いちばん出世する人は誰でしょうか。
学歴が高い人。
精神力が強い人。
新人の気持ちは、常に持ち続けることが大切です。
入社したばかりのころは、誰でも新人の気持ちを持っています。
新人のころは、誰でも初々しい。
「自分は無能な人間だ」
「自分は能力のない人間だ」
「自分には知識も技術も乏しい」
長続きしない人によく見られる特徴の1つ。
それは「義務感」です。
仕事でもスポーツでも何でも、義務感でしていることは要注意です。
調子が悪くても落ち込まないことです。
調子が悪いと、自己管理能力がとぼしくて、自分を責めたくなるかもしれません。
恥ずかしさや罪悪感が出てくることもあるでしょう。
「調子が出ないから仕事もできない」
それは少しおかしな話です。
「体調が悪い」という理由ならわかるのです。
人生では、大きな失敗をしてしまうことがあります。
失敗を経験したことがない人は、1人もいないでしょう。
誤解や不注意による失敗もあるでしょう。
あなたが苦しんでいるのは、体の傷ですか。
それとも、心の傷ですか。
「体の傷」と「心の傷」。
道を歩いていると、道ばたに雑草が生えています。
雑草は、人が育てた草ではありません。
自然に生えた草です。
夢を叶えるために必要なことを一言でまとめます。
それは「行動」です。
どんな夢も、行動がなければ叶いません。
個性を出そうとするとき、考えがちなことがあります。
「人と違うように見られたい」です。
人と同じになると個性がかぶってしまいます。
嫌われる人にある特徴の1つ。
それは、かまってもらおうとする態度です。
もちろん自分を大切にするのはいいのです。
ときどき威張っている人がいます。
一見すると、威張っている人は偉い人のように思えます。
早口で、声も大きい。
ときどき仕事では、無理をしてしまうこともあります。
「よし、今日は特別頑張るぞ!」
気合を入れて、いつもより頑張ろうと思うときがあるでしょう。
「嫌われたくない」
ほとんどの人が持つ気持ちでしょう。
できるだけ人に嫌われるのを避けつつ、できるだけ多くの人から好かれたいと思うはずです。
人生では、誰を信じて生きていくかです。
親を信じる。
友人を信じる。
初めの1歩は誰でも怖い。
どうなるのかわかりません。
どんな雰囲気かわかりません。
叱られたら喜んでください。
幸せを感じてください。
両手を挙げて喜んでもいい。
世の中には「エリートコース」なるものが存在します。
一般的にエリートコースとは「競争を勝ち抜いて、社会的に高い地位を得る道筋のこと」をいいます。
受験戦争を勝ち抜き、一流有名大学を出て、一流有名企業に就職する。
怒鳴りたくなったとき、すぐ気持ちを落ち着かせる方法があります。
怒鳴りたくなったら、上を向いて深呼吸しましょう。
怒っている状態のことを「頭に血が上る」と言います。
金銭感覚を養う基本の1つ。
それは「丁寧なお金の受け渡し」です。
金銭感覚を養いたいなら、丁寧なお金の受け渡しを心がけましょう。
いらいらしたら外に出ましょう。
太陽を背にして、地面に映った自分の影を見ましょう。
ひたすら自分の影をじっと見つめるだけでいい。
ぼける人とぼけない人の、違いの1つ。
それは、スポーツです。
一言で「スポーツ」と言っても、するのと見るのとでは大きく違います。
明るい1日は、どう始めればいいでしょうか。
簡単です。
明るい1日は、誰かを褒めることから始めましょう。
働いて疲れたら、素直に休みましょう。
無理をするのは良くありません。
疲れを感じるのは、しっかり仕事をした証拠です。
人生では、価値観や考え方が変わることがあります。
最初から正しい価値観や考え方が身につけば理想的ですが、なかなか難しいのが現実です。
すべての人は、未熟な状態から始まります。
物語には「主役」と「脇役」が存在します。
一般的に注目を集めるのは、主役です。
仲間たちを引っ張っていく存在であり、物語の中心人物です。
立派な社会人になろうとしていませんか。
親や先生から「社会に出て、立派な社会人になりなさい」と言われていれば、自然と目指す人も多いはずです。
社会に出て、職に就くからには「できるだけ立派な社会人になりたい」と思うでしょう。
誤解が生まれたとき、私たちはこう思います。
「話せばわかる」と。
文字だけでコミュニケーションを取ることがあるでしょう。
私たちは、強い心に憧れます。
多くの経験を積み、メンタルを鍛えて、強い心を持とうとします。
もちろん強い心は大切です。
いちばん出世する人は誰でしょうか。
学歴が高い人。
精神力が強い人。
行動力がある人。
コミュニケーション能力が高い人。
経済的に裕福な人。
もちろんどれも出世につながりやすい人たちですが、もっと意外な人がいます。
よく笑われた人なのです。
よく笑われたくらいですから、出世とは無縁に思うかもしれませんが、誤解です。
よく笑われた人は、悔しい気持ちがめらめら燃えています。
「悔しくてたまらない。笑った人を必ずいつか見返してやる!」
表向きは平静を装っていても、心の中では激しい悔しさでいっぱいです。
しかし、笑われた人は、悔しがるだけで終わりにしませんでした。
悔しさをバネにして、必死で頑張りました。
過去に笑われた経験があるので、すでにメンタルは鍛えられています。
諦めそうになっても「笑った人を見返してやる」という反骨精神で乗り越えました。
ばかで貧乏でかっこ悪くても、悔しさをバネにして未来を切り開いていきました。
すさまじい精神力と行動力によって、どんどん出世したのです。
世の中にいる成功者たちには、よく笑われた経験を持つ人が目立ちます。
無能を笑われたこと。
貧乏を笑われたこと。
壮大な夢を語って笑われたこと。
過去に笑われた経験があり、その悔しさをモチベーションに変えて努力を尽くしました。
だから成功できたのです。
笑われたら、悔し涙を流して終わるのではありません。
悔しさをバネにして、飛躍するモチベーションに変えましょう。
どれだけ悔しい気持ちを持っているかです。
よく笑われたなら、悔しさも特に大きいはずです。
悔しい気持ちは、計り知れないパワーを生み出します。
ばかでもいい。
貧乏でもいい。
かっこ悪くてもいい。
ばかでも貧乏でもかっこ悪くても、それを補える超人的な精神力と行動力があれば、出世の道が開けます。
誰にでも、潜在的な能力が眠っています。
ばかにされた経験は、あなたの中に眠る潜在的な能力を呼び起こすきっかけになります。
潜在的な能力を発揮するなら、悔しさをバネにするのが得策です。
笑われた過去を、黒歴史で終わらせるのではありません。
黒歴史は何のためにあるのか。
それは、あなたの人生を好転させるためにあるのです。
よく笑われた黒歴史がたくさんある人は、実はとんでもない可能性を秘めています。
笑われたらチャンスです。
その悔しさをバネにして、出世のモチベーションに変えましょう。
時間はかかるかもしれませんが、諦めてはいけません。
「いつか見返してやる!」という気持ちを正しい方向に向けて発揮すれば、必ずいつか実を結びます。
よく笑われた人が、いちばん出世するのです。
新人の気持ちは、常に持ち続けることが大切です。
入社したばかりのころは、誰でも新人の気持ちを持っています。
新人のころは、誰でも初々しい。
言葉・態度に注意しています。
素直で謙虚な気持ちを大切にしています。
日々勉強を心がけ、知識や知恵を深めていきます。
丁寧な挨拶を心がけ、マナーや礼儀作法も大切にしています。
未来に明るい希望を持って、目をきらきら輝かせています。
新人は、誰でも希望と可能性の塊です。
新人が入った職場は、ぱっと明るくなるでしょう。
あなたにもきっとそんな時期があったのではないでしょうか。
ところが、入社してしばらく経つと、だんだん新人の気持ちを忘れてきます。
「少しサボっても大丈夫だよね」
「偉そうな態度をしてもいいよね」
「もうこれ以上、頑張らなくても良いよね」
気持ちが緩んで、心が腐り始めます。
油断が生まれ、向上心が失われます。
新人の気持ちを忘れたら、惰性と堕落の始まりです。
言葉や態度がだらしなくなり、初々しさが消えます。
マナーと礼儀作法が低下して、態度が悪くなります。
先輩風を吹かせて、態度が高飛車になります。
仕事の取り組み方も、最善と全力を尽くす姿勢から、最小限の努力で済ます姿勢へと変わります。
仕事の方向性がぶれているため、なかなか思いどおりに評価もされません。
エスカレートすると、ゆくゆく知性も品性もない人間になってしまいます。
「あの人は能力があるけど、ちょっとね」と、陰でこそこそ言われるようになる。
いずれ大きな失敗を招くのは時間の問題なのです。
そこで大切なのが「新人の気持ち」です。
新人の気持ちは、基本であり、永遠に卒業はありません。
どれだけキャリアを積もうと、どんなに出世しようと、新人の気持ちは忘れてはいけないのです。
入社して3年を過ぎても、新人の気持ちを持ち続けましょう。
先輩になって部下ができても、新人の気持ちを持ち続けましょう。
起業して社長になっても、新人の気持ちを持ち続けましょう。
プライベートで習い事教室に通うこともあるでしょう。
習い事教室で初心者から上級者になっても、新人の気持ちを持ち続けることが大切です。
新人の気持ちは仕事の基本ですが、極意でもあります。
新人の気持ちを持ち続けていれば、失敗をすることはあっても、大失敗をすることはありません。
いつまでも新人の気持ちを大切にする人は、右肩上がりの人生も実現ができます。
新人の気持ちは、常に持ち続けなければいけないのです。
「自分は無能な人間だ」
「自分は能力のない人間だ」
「自分には知識も技術も乏しい」
能力不足で嘆いていませんか。
たしかに能力が低いと、なかなか自分に自信も持てないでしょう。
能力は、低いより高いほうが有利。
能力が低いと、できる仕事も限られます。
能力が高くなるにつれて、できる仕事の範囲も広がり、未来を切り開く力にもつながります。
