私たちは子どものころから「迷惑をかけてはいけません」と言われてきました。
親や先生から「迷惑をかけていけません」と何度も言われると、それが普遍的な道徳法則となります。
迷惑をかけないことは正しいことであり、絶対守らなければいけないルールになっています。
本当にいっぱいいっぱいのときは、どんな気晴らしやリフレッシュがいいのでしょうか。
まずいちばん避けたいのは、気晴らしやリフレッシュです。
本当にいっぱいいっぱいのときは、気晴らしもリフレッシュもしてはいけません。
人間は本来、怠け者です。
ライターを発明したのも、楽をしたかったから。
自転車や車を発明したのも、楽をしたかったから。
どん底とは何か。
「いちばん下の底」ということです。
つまり「最悪の状態」を意味します。
お金も仕事もない。
家庭も人間関係もぼろぼろ。
楽しいことも嬉しいことも何もない。
マラソンといえば、最初にイメージするのは「走る姿」でしょう。
額に汗をかきながら、マイペースで淡々と走る姿が印象的です。
マラソンは走ることが基本ですが、よくある誤解があります。
何かに取り組んでいると「どうにもならない」と思うことがあります。
そんなとき、つい言ってしまう言葉があります。
「もうダメだ」です。
「死にそう」という口癖に心当たりはありませんか。
もちろん本当に命を落としそうな状況なら別です。
重大なけがや病気になって、今にも命が途絶えそうなら「死にそう」と言うのもわかります。
人は、頑張っているときほど、自分を大きく考えがちです。
自分を過大評価しやすいです。
悩んでいるときは「自分、自分」と考えています。
落ち込んだときは、道端の雑草に目を向けてください。
あなたが普段使う道には、雑草が生えているところがあるでしょう。
コンクリートの割れ目、アスファルトの裂け目、歩道タイルの隙間。
何をやっても思いどおりにいかない日があります。
「思いどおりに集中できない。仕事が進まない。予定が消化できない」
自分が期待していたように物事が進まないと、いらいらしがちです。
私たちは「甘えてはいけない」と言われながら育ってきました。
親や先生から「人に甘えてはいけません」「自立しましょう」と言われてきました。
「弱音を吐くのはよくない」「悩み事があっても自分の力で解決すべきだ」と言われてきました。
病気になって寝込むときがあります。
寝込んでいるときは動きが制限されます。
勉強もできませんし、仕事もできません。
心が死んでいるとき、簡単に生き返らせる方法があります。
「心を生き返らせることなんてできるの?」と思うかもしれませんが、もちろんできます。
直射日光を浴びてください。
嫌だからといって、すぐやめてしまっては長続きしません。
「嫌だな」「気が進まない」「できればやりたくない」と思うことは、誰にでもあることです。
お金をもらっている仕事であれば、抵抗があっても責任を持って取り組まなければなりません。
嫌なことは、きちんと断りましょう。
何でもイエスばかり答えていると、周りに流されたり振り回されたりお金を失ったりします。
時には思わぬトラブルに巻き込まれることもあります。
あなたには「心のシェルター」はありますか。
心のシェルターとは「心が壊れそうになったとき、一時的に避難する場所のこと」をいいます。
特別つらいことや苦しいことがあって、心が壊れそうなときがあるでしょう。
映画やドラマで「命乞いのシーン」を見かけることがあります。
「どうか助けてください!」
「命だけは勘弁してください!」
落ち込むことは悪いことなのでしょうか。
いいえ、悪いことではありません。
落ち込んでいるあなたは、素晴らしいのです。
悩むとは何でしょうか。
悩むとは、解決策が見いだせず、あれこれと思い苦しむことです。
悩むのは、苦しいことです。
焦っているあなたは、素晴らしいです。
限りある人生を、有意義に生きようとしているからです。
人生は、短いです。
大変という言葉には、どのようなイメージがありますか。
大変と聞けば「疲れる」「きつい」「難しい」というイメージを思い浮かべることでしょう。
やはりネガティブなイメージを持つ人が、多いのではないでしょうか。
「無理しないで」
一生懸命頑張っている人に声をかける応援の言葉です。
応援の言葉といえば「頑張れ」が定番ですが、その限りではありません。
落ち込んでいるとき、あなたはどうしていますか。
自然と元気が出るまで待っている人もいるでしょう。
ぼんやり天井を見つめながら寝てばかりの人もいるかもしれません。
限界を感じたら、やめてください。
やめてもいいのです。
「情けない」「恥ずかしい」と思うかもしれませんが、情けないことでも恥ずかしいことでもありません。
いらないものは捨ててください。
捨ててもいいのです。
まだ使えたり高価なものだったりすると、もったいない気持ちがあって捨てることにためらいが生じます。
苦手な人がいるなら、距離を置いてください。
距離を置いてもいいのです。
「距離を置くと冷たい人と思われるかな」と心配するかもしれませんが、無用の心配です。
日常では、大きな不幸に見舞われることがあります。
事故、事件、病気。
大きなミス、重大な失敗。
今は、悔し涙をたくさん流しておきましょう。
涙を流してはいけないと誰が言ったのでしょう。
いいえ、涙はたくさん流しておくものです。
あなたはもう十分頑張りました。
もう十分我慢しました。
長い間ずっと頑張り続けていて、努力と我慢の日々を送ってきました。
私たちは子どものころから「迷惑をかけてはいけません」と言われてきました。
親や先生から「迷惑をかけていけません」と何度も言われると、それが普遍的な道徳法則となります。
迷惑をかけないことは正しいことであり、絶対守らなければいけないルールになっています。
しっかり頭にこびりついていて、厳守事項として心がけている人も多いのではないでしょうか。
しかし「迷惑をかけてはいけない」という考え方ほど危ないものはありません。
「迷惑をかけてはいけない」と考えていると「人に助けを求めること=悪いこと」という認識になります。
人に助けを求めることができなくなり、すべてを1人で抱え込んでしまいます。
弱音を吐くことすらはばかられ、無理をすることが増えてしまいます。
これほど恐ろしいことはありません。
いずれストレスに押しつぶされるでしょう。
肉体的・精神的に支障を来すことになります。
人は元来、周りに迷惑をかけながら生きていく生き物です。
赤ちゃんのころは病院関係者に迷惑をかけました。
子ども時代は、親にたくさん迷惑をかけながら育ってきたでしょう。
学校では、先生に迷惑をかけながら勉強していったはずです。
近所の人に迷惑をかけながら、社会ルールを学んでいきました。
友人に迷惑をかけながら、人付き合いのスキルを身につけていきました。
人生は、迷惑をかけたりかけられたりする繰り返しです。
私たち人間は、誰かに迷惑をかけないと、生きていけません。
「迷惑をかけてはいけない」という考え方にとらわれていると、人生が息苦しくなって、生きることが大変になります。
迷惑をかけてばかりもよくありませんが、だからといって迷惑をかけてはいけない考えに固執するのはもっとも良くありません。
肩の力を抜いて、楽に考えましょう。
悪い呪いから自分を解放してください。
堅苦しい思い込みから目を覚ましてください。
困ったときは、どんどん迷惑をかけてもいいのです。
「絶対迷惑をかけてはいけない」ではなく「困ったときは迷惑をかけてもいい」が正解です。
つらくて苦しいときは、迷惑をかけてもいいので、積極的に助けを求めてください。
「ダメかもしれない」と思ったときは、素直に助けを求めましょう。
迷惑をかけることになってもいいのです。
本当に困っているときには、きちんと助けを求めなければいけません。
きちんとSOSを出し、ヘルプを求めることです。
