食欲とは何でしょうか。
辞書を引いて意味を調べると「食べたいと思う欲望」「積極的に何かを食べたいと思う気持ち」といった説明があります。
もちろん意味としてはそのとおりですが、辞書に書かれている説明がすべてではありません。
「人生のパートナー」
そう聞いたとき、何を思い浮かべますか。
親や兄弟姉妹といった血縁関係を思い浮かべることでしょう。
あるとき無性に食べたくなる瞬間があります。
・無性にケーキが食べたくなる
・無性に牛丼を食べたくなる
「早食いしてしまった」
「ながら食いをしてしまった」
「きちんとおいしく味わえなかった」
あなたの個性は、どこに表れるのでしょうか。
答えはシンプルです。
ずばり、好きな食べ物に表れます。
落ち込んでいる人を励ましたいとき、あなたならどうしますか。
まず元気を出してもらおうと思って「明るい言葉」をかけることが多いのではないでしょうか。
「どう言えば、明るい気持ちになってもらえるかな」
「何を食べたか」を気にする人は多い。
「甘いものを食べたい」
「高価なものを食べたい」
食べるのは誰の仕事でしょうか。
食べ物を食べるのは、あなたの仕事です。
食べ物を口に運ぶのも、顎を動かすのも、飲み込むのも、あなたの仕事です。
まずい食べ物に感謝してください。
まずい食べ物はまずい。
食べられないものは食べられない。
食事をおいしくいただくためには、一食一食を大切にしましょう。
1日3食であれば、朝・昼・晩の食事を大切にします。
私たちの人生は、食事の連続です。
嫌いな食べ物が含まれているだけで、料理全体を否定する人がいます。
たとえば「カレーは好きでもグリーンピースは嫌い」という人がいるとします。
そんな人にとって厄介なのが、グリーンピースカレーです。
おいしい食べ物は、いつ食べてもおいしい。
昼に食べても夜に食べてもおいしい。
雨の日も雪の日も台風の日もおいしい。
あなたは普段、料理をつくることはありますか。
節約のために自炊を心がけている人もいるでしょう。
家族や恋人のために料理をつくっている人もいるでしょう。
「ああ、おいしかった。もう食べられない」
メインの料理を食べれば、おなかも満たされているでしょう。
特にコース料理では、一皿ずつゆっくり出てくるため十分な満腹感が得られます。
私たちは味を楽しむとき「味わう」と表現します。
「肉を味わう」
「コーヒーを味わう」
下痢でひどい目に遭った経験はありますか。
すぐトイレに駆け込めればいいですが、場所やタイミングによっては難しいことがあります。
下痢は急に襲ってくるから怖い。
自宅で食事を終えたら、食器を洗います。
シンクの前に立ち、スポンジに食器洗剤をつけて、ごしごし洗っていることでしょう。
洗い物が山積みだと、仕事をする前からげんなりするかもしれません。
ときどき満腹を自慢げに話す人がいます。
「満腹でしっかり食べたぞ!」
「いつも腹いっぱいに食べているよ!」
「この料理はおすすめだよ」
「ぜひ食べてみてよ!」
「すごくおいしくておすすめだよ」
お茶碗のご飯を食べました。
おいしくいただいて食べきりました。
「完食できた」と喜びたいところですが、ちょっと待ってください。
あなたが生きる目的は何ですか。
「夢を叶えるため」
「人や社会に貢献するため」
「おや。見た目はよくないのに意外とおいしい!」
味と見た目のギャップに驚くことがあるものです。
見た目はよくないのに、試しに食べてみたところ、思いのほかおいしくて驚かされることがあります。
偶然いいお店を見つけることがあります。
おしゃれな雰囲気だったり、おいしそうな料理があったり、すてきな店員さんがいたりです。
偶然入ったお店が思いのほか素晴らしくて、印象に残ることがあるでしょう。
世の中に「単なる食事」は1つもありません。
あなたの心に「単なる食事」と思う気持ちがわずかでもあるなら、今すぐその心を改めたほうがいいでしょう。
それは傲慢です。
食事をするたびに「この食事を楽しめるのは最初で最後」と考えてください。
「普段から食べ慣れている食事だ」
「目の前の料理は、何度も食べたことがあるもの」
食生活を豊かにするためにはどうすればいいか。
食のありがたさを実感することが大切です。
飽食の時代とはいえ、食に恩恵を感じて感謝することは欠かせません。
「あっ、ここにお店がある。ちょうどおなかがすいているから入ってみよう」
たまたまお店を見つけ、たまたまお店に入ります。
平凡なことであり、よくある日常的なことです。
食に対する感謝は、まず「ありがとう」が基本です。
親につくってもらった食事があるでしょう。
「おいしい食事をつくってくれてありがとう」です。
あなたが好きな食べ物を食べるのは、どんなときですか。
「機会があれば食べる」
「たまたま見つけたら食べる」
人生は有限です。
生きているかぎり、いつか私たちは寿命を迎えます。
これは命があるものの定めであり、免れることはできません。
食欲とは何でしょうか。
辞書を引いて意味を調べると「食べたいと思う欲望」「積極的に何かを食べたいと思う気持ち」といった説明があります。
もちろん意味としてはそのとおりですが、辞書に書かれている説明がすべてではありません。
ほかにも大切な意味が含まれています。
それが「未来の準備」です。
食欲は未来の準備です。
今、食欲があって食べるから、未来を生きることができます。
私たちの体は、食べたものからできています。
食べたものから栄養を吸収して、体を作ったり体を動かすエネルギーを生み出したりします。
栄養のあるものを食べれば、それだけ健康的な体がつくられ、体も大喜びします。
おいしいものを食べれば、自然と気力がみなぎってきて、いても立ってもいられなくなります。
心に幸福感が広がって、生きる力がチャージされます。
食べるだけで幸せになるのですからこれほど簡単なことはありません。
食欲を満たすことで必要な準備が整って、未来に向かって進んでいけます。
食欲を無視しないでください。
食欲を無視すると、未来がやってきません。
今の食欲を大切にするから、未来がやってきます。
さあ、未来の準備を始めましょう。
食欲を感じたら、食に向かってレッツゴーです。
体が「未来の準備をしようよ」と叫んでいます。
無理に我慢せず、何か食べましょう。
体からのメッセージですから、きちんと受け止め、従うことが大切です。
あなたが今するべきことは、食欲を満たすことです。
きちんと食事をとってもいいし、小腹を満たすだけでもかまいません。
食べたいものを食べるだけでいいのです。
今を充実させることが、素晴らしい未来を形作ることになります。
食欲を満たすだけで、あなたは未来の準備をすることになります。
「人生のパートナー」
そう聞いたとき、何を思い浮かべますか。
親や兄弟姉妹といった血縁関係を思い浮かべることでしょう。
恋人・夫・妻といった、親しいパートナーを思い浮かべるかもしれません。
友人や親友など、何でも話せる腹心の友を思い浮かべる人もいるでしょう。
自宅で買っている犬や猫といったペットを思い浮かべる人もいるかもしれません。
もちろんそうした存在も人生のパートナーであるのは間違いありませんが、意外と忘れがちな存在がいます。
あなたの大好物なのです。
大好物は食べ物です。
食べ物ですが、あなたの人生に大きなパワーと幸運をもたらす存在です。
大好物を食べると元気が出ます。
心がハイになって何でもできそうな気がしてきます。
体に神秘的な力が宿って運気がアップします。
悲しいときや落ち込んでいるときも、大好物を食べれば心に明るい光が差し込みます。
大好物を食べるだけでいいことになるので、ぱっと明るい気持ちになれます。
さっきまでの落ち込みは何だったのかと思うほどです。
ネガティブ思考になっていても、大好物を食べれば、ポジティブ思考のスイッチがオンになります。
視線が上向きになり、未来も明るく感じてきて、いても立ってもいられなくなります。
大変な仕事があっても、大好物をご褒美にすれば、心にエンジンがかかってやる気が出ます。
大変な場面でも踏ん張りが利くようになって、困難を乗り越える力になります。
こうした恩恵を考えれば、大好物を人生のパートナーと呼んでもうなずけるはずです。
大好物が人生に与える影響は無限大です。
「人生のパートナー」と呼べるだけの存在感は十分あります。
大好物は、かけがえのない存在です。
食べ物ではありますが、人と同じくらい優しく丁寧に接していきましょう。
あなたの大好物を人生のパートナーとして考えてください。
今まで意識したことがなければ、これから意識するようにしましょう。
おそらくあなたは、これまで数え切れないほど大好物のお世話になってきたでしょう。
これからの人生も、数え切れないほど大好物のお世話になるに違いありません。
大好物に「いつもお世話になっています」とお礼を言って、感謝の念を捧げましょう。