高い能力を身につけている人がいれば、うらやましく思うこともあるでしょう。
「あの人は特別」
「才能があるのだろう」
「育ちが違うから仕方ない」
特別な存在に見えたり、雲の上の人に思えたりするかもしれません。
能力の高い人をうらやましく思うこともあれば、嫉妬心が燃えることもあるかもしれません。
しかし、ここに少し誤解があります。
能力は、何もしないで自然と身につくものではありません。
最初から高い能力を身につけている人は1人もいません。
高い能力を持つ人は、しっかり努力をした結果です。
豊富な知識を身につけているのは、しっかり勉強したからです。
高い技術を身につけているのは、厳しいトレーニングを積み重ねてきたからです。
もちろん才能や適性も関係しますが、関係があったとしても微々たる程度です。
何もしないで能力を身につけたわけではありません。
陰でしっかり努力をした結果です。
つまり、高い能力は血と汗と涙の結晶なのです。
それはあなたにも言える話です。
勝手に能力が身につくものと思わないことです。
能力は、最初からあるものではなく、鍛えて身につけていくものです。
能力は、鍛えて身につけていくものですから、自発的な努力が必要です。
能力不足を嘆く暇があれば、自分から能力を鍛えるアクションを起こしましょう。
知識を身につけたいなら、しっかり勉強をしましょう。
最初から難解な本を選ぶのではありません。
字が小さくて分厚い本は、見ているだけで疲れ、初心者には不適切です。
最初は、初心者向けの本を選んで、勉強を始めるといいでしょう。
字が大きくて読みやすく、薄い本がベターです。
技術を身につけるときも、初歩や基本から始めることが大切です。
いきなり難しいことに挑戦するのは、挫折をしに行くようなもの。
最初は最も簡単なことから取り組み、習熟していくにつれてレベルや難易度を上げていきます。
能力を鍛えるとはいえ、世界一を目指すわけではないはずです。
世界一を目指すなら才能も関係しますが、普通に能力を伸ばすなら普通の努力で十分です。
能力を身につけるのに時間はかかりますが、こつこつ努力を続けていれば、少しずつ確実に伸びていきます。
「才能がない」という弱音は、できる努力を尽くしてから言うセリフです。
まだ努力をしていないなら、努力をしましょう。
能力は、最初からあるものではありません。
鍛えて身につけていくものなのです。
長続きしない人によく見られる特徴の1つ。
それは「義務感」です。
仕事でもスポーツでも何でも、義務感でしていることは要注意です。
義務感でしていることは、長続きしないからです。
もちろん義務感で仕事をするのが悪いわけではありません。
遅刻をすることもなく、淡々と仕事をこなし、大きなトラブルもありません。
これと言って不誠実・不真面目というわけでもありません。
一見すると、義務感で仕事をしていても問題ないように思えます。
しかし、義務感には、ネガティブな気持ちが含まれています。
「一応取り組んではいるが、義務なので仕方なくしている」という状態です。
意欲や熱意は乏しく、テンションも低い。
「できればやりたくない」「仕方なくしている」「こんなことから早く解放されたい」と思っています。
表向きは行動していても、心の中はストレスと嫌悪感でいっぱいです。
義務感なので、成長意欲も乏しく、サービス精神もありません。
義務と思っているので、余計な仕事には取り組みません。
余計な仕事をすると、余計な責任を負うことになりかねません。
あくまで最低限の仕事で済ませようとします。
消極的な姿勢では、ストレスが感じやすい上、たまるのも早くなります。
あるときストレスが限界に達して、途中でやめてしまうのです。
義務感でしていることは、長続きしないのです。
何かを極めたいなら、義務感でするのではありません。
大切なのは「使命感」です。
使命感とは、使命を果たそうとする強い意志です。
使命感のある人は、自分に与えられた仕事を「重大な任務」として考えるため、責任を持って成し遂げようとします。
使命感があると、気迫と根性が生まれます。
使命感があるからこそ、熱意と意欲が生まれ、テンションやモチベーションも高まります。
使命感を持って仕事をすれば、底力が湧いてきます。
使命という認識があるので、手抜きもしません。
つらいことがあっても「これは自分の使命だから」と思うと、気力や精神力が高まり、ストレスにも強くなります。
思うようにいかないことがあっても「これは自分の使命」と思うからこそ、底力が湧いて踏ん張れます。
誰に使命感を与えられるかは、人によって異なります。
上司から与えられた仕事もあるでしょう。
取引先から与えられた仕事もあるでしょう。
天から与えられた仕事という人もいるかもしれません。
与えるのが誰であろうと、使命感を持って取り組むことが大切です。
使命感でしていることは、ずっと続くのです。
調子が悪くても落ち込まないことです。
調子が悪いと、自己管理能力がとぼしくて、自分を責めたくなるかもしれません。
恥ずかしさや罪悪感が出てくることもあるでしょう。
もちろん調子が悪くなる原因が明らかなら別です。
寝不足や飲みすぎなど、調子が悪くなる原因が明確なら、きちんと反省して改善に取り組んだほうがいいでしょう。
調子が悪くなる原因があるなら、調子が悪くなるのも当然です。
しかし、特別な理由もなく、単に調子が悪いだけなら、落ち込む必要はありません。
調子が悪いときは、誰にでもあることです。
人間ですから、たまたま調子が悪いときもあります。
やる気も元気もあるのに、調子が出ないときもあります。
たまたま不運やトラブルが重なって、仕事の歯車が噛み合わないこともあるでしょう。
たとえ能力の高い人でも、やはり調子が悪いときがあるのも普通です。
打率の高いプロ野球選手でも、三振が連続するのは珍しくありません。
シュートに強いプロサッカー選手でも、何度もシュートを外すこともあります。
プロですら調子が悪いときがあるのですから、私たちにあるのも当然のこと。
ですから、調子が悪くても落ち込む必要はありません。
調子が悪いときに落ち込むと、自己嫌悪がエスカレートします。
ネガティブな気持ちが心に広がると、出る元気も出なくなり、ますます調子が悪くなります。
では、こういうときにはどうすればいいか。
調子が悪いときは「仕方ない」「こういうときもある」と前向きに開き直りましょう。
調子が悪くても、難しく考えず、淡々と仕事をします。
スピードは遅くてもいいから、こつこつ仕事をします。
調子の悪さが最悪なら、調子が悪くても影響が出ない仕事に取り組むといいでしょう。
前向きに考えながら仕事をしていると、いずれ調子も出てくるのです。
さて、注意したいのは、調子が悪いときだけではありません。
調子が良いときにも注意があります。
調子がよくても、思い上がらないことです。
調子が良いと、自分は特別な力があって素晴らしいと思いそうになります。
自信を持つのはいいですが、うぬぼれるのは良くありません。
「自分はすごい」「才能がある」「自分は特別な存在だ」といった勘違いをすると、落とし穴に落ちるでしょう。
たまたま調子が出たにもかかわらず、調子に乗って思い上がると、いずれ大きな油断や判断ミスを招くのです。
調子が良いとはいえ、ずっと続くわけではありません。
たまたま気持ちとリズムのテンポが一致して、調子が出ているだけです。
たまたま幸運と奇跡が重なって、普段より仕事の歯車が噛み合っているにすぎません。
調子が良いときは「一時的だろう」「たまたまだろう」「少し運がいいだけ」と考えるのがいいでしょう。
思い上がることなく、謙虚に受け止めるのが得策です。
残念ですが、調子が良い状態はずっと続くわけではありません。
しばらくすると、また元どおりになるでしょう。
「一時的なスピードアップ」と思うのが得策です。
調子が良いのを喜びつつも、謙虚に仕事を進めるのが得策です。
「調子が出ないから仕事もできない」
それは少しおかしな話です。
「体調が悪い」という理由ならわかるのです。
けがや病気など、体調に問題があるなら、たしかに調子も出ないでしょう。
けがや病気でなくても、頭痛・貧血・冷え性といった不調もあるでしょう。
女性なら、生理痛といった避けられない事情もあるはずです。
しかし、体調に問題がないなら話は別です。
体調に問題がないにもかかわらず、仕事をする前から調子を出そうとするのはナンセンスです。
仕事に着手していないなら、調子も出なくて当然です。
調子は、仕事をしながら少しずつ出していくものだからです。
調子が出るまで待っていると、いつまで経っても仕事に着手できません。
仕事をしなければ、変化も刺激もゼロ。
快感も達成感もありません。
調子を出したいなら、まず仕事に着手しましょう。
最初はのろのろしたスローテンポの仕事になりますが、しばらくすると、様子が変わって来るでしょう。
仕事をすると、少しずつ変化が生まれ、前進が感じられます。
「これができた」「ここまで進んだ」「やればできる」という小さな実感が味わえるでしょう。
刺激が生まれ、変化が感じられます。
だんだん心と体が温まってきて、気分も盛り上がってきます。
最初はつまらなくても、仕事を進めていくうちに、楽しさを発見できるでしょう。
じわじわスピードも上がってきて、心地よいリズムも生まれてきます。
そして、調子が出るのです。
調子が出る前に仕事を始めてOKです。
調子がゼロの状態で仕事を始めるほうが普通です。
最初は、簡単で小さな仕事から取り組むといいでしょう。
特にすることがなければ、掃除から始めるのも悪くありません。
仕事が1つ終われば、達成感が得られ、気分が盛り上がります。
「調子が出ないから仕事を始める」でOKです。
調子は、仕事をしながら少しずつ出していくものなのです。
人生では、大きな失敗をしてしまうことがあります。
失敗を経験したことがない人は、1人もいないでしょう。