それは悪いことでも恥ずかしいことでもなく、必要なことです。
人は支え合っていく生き物ですから、迷惑をかけることがあるのは当然のことです。
誰かに迷惑をかけたとしても、自分の健康や問題解決を優先することが大切です。
迷惑をかけたら、あとからきちんと謝ればいいことです。
助けてもらうことがあれば、きちんとお礼を言いましょう。
あとから謝ればいいと思えば、迷惑をかける抵抗感が小さくなります。
本当にいっぱいいっぱいのときは、どんな気晴らしやリフレッシュがいいのでしょうか。
まずいちばん避けたいのは、気晴らしやリフレッシュです。
本当にいっぱいいっぱいのときは、気晴らしもリフレッシュもしてはいけません。
むしろ厳禁です。
「どこがいけないの? むしろ必要なことじゃないの?」と思うかもしれませんが、ここが落とし穴です。
気晴らしもリフレッシュも「行為」です。
何をするにしても、体を動かしたり頭を使ったりすることになるのでエネルギーを消費します。
余裕のあるときなら効果的ですが、本当にいっぱいいっぱいで余裕がゼロのときはNGです。
これほど危険なことはありません。
本当にいっぱいいっぱいのときは、気力も体力もゼロの状態です。
良かれと思って下手に動くと、逆効果になりかねません。
体調が回復するどころか、ますます体力が削られ、ぱたりと倒れてしまいます。
本当にいっぱいいっぱいのとき気晴らしもリフレッシュもNGであれば、何をすればいいのでしょうか。
正解は「絶対安静」です。
部屋に引きこもってください。
ひたすら寝てください。
体を静かな状態にして、余計なことに体力や神経を使わないよう、しっかり心身を休めましょう。
本当にいっぱいいっぱいのときは、何もしないのがいちばんです。
下手に動かず、絶対安静を心がけましょう。
職場や学校など、横になって寝られる状況でないなら、机に突っ伏して休んでください。
ベストとは言いがたいですが、下手に動くよりは賢明です。
眠れないなら、目をつぶっているだけでもかまいません。
本当にいっぱいいっぱいのときは、心や体を休ませてあげるのが最優先です。
人間は本来、怠け者です。
ライターを発明したのも、楽をしたかったから。
自転車や車を発明したのも、楽をしたかったから。
エレベーターやエスカレーターを発明したのは、楽をしたかったから。
人は、楽をするためなら、途方もない発想と努力をする生き物です。
怠けるのはよくないことだと考えがちですが、誤解です。
人に怠ける心がなければ、人類の文明はここまで発展しなかったでしょう。
怠けるのはいけないと思いがちですが、実は素晴らしい発展を遂げるためには必要な要素なのです。
もし自分が怠けたくなったときは、こう考えてください。
「本来の状態に戻ろうとしているのだ」と。
人間は本来、怠け者です。
不思議なことではなく、むしろ自然なことです。
いつも気を張っていると、疲れます。
たまには怠けたほうが、気持ちも休まるでしょう。
もちろんずっと怠けてばかりではいけませんが、たまには本来の状態に戻る時間があったほうがいい。
怠けてしまう自分を悪く思わないことです。
予定表に「今日は怠けてもいい日」をつくると、より人間らしく生きられるでしょう。
どん底とは何か。
「いちばん下の底」ということです。
つまり「最悪の状態」を意味します。
夢も希望も絶たれ、最悪の状態を感じることがあります。
「今どん底にいる」
「人生のどん底だ」
「本当に最悪で何もかも真っ暗だ」
そう思うことがあるなら、気づいてほしいことがあります。
実はまだどん底ではありません。
どん底と思い込んでいるだけです。
なぜ「どん底ではない」と言えるのか。
本当にどん底であれば「どん底だ」と思う余裕すらないからです。
本当にどん底の状況ならどうなるか。
何も思考できません。
完全に頭の回転が停止します。
立つことも歩くこともできません。
目の前が真っ暗になり、1日中ぼうっとしてしまいます。
虚無感と空虚感に襲われ、抜け殻になったように落ち込みます。
まずこのことに気づくことが大切です。
勝手にどん底だと決めつけないでください。
悪いほうに決めつけると、出る元気も出なくなります。
「どん底だ」と思えているなら、まだ大丈夫です。
夢も希望も絶たれて絶望的な状況かもしれませんが、まだ本当の最悪ではありません。
「どん底だ」と思えるだけの余力が残っています。
それだけの体力と思考力も残っています。
気力や精神力が少ない状態でも、ゼロではありません。
まだどん底ではありません。
「どん底の1歩手前」です。
どん底の1歩手前ですから、まだ希望があるのです。
まだ自分はどん底ではないことに気づき、希望の光を見いだすことです。
そうすれば、次のアクションが見えてきます。
実はまだ可能性が残っています。
小さなことでかまわないので、できることから始めていきましょう。
どん底ではないと気づくことが、これから這い上がっていくチャンスになります。
お金も仕事もない。
家庭も人間関係もぼろぼろ。
楽しいことも嬉しいことも何もない。
大きなトラブルを抱えていて、ストレスがひどい。
生き地獄のような毎日を送っていると、生きるのが嫌になる。
毎日つらいことばかりで不運の連続だと「生きていてもいいことがない」と思うことがあるかもしれません。
万策が尽きて人生に絶望することもあるでしょう。
希死念慮・自殺願望の気持ちが生じることがあるかもしれません。
ここで気づいてほしいことがあります。
「生きていてもいいことがない」と嘆く人は、大切な幸せを見落としています。
それは「おいしいものを食べることができる」という幸せです。
「生きていてもいいことがない」というのは誤解です。
生きていれば、おいしいものを食べることができます。
おいしいものを食べることも「いいこと」の1つです。
あなたには大好物があるはずです。
もし死んでしまったら、大好物を食べることができなくなります。
おいしいケーキも甘いパンケーキも一切食べることができなくなります。
誰でもおいしいものを食べれば単純に元気が出て、幸せを感じます。
あなたは以前おいしいものを食べたとき「なんておいしいのだろう。生きていて良かった!」と思ったことがあるはずです。
「生きていてもいいことがない」と言いますが大きな誤解です。
おいしいものを食べることができるのですから、生きていてもいいことはあります。
食の力を侮ってはいけません。
食欲は本能であり、3大欲求の1つですが、その限りではありません。
食欲は「幸福感の発生ツール」として考えてください。
幸いなことに、もともと私たちの中には「食欲」という幸福感の発生ツールが備わっています。
ライトのスイッチをオンにすると部屋の明かりがつくように、食欲のスイッチもオンにすれば、心に幸せの光がともります。
すでにあなたは幸せを感じるツールを持っているのですから、きちんと生かして、どんどん幸せな気持ちを生み出してください。
おいしいものを食べるだけでいいのです。
食欲を満たすだけで幸せになれるのですから、これほどシンプルなことはありません。
おいしいものを食べて食欲を満たせば、必ず心が明るくなり、幸福感で満たされます。
生きてさえいれば、おいしいものを食べるチャンスに恵まれます。
世の中には、無数の食べ物があります。
一度も食べたことのないものもたくさんあるでしょう。
世の中にあなたの想像をはるかに超えるおいしいものもあるはずです。
長生きできれば、それだけたくさんおいしいものを食べるチャンスに恵まれます。
おいしいものを食べると、自然と心が上向きになります。
「もうダメだ」から「もうちょっと頑張ってみよう」に変わります。
死ぬほどおいしいものを食べたら、死にたくなる気持ちも消えます。
おいしいものを食べられるだけで、生きる意味はあるのです。
マラソンといえば、最初にイメージするのは「走る姿」でしょう。