大好物をもっと好きになり、もっと愛しましょう。
大好物は、あなたの人生のパートナーです。
あるとき無性に食べたくなる瞬間があります。
前触れもなく、不思議な食欲が湧いてくることがあるでしょう。
頻繁にあるわけではありませんが、時折そうした衝動に襲われることがあるのではないでしょうか。
こうしたことがあれば、心がけることは1つです。
無性に食べたくなる衝動には、素直に従っておくのが正解です。
なぜ無性に食べたくなるのか。
可能性として考えられるのは「不足した栄養を補うサイン」です。
無性に食べたくなるのは、体が発する「救援シグナル」というサインである可能性があります。
「栄養が不足しているから早く取ってください。さもないと健康に影響しますよ」という意味があります。
喉が渇いたら水が飲みたくなるように、何らかの事情で特定の栄養が足りなくなると、それを欲するサインを出します。
それが「無性に食べたくなる」という現象です。
断定はできませんが、1つの可能性として考えるに値します。
体からの救援シグナルという可能性が高い場面ですから、素直に従っておくのが賢明です。
無性に食べたくなったときは、チャンスと考えてください。
「よりおいしく楽しめるチャンス」です。
喉から手が出るほどそれを食べたいと思っているタイミングです。
無性に食べたいときにそれを食べると、よりおいしく楽しめます。
欲する気持ちが特別強いので、食べたときの満足感・幸福感がひとしお大きくなるでしょう。
「ああ、おいしい。これを食べたかったのだ。なんて幸せなのだろう!」
涙が出るほど嬉しく、ため息が出るほどうっとりして、心の底から喜べます。
食べ慣れているはずのものでも、やけに感動するでしょう。
よりおいしく楽しめる瞬間があるのですから、そのチャンスを生かさなければ損です。
「無性に○○が食べたい」と思う瞬間を見逃さないでください。
よりおいしく楽しめるチャンスです。
チャンスはつかむためにあります。
「早食いしてしまった」
「ながら食いをしてしまった」
「きちんとおいしく味わえなかった」
満足のいく食事ができなかったとき「最初から食事をやり直したい」と思うことはありませんか。
残念ながら、それはできません。
食事をやり直したくても無理な話です。
「ちょっと間違えたのでやり直したいです」といっても不可能です。
食事には練習がありません。
食事には本番しかありません。
泣いても笑ってもどれだけ大金を積もうと、時間を戻すことはできないため、やり直しは不可能です。
人生には本番しかないように、食事も本番しかありません。
「○○月○○日の朝食・昼食・夕食」という本番です。
同じ日時の朝食・昼食・夕食は、もう二度とできません。
たとえ軽食でも正真正銘の本番です。
タイムマシンに乗って過去に戻ることはできないのです。
食事の際、それが本番であることを意識しながら食べてください。
自炊であれ外食であれ、食事はすべて本番です。
見た目は普通の食事でも、1回勝負です。
フルコースはもちろんのこと、軽食でも本番です。
一口一口を、じっくり味わいましょう。
背筋を伸ばして、姿勢を正して食事をしましょう。
「いただきます」「ごちそうさま」ときちんと言いましょう。
正しい食事マナーや正しい箸の持ち方を心がけましょう。
味覚に集中して、一口一口をきちんと味わいましょう。
後で悔やむことがないよう、一食一食を大切にしましょう。
一食を大切にして、しすぎることはありません。
食事とは命をいただく行為ですから、食べ物に感謝の念を持ち、真剣な気持ちでいただくことが大切です。
人生とは、食事の連続で成り立っています。
1回1回の食事を大切にすれば、素晴らしい1日になります。
素晴らしい1日を繰り返せば、素晴らしい日々が形作られていきます。
結果として素晴らしい人生になります。
何かを身につけたり特別なものを手に入れたりするわけではありません。
日頃の心がけですから、その気になれば今すぐできるはずです。
人生を真面目に生きているあなたなら、ほんの少し心がけるだけでできるはずです。
「食事はすべて本番」という意識を持ちながら、一食一食を大切にするあなたは素晴らしいのです。
あなたの個性は、どこに表れるのでしょうか。
答えはシンプルです。
ずばり、好きな食べ物に表れます。
好きな食べ物には、あなたの内面が反映されます。
「好き」という感情は、内面を映し出したポジティブな感情です。
好きな趣味や音楽にはあなたの内面が反映されますが、それは好きな食べ物でも同じです。
好きな食べ物は、あなたの個性が反映されるところです。
あなたが好きな食べ物は何ですか。
好きな食べ物は「素晴らしい価値がある」と認めている対象です。
おいしく感じるものは、あなたとぴったり合っている証拠です。
スムーズに受け入れられるのですから、そこに個性が表れます。
相性が良いため、それに触れているだけで明るい気持ちになります。
テレビのトーク番組で、タレントが自分の好きな食べ物を紹介することがあります。
「私は○○を食べるのが好きなんですよ。しょっちゅう食べています。○○がないと生きていけません」
好きな食べ物の話題が出ると「そういう食べ物が好きなんだね」と思います。
好きな食べ物を通して、相手の内面が感じられます。
この瞬間、その人の「プロフィール」だけでなく「個性」も感じられるはずです。
甘いものが好きなら「かわいい」という印象を受けることがあるでしょう。
辛いものが好きなら「刺激を好む性格なのかな」と感じるでしょう。
好きな食べ物にユニークな食べ物が紹介されると、それだけ印象深くなって記憶に残るでしょう。
好きなものを聞くだけで、間接的に相手の個性を感じるはずです。
それは、あなたも同じことです。
好きな食べ物も、あなたの個性です。
たかが好きな食べ物と侮ってはいけません。
あなたの大事な個性の1つですから、きちんと尊重して大切にしてください。
自己紹介では、ぜひ好きな食べ物も紹介しましょう。
ストレートに「好きな食べ物は○○です」と言えばいいだけです。
それを聞いた相手は「へえ、○○が好きなのですね」とあなたの個性を感じ取ってくれるでしょう。
好きな食べ物は、あなたの人生に花を添える存在ですから、堂々と紹介してあげてください。
好きな食べ物も「紹介してくれてありがとう」と喜んでくれます。
好きな食べ物は、もっと愛しましょう。
あなたが愛すべき対象です。
あなたの個性は、好きな食べ物に表れます。
好きな食べ物を食べると、自分らしさに磨きがかかります。
落ち込んでいる人を励ましたいとき、あなたならどうしますか。
まず元気を出してもらおうと思って「明るい言葉」をかけることが多いのではないでしょうか。
「どう言えば、明るい気持ちになってもらえるかな」
「こう言えば、元気を出してもらえるかな」
相手の立場を想像しながら、言われて嬉しい言葉を選ぶことでしょう。
相手の気持ちに寄り添いながら、明るい言葉で相手を元気づけていくのではないでしょうか。
しかし、励ますとはいえ言葉選びが難しい。
「大丈夫だよ」と言っても、相手に聞き流されるかもしれません。
「なんとかなるよ」という言葉も、ちょっと無責任に感じます。
励ましの言葉とはいえ、ありきたりなフレーズでは陳腐な感じがあって説得力が足りません。
うまいセリフを言って笑わせたり楽しませたりしたいところですが、とっさにセリフが浮かばないこともあるでしょう。
あれこれ考えていると頭を抱えることになり、かえって自分がストレスを感じてしまいます。
もちろん言葉で励ますことも大切ですが、実はもっとシンプルでいいのです。
食事に誘うだけでいいのです。
落ち込んでいる人を励ましたいなら、ぜひ食事に誘ってください。
「一緒に食べに行こう!」
「何か食べに行こうよ!」
「おいしいものを食べに行こうよ!」
食事に誘えば、相手は明るい表情を見せてくれるでしょう。
食は、元気の源です。
どんなに落ち込んでいようと、おいしいものを食べると単純に元気が出ます。
おいしいものを食べることで腹も心も満たされます。
心に明るい気持ちが広がって、下向きだった心のベクトルが上向きに変わります。
もちろん気分転換やストレス解消の効果も抜群です。
おいしい料理を食べているうちにエネルギーが充電され、相手はみるみる元気を取り戻していくでしょう。
これが具体的なアクションです。
あなたが食事に誘うことで、落ち込みから立ち直るきっかけをプレゼントできるのです。
励ますことを難しく考えないでください。
食の力は偉大です。
こういうときこそ、食の力を借りようではありませんか。
食事に誘うだけでいいのです。
食事に誘うことはポジティブな行為です。
励ましの言葉選びに頭を抱えて悩むくらいなら、食事に誘ったほうが早い。
相手を励ませるだけでなく自分もおいしい食事を楽しめるので、お互いにとって笑顔です。
食事に誘うだけで、相手を励ますことになるのです。
