感動するなら、生で本物を鑑賞するに限ります。
これはあらゆることに共通して言えることです。
どれだけ素晴らしい本も、どれだけ高品質のビデオやオーディオも、生で本物を鑑賞するインパクトにはかないません。
そこには真の感動があるのです。
たとえば、美術鑑賞をするなら、直接美術館に足を運び、自分の目で本物を鑑賞するに尽きます。
交通費も手間暇もかかりますが、それだけの価値はあります。
本屋に行けば、美術関連の本がたくさんあります。
本であれば、いつでもどこでも何度でも鑑賞できますが、どれだけ立派な美術本でも、やはり本物の作品鑑賞にはかないません。
美術館に行けば、生で本物を鑑賞できます。
自分の目で直接絵画を鑑賞すると、ぐっと伝わってくるものがあり、全身から鳥肌が立つのです。
クラシック音楽を聴くなら、やはり生のクラシックコンサートを聞きに行くのが一番です。
オーディオを買えば、いつでもどこでも何度でも聴けます。
良質なイヤホンなら、良い音で鑑賞できます。
オーディオ環境が整っていれば、臨場感たっぷりで楽しめるでしょう。
そうだとしても、やはり本物のクラシックコンサートにはかないません。
感動が違うのです。
五感を通して心に響いてくるものがあります。
同じ音楽でも、生のクラシックコンサートと録音されたオーディオとではまったく別物です。
感動が雲泥の差です。
これは言葉では言い表せません。
どれだけ良いイヤホンであっても、生のコンサートにはまったくかなわないのです。
これは美術鑑賞やクラシックコンサートに限りません。
すべての鑑賞にいえます。
書籍や録音録画で楽しむのも悪くありませんが、感動という点では、一回りも二回りも劣ります。
書籍も録音録画も、媒体を通した鑑賞です。
見ているのはあくまで媒体であり、本物ではありません。
五感を通して心に響くものも足りません。
生々しいところまで伝わってきません。
生々しいところこそ感動を生みます。
舞台・お芝居・ミュージカルはもちろん、滝やお祭りもそうです。
那智の滝・華厳の滝・袋田の滝も、生で見ると、迫力がすごいことがわかります。
京都の祇園祭・飛騨の高山祭・埼玉の秩父夜祭も、生で見るとやはり心から感動します。
直接生で見ることで、心が震えます。
より大きな感動を得たいなら、生で本物を鑑賞するのが一番です。
お金をかけるだけの価値があるのです。