元気なときの自分こそ「本当の自分」と考えようとします。
あなたにとって大事な人は誰ですか。
家族、友人、恋人など、大事な人がいるでしょう。
人の幸せを祈りましょう。
「友達がいます。でも気を遣ってしまいます」と言う人がいます。
一緒にいて気を遣う人は、本当の友達ではありません。
気を遣うということは、相手にまだ心を許していない、完全に打ち解けていないということです。
ある程度長く生きていると、自分の特徴がわかってきます。
自分の性格もわかってきます。
何が好きで、何が得意かもわかってきます。
自分に厳しい言葉ばかりかけていませんか。
「逃げるな!」
「頑張れ!」
ブログやSNSでは「思いつくままに書きます。乱雑な文章で失礼します」といった一言から始まる記事を見かけることがあります。
難しいことは考えず「とにかく書いてしまえ」という勢いで書いています。
「とにかく吐き出したい」というときがあって、ほとんど見直しもせず、思いつくまま勢いで書くこともあるでしょう。
レッテルを貼られました。
マイナスの評価をされてしまうと、がっくり落ち込んでしまいます。
そのレッテルは、もう二度と剥がせないのでしょうか。
家計を節約しようと、契約中のサービスを見直しました。
このとき、次の2つのケースがあるとします。
1つ目は、月額2,000円の映画のサブスクサービスです。
電話をかけたとき、相手が小声で「もしもし」と出ることがあります。
ひそひそ話をするときのような小声なのです。
ここで想像を働かせることが大切です。
「お酒が飲めないなんて人生損してる」と言う人がいます。
こういうこと言う人は、決まってお酒好きな人です。
たしかにお酒を飲めることにメリットがあるのも事実です。
「なりたい自分になる」と言う人がいます。
理想とする生き方や憧れている成功モデルがあり、なりたい自分を目指して頑張ることがあるでしょう。
たとえば、ロールモデルがあると、具体的なイメージが湧きやすくなり、どう振る舞えばいいのかわかりやすくなるものです。
「多忙の毎日でなかなか趣味の時間がありません」と嘆く人がいます。
これは順番が違います。
仕事をしながら空いた時間に趣味を楽しもうとしています。
今日も、平凡に仕事が終わりました。
普通に仕事が終わりました。
トラブルもなく、特に変わったこともなく、終日平和でした。
「ありのままの自分で生きる」と言う人がいます。
ありのままの自分で生きることは素晴らしいことです。
自分は自分にしかなれません。
禅の教えの1つに「任運自在」という言葉があります。
どうすることもできないことは運に任せようではないか、という考え方です。
「運任せ」といいますが、悪いことではありません。
応援の言葉といえば「頑張れ」が定番です。
受験生やスポーツ選手など、努力している人に「頑張れ」と声をかけることが多いのではないでしょうか。
もちろん「頑張れ」という応援もいいのですが、ここに工夫の余地があります。
なぜあなたは疲れるのか。
それは「いい人」になろうとしているからです。
みんな「いい人」になろうとしたがります。
「無駄足になった」という声を聞くことがあります。
人を訪ねて足を運んだものの、相手が留守でいないときがありますね。
相手がいたとしても、思うような成果が得られず、手ぶらで帰ることもあるでしょう。
誰がなんと言おうと、あなたはオンリーワンの存在です。
世界に1人だけの、貴重な存在です。
「あなたの代わりはいくらでもいる」と言われても、真面目に受け止めないことです。
自分のような人間はたくさんいるように思えますが、誤解です。
能力という点では、ほかにできる人がいるという話であって、存在まで否定しているわけではありません。
あなたは唯一無二の存在です。
似ている人はいても、完全に同じではありません。
「あなたみたいな人はよくいるね」と言われても、気にしないことです。
あくまで似ているだけの話であって、まったく同じわけではありません。
自分と似ている性格の人もいるかもしれませんが、それでも何から何まで性格が同じわけではないのです。
誰かがあなたの真似をすることがあるかもしれません。
それでも完全に同じになることはできません。
どんなに頑張っても、真似は真似です。
似せることはできても、まったく同じになることは不可能なのです。
たとえ一卵性双生児でも、育った環境によって違いが生まれます。
遺伝的に同じで、家庭環境を共有していたとしても、すべてが完全一致することはありません。
世の中に自分と完全に同じ人間が2人いることはあり得ないことです。
自分は世界でオンリーワンの存在であることに誇りを持ちましょう。
オンリーワンであることを自覚すれば、もっと自信がつくし、もっと自分が好きになれます。
つらくなったときは、自分は世界でオンリーワンの存在であることを思い出してください。
自己肯定感が復活するのです。
自分の存在を認めることほど大切なことはありません。
世間では「ありのままの私」という言葉がはやっています。
「ありのままの私でいたい」
「ありのままの私を大切にする」
「ありのままの私で生きる」
映画『アナと雪の女王』では、エルサがありのままの私を求めて生きるシーンがあります。
エルサには特別な力があり、なかなか普通の場所で普通に生活できません。
周りに迷惑をかけてはいけないので、ひっそり部屋に閉じこもる生活を送っていましたが、あるとき転機が訪れます。
抑えていた自分を解放させ、外に飛び出します。
見事に自分らしい生き方を実現するシーンが印象的です。
エルサの美しい生き方に憧れ、影響を受けた人も多いでしょう。
世間では「ありのままの私」という言葉が飛び交い、もてはやされています。
「ありのままの私」という言葉は素晴らしいのですが、この言葉について誤解されがちなことがあります。
「ありのまま」という響きのためでしょうか。
ありのままの私を「そのままの私」「何もしない私」として解釈する人がいます。
これは違うのです。
そのままの私なら、そのままです。
何もしない私なら、何も起こりません。
単なる怠け者になってしまいます。
ありのままの私を「そのままの私」「何もしない私」と思っているなら大きな誤解です。
今すぐ考えを改めたほうがいいでしょう。
では、ありのままの私の意味とは何でしょうか。
「ありのままの私=自分らしく生きる私」です。
「ありのままの私」とは何か。
「ありのままの私=そのままの私・何もしない私」ではありません。
「ありのままの私=自分らしく生きる私」です。
ありのままの私になりたいなら、自分らしく生きることが大切です。
ここで大切なのは「積極的な行動が必要」という点です。
頭の中で「自分らしく」と思い浮かべるだけではいけません。
あれこれ思い浮かべただけでは、何も変わらず、ただの妄想で終わります。
じっとしているだけでもいけません。
思っているだけで行動がゼロなら、自分も現実も何も変わりません。
「ありのままの私=自分らしく生きる私」を実現するためには、きちんと行動することが不可欠です。
もっと自分らしくなるように行動して、実現させていくことが大切です。
もちろん現実では自分らしく生きるのは難しい場面もあるでしょう。
家族や仕事のこと、経済状況や健康状態など、いろいろな都合や制約があって思うようにいかないこともあるはずです。
100%自分らしく生きるのは難しいですが、目指して努力することならできるでしょう。
少しでもいいので、自分らしく生きるように努力してください。
思うだけで終わるのではなく、きちんとアクションを起こすことが大切です。
自分らしい生き方がいちばん幸せです。
それが本当の「ありのままの私」です。
自分のことを好きになることは大切なことです。
自分のことが好きになると、自分に自信が持てます。