額に汗をかきながら、マイペースで淡々と走る姿が印象的です。
マラソンは走ることが基本ですが、よくある誤解があります。
「歩いたり立ち止まったりしてはいけない」と思っている人がいます。
これは違うのです。
マラソンは、歩いても立ち止まったりしてもかまいません。
ルール違反ではなく、ルールの範囲内です。
ペナルティーもありません。
マラソンで歩いたり立ち止まったりするのは珍しいことではありません。
マラソンの終盤では、歩いたり立ち止まったりしている人が大勢います。
そのくらい当たり前だということです。
歩いたり立ち止まったりすることで、上手にエネルギーを回復できます。
途中棄権さえしなければ、マラソンは続きます。
無理をしないことになるため、タイムは遅くなるものの、結果としてフィニッシュ地点までたどり着けます。
きちんとフィニッシュすれば、記念のメダルをもらえます。
「完走」という実績が残り、大きな達成感を味わえ、堂々と胸を張れます。
タイムも大切ですが、完走することはもっと大切です。
遅くてもいいので、完走することが素晴らしいのです。
人生も、マラソンと同じです。
「走り続けなければいけない」と思い込んでいませんか。
いいえ、それは誤解です。
もちろん余裕があるときは走ったほうがいいのは間違いありませんが、MUSTではありません。
人生もマラソンのように、歩いたり立ち止まったりしてもOKです。
まったくルール違反ではありません。
疲れたとき、元気がないとき、体調が悪いとき。
そんなときは、きちんと休憩・休暇を取りましょう。
「申し訳ない」「悪いことをした」「自分が情けない」と思う必要はありません。
自分を責める必要もなければ、自己嫌悪になることもありません。
何もルールに反することはしていないのですから、堂々としていることです。
周りに迷惑をかけるという考え方も不要です。
迷惑を考えていると心理的抵抗が生まれ、休みたくても休めなくなります。
人間ですから疲れることもあれば元気のないときもあります。
急な体調不良もあるでしょう。
そんなときは、気兼ねなくペースを落としたり休んだりしてください。
状況が許されるなら、長期休暇を取るのもありです。
自分の体をいたわることです。
ペースやタイムは後の話です。
大切なことは「無理をしないこと」です。
ペースにこだわることも大切ですが、無理をしないことはもっと大切です。
人生も、マラソンと同じように、マイペースが最も長続きします。
結果として、人生を完走できるのです。
何かに取り組んでいると「どうにもならない」と思うことがあります。
そんなとき、つい言ってしまう言葉があります。
「もうダメだ」です。
使い方としては間違っていません。
間違ってはいませんが、使わないほうがいい言葉です。
「もうダメだ」と言ったとき「できない自分もダメな人間だ」として聞こえるからです。
「もうダメだ」という言葉は、自分を落ち込ませる言葉です。
諦めたことに罪悪感や後ろめたさが残る言い方です。
「もうダメだ」と言うほど「自分は何もできない人間だ。情けない」と思い込むようになり、自信がなくなります。
自分に自信がない人ほど「もうダメだ」が口癖になっています。
「もうダメだ」が口癖になっているから、自信がなくなるのです。
誰にでもできないことはあります。
ダメだと思うこともあります。
「ダメ」という言葉は使わなくてかまいません。
禁句にしましょう。
「ダメ」と言いそうになれば「難しい」と言い換えればいいのです。
難しいという言い方には、実現の可能性があります。
もしかしたら、いつかできるようになるかもしれません。
未来に可能性を感じさせる言い方のほうが、前向きな生き方ができるのです。
「死にそう」という口癖に心当たりはありませんか。
もちろん本当に命を落としそうな状況なら別です。
重大なけがや病気になって、今にも命が途絶えそうなら「死にそう」と言うのもわかります。
致命的な状況なら、一刻も早く助けを求めたほうがいい。
また、長時間労働で心身が疲弊しているとき「死にそう」と訴えることもあるでしょう。
重大な事態のときなら、正直に「死にそう」と言ったほうがいい。
限界に達していることをしっかり表現できます。
最悪な状況であることを伝えることで、きちんと助けを呼べます。
しかし、重大なけがでも病気でもないにもかかわらず、口癖で安易に発言しているなら注意が必要です。
ときどき「死にそう」が口癖の人がいます。
「宿題が多すぎて死にそう」
「仕事が面倒で死にそう」
「毎日つまらなくて死にそう」
「あの人が嫌いで死にそう」
「嫌なことがありすぎて、死にそう」
こうした口癖の大半は「死にそう=とてもつらい」という意味で使われています。
「死」は、人にとって最悪の状況です。
死ぬ以上につらいことはありません。
死ぬと、完全に人生が終わります。
自分の惨状をわかりやすく伝えようと、わざと強い言葉を使っていることもあるでしょう。
死を連想させる言葉を伝えば、いかに自分が大変で苦しいのか、しっかり伝わるように思えます。
本人は軽い気持ちで使っているのかもしれませんが、注意したい口癖です。
「死にそう」という口癖があると、ますます死にそうになります。
自分の声をいちばん聞いているのは、自分です。
「死にそう、死にそう」と言うたびに、自分に対して「死ね、死ね」と言っていることになります。
つらい気持ちが増幅され、ますますむかむかしてきます。
心の自然治癒力を妨げ、心がどんどん不安定になります。
ネガティブ思考がますますエスカレートします。
「死にそう」という口癖があると、ますます死にそうになるのです。
人生に良い影響を与える言葉ではありません。
「死にそう」と言うくらいなら、普通に「大変」「つらい」「厳しい」と言ったほうが、まだ丁寧です。
もしくは「まだまだこれから」「もう少し頑張る」といった前向きな言葉を言うのもいいでしょう。
「死にそう」という口癖は、百害あって一利無し。
たとえ口癖であれ、自分の首を絞めるだけです。
「死にそう」という口癖は、マイナスに働くことはあっても、プラスに働くことはありません。
軽い気持ちで「死にそう」と言わないことです。
心当たりがある人は、できるだけ早めに直しておくのが賢明です。
人は、頑張っているときほど、自分を大きく考えがちです。
自分を過大評価しやすいです。
悩んでいるときは「自分、自分」と考えています。
「自分、自分」と考えているから、ささいな悩みも、いつも以上に大きく感じてしまいます。
そういうときは、上空100メートルから、自分を見下ろしているところを想像しましょう。
自分が鳥になり、空から地上を見ている様子です。
100メートル上空から見下ろすと、どんな人でも、小さな点です。
小さな点が抱く悩みも、小さな点です。
自分では「こんなに大きなことで悩んでいるんだ」と思っても、上空100メートルから見下ろせば、ささいなことです。
細かく動き回る小さな点が、大きく悩んでいるのは、かわいらしいものですね。
それが事実です。
小さな点ですから、大げさに考えても仕方ありません。
大きいと考えすぎると、生きるのが苦しくなります。
大きいことではなく、小さなことに気づくことです。
肩の力を抜いて、リラックスしましょう。
小さな点1つが悩んだところで、別に大したことではないのです。
落ち込んだときは、道端の雑草に目を向けてください。
あなたが普段使う道には、雑草が生えているところがあるでしょう。
コンクリートの割れ目、アスファルトの裂け目、歩道タイルの隙間。
そんな小さなところから伸びている雑草もあるのではないでしょうか。
道端の雑草はほとんど注目されず、踏まれてばかりです。
人に踏まれ、自転車に踏まれ、自動車に踏まれます。
犬にさえ踏まれます。
それでも枯れることはありません。
