親切な人には「親切な行為」があります。
逆はないのです。
当たり前のことですが、ここをきちんと押さえておく必要があります。
いきなり親切になろうとしても、なかなか難しいもの。
親切は心の問題です。
頭に知識を詰め込む勉強とは違います。
親切とは、親切な行動だけではありません。
「親切な声がけ」も親切の1つです。
親切な行動ばかりに注意が向いていて、親切な声がけを忘れていることがあります。
親切な人になるには、どのくらい時間が必要でしょうか。
時間はかかりません。
今すぐ心を入れ替え「過去に受けた親切に恩返しする気持ち」を持ちます。
親切をするために必要なのは何か。
それは「余裕」です。
余裕がないとき、なかなか親切はできないものです。
親切をしようか迷ったら、しましょう。
「迷う」ということは「親切をしたい」という本音がある証拠です。
親切をしたい気持ちを持つことは素晴らしいことです。
あるとき、親切をしたいなと思う場面がありました。
目の前に困っている人がいて、気になって仕方ありません。
「親切をしたい。声をかけようかな……。どうしようかな……」
見返りを期待して親切をする人がいます。
表向きは優しく接していますが、腹の中では別の考えがあります。
「親切をしたら評価されるかもしれない。報酬があるかもしれない」など思いながら行動しているのです。
親切な人になるためには、相手の立場になって考える癖をつけることが大切です。
自分では親切をしているつもりでも、相手にとっては不要だったり、迷惑に感じたりすることがあります。
せっかくの親切が空回りになるのは避けたいですね。
「親切をするのは恥ずかしい」と言う人がいます。
妊婦や高齢者に席を譲ったり団体客のために席を詰めたりすることに照れくさい気持ちがあるのです。
たしかに親切を心がけようとすると、知らない人に声をかけることも多くなります。
「明らかに困っている」「明らかに助けを求めている」というケースであれば迷いません。
すぐ手を差し伸べればいいことです。
「ありがとうございます」と感謝されます。
バスや電車に妊婦や年配者の人が乗ってきたら、席を譲ります。
妊婦は、大きなおなかを抱えて大変です。
年配者も、足腰が弱かったり体力的に不安があったりして、立っていることが難しいことがあります。
あなたが今すぐできる親切があります。
「質問されたとき、丁寧にわかりやすく教える」ということです。
私たちの日常では、人にものを聞かれる場面があります。
親切を心がける際、人を選んだり、態度に差をつけたりしていませんか。
「すてきな人だから親切をする。そうでないなら親切をしない」
「自分にメリットがあれば親切をする。そうでないなら親切をしない」
難しい問題があって、一生懸命答えを考えている人がいます。
「答えは何だろう? どうすればいいのだろう?」と脳をフル回転させています。
なかなか答えが出ない状態が続き、すでに長い時間が経過していています。
『ワンダー 君は太陽』という映画があります。
主人公のオギーは生まれつきの遺伝子疾患があって、人とは違う顔で生まれてきました。
そのためずっと学校に行ったことがありませんでした。
親切の好印象をアップさせるためには、次の3つのポイントを意識しましょう。
(1)きちんと相手の目を見ること
(2)にっこりほほ笑むこと
親切をすれば、感謝の言葉があるもの。
ところが、そうでないときも少なくありません。
「人に親切にしても全然感謝されない」と腹を立てる人がいます。
嬉しいと感じる親切だけではありません。
ありがた迷惑や余計なお節介と感じる親切をされて、ちょっと困ってしまうことがあるのではないでしょうか。
不必要な親切に、何と答えるのかです。
親切な人と知り合いたいならどうすればいいのでしょうか。
まず自分が親切な人になりましょう。
「類は友を呼ぶ」「引き寄せの法則」という言葉がありますが、それは親切でも同じことです。
親切をしたとき、普通は相手から感謝の言葉があります。
「ありがとうございます」という言葉があれば「喜んでもらえた」「親切をして良かった」と思うものですね。
ところが親切をしても、感謝の言葉も何もない、というケースがあります。
親切な人になりたいからといって、むやみに親切を心がければいいわけではありません。
ここが勘違いしやすいところです。
親切を心がける際に大切なのは、相手の立場になって考えることであり、困っている人に対して行うことにあります。
「親切はすべて自己満足でいいんだ」「自分が気持ちいいから親切をするんだ」と言う人がいます。
親切をしても、感謝の言葉がないときもあります。
純粋な気持ちで親切をしても、相手から「いい人ぶっている」と誤解されることもあります。
困っている人がいるので助けようと思って、声をかけます。
ところが、相手からノーサンキューの返事が返ってくることがあります。
「大丈夫です」
困っている人がいるので、親切に声をかけます。
「良かったら○○しましょうか」
こんなとき、いつでも「ありがとう」が返事があるとは限りません。
いつも親切を心がけるばかりではストレスがたまります。
常に親切でいられれば理想的ですが、なかなか難しいものです。
よほど余裕のある人であればできるかもしれませんが、そういう人は限られているでしょう。
親切の習慣は、油断すると元通りになる恐れがあります。
最初はきちんと意識して親切な行動ができていても、しばらくすると気持ちが緩んできます。
いつの間にか過去に受けた親切への恩返しを忘れます。
世の中にはいろいろな親切があります。
一言で「親切」と言っても、私たちが思う以上に多種多様であり、さまざまな事例があります。
・バスや電車に妊婦や高齢者が乗ってきたときは、席を譲る
「日頃からよく親切をされることが多いなあ」
そう思ったとき、気づいてほしいことがあります。
親切は、相手に喜んでもらって終わりではありません。
「一日一善」という言葉があります。
1日に1つだけでも善い行いをして、それを積み重ねていくということです。
1つでも親切ができれば、一日一善を実現できたことになります。
親切な人には「親切な行為」があります。
逆はないのです。
当たり前のことですが、ここをきちんと押さえておく必要があります。
親切な行為はないのに、親切な人になるというのは無理があります。
困っている人を無視したり、人の邪魔をしたりする人が、親切な人になることはできません。
逆に冷たい人・ひどい人だと思われるでしょう。
どれだけ本人が「私は親切な人だ」と名乗ったところで、行動が伴わなければ、口だけの人で終わります。
親切な行為があってこそ、周りから「この人は親切な人だ」と認められるのです。
親切な人になるなら、日頃から親切な行為をし、継続していくことが欠かせません。
親切な行為は難しいように思えますが、心がけることはシンプルです。
「相手の立場になって優しく接すること」
この一点に尽きるのです。
たとえば、電車に妊婦が乗ってきたときは、席を譲ります。