「何を食べたか」を気にする人は多い。
「甘いものを食べたい」
「高価なものを食べたい」
「豪華なものを食べたい」
「大好物を食べたい」
「健康にいいものを食べたい」
たしかに食べたいものを食べれば、心に幸せが広がります。
甘いもの好きの人なら、甘いものに目がないでしょう。
食欲旺盛な人なら、とにかくたくさん食べたいと考えるでしょう。
健康意識の高い人なら、できるだけ健康にいいものを食べたいと考えている人も多いでしょう。
「おいしい=幸せ」であるのは間違いありません。
もちろん何を食べるかも大切ですが、私たちは食べる対象にとらわれすぎています。
どんなにおいしいものでも、飲み込むような食べ方をしては味がないも同然です。
いくら健康にいいものでも、食べすぎては、かえって健康に悪影響です。
「何を食べたか」を考えすぎていると、食の先入観が働きます。
おいしさに食の価値観を置くと「おいしいものでないと味わえない、楽しめない、幸せになれない」と思ってしまいます。
もちろんこれは完全な思い込みです。
ここで大切なことに気づいてください。
「何を食べたか」も大切ですが、それ以上に大切なことがあります。
「どれだけ味わったか」です。
本当に大切なのは「どれだけ味わったか」です。
食べるときは、とにかく味わうことに集中することです。
普通の食べ物でも、味わうことです。
よく噛んで味に集中すれば、十分なおいしさが感じられ、しっかり味わえます。
苦いものや辛いものでも味わうことです。
苦さや辛さといった刺激を「食の醍醐味」として考えれば、きちんと味わえます。
こんにゃくのような味のないものもあるでしょう。
そういうときは「食感」を味わってください。
こんにゃくには柔らかで弾力があって、ふにゃふにゃしたユニークな食感があります。
「面白い食感だね」と思えば、それはそれで面白いでしょう。
水のように、味も香りもないものであれば「クリア感」を味わってください。
クリア感を楽しめば、きちんと味わえます。
味がなくても味わえます。
たとえまずい食べ物でも味わうことです。
「味わうことなんてできない」と思いますが、まずさを味わってください。
まずい味は、まずいものしか味わえません。
まずい味も、食の醍醐味の1つです。
不快感を楽しめば、それはそれであなたの豊かな食生活に貢献します。
食べる対象にとらわれないことです。
「何を食べたか」も大切ですが「どれだけ味わったか」はもっと大切です。
何を食べようと「味わうこと」を大切にしてください。
「おいしいものなら味わえて、そうでないものは味わえない」は誤解です。
何を食べても、その気になれば味わえます。
おいしいものだけでなく、そうでないものも、その気になれば味わえます。
食の醍醐味は、特別な食べ物だけに存在しているのではなく、すべての食べ物に存在しています。
味わうことさえできれば、何を食べようと、食の幸せを感じることができます。
食べ物から味わいを引き出すことが、食の醍醐味です。
食べるのは誰の仕事でしょうか。
食べ物を食べるのは、あなたの仕事です。
食べ物を口に運ぶのも、顎を動かすのも、飲み込むのも、あなたの仕事です。
自分の意思で行います。
食べるリズムもスピードも、自分の意思でコントロールできます。
しかし、何でもすべて自分がやっていると思っているなら誤解です。
飲み込んだ後は、リレーのバトンが次に移ります。
消化吸収は、内臓の仕事です。
リレーのバトンがあなたから内臓に移って、一生懸命働きます。
体内にはいろいろな臓器があって総動員しています。
胃、小腸、大腸、肝臓、腎臓、すい臓などです。
あなたが気づかないうちに、内臓は黙々と頑張っています。
弱音を吐いたりサボったりすることはありません。
私たちは知らず知らずのうちに、自分と内臓の連係プレーで協力しながら生きています。
内臓は、本当に働き者です。
雨の日も雪の日も嵐の日も、ずっと活動しています。
あなたがどんなに疲れていてへとへとでも、内臓は一生懸命働きます。
ときどき休んだり時には働きが不安定になったりすることはあっても、あなたが生きている間はずっと頑張り続けます。
あなたが風邪でダウンしているときも、パフォーマンスは低下しますが、稼働モードです。
あなたが食べたものの処理に、24時間態勢で頑張っています。
一時的に休憩をすることはありますが、基本的に24時間365日、活動状態に入っています。
あなたが寝る前に食事をしたとしましょう。
あなたはすやすや寝ていても、内臓は消化吸収のため徹夜で頑張ることになります。
いわば、内臓の残業です。
残業は誰にとっても嫌なものですが、内臓にとっても嫌なものです。
なんてけなげな存在なのでしょう。
あなたを陰で支える存在です。
内臓に残業をさせないでください。
内臓の残業が増えるか減るかは、あなたの就寝前の心がけしだいです。
内臓は、体の中にあって直接見ることも触れることもできませんが、間違いなくあなたの人生にかかわる仕事をしています。
そんな内臓にきちんと感謝しましょう。
見ることも触ることもできないからといって無視するのは良くありません。
直接見たり触れたりすることはできませんが、自分の中にあるのは間違いありません。
胸やおなかに手を当てながら、きちんと感謝の気持ちを伝えてください。
声に出して言っても、心の中で言ってもかまいません。
大切なことは、内臓に感謝をすることです。
「内臓さん、いつも消化吸収を頑張ってくれてありがとう。おかげで今、生きています」
きちんと感謝すれば、内臓も喜びます。
「よし、あなたのためにまた頑張るぞ!」と張り切ってくれます。
連係プレーの調子が良くなるのです。
まずい食べ物に感謝してください。
まずい食べ物はまずい。
食べられないものは食べられない。
「なぜ感謝しなければいけないのか」と首をかしげる人も多いでしょう。
感謝どころか、抵抗感があってネガティブな感情しかないかもしれませんが、ここで気づいてほしいことがあります。
すべてがおいしい食べ物だとどんな世界になるか、想像してみたことはありますか。
あり得ない世界ですが、頭を柔らかくして、そういう世界があるものと仮定して想像してみてください。
世の中にあるすべての食べ物がおいしいとしましょう。
あらゆる食べ物がおいしくて、まずい食べ物が1つもない世界だとします。
最高のパラダイスのように思えますが、実際はどうでしょうか。
それはそれで、味気ない世界になるでしょう。
おいしい食べ物ばかりでは、味覚の変化が乏しくなります。
おいしいものばかりでは好き嫌いの区別がなくなってしまい、大好物の意味がなくなります。
味覚の変化も乏しくなるでしょう。
特別感や贅沢感がなくなって、普通になります。
おいしいしか味わえないのは、最初は快感でも、だんだん慣れていきます。
最初は「おいしい、おいしい」の連続で幸せですが、だんだんおいしさにも慣れてしまい、味気なくなるのです。
当たりしかない宝くじは「当たって当然」と思ってしまうため、かえってつまらなくなるのと同じです。
おいしい食べ物ばかりでは、それはそれで味気ない世界になります。
そこで大切な役割を果たすのが「まずい食べ物」です。
まずい食べ物は、おいしいものを引き立てる存在です。
スイカは、塩味があるから甘みが引き立つように、食の世界もまずいものがあるからおいしいものが引き立ちます。
「なんておいしいのだろう!」と喜びと感動が大きくなります。
まずいものがあるおかげで、おいしいものを楽しめる。
おいしいものがあるおかげで、まずいものを楽しめます。
私たちが今、豊かな食を実現できているのは、まずいものがあるおかげです。
まずい食べ物にも存在意義があります。
「消えてなくなれ!」と否定するのではありません。
「まずいけど、なくてはならない存在だよね」と肯定することです。
もちろん無理やり好きになる必要はありませんが、存在価値を認め、感謝の気持ちは持つことが大切です。
まずいものの恩恵に気づけば、素直に感謝できます。
まずいものがあって良かった。
おかげでおいしいものが楽しめます。
まずいものも、豊かな食の世界に貢献している存在です。
いろいろな人から嫌われていますが、ふてくされることなく、けなげに頑張っています。
いま一度、まずいものに感謝です。
食事をおいしくいただくためには、一食一食を大切にしましょう。
1日3食であれば、朝・昼・晩の食事を大切にします。
私たちの人生は、食事の連続です。
食べることは、動物であれ植物であれ、命をいただく行為です。
大切にしてもしすぎることはありません。
食べることができるおかげで、私たちは生きています。
一食一食を大切にすることで、生活全体の幸福度が高まり、食生活も豊かになります。
一食一食を大切にすることに異論を唱える人はいないでしょう。
では、一食一食を大切にすれば十分なのでしょうか。
ここがポイントです。