踏まれてぺしゃんこになっても、しばらくすると立ち上がります。
そして天に向かって草をぐいぐい伸ばしていきます。
踏まれては起き上がり、また踏まれては起き上がります。
草ごと引き抜かれても、しばらくすると、再び生え始めます。
なんてたくましいのでしょう。
なんて屈強な生命力なのでしょう。
雑草だからといってばかにしてはいけません。
小さくて地味な存在ですが、だからといって無視するのはもったいない。
私たちは、道端の雑草から学ぶところがあります。
落ち込んだときは、道端の雑草に目を向け、たくましさを見習ってください。
雑草から不屈の精神を学んでください。
けなげに頑張っている雑草に声をかけてみるのも良し。
「雑草さん、今日も頑張っていますね。私も見習って、たくましく生きていきます!」
どれだけ落ち込んでいても、雑草を見れば元気が出てきます。
地味に見えますが、実は非常にたくましくて、屈強な生命力があります。
踏まれても蹴られてもつぶされても、雑草のようにまた復活すればいいのです。
心は何度でも復活します。
人生は何度でもやり直せます。
雑草は、たくましさを教えてくれる先生なのです。
何をやっても思いどおりにいかない日があります。
「思いどおりに集中できない。仕事が進まない。予定が消化できない」
自分が期待していたように物事が進まないと、いらいらしがちです。
「なぜこんなにうまくいかないのだろう。自分が悪いのだろうか」
誰かが陰で邪魔しているように感じたり、自分に罪悪感を抱いたりするかもしれません。
しかし、もがいたところで仕方ありません。
思いどおりにいかない日は、もがけばもがくほど、さらに事態は悪化するでしょう。
貴重な体力と時間を消費するだけです。
では、どうするか。
思いどおりにいかない日は、そういう日だと考えましょう。
誰も悪くありません。
たまたまそういう日なのです。
人生には、そういう日もあります。
そういう日は「今日は思いどおりにいかない日」と名付ければ、すっと気が楽になるはずです。
いっそのこと「思いどおりにいかない状況」を楽しみましょう。
「さて、次はどんな思いどおりにいかないことが起こるだろうか。楽しみだなあ」
思いどおりにいかないことを楽しもうと思えば、焦りやいら立ちが期待や喜びに変わります。
思いどおりにいかないことを期待して、思いどおりにいかないことが起これば、思いどおりなのです。
私たちは「甘えてはいけない」と言われながら育ってきました。
親や先生から「人に甘えてはいけません」「自立しましょう」と言われてきました。
「弱音を吐くのはよくない」「悩み事があっても自分の力で解決すべきだ」と言われてきました。
その影響のためでしょうか。
甘えることに罪悪感を持つ人が少なくありません。
ここに誤解があります。
「甘えてはいけない」と思っていると、ストレスがたまる一方です。
人は、機械ではなく、心を持った生き物です。
心が耐えられるストレスには限界があります。
心が疲弊すると、元気が出にくくなります。
ネガティブな考えばかりが浮かんできて、うまく結果を出せなくなります。
自分を追い詰めてしまい、壊れてしまいます。
甘えることを否定して生きていると、いつか心がぽきっと折れてしまいます。
いわゆる「壊れる」「燃え尽きる」「立ち上がれなくなる」という状態になってしまうのです。
疲れたとき、苦しいとき、落ち込んでいるとき。
私たちは、誰かに甘えたくなるときがあります。
そんなときは素直に甘えていいのです。
強がってばかりでは、心や体が持ちません。
長い人生を生き抜くことも難しくなります。
意地っ張りと誤解され「こんなはずではなかった」ということになります。
私たち人間は、支え合いながら生きています。
物質的な支えだけではありません。
精神的な支えでもあります。
誰かに寄りかかったり寄りかかられたりしながら生きています。
ですから、たまには誰かに甘えることもあっていいのです。
甘えることは、人間らしいことです。
悪いことをしているわけでもなければ、誰かを傷つけているわけでもありません。
誰かに甘えることができるのも、強さの1つです。
見栄やプライドを捨て、素直な自分を表現することになるからです。
どうか自分を追い詰めないでください。
もちろんいつも甘えてばかりではいけませんが、たまにはいいのです。
普段頑張って生きているなら、なおさらです。
自分を優しく包んで「たまには甘えてもいいよ」と慰めましょう。
そういう甘えは、神様も許してくれます。
大人になっても甘えることがあっていい。
夫や妻になっても親になっても甘えることがあっていい。
甘えることは、私たち人間にとって欠かせない時間です。
甘える時間があるから疲れた心が癒やされ、エネルギーが湧いてきます。
力強く生きられるようになります。
病気になって寝込むときがあります。
寝込んでいるときは動きが制限されます。
勉強もできませんし、仕事もできません。
無駄な時間ばかりが過ぎているように思えます。
そう思うのは、良くありません。
無駄な時間が過ぎていると思うと、余計にいらいらして病気の治りを妨げます。
病気になって寝込む時間は、無駄ではありません。
病気は、頑張りすぎたため、エンストを起こした状態です。
自分を省みず、一生懸命になりすぎたのです。
一生懸命になりすぎていると、自分ではその状態に気づけません。
周りから「リラックスして」と言われても、無視をしてしまいがちです。
神様が、強制的に休ませようとしているのです。
病気は、神様から与えられた休憩の指示です。
偶然、病気になったのではありません。
病気になったことには、意味があります。
「頑張りすぎたから少し休みなさい」というお達しです。
病気になった自分を憎まないことです。
「病気になるくらい頑張りすぎてしまったな」と自分に優しくなるのです。
焦る気持ちは忘れましょう。
病気になれば、思いきり休むことがいちばんです。
心が死んでいるとき、簡単に生き返らせる方法があります。
「心を生き返らせることなんてできるの?」と思うかもしれませんが、もちろんできます。
直射日光を浴びてください。
壁や床に反射された「間接日光」ではなく、太陽から直接地上に届く「直射日光」であることがポイントです。
室内にいるなら、外に出て直射日光を浴びましょう。
外に出られないなら、窓を全開にして直射日光を浴びるようにしてください。
一歩も動きたくないかもしれませんが、地面を這いつくばってでもいいので、直射日光が当たるところまで移動してください。
するとどうでしょう。
みるみるうちに暗い気持ちが消えていくのがわかるでしょう。
太陽の熱を感じると、不思議と心まで温まっていき、明るい気持ちが広がります。
両手を広げて直射日光をたっぷり浴びると、さらに効果的です。
直射日光に触れる面積は少しでも広げてください。
どんどん心が生き返っていくことを実感できるでしょう。
気づけば、すっかり元気を取り戻しているはずです。
直射日光には、体の温度だけでなく、心の温度も上げる効果があります。
太陽からの直射日光には、すさまじいパワーがあります。
落ち込みから引き上げ、人の心を明るくさせる力があります。
人の心を元気に明るくする力は極めて絶大です。
孤独感も閉塞感も絶望感も吹き飛ばしてくれます。
どんな励まし言葉も、太陽の直射日光にはかないません。
どれだけどん底まで落ち込んでいても、闇からあなたを引き上げてくれます。
死んだ心ですら生き返らせる力があるのですから、直射日光の力はまさに最強です。
「肌が焼ける」「しみができる」という心配もあるかもしれませんが、一時的に忘れてください。
心が死んでいるときは非常事態です。
精神的に病む一歩手前ですから、しみや日焼けの心配より、心の回復を優先させましょう。
長時間当たり続ける必要はなく、ほんの数十秒でかまいません。