重い荷物を運ぶのに困っている人がいれば、手伝います。
駅のタッチパネル券売機で戸惑っている人がいて、その人から買い方を質問されたときは、代わりに操作して買ってあげます。
どれもれっきとした親切な行為です。
階段の上り下りに苦しむ高齢者に声をかけたり手をつないだりすることも、親切の1つです。
ちょっとしたことであり、難しいことではありません。
思いやりの気持ちは、人の心をつなぎ、温かくします。
相手の立場になって優しく接することは、親切な人になるのはもちろん、円滑な人間関係を築くうえでも欠かせない心がけなのです。
いきなり親切になろうとしても、なかなか難しいもの。
親切は心の問題です。
頭に知識を詰め込む勉強とは違います。
本を読んだからといって、その場ですぐ親切になれるわけではありません。
親切心を養うためには、どうすればいいかわからない人も多いのではないでしょうか。
親切心を養うためにはどうすればいいのでしょうか。
大切なのは「過去に受けた親切への恩返し」という考え方です。
自分の過去を振り返ってみてください。
人は一人では生きていけません。
生まれてからこれまで、多くの人のお世話になってきたでしょう。
数え切れないほど多くの親切に接し、助けられ、支えられてきたはずです。
過去に受けた親切を思い出せば、幸せな気持ちに包まれます。
「あのときは本当に助けられた。なんてありがたいのだろう。私は幸せ者だ」と思うようになります。
そして「恩返しをしたい、社会に還元したい」という考えが芽生えるようになり、これが親切心へとつながっていくのです。
過去の親切と、それをしてくれた人たちを思い浮かべながら親切をしていけばいいのです。
親切をする相手は、親切してくれた本人ではなくてもかまいません。
相手は違っていても、親切をしていくことが大切です。
親切をされた人は喜び、幸せな気持ちに包まれ、いずれ別の人に親切をするでしょう。
親切が社会の中を循環します。
親切の輪がどんどん広がってくのです。
親切とは、親切な行動だけではありません。
「親切な声がけ」も親切の1つです。
親切な行動ばかりに注意が向いていて、親切な声がけを忘れていることがあります。
親切な声がけも親切の1つですから、どんどん心がけていきましょう。
具合の悪そうな人を見かけたら「大丈夫ですか」と声をかけます。
目を赤くしながら仕事をしている人がいれば「お仕事が大変そうですね。たまには休みませんか」と声をかけます。
不安そうにしている人がいれば「大丈夫ですよ。なんとかなりますよ」と声をかけます。
落ち込んでいる人がいれば「元気を出してください。もうすぐいいことがありますよ」と声をかけます。
声がけは、いくらやっても減るものではないのですから、遠慮は不要です。
ちょっとした一言でも、相手にとっては心が救われたり元気をもらったりするでしょう。
「よろしければお手伝いしましょうか」と声をかけて「大丈夫です」と言われたとします。
断られたとしてもいいのです。
親切な声をかけたことになります。
親切な声がけは「防犯」につながることもあります。
たとえば、携帯電話で話しながらATMを操作している高齢者がいれば、振り込め詐欺である可能性があります。
「大丈夫ですか」と声をかけることで、振り込め詐欺の被害を防止に役立つことがあります。
直接声をかけることに抵抗があるなら、お店の人に伝えるのも1つの方法です。
親切な声がけができれば、一日一善を実現できたことにもなるのです。
親切な人になるには、どのくらい時間が必要でしょうか。
時間はかかりません。
今すぐ心を入れ替え「過去に受けた親切に恩返しする気持ち」を持ちます。
そして今すぐ親切な行為を実践してみてください。
親切といっても、いろいろな行為があります。
これだけでいいのです。
その気になれば、今すぐ親切な人になることも可能です。
体を鍛えるには一定の時間がかかります。
知識を身につけるにも勉強が必要で時間がかかり、スキルを身につけるにも相応のトレーニングが必要です。
一方、親切な人になるのに時間はかかりません。
親切な人になるために、特別な知識もスキルも必要がありません。
もちろん資格も免許も不要です。
必要なのは、本人の気持ちと行動だけです。
過去に受けた親切を思い出すのです。
その気になれば、今すぐ親切な人に生まれ変わることも可能です。
「日頃からすでに親切を心がけている」という人もいるかもしれません。
そういう人は、もっと親切な人になることにチャレンジしてみてください。
親切に限りはありません。
できる範囲でいいのです。
親切な人に生まれ変わると意識して、親切を心がけていきましょう。
親切の輪がどんどん広がっていくのです。
親切をするために必要なのは何か。
それは「余裕」です。
余裕がないとき、なかなか親切はできないものです。
自分のことでいっぱいいっぱいのときは、周囲が見えなくなったり、人のことまで気を回す余裕がなかったりします。
困っている人がいても、ぎりぎりの時間で動いているときは、声をかけたくても難しいでしょう。
余裕がないときは、利己的に陥りがちです。
「人のことより、まず自分のこと」となるのです。
親切な人になるためには、余裕をつくっておく必要があります。
余裕をつくるといっても、ちょっとしたことでいいのです。
これだけでも余裕はずいぶん変わってくるものです。
時間の余裕をつくるために、ITツールの活用やシステムの自動化なども検討してみてください。
楽になる方法があるなら、それに越したことはありません。
余裕は、あればあるほど良いものです。
余裕があると、おのずと利他的になるのです。
時間に余裕が生まれると、心にも余裕も生まれます。
心に余裕があれば周囲に注意が向くようになり、親切をするチャンスも生まれるのです。
親切をしようか迷ったら、しましょう。
「迷う」ということは「親切をしたい」という本音がある証拠です。
親切をしたい気持ちを持つことは素晴らしいことです。
せっかく良い心を持っているのに、ふたをするのはもったいない。
いいことができるチャンスです。
自分の気持ちには正直になることが大切です。
人に親切をすれば、きっと相手に喜んでくれるでしょう。
「拒まれたらどうしよう」「ありがた迷惑だったらどうしよう」と不安になることもあるかもしれません。
そんなときは「もし良かったら」の前置きを使いましょう。
相手が親切を不要としているなら「ノーサンキュー」の返事が返ってきます。
選択の余地があれば、相手の迷惑になることはありません。
「もし良かったら」の前置きを使えば、積極的に動けるのです。
マイルールとして「親切をしようか迷ったら、する」と決めておけば、行動も早くなります。
あなたのちょっとしたアクションで、親切の輪が広がります。
自分の気持ちには正直になり、親切をしようか迷ったら、するということにしておきましょう。
あるとき、親切をしたいなと思う場面がありました。
目の前に困っている人がいて、気になって仕方ありません。