誤解や不注意による失敗もあるでしょう。
不運や災難による失敗もあるでしょう。
失敗をすると、精神的に落ち込みます。
心がへこんで、なかなか元気が出ず、しばらく落ち込む日々が続くでしょう。
特に重大な失敗となると、立ち上がれないほど落ち込むことでしょう。
不幸と絶望のどん底を味わい、大泣きをすることもあるかもしれません。
「人生が終わった」と思える失敗は、乗り越えられないように思えます。
しかし、諦めてはいけません。
どんな失敗でも乗り越えられる方法があります。
方法はシンプルです。
笑って話すことなのです。
誰でもいいので、自分の失敗を笑って話しましょう。
失敗をネタにして、笑い話にしてしまいます。
「失敗をネタにするのは不謹慎」
「とてもそんな気持ちになれない」
「笑って話すと、縁起が悪い」
そう思うかもしれませんが、意地を張っていると、いつまで経っても乗り越えられません。
騙されたと思って、一度試してみてください。
失敗を面白いネタとして、笑いながら話しましょう。
「ばかな失敗をしちゃったよ!」
「思いきり上司から怒られちゃったよ!」
「反省会で泣いちゃったよ!」
にこにこしながら明るく話しましょう。
自分の失敗をネタにして、とことん笑い話にしてしまいましょう。
心の中では泣いていても、顔は明るい笑顔です。
人ごとのように話すと、客観視ができるようになって、話しやすくなります。
自分の失敗なので、誰も傷つけることはありません。
思いきり自由に話せます。
話すときは、オブラートに包まず、あけすけに話すことが大切です。
笑って話すと、暗い雰囲気が吹き飛び、明るくて楽しい雰囲気が出ます。
笑うことで、心の中に光が広がります。
暗かった気持ちが、だんだん明るくなるでしょう。
ストレスで重かった心が、だんだん軽くなるでしょう。
ネガティブな気持ちが消え、ポジティブな気持ちになるでしょう。
失敗が自分の中で「過去の話」として認識され、ほど良い距離感ができます。
話し終えたときには、すっかり失敗を乗り越えているはずです。
不幸を乗り越えたから、笑って話せるのではありません。
笑って話すから、不幸を乗り越えられるのです。
どうしても今すぐ笑って話せないなら、気持ちが落ち着いてからでもかまいません。
数日ほど時間を置くと、精神的にも落ち着くでしょう。
できるだけ早く人に話すことで、失敗を乗り越えるのも早くなります。
この方法は「失敗」だけでなく「不幸」についても有効です。
真っ黒の記憶でも、あとから白く変えていくことは可能です。
つらい不幸でも、笑って話すと、乗り越えられます。
笑って話す行為には、負の記憶を昇華させる力があるのです。
あなたが苦しんでいるのは、体の傷ですか。
それとも、心の傷ですか。
「体の傷」と「心の傷」。
どちらも傷ではありますが、残り方には違いがあります。
体の傷は、消したくても、一生残ることがあります。
もちろん小さな傷なら元どおりになりますが、大きくて深い傷となると、困難を要することがあります。
たとえば、深い傷や大きなやけどです。
人生では、不遇な事故によって、体に深い傷を負うことがあります。
深い傷も大きなやけども、時間がたてば、傷は癒えて目立たなくなります。
人間に備わった自己修復機能と新陳代謝によって、傷はだんだん回復しますが、100%元どおりにはなりません。
新陳代謝や自己修復機能にも限界があります。
特に皮下組織まで及んでいる深刻な傷は、損傷が激しいため、自己修復機能の限界を超えています。
自己修復機能そのものが壊れているため、自己修復ができないのです。
美容整形や皮膚移植に頼っても、残念ながら、ある程度の傷跡が残ります。
どんな方法でも手術跡が残るため、傷跡を100%元どおりにするのは難しい。
目立たなくすることはできても、完全に消すことは、現在の医学技術では不可能です。
体の傷は、消したくても、一生残ることがあるのです。
しかし、心の傷は違います。
心の傷は「完全修復が可能」という特徴があります。
人には「忘れる」という能力があります。
人に傷つくことを言われてショックを受けても、時間がたつと忘れます。
恨みや憎しみが生まれても、許してしまえば、心の傷もなくなります。
本人さえ意識すれば、一瞬や短時間で傷が消えることもあります。
恋人から振られて失恋しても、治癒は可能です。
そのときは絶望を感じて涙が止まらなくても、完全修復は可能です。
時間がたつにつれて、だんだん悲しみから立ち直っていきます。
心の傷もゆっくり癒えます。
最終的には完全に立ち直り、けろりとしているでしょう。
あれほど悲しくて泣いていたにもかかわらず、当時の悲しい感情さえ思い出せなくなるほどです。
失恋が笑い話になっていることすらあります。
嫌なことは、忘れることでなくなります。
憎しみは、許すことで昇華されます。
失敗体験は、成功体験を重ねることで上書きができます。
たとえトラウマでも、修復は可能です。
正しい心理療法を根気よく続けていくことで、トラウマでも消すことは可能です。
心の傷があっても、どうか諦めないでください。
「一生残る」と思ってはいけません。
「一生残る」と思って諦めると、本当に一生残ってしまいます。
心の傷は、大きくて深いものでも、一生残るわけではありません。
大切なことは「諦めないこと」です。
忘れる、許す、時間に頼る、成功体験を重ねる、時には心理療法に頼る。
さまざまな方法を駆使すれば、どんな心の傷も、いつか消えます。
心の傷は、体の傷より長く残りやすい特徴があるものの、完全修復の可能性は、心の傷のほうがあります。
心の傷は、諦めなければ、いつか消えるのです。
道を歩いていると、道ばたに雑草が生えています。
雑草は、人が育てた草ではありません。
自然に生えた草です。
雑草は自然に生えた草であり、人の助けはなく育っています。
「雑草」という響きのためでしょうか。
価値のないものと思いがちです。
雑草を見て「邪魔だな」「余計な草だな」と思う人もいるかもしれません。
しかし、道ばたに生える雑草をばかにしてはいけません。
必死で生きようとする生命力にあふれているからです。
肥えた土でも耕された土地でもないのに、きちんと芽を出して、青々とした葉を伸ばしています。
ひび割れた道路の、わずかな隙間から芽を伸ばし、上に向かって大きく成長しようとしています。
中には、コンクリートを突き破って成長している雑草も見かけます。
雑草は一言も言葉を発していませんが、その様子から「意地でも生き抜いてやる!」という強さが感じられます。
雑草は、小さいながらも頑丈です。
風が吹こうと吹き飛ばされません。
雨が降ろうと流されません。
土砂降りの雨が降って、地面が水浸しになっても、土が乾いたら再び成長を始めます。
たとえ車が通ってタイヤで踏みつぶされても、しばらくたてば体勢を立て直し、成長を始めます。
「最後の最後まで諦めない。絶対生きて、生き抜いてやる!」という強さが感じられます。
なんとたくましいのでしょう。
なんと素晴らしい生命力なのでしょう。
「たくましさ」「粘り強さ」という点では「人間を超えている」と言っても過言ではありません。
「たかが雑草」と軽く考えないことです。
雑草は、生命力の塊です。
雑草を見かけることがあれば、少し立ち止まって、その生命力を見習ってください。
落ち込んでいるときは、雑草を見つけに出かけましょう。
生き生きとした雑草から元気をもらえるでしょう。
自分にも生命力が伝わってきて、ポジティブになってくるでしょう。
雑草を眺めているだけで「私も負けていられない」「私も強く生きよう」という気持ちにさせてくれるはずです。
雑草から「強く生きる力」を学ばせていただきましょう。
雑草は、単なる草ではありません。
生命力を教える教科書なのです。
夢を叶えるために必要なことを一言でまとめます。
それは「行動」です。
どんな夢も、行動がなければ叶いません。
じっとしているだけで夢を叶えるのは不可能です。
神様にお願いをしたり天に向かって祈ったりしても夢は叶いません。
不毛な時間が過ぎていくだけになるでしょう。
じっとしているだけで夢が叶うなら誰も苦労しません。
行動がゼロであれば、夢が叶う可能性もゼロです。
悲しいですが、これは紛れもない事実です。
夢を叶えた人たちを見てみてください。
成功者たちは、行動力のある人ばかりのはずです。
しかも「圧倒的な行動量」が特徴的です。
スポーツ選手や有名アーティストは、圧倒的な行動をしています。
あなたが憧れる俳優やアイドルも、見えないところでは圧倒的な行動しています。
行動していないように見えるのは、見えないところで行動しているだけです。
一見、楽をしているように見える人でも、実は見えないところで行動しています。
「夢の実現は行動がすべてなのか」と思ったあなた。
がっかりすることはありません。
行動が必要であることを「チャンス」と考えてください。
行動がすべてなのですから、逆に言えば、とにかくアクションを起こしていけばいいのです。
過去や学歴は関係ありません。
顔も身長もルックスも関係ありません。
関係あるのは、ひたすら行動です。
時間やお金がなくてもいいですから行動しましょう。
勇気や度胸がなくてもいいですから行動しましょう。
やる気や元気がなくてもいいですから行動しましょう。
ばかでも間抜けでも低学歴でもいいですから、とにかく行動していきましょう。
行動力は、あなたしだいです。
行動は、生まれも育ちも関係ない要素ですから、とにかく愚直に行動していけばいいのです。
行動すれば、必ず夢は叶うのでしょうか。
もちろん行動すれば、100%夢が叶うとは限りません。
残念ながら、行動したからといって夢が叶わない現実があるのも事実です。
しかし、1つ言えるのは「行動しなければ夢が叶う可能性はゼロ」ということです。
少なくとも行動がプラスに働くのは間違いありません。
夢の可能性を上げるためにも、やはり行動が必要です。
頭の中だけで「夢が叶うといいな」とのんきに考えているばかりではいけません。