直射日光は、太陽からの元気のプレゼントであり、生命力のプレゼントです。
心が死んでいるときは、直射日光をたっぷり浴びて、生命力をたっぷりいただきましょう。
みるみる心がよみがえって生き返ります。
もちろん普通に落ち込んでいて元気を出したいときも有効です。
さんさんと直射日光が降り注ぐ場所では、もはや落ち込むことは不可能です。
ハワイのビーチで落ち込む人はいないのです。
太陽は、絶対あなたを裏切りません。
いつも明るく輝いていてパワーにあふれています。
そのパワーをちょっと分けてもらうだけでいいのです。
直射日光を浴びるだけですから、お金は1円も必要ありません。
いつも心が明るくいたいなら、普段から太陽と顔を合わせる時間を増やしておくといいでしょう。
昼夜逆転の生活を送っているなら、規則正しい生活リズムを心がけましょう。
昼中心の生活にすると直射日光に当たる機会も増えるので、太陽からのパワーをもらいやすくなります。
太陽と顔を合わせる機会が多いということは、太陽からのパワーをもらえる機会も多いということです。
心の平均温度が上がることで落ち込みにくくなり、いつも明るい気持ちでいられます。
嫌だからといって、すぐやめてしまっては長続きしません。
「嫌だな」「気が進まない」「できればやりたくない」と思うことは、誰にでもあることです。
お金をもらっている仕事であれば、抵抗があっても責任を持って取り組まなければなりません。
嫌だからといって、安易にやめたり逃げたりするのは無責任となります。
しかし「嫌で嫌で仕方ない」というレベルとなると、話は変わります。
嫌で嫌で仕方ないのは、異常レベルです。
我慢できるレベルを超えていて、心身に不調を来すレベルに達しています。
嫌で嫌で仕方ないことは、別の言い方をすると「心身からの強い拒否反応」です。
強い拒否反応を示しているのですから、無理に続けているとろくなことになりません。
心がレッドカードを掲げながら「とにかく嫌だからなんとかしてくれ!」と叫んでいます。
嫌で嫌で仕方ないことを無理に続けていると、必ずしわ寄せが来ます。
ストレスに押しつぶされて心身の不調につながるのは時間の問題です。
無理に耐えていると、過度のストレスで心もゆがんでいき、性格まで悪くなってしまいます。
トラウマができたり、憎しみや恨みが生まれたりすることも少なくありません。
いずれ心が壊れ、人生がおかしくなってしまうでしょう。
嫌で嫌で仕方ないことなら、取るべきアクションはただ1つ。
今すぐやめることです。
迷うことはありません。
もたもたしていると手遅れになります。
嫌で嫌で仕方ないことなら今すぐやめてください。
アルバイトに行くのが嫌で嫌で仕方ないなら、やめてしまうことです。
職場に迷惑をかけるかもしれませんが、健康が第一です。
無理に耐えたところでいいことはありません。
引き止められたり小言を言われたりするかもしれませんが、私たちにはやめる権利があります。
お金の心配があるかもしれませんが、嫌で嫌で仕方ないなら心身が壊れるのは時間の問題です。
治療が必要になるともっとお金がかかることになり、療養期間も長くなるでしょう。
嫌で嫌で仕方ない仕事なら、今すぐ辞職願を提出です。
それはあなたにまったく合っていない仕事です。
すぐ会社をやめて、休職なり転職なりしてください。
仕事は1つだけでありません。
世の中にはほかにも数多くの仕事あります。
もっと自分に合った仕事に就けば、新しい人生が始まります。
嫌で嫌で仕方ない人がいるなら、今すぐ縁を切ることです。
「相性が最悪」という証拠です。
あなたにとって関わってはいけない人と関わっています。
縁を切るのに抵抗はあるかもしれませんが、罪でも犯罪でもありません。
それで人生が終わることもありません。
嫌で嫌で仕方ない人間関係の中にいると、心身の不調だけでなく、自分が自分でいられなくなります。
世の中にはまだまだ多くの人がいるのですから、新しい出会いに目を向けてください。
もっと自分に合った人を探して、その人と仲良くなりましょう。
嫌で嫌で仕方ないことを続けるのは、自分で自分をいじめているのと同じです。
もっと自分を大切にしてください。
人生ではやめることが正解ということもあります。
仕事でも人間関係でも何でも、嫌で嫌で仕方ないことは、今すぐやめるのが正解です。
嫌なことは、きちんと断りましょう。
何でもイエスばかり答えていると、周りに流されたり振り回されたりお金を失ったりします。
時には思わぬトラブルに巻き込まれることもあります。
何でも「はい、はい」と言って無批判に従っていると、どんどん利用される立場に追い込まれ、あとから悔やむことになります。
できないことや必要ないことも、きちんと断ることが大切です。
断った後、なんとなく嫌な気持ちになることがあるでしょう。
罪悪感があったり気分が落ちたりすることは珍しくありません。
断ることは否定のアクションなので「悪いことをしたかな」「申し訳ないことをしたかな」と、もやもやすることが多いもの。
いい人であればあるほど、断った後は申し訳なさでいっぱいになるはずです。
しかし、まったく気にすることはありません。
自分を責める必要もありません。
むしろ断った自分を褒めてください。
そして断った自分を好きになりましょう。
きちんと意思表示ができました。
難しいことを乗り越えました。
断ることは勇気のいることであり「ノー」と言うのは度胸が必要です。
何も行動していないように思えますが、誤解です。
断ることは、勇気のあるアクションを果たしたことになります。
だからこそ、きちんと断れたときは、そんな自分を褒めて、好きになってください。
お誘いがあっても、行きたくないなら断りましょう。
店員さんから服を進められても、ほしくないなら断りましょう。
仕事の依頼があっても、自分の限界を感じたときは断りましょう。
嫌なこと・できないこと・必要ないことは、その調子でどんどん断っていくのが正解です。
断れる人は、自分の軸を持った人です。
断ることができる人は、きちんと意思表示ができる強い人です。
自分に正直になることです。
自分に正直になることは、自分らしい生き方の実現です。
きちんと断った自分を好きになりましょう。
断るから未来が閉ざされるのではありません。
断るから未来を切り開けます。
断れる人は、自分らしい人生を実現できるのです。
あなたには「心のシェルター」はありますか。
心のシェルターとは「心が壊れそうになったとき、一時的に避難する場所のこと」をいいます。
特別つらいことや苦しいことがあって、心が壊れそうなときがあるでしょう。
いろいろなストレスがたまりまくって、爆発しそうなときもあるでしょう。
そんなときは、心のシェルターに駆け込みましょう。
駆け込める場所は、あなたにとって「聖域」です。
そこに行けば、ストレスから解放され、安全を確保できます。
ほっと安心できて、のんびりリラックスできて、心の平和を取り戻せます。
疲れた心身を充電でき、みるみる普段の元気を取り戻していけるでしょう。
いざというときのために、心のシェルターを決めておきましょう。
つらくなったとき、そこに駆け込めばいいのです。
「私には心のシェルターがある。いざとなったらあそこに駆け込めばいい」と思えるだけで、精神状態は安定します。
心がつらくなっても対処しやすくなるので、勇気が出やすくなって行動もしやすくなります。
心のシェルターはどこでもいいのです。
カフェ、レストラン、神社、公園、噴水広場。
ベランダ、屋外階段、車の中、高層ビルの展望フロアという人もいるかもしれません。
有名な場所や高級な場所である必要はありません。
普通の場所でも、自分にとって癒やしや安らぎを感じるサードプレイスならどこでもOKです。
心のシェルターは、1カ所に絞る必要はありません。
余裕があれば、いくつかの場所を決めておくとますます安心です。
