品のない人は、見栄を張った生き方をしています。
少しでも相手より上に見られたいために、高級なものやハイステータスなものに興味があります。
高級ブランド品を持ったり、高級車に乗ったり、高級マンションに住んだり。
高級なものを所有しては、他人に見せびらかします。
自慢話も大好きで、すごいと思われるためにぺらぺら話しては、悦に浸ります。
わからないことがあっても、素直にわからないとは言いません。
知ったかぶりをして、話を合わせようとします。
自分の弱いところは見せず、強いところだけ見せようとします。
比較の世界で生きていて、相手より上に見られようと必死です。
いつも人からの評価や評判を気にしていて、実際以上に自分をよく見せようとするのです。
もちろん自分を大きく見せたい気持ちは、少なからず誰にでもあるもの。
そのためにうわべを取り繕うこともよくあることですが、品のない人は、人一倍気にするのです。
見栄を張ると、ストレスが増えたり、疲れやすくなったりします。
相手より上に立てば優越感を覚える一方、相手より下とわかれば、劣等感に悩まされます。
比較の世界に生きていると、気持ちが安定しません。
繕った自分は、外づらは良くても、偽物の自分。
違和感が残ります。
見栄を張ると、そのために余計な出費が増えたり、固定費が上がったります。
ハイブランドを持ったところで、その人の価値が上がるわけではありません。
身の丈を超えたハイブランドを身につけたところで「豚に真珠」です。
自分の価値が上がったように感じるのは、ハイブランドによる魔法であり、ただの錯覚です。
お金のかかる付き合いが増えたりして、余計なストレスに悩まされたりします。
そしていつかは化けの皮が剥がれます。
見栄を張ったところで長続きしません。
ずっと背伸びを続けていると、いずれ足が疲れて限界が来るように、見栄を張り続けても、いずれ限界が来ます。
「もう疲れた」「もうやめたい」となるのは時間の問題です。
金欠で首が回らなくなったり、ストレスに倒れたりして、繕っていたことが露呈するのです。
品のある人を目指すために大切なのは、等身大の生き方です。
「分相応」ということです。
気取るわけでもなく、無理に自分を大きく見せるわけでもなく、ありのままの自分でいこうとします。
普段の生活も、身の丈に合った範囲を心がけています。
結局のところ、等身大が一番自分らしいことです。
自分に正直な生き方ほど大切なことはありません。
等身大の生き方を心がけると、肩に余計な力が入らなくなり、自然でいられます。
「私は私。ありのままの自分でいく」という価値観で生きることです。
すべてをニュートラルにすれば、心穏やかな生活を送れます。
身の丈に合った生活を送ると、固定費が下がって、余計な出費もなくなって、お金も貯まりやすくなります。
それが品へとつながっていくのです。