「夢が叶うといいな」と思う暇があれば、行動してください。
手や足を動かして、物理的なアクションを起こしていきましょう。
現実を変えるのは行動しかありません。
夢は、行動することでのみ、叶えることができるのです。
個性を出そうとするとき、考えがちなことがあります。
「人と違うように見られたい」です。
人と同じになると個性がかぶってしまいます。
同じ個性では、魅力も半減するでしょう。
そのため、意図的にほかの人とは違うことをして、独自の個性や魅力を出そうとします。
このとき「人と違うように見られたい」と考えてしまうのです。
もちろん人と違うように見られたい気持ちが悪いわけではありません。
たしかに同じ個性ではつまらない。
自分だけの個性を出すためには「ナンバーワン」ではなく「オンリーワン」になる必要があります。
わざと人と違うことをすることで、個性の発揮も促されることもあるでしょう。
しかし、ここに落とし穴があります。
「人と違うように見られたい」と考えているうちは、まだ人目を気にしている証拠です。
周りと違ったことをしているつもりでも、実際は人目が気になって仕方なく、周りの影響を受けています。
残念ですが「人と違うように見られたい」と考えているうちは、個性的になれません。
「人と違うように見られたい」と考えるのは「自分に自信がありません」と言っているようなもの。
個性や魅力を出せても、一時的・表面的であり、本物の個性や魅力は出せないのです。
では、本当に個性のある人は、どう考えているのか。
本当に個性のある人は「人と違うように見られたい」と考えません。
本当に個性のある人が心がけていることは、シンプルです。
「見栄や体裁を気にせず、自分の得意や長所に集中して、自分らしさを貫く」
これだけです。
「誰かがしているから自分もする」といった不純な動機はありません。
わざわざ「人と違うように見られたい」とも考えません。
人目を気にせず、周りに流されず、自分の生き方を貫きます。
世の中に同じ人は1人もいません。
世界に80億人がいれば、80億とおりの個性があります。
ですから、自分らしさを突き詰めていけば、必ず人と違う状態になります。
「人と違うように見られたい」と考える暇があるなら、自分の得意や長所に集中して、自分らしい生き方を極めましょう。
あなたの得意は何ですか。
長所は何ですか。
周りに振り回されず、人目も気にせず、自分らしさを突き詰めてください。
誹謗中傷は無視します。
笑われても無視します。
観衆のブーイングも気にしない。
見栄や体裁を捨ててしまえば、束縛から解放され、もっと自由に生きられます。
自分の個性を信じて、わが道を突き進むのみです。
自分の個性は、自分らしい道の先にあります。
嫌われる人にある特徴の1つ。
それは、かまってもらおうとする態度です。
もちろん自分を大切にするのはいいのです。
誰でも自分がいちばんかわいい。
「私をもてなしてほしい。気にかけてほしい。関心を持ってほしい」
誰もが持つ正直な気持ちでしょう。
まず自分を第一に考えるのは、悪いことではありません。
誰でも自分に関心があり、自分を大事にするのは一般的なことです。
しかし、かまってもらいたい言動が過剰になると、話が変わります。
「もっと私をもてなしてほしい!」
「とにかく私を気にかけてほしい!」
「とことん私に関心を持ってほしい!」
かまってほしいという気持ちが強いと、未熟でわがままな印象が出てしまいます。
まだ幼い子どもなら許せますが、年齢を重ねた人となると不自然です。
かまってもらえると、自分が愛されているような感覚があります。
未熟な子どものようにわがままで手がかかり、うっとうしい雰囲気が出ます。
関心があるのは自分のことばかりで、相手に対する配慮や気遣いがない。
「あの人は自分のことしか考えていない」と周りから思われ、人付き合いに摩擦が生まれます。
かまってもらいたい言動が強いと、周りから苦手意識を持たれる原因になります。
わがままを言って甘える子どものような雰囲気が出ます。
「この人といると疲れるな」と思われるため、どんどん人が離れていく。
かまってもらおうとすると、嫌われてしまうのです。
好かれたいなら、逆を心がけましょう。
かまってもらおうとするのではありません。
かまってあげようとするのです。
自分から進んで相手に関心を持ち、もてなすような接し方を心がけます。
おもてなしのキーワードは「サービス精神」です。
サービス精神を意識しながら接すると、心のやりとりが生まれるため、人付き合いが向上します。
たとえば、会話のときは、話をする側より聞く側に回りましょう。
にこにこしながらたっぷり話を聞くことも、おもてなしの1つです。
適度に質問を入れることもポイントです。
たっぷり話を聞き、ときどき質問をすることで、相手は「自分に興味を持ってくれている」と感じ、喜んでくれるでしょう。
相手の外見に変化があれば、すぐ声をかけましょう。
「少し髪が短くなったね」
「今日は特別おしゃれですね」
「今日のメイクはいつもと雰囲気が違うね」
小さな変化にもきちんと気づいて声をかけると、相手はにっこりほほ笑んでくれるでしょう。
素晴らしいところがあれば、きちんと褒めましょう。
「すごいね」
「きれいだね」
「かっこいいね」
相手は「自分が認められた」と感じ、自己肯定感が高まります。
相手の悩み相談にも喜んで付き合いましょう。
できるだけ相手の気持ちに寄り添い、できるだけ共感や励ましの言葉を意識します。
「そうだね」
「大変だったでしょう」
「無理しないでね」
たっぷり話を聞くだけでいいのです。
誰でも自分を気にかけてもらえると嬉しい。
相手が聞きたい言葉を察して、あなたが言うようにします。
相手をもてなすように接すると、自然とサービス精神が表現され、好印象につながります。
「この人といると、いつも心地よい気持ちになる」と喜んでくれるでしょう。
あなたに好印象を抱き、一緒に話していて楽しいと感じるようになります。
かまってあげると、自然と愛情を与える側になれます。
愛情を与える側になると、寛大で心が大きい人に感じます。
かまってあげようとすると好かれるのです。
ときどき威張っている人がいます。
一見すると、威張っている人は偉い人のように思えます。
早口で、声も大きい。
言葉遣いがストレートで、態度も堂々としている。
胸を張っていて、立派な雰囲気を出している。
威張っている人は、自信家に見えます。
威張れるほどの大きな自信があるのだろうと思うかもしれません。
しかし、威張っているから自信や実力があると思うなら誤解です。
わざわざ威張っている不自然な状況に疑問を持ってください。
なぜ威張るのか。
それは、自信のなさの裏返しだからです。
実際より自分を大きく見せるため威張っています。
強そうに見せないと、強く見られません。
偉そうなことを言わないと、偉く見られません。
自分を大きく見せないと、本性がばれそうで怖い。
本当は自信がないので、少しでも自信や余裕があるように見えるよう、虚勢を張っているにすぎないのです。
威張っている人は、意外と気弱な小心者です。
弱い犬ほど、うるさく吠えるのと同じです。
「なめられたくない」という気持ちがあって、虚勢を張るような言動になっています。
威張っている人がいれば「本当は自信がないのだな」と思って間違いありません。
では、本当に自信がある人はどうするのか。
本当に自信がある人は、威張りません。
威張らせてあげようとします。
「さすがですね。すごいですね」
「そうですか。素晴らしいですね」
「ご立派ですね。かっこいいですね」
相手が喜びそうな言葉を並べて、うまくおだてながら威張らせてあげます。
自信がないから威張らせているのではありません。
すでに相手を威張らせてあげるくらいの余裕があるのです。
威張らせているのは、それだけ自信と余裕がある証拠。
その気になればいつでも勝てるので、手のひらで転がすかのごとく、上手に相手を操っているのです。
威張っている人と威張らせている人がいるなら、実際は威張らせている人のほうが実力者と考えていいでしょう。
ゆっくり落ち着いた態度で、にこにこほほ笑みながら威張らせている人がいれば、相当の実力者に違いありません。
あなたは、威張る側ですか、威張らせる側ですか。
威張る側ではなく、威張らせる側になりましょう。
多くの経験を積んで、しっかり自信をつけ、大きな余裕をつくることが大切です。
本当に自信があるのは、威張っている人より威張らせている人なのです。
ときどき仕事では、無理をしてしまうこともあります。
「よし、今日は特別頑張るぞ!」
気合を入れて、いつもより頑張ろうと思うときがあるでしょう。
調子がよくてテンションも高いと、いくらでも仕事ができそうな錯覚を覚えます。
調子がいいときは「できるだけ進めてしまおう」と思い、普段より頑張ろうとします。
もちろん調子に乗って頑張るのはいいのです。
調子が出ると、スピードが出て、集中力も長続きします。
体力と集中力が続くかぎり、仕事もスムーズに進むでしょう。
テンションが上がると心地よい気分になるので、仕事もたくさんしたくなります。
調子に任せて仕事をすれば、いつもより多くの結果を出せます。
調子が出たら「今がチャンス」と思って、特別頑張るのも悪くはありません。
しかし、調子に乗るのはよくても、無理をするのは良くありません。
調子に乗りすぎて無理をしてしまうと、後で不調になるのが定番だからです。
たとえば、調子に乗りすぎて無理をした結果、普段よりたくさん仕事ができたとしましょう。
その日の結果は大きいかもしれませんが、翌日以降が大変です。
仕事時間が長引いたことで、就寝時間も遅れます。
就寝時間が遅れると、起床時間が遅れたり睡眠不足になったりして生活リズムが狂います。
一度生活リズムが崩れると、元に戻すのに時間がかかる。
また、無理をしたせいで体調が悪くなることもあります。