「親切をしたい。声をかけようかな……。どうしようかな……」
あれこれ考え、結局声をかけることはありませんでした。
声をかけようかなと迷ったものの、そのときはたまたま余裕がないタイミングでした。
都合の悪いときでした。
ちょっと勇気が出なくて、動けないときもあるかもしれません。
思うだけで終わることがあったとしてもいいのです。
親切をしようか迷うだけでも素晴らしい。
「親切心がある証拠」だからです。
もし親切心がゼロならどうなるでしょうか。
親切をしようか迷うことはありません。
困っている人がいても、何も思うこともなく無反応です。
気づいたとしても、我関せずと見向きもせず、スルーします。
親切をしようか迷ったということは、少なくとも自分の中に親切心がある証拠です。
そんな素晴らしい自分に気づくことが大切です。
親切ができなくても、自分を責めることも落ち込むこともありません。
余裕がないときは、無理をしなくていいのです。
自分を犠牲にしてまで親切することはありません。
勇気が出なくて、動けないこともあります。
次こそは勇気を出せばいいのです。
そのときは親切ができませんでしたが、機会はまだまだたくさんあります。
次のチャンスが訪れたときはさっと動けるよう、日頃から余裕をつくっておきましょう。
見返りを期待して親切をする人がいます。
表向きは優しく接していますが、腹の中では別の考えがあります。
「親切をしたら評価されるかもしれない。報酬があるかもしれない」など思いながら行動しているのです。
残念ながら、見返りを求めて行動しているなら、本当の親切とはいいません。
親切の価値がぐっと下がって半減します。
純粋な気持ちではないからです。
つまり「やましい気持ちがある」ということです。
親切は、純粋に相手を思いやる気持ちがあってこそ成立します。
見返りを期待した親切には、打算や下心があります。
親切心は、相手を思いやるという、純粋な気持ちから生まれます。
せっかく親切ができても、そこに打算や下心があると、行動は素晴らしくても、親切の価値が半減するのです。
もちろん親切は、しないよりしたほうがいいのです。
「やらない善より、やる偽善」です。
何もしないでいるより、小さなことでもいいので具体的にアクションを起こしたほうがいいのは間違いありません。
しかし、本当の親切とは、打算や下心がなく、純粋な気持ち行うものです。
自分にそういう気持ちがないかどうか、いま一度振り返ってみてください。
大切なのは「過去に受けた親切への恩返し」という考え方です。
過去に受けた親切を思い出せば、純粋に恩返しをしたい気持ちが生まれ、親切をしたくなります。
親切は、打算や下心がなく、純粋な気持ちで行うのが理想です。
親切な人になるためには、相手の立場になって考える癖をつけることが大切です。
自分では親切をしているつもりでも、相手にとっては不要だったり、迷惑に感じたりすることがあります。
せっかくの親切が空回りになるのは避けたいですね。
特に注意したいのは「○○すれば喜ぶに決まっている」という考え方です。
決めつけるような考え方は良くありません。
親切かどうか判断するのは、相手です。
自分は親切のつもりでも、相手が嫌がっていたら、ただのありがた迷惑になります。
親切をするうえで意識したいのが「自分がしたいこと」ではなく「相手がしてほしいこと」です。
私たちは、自分がしたいことを優先させてしてしまいがちです。
ここが落とし穴です。
自分がしたいことは、独りよがりで押し付けがましくなる可能性があるため注意が必要です。
親切をするときには「相手の立場になって考えること」が欠かせません。
相手の立場を想像してみると、相手がしてほしいことも見えてきます。
相手がしてほしいことも見えてくれれば、おのずとこちらが取るべき行動も見えてきます。
相手の立場を考え、喜んでくれるだろうと思われるアクションを取ることが大切です。
相手が喜んでくれることだからこそ、親切の意味があります。
想像力をフル回転させて、相手がしてほしいことをしていきましょう。
たとえば、家族や友人が入院することになったときは、お見舞いをすると喜ばれます。
しかし、入院直後・手術直後のお見舞いは、心身に余裕がなく、患者にとってお見舞いが負担に感じられることがあります。
入院直後・手術直後の場合は、すぐお見舞いに行くのではなく、しばらく時間をおいてから行くほうが喜ばれるでしょう。
落ち込んでいるからといって、声をかければいいわけではありません。
早く元気になってもらいたいと思い、自分としては明るい声をかけたいと思いますが、ここがポイントです。
その人から「1人にさせてほしい」「声をかけないでほしい」という様子が見受けられるなら、そっとしてあげましょう。
ほうっておくのは冷たいように思えますが、そうではありません。
誰でも1人にさせてほしいときがあります。
あえて孤独を選ぶ人もいます。
「1人にさせてほしい」「声をかけないでほしい」という様子が見受けられるなら、その気持ちを尊重することが大切です。
前を歩いている人が落とし物をしたら、拾って渡してあげると喜ばれます。
親切な行為として一般的ですが、落とし物の内容によっては、他人に触れてほしくないものもあるでしょう。
そんなときは、拾って渡すのではなく「何か落とされましたよ」と声をかけるだけにしておくのがいいでしょう。
想像力を働かせる必要で、なかなか正解が見えにくいこともあります。
だからこそチャレンジのしがいがあります。
親切をするなら「自分がしたいこと」ではなく「相手がしてほしいこと」を優先させるのが正解です。
「親切をするのは恥ずかしい」と言う人がいます。
妊婦や高齢者に席を譲ったり団体客のために席を詰めたりすることに照れくさい気持ちがあるのです。
たしかに親切を心がけようとすると、知らない人に声をかけることも多くなります。
人見知りや恥ずかしがり屋の人にとって、ハードルが少し高く感じるのかもしれません。
あるいは、わざとらしい行動と感じる人もいるのかもしれません。
人から「いい人ぶっていると思われているのではないか」と感じて、抵抗を覚える人もいるでしょう。
しかし、どれも考えすぎです。
周囲の目を気にしすぎています。
親切を恥ずかしいと思うのは誤解です。
親切は、恥ずかしいことではなく、自然なことです。
悪いことは何一つしていません。
人としても正しい行いです。
思いやった行動をとがめる人はいません。
人は社会的な生き物です。
親切をすることは、間違いなく良いことであり、ごく自然な行為といえます。
そして、かっこいいことでもあるのです。
親切は、表現してこそ意味があります。
親切ができるチャンスがあっても、それを表現しなければ、思うだけで終わります。
いい人ぶっているように感じるとしても、大切なのは本人の気持ちです。
いい人ぶっているわけではなく、純粋な親切心から行動しているなら、恥じることはありません。
慣れていないなら、慣れていきましょう。
最初は恥ずかしくても、何度かやっていると当たり前のことになり、恥ずかしい気持ちもなくなります。