おのずと勇気が出て、新しいことにもチャレンジができる。
人生も輝き、毎日楽しく過ごせます。
もちろん自分のことを好きになろうとするのは良いことですが、意識する際、よくある誤解があります。
「自分のことを好きになること=自分の長所を好きになること」だと思っている人がいます。
これは少し違うのです。
得意なことや、誇れることがあるでしょう。
自分の長所を好きになるのは簡単です。
すでにきらきら輝いているので、かっこよく目立つし、気分も上がります。
大切なのは「いかに自分のダメなところも好きになっていくか」です。
自分を振り返ったとき、ダメなところがあるでしょう。
歌が下手、方向音痴、数学が苦手、運動神経が鈍い、外見上のコンプレックスなど。
誰でも苦手なこと、人より劣っていることもあるはずです。
そうした自分のダメなところをひっくるめて、自分のことを好きになるのが理想です。
「劣っているところは好きになれない」と言う人がいますが、誤解です。
気の持ちようです。
自分のダメなところも、立派な個性の1つです。
アイデンティティーの1つでもあります。
好きになれないと思っているから好きになれないのであって、好きになろうと思えば好きになれます。
「生まれ持った自分の個性」と思えば、好きになれます。
そもそも完全無欠の人はいません。
すべての人に、何らかの短所があるし、欠点もあるし、コンプレックスもあります。
あらゆる短所・欠点・コンプレックスは「人間味」と言い換えられます。
ダメなところがあるから人間らしいのです。
誰でもダメなところが必ず1つはあるのですから、好きになるのが正解です。
自分の良いところだけでなく、ダメなところも含めて、すべて好きになりましょう。
「自分の長所も短所も両方好き」というのがベストです。
これが本当の意味で「自分のことを好きになる」ということです。
多くの人が「長所=個性」と考えています。
たしかに長所は、強みです。
大切な魅力であり、人生の武器にもなるでしょう。
長所であればあるほど、胸を張れます。
特に優れた長所であれば「才能」と呼ぶこともあるでしょう。
「長所は個性」という考え方に疑いの余地はありません。
その反面、短所は捉え方が変わります。
「弱いところ」「劣っているところ」「足りないところ」という考えがあるためでしょうか。
「短所≠個性」と考える人が多いのです。
抵抗感や拒否反応があって、なかなか直視しようとしません。
多くの人は「短所は悪いところなので、できれば直したほうがいい」と考えがちです。
ここに誤解があります。
個性は長所だけではありません。
短所も立派な個性です。
個性とは、その人特有の性質のことをいいます。
長所だけでなく、短所も、あなたのアイデンティティーを形成する要素なのですから、大切な個性の1つです。
長所も短所も個性として受け止めてください。
短所は「不幸のもと」「短所なんてなくなってしまえばいい」と考える人もいるかもしれません。
それは誤った思い込みです。
短所がなくなったら個性もなくなることになり、自分らしさの一部が失われることになります。
個性がなくなることで平凡化してしまい、ありきたりな人になってしまうのです。
長所だけでなく、短所も認め、好きになってください。
どちらもあなたの大事な個性ですから、大事に扱うだけの価値があります。
長所も短所も個性と思えば、自分にも相手にも寛容になれます。
自分を認められる人は、他人も認められます。
相手に短所と思えるところがあっても「そういうところもいいね」と素直に思えるのです。
「短所を見せると、人に嫌われる」と思うかもしれません。
そういう可能性もゼロではありませんが、良いこともあります。
あなたの短所を、受け入れてくれる人は必ずいます。
世の中にはいろいろな人がいて、あなたの短所を「いいね」と言ってくれる人がいるのです。
そういう人とだけ付き合えばいいのです。
自分と合った人とだけ付き合える環境ができあがるのです。
コンプレックスで抵抗感があるかもしれません。
自分にとって悩みのタネだとしても、間違いなく個性の1つです。
短所は、悩みのタネでもありますが、幸せのタネでもあります。
短所も、生かし方を工夫すれば、強力な武器に化けるのです。
私たちは、昔から「好き嫌いがあってはいけない」と言われてきました。
「人の好き嫌いがあってはいけません」
「食べ物の好き嫌いがあってはいけません」
親や先生から耳にたこができるほど言われてきたものですね。
しかし、それはいかがなものでしょうか。
多少の好き嫌いはあってもいいのではないでしょうか。
たしかに好き嫌いがないほうが良いのはわかりますが、それを完全に実現させるのは難しい。
「好き嫌いをしてはいけません」と言っている親や先生でも、実は好き嫌いがたくさんあるはずです。
表には見せないだけで、本音としては好き嫌いがあるはずです。
苦手な人もいれば、苦手な食べ物もあります。
生理的に無理な人もいれば、生理的に受け付けない食べ物もあるでしょう。
「無理やり好きになる」というのもおかしな話です。
無理やり好きになろうとすると、ますます抵抗感が強くなりそうです。
「私は好き嫌いがありません」は理想的ですが、聖人君子でないかぎり、実現するのは困難といえます。
好き嫌いは、あってもいいのです。
好き嫌いがあるのは、むしろ人間らしいことです。
嫌いな人もいれば、嫌いな食べ物もあるし、それは人間として当たり前のことです。
好き嫌いがある自分を受け入れましょう。
好き嫌いがある自分を責めません。
責めたところで当たり前のことですから仕方ないのです。
これからは「好き嫌いは、あってもいい」という考え方で生きてください。
人間味があっていいことです。
ありのままの自分を受け入れると、肩の荷が下り、自然体で生きられます。
好き嫌いがある自分を受け入れると、人生を生きやすくなるのです。
うまくいかせたいなら、先手を心がけることです。
仕事でも勉強でも人間関係でも、何でもそうです。
仕事でやるべきことがあるなら、他の人より先に取りかかります。
仕事に早く着手すれば、それだけ早く進み、早く終わりです。
上司から見ても、積極的に映るので、評価も高くなります。
結果としてライバルを出し抜けるのです。
話し合いをまとめるときも、先手を打ちます。
会議で使う資料があるなら、あらかじめ配って、チェックをお願いします。
会議までに考えておくべき事項があるなら、あらかじめ伝えておきます。
参加メンバーは前もって考えておけるので、本番はスムーズに進みます。
人間関係でも先手です。
仕事でも私生活でも、相手より先に挨拶することを心がけます。
先に挨拶を心がけるだけで「いい人だな」「礼儀正しい人だな」と思われ、人間関係がうまくいくのです。
報告・相談・連絡も、上司から聞かれるまでに、こちらから先に伝えます。
先手を打っておけば、上司は口うるさく言うことはありません。
受験でも、先手を打つことが重要です。
受験は、他の受験生との競争です。
周りの受験生とペースを合わせる必要はありません。
どんどん早めにカリキュラムを進めておくほうがいい。
前倒しで早めに勉強して、積極的にインプットを行い、早めに模擬試験を受けて、弱点を克服します。
先手を打って勉強しておけば、早めに対策ができるし、弱点を克服する余裕も生まれます。
相手より先に行動できれば、こちらの計画をスムーズに実行しやすくなります。
普通に行動するより、先手を打って行動したほうが、自分の立場を有利にすることが可能になります。
主導権を握りやすくなるうえ、時間の余裕も生まれます。
早めにスタートすれば時間の余地が生まれるので、ミスや失敗があっても挽回が可能になる。
熱意や積極性のアピールにもなり、周りからの評価アップにもつながるのです。