もちろん一食一食を大切にするのは素晴らしいことですが、それだけで満足しないことです。
もっと小さな単位で考えてください。
「一食一食」ではなく「一口一口」です。
食べ物を一口ずつ口に運ぶたびに、喜びを感じてください。
「おいしい!」
「いい味だなあ!」
「なんておいしいのだろう!」
一口ごとにじっくり味わいましょう。
舌の神経を研ぎ澄ませ、おいしさに集中して、全力で味わいましょう。
受け身になって感じるのではなく、積極的に感じ取るようにしてください。
口に食べ物を運ぶたびに感動してください。
おいしさに浸って、しみじみしてください。
一口ごとに感謝の念を捧げましょう。
一口一口が、味との出会いです。
一口一口がより精神的なものとなります。
一口一口を大切にするから、一食を大切にできます。
一食一食を大切にするから、1日の食事を大切にできます。
1日1日の食事を大切にするから、日々の食生活が豊かになっていくのです。
まず目の前にある食事の、一口から大切にしてください。
飲み物であれば、ごくっと飲み込む1回を大切にしましょう。
今日に限らず、これから一生心がけたい食習慣です。
嫌いな食べ物が含まれているだけで、料理全体を否定する人がいます。
たとえば「カレーは好きでもグリーンピースは嫌い」という人がいるとします。
そんな人にとって厄介なのが、グリーンピースカレーです。
カレーは好きで食べることはできても、グリーンピースは嫌いで食べることができません。
カレーにグリーンピースが含まれているため「このカレーはまずい」と悪く言う人がいます。
これは違うのです。
苦手なのはグリーンピースだけです。
グリーンピース以外は、普通においしく食べられます。
嫌いなものが一部あるだけで、料理全体を否定するのは良くありません。
料理全体を否定すると、グリーンピースだけでなくカレーまで嫌いになってしまいます。
嫌悪感が波及して、苦手対象が広がってしまいます。
食の可能性を広げるどころか狭めてしまいます。
カレーにグリーンピースが含まれているからといって「このカレーはまずい」と否定しないことです。
あくまでに苦手なのはグリーンピースだけですから、それを除けば、普通においしく食べられます。
グリーンピースが食べられないなら、お皿の端に寄せておけばいいだけです。
マナーとしては問題ありません。
食べ残すものを最小限に抑えられます。
「ちょっと見苦しいかな」と心配することもありません。
食べ残してしまうことになりますが、生理的に受け付けないものは仕方ありません。
食べられるものはきちんと食べて、食べられないものだけ残せばいいことです。
自分なりに最大限の努力をしていることになります。
食べられないものを取り除けば、普通にカレーをおいしくいただけます。
「グリーンピースがあるから食べられない」と考えるのではありません。
「グリーンピースがなければ食べられる」と考えましょう。
心の言葉を「肯定形」で終わらせることが大切です。
嫌いな食べ物が含まれているからといって、料理全体を否定しないことが大切です。
おいしい食べ物は、いつ食べてもおいしい。
昼に食べても夜に食べてもおいしい。
雨の日も雪の日も台風の日もおいしい。
機嫌が良いときも悪いときもおいしい。
元気なときや幸せなときはもちろん、悲しいときも落ち込んでいるときもおいしい。
おいしい食べ物は、いつもあなたの味方です。
人に裏切られることはあっても、おいしい食べ物はあなたを裏切ることはありません。
人とけんかをすることはあっても、おいしい食べ物とけんかをすることはありません。
人から嫌われたり見放されたりすることはあっても、おいしい食べ物から嫌われたり見放されたりすることはありません。
おいしい食べ物は24時間365日、あなたの味方であり、心のパートナーです。
元気がないときは、おいしい食べ物を食べるだけでいいのです。
あなたを心の闇から救ってくれます。
「もう嫌だ」と落ち込んでいるときでも、おいしいものを食べれば「なんとかなるよね」と元気が出るでしょう。
「もうダメだ」と諦めている状況でも、おいしいものを食べれば「もう少しだけ頑張ってみよう」となっているでしょう。
「私は不幸者だ」と絶望していても、おいしいものを食べれば「意外と幸せ者かも」とけろっと考えが変わっているでしょう。
なんてありがたいことなのでしょう。
素晴らしい存在に支えられていることに気づいてください。
おいしい食べ物は、見た目はおいしそうでも、その潜在的パワーは計り知れません。
大きなパワーを秘めたものが、あなたの味方として存在しています。
おいしい食べ物をリスペクトしましょう。
素晴らしい存在として価値を認め、感謝の念を捧げましょう。
「いつも支えてくれてありがとう。いつもお世話になっています。これからもよろしくお願いします」
人ではありませんが、人のように接することが大切です。
どんなことがあってもあなたを裏切らないのですから、これほどありがたい存在はありません。
おいしい食べ物をリスペクトして、深い愛情を持ち、そして感謝しましょう。
あなたはこれからも、おいしい食べ物のお世話になるでしょう。
数え切れないほど助けられるに違いありません。
どれだけあなたがどん底に落ちようと、おいしい食べ物は裏切りません。
雨の日も雪の日も台風の日も、おいしいものはあなたの味方でいてくれます。
感謝の念を持てば、おいしい食べ物もますます期待に応えてくれます。
これからもずっと仲良く付き合っていけるのです。
あなたは普段、料理をつくることはありますか。
節約のために自炊を心がけている人もいるでしょう。
家族や恋人のために料理をつくっている人もいるでしょう。
もし普段から料理をつくる機会があるのなら、おめでとうございます。
あなたには、外食をもっと有意義に楽しめるチャンスがあります。
普段から自炊をしている人にとって、外食を食べるだけで終わらせるのはもったいない。
ぜひ「料理のヒントを得る機会」として活用してください。
外食は、料理のヒントにあふれています。
外食で料理を楽しんでいるとき、料理の味や盛り付けに感心する瞬間はありませんか。
たとえば、一口食べた瞬間「この味付けは素晴らしい」と感心することがあるでしょう。
見慣れた料理でも、ユニークな味付けがされていて、あまりのおいしさに驚かされることがあるものです。
そんなときは、今度自分が料理をするときに試してみましょう。
「この味はいいね。なるほど、このアイデアは素晴らしい。今度料理するときに真似してみよう」
見よう見まねでいいのです。
外食の場合、料理番組・料理雑誌とは違って、自分が身をもって体験できるため覚えやすいはずです。
自分の舌で感じ取った感覚を覚え、自宅で再現すれば、料理の幅もぐっと広がるでしょう。
とある調理を注文したところ、きれいな盛り付けに感動することがあるでしょう。
そんなときも、今度自宅で料理するとき、盛り付けを真似して再現してみればいいのです。
「この盛り付けはおしゃれだね。なかなかいいアイデア。今度料理をつくるときの参考にしよう」
文章のコピーは著作権に引っかかりますが、外食で学び取った味や盛り付けを真似するのは問題ありません。
外食で行くお店は、食べるだけのところではありません。
料理のヒントを得るところです。
外食の機会は、料理のヒントを得る機会に変えてください。
学びの意識を持ってお店に入りましょう。
「今日は何か料理のヒントを得てやろう!」
向学心の炎を燃やしていれば、五感が鋭くなって観察力が高まります。
小さなことにも気づけ、料理のヒントが得られます。
いろいろなことを感じ取れ、しっかり吸収できます。
外食にお金がかかったとしても、料理のヒントを得られるチャンスになると思えば、むしろ安いと言えるでしょう。
外食のお店は、ただ腹を満たすだけでなく、料理のヒントを得る場所でもあるのです。
料理が上手な人は、いろいろなお店に行って、いろいろな料理を食べ、いろいろなヒントを得ています。
料理番組や料理雑誌からヒントを得るのもいいですが、外食を通して直接ヒントを得るのはもっといい。
味わいながら学べるのですから一石二鳥で最高です。
飲食店は、腹を満たすだけでなく、料理のヒントを得る場所でもあります。
外食の際、ただ食べるだけで終わらせないことです。
ぜひ料理のヒントを手土産にして帰りましょう。
料理のヒントをテイクアウトです。
「ああ、おいしかった。もう食べられない」
メインの料理を食べれば、おなかも満たされているでしょう。
特にコース料理では、一皿ずつゆっくり出てくるため十分な満腹感が得られます。
最後に登場するのがデザートです。
「えっ、まだデザートがあるの? もう食べられないよ」
まだ食後のデザートが残っているとわかると、ちょっと複雑な気持ちになります。
満腹であれば、食後のデザートは諦めるしかないのでしょうか。
いいえ、違います。