無償の思いやりほど美しいものはありません。
親切は良いことなのですから、笑顔で堂々と行えばいいのです。
純粋な気持ちで行った親切は、良い結果をもたらします。
「明らかに困っている」「明らかに助けを求めている」というケースであれば迷いません。
すぐ手を差し伸べればいいことです。
「ありがとうございます」と感謝されます。
相手が求めていることを理解し、すばやく行動できれば、間違いなく喜んでもらえます。
難しいのは、困っているかどうかわからないケースです。
親切で大切なのは「自分がしたいこと」ではなく「相手がしてほしいこと」であり、相手の立場になって考えることが欠かせません。
相手がしてほしいことを考えても、本当にそれが正しいか、自信が持てないときがあります。
いくら親切とはいえ、ありがた迷惑になることだけは避けたいところです。
そんなときに役立つのは「良かったら」というクッション言葉です。
バスや電車で妊婦や高齢者に席を譲りたいときは「良かったら、どうぞ」を声をかけます。
たくさんの荷物を大変そうに運ぶ人がいれば「良かったら、お手伝いしましょうか」と声をかけます。
道を聞かれたとき、行き先が同じ方向なら「良かったら○○までご案内しますよ」と声をかけます。
団体客がお店に来たとき、自分の両側が開いているなら「良かったら席を移動しましょうか」と声をかけます。
親切を強要するのではなく、あくまで選択の余地を与える言い方のほうがやさしく聞こえます。
「良かったら」というセリフには「都合が悪いなら、どうぞ気兼ねなく断ってください」という意味があります。
親切が不要なら断ります。
OKなら受け入れてくれます。
相手に選択の余地があるので、親切を押し付ける心配がありません。
親切な人になるために、ぜひ口癖にしておきたいクッション言葉なのです。
バスや電車に妊婦や年配者の人が乗ってきたら、席を譲ります。
妊婦は、大きなおなかを抱えて大変です。
年配者も、足腰が弱かったり体力的に不安があったりして、立っていることが難しいことがあります。
さっと席を譲れるのはスマートでかっこいいですね。
助け合う社会につながる、素晴らしいマナーです。
優しい心のあなたなら、日頃から当たり前にできていることでしょう。
さて、席を譲るマナーについてよくある誤解があります。
「席を譲るのは、妊婦や年配者だけ」という思い込みです。
妊婦や年配者に席を譲るのはもちろんですが、その限りではありません。
若者や中年でも、立っているのが大変そうなら、進んで席を譲りましょう。
たとえば、青ざめた顔をしていたり、ふらふら苦しそうな様子があったりするなら、体調が良くないことがうかがえます。
障害を持っていたり松葉づえをついていたりする人もいるでしょう。
車内で倒れると大変です。
「大丈夫ですか。良かったらどうぞ」という一言で席を譲りましょう。
「若い人に席を譲るのはおかしいかな」と思うことはありません。
席を譲る相手は、誰でもいいのです。
たとえ子どもでも、立っているのが大変そうなら、席を譲ってもいいのです。
助け合う社会に年齢は関係ありません。
立っているのが大変そうな人がいるなら、相手の年齢に関係なく、積極的に席を譲りたい。
これが心のバリアフリーです。
席を譲るのは、優しい気持ちの表れです。
気分や体調が悪いときに席を譲ってもらえると、本当にありがたいものです。
席を譲ってくれた人が神様に見えるでしょう。
「席を譲るのは妊婦や年配者だけ」という思い込みがあれば、いま一度アップデートをしましょう。
親切の幅が広がることは素晴らしいことです。
あなたが今すぐできる親切があります。
「質問されたとき、丁寧にわかりやすく教える」ということです。
私たちの日常では、人にものを聞かれる場面があります。
街なかで道を尋ねられたり、職場で仕事のやり方を質問されたりです。
このとき、単に教えるだけでなく、できるだけ丁寧にわかりやすく教えることを意識してみてください。
「丁寧にわかりやすく」という点がポイントです。
「丁寧」と「わかりやすく」という2つの付加価値があります。
これもれっきとした親切の1つなのです。
人から道を聞かれます。
普通に答えるのはもちろんですが、できるだけ丁寧にわかりやすく教えましょう。
「すぐそこ」より「200メートルくらい先」といったほうがイメージしやすいでしょう。
尋ねられた場所が、自分の行き先と同じ方角であれば、途中まで案内するのも素晴らしいことです。
きっと相手は「ありがとうございます」と喜んでくれるはずです。
職場で部下から仕事のやり方を質問されます。
普通に教えるのはもちろんですが、できるだけ丁寧にわかりやすく教えます。
難しい専門用語は使わず、できるだけ平易な言葉を使って説明します。
絵を描いて説明したり、身近な例に置き換えたりなど工夫します。
嫌な態度は一切見せず、にこにこしながら教えることもポイントです。
部下は「ありがとうございます」と喜んでくれるに違いありません。
丁寧にわかりやすく教えることなんて大したことではないと思うかもしれません。
いいえ、そんなことはありません。
教えられる立場としては本当にありがたく感じるものです。
逆の立場になってみるとよくわかります。
あなたが人に迷って道を尋ねたとき、丁寧にわかりやすく教えてもらえると、とてもありがたく感じるでしょう。
あなたが先輩に仕事のやり方を質問したとき、丁寧にわかりやすく教えてもらえると、助かるのではないでしょうか。
あなたがそうであるように、相手もそうです。
人に何かものを教えるときは「丁寧にわかりやすく」という点を意識するとうまくいきます。
丁寧にわかりやすく教えることは、自分にとっても学びになります。
相手の立場を考えたりわかりやすい言葉を選んだりなど頭をフル回転する必要があって、良い勉強になるのです。
経営学の父と称されるピータードラッカーは「人に教えることほど、勉強になることはない」という名言を残しています。
丁寧にわかりやすく教えることも、素晴らしい親切の1つです。
親切を心がける際、人を選んだり、態度に差をつけたりしていませんか。
「すてきな人だから親切をする。そうでないなら親切をしない」
「自分にメリットがあれば親切をする。そうでないなら親切をしない」
意識的に差をつけることもあれば、無意識に差をつけていることもあります。
もちろん人間ですから、好みや好き嫌いは当然あります。
無意識に人を選んだり、態度に差をつけたりすることがあるでしょう。
しかし、やはり相手によって親切の接し方に差をつけるのはイエローカードです。
好みやメリット・デメリットで接し方を変えることは、良いことではありません。
それは打算や下心があるのと同じことになります。
本当の意味で「親切な人」とは言えなくなるのです。
親切を心がける際に大切なのは「分け隔てなく」です。
本当に親切な人は、分け隔てのない親切を心がけます。
困っている人がいれば、性別・年齢・国籍に関係なく、助けの手を差し伸べます。