まったく単純な話なのです。
明日できることでも、今日できるなら、今日のうちにやりましょう。
相手より先が後かで、評価は正反対です。
少しでも相手より早くスタートを切ってください。
「先手必勝」という言葉はあっても「後手必勝」という言葉はありません。
「先手必勝」という言葉があるように、先手はあらゆることに通じる打開策です。
遅すぎるくらいなら、早すぎるほうがいい。
迷ったら、とにかく先手でいきましょう。
先手を打つことが、うまく生かせることにつながります。
落ち込んだときには、歌ってみましょう。
友人とカラオケに行って、思うがままに歌うことは精神的な健康にとても有効です。
カラオケで歌っているうちに、元気になったという不思議な経験はありませんか。
歌うことは声を出すこと。
声を出すことは、心のごみを吐き出すことだからです。
落ち込んでいるときには、愚痴や不満、たまったストレス、不安がたくさん心に詰まっている状態です。
たくさんのごみがたまっているから、心は重くなり、落ち込みます。
もちろんそんな心のごみを出せればいいのですが、友人にストレスをぶつけるのは、おすすめできる方法ではありません。
では、どうすればいいのかというと、歌うのです。
歌を歌うことは、誰にでもできる簡単な吐き出し方です。
歌詞やメロディーに乗せて、不安、不満、ストレスを、大声で歌いながら吐き出します。
歌えば、声を出すことになりますから、心のごみも自然と吐き出せてしまいます。
たまったストレスがある分、歌にも気持ちが入り、うまく歌えてしまうという不思議さ。
歌うことは、健康的なストレス発散法なのです。
ちまたでは「目標を持つべきだ」という声が飛び交っています。
仕事の目標、勉強の目標、遊びや趣味の目標。
自己啓発書でも「目標はないよりあったほうがいい。人生では目標が大切だ」といったフレーズをよく目にします。
目標があると「よし、頑張るぞ!」と気合が入りますね。
大きな励みとなってモチベーションにつながります。
目標を明確にすることで、自分が進むべき方向がわかって安心できます。
努力を向ける対象が明確になることで、集中力もアップします。
見事目標を達成できれば、成長した自分と出会えます。
たしかに目標があることは素晴らしいことなのでしょう。
だからといって、人生に絶対目標が必要というわけではないのです。
目標は、メリットがある反面、デメリットもあります。
それは「不足を感じやすくなる」という点です。
目標があるということは「目標に達していない自分は、理想の自分ではない。中途半端な自分」ということになります。
目標に達していない自分は中途半端に思えるので、現状に満足できず「まだ足りない」「まだできない」と思うことが増えます。
不足を感じたり、余計な自己嫌悪に苦しめられたり、なかなか自分が好きになれなかったりします。
目標のプレッシャーにつぶされ、心の病に陥る人もいるかもしれません。
現状に満足できないと、幸せを感じることも減ってしまうのです。
「目標を立てろ」という声に惑わされないことです。
たしかに目標は素晴らしいものですが、必要というものでもありません。
「目標がない」というのもありです。
目標がなくなれば、不足感や自己嫌悪に苦しめられることがなくなります。
「今のままでいい」「今が理想の自分」ということが増え、充足感や満足感を得やすくなります。
流れに任せて生きるのも悪くありません。
勉強やトレーニングも、目標を設定しないで取り組んだほうが楽しく感じられ、長続きしやすいこともあります。
目標がないことで、思いも寄らない展開が起きることもあります。
トラブルが起こったときは臨機応変で対処すればいいし、それが「塞翁が馬」につながることもあります。
目標がないと怠け者のようなイメージがありますが、誤解です。
目標を立てないで頑張ることも、それはそれで素晴らしいこと。
明確な目標を立てず、のびのび自由にやってみるのも1つの方法です。
目標があるのも素晴らしいですが、目標がないのも素晴らしいのです。
知らない土地で、ふいに道を聞かれることがあります。
その土地を初めて訪れているのですが、見た目なのか雰囲気なのか、地元の人と間違われるのです。
このとき、実際は土地勘がないにもかかわらず、相手の期待に応えたくて臆測で答える人がいます。
これは良くありません。
臆測で答えられると、その人は間違ったところに行ってしまいます。
いつまで歩いても目的の場所が見つからず困惑します。
目的地に近づくどころか、逆に遠ざかってしまうこともあります。
貴重な時間と体力が奪われるのです。
道を聞かれたとき、知らないのなら、臆測で答えません。
正直に「わからない」と答えるのがベストです。
相手は別に何とも思わず「そうですか」と納得します。
それだけのことです。
アパレルショップでも、似たシチュエーションがあります。
色違いの商品がなかったとき、店員さんがお客さんから、入荷の予定を聞かれます。
ここで、実際は入荷の予定がないにもかかわらず「おそらく入荷するはずです」と高めの可能性で答える店員さんがいます。
これはこれで困ります。
期待に応えたい気持ちがあるのはいいのですが、だからといって嘘や適当で答えるのは良くありません。
お客さんは期待して、入荷をずっと待ってしまいます。
相手の期待に応えたい気持ちが強いと、期待できる答え・前向きな返事をしたくなるものですが、やはり正直に答えるのがいちばんです。
入荷の予定がないなら「今のところ入荷の予定はありません」と、嘘偽りなく正直に答えるのがいいのです。
そのほうがお客さんも次のアクションも取りやすくなります。
「入荷しだいご連絡を差し上げます」という答え方も、対応が可能ならありでしょう。
相手の期待に応えたいとしても、だからといって臆測で答えるのはNGです。
臆測で答えるのは嘘を言うようなもの。
それこそ「ありがた迷惑」というものです。
わからないと答えるのは、かっこ悪いことでも恥ずかしいことでもありません。
わからないことは、わからないと答えるのがいちばん。
そのほうが誠実な印象を与えます。
「答えられなくてごめんなさい」と言えば、誰でも快く承知してくれます。
相手を不快にさせることもありません。
曖昧な記憶で自信がないときも、無理に答えないのがベターです。
「記憶に自信がありません」「別の人に聞いたほうがいいと思う」といった正直な答え方をするのが得策です。
失礼なことでも何でもないし、それで相手を失望させたり不快にさせたりすることもないのです。
「褒めてくれない」と言う人がいます。
褒めてくれないという人は、褒めていないのです。
褒めてほしいと願うばかりで、自分からは何もしません。
まずテイクが先に来ていて、求めるばかりになっています。
褒めてほしいと思うばかりではいけません。
褒めてもらいたいなら、褒めていくことです。
人と接するなか、相手の良い点を見つけたら、どしどし褒めていきましょう。
どんな人にも、必ず1つは良いところがあります。
性格でもいいし、能力でもいいし、仕事ぶりでもいい。
持ち物でもいいし、ファッションでもいいのです。
「いいね」「素晴らしい」と思うところが見つかれば、積極的に褒めていきましょう。
ちなみに目上の人を褒めるのは失礼に当たるので「褒める言葉」ではなく「認める言葉」をかけるとうまくいきます。
「いつも仕事が速いですね。さすがですね」
「チャレンジがすごいですね。私も見習いたいです」
「すてきなお洋服ですね。どこで買われたんですか」
「字がきれいですね。何かされていたんですか」
「いつも机の上がきれいですね。きれい好きなんですね」
「アイデアがすごいですね。何かコツがあるんですか」
上手に褒めると、相手は笑顔を見せてくれます。
褒め言葉に加えてプラスアルファのコメントがあるといい。