満腹だからといって、食後のデザートを諦めないことです。
おなかがいっぱいで諦めそうになりますが、意外と普通に食べることができるでしょう。
満腹でもう食べられないと思っても、食後のデザートに限っては、ぺろりと平らげてしまえるはずです。
食後のデザートは別腹です。
入らないように思えますが、食べたら食べたで、すんなり入ってしまいます。
これにはきちんとした根拠があります。
甘いものを口に入れて甘みを感じると、脳から「オレキノン」という化学物質が分泌され、摂食中枢が刺激されます。
そうすると胃のぜん動運動が起こって胃の内容物が腸に押し出されます。
胃に空きスペースができた結果、甘いものを食べることができてしまうのです。
これは、人類が狩猟採集生活を送っていたころの名残とされています。
人類が狩猟採集生活を送っていたころは、次の獲物をいつ捕獲できるかわからないため、飢餓に備える必要がありました。
少しでもエネルギーを蓄えるため、甘いものが入ってきたときは、少しでも多く食べ物を蓄える仕組みができています。
人には飢餓に備える仕組みが備わっているため、食後のデザートに限っては、満腹でもすんなり食べることができるのです。
甘いものは別腹となると、カロリーが心配になるところですね。
取りすぎたカロリーは食後の運動で解消しましょう。
一駅手前で下りて帰ったり、フィットネスクラブのランニングマシンで数キロ余分に走ったりです。
家事を普段より頑張るだけでも消費カロリーがアップします。
いちばんおいしいものは、コースの最後に登場します。
食後のデザートを食べないで帰るなんて、映画のクライマックスを見ないで帰るようなものです。
いちばんおいしいところを見逃すことになってもったいない。
せっかくおいしいデザートが最後に残っているのですから、ぜひ最後まで楽しみましょう。
おなかがいっぱいでも、甘いものは特別です。
食後のデザートは別腹なのです。
私たちは味を楽しむとき「味わう」と表現します。
「肉を味わう」
「コーヒーを味わう」
「デザートを味わう」
味わう姿勢には、食べ物の味をしっかり感じ取る様子があります。
もちろん味わうという姿勢もいいのですが、食生活を豊かにするならここにポイントがあります。
さらに高い意識を心がけたい。
それが「味わわせていただく」という姿勢です。
「味わわせていただく」という姿勢になれば、自然と謙虚な気持ちが出てくるはずです。
物腰を低く考えることで、当たり前のように感じていた味がいつもより奥深く感じられます。
普通に食べることが幸せなことに感じられるようになります。
一口一口の味が感動的になるでしょう。
感謝の気持ちも強くなり、より味を楽しめるようになります。
食べることは、命をいただくことです。
命をいただくのですから、味わうより味わわせていただくと考えるほうが適切です。
命に対する敬意と感謝の気持ちがよりいっそう強くなります。
「味わわせていただく」という姿勢を身につけることです。
「味わう」から「味わわせていただく」という姿勢に切り替えてください。
「味わう」もいいですが「味わわせていただく」のはもっといい。
心の在り方を変えるだけで、食べ方も洗練され、味わい方がレベルアップします。
食べられるだけでありがたいことだと感謝できます。
普通の味でも、しっかり味わえます。
平凡な食事も、しみじみ感じるようになるでしょう。
食に対して謙虚な姿勢を持つことで、よりおいしくいただけるようになります。
手を合わせて「いただきます」と言うとき「命をいただきます」だけでなく「味わわせていただきます」と意味も含めることです。
頭を下げながら言えばさらに効果的です。
味わわせていただくと考えれば、食の神様もにっこりします。
「謙虚な姿勢で素晴らしいですね」とほほ笑んでくれるでしょう。
「味わわせていただく」は、感謝の心と謙虚な気持ちを忘れないための大切な姿勢です。
下痢でひどい目に遭った経験はありますか。
すぐトイレに駆け込めればいいですが、場所やタイミングによっては難しいことがあります。
下痢は急に襲ってくるから怖い。
呼吸が荒くなり、額から冷や汗が流れ始め、貧血のように目の前がくらくらし始めます。
下痢とはいえ、場所やタイミングが悪いと、大恥・大損をかくことがあります。
タイミングの悪い下痢は、本当に恐ろしいものがあります。
見苦しい姿をさらすことになったり周りに迷惑をかけてしまったりです。
「あのときは本当に死ぬかと思った」「穴があったら入りたい」と思います。
「人生でいちばんつらい経験が下痢だった」という人も少なくありません。
そのくらい下痢は怖いものであり、人によってはトラウマ級のインパクトを残します。
下痢で大恥・大損をした経験があれば、負の過去となっている人もいるでしょう。
しかし、下痢で大恥・大損をした経験があるからといって、100%無駄とは言えません。
むしろ喜んでください。
同じ苦しみを経験した人に優しくなれるからです。
テレビで「バスの運転手が下痢のため、お客さまを置いてトイレに駆け込む」というニュースが流れたとします。
「けしからん」と思うのは、下痢でひどい目に遭った経験がない人です。
一度でも下痢で大恥・大損をした経験があれば、そこで同情の念を寄せることができます。
「ああ、それは仕方ない。下痢は本当につらいからね。気をつけても避けられないときあるからね」
優しい気持ちになれるでしょう。
「あのときの自分のようにつらかったのかな」と思うでしょう。
一度でも同じ経験があると、相手に失態があっても、自分の経験と重ねることができるようになります。
「薬を持っていれば大丈夫ではないか」というのも経験したことがない人の意見です。
本当にひどい下痢のときは、もはや薬さえ効きません。
そもそも間に合いません。
本当につらい下痢のときは、1分1秒を争います。
パニックになって、薬をどこにしまったのか思い出せないというパターンもあります。
ダムが決壊する寸前は、トイレに行くこと以外に解決策はありません。
下痢は人生で避けたいトラブルの1つですが、あったらあったで役立ちます。
下痢で大恥・大損をした経験があれば、忘れるのではなく、大切にしてください。
ひどい目に遭った経験も無駄にはなりません。
同情や共感の力を高めることにつながります。
あなたの優しさに貢献するのです。
自宅で食事を終えたら、食器を洗います。
シンクの前に立ち、スポンジに食器洗剤をつけて、ごしごし洗っていることでしょう。
洗い物が山積みだと、仕事をする前からげんなりするかもしれません。
特に冬場の寒い時期は、食器洗いも大変ですよね。
このとき、どんな気持ちで洗っていますか。
特に何も考えず、ぼんやり食器を洗っていませんか。
「嫌だ」「面倒くさい」と思いながら食器を洗っている人もいるかもしれません。
たしかに食器を洗うのは手間暇がかかります。
スキルアップやキャリアアップにつながるわけはありません。
アルバイトのように、お給料をもらえるわけでもありません。
ひたすら単純作業なので、つまらなくてストレスを感じるもの。
食器を洗うのは割と時間がかかるものなので、ちょっとおっくうに感じる人も多いのではないでしょうか。
しかし、ちょっと待ってください。
あなたがおいしく食事ができたのは、食器のおかげです。
「たかが食器」と思うかもしれませんが、少なからずお世話になったのは事実です。
ここで大切なのは「感謝の気持ち」です。
感謝の気持ちを込めながら食器を洗いましょう。
あなたなりの感謝の言葉でかまいません。
「お世話になりました。おかげでおいしく食事ができました。ありがとう、食器さん」
心の中でつぶやきながら洗ってみてください。
感謝の気持ちを込めて食器を洗えば、食器洗いの時間も楽しくなるでしょう。
感謝の気持ちがあれば、自然と食器を洗う手つきが丁寧になって、優しくなでるような洗い方になるでしょう。
食器に「さん」をつけるのも工夫です。
食器に敬称をつけると、より身近に感じて親しみが深くなり、感謝の念も強くなるでしょう。
お皿やお茶碗だけでなく、ナイフやフォークといったカトラリーを洗うときも、心がけは同じです。
感謝の気持ちを込めながら、一つひとつの食器を丁寧に洗ってください。
感謝の気持ちがあれば、おっくうな気持ちも吹き飛びます。
それどころか、食器を洗う時間が有意義に感じられるでしょう。
食事のとき食器のお世話になったのですから、今度はあなたが食器のお世話をする番です。
感謝しながら食器をきれいにすれば、あなたの心もきれいになります。
食器を洗う時間は、あなたの心を洗う時間です。
ときどき満腹を自慢げに話す人がいます。
「満腹でしっかり食べたぞ!」
「いつも腹いっぱいに食べているよ!」
「満腹まで食べるほうが健康に良い!」
本人はご満悦の表情です。
おなかいっぱいになれば、身も心もいっぱいです。
たしかに満腹まで食べたほうが達成感もあるでしょう。