たとえ苦手なタイプの人でも、困っているなら親切を心がけます。
そうした分け隔てのない親切をするから、多くの人から慕われるのです。
親切な人になるためには、相手が誰であろうと、平等に接することが大切です。
もちろん頭ではわかっていても、なかなかそれを実行するのは難しいでしょう。
人は、感情を持った生き物です。
好き嫌いを完全になくすのは、なかなか難しいのが現実であり、ほぼ不可能に近いことと言えます。
しかし、完全に差をなくすことは難しくても、できるだけ分け隔てなく接することならできるはずです。
いま一度、分け隔てなく接することを意識してください。
「好みの人だから」「自分にメリットがあるから」という理由は忘れます。
差別や偏見を持たず、誰にでも公平に接するよう心がけます。
困っている人なら、相手が誰であれ、分け隔てなく接するようにすることが大切です。
分け隔てのない親切ができる人が素晴らしいです。
ここで思い出したいのは「過去に受けた親切に恩返しする気持ち」です。
過去に受けた親切を思い出せば、自然と恩返しをしたい気持ちが生まれます。
そして、困っている人なら、相手に関係なく助けたい気持ちが湧いてくるのです。
なかなか難しいことであり、簡単にできることではありません。
だからこそチャレンジのしがいがあります。
自分を成長させる機会にもつながるのです。
難しい問題があって、一生懸命答えを考えている人がいます。
「答えは何だろう? どうすればいいのだろう?」と脳をフル回転させています。
なかなか答えが出ない状態が続き、すでに長い時間が経過していています。
それでも諦めないで、ああでもないこうでもないと考え続けています。
もし自分がその答えを知っているなら、親切心から「こうですよ」と教えたくなるかもしれません。
答えを教えてあげれば、喜んでもらえるに違いないと思いがちです。
しかし、そうとは限りません。
ここは注意したいところです。
自分の力で答えを導き出したい様子があるなら、あえて何も声をかけず、そっとしておきましょう。
無視するわけではありません。
優しく見守るのです。
冷たい態度に思われるかもしれませんが、そうではありません。
その人は、自分の力で答えを導き出したいのです。
自分の力で答えを導き出そうと考えているとき、横からぱっと答えを言われると面白くありません。
それこそ余計なお節介であり、ありがた迷惑というもの。
人が成長するのは、一生懸命考えているときです。
ぱっと横から答えを言われると、成長する機会が奪われたことになります。
「どうして答えを言っちゃうのかなあ」「もう少しで答えが出そうだったのに!」とむっとします。
困っている様子があるからといって、助ければいいとは限らないのです。
ああでもないこうでもないという試行錯誤が、人を賢くします。
頑張って考えたからこそ、答えを導き出せたときの喜びや達成感もひとしおです。
本当に困っていて、とにかく早く答えを知りたいというときもあるかもしれません。
答えを知りたいなら、本人から質問してきます。
質問されたとき、丁寧にわかりやすく教えればいいのです。
考えている人に限りません。
大変そうに仕事をしている人、重そうに荷物を運んでいる人、松葉づえをついて階段を歩いている人にも、同じことがいえます。
自分の力で成し遂げようとしているなかで助けることは、本当に親切とはいいません。
優しく見守ることも、親切の1つです。
自分の力で成し遂げようとしているなら、その意思を尊重して、優しく見守るだけにしておくのがベストです。
『ワンダー 君は太陽』という映画があります。
主人公のオギーは生まれつきの遺伝子疾患があって、人とは違う顔で生まれてきました。
そのためずっと学校に行ったことがありませんでした。
そんななかオギーが10歳のとき、学校に行くことを決意します。
初登校の日、ホールルームの時間で担任のブラウン先生が紹介した言葉があります。
「正しいこと、親切なこと。選ぶなら親切なことを」
一見するとどちらも素晴らしいことであり、薦められることのように思えます。
しかし心がけるなら、正しいことより親切なことのほうが賢明と説いているのです。
なぜ正しいことより親切なことを優先させるのか。
何が正しいかは、人によって異なるからです。
自分にとって正しいことでも、相手にとってはそうでないこともあります。
たとえば、運動することは正しいことと思われがちですが、実際は難しい問題です。
先天的な病気のため、運動したくてもできない人もいます。
事情があって運動できない人は、正しいことができないことになります。
世間一般に食事は残さず食べることは正しいこととされていますが、本当にそうでしょうか。
もちろんつくってくださった方々のことを考えれば食べきるのが理想的ですが、難しいケースも少なくありません。
苦手な食べ物で食べられないこともあります。
アレルギーの問題で食べられないこともあります。
食事は残さず食べるべきといいますが、事情を抱える人の場合、正しいことができないことになります。
医療の現場では現在、患者を死なせないことは正しいこととされていますが、これも非常に難しい問題です。
世の中には複雑な事情のため、安楽死を希望している人がいるという事実もあります。
安楽死をめぐっては現在、慎重な議論が行われています。
正しいことは人によってさまざまであり、絶対的な正解はありません。
法律で定められていることであったとしても、世の中には複雑な事情を抱えている人もいます。
何が正しいかは、その人の状況や価値観が関わっているため、正確に判断することが難しい。
正しさを押し付けると、相手を傷つけたり、不快な思いをさせたりすることにもなりかねないのです。
その一方で、親切なことは、正しいことと意味が異なります。
親切なことは、あくまで「相手の立場になって優しく接すること」が前提になっています。
もちろん親切の良しあしも人によって異なりますが、相手の都合を尋ねたうえで行うのであれば、迷惑になる心配もありません。
親切なことは、正しいことと比べ、相手に喜んでもらいやすい。
だからこそ「正しいことより親切なこと」なのです。
正しいことと親切なことは、似て非なるものです。
ブラウン先生が紹介した言葉のように「正しいことより親切なこと」を意識すると、人付き合いがうまくいきます。
そして、上手な生き方ができるのです。
親切の好印象をアップさせるためには、次の3つのポイントを意識しましょう。
手助けの声をかけるとき、きちんと相手の目を見て、ほほ笑みながら声をかけましょう。
そのうえで「もし良かったら」のクッション言葉を添えると、大変スマートです。
「良かったら、お手伝いしましょうか」
「良かったら、ご案内しましょうか」
「良かったら、お教えいたしましょうか」
目をそらしながら無表情で声をかけるのと、相手の目を見ながらほほ笑んで声をかけるのとでは、まったく印象が違います。
やはり笑顔で声をかけたほうが好印象に感じるものです。