やる気が出にくかったり疲れがたまっていたりして、なかなか調子が出ない。
翌日の仕事が思うようにできなくなり、前日の努力も帳消しになります。
もし風邪をひいてしまえば、数日間、体調不良で苦しむことになるでしょう。
前日の努力が帳消しになるどころか、逆にマイナスになることもあります。
「こんなことになるなら、最初から普段どおりに頑張れば良かった」と後悔することになるのです。
無理をすると、ろくなことになりません。
無理をしてプラスに見えるのは、一時的です。
無理をしたしわ寄せは、必ずどこかで発生します。
短期的にはプラスに見えても、長期的にはゼロやマイナスになることが大半です。
長期的に考えるなら「安定」を第一に考えましょう。
仕事の結果を出すなら、繁忙期や緊急時などの特別な状況を除き、無理をしないのが賢明です。
調子が出て「もう少しできそうかな」と思っても、無理をすることになるなら、控えておくのが得策です。
長期的に結果を出すなら、マイペースが鉄則です。
とにかく無理をしないこと。
少し息切れを感じるなら、わざとペースを落としたほうがいいこともあります。
一時的にマイナスに働いても、長期的にはプラスに働くでしょう。
体調不良によるダウンを防げるので、安定したペースで着実に前進できます。
マイペースが、いちばん結果を出せるのです。
「嫌われたくない」
ほとんどの人が持つ気持ちでしょう。
できるだけ人に嫌われるのを避けつつ、できるだけ多くの人から好かれたいと思うはずです。
相手に嫌われると、自分の存在価値を否定されたように感じます。
ストレスを感じ、気持ちが落ち込みます。
誰でも自分の存在価値を否定されるのは嫌です。
相手を不快にさせるようなことは避けようとするでしょう。
もちろん不快を与えない言動は大切です。
人間関係ではマナーが欠かせません。
言葉や態度に注意することで、できるだけ余計な摩擦を抑えることができます。
良好な人間関係を実現するにも、できるだけ配慮や気遣いといったマナーを心がけることが大切です。
嫌われないようにするために、自分なりにできることはしておいたほうがいいでしょう。
しかし、嫌われたくない気持ちにも限度があります。
「嫌われたくない」と思うと、いつも相手の顔色をうかがわなければいけません。
これは大きなストレスが伴います。
「不快を与えていないだろうか」
「相手に嫌われていないだろうか」
「自分はどう思われているだろうか」
常に不安や恐怖を感じることになるため、なかなか落ち着けず、そわそわします。
配慮が大切とはいえ、嫌われたくない気持ちがエスカレートすると、過剰なストレスが発生します。
ましてや、すべての人の価値観に合わせるのは困難です。
世の中には多種多様な人が存在します。
特定の人の価値観に合わせることはできても、すべての人の価値観に合わせるのは難しい。
いろいろな人の都合に合わせると、身も心も振り回され、八方美人になってしまいます。
度が過ぎると、自分らしさが出せなくなり、つらくなります。
誰にも嫌われたくないという気持ちは素晴らしいですが、現実として不可能です。
「嫌われたくない」と思うから、苦しくなるのです。
「嫌われたくない」という気持ちから解放されましょう。
むしろ逆を考えるのです。
それが「嫌われてもいい」という考え方です。
自分と合う人もいれば、合わない人もいます。
中にはあなたに反抗心や嫌悪感を持つ人がいるでしょう。
それは、珍しいことではなく、よくあることです。
「嫌われてもいい」と思えば、あなたを嫌う人がいても「仕方ない」と割り切れるようになります。
前向きに開き直ってしまいましょう。
「私を嫌いになりたいなら、どうぞ嫌いになってください」と思えばいい。
どうしても価値観の合わない人とは、最低限の接触で済ませればいいこと。
仕事の都合で接しないといけないなら、最低限のやりとりで済ませばいいこと。
挨拶・笑顔・マナーさえ心がけていれば、大きなトラブルに発展することはありません。
「自分を嫌っている人もいる」という現実を肯定したほうが、かえって気持ちが楽になります。
ストレスが増えそうに思えますが、開き直ると、相手の顔色をうかがわずに済むので楽になります。
自分のやりたいようにやれるので、自分らしく生きることができるようになります。
わざわざ嫌われている人に迎合する必要もありません。
自分と合う人とだけ、仲良くなればOKです。
「嫌われてもいい」と思えば、楽になるのです。
人生では、誰を信じて生きていくかです。
親を信じる。
友人を信じる。
恋人を信じる。
信じる人が多ければ多いほど、心のよりどころが多くなるので、豊かな人生を送れます。
しかし、ほかの誰よりもいちばん信じてほしい人物がいます。
自分なのです。
どんなときでも、自分を信じるようにしましょう。
他人を信じるのもいいですが、基本はまず自分を信じること。
これまであなたは、多くの困難を乗り越えてきたはずです。
つらい試験も、猛勉強で乗り越えました。
難しい免許も、猛特訓をして取得しました。
「もうダメだ」と思っても、なんだかんだで乗り越えられたはずです。
今こうやって生きていることが、なによりの証拠です。
そうした自分の成功体験を思い出し、自分を信じて生きていきましょう。
つらいことがあって、乗り越えられるかどうかわからないときも、自分を信じます。
「きっと自分ならできる」と。
すると、底力が湧いて、潜在的なパワーを発揮できるようになるでしょう。
自分を信じるからこそ、困難の多い道も、勝ち気と負けん気で進めるようになります。
自分を信じるからこそ、好きな人への告白も、勇気を持って挑めるようになります。
自分をいちばんよく知っているのは自分です。
自分を信じたらすべてうまくいくとは限りませんが、自分を信じないとすべてうまくいきません。
まず自分に自信を持ちましょう。
自分を信じていると、窮地に陥ったときでも底力が湧いて、潜在的なパワーを発揮しやすくなります。
自分を信じる人は、いざというときに強いのです。
初めの1歩は誰でも怖い。
どうなるのかわかりません。
どんな雰囲気かわかりません。
どんな出来事が待ち受けているのかわかりません。
「笑われるかもしれない」
「恥をかくかもしれない」
「損をするかもしれない」
さまざまな不安や心配が出てくると、恐怖感が強くなります。
緊張してくると、体も硬直します。
嫌な妄想が膨らみ、そのうち手足が震えてくるかもしれません。
初めて経験することなら、誰でもストレスがあって当然です。
しかし、恐怖がずっと続くわけではありません。
怖いのは初めの1歩だけです。
初めの1歩さえ踏み出せば、それがどんなものなのか具体的にわかります。
様子がわかり、手応えが得られ、雰囲気がつかめます。
1歩目には、大きなエネルギーを使うかもしれませんが、逆に言えば、大変なのは1歩目だけです。
2歩目以降は、恐怖が半減して、エネルギーもあまり使いません。
小さな力ですいすい前に進めるようになります。
後になるにつれて、ストレスが減って、楽になります。
慣れてしまえば、恐怖のかけらすらなくなります。
勢いに乗ってしまえば、今度は止まるほうが難しくなるでしょう。
「怖いのは初めの1歩だけ」と考えましょう。
初めての対面、初めての仕事、初めての土地。
初めての経験はすべて同じです。
あらかじめ法則がわかっていれば、初めの1歩が怖くても、いつものこととして冷静になれます。
怖いのが嫌なら、なおさら初めの1歩を踏み出すことです。
じっとしているから恐怖がエスカレートします。
恐怖を打ち消すのは、行動です。
軽い気持ちでいいのです。
1歩を踏み出せば、すぐ恐怖は消えてなくなります。
叱られたら喜んでください。
幸せを感じてください。
両手を挙げて喜んでもいい。
期待されている証拠だからです。
期待されていなければどうなるでしょうか。
叱られることはありません。
話しかけられることもありません。
無視されます。
目を合わせることすらされなくなります。
期待されなくなると、どうでもいい存在になるので「叱るだけ無駄」と思われるようになります。
叱るというのは大変な作業です。
叱られる側も大変ですが、叱る側も大変です。
叱るには、時間と労力を使います。
「相手から嫌われるかもしれない」という覚悟も必要です。
精神的にどっと疲れを感じます。
誰でも「できることなら叱りたくない」と思っているのが本音です。
にもかかわらず、わざわざ叱ってくれたのは、あなたに期待しているからです。
相手から「叱るだけの価値がある」「時間と労力を割くだけの価値がある」と認められています。
有望で伸びしろがあるため、わざわざ貴重な時間と労力を割いて叱ってくれました。
期待されているのです。
実に光栄なことです。
だから、叱られるのは幸せなことです。
これまであなたを叱ってきた人を思い出してください。
親、上司、友人、先生。
叱られたときは、落ち込んだりショックを受けたりしたかもしれませんが、その人から期待を感じたはずです。
言葉で出して「あなたに期待している」と言っていなくても、叱る言葉に裏から期待のニュアンスを感じたはずです。
叱る行為とは、期待の代替表現です。
あなたに成長してもらいたいから、叱ってくれます。
表向きは叱っているように見えても、実際は期待にあふれた行為です。
叱られたとき貴重なことを学べます。
叱られたとき、ショックを受けて落ち込んだりむっとしたりするかもしれませんが、言葉に耳を傾けてください。
「たしかにそのとおりだ」と思えることがあるでしょう。
解決策や正しい考え方など、学べることがあるはずです。
叱られたことを吸収すれば、必ずあなたの成長につながります。
叱られたことを忠実に守れば、次から叱られなくなります。
叱られたくらいでむっとしないでください。
叱られたくらいでむっとするようでは、まだ心の器が小さい証拠です。
落ち込むことはあっても、叱ってきた人を憎んだり恨んだりしてはいけません。