さらに相手に喜ばれ、コツや方法を快く教えてくれるでしょう。
すると、今度は逆に褒められるようになります。
「あなたも○○がいいですね。○○がすてきですね」と言われるようになります。
褒めることで自然と明るい雰囲気も出るし、相手からの印象も良くなります。
たくさん褒めると、それだけたくさん褒められるようになります。
褒める人は、必ず魅力的な人になるのです。
あなたは今日、怒りを我慢しました。
本当にいらいらしたし、むかむかしました。
爆発寸前のところでしたが、ぎりぎりのところで感情を抑えました。
それは良いことです。
怒りを爆発させたら、あとから必ず悔やむことになります。
「あんなこと言わなければ良かった」「あんなに怒らなければ良かった」と、自己嫌悪に悩まされます。
事を荒立てることになり、自分の醜態が恥ずかしくなります。
人間関係が悪くなるし、自分のことも嫌になるし、いいことはありません。
怒ったら後悔するのをわかっているので、きちんと我慢しました。
余計な後悔をしなくて済んだのです。
怒りを我慢できたら、自分を褒めてください。
きちんと感情をコントロールできたということです。
感情のコントロールは大人のなせるわざです。
感情を抑えても、誰も褒めてくれません。
怒りの我慢は、一見すると、平凡に見えます。
目に見える仕事ぶりがあれば周りは褒めてくれますが、怒りの我慢は目に見える仕事ぶりがないので誰も気づきません。
だから自分が褒めるのです。
その習慣をこれからも続けていきましょう。
さて、怒るのを我慢ができても、そこで終わりではありません。
怒るのを我慢をした分、ストレスはたまっているので、上手に発散させていきましょう。
おすすめは、趣味や運動です。
どちらもストレスを発散させるには効果的です。
気が済むまで思いきり打ち込みましょう。
へとへとになるまで楽しんでください。
そういうときは、普段以上にはかどるし、上手にストレスも発散できるのです。
汗が流れる量に比例して、ストレスも流れるのです。
秘密主義な人がいます。
秘密主義な人は、何でも秘密にしておく考え方を持っています。
仲良くなって、いろいろな話をすることはあっても、自分のプライベートとなると話そうとしません。
年齢も秘密、家族構成も秘密、仕事も秘密、住んでいるところも秘密、週末の過ごし方も秘密。
プライベートを聞かれても、言葉を濁すのが癖になっています。
その割に人のプライベートは知りたがろうとするのです。
秘密主義な人は、人間関係で孤立しがちです。
結局のところ、心を開いていないのです。
心を開いていない人には、心を開いてもらえません。
大切なことを秘密にするならわかりますが、何でもかんでも秘密にするのも考えものです。
秘密主義な人は、周りからも秘密にされます。
何でも秘密にされると、相手はしらけます。
「あなたは隠すのね。じゃあ私も隠そう」となります。
打ち解けにくい雰囲気が出て、おのずと壁ができるのです。
人から愛されるのは、オープンな人です。
オープンな人は、自分のことをどんどん話します。
年齢、家族構成、仕事、住んでいるところ、週末の過ごし方。
プライベートなこともどんどん話します。
もちろん何でもあけすけに話すわけではありません。
知られたくないことや伏せておきたいことは、最低限の情報にします。
重要なことは秘密にしつつも、できるだけオープンを心がけるということです。
オープンに話すことでお互いの壁が取り払われ、おのずと心の距離が近づきます。
こちらのプライベートを話すと、相手も「じゃあ私も話そう」となります。
心理学でいう「自己開示」です。
心を開く人には、心を開いてもらえます。
こちらからプライベートを話すと、相手もプライベートを話してくれるのです。
本当の自分に気づきましょう。
私たちは、ポジティブな自分だけ認め、ネガティブな自分は否定しようとする傾向があります。
明るいときや元気なときの自分こそ「本当の自分」と考えようとします。
そう思いたい気持ちもあるでしょう。
明るく元気であるほうが、幸せな雰囲気があるからです。
日記には、明るい話だけ書こうとするでしょう。
写真撮影のときは、笑顔になろうとするでしょう。
SNSでは、嬉しい出来事を投稿しようとするでしょう。
もちろん明るくポジティブであることは悪いことではありません。
しかし「ポジティブは良いこと。ネガティブは悪いこと」という考えに縛られすぎていませんか。
本当の自分に気づきましょう。
明るいときや元気なときだけが、自分ではありません。
暗いときも落ち込んでいるときも自分です。
人間ですから、暗くなるときもあれば、落ち込むこともあります。
暗いときや落ち込むときがあるのは、人間らしいこと。
悲しいときもあれば、泣くこともあるでしょう。
いらいらするときもあれば、悔しがるときもあるでしょう。
特別なことではなく、ごく普通のことです。
「暗くなってはいけない」「落ち込んではいけない」と思っていると、人間らしさを否定することになります。
別に悪いことをしているわけではありません。
気分や感情にはリズムがあり、高いときもあれば低いときもあります。
光があれば、影もあるのが普通です。
ポジティブな自分だけ認めるのではありません。
ネガティブになっているときの自分も認めましょう。
明るいときも元気なときも自分。
暗いときも落ち込んでいるときも自分。
どちらも本当の自分であり、正直な自分です。
どちらの自分も認めましょう。
どちらの自分も好きになりましょう。
ありのままの自分を認めると、心が軽くなり、人生を生きやすくなります。
あなたにとって大事な人は誰ですか。
家族、友人、恋人など、大事な人がいるでしょう。
人の幸せを祈りましょう。
「自分のことで精いっぱい。そんな余裕はない」と思うかもしれません。
人の幸せより自分の幸せが第一、という利己主義な人もいるかもしれません。
たしかに余裕がないときは、人の幸せを祈る余裕はないでしょう。
仕事で忙しくて、ばたばたしているときもあるでしょう。
しかし、一瞬の時間ならあるのではないでしょうか。
ほんの10秒でいいのです。
大事な人の幸せを祈る時間をつくってみてください。
血のつながっている関係でもいいですが、そうでない関係でもいいのです。
人の幸せを祈っていると、不思議と自分も幸せを感じます。
明るい気持ちになり、安らぎを感じます。
祈りは幸福感を高めるのです。
利他の精神は、人の心を豊かにするのです。
祈ることはいつでもどこでもできます。
自宅でも会社でも移動中でもできますね。
1日に1回は、祈る時間をつくりましょう。
祈る相手は、1人だけでなく、2人や3人でもいい。
祈りが天に届けば、状況は良い方向に動いていくでしょう。
人の幸せを祈る時間も、豊かな時間の1つです。
「友達がいます。でも気を遣ってしまいます」と言う人がいます。
一緒にいて気を遣う人は、本当の友達ではありません。
気を遣うということは、相手にまだ心を許していない、完全に打ち解けていないということです。
楽しく話はできていても、まだ遠慮があって、言いたいことが言えません。
わずかながらまだ壁が残っていて、緊張やストレスを感じています。
そういう関係は、おしゃべりを楽しんだ後、疲れがたまっています。
気を張っていることの疲れの波が、あとからどっと押し寄せるのです。
本当の友達は、一緒にいて気を遣わない人です。
まったく遠慮がいりません。
「今度、ご飯行こう」「今から会おう」と気軽に誘えます。
完全に壁がありません。
何でも話せるし、言いたいことが言えます。
何でもさらけ出せて、かっこ悪い姿や恥ずかしい姿も見せられます。
自分のダメなところも受け入れてくれます。
少々失礼なことをしても、相手は笑ってくれます。