笑顔があると、相手も親切を受け入れやすくなり「ありがとうございます」と言いやすくなります。
「良かったら」というクッション言葉を添えれば、押し付けがましくなる心配がありません。
「あなたの希望を尊重します」という意味があります。
不要である場合、相手は断りやすくなり、ありがた迷惑を避けられるのです。
妊婦や高齢者に席を譲るときも、にっこりほほ笑みながら「良かったらどうぞ」と言うと、かっこよく決まります。
温かくて人間味があって優しい印象が生まれます。
声をかけるだけでも親切ですが、笑顔で声をかけると、さらに好印象がアップします。
親切もコミュニケーションの1つです。
笑顔にはポジティブな力があります。
ほほ笑みながら声をかけることで「あなたに喜んでもらいたい」というポジティブなメッセージを伝えられるのです。
親切をすれば、感謝の言葉があるもの。
ところが、そうでないときも少なくありません。
「人に親切にしても全然感謝されない」と腹を立てる人がいます。
「『ありがとうございます』の一言がない、あの人は常識がない、マナーが悪い」と不機嫌な様子です。
これはそもそもおかしいのです。
感謝されないことに腹が立つのは、感謝の言葉があって当然と思っているからです。
何らかの見返りがあると思っているからです。
純粋な親切心ではなく、打算や下心といった邪念があるのです。
親切は、感謝されるためにするものでもなければ、見返り目的でするものでもありません。
あくまで純粋な善意の気持ち、思いやりの気持ちからするものです。
純粋な親切心があるなら、感謝されなくても、腹が立つことはありません。
良いことができたと思えます。
相手に役に立てて良かったと満足できます。
相手が笑顔になってくれれば、それだけで十分と思うのです。
感謝されないことに腹が立つなら、不純な動機になっている可能性が高い。
いつの間にか自分の親切が見返り目的になっていると気づくことです。
大切なのは「過去に受けた親切への恩返しをする気持ち」です。
純粋な親切心でやっているなら、感謝の言葉がなくても、笑顔でいられるのです。
嬉しいと感じる親切だけではありません。
ありがた迷惑や余計なお節介と感じる親切をされて、ちょっと困ってしまうことがあるのではないでしょうか。
不必要な親切に、何と答えるのかです。
まずストレートな言い方には注意しましょう。
「困ります」「やめてください」「ありがた迷惑です」という言い方をする人がいます。
もちろん正直な言葉でわかりやすいのですが、少々とげのある一言です。
相手は悪意があって親切をしたわけではありません。
あくまで純粋な思いやりの気持ちから親切をしました。
相手の気持ちを逆なでしないよう、ここは慎重に言葉を選びたいところです。
人の親切には、まず「ありがとう」と言いましょう。
たとえお節介を感じるものだとしても、第一声は感謝の言葉から始めたい。
まず素直に相手の好意を受け止めることが大切です。
遠慮の一言を伝えるなら、感謝の言葉の後です。
「ありがとうございます。お気持ちは嬉しいのですが」
「ご親切にしてくださりありがとうございます。せっかくのところ申し訳ないのですが」
こういう言い方をすれば、相手を傷つける心配もありません。
相手は「私の親切はちょっと余計だったんだね」と納得して、その後は控えてくれるでしょう。
角を立てないよう、上手な断り方をすれば、その人との関係も長く続くのです。
親切な人と知り合いたいならどうすればいいのでしょうか。
まず自分が親切な人になりましょう。
「類は友を呼ぶ」「引き寄せの法則」という言葉がありますが、それは親切でも同じことです。
親切な人には親切な人が集まります。
心には鉄を引き寄せる磁石のような磁力があり、お互いが引き寄せられます。
似たもの同士はとても気が合い、お互いに好感を持ち、トラブルもありません。
親切な人が親切な人と接すると、居心地が良くて、関係も長続きします。
親切な人同士は磁石のように引き寄せられ、結果として、親切な人には親切な人が集まります。
親切な人の輪も、どんどん広がるのです。
「親切な人と出会ったら、私も親切になれるのに」と言う人がいますが、実際は逆です。
親切な人になるから、親切な人と出会え、仲良くなれます。
親切でない人は、なかなか親切な人と出会えません。
出会ったとしても、お互いの価値観に差があるので、関係が長続きしないのです。
何かを変えるには、まず自分から変わることが大切です。
これを「主体変容」といいます。
親切な人とたくさん知り合うことは、人生を豊かにすることにもつながります。
親切な人と知り合い、仲良くなり、関係を長続きさせたいなら、まず自分から親切な人になるのがベストです。
親切をしたとき、普通は相手から感謝の言葉があります。
「ありがとうございます」という言葉があれば「喜んでもらえた」「親切をして良かった」と思うものですね。
ところが親切をしても、感謝の言葉も何もない、というケースがあります。
無言だったり、ノーリアクションだったりです。
なぜ感謝の言葉がないか。
理由は、大きく2つのケースが考えられます。
いずれのケースも、相手の態度や表情に注目することが欠かせません。
親切をすれば、何でも喜んでくれるとは限りません。
素っ気ない態度だったり、眉間にしわを寄せたりしているなら、余計なお節介だった可能性があります。
相手が「ありがた迷惑です」「余計なお節介です」とはっきり言ってくれるとは限りません。
困っている様子があるなら、余計なお節介だった可能性があると判断できます。
いつのまにか押し付けがましい親切になっているのかもしれません。
残念ですが、そういうときもあります。
親切は、相手の立場を想像し、相手がしてほしいことをするのが基本ですが、失敗することも多々あるもの。
態度や表情から喜んでいない様子がうかがえるなら、今後同じことをするのは控えるのが良いでしょう。
2つ目のケースとしては「感謝の言葉を口にするのが苦手」というケースもあります。
たとえば、シャイな性格で口に出して言えないというケースです。
相手は心の中で感謝はしていても、コミュ障だったり恥ずかしがり屋だったりなど、うまく言えない人もいます。
また、感謝の習慣がなかったり、単に礼儀知らずだったりというケースも考えられます。
世の中には「ありがとうございます」を素直に言わない人が少なからずいます。
「感謝したら負け」という考え方を持っている人もいます。
感謝するのが苦手な人であれば、感謝の言葉がないのも仕方ありません。
あまり深く考えず「そういう人なんだね」「こういうこともあるよね」と思えばいいでしょう。
親切をしたとき、軽く会釈や笑みの表情があるなど、嫌がる様子がないなら、少なくとも迷惑には感じていないと判断できます。
迷惑がっている様子がないなら、今度も親切は続けるのがいいでしょう。
感謝の言葉がないとき、腹を立てるのは良くありません。
親切は、見返りを求めず、相手のためにするものです。
親切をするときに大切なのは、純粋に相手を思いやる気持ちです。