きちんと完食して腹いっぱいまで食べたことを誇らしく思うかもしれませんが、満腹となるとちょっと話が変わります。
完食と満腹は、分けて考えてください。
完食は自慢になりますが、満腹は自慢になりません。
満腹まで食べることを誇らしく思っているなら、残念ですが勘違いです。
満腹は自慢になることではありません。
満腹を自慢することもお門違いです。
満腹は、自慢どころか恥じることです。
満腹になったら、その後が大変です。
急激な眠気が襲ってきて、強い倦怠感に包まれます。
頭がぼうっとしてきます。
満腹感が続いている間は、集中力や思考力に悪影響を及ぼすでしょう。
パフォーマンスが向上するどころか、かえって低下を招きます。
満腹になると、ろくなことになりません。
満腹は恥じるべきことです。
食に欲を出しすぎています。
「ちょうどいい」を越えています。
満腹は「私は食事をコントロールできませんでした」と言っているのと同じです。
自己管理が不十分であり、恥じるべきことであり、反省が必要です。
満腹はだらしない食べ方のため、できるだけ改善したい食べ方です。
もちろんたまには満腹になってもいいのです。
接待や会食の際、つい勢いあまって食べすぎることがあるでしょう。
おいしいデザートがあれば、食べずにはいられません。
ときどき満腹になるのは仕方ありませんが、日頃から満腹まで食べるのは良くありません。
腹いっぱいまで食べたことを自慢するのではありません。
食べすぎたことを反省するのです。
腹いっぱいまで食べたら、食べすぎたことを反省しましょう。
「満腹はよくないね」
「ちょっと欲を出しすぎたね」
「次からご飯は少なめで十分だね」
満腹になったら反省してください。
ご飯の普通盛りが多く感じるなら、次から少なめにすることも検討してください。
満腹は自慢になりません。
自慢になるのは、腹八分です。
日頃から腹八分を心がけましょう。
腹八分に収まるよう、日頃の食事をコントロールしましょう。
食べすぎることがないよう、日頃の食生活を見直していくことが大切です。
食事のベストは、満腹ではなく腹八分です。
「この料理はおすすめだよ」
「ぜひ食べてみてよ!」
「すごくおいしくておすすめだよ」
人からおすすめされると期待できます。
友人や親友など信頼できる人からのおすすめであれば、なおさら期待も高まるでしょう。
「おすすめなんだね」
「そんなにおいしいなら食べてみよう」
そう思って食べてみたところ、思いのほか残念な味で期待外れということがあります。
そんなとき「騙された」と思わないことです。
「騙された」と思うのは相手に失礼です。
食の好みは人それぞれです。
たまたま自分の好みに合っていなかっただけです。
相手は、悪気があって騙したわけではないでしょう。
ただ正直な気持ちでおすすめしたに違いありません。
当然ですが「騙された」なんて言わないことです。
「騙された」という一言には、ネガティブなニュアンスがあります。
うっかり言おうものなら相手にショックを与え、がっかりさせてしまうでしょう。
「あなたには二度と紹介しない」となるのがオチです。
ほかのお店のおすすめ情報があっても、あなたのところに回ってこなくなるでしょう。
「また批判されるのは嫌だな」と思われ、人間関係の孤立を招きます。
ちょっとした一言で、人間関係にひびを入れることほどもったいないことはありません。
「騙された」は禁句です。
口に出すのも心で思うのもやめておくのが賢明です。
では、おいしくないと感じたときはどう言えばいいのか。
「好みに合わなかった」でいいのです。
たまたま相手の好みと自分の好みが一致していなかっただけです。
誰も悪くありません。
相手から「どうだった?」と聞かれても、正直に「好みに合わなかった」と言えばいいだけです。
嘘を言っているわけではありません。
相手は「それは仕方ないね」と納得してくれるでしょう。
好みは人それぞれですから、相手も理解を示してくれるはずです。
お茶碗のご飯を食べました。
おいしくいただいて食べきりました。
「完食できた」と喜びたいところですが、ちょっと待ってください。
満足する前にお茶碗を振り返ってみてください。
お茶碗にご飯粒が残っていないでしょうか。
もし1粒でもご飯が残っていれば要注意です。
残念ですが、食べきっていないことになります。
この2つは大きな違いです。
違いはたった1粒ですが、この1粒が重要です。
1粒も残っていなければ、食べきったことになります。
1粒でも残っていれば、食べきっていないことになります。
厳しい判定基準に思えますが、ご飯が残っているのは事実。
たかが1粒と思うかもしれませんが、軽く考えないことです。
お茶碗に盛ったご飯は、1粒のご飯の塊です。
99.9%を食べきっていても、0.1%が残っています。
お茶碗のご飯は、1粒も残さないように食べましょう。
「1粒くらい残してもいいよね」と思いそうになっても、油断しないことです。
1粒を軽く考えないことです。
1粒のお米も食べ物です。
お米を1粒つくるのに1年かかります。
古くさい話と思わないでください。
たかが1粒と思いますが、時間と手間暇のかかった食べ物に変わりありません。
最後の1粒まで食べるのは面倒に感じるところですが、惰性に流されないことです。
最後の1粒まできちんと食べましょう。
古くさい考え・堅苦しい価値観と思うかもしれませんが、食に対する感謝があれば当然に思うことです。
ご飯粒はお箸でつかみにくいもの。
お箸の器用な使い方が求められますが、時間がかかってもかまいません。
最後の1粒まできちんと食べることにこだわってください。
こういうときに意地になるのはOKです。
太ることが心配でも、1粒くらいならカロリーも大したことはありません。
食べすぎてしまったら運動で消費しましょう。
お茶碗のご飯を1粒残らず食べたとき「食べきった」といいます。
食の神様も「最後まで食べきってくれてありがとう」と喜んでくれます。
あなたが生きる目的は何ですか。
「夢を叶えるため」
「人や社会に貢献するため」
「子どもの成長を見るため」
生きる目的は人それぞれです。
決まった正解があるわけではなく、個人の価値観によって多種多様です。
自分にとって貴いことなら、それが正解です。
生きる目的は人生のステージによって変わることもあります。
もちろん生きる目的は自由に設定していいのですが、ここでよくある盲点があります。
「生きる目的」という仰々しい響きのためでしょうか。
スケールの大きなことばかりに注意が向いて、見落としがちな目的があります。
もっと基本的なことを忘れていないでしょうか。
すべての人におすすめできる、生きる目的があります。
ここはひとつストレートにいきましょう。
「食べるために生きている」です。
普通に考えるなら「生きるために食べるもの」になるところです。
食べないと生きていけません。
食べることでエネルギーや栄養を摂取して、生きていくことができます。
しかし、常識にとらわれていてはいけません。
決まった考え方だけでは、人生の可能性も限られます。
食生活を豊かにしたいなら、ぜひ「逆転の発想」にチャレンジしてください。
生きるために食べているのではありません。
食べるために生きているのです。
人生は80年。
医療技術が進歩して、これからは人生100年時代も近づいています。
私たちは幸運にも、食の豊かな時代に生まれてきました。
過去の歴史を振り返っても、現代ほど食が発達している時代はありません。
コンビニといい、外食といい、食品売り場といい、無数の選択肢があります。
食べるものに囲まれて生きていると言っても過言ではありません。
世の中にはさまざまな食べ物があるのですから、おいしく楽しまなければ損です。
人生は有限なのですから、食べるために生きてください。
おいしいものを食べることは、快感であり、感動であり、幸せです。
長生きをすればするほど、それだけいろいろなものを食べる機会に恵まれます。
おいしいものを食べることを目標に生きてください。
食を生きがいにして、食べるために生きてください。
おいしいものを食べるために、少しでも長生きをしようではありませんか。
「少しでも健康で長生きしたい」と思うようになります。
食を生きがいにすることは本能的な生き方です。
食を生きがいにすることでシンプルに幸せを感じられます。
「食べるために生きている」と考えることで、生きる力も湧いてくるのです。
今すぐ人生が輝き始めます。
食べることは何でしょうか。
食べることは、楽しいことであり、面白いことです。
明るいことであり、素晴らしいことです。
なにより幸せなことです。
「食べるだけ」と思いますが、そこにはいろいろな夢や希望がいっぱい詰まっています。
人生で食べることほど大切なことはありません。
「何のために生きているの?」と聞かれたら、堂々と答えましょう。
「食べるために生きている」と。