むしろ感謝しましょう。
「わざわざ叱ってくださってありがとうございます」と感謝の念を抱くことが大切です。
今すぐそう思えないなら、しばらく時間を置きましょう。
時間を置くと興奮が収まります。
冷静を取り戻せば、叱ってくれたことのありがたさに気づけます。
叱られたら、期待を裏切らないよう成長してください。
叱られたらラッキーです。
叱られたら幸せを感じ、叱ってくれた人に感謝しましょう。
世の中には「エリートコース」なるものが存在します。
一般的にエリートコースとは「競争を勝ち抜いて、社会的に高い地位を得る道筋のこと」をいいます。
受験戦争を勝ち抜き、一流有名大学を出て、一流有名企業に就職する。
高収入を得ながら順調に出世街道を歩んで、取引先からの信頼を勝ち取る。
仕事で大きな結果を出して、役職を勝ち取る。
そして、労をねぎらう退職金をもらって、美しく退職する。
これはエリートコースの定番と言っていいでしょう。
エリートコースといえば、レールの上にあるのが特徴です。
世間が認めたコースの上を進むから、世間から褒められます。
しかし、エリートコースはレールの上しかないと思っているなら誤解です。
一般的なエリートコースから外れても、エリートコースのすべてが絶たれたわけではありません。
世の中には、レールから外れたエリートコースもあります。
エリートとは、優れた素質や能力を生かして、指導的地位に就いている人のことをいいます。
それは、レールの上だけでなく、レールから外れてからでも実現できます。
レールの外で、エリートらしい仕事をして、結果を出せばいいのです。
レールから外れたからこそできることがあります。
その状況を生かして、輝かしい結果を出せばいいのです。
一般的なエリートコースは、世間の価値観によるものにすぎません。
自分にとってのエリートコースは自分で決めることができます。
大切なことは「自分を生かして、人と社会の発展に貢献すること」です。
世の中には、レールから外れても、社会的に成功を収めた人が多く存在します。
これらはすべて一度落ちこぼれていますが、最終的にエリートになっています。
落ちこぼれた経験があっても、それはまだ確定した結果ではなく、途中段階にすぎません。
最終的に成功すればいいのです。
最終的に成功すれば、その道がエリートコースになります。
どんな形であろうと、人と社会の発展に貢献できる結果を出せば、エリートです。
レールから外れることがあっても、最終的に結果を出せばいいことです。
マイナスの過去があっても、最終的に成功すれば、プラスの過去に変わります。
「あのときの挫折・失敗があったおかげだ」と言えるようになります。
レールから外れて落ちこぼれることがあっても、自分の得意や長所を生かして、社会的な成功を目指しましょう。
敷かれたレールの上を走るのもいいですが、レールの外を走るのも素晴らしい。
むしろレールから外れたからこそ自由です。
レールの上はすでにルールが存在しますが、レールの外ならあなたが自由にルールをつくれます。
仕事のルールも戦う土俵も、自分で決めることができます。
自分に有利なルールをつくり、自分にとって有利な土俵の上で戦えばいい。
自分を生かして、人や社会に貢献できる結果を出すことです。
レールから外れても競争があることに変わりはありませんが、自分に有利な土俵の上なら、結果を出しやすくなるでしょう。
大きな結果である必要はなく、小さな結果でもかまいません。
自分を生かして、人や社会の発展に貢献できた事実は「成功」です。
自分を生かして結果を出すことが、エリートコースです。
すなわち、自分にとってのエリートコースなのです。
怒鳴りたくなったとき、すぐ気持ちを落ち着かせる方法があります。
怒鳴りたくなったら、上を向いて深呼吸しましょう。
怒っている状態のことを「頭に血が上る」と言います。
言葉のとおり、頭にたくさん血が上っています。
たくさん血が上っているので余裕が失われ、頭が過度の興奮状態になっています。
興奮が興奮を呼び、悪循環になっています。
冷静になるなら、この逆をすればいいのです。
上を向いて深呼吸すると、頭に上った血が下に下がります。
頭に上っていた血が、さっと引いていくのが実感できるでしょう。
深呼吸によって酸素が供給されるので、正常な思考が戻り、冷静になれるのです。
このとき「必ず落ち着ける」と信じることが大切です。
「本当に効果があるのか」と疑っていると、余計な興奮が生まれ、せっかく下がりかけた血がまた頭に上ってしまいます。
「必ず落ち着ける」と信じると、冷静になるスピードも速くなります。
深呼吸を1回ではなく、何回か繰り返してみるといいでしょう。
もし外出中なら、上を向くと、空を見ることができます。
天気がよければ、きれいな青空を見ることができるでしょう。
きれいな青空を眺めながら深呼吸すると、どんな怒りでも収まります。
きれいな青が目に飛び込んでくると、冷静な自分に引き戻すのも早くなります。
この方法は即効性があります。
怒鳴りたくなったら、上を向いて深呼吸するだけでいいのです。
金銭感覚を養う基本の1つ。
それは「丁寧なお金の受け渡し」です。
金銭感覚を養いたいなら、丁寧なお金の受け渡しを心がけましょう。
金銭感覚とは「お金に対する感覚を研ぎ澄ませる」という意味です。
お金は経済的価値があり、生きていくうえで欠かせないもの。
お金を扱うときは、大事なものらしく丁寧に扱うことが大切です。
お金を丁寧に扱うことで、お金の価値を実感しやすくなり、金銭感覚の向上に役立ちます。
お金を支払うときは、丁寧な支払い方を心がけましょう。
お金を直接手渡しするなら、両手を使って渡します。
「ありがとうございます」と感謝の気持ちを込めながら、丁寧な手つきでお金を支払いましょう。
「どうぞお受け取りください」と言わんばかりの態度でお金を差し出すと、さらに丁寧な印象が出ます。
レジのキャッシュトレーにお金を置く場合も、丁寧を心がける点は同じです。
硬貨であれ紙幣であれ、投げるようにお金を置くのは良くありません。
キャッシュトレーにお金を置くときも、ゆっくり丁寧に置きます。
余裕があれば、硬貨と紙幣を見やすいように置くといいでしょう。
硬貨についても、種類別に分けると見やすくなります。
店員さんにとってもお金の計算がしやすくなって助かります。
お金を受け取るときも、丁寧な受け取り方を意識しましょう。
人からお金を受け取るときは、両手で受け取ります。
片手がふさがっているときは、片手で受け取ってもいいですが、丁寧な手つきを心がけるのは同じです。
キャッシュトレーからお金を取るときも、優しい手つきを心がけます。
丁寧なお金の受け渡しを心がけると、お金の価値を実感しやすくなるため、金銭感覚が鋭くなります。
「すでにできている」と思う人も、あらためて自分の手つきを振り返ってみてください。
「自分は大丈夫」と思っていても、実際は不十分になっていることがあります。
特に小銭は、雑な扱い方をしやすいため、注意が必要です。
小銭でも、お金はお金です。
たった1円でも、丁寧な受け渡しを心がけることが大切です。
お金の受け渡しが丁寧になると、あなたの印象もよくなります。
お金を大切にすると、お金からも大切にされるでしょう。
金運も向上していくのです。
いらいらしたら外に出ましょう。
太陽を背にして、地面に映った自分の影を見ましょう。
ひたすら自分の影をじっと見つめるだけでいい。
「自分の影を見ても仕方ない」と思うかもしれませんが、騙されたと思って、一度試してみてください。
鏡とは違い、影はシンプルなモノクロです。
色も表情もわからず、わかるのは輪郭だけです。
光の当たる角度によっては、若干ゆがんで見えます。
この曖昧で抽象的な具合がいいのです。
「自分の姿を見るなら、鏡のほうが便利なのではないか」
そう思うかもしれませんが、鏡の場合、自分の姿がはっきり見えすぎます。
自分の表情や姿がはっきり見えすぎるのも、生々しくて良くありません。
いらいらしている自分の表情を見ると、ますますいらいらがエスカレートすることもあります。
冷静な自分を取り戻すなら、モノクロの影のほうが、ほどよく曖昧なので効果的です。
地面に映った影は、もう1人の自分です。
自分を見つめているうちに、何か感じることがあるはずです。
「どうして自分はこんなことにいらいらしているのだろう」
「こんなにいらいらしているのに、影で映った自分はあっさりしている」
「影で見ると、自分は意外と小さい」
時には、地面に映った影が「落ち着け」と話しかけているようにも感じてくることもあるでしょう。
シンプルな影を見つめることで、心もシンプルな状態に整っていきます。
いらいらしているときは、興奮が激しくなっています。
地面に映った自分の影を見ていると、自分を客観視できるようになり、自然と興奮が収まってくるのです。
この方法は、夜でも活用できます。
夜なら部屋の照明ライトをつけて、地面に映った自分の影を見るだけでいい。
じっと数分間見つめていると、次第に心が落ち着きます。
じわじわ平常心が戻ってくるのを実感できるでしょう。
他人の影ではいけないのです。
他人の影は、あくまで他人です。
自分の影だからこそ、自分らしさが反映されていて、心を落ち着かせるのに効果的です。
自分の影にこんな活用方法があるなんて、誰が気づくでしょうか。
屋内でも屋外でも、明るい場所にいるなら、自分の影があります。
心を落ち着かせる存在がずっとそばにあるのです。
「自分の影は役にも立たない」と思うのは誤解です。
自分の影だからこそ役立ちます。
いらいらしたときは、もう1人の自分に助けてもらいましょう。
自分の影を通して、自分に励まされるのです。
ぼける人とぼけない人の、違いの1つ。
それは、スポーツです。
一言で「スポーツ」と言っても、するのと見るのとでは大きく違います。
天と地ほどの差があると言っていいでしょう。
まずスポーツをしている人は大丈夫です。