純粋に相手を思いやる気持ちがあれば、感謝の言葉があろうとなかろうと、嫌な気持ちにはなりません。
感謝の言葉がなければ、自分で自分を認める声をかけるでしょう。
「良いことをした」と思えばいいのです。
人から感謝されなくても、心を充足させることができます。
親切は良いことであるのは間違いありません。
感謝のことがないなら、自分で自分を認め、今後も引き続き親切を続けていきましょう。
いずれにせよ、態度や表情から、その理由を読み解くことが大切です。
感謝の言葉がないとき、その理由を考えてみる機会にするといいでしょう。
非言語コミュニケーションを磨くトレーニングにもなるのです。
親切な人になりたいからといって、むやみに親切を心がければいいわけではありません。
ここが勘違いしやすいところです。
親切を心がける際に大切なのは、相手の立場になって考えることであり、困っている人に対して行うことにあります。
いくら親切とはいえ、困っていない人を助けたところで仕方ありません。
ただの余計なお節介です。
たとえば、タッチパネル券売機をすいすい操作している人に「お手伝いしましょうか」と声をかける必要はありません。
「操作はわかっています」と思われるだけです。
困っている様子がなければ、声をかけたところで余計なお節介です。
手際よく仕事をしている人に「こうするんだよ、ああするんだよ」とずけずけアドバイスするのは要注意です。
これこそありがた迷惑です。
単なるアドバイスの押し売りです。
困っていない人に教えたところで仕方ありません。
教え魔は嫌われます。
「そんなことはわかっていますよ」と思われ、かえって仕事の邪魔になるのです。
親切な人になりたいからといって、困っていない人にまで親切を強要するのは良くありません。
親切な行為は、困っている人に行うから意味があります。
困ってもいない人に親切をすると、一方的なお節介になる可能性があります。
かえって相手の迷惑になることがあるのです。
親切をするなら、困っている様子のある人にしましょう。
親切は、相手の立場になって考え「されたら嬉しい」ということをするがいいのです。
「親切なら何でもいい」「とにかく助けさえすればいい」という考えはイエローカードなのです。
親切は、想像力が欠かせません。
相手が求めていることをするから意味があり、喜ばれます。
この人は「困っているに違いない」という自分勝手な思い込みがあってはならないのです。
「親切はすべて自己満足でいいんだ」「自分が気持ちいいから親切をするんだ」と言う人がいます。
親切をしても、感謝の言葉がないときもあります。
純粋な気持ちで親切をしても、相手から「いい人ぶっている」と誤解されることもあります。
そういったときでも、自己満足の親切であれば平気です。
傷つくことも落ち込むこともありません。
「良いことができた」という快感があり、嬉しい気持ちに浸れます。
「親切は、しないより、したほうがいい」「どんな形であれ、親切はしたほうがいい」という声が多いのも事実です。
自己満足という考え方は、親切のモチベーションとして悪くないように思われます。
しかし、ここが重要なポイントです。
やはり自己満足の親切は、できるだけ避けておくのが賢明です。
自己満足の親切は、相手にとってはありがた迷惑になるケースがあるからです。
良かれと思ってやったことでも、相手がそれを必要としていないなら意味がありません。
単なる空回りで終わります。
喜んでもらえないどころか、むしろ不快感を与えてしまうこともあります。
「親切したつもりが実は逆効果になっている」というケースがいちばん怖い。
自分は気持ちよくて満足ができても、相手の迷惑になっては本末転倒です。
往々にして自己満足の親切は、ありがた迷惑になりがちです。
親切で大切なことは「自分がしたいこと」ではなく「相手がしてほしいこと」です。
親切は、相手の立場を想像して、相手が望んでいることを察することが重要なのです。
「親切になるかどうか判断が難しい」という声もあるでしょう。
そういうときに役立つのは「良かったら」の一言です。
「良かったら、お手伝いしましょうか」
「良かったら、私が持ってきましょうか」
押し付けがましくならないよう、クッション言葉を添えましょう。
相手が不要と思えばノーの返事があるし、必要と思えばイエスの返事があります。
相手が喜んでくれるような親切を実現するためにも、自己満足の親切には注意しましょう。
困っている人がいるので助けようと思って、声をかけます。
ところが、相手からノーサンキューの返事が返ってくることがあります。
「大丈夫です」
「自分でやりますから」
「お気持ちだけいただいておきます」
助けたい、力になりたいと思って声がけをしたものの、遠慮されることがあるものです。
強い言葉でびしっと断られることもあるかもしれません。
このときどうするかです。
親切を断られたら、素直に引き下がることが大切です。
相手が遠慮しているなら、親切は不要ということになります。
ここで変に粘ろうとする人がいます。
「まあそうおっしゃらずに」「せっかくですから」「あなたのためを思って」と親切を強要しようとするのです。
これこそ余計なお節介というもの。
無理に助けたところで相手に不快な思いをさせるだけです。
思わぬトラブルに発展する可能性もあります。
親切は、困っている人にするのが基本ですが、その限りではありません。
「困ってはいるが、助けは不要」というケースもあります。
相手に困っている様子があったとしても、ノーサンキューの返事があれば、尊重することが大切です。
「そうですか、わかりました」と引き下がりましょう。
親切を断られても、落ち込む必要はありません。
その人に親切は不要だったというだけのことです。
そっとしておくのが賢明なのです。
親切を断られても、その人に腹を立てません。
「親切で言っているのに!」「優しく声をかけているのに」「人の親切を何だと思っているの」と思うのはNGです。
ちょっと言葉遣いが悪くて、角の立つ言い方をする人もいます。
相手から強い言葉で断られるとむっとするかもしれませんが、深く気にしないのがいちばんです。
困っている人がいるので、親切に声をかけます。
「良かったら○○しましょうか」
こんなとき、いつでも「ありがとう」が返事があるとは限りません。
あっさり断られることもあります。
「大丈夫です」「結構です」「必要ありません」と遠慮されるのです。
そんなとき、がっくり肩を落として「もう今後は親切を心がけるのはやめよう」と考える人がいます。
「自分の声がけは、間違っていたのかな。余計なお世話だったのかな」と考えるのです。
これは誤解です。
遠慮されたからといって、親切の習慣をやめてしまうのはもったいない。
たまたまその人にとって親切は不要だったというだけのことです。
いつでも親切がうまくいくとは限らない。
誰にでも喜んで受け入れてもらえるわけではないのが、親切です。
声をかけても、断られることはよくあることです。