「おや。見た目はよくないのに意外とおいしい!」
味と見た目のギャップに驚くことがあるものです。
見た目はよくないのに、試しに食べてみたところ、思いのほかおいしくて驚かされることがあります。
最初に期待値が低いぶんだけ、予想外においしいと新発見をした気分になれます。
驚きを通り越して感動することも少なくありません。
日常にあるささいな幸せであり、きっとあなたも何度か経験があることでしょう。
何気ないシーンですが、ここで気づいておきたいことがあります。
「味と見た目のギャップを楽しむことも、食の醍醐味」ということです。
味と見た目のギャップを楽しむために、大切な条件があります。
「一度口にしてみないといけない」ということです。
食べもしないでギャップを楽しむことはできません。
どれだけ見た目から味を想像したところで想像にすぎません。
味と見た目のギャップを楽しむには、食べてみることが必要です。
実際の味は、食べなければわかりません。
実際に食べてみるから、味と見た目のギャップがあったとき、気づけます。
あなたの目の前に、見た目の悪い食べ物があるとします。
「まずいに違いない」
「きっとおいしくないだろう」
「見た目が悪いから味も悪いだろう」
そう思ったときが、運命の分かれ道です。
食わず嫌いは良くありません。
食わず嫌いであるかぎり、味と見た目のギャップを楽しむことは不可能です。
最初からまずいだろうと決めつけるのではなく、試しに食べてみてください。
思い込みや先入観は取り払いましょう。
見た目は悪くても「一度は食べてみないといけないね」と思いながら食べてみることです。
意外とおいしければラッキーです。
新発見と出会い、素晴らしい感動を体感できるでしょう。
「今日はいいことがあった」と思えます。
「今日はいいことがあった」と思っていいのです。
味と見た目のギャップを楽しむことも、食の醍醐味です。
偶然いいお店を見つけることがあります。
おしゃれな雰囲気だったり、おいしそうな料理があったり、すてきな店員さんがいたりです。
偶然入ったお店が思いのほか素晴らしくて、印象に残ることがあるでしょう。
もしいいお店を見つけたら喜んでください。
「話のネタができた」とガッツポーズです。
日常の小さな発見かもしれませんが、発見は発見です。
むしろ小さなことだからこそ、見逃さず、きちんと喜んでください。
偶然のことかもしれませんが、ラッキーなことです。
友人とおしゃべりを楽しむとき「いいお店を見つけたよ」と話ができるでしょう。
どんなお店で、どう素晴らしかったのか、自分の体験を交えて話しましょう。
自分が直接体験したことなので、具体的な話し方ができるでしょう。
五感を通して得た感動を、ぜひあなたの言葉で自由に表現してください。
自分が感動したことであれば、自然と熱のこもった話し方ができるでしょう。
ポジティブな話題なので、トークショーの名司会者のようににこにこ明るく楽しい話し方できます。
これだけで楽しいおしゃべりの時間を過ごせます。
話しているうちに、きっとまた行きたくなってくるに違いありません。
「別に大した話ネタではない」と思うかもしれませんが、それは過小評価です。
いいお店の情報も、素晴らしいお役立ち情報です。
あなたにとっては何でもない情報でも、相手にとっては役立つ情報になる可能性があります。
楽しいおしゃべりのネタになるだけでなく、相手に貴重な情報をプレゼントできます。
きっと相手はにこにこしながら喜んでくれるに違いありません。
話の流れで相手が「ぜひ行ってみたい!」と乗り気になれば、行動のきっかけをプレゼントできます。
あなたがいいお店の情報を話したことで、相手の人生を手助けできたということです。
「じゃあ、今度一緒に行ってみよう!」と誘えば、共に行動するチャンスも生まれます。
同性であれば、交友関係が深まるでしょう。
異性であれば、恋愛関係に発展するかもしれません。
いいお店を見つけたら「話のネタができた」と思って、ガッツポーズで喜びましょう。
世の中に「単なる食事」は1つもありません。
あなたの心に「単なる食事」と思う気持ちがわずかでもあるなら、今すぐその心を改めたほうがいいでしょう。
それは傲慢です。
食べることに対して感謝の気持ちを忘れています。
声に出して言うのはもちろんのこと、心で思うだけでも要注意です。
食事はすべて命です。
誰かが命を落としてできたものです。
肉であれ、米であれ、野菜であれ、捧げてくれた命に感謝していただくこと。
食べる行為は命をいただく行為ですから、敬意と感謝の念を持つことが不可欠です。
たとえそれが口に合わないものだとしても、命であることに変わりありません。
食事はすべて、地球の営みからできたものです。
動物であれ穀物であれ果物であれ、もとをたどれば地球の営みです。
私たちは、地球からエネルギーや栄養をいただいています。
おかげで私たちは今、生きています。
食べなければ生きていけません。
食べることは生きることです。
食事を通してエネルギーと栄養を得ることで、私たちは生きることができ、次世代に命をつないでいけます。
あなたの目の前にある食事は、突然できたものではありません。
育てられ、切り取られ、運ばれました。
味付けされ、盛り付けされ、そして提供されました。
プロセスには大勢の人が関わっていて、長い時間と多大な労力がかかっています。
一連の流れがあり、きれいにつながっています。
あなたの目に前にある食事には「物語」があります。
長いプロセスを経た結果、今あなたの目の前にあります。
たかが食事と思っているなら、今日から食べることを一切やめてみればいいのです。
しばらくすれば空腹を感じ始め、いずれ飢餓に苦しめられるでしょう。
飢餓に苦しめば苦しむほど、食の大切さを身にしみて理解するはずです。
こうした事実を知れば「たかが食事」と考えることはできないとわかるはずです。
意識の問題ですが、その意識こそが大切です。
私たちの食生活は、意識だけで変わります。
意識が変われば心が変わり、心が変われば態度も変わります。
食に感謝すると、日常が輝いて見えます。
いかに自分が恵まれているのか実感できます。
生きていることが素晴らしく思えます。
生きているだけで感謝しかありません。
「たかが食事」と考えるのではありません。
「貴重な食事」と考えましょう。
貴重な食事と思えば、丁寧な食べ方をしたくなります。
どんな食べ物でも大切にいただこうと思うようになります。
食意識が研ぎ澄まされ、より味わいが深く感じられるようになります。
「ゆっくりよく噛んで食べなさい」と言われなくても、自然な意識で心がけるようになるでしょう。
世の中に単なる食事は1つもありません。
世の中にあるのは、すべて貴重な食事ばかりです。
食事をするたびに「この食事を楽しめるのは最初で最後」と考えてください。
「普段から食べ慣れている食事だ」
「目の前の料理は、何度も食べたことがあるもの」
「昨日も同じものを食べた。明日も同じものを食べる予定」
そう思うかもしれませんが、厳密には違います。
大まかな様子は同じでも、細かな点に注意を向けると違いがあります。
自分で同じ料理をつくるとします。
同じものをつくるとしても、毎回完全に同じものはつくれません。
少しでも具材の量が違っていれば、味や外観に差が生まれます。
調味料の量が少しでも違っていれば、味付けが変わってくるでしょう。
わずかではありますが、完全に同じというわけではありません。
同じように見えても、味や外観がわずかに違っています。
塩おにぎり1つとはいえ、違います。
塩の量が違えば、塩味もわずかに変わります。
お米の種類や炊き具合が変われば、食感や歯ごたえが変わります。
おにぎりの三角の形ですら、握り方によって毎回わずかに変わるでしょう。
お店で販売されている既製食品なら同じではないかと思いますが、やはり一期一会という点は同じです。
食べるタイミングが違います。
「その時間にその場所で食べる」という行為は、一生に一度だけです。
同じ食べ物でも、タイミングが違えば、気分も雰囲気も違うでしょう。
本当に何もかもが同じということはありません。
同じようで、同じではありません。
味といい外観といいタイミングといい、毎回違っています。
すべての食事は、一期一会です。
食事の際は、一期一会の気持ちで食べてください。
そして一口一口を大切にしましょう。
味も見た目も雰囲気も、楽しめるのはそのときが最初で最後です。
二度と味わえない貴重なものとして、しっかり堪能しましょう。
一度かぎりの芸術作品を食べているのです。
食生活を豊かにするためにはどうすればいいか。
食のありがたさを実感することが大切です。
飽食の時代とはいえ、食に恩恵を感じて感謝することは欠かせません。
では、食のありがたさを実感するにはどうすればいいか。
一食ごとに感謝の気持ちを持つことが基本ですが、ほかにも方法があります。