何らかの事情で利用できなくても、別の場所で対応できるので緊急時に強くなります。
心のシェルターは、あなたが決めてください。
人が決めるものではなく、自分が決めるものです。
ほかの人にとって平凡な場所でも、あなたにとって価値があればいいのです。
心のシェルターが1つでもあれば、人生が救われます。
映画やドラマで「命乞いのシーン」を見かけることがあります。
「どうか助けてください!」
「命だけは勘弁してください!」
「私には小さい子どもがいるのです!」
事件に巻き込まれ、敵から刃物を突きつけられ、今にも殺されそうなぎりぎりの場面です。
命乞いをした結果には、2通りあります。
「うまく助かるケース」と「そのまま殺されてしまうケース」です。
残念ながら、両方のケースがあります。
命乞いをしても、無駄に終わるケースも少なくありません。
では、命乞いが無駄かというと、そうではありません。
命乞いは、しないより、しておくほうがいいのです。
命乞いは「生き延びたい」という明確な意思表示です。
生き延びようと必死にもがいている姿です。
どんな言葉でも、少なくとも生き延びたい意思は伝わるでしょう。
命乞いをしている人を見てばかにしてはいけません。
映画やドラマで見かけるシーンの1つですが、人ごとと思ってみないことです。
自分の身に起こる可能性もゼロではないからです。
いざ自分も命の危機に直面したとき、恥ずかしがらず命乞いができるようになっておくことです。
「自分の値打ちが下がる」「プライドが許さない」など、見栄や意地を張らないことです。
見栄や意地を張っていると、あっさり命を落としてしまうでしょう。
命がなくなれば、すべてが終わります。
やり直したくても一切できません。
死んでしまえば、何をどうやっても生き返れません。
この世に未練がなければ何をしようと自由ですが、生き延びたければ恥ずかしがらず命乞いをするのが賢明です。
必死で命乞いをすれば、少しは状況が変わるかもしれません。
相手は心を動かされ、気が変わるかもしれません。
ちょっとした時間稼ぎになって、何らかの突破口が見つかるかもしれません。
無駄になるかもしれませんが、無駄にならないかもしれません。
命が惜しければ、できることは何でもやっておくことです。
命乞いをすれば大丈夫とは限りませんが、少なくとも生き延びる可能性が高くなるのは間違いありません。
死んでしまうくらいなら、醜態をさらしてでも命乞いくらいはしておくことです。
生き残りさえすれば、まだまだ人生が続きます。
おいしいものを食べたり好きなことができたりします。
趣味を楽しんだり夢を叶えたり大切な人との時間を過ごせたりできるでしょう。
喜びも楽しみも、やりたいことができるのも、命があってこそです。
私たちの日常で命乞いをする場面はまずありませんが、絶対ないとも言いきれません。
万一そうした場面に直面したら、恥や外聞を捨ててでも、命乞いをできるようになっておいてください。
武器も逃げ場もないなら、命乞いをするしかありません。
生き延びる可能性が1%でも上がるなら、意味はあります。
命乞いも、抵抗の1つです。
落ち込むことは悪いことなのでしょうか。
いいえ、悪いことではありません。
落ち込んでいるあなたは、素晴らしいのです。
きちんと、自分の過ちを認めることができているからです。
自分と真正面から向き合っている証拠です。
私たちの人生は、落ち込んでいるときほど、意識が成長します。
ひどく落ち込んだときほど、人生を深く考えることができます。
「自分の生き方のどこがいけなかったのだろうか」と考えなければならない状況だからです。
人生でひどく落ち込む経験があれば、人生と自分を振り返り、意識が大きく成長する機会になるのです。
さて、過ちを認めることができれば、もう1つ、追加してほしいことがあります。
反省です。
過ちを認めて終わりにするのではありません。
過ちを認めた後は、反省しましょう。
反省があれば、同じ過ちを繰り返さずに済みます。
「何が悪かったのか。どうすれば同じことを繰り返さずに済むのか」と考えます。
反省ができれば、落ち込みは忘れても大丈夫です。
次は、うまくいきます。
悩むとは何でしょうか。
悩むとは、解決策が見いだせず、あれこれと思い苦しむことです。
悩むのは、苦しいことです。
いらいらしますし、焦ったりします。
悩んでいるあなたは、素晴らしいです。
きちんと解決策を模索しているからです。
やめようと思えば、やめられます。
しかし、やめずに悩み続けているから、素晴らしいです。
諦めない心があります。
あなたは、まだ諦めていません。
その気持ちを大事に抱き続けましょう。
解決策が見いだせなくても、大丈夫です。
まだ解決策が見いだせていないだけです。
もう少しだけ、悩み続けましょう。
悩まないと、名案はひらめきません。
深く悩むから、名案がひらめきます。
「そうだ。こうすればいいのか」と、あるとき一瞬で、解決の扉が開きます。
悩んでいる人だけに与えられる、ご褒美なのです。
焦っているあなたは、素晴らしいです。
限りある人生を、有意義に生きようとしているからです。
人生は、短いです。
一生を80年とすれば、およそ3万日です。
1分1秒が大切です。
焦る気持ちがあるのは、人生の貴重さをよくわかっている証拠です。
「無駄なく生きたい。もっと有意義に過ごしたい」という気持ちの裏返しです。
時間を大切にすることは、人生を大切にすることでもあります。
せっかく神様から授けられた人生ですから、有意義に過ごしたいですね。
時間を有意義に使うことで、人生をより楽しめます。
ただし焦ることはあっても、焦り続けるのは良くありません。
度が過ぎると、心も体も疲れます。
心のへこんだままの状態がずっと続くと、元に戻らなくなります。
何事も、適度が大切です。
たまには休憩をして、余裕もつくりましょう。
大変という言葉には、どのようなイメージがありますか。
大変と聞けば「疲れる」「きつい」「難しい」というイメージを思い浮かべることでしょう。
やはりネガティブなイメージを持つ人が、多いのではないでしょうか。
大事な発想が、1つ抜けていますよ。
「大変」という漢字を、よく見てみましょう。
「大変」という漢字は「大きく変わる」と書きます。
つまり、大変なことは「自分を大きく変えること」です。
「大変だな」と感じたときは、自分を大きく変えるチャンスです。
たしかに大変ですが、だからこそいいのです。
きちんと乗り越えられれば、自分が大きく変わっていることでしょう。
大変なことを、避けていませんか。
大変なことは、避けるものではなく、求めるもの。
たくさん大変なことをして、どんどん自分を大きく変えていきましょう。
大変なことがあれば「やった」「運がいい」「ありがたい」と喜ぶくらいでいい。
大変な毎日は、大きく成長できる毎日でもあります。
それが「大変」という漢字に秘められた、大切な意味です。
「無理しないで」
一生懸命頑張っている人に声をかける応援の言葉です。
応援の言葉といえば「頑張れ」が定番ですが、その限りではありません。
大切な人であればあるほど、真剣にその人の身を案じるようになります。
命や健康を考えると「無理をしないで」というセリフが自然と出てきます。
きっとあなたも大切な人には「無理しないで」を声をかけているでしょう。
大切な人であればあるほど「頑張れ」より「無理しないで」という声をかけたくなるものです。
もちろん頑張っている人に声をかけるのもいいですが、いちばん大切な人を忘れていませんか。
自分なのです。
日頃から一生懸命頑張っているなら、ぜひ自分にも「無理しないで」と声をかけてください。
自分も「大切な人」だからです。
限界ぎりぎりまで頑張ることがあるでしょう。
疲労やストレスがたまって爆発しそうなときもあるでしょう。
そんなときは自分に優しい声をかけてください。