一緒にいて自然体でいられ、まったくストレスがありません。
おしゃべりをした後は、疲れが取れ、ますます元気になっています。
それこそが本当の友達です。
あなたの友達と接するとき、どのくらい気を遣うでしょうか。
緊張があったり、気を遣ったりしないといけない状態なら、まだ打ち解けていない証拠といえます。
もっと会う機会を増やしたり、もっとコミュニケーションを増やしたりして、お互いの関係を深めていくといいでしょう。
一方、まったく気を遣わない関係ができているなら、素晴らしい関係となっているはずです。
それこそ本当の友達です。
すでにその人は親友になっているはずです。
ある程度長く生きていると、自分の特徴がわかってきます。
自分の性格もわかってきます。
何が好きで、何が得意かもわかってきます。
何が嫌いで、何が不得手かもわかってきます。
自分のことがわかってくるにつれて「私はこんな人間」と思い始め、そして思い込むようになるのです。
しかし、実際はわかりません。
「私は自分のすべてをわかっている。知り尽くしている」と思うのは早合点です。
往々にして、それは真実ではありません。
良くない思い込みです。
機会がないだけで「気づいていない自分」が隠れている可能性は十分あります。
「私はこんな人間。私は自分のすべてを知り尽くしている」と思い込むと、自分の新たな一面を発見するチャンスを逃します。
いくつになっても「自分にはまだ気づいていない一面がある」と思うことは大切です。
世の中を見渡してみると、未経験のことがたくさんあるはずです。
一度も経験がないことは、すべて「未知の領域」です。
そこには新たな自分が隠れているかもしれません。
つまらなさそうに見えたスポーツも、いざやってみると、意外と楽しくてはまってしまうかもしれません。
自分には向いていないと思っていた仕事でも、いざやってみると意外と相性が良くて、スムーズにいくかもしれません。
難しそうな語学学習も、いざやってみると、最初からすいすいうまくできてしまうかもしれません。
見た目や雰囲気だけで判断するのはNGです。
思いのほか順調に進めていけることはよくあることです。
向いていないと思っていたけれど、実際にやってみると、意外と楽しかったり相性が良かったりすることはよくあることです。
定年退職後に始めた趣味で、思わぬ才能を発見することだってあります。
やってもいないのに「自分には向いていない」と決めつけるのは良くありません。
「私はこんな人間」と型にはめず、勇気を出して、いろいろなことにチャレンジしてみることです。
今まで気づかなかった、新たな自分を発見できるかもしれない。
自分の中に眠っていた才能が開花する可能性もゼロではありません。
「私にはこんな一面があったのか!」と自分でも驚かされるのです。
今までそういう機会がなかったから、知るチャンスがありませんでした。
それはどの年齢でもあり得ます。
世の中のあらゆることを経験したことがある人はいません。
まだまだ自分の中には、知らない一面が隠れています。
「自分のことは自分がいちばんわかっていない」と思うくらいでちょうどいい。
自分に期待すれば、チャレンジ精神がみなぎってくるのです。
自分に厳しい言葉ばかりかけていませんか。
「逃げるな!」
「頑張れ!」
「弱音を吐くな!」
「もっと気合を入れろ!」
「限界に挑戦しろ!」
もちろん自分に厳しい言葉をかけることも大切です。
人から厳しい言葉をかけられるのはストレスですが、自分が自分に厳しく言うなら受け入れられます。
弱気のときや怠けそうになったときには、自分に厳しい言葉をかけると、気持ちが奮い立ちます。
ここいちばんの勝負所では、自分に厳しい言葉をかけることが効果的です。
びしっと心にむちを打つような感覚があって気合が入ります。
勇気を出してチャレンジできたり、山場を乗り越えられたりします。
人生では、自分に厳しい言葉をかけることが有効な場面はたくさんあります。
力がみなぎったりしてきて、成長できる部分もあります。
しかし、自分に厳しい言葉をかけてばかりというのはいかがなものでしょうか。
一時的には効果的ですが、ずっと厳しい言葉ばかりでは、ダメージが蓄積されます。
ストレスでつらくなります。
あまりにひどいと、心が折れてしまうのです。
人間は元来、弱い生き物です。
自分に厳しい言葉ばかりかけていると、自分をいじめることになることもあります。
自分に厳しい言葉をかける人は、他人にも厳しい言葉をかけるようになります。
「私はこんなに頑張っているのだから、あなたもこのくらい頑張るべき」という思考になるのです。
厳しい言葉ばかりではいけません。
時には自分に優しい言葉をかけることも大切です。
「肩の力を抜こう」
「無理は禁物」
「のんびりマイペースでいこう」
「たまには休もう」
「次はうまくいくよ」
自分に優しい言葉をかけると、ほっと気持ちが和らぎます。
癒やされるような感覚があって安心するのです。
自分に優しい言葉をかけられる人は、他人にも優しい言葉をかけられるようになります。
「私もたまには休むことがあるし怠けることもある。だからあなたもたまには休もう、怠けよう」という思考になります。
自分に優しくできる人は、人にも優しくできるのです。
厳しい言葉も大切ですが、優しい言葉も大切です。
どちらも効果的で、どちらも欠かせない言葉です。
大切なことは「使い分け」です。
どちらが大切というより、どちらも大切です。
勝負所では厳しい言葉をかけ、頑張りすぎているかなと思ったときには優しい言葉をかけましょう。
自分にかける言葉をコントロールして、より良い人生を歩んでください。
ブログやSNSでは「思いつくままに書きます。乱雑な文章で失礼します」といった一言から始まる記事を見かけることがあります。
難しいことは考えず「とにかく書いてしまえ」という勢いで書いています。
「とにかく吐き出したい」というときがあって、ほとんど見直しもせず、思いつくまま勢いで書くこともあるでしょう。
とてもいいことです。
これでいいのです。
たいていこういう記事では、よくあるパターンがあります。
思いつくままに書いたものなので、わかりにくいかと思いきや、特にそんなこともなく、普通にすらすら読めます。
話があちこち飛んで乱雑だとしても、意外と話全体の意味は理解できるのです。
なにより面白いし、勢いがあって引きつけられるのです。
支離滅裂な内容もありますが、それもまた味があって面白い。
思いつくままに書くと、余計な情報も含まれたり、話があちこち飛んだりしますが、感情のこもったストレートな内容になります。
それが読者の興味関心を引きつけ、面白くさせるのです。
私たちは文章を書くとき「きれいに書かなければいけない」と思いがちです。
学校教育の中で、きれいに文章を書くことを教わってきました。
正しい文法で書き、起承転結が必要で、正しい日本語で書かないといけないと教わってきました。
きれいな文章を書くと良い点をもらえ、下手な文章を書くと減点されました。
その影響で、ブログやSNSでも「きれいに書かなければいけない」という考えにとらわれている人が多いのです。
そんなことはありません。
思いつくままに書いていいのです。
「整った文章を書かなければいけない」と思うと、肩に力が入り、かえって書きにくくなります。
ブログもSNSも試験ではないのですから、肩の力を抜いて気楽に書けばいいのです。
思いつくままに書くのは気持ちいい。
書くことで、心が浄化されます。
「勢い任せだと余計なことまで書いてしまいそう」「恥ずかしい内容になって後悔しそう」といった不安もあるでしょう。
そういうときは「書いた記事は一度寝かせる」というルールを設けましょう。
書いてすぐ公開しません。
思いつくままに書きつつも、いったん時間を置きます。