スポーツをしている人はぼけません。
ぼけの予防には、運動が効果的であることが証明されています。
体を動かすことは、脳の神経細胞を活性化させる働きがあります。
特に記憶をつかさどる海馬という領域は、一度死んだ細胞でも、運動を通して再生することが医学的に確認されています。
またスポーツをしていると、スポーツにおける喜怒哀楽といった感情を直接味わうことができます。
ぼけたくないなら、実際にスポーツをプレイして楽しむのが効果的です。
では、どんな人がぼけるのか。
スポーツを見てばかりの人がぼけるのです。
スポーツ観戦を楽しむのもいいでしょう。
スポーツ観戦が趣味の人もいれば、応援を生きがいにしている人もいるでしょう。
プロのスポーツ選手の活躍を見ると、充実した時間を楽しめるのは間違いありません。
しかし、スポーツを楽しむとはいえ、スポーツ観戦はあくまで受け身です。
スポーツを見ているだけでは刺激も限定されます。
プレーヤーのように、しっかり体を動かす場面がありません。
興奮や感動もありますが、プレーヤー本人が味わう感覚に比べると劣るでしょう。
スポーツ観戦なら、ぼうっとしていても楽しめます。
スポーツを見てばかりの人は、残念ながら、ぼけるリスクが高まるのです。
ぼけたくないなら、実際にスポーツを楽しむのがいちばん。
つまり、自分がプレーヤーになることが大切です。
自分がプレーヤーになることで、本当にスポーツを満喫できます。
しっかり体を動かし、汗を流し、充実した時間を過ごすことができます。
スポーツを通して「楽しい」「面白い」「嬉しい」という感動をダイレクトに味わえます。
勝つことの喜びや負けることの悔しさを味わうことも、ぼけ防止には効果的です。
適度なスポーツは、人生における充実感を高めます。
下手でも未熟でもマイペースでもかまいません。
団体競技が苦手なら、個人競技でもかまいません。
ジョギングやランニングなら、個人でも十分楽しめます。
過去の自分をライバルにして楽しめば、個人競技でいながら、ライバル心を燃やしながら取り組めるでしょう。
スポーツ観戦もいいですが、ぼけたくないなら、自分がプレーヤーになってスポーツを楽しむことが大切です。
スポーツをする人はぼけないのです。
明るい1日は、どう始めればいいでしょうか。
簡単です。
明るい1日は、誰かを褒めることから始めましょう。
「今日は誰を褒めようかな。どう褒めようかな」
そう考えていると、だんだん気持ちが盛り上がってくるでしょう。
じっとしていられなくなり、いても立ってもいられなくなるでしょう。
体がむずむずして、人に会いたくなってくるでしょう。
部屋の中にいるなら、外出したくなるでしょう。
話していると、相手の魅力や可能性に気づくことがあります。
魅力や可能性に気づいたら、褒めるチャンスです。
さりげなく褒めて、相手に伝えましょう。
「人を褒めても意味がない」と思っているなら誤解です。
相手を喜ばせたり楽しませたり元気にさせたりできます。
やる気にさせたり幸せな気持ちにさせたりできます。
隠れた長所や才能を見つけるお手伝いもできます。
「そういうふうに褒められたのは初めてです」と言われるかもしれません。
褒めると、相手に好印象を与えることができるため、仲を深めるきっかけにもなります。
相手は「小さなことまで見てくれている」と思い、嬉しくなります。
褒めても自分には関係がないと思うかもしれませんが、誤解です。
褒めることは、自分のテンションを上げる行為でもあります。
褒めるときにはポジティブな言葉を発します。
自分が発した言葉は、自分の耳で聞くことになるので、どんどん心が元気になります。
つまり、相手を明るくさせることは、自分を明るくさせることになるのです。
また褒めることは、脳の活性化にもつながります。
相手の長所や美点を見つけるには、頭を働かせる必要があります。
鋭い観察力と的確な洞察力を鍛える機会になります。
前向きに考えるポジティブ思考を鍛える機会にもなります。
多角的に相手を見る必要があるので、幅広い視野を鍛える機会にもなります。
普段から褒める習慣のある人はぼけません。
褒めることは頭の体操にもなるので、脳の活性化にもつながります。
褒め言葉は、魔法のようなもの。
お互いのためになるのが、褒める習慣です。
相手を褒める回数に決まりはありません。
少なくとも1日3回は褒めるようにするといいでしょう。
さあ、明るい1日のために、誰かを褒めに行きましょう。
今日は誰を褒めますか。
どこをどう褒めますか。
相手もあなたから褒められるのを待っています。
嬉しい1日は、誰かを褒めることから始めましょう。
働いて疲れたら、素直に休みましょう。
無理をするのは良くありません。
疲れを感じるのは、しっかり仕事をした証拠です。
疲れは、休まないと回復しません。
きちんと休憩するのも仕事の一環です。
働きながら休むのも不可能ではありませんが、中途半端な回復になります。
しっかり休憩するから、しっかり回復できます。
しっかり休んで回復できれば、再び精力的に仕事ができるでしょう。
肉体的な疲れ・精神的な疲れに関係なく、疲れたら素直に休むことが大切です。
さて、休むのは疲れたときだけではありません。
働いて元気でも、素直に休みましょう。
頑張って働いているにもかかわらず、不思議なことに、ほとんど疲れを感じないときもあるでしょう。
そんなときは「まだいける!」「まだ大丈夫!」「もっと頑張れる!」と思います。
特に仕事の調子がいいときは、不思議な気分の高揚があって、疲れを感じないことがあります。
しかし、疲れを感じていなくて元気でも、実際はわかりません。
表向きは問題なさそうでも、心や体の中では、ストレスの悪影響が蓄積されている可能性があります。
「休憩したら時間がもったいない」と思うかもしれませんが、誤解です。
休憩は、仕事の準備の一環です。
しっかり休むから、しっかり仕事をできます。
心身をいたわることは、仕事の質と生産性の向上につながります。
疲れが回復するから、再びしっかり仕事に打ち込めるのです。
休みすぎはよくありませんが、働きすぎはもっと良くありません。
休みすぎで健康を損ねることはありませんが、働きすぎは健康を損ねることがあるからです。
無理をすると、そのときはよくても、あとからしわ寄せがやってきます。
しばらくして特大のストレスがどかんと押し寄せてくるでしょう。
いったん働きすぎで体調を崩すと、完治に時間がかかることがあります。
数日では直らず、数カ月・数年といった長期にわたることも珍しくありません。
特に長時間労働には要注意です。
長時間労働を美徳と考えている人は、疲れやストレスを軽視する傾向があります。
働きすぎのトラブルを防ぐ対策として、働いて元気でも、素直に休むのが賢明です。
寝るときはぐっすり寝て、エネルギーをチャージしましょう。
リラックスするときはたっぷりリラックスして、ストレスを発散させましょう。
気分転換をするならしっかり気分転換をして、新鮮な気持ちを取り戻しましょう。
疲れの度合いにかかわらず、定期的に休むのが得策です。
休むからこそ、しっかり仕事ができるのです。
人生では、価値観や考え方が変わることがあります。
最初から正しい価値観や考え方が身につけば理想的ですが、なかなか難しいのが現実です。
すべての人は、未熟な状態から始まります。
無知・無能の状態から誕生して、少しずつ知識を会得し、世の中を理解していきます。
時には世の中を誤解することもあるでしょう。
正しい生き方を勘違いすることもあるでしょう。
正しいと信じていた価値観や考え方でも、後になって間違いに気づくことがあります。
一部を変えることもあれば、全部を変えることもあるでしょう。
さまざまな人生経験を積み重ねながら、価値観や考え方が変わることは日常茶飯事です。
そんなときに恐れるのが、批判です。
価値観や考え方を変えれば、それに伴って主張や信念が変わり、生き方まで変わります。
生き方まで変われば、別人と思われても不思議ではありません。
そんなあなたを見た周りの人は、あれこれ言ってくるはずです。
「主体性がない。一貫性がない。信念がぶれている」と。
誰でも批判されたくありません。
批判を避けるため、価値観や考え方は変えず、現状維持を選ぶ人もいるかもしれません。
しかし、ここが要注意です。
批判を恐れて、価値観や考え方をそのままにするのは良くありません。
価値観や考え方に違和感が生じているにもかかわらず、固執しているほうが危険です。
違和感に苦しみながら生きていても、ストレスがたまるだけ。
価値観や考え方に違和感を抱えたまま生きるのは、自分らしくない生き方になるでしょう。
違和感がどんどん大きくなり、自分を見失う原因にもなります。
価値観や考え方に違和感が生じれば、批判を恐れず、変えましょう。
批判があってもいいのです。
批判されたら、素直に自分の過ちを認め、素直に謝ればいい。
「ばかでした」「未熟でした」「間違っていた」と言えばいいこと。
批判する人も、あとから間違いに気づき、価値観や考え方を変えることがあるはずです。
価値観や考え方を早く修正できれば、生き方の軌道修正も早くできます。
価値観や考え方は、変わることもあっていい。
主張や信念が変わることもあっていい。
もちろん生き方が変わることもあっていいのです。
生き方がレベルアップしている証拠です。
生き方のレベルアップは、らせん階段のような曲線を描きます。
価値観や考え方は、何度も変えながらレベルを上げていくものです。
間違いに気づき、その都度変わりながら成長していくのが、人間なのです。
物語には「主役」と「脇役」が存在します。
一般的に注目を集めるのは、主役です。
仲間たちを引っ張っていく存在であり、物語の中心人物です。
スポットライトの当たる回数が多く、最も華やかでかっこいいポジションです。
レベルやランクで分けると、脇役より主役のほうが高いことになるでしょう。
そのため多くの人は、花形である主役に憧れ、日々修行に励みます。