「無理しないで」と。
自分で自分に声をかけるのです。
言い聞かせるように声をかけるのがポイントです。
ぎりぎりのときは、アクセルよりブレーキです。
心も体も限界があります。
「ブレーキを踏んではダメだ。もっとアクセルを踏まなければ!」と思っていると、心身を壊すのは時間の問題です。
ずっとアクセルを踏み続けていると、心も体もすり減ってしまい、いずれ燃え尽きてしまいます。
必死に頑張っていればいるほど、視野が狭くなっていて、自分を客観視できなくなります。
疲れやストレスをためてぎりぎりのときは、頑張るより休憩を取るのが賢明です。
体調を崩してからでは、手遅れになることも少なくありません。
だからこそ、頑張っているときは自分に「無理しないで」と声をかけることが大切です。
肩の力を抜いて、ほどほどを心がけましょう。
ブレイクタイムをつくって休憩するのも良し。
一息つく時間をつくれば、再びエネルギーがチャージされます。
休暇を取って趣味や遊びを楽しむのも良し。
たっぷりリフレッシュすれば、前向きな気持ちもよみがえってきます。
無理をしない生き方を心がければ「人生の安全運転」が実現され、燃え尽きたり挫折したりすることがなくなります。
自分は、世界に1人しかいない唯一無二の存在です。
壊れたり倒れたりすることがないよう、十分なケアをしてください。
落ち込んでいるとき、あなたはどうしていますか。
自然と元気が出るまで待っている人もいるでしょう。
ぼんやり天井を見つめながら寝てばかりの人もいるかもしれません。
人と会っておしゃべりをしたり外食をしておいしいものを食べたりする人もいるでしょう。
ゲームを楽しんだり音楽を聴いたりして、気持ちを紛らわせている人もいるはずです。
もちろん過ごし方は自由ですが、落ち込んでいるときだからこそ効果的な過ごし方があります。
落ち込んでいるときは「元気の出る本」を読みましょう。
元気の出る考え方を吸収できるベストタイミングだからです。
落ち込んでいるときは、元気を求める欲求が強くなっています。
心が「パワーが欲しい」と叫んでいます。
元気を求める吸引力が高くなっています。
そのため普段は心に響かない言葉でも、元気のないときは、心に響きやすくなっています。
普段は何とも思わない考え方も、元気のないときなら「なるほど」と納得できます。
心にぐさりと突き刺さり、忘れられない一言になるでしょう。
元気を求める力が強いので、心が敏感に反応するうえ、吸収力も高くなるのです。
ポジティブな考え方を取り入れるなら、元気なときより落ち込んでいるときのほうが適しています。
落ち込んでいるときは、なにをやってもダメに思えますが、そう感じるだけです。
元気が出ない状態は、いつでも再現できるわけではありません。
この貴重な機会を十二分に生かすべきです。
「元気が出ない。心が死んでパワーも出ない。よし、元気の出る本を読もう!」
これでいいのです。
せっかくのチャンスですから、この機会を逃すのはもったいない。
落ち込んでいるときは、元気の出る考え方を吸収できるベストタイミングです。
落ち込んでいるときは、本屋に行きましょう。
元気が出る言葉を紹介した本がたくさん出版されています。
ぱらぱらページをめくって、自分が読みやすいと感じる本がいいでしょう。
落ち込んでいて元気がなくても、本を読むくらいならできるはずです。
言葉は「言霊」といって、神秘的な力が宿っています。
本を読んでいると、活字から癒やされたりパワーをもらえたりします。
そういうとき「運命の1冊」と出会えます。
その本が、人生を変える1冊になることもあるのです。
限界を感じたら、やめてください。
やめてもいいのです。
「情けない」「恥ずかしい」と思うかもしれませんが、情けないことでも恥ずかしいことでもありません。
それが正しい選択です。
「つらい!」「限界だ!」「もう嫌だ!」という気持ちは心のサインです。
人は機械ではありません。
人には限界があります。
疲れもストレスも、気合や根性でなんとかなるものではありません。
肉体的・精神的な限界は、根性論や精神論で対処できるものではありません。
無理に続けていると、体を壊したり心が折れたりして大変なことになります。
心が「限界だ!」と叫んでいるなら、それが正解です。
健康があっての人生です。
健康があっての幸せです。
限界を感じたら、やめてしまいましょう。
恐ろしい敵が近づいてきたら、逃げてください。
逃げてもいいのです。
かっこ悪い姿をさらすことになるかもしれませんが、気にすることはありません。
まず身を守ることが大切です。
見栄を張って無理に戦う必要はありません。
笑う人がいれば、笑わせておくことです。
ばかにする人がいれば、言わせておけばいいのです。
無理に戦うと大きなダメージを受け、回復に時間がかかります。
場合によっては致命傷を負ってしまい、命に関わる可能性もゼロではありません。
私たちには「逃げる」という最後の切り札があります。
逃げることは正当な防衛本能です。
ロールプレーイングゲームでは「逃げる」という選択肢があるように、私たちの人生も「逃げる」という選択肢があります。
それは普通のことであり、命と健康を守るために欠かせない選択肢です。
恐ろしい敵から逃げることは賢明な選択です。
不可能なことであれば、諦めてください。
諦めてもいいのです。
不可能なことは、何をどうやっても不可能だからです。
可能性があるなら粘るのもありですが、不可能なことであれば、すでに答えは出ています。
やみくもに続けたところで状況は変わりません。
貴重な時間やお金が失われるばかりです。
今まで費やしたリソースが大きいと、サンクコストの心理が働き「なんとかならないか」と思ってしまいます。
惜しい気持ちもあるのかもしれませんが、続けたところでますます消費がエスカレートします。
諦めることも大事な決断です。
自分のリソースは限られているのですから、早めの決断が重要です。
不可能だと判断したら、潔く諦め、別の道に進みましょう。
早ければ早いほど賢明です。
いらないものは捨ててください。
捨ててもいいのです。
まだ使えたり高価なものだったりすると、もったいない気持ちがあって捨てることにためらいが生じます。
しかし、いらないものは、やはりいらないのです。
捨てないでいると、どんどん部屋のスペースがなくなります。
どんどん部屋が物であふれていき、ごちゃごちゃしてきます。
住環境が悪くなるばかりで、足の踏み場に困るようになるでしょう。
最終的にはごみ屋敷になりかねません。
「不要」と判断したら、どんどん捨てていきましょう。
手紙や年賀状も、記念品や思い出の品物も、後ろ髪を引かれる思いがあるかもしれませんが、心の鬼にすることも必要です。
持っていても仕方ないものは「用済み」と判断してください。
手を合わせて感謝の気持ちを捧げると、処分しやすくなります。
快適な生活を実現するためにも、いらないと判断したら、潔く捨てることが大切です。
捨てることに抵抗があれば、人にあげてください。
誰かにあげてもいいのです。
あげてしまえば、その人の役に立ちます。
所有者が変わるだけですから、捨てることに比べれば抵抗はありません。
自分にとってはいらないものでも、声をかけると「譲ってほしい」「ありがたい」と喜んでくれる人がいるかもしれません。
中古を気にしない人もいます。
いらないものを処分できるうえ、人の役に立つのですから一石二鳥です。
あげる人がいなければ、売ってしまいましょう。
中古屋さんに持ち込めば、たいていのものは引き取ってもらえます。
金額に期待さえしなければ、カバンでも小物でも何でも、意外と引き取ってもらえることが少なくありません。
売れば、お金になります。
微々たる金額かもしれませんが、生活の足しにはなるでしょう。
たとえゼロ円でも、少なくとも処分ができるのですからありがたいことです。