最低でも一晩、できれば数日置くのがいいでしょう。
落ち着いてから内容を見直すと、違和感に気づけるので安心です。
勢いに任せて公開するのがNGであって、勢いに任せて書くのはOKです。
つまり「書くときは勢い。公開は一度寝かせる」ということです。
熱い気持ちは、そのときしかありません。
書けるときは、勢いに任せてどしどし書いたほうがいいのです。
私も日頃記事を書くときは、勢いを大切にしています。
「書きたい!」と思ったら、そのままの勢いで書きます。
「きれいに書かなければいけない」という意識はいったん頭の隅に置き、思いつくままに書くのが気持ちがいいのです。
そうするほうがすらすら書けるし、熱のある文章にもできます。
書いているうちに頭も整理され、書き終わった後、自分が「なるほど」と思ってしまうこともあります。
書くことがストレス解消にもなるので、長続きもするのです。
レッテルを貼られました。
マイナスの評価をされてしまうと、がっくり落ち込んでしまいます。
そのレッテルは、もう二度と剥がせないのでしょうか。
いいえ、そうではありません。
相当の努力をすれば、レッテルを剥がすことは可能です。
もちろんマイナスの評価を変えるのは容易ではありません。
一晩二晩でなんとかするのは不可能です。
第一印象を変えるのが難しいように、レッテルを剥がすのも簡単なことではありません。
しかし、レッテルを貼られたからといって、一生続くものではありません。
信頼を取り戻す努力をします。
小さなプラス評価をこつこつ積み重ねます。
積み木を積み上げていくように、1つずつ、また1つずつ。
そうすれば、一度貼ったレッテルでも、剥がすことが可能になります。
あくまで「レッテルを剥がすのは難しい」というだけの話です。
相当の努力をすれば、あとからレッテルを剥がすことは十分可能なのです。
レッテルを貼られて「どうにもならない」とさじを投げるのではなく「見返してやる」という意気込みが大切です。
難しいですが、だからこそやりがいがあります。
名誉挽回を目指して頑張ることも、大きなチャレンジの1つなのです。
家計を節約しようと、契約中のサービスを見直しました。
このとき、次の2つのケースがあるとします。
1つ目は、月額2,000円の映画のサブスクサービスです。
利用頻度は低く、月に1本くらいしか見ていません。
金額の元は取れていません。
単品でレンタルしたほうが安く済ませられます。
2つ目は、月額300円のクラウド型ストレージサービスです。
わずか月額300円で容量128GBのストレージを利用できます。
「いつか使うかな」と思って契約したものの、今まで一度も利用したことがありません。
パソコンや手持ちのスマホの容量が足りなくても、クラウドにあるストレージを利用すれば、補うことが可能です。
さて、これら2パターンがあるとき、最初に着手すべきはどちらでしょうか。
正解は、クラウド型のストレージサービスです。
まったく使っていないからです。
節約するとき、金額の大きなものに目が向きがちで、金額の小さなものは「まあいいか」とスルーしがちです。
しかし大切なのことは「使っているかどうか」です。
映画のサブスクサービスは、多少なりとも利用しています。
鑑賞頻度は月に1本くらいで、元は取れていないにせよ、一応は利用しています。
利用頻度も月によって波もあるでしょう。
先月は1本しか見ていなくても、今月は3本、来月は5本見るかもしれません。
今後の利用頻度を考えると、すぐ解約するのではなく、少し様子見をしても悪くないでしょう。
多少なりとも使っているなら無駄にはなっていません。
一方、ストレージサービスは、まったく使っていません。
まったく使っていなければ、どれだけ金額が安かろうと、完全に無駄です。
まさしくお金の無駄遣いです。
月額300円はわずかな金額に思えますが、まったく使っていないなら、きちんと解約しましょう。
「あまり使っていない」と「まったく使っていない」は、似て非なるものです。
家計を節約するとき、まったく使っていないサービスがあるなら、迷うことなくさっさと削りましょう。
小さな金額でも、お金はお金です。
まったく使っていないものこそ無駄遣いであり、最初に節約すべきところなのです。
電話をかけたとき、相手が小声で「もしもし」と出ることがあります。
ひそひそ話をするときのような小声なのです。
ここで想像を働かせることが大切です。
用事があるからと、いきなりずけずけ用件を話すのは要注意です。
小声ということは「大きな声で話せない場所にいる」ということです。
バスや電車の中かもしれません。
会議中なのかもしれません。
トイレの個室なのかもしれません。
何かの取り込み中である可能性もあります。
1つ言えるのは「あまり良いタイミングではない」ということです。
相手の状況が気になって「何しているの?」「今どこにいるの?」と聞きたくなりますが、要注意です。
聞いてしまうと、相手はそれを説明しなければいけなくなります。
大きな声で話せない場所にいる中で説明するのは少々ストレスです。
こうした場合、いきなり用件を話すのではなく「今大丈夫ですか?」と聞いてみましょう。
相手が大丈夫そうなら、そのまま用件を話してOKです。
大きな声で話せない場所にいても、場所を移動することで、普通に話ができることもあります。
ただし、少しでも都合が悪そうなら、あとからかけ直しましょう。
そのほうが相手も助かります。
相手から言われなくても「都合が悪そうなのであとからかけ直します」と、こちらから先に伝えるのも手です。
相手が「今は都合が悪い」と直接言ってくれるとは限りません。
相手が小声で電話に出たときは、気を利かせたアクションを心がけたい。
これが気遣いです。
相手も助かるのです。
「お酒が飲めないなんて人生損してる」と言う人がいます。
こういうこと言う人は、決まってお酒好きな人です。
たしかにお酒を飲めることにメリットがあるのも事実です。
お酒を飲むと、ふわふわした気分になって気持ちがいいもの。
緊張が取れ、ストレスが和らぎます。
嫌なことも忘れられ、不思議な幸福感に包まれます。
「飲みニケーション」という言葉があるように、お酒があると、人間関係が和らいで仲良くなりやすい力もあります。
ストレス解消にお酒が役立っているという人も大勢います。
お酒が好きな人にとっては、お酒にたくさん助けられているし、多くのメリットを享受しているのでしょう。
お酒が好きな人からすると、お酒が飲めない人は哀れに感じられるのかもしれません。
しかし、だからといって「酒が飲めないなんて人生絶対損してる」というのはオーバーです。
まさしく大きなお世話。
お酒は、絶対飲まなければいけないものではありません。
世の中には、体質的にお酒が飲めない人もいます。
もともとアルコールを分解する酵素が少ないため、少しお酒を飲むだけでふらふらになるのです。
体質的にアルコールを受け付けない下戸の人にとっては、お酒は罰ゲームです。
無理に飲もうものなら、健康を害する原因になります。
お酒を飲めないと人生を損しているといいますが、逆にお酒を飲むことで人生を損している人もいます。
飲酒運転で交通事故に遭った人、アルコール依存症で家族や周りに迷惑をかけている人、肝臓を痛めて寿命を縮めている人。
お酒がマイナスに働くケースもたくさんあります。
お酒を飲む飲まないは、個人の自由です。
お酒を飲まない・飲めないからといって、人生を損しているわけでもないのです。
お酒が飲めないことをからかったり侮辱したりするのは良くありません。
普段そういうセリフを口にしているなら、今すぐやめておくことです。
お酒を飲めない人が聞けば、ひんしゅくを買います。
もちろんお酒を強要するなんてもってのほかです。
お酒は、嗜好品です。