ところが、どう頑張っても主役になれない現実に気づくことがあります。
主役になるには、一種の才能が必要です。
容姿端麗であること。
気力・体力・精神力がたくましいこと。
人をまとめる能力があること。
的確な判断能力があること。
高いコミュニケーション能力があること。
数多くの条件がそろって初めて主役の座を勝ち取れます。
後天的な才能だけでなく、先天的な才能が含まれることも少なくありません。
あるとき、主役になるためには一定の才能が必要とわかってしまう。
そして自分には、そうした恵まれた才能はないと気づいてしまう。
そんなとき、こう思います。
「自分は主役になれない。脇役しかできない人間だ」と。
主役になれないと悟ったとき、道が絶たれ、絶望してしまうのです。
しかし、ここに誤解があります。
引っ張るだけが才能ではありません。
支えるのも、立派な才能です。
もし自分に引っ張る才能がないとわかれば、支える才能を発揮しましょう。
引っ張る才能はなくても、支えることならできるはずです。
脇役は、スポットライトが当たりにくくて目立ちにくいポジションですが、高い存在価値があります。
主役が活躍できるのは、脇役の活躍があってこそです。
大切なのは「どれだけ目立つか」ではなく「どれだけ活躍できるか」です。
脇役は、主役ほど目立つことはないかもしれませんが、主役と同じくらい活躍できます。
支えることを使命として全うすれば、主役以上に活躍することも可能です。
いずれ「陰の主役」と呼ばれる可能性もゼロではありません。
主役にこだわらないことです。
才能あふれる主役とはいえ、できない仕事もあるでしょう。
主役が主役らしく輝けるのは、陰で支える脇役の存在があってこそです。
主役もまた、あなたが陰で支えてくれることを祈っています。
主役と脇役の才能が一致したとき、相乗効果が生まれ、偉大な仕事を発揮できます。
脇役なら、脇役としての使命を全うしましょう。
主役も素晴らしいが、脇役も素晴らしい。
引っ張るのが才能なら、陰で支えるのも才能なのです。
立派な社会人になろうとしていませんか。
親や先生から「社会に出て、立派な社会人になりなさい」と言われていれば、自然と目指す人も多いはずです。
社会に出て、職に就くからには「できるだけ立派な社会人になりたい」と思うでしょう。
大人として、胸を張った生き方をしたいことを願う。
そしてそのために努力するはずです。
もちろん立派な社会人を目指すのは素晴らしいことです。
人は、社会性の伴った生き物です。
できるだけ多くの人から「立派」と認められる人物になろうと目指す人も多いでしょう。
自分が上司になったとき、立派な社会人であるほうが、部下にも示しがつきます。
自分が親になったとき、子どもからも尊敬されるでしょう。
まだ立派な社会人でなくても、心がけている姿勢があるだけでも尊敬されるはずです。
意地とプライドをかけて、立派な社会人を目指している人も多いでしょう。
しかし、ここに注意したいポイントがあります。
最初から立派な人を目指すのは大変です。
言うのは簡単でも、実際は大変困難です。
平均以上に能力を高めなければいけません。
マナーと礼儀作法を磨き、品格を兼ね備えなければいけません。
高度なコミュニケーション能力を身につけなければいけません。
人望と人徳のある人間性を身につけなければいけません。
優れた実績を残し、素晴らしい社会貢献を果たさなければいけません。
難易度が高くて大変です。
実現には、膨大な時間と努力、そして実績が必要になります。
全員が達成できることではありません。
むしろ達成できるのは、ほんの一部でしょう。
社会全体から見ても、本当に立派な社会人は希少です。
立派な社会人を目指すのはいいですが、高すぎる目標は失敗を招く原因になります。
途中で挫折することも少なくありません。
ここで、少し目標を変えてみませんか。
最初から立派な社会人を目指すのではありません。
まずは普通の社会人を目指しましょう。
能力も普通。
マナーや礼儀作法も普通。
コミュニケーション能力も普通。
人間性も普通。
実績も社会貢献も普通。
可もなく不可もなく、人並み程度ですが、これで十分です。
文句を言われることはありません。
何も悪いことをしているわけではありません。
実際のところ、普通の社会人で十分立派です。
立派な社会人でなくても、堂々と社会を生きていけます。
最初は普通の社会人を目指し、そのうえで余裕があれば、次に少しずつ立派な社会人を目指していけばいいでしょう。
立派な社会人にならなくても落ち込む必要はありません。
もちろん自分を責める必要もない。
立派な社会人になる必要はありません。
普通の社会人で十分素晴らしいのです。
誤解が生まれたとき、私たちはこう思います。
「話せばわかる」と。
文字だけでコミュニケーションを取ることがあるでしょう。
第三者によって、間接的にコミュニケーションを取ることもあるでしょう。
以心伝心やあうんの呼吸のように、言葉を介さないコミュニケーションもあるかもしれません。
間接的・抽象的なコミュニケーションをしていると、誤解が生まれることがあります。
そんなとき「話せばわかる」と思って誤解を解こうとします。
「話せばわかる」という言葉のとおり、どんな誤解でも話せばわかってくれるだろうと期待する。
ところが、現実では思うようにいかないことがあります。
きちんと直接話しているにもかかわらず、なかなかうまく誤解が解けない場合があります。
そういう人は「あるポイント」を見落としています。
「話せばわかる」ではありません。
「会って話せばわかる」です。
「話せばわかる」と「会って話せばわかる」とでは意味が違います。
「話せばわかる」という考えにとらわれていると、対面によるコミュニケーションを省くことがあります。
「話せば十分」と思って、電話で誤解を解こうとしますが、十分とは限りません。
単なる連絡や打ち合わせくらいなら電話で十分ですが、誤解を解く場面なら、もう少し慎重になっておきたい。
誤解を解く場面はデリケートです。
話すことはできても会うことができていないなら、言葉は伝わっても誠実さが伝わらず、うまく誤解を解けないことがあります。
誤解が、さらなる誤解を招くことも少なくありません。
たとえビデオチャットでも、対面で会って話すのとでは印象が違います。
会っているような感じはしても、対面で伝わるリアルにはかないません。
もちろん物理的な事情で会うことができないこともあるでしょう。
仕方ない場合もありますが、誤解を解くなら、できるだけ会って話すのが得策です。
誤解内容が重要であればあるほど、実際に会って話すのがいいでしょう。
きちんと誤解を解くなら、会って話すことが最も確実です。
会って話すと、言葉だけでなく誠意も伝わります。
会って話すから、きちんと誤解を解けるのです。
私たちは、強い心に憧れます。
多くの経験を積み、メンタルを鍛えて、強い心を持とうとします。
もちろん強い心は大切です。
ストレスのシャワーがあっても、強い心なら耐えられるでしょう。
強い心があれば、パワフルな行動力を発揮できます。
強い気力を発揮でき、やる気と元気に満ちた生活を送れるでしょう。
強い心があれば、困難があっても、負けん気と底力で乗り越えやすくなります。
強い心があれば何でもできそうな気がします。
「強い心は大切」
誰も異論を唱える人はいないでしょう。
メンタルトレーニングを通して、心を鍛えている人も多いのではないでしょうか。
しかし、ここに落とし穴があります。
強い心とはいえ、万能ではありません。
強い心にも限界があります。
ストレスを受け続けると、いずれ限界に達して、心が折れてしまいます。
やる気や元気を出すとはいえ、無限に出るわけではありません。
いつもアクセル全開では、心も疲れ果ててしまいます。
困難があったとしても、強い心があれば、確実に乗り越えられるとは限りません。
不可能なことは、いくら挑戦しても不可能です。
強い心があると、自分の実力を過大評価しやすくなり、無謀な行動を取ることがあります。
強い心とは、固い鉄の棒と同じです。
鉄の棒は頑丈で衝撃に強いですが、折れるときは一瞬です。
限界を超えると、ぽきっと簡単に折れます。
強い心も同じです。
強い心も頑丈でストレスに強いですが、限界を超えると、ぽきっと折れてしまいます。
強い心は立派で素晴らしいことですが、限界があるのです。
ここで気づいてほしいことがあります。
強い心より、もっと大切な心があります。
それが、柔らかい心です。
柔らかい心は、強い心より大切です。
柔らかい心があれば、ストレスの大きさは関係ありません。
ストレスを受け止めず、すらりと交わして無害化します。
柔らかい心があれば、思うようにいかないことがあっても平気です。
人とトラブルがあっても、相手を恨まず、すぐ許してしまいます。
許してしまえば、ストレスに悩むこともありません。
理性と自制心を保て、精神状態も安定します。
人をねたんだり憎んだりすることもなく、いつも穏やかな気持ちでいることができます。
柔らかいとストレスを受けにくくなります。
たとえ受けたとしても、柔らかいのでクッションになり、ほとんどダメージを受けません。
心を強くするのではありません。
心を柔らかくするのです。
私たちは強い心を目指そうとしますが、本当に目指したいのは柔らかい心です。
柔らかい心のほうが、大きな可能性を秘めています。
柔らかい心を身につけるには「柔らかい習慣」が大切です。
嫌なことがあれば、すぐ忘れましょう。
小さなことなら、笑って済ませましょう。
傷つくことを言われても、すぐ許しましょう。
柔らかい心があってこそ、優しい気持ちも湧き出てきます。
ストレスに対する防御力では、強い心より柔らかい心のほうが上回っています。
本当に柔らかい心になれば、無限の防御力と可能性を発揮します。
強い心は素晴らしいですが、柔らかい心はもっと素晴らしいのです。