中古屋さんに売れば、誰かに使ってもらえるチャンスが出てきます。
苦手な人がいるなら、距離を置いてください。
距離を置いてもいいのです。
「距離を置くと冷たい人と思われるかな」と心配するかもしれませんが、無用の心配です。
ストレスを感じる人がいれば、距離を置きたくなって当然です。
相手と別れたり縁を切ったりするわけではありません。
距離を置くだけのことです。
苦手な人とは距離を置いてください。
同じ職場で接する機会があるなら、挨拶と最低限の対応ができていれば十分です。
できるだけ距離を置いて、自分を守りましょう。
当たり障りのない接し方をしていれば、大きな問題にはなりません。
もう交際を続けたくないと思ったら、別れてください。
別れてもいいのです。
最初は愛があっても、永遠に続くとは限りません。
紆余曲折があって2人の関係に変化が生まれ、愛がゼロになることもあれば、マイナスになることもあるでしょう。
大好きだった人が大嫌いになるケースは少なくありません。
「相手に申し訳ない」「思い出が無駄になる」と思うかもしれませんが、心を鬼にすることも必要です。
信頼関係を築けない人と交際を続けたところで仕方ありません。
だらだら交際を続けていると、ますます貴重な時間が過ぎていくばかりです。
無駄な出費が増えて、貯金もできません。
自分の気持ちに正直になることです。
交際に限界を感じたら、勇気を出して別れを切り出しましょう。
もたもたしないで、早めの行動が大切です。
まだまだ出会いはたくさんあります。
信頼関係を築けない人ときちんと別れて、次の出会いに期待しましょう。
あなたに害を与える人がいれば、縁を切ってください。
害を与える人に対しては「距離を置く」という生ぬるい対応では間に合いません。
完全に縁を切ってもいいのです。
「縁を切るのは人として最低な行為」と思うかもしれませんが、最低ではありません。
むしろ人として大切な行為です。
害を与える人とは、完全に縁を切るのが賢明です。
害のある人と付き合い続けたところで苦痛の連続です。
無理に付き合い続けていると、ますます被害を受けるばかりで、傷が深くなります。
無理に付き合いを続けていると、経済的にも肉体的にもずたずたになってしまうでしょう。
あなたの人生がどんどん傷ついていき、ダメになってしまいます。
自分を守るためにも、害のある人とは縁を切るのが賢明です。
日常では、大きな不幸に見舞われることがあります。
事故、事件、病気。
大きなミス、重大な失敗。
人間関係のトラブル。
自分に落ち度がある場合もあれば、不可抗力もあるでしょう。
そんなとき「何て自分は不幸なのだろう……」と嘆きたくなります。
もちろんそれは正直な気持ちであり、ありのままの心の叫びでしょう。
不幸に見舞われると、大きなストレスを受け、しばらく気持ちが落ち込みます。
人生に起こった悲劇を悔しがります。
対応に手間暇がかかり、面倒が増えます。
いらいらしたり悲しくなったりして、惨めな気分になるでしょう。
しかし、その出来事を「不幸」と決めつけるのは早すぎます。
不幸に感じても、不幸が確定しているわけではありません。
不幸に見えるのは現在から見ているからです。
視点を変えてみましょう。
その出来事を、現在からではなく、未来から見てみるのです。
未来からその出来事を見ると、感じ方が変わります。
たとえば、事故に遭って入院したとします。
自由を制限され、人生がしばらく停滞します。
治療費がかかったり、周りに迷惑をかけたりするでしょう。
心が不安に包まれ、悲しみに暮れます。
痛みに苦しみ、ストレスに悩み、不安定な日々が続きます。
そのときは不幸のどん底かもしれませんが、現在から見ているから、不幸に感じるだけです。
視点を変えて、現在ではなく、未来から見てください。
もちろん未来はまだわかりませんが、あくまで未来の自分がいると仮定して振り返ってみます。
未来のあなたは現在のあなたを見て、きっとこう思うでしょう。
「あの一件のおかげで、メンタルが強くなった。健康の重要性を再確認できた。人生の生き方が変わった」
不幸とはいえ、プラスに働くことがあります。
健康を害することで、健康意識が高まった。
右手をけがしたら、左手が器用になった。
トラブルはあったが、大切な価値観に気づけた。
不幸のおかげで得た幸福があるはずです。
どんな不幸にも、幸福の種が隠れています。
プラスになったことがたくさんあると気づくはずです。
不幸を生かせば、成長に変えることができます。
不幸をバネにすれば、飛躍に変えることができるでしょう。
現在の不幸が、未来の幸福につながることはよくあること。
ですから安心してください。
不幸ではありません。
不幸に見える幸福です。
現在から見て不幸でも、未来から見ると幸福になります。
今は、悔し涙をたくさん流しておきましょう。
涙を流してはいけないと誰が言ったのでしょう。
いいえ、涙はたくさん流しておくものです。
期待した成果が得られないと、悔しくて悔しくて仕方ないでしょう。
そんなときは、涙が出なくなるまで悔し涙を流しましょう。
悔しいときは、悔し涙を流すのは、人間の自然な生理現象です。
悔し涙の量は、あなたの悔しさを表しています。
悔しいときの涙は、悲しいときの涙と比べて、味がしょっぱい。
ぺろりとなめて、自分の悔しさを味で確かめてみるのもいいでしょう。
涙をよく流す人は、一生懸命な人です。
悔し涙が出るくらい努力をしているのは、すでに立派な努力家です。
今の悔し涙を流すくらい頑張っているなら、近い将来、努力が実るでしょう。
人生は、うまくいかないこともたくさんありますが、必要な努力を続けていれば、最終的にはうまくいくもの。
「悔しいけど、諦めない」
「頑張って、やり抜いてやる」
今の悔し涙は、将来の嬉し涙に変わるのです。
あなたはもう十分頑張りました。
もう十分我慢しました。
長い間ずっと頑張り続けていて、努力と我慢の日々を送ってきました。
いつの間にか体にむちを打つことが増え、疲れがたまっています。
いつの間にか無理をすることが増えていて、ため息も増えています。
睡眠不足が常態化していて、肉体的・精神的な疲れが取れず、倦怠感に悩まされることが多くなっています。
口角を上げる時間より、眉間にしわを寄せる時間のほうが長くなっています。
このままでは眉間のしわが深くなって取れなくなってしまうでしょう。
小さな我慢も、毎日積み重なるとどんどん大きくなる一方です。
知らず知らずのうちにストレスをためていて、ぎりぎりの状態になっています。
頑張るのはいいのですが、頑張りすぎるのは良くありません。
無理をするのは体に毒です。
これ以上、自分を酷使すると壊れてしまいます。
人は、ロボットではなく、生身の生き物です。
いったん壊れると、回復に長い療養を必要とします。
必要な努力や我慢もありますが、だからといってやみくもに頑張ったり我慢したりするのにも限界があります。
もう無理に頑張るのはやめましょう。
もう我慢をやめてしまいましょう。
今必要なのは、SOSを出す勇気です。
つらいときには「つらい」と言ってください。
休みたいときには「休みたい」と言ってください。
無理だと思ったら「無理」と言ってください。
限界を感じたときは、きちんとSOSを出しましょう。
SOSは小さな一言でいいのです。
「相談に乗ってもらえませんか」
「手伝ってもらえませんか」
「休ませてもらえませんか」
誰かが助けてくれるのを待つのではありません。
自分から助けを求めなければいけません。
それは弱いことではありません。
申し訳ないと思う必要はありません。
もう十分頑張ったし、たくさん我慢もしたのですから、そのくらいのことをしてもバチは当たりません。
弱音を吐いたり助けを求めたりするのは勇気のいることですが、今のあなたには必要なことです。
SOSを発すると、新しい扉が開くのです。