飲みたい人が飲めばいいのです。
「なりたい自分になる」と言う人がいます。
理想とする生き方や憧れている成功モデルがあり、なりたい自分を目指して頑張ることがあるでしょう。
たとえば、ロールモデルがあると、具体的なイメージが湧きやすくなり、どう振る舞えばいいのかわかりやすくなるものです。
「なりたい自分になる」と思ったとき、大きく2つあります。
それぞれ似て非なるものであり、きちんと区別しておく必要があります。
「なれる自分」とは、自分らしさを伸ばしながら理想の自分に近づいていくことです。
たとえば、もともとダンスが得意なら、どんどんダンスに打ち込んで、自分らしく生きるのならいいのです。
趣味としてダンスを楽しむことで人生を充実させることもできます。
将来、ダンスの先生として生きる道もあります。
これは、バラがバラらしく咲くこと、ヒマワリがヒマワリらしく咲くことであり、自然な状態です。
自分の個性や得意を伸ばす生き方は自然であり、努力によって実現できることです。
プロレベルに到達することも夢ではありません。
注意したいのは「なりたくてもなれない自分」です。
テレビや雑誌で憧れの人がいて「いいな、私もあんなふうになりたいな」と、真似をします。
メイク・髪型・ファッションなどを真似して、頑張って近づこうとしますが、ここが落とし穴です。
なかなかうまくいきません。
「似せること」はできても「同じ」にはなれません。
根本が違うからです。
そもそも別の存在だからです。
バラはヒマワリにはなれませんし、ヒマワリもバラにはなれません。
これは自然の摂理です。
どのくらい時間・お金・労力をかければいいかという話ではなく、そもそも無理な話です。
一生かかっても不可能です。
いくら努力しても、実現できないことがあるのです。
「なりたい自分になる」と思ったとき、この点に注意しておく必要があります。
なりたくてもなれない自分になろうとしていないか、振り返ってみてください。
自分とは別の存在になるのではなく、自分の個性や得意を伸ばす生き方を大切にしましょう。
これが「正しい方向に努力する」ということです。
なりたい自分になろうと頑張るなら、実現可能な目標を設定しましょう。
「多忙の毎日でなかなか趣味の時間がありません」と嘆く人がいます。
これは順番が違います。
仕事をしながら空いた時間に趣味を楽しもうとしています。
普通のことに思うかもしれませんが、実はここが落とし穴です。
仕事で忙しいのは当たり前です。
会社や上司から、いろいろな仕事を任されます。
「この人にはまだ仕事をお願いできそう」と判断されると、追加依頼をされ、キャパシティーのぎりぎりまで仕事を詰め込まれる。
仕事優先で生きていると、どんどんプライベートはなくなります。
油断していると、朝から晩まで仕事をすることになり、気づくと、仕事一色の毎日を送っているのです。
これでは趣味の時間がなくて当然です。
異様に労働時間が長くなり、健康で文化的な生き方が損なわれます。
「盆と正月しか休みがない」という状態になります。
寿命を縮めることになって不健康です。
すでに仕事の山に埋もれそうになっている人も多いのではないでしょうか。
本当は逆です。
最初に趣味の時間を確保するのです。
今すぐ趣味の時間を決めてください。
趣味の時間を決めたら、手帳やカレンダーに書き込み、予定を確定させましょう。
「この日は趣味を楽しむ」と決めたら、死守を徹底してください。
最初に趣味の時間を確保しておけば、仕事に埋もれる心配はありません。
スケジュールが管理しやすくなります。
仕事とプライベートの両立を実現できて、メリハリが生まれます。
嬉しいことに、最初に趣味の時間を確保しておけば、がぜん仕事がはかどります。
趣味の時間がモチベーションになるので、やる気と集中力が高まって、しっかり打ち込めるのです。
仕事が大変でも「もう少し頑張れば趣味を満喫できる!」と思えば、底力が出ます。
空いた時間で趣味を楽しむのではなく、最初に趣味の時間を確保しておきましょう。
仕事のやる気と集中力が高まるうえ、趣味の時間も確保できるのですから、これ以上良いことはありません。
趣味の時間を確保するだけでなく、具体的な過ごし方まで決めておくと、さらに効果的です。
「本を読む」「映画を見る」だけでなく「○○の本を読む」「○○の映画を見る」と具体的に決めておくといいでしょう。
健康で文化的に生きるためにも、まず趣味の時間を確保しておくことが重要なのです。
今日も、平凡に仕事が終わりました。
普通に仕事が終わりました。
トラブルもなく、特に変わったこともなく、終日平和でした。
褒められることもありませんでしたが、叱られることもありませんでした。
特に良いところも悪いところもなく、まったく普通でした。
「可もなく不可もなく仕事をこなした」といった1日があるものですね。
淡々と平凡に仕事をして、無事に1日を終えたら、まず喜びましょう。
褒められることはなくてもいいのです。
これといった成果も必要ありません。
問題なく仕事ができたということです。
とりあえずミスもトラブルもなかったのですから、それで十分ではありませんか。
物足りない気がするかもしれませんが、まず普通に仕事をこなし、無事終えられたことを喜びましょう。
そして、それを達成できたことに自信を持ってください。
「可もなく不可もなく」といいますが、それ相応の仕事ぶりがあったはずです。
普通のことに感じられますが、これはこれですごいことです。
そうすれば、また明日の仕事も頑張れます。
可もなく不可もなく仕事をこなすことも、素晴らしいことなのです。
「ありのままの自分で生きる」と言う人がいます。
ありのままの自分で生きることは素晴らしいことです。
自分は自分にしかなれません。
バラはバラであり、ヒマワリにはなれません。
ヒマワリはヒマワリであり、バラにはなれません。
自分らしく生きることほど大切なことはありません。
しかし、ありのままの自分で生きるというとき、少し気になるケースを見かけます。
「ありのまま」という響きがあるためでしょうか。
「そのままでいい」「何もしなくていい」「自然に任せていればいい」と考える人がいます。
ありのままの自分で生きるからといって、努力や向上心は不要と考える人がいます。
これは違うのです。
ありのままの自分で生きるためにも、自分らしさを表現するためにも、やはり努力は必要です。
向上心も必要です。
誰でも得意や長所があります。
何もしないで、自然と能力が伸びることはありません。
自分の得意や長所を伸ばすためには、それ相応の努力が必要です。
才能がある人ほど、才能を伸ばす努力をしています。
自分が進みたい道があるとします。
勝手に道が切り開かれるわけではありません。
自分の道を切り開いて進むためには、大きな努力が必要です。
チャレンジすることで見えてくることがあります。
思ったより楽しく感じたりスムーズにできたりすれば「私はこういうことが得意なんだね」とわかり、自己理解につながります。
チャレンジすることで失敗をすることもありますが、これも大事です。
失敗をすることで自分が見えてきます。
「私はこういうことが苦手なんだね」とわかれば、これはこれで自己理解につながるのです。
苦手なことがわかれば、今後の生き方がうまくなります。
あらかじめ避けたり、得意な人に任せたりなど、対策を打てるのです。
努力や向上心がなくなったら、何も成長しません。
得意や長所も伸ばせません。
現状維持どころか、下降線を下る一方です。
ありのままの自分で生きるとしても、努力と向上心は必要なのです。
禅の教えの1つに「任運自在」という言葉があります。
どうすることもできないことは運に任せようではないか、という考え方です。
「運任せ」といいますが、悪いことではありません。