何か悪いことをしているわけではありません。
親切の声がけそのものは間違っていることではなく、むしろ素晴らしい心がけです。
純粋に相手のことを思いやって優しく接することは良いことです。
親切の押し付けはよくありませんが、遠慮されて素直に引き下がるなら迷惑にはなりません。
親切を断られたからといって、親切の習慣をやめる必要はありません。
たまたま今回は遠慮されただけであり、世の中には親切を喜ぶ人は大勢います。
断られたとしても、声をかけられた自分に自信を持ってください。
親切を断られたとしても、落ち込まず、今後も親切の習慣を心がけていきましょう。
いつも親切を心がけるばかりではストレスがたまります。
常に親切でいられれば理想的ですが、なかなか難しいものです。
よほど余裕のある人であればできるかもしれませんが、そういう人は限られているでしょう。
疲れているときもあれば、忙しくて時間がないときもあります。
体力に余裕があっても、精神的に余裕がないときもあるでしょう。
自分のことでいっぱいいっぱいで、困っている人がいても、手を差し伸べる余裕がないときもあるのではないでしょうか。
そんなときは、親切をお休みしましょう。
親切は、お休みすることもあっていいのです。
親切は、義務でも強制でもありません。
親切が「する」ではなく「しなければいけない」になると、つらくなります。
せっかく相手を幸せにできても、自分が不幸になっては本末転倒です。
困っている人をスルーした自分を責める必要もありません。
常に親切でいられるのは、聖人君子だけです。
「今は私もいっぱいいっぱいです。ごめんなさい」でいいのです。
サボるわけではなく、力を抜いて受け流すということです。
親切をお休みしても、人から嫌われることはないので大丈夫です。
親切は、自己犠牲をしてまでするものではありません。
親切は素晴らしいことですが、義務や強制になるのは良くありません。
いっぱいいっぱいのときは、無理をしないのがいちばん。
再び余裕を取り戻せたら、また親切を心がけていきましょう。
親切をお休みすれば、また親切をしたくなるのです。
親切の習慣は、油断すると元通りになる恐れがあります。
最初はきちんと意識して親切な行動ができていても、しばらくすると気持ちが緩んできます。
いつの間にか過去に受けた親切への恩返しを忘れます。
競争社会の中で生きていると、他人と比較することも多くなり、人に対する思いやりが後回しになりがちです。
自分優先の利己的な考えが強くなり、だんだん親切の頻度が減ります。
気づくと、親切の習慣がなくなっているのです。
これほどもったいないことはありません。
どれだけ素晴らしい心がけも、途中でやめてしまったら意味がありません。
親切の習慣がなくならないようにするためにも、過去に受けた親切に恩返しする気持ちをときどき思い出しましょう。
自分に優しくして、疲れているときは無理をしません。
アクセルばかり踏むのではなく、きちんとブレーキも踏んで、スピードを調整しましょう。
常に一定の余裕をつくることを心がけます。
たまに親切を休むことはあっても、余裕ができれば、再び心がけましょう。
そうすれば、親切の習慣をキープできます。
意識しなくても親切をすることが普通のこととなって、当たり前の習慣となっているのです。
親切の習慣がしっかり身につけば、自然と体が動くようになります。
たとえば、電車に妊婦やお年寄りが乗ってきたら、とっさに席を譲れるようになれます。
困っている人がいれば、自然と手を差し伸べられるようになります。
「気づいたら親切をしていた」という状態になるのです。
親切をすることが無意識の習慣になったとき、本当の意味で親切な人になったといえるのです。
世の中にはいろいろな親切があります。
一言で「親切」と言っても、私たちが思う以上に多種多様であり、さまざまな事例があります。
世の中に親切の形はいくつあるのでしょうか。
無限にあります。
だからこそ、親切は奥が深いのです。
親切をするうえで心がけたいのは「親切の形探し」です。
親切をしていくのはもちろんですが、親切の形探しも楽しんでいきましょう。
「これも親切になるね」「こんな親切もあるね」と思ったら、ゴーサインです。
小さな親切もあれば大きな親切もあり、わかりやすい親切もあればさりげない親切もあり、親切にはたくさんの形があります。
人の振る舞いを見て「なるほど、こういうやり方もあるのか」とはっと気づくこともあるでしょう。
親切の形に気づいたら、自分も真似をできるようになります。
親切の形を発見することは、親切の可能性を広げることにもつながります。
もちろん余計なお節介は避けるべきですが、相手に喜ばれる親切であれば、どしどし心がけていきましょう。
あなたは今日、どんな親切をしますか。
「日頃からよく親切をされることが多いなあ」
そう思ったとき、気づいてほしいことがあります。
親切は、相手に喜んでもらって終わりではありません。
親切には波及効果があります。
親切には、人から人へ伝わって広がっていき、世の中を循環する特徴があります。
1人に親切をすると、その人は3人に親切をします。
その3人は、また別の3人に親切をします。
バトンリレーのように人から人へと伝わり、同時に広がります。
そして自分のやった親切は、世の中をぐるっとまわりめぐって、自分のところに返ってくるのです。
これがペイフォワードです。
だから親切な人は、どんどん親切をされるようになるのです。
「私は親切をされることが多い」と思うなら、その人は日頃からよく親切をしています。
「私は特に何もしていない」と思うなら、親切が完全に習慣化されていて、無意識にたくさん親切をしているのです。
これほど素晴らしいことはありません。
その調子で親切の習慣を続け、どんどん世の中に親切を広めていきましょう。
ペイフォワードの精神を忘れずに行動してください。
親切とは、温かい心のリレーなのです。
「一日一善」という言葉があります。
1日に1つだけでも善い行いをして、それを積み重ねていくということです。
1つでも親切ができれば、一日一善を実現できたことになります。
今日、誰かに親切をしましたか。
まだしていないなら、ぜひ今からでも誰かに親切をしてみましょう。
まだ間に合います。
日付が変わるまでまだ時間が残っています。
無理に親切をする必要はありませんが、困っている人がいれば、ぜひ積極的に動きたい。
注意深く周囲を観察していると、意外といるものです。
ちょっとしたことでいいのです。
エレベーターに乗るとき、駆け寄ってくる人がいれば「開」のボタンを押して待つだけでもいい。
根を詰めて頑張っている人がいたら「無理しないで」と声をかけるだけでもいい。
ドアを開けたとき、後ろに人がいたら、ドアを持って待つことでもいい。
他者に道を譲ることも、親切の1つです。
親切ができたら「今日も良いことができた」と自分を褒められ、自信もつきます。
夜は満たされた気持ちで寝られます。
気持ちよく1日を締めくくれるのです。