別の言い方をすると「事の成り行きを、天に任せる、自然の流れに任せる」ということです。
トラブルには、大きく2種類あります。
「どうにかなること」と「どうにもならないこと」です。
どうにかなることなら、もちろん解決に向けてベストを尽くすべきでしょう。
知恵を絞って、あらゆる選択肢を試していくことが大切です。
しかし、どうにもならないことなら別です。
どうにもならないことは、文字通り、どうにもなりません。
悪あがきをしたところで徒労に終わります。
あるいは、まだ解決はできていないものの、やるべきことをすべてやり尽くした、という状況もあるかもしれません。
どうにもならないことは、あれこれ試みるより、自然な流れに身を任せたほうがうまくいくのです。
つまり、いい意味で「ほうっておく」ということです。
私たちは、トラブルが起こったとき、焦ったり不安になったりします。
「なんとかしなければ!」と思うかもしれません。
どうにもならないことだと、どうしていいのかわからずパニックになるでしょう。
しかし、どうにもならないことであれば、そういうときこそ任運自在です。
どうにもならないのですから、あれこれ騒いだところで仕方ありません。
じたばたすることも悪あがきすることもなく、ただ運に任せるのです。
自然の流れに身を委ね、事の成り行きを天に任せましょう。
どっしり構えて「なるようになるさ」の精神でいきましょう。
自然と前向きになれ、未来に希望が持てます。
運に任せると、運がついてきます。
おのずと道が開けていき、良い方向へと進んでいくのです。
自然な流れに身を任せることも許してください。
私たちは大きな流れの中で生きています。
運に任せることも、時には大切なことなのです。
応援の言葉といえば「頑張れ」が定番です。
受験生やスポーツ選手など、努力している人に「頑張れ」と声をかけることが多いのではないでしょうか。
もちろん「頑張れ」という応援もいいのですが、ここに工夫の余地があります。
「頑張れ」は、ごく普通で聞き慣れたセリフです。
応援される側にとってはありきたりに感じます。
嬉しい言葉ではあるものの、特に印象的な言葉というわけでもないので、なかなか心に響きにくいのです。
そこでたまには「頑張れ」以外の言葉で応援をしてみましょう。
応援の言葉はほかにもたくさんあります。
「楽しんでね」
「きっとうまくいくよ」
「リラックス、リラックス」
「普段と同じ調子でいこう」
「肩の力を抜いてね」
「さあ、深呼吸しよう」
「無理しないようにね」
「絶対大丈夫」
「水分補給を忘れないでね」
「他人のことより、自分に集中して」
「これまであんなに努力してきたんだから、うまくいくよ」
「力のすべてを出し切って」
「最高の自分をイメージしよう」
「後悔がないようにベストを尽くして」
「終わったら、焼き肉を食べに行こう」
応援される側は、頑張れ以外の言葉を聞くと、はっとします。
いい意味で「変化球」となり、印象的な言葉になるのです。
頑張れ以外の応援言葉のレパートリーをつくっておくのもいいでしょう。
自分ならどんな言葉で応援されたいか想像してみると、いろいろなフレーズが浮かんでくるはずです。
「そう言ってくれると嬉しい」「その一言で心に火がついた」という言葉で応援したいですね。
自分が言われたい言葉で応援してみると、じんと相手の心に響くでしょう。
「頑張れ」以外の言葉で応援すると、相手は笑顔を浮かべてくれるはずです。
なぜあなたは疲れるのか。
それは「いい人」になろうとしているからです。
みんな「いい人」になろうとしたがります。
いい人になるのが良いことだと思っています。
たしかに嫌な人になりたいと思う人はいません。
嫌な人よりいい人になりたいと思うのは当然のことでしょう。
できるだけ良いイメージを持たれたい。
人間関係では、嫌な人よりいい人のほうが間違いなく人気です。
少しでもいい人になろうとする人が多いはずです。
しかし、実際はどうでしょうか。
いい人になろうとするのは、言うのは簡単ですが、行うのは大変です。
いつもにこにこしていなければいけません。
気に入らないことがあっても、愚痴や不平不満を言えなくなります。
できない仕事や行きたくない飲み会があっても、いい人でありたいがために「ノー」と言えません。
断りたくても断れなくなり、逃げたくても逃げられなくなります。
嫌な態度を見せられなくなり、常に感じのいいことをしなければいけなくなります。
これではストレスがたまるばかりです。
誰でも愚痴や不平不満を言いたくなることはあります。
にこにこできないときもあるし、暗い顔やむっとした表情になることもあります。
断りたいときもあるし、逃げたいときもあります。
態度や言葉遣いが雑になることもあるし、いらいらした態度を見せることもあります。
演じ続けなければいけないうえ、少しでも感じの悪いことをしようものなら、一気に叩かれるのです。
これほど窮屈なことはありません。
いったん「いい人」というイメージができると、ますます厄介です。
良いイメージを保つために、ずっとそれらしく振る舞わなければいけなくなり、強いストレスを強いられます。
何かの過失があってイメージが崩れたとき「あの人はそんな人だったの?」と幻滅されます。
今までのイメージが良かった分、一気に最悪のイメージに突き落とされるのです。
いい人になろうとするのは、なかなか苦労が多くて大変なことなのです。
いい人になろうとするのをやめることです。
できない仕事は、きちんと断りましょう。
無理に引き受けたところで、できないものはできません。
評価が落ちても、事実なら仕方ありません。
行きたくない飲み会も、断りましょう。
付き合いの悪い人と思われても、気にしなければいいことです。
逃げたいときは逃げましょう。
自分の身を守ることも大切です。
たまには愚痴や不平不満を言うこともあっていい。
嫌なことがあれば、誰でも愚痴や不平不満が出て当然だし、それが人間らしいことです。
たまには感じの悪いことをしてもいいと思うことです。
人間ですから、感情的になることもあるし、言葉遣いが悪くなることもあります。
いらいらして態度が悪くなることもあるし、うっかり失敗をすることもあります。
ときどき感じの悪い自分になることを許しましょう。
「人間だからそういうこともある」と思えばいいのです。
「10割のいい人」ではなく「7割のいい人」くらいでちょうどいいのです。
3割くらいはNGがあってもよしとします。
許容範囲を設ければ、肩の力が抜けるし、楽に生きられるのです。
そのほうが、自分らしく生きられるし、よほど人間らしいのです。
「無駄足になった」という声を聞くことがあります。
人を訪ねて足を運んだものの、相手が留守でいないときがありますね。
相手がいたとしても、思うような成果が得られず、手ぶらで帰ることもあるでしょう。
そんなとき「無駄足になった」とため息交じりでつぶやくのです。
しかし、本当にそれは「無駄足」と言えるのでしょうか。
いいえ、誤解です。
少なくとも運動になっているからです。
歩くことは健康のためになります。
遠いところまで足を運んだのなら、それだけたくさん歩いていて、良い運動になっているはずです。
全身の筋肉の7割は下半身に集中しているので、歩くことで多くの筋肉を効率的に動かせます。
考えようによっては「気分転換にもなった」ともいえるはずです。
行き帰りの道では、いろいろな人とすれ違ったり、いろいろな景色が見たりできたはずです。
普段と違った刺激が得られると、良い気晴らしになります。
「無駄足になった」という場面はすべて「運動になった」「気分転換になった」と言い換えられます。
少なくとも運動や気分転換ができているのですから、無駄足になったとはいえません。
世の中に無駄足なんて存在しないのです。