食のありがたさを実感する工夫をご紹介します。
工夫するポイントは「いただきます」と「ごちそうさま」という挨拶言葉にあります。
「いただきます」と「ごちそうさま」は、食前食後の挨拶言葉ですね。
この2つの言葉を次のように言い換えます。
これだけです。
心で思うのもいいですが、できればきちんと声に出して言ってみてください。
食事をするときは「命をいただきます」と声に出して言ってみましょう。
食事が終わったら「命をごちそうさまでした」と声に出して言ってみましょう。
語尾まではっきり言い切ってください。
少し大きめの声で言えばなおよし。
周りに人がいて恥ずかしいなら、1人でいるときでもかまいません。
するとどうでしょう。
はっとするような感覚を覚え、目の前にある食事の見え方が変わるでしょう。
食のありがたさがふつふつ湧いてきて、心にぐっとくるものがあるはずです。
今までぼんやりだった感謝の気持ちがはっきりしてくるでしょう。
はっきり声に出して言うから、はっきり実感できます。
キーワードは「命」です。
食事はすべて命です。
動物であれ植物であれ穀物であれ、元をたどれば、命が宿ったものに行き着きます。
あなたがそれを食べるために、命を落とした存在がいます。
「いただきます」を「命をいただきます」と言い換えることで「私は命をいただこうとしている」と再認識できます。
食べ物の見え方が変わって、感謝の念が出てくるはずです。
同じ食べ物でも、いつもより重く感じられるでしょう。
食物連鎖のピラミッドにいることを実感できます。
もちろん毎回言う必要はなく、ときどきでかまいません。
定期的でも不定期でもいいので、食の感謝を思い出したいときに使ってください。
使いすぎて副作用が起こることはないので安心してください。
忘れかけていた食のありがたさを、スムーズに思い出せます。
「あっ、ここにお店がある。ちょうどおなかがすいているから入ってみよう」
たまたまお店を見つけ、たまたまお店に入ります。
平凡なことであり、よくある日常的なことです。
何でもないことに思えますが、大切な注目ポイントです。
ここに「奇跡」を感じてほしい。
大変低い確率の中から、その一店と出会っているからです。
世界には、無数のお店があります。
何千・何億もの飲食店があります。
個人経営の飲食店もあれば、大企業のチェーン店もあるでしょう。
小さなお店から大きなお店までカウントすると膨大な数です。
あなたは、星の数ほど無数にあるお店の中から偶然1つのお店を見つけ、入ることになりました。
少しでも立地が違っていれば、見つけられませんでした。
少しでも生まれた時代が違っていれば、出会えませんでした。
少しでも気が向いていなければ、入ることなく素通りしていました。
数々の条件をクリアした結果、あなたはそのお店と出会いました。
「近場だから」
「目の前にあったから」
「友人に誘われたから」
「たまたま通りかかったから」
偶然と言えばそれまでですが、いくつもの条件をクリアした結果、あなたは出会えました。
これを素晴らしいと言わずして何と言うのでしょう。
ここに奇跡を感じることです。
いろいろな理由があることでしょうが、れっきとした出会いです。
たまたまであれ友人からの紹介であれ、これはすごいことです。
出会いの形に関係なく、そのお店と出会えたことは極めて低い確率です。
それが「奇跡的」であるのは間違いありません。
その素晴らしさに気づくことが大切です。
お店との出会いは、すべてが奇跡です。
奇跡しかありません。
そこに奇跡を感じれば、お店との接し方も向上するはずです。
「もっと楽しもう」「もっと感謝しよう」「もっとじっくり食事を味わおう」と思うはずです。
人との出会いが奇跡であるように、お店との出会いも奇跡です。
価値のない出会いは1つもありません。
そのお店と出会ったことに、奇跡と運命を感じてください。
そのお店と出会えたのは、あなたの運が強い証拠です。
お店との出会いに奇跡を感じる人は、より輝いた人生を楽しめます。
食に対する感謝は、まず「ありがとう」が基本です。
親につくってもらった食事があるでしょう。
「おいしい食事をつくってくれてありがとう」です。
食品売り場には、新鮮な野菜や果物が並んでいるでしょう。
「育ててくれてありがとう」「売ってくれてありがとう」です。
レストランに行けば、贅沢でおいしい料理を楽しめるでしょう。
「贅沢でおいしい料理をありがとう」です。
ありがとうは、食の基本ですね。
感謝の気持ちがあると、食後の余韻もよくなります。
「チャージ完了!」「また頑張ろう!」と前向きな気持ちも強くなります。
では、ありがとうで十分かというと、そうではありません。
ありがとうのほかに、もうひとつ大切な感謝の気持ちがあります。
それが「ありがたい」です。
「ありがとう」と「ありがたい」。
どちらも感謝の気持ちですが、少し違いがあります。
「ありがとう」は、外に向かって使う感謝言葉であり、お礼として使うものです。
「ありがたい」は、内に向かって使う感謝言葉であり、自分の心で感じるものです。
ありがとうも大切ですが、それだけで満足せず、ありがたいという気持ちも大切です。
親につくってもらった食事があるでしょう。
「食事をつくってくれてありがたい」と、しみじみ感謝を感じましょう。
手間暇かけてつくってくれた食事には、親の愛情がこもっています。
毎日ご飯を食べるとします。
「毎日白いご飯が食べられるなんてありがたい」と、しみじみ感謝を感じましょう。
シンプルな白ご飯でも、感謝の気持ちがあれば、いっそうおいしく感じられます。
レストランでおいしい料理を堪能しました。
「こんなおいしい料理を食べられるなんてありがたい」と、しみじみ感謝を感じましょう。
生産者・料理人・店員さんなど、食に携わる人たちに対して敬意と感謝の念を抱くことです。
「ありがたい」と思えば思うほど、いかに自分が恵まれているか気づかされます。
恵まれた自分に気づくことで、心の中で感謝の気持ちが湧いて、そして増幅されます。
命に対する感謝が生まれ、真剣に人生を生きようという気持ちが強くなります。
生きる力とポジティブ思考が強くなるのです。
感謝ができる人は、心のきれいな人です。
感謝をすればするほど、食生活全体が素晴らしく輝いていきます。
今まで「ありがとう」しか意識していなかったなら、これからは「ありがたい」を大切にしましょう。
今まで「ありがたい」しか意識していなかったなら、これからは「ありがとう」を大切にしましょう。
感謝の方向は、外側・内側の両方を叶えましょう。
「ありがとう」と「ありがたい」の両方があってこそ、素晴らしい感謝が実現します。
あなたが好きな食べ物を食べるのは、どんなときですか。
「機会があれば食べる」
「たまたま見つけたら食べる」
「時間やお金に余裕があれば食べる」
もしそうした行動パターンがあればイエローカードです。
どれも普通のことに思えますが、実は良くありません。
好きな食べ物の食べ方が受動的です。
意欲や積極性が感じられません。
愛も気持ちも中途半端です。
食べ方が自然任せになっています。
受動的な食べ方をしていると、好きな食べ物は「本当に私のことを好きなのかな」と疑われてしまうでしょう。
ずっとほったらかしにしたままでは、好きな食べ物を不安にさせてしまいます。
好きな食べ物は人ではありませんが、好きな人を愛するような気持ちを持つことが大切です。
気が向いたときに好きな食べ物を食べようなんて、好きな食べ物に失礼です。
好きな食べ物は、人生に明るい影響を与える存在です。
あなたに元気とパワーを与え、幸せにしてくれる存在です。
生命の源であり、生きる希望です。
大変なときでも、好きな食べ物があるから頑張れます。
疲れたときでも、好きな食べ物があるから癒やされます。
食べ物は人ではありませんが、人のように心の支えとなる存在です。
だから積極的に食べるのです。
積極的に食べることは積極的に愛することです。
好きな食べ物くらい本気になって愛することです。
心の支えとなる存在ですから、こちらから積極的にアプローチして意識的に食べていくことが大切です。
定期的に食べることで、好きな食べ物もきちんと愛されていることを実感できます。
好きな食べ物との関係を深めることが、太い絆を築いていけます。
普段から好きな食べ物を食べていれば、普段からエンジン全開でいられるのは間違いありません。
機会がなければどうするか。
機会がなければ、機会をつくりましょう。
その気になれば、機会はいくらでもつくれます。
忙しいときでも、時間をつくって食べましょう。
スケジュールを調整すれば、好きな食べ物を食べる時間をつくれるはずです。
お金がないときでも、お金をひねり出して食べましょう。
金欠でも、上手にお金をやりくりすれば、好きな食べ物を食べるくらいのお金は捻出できるはずです。
好きな食べ物は、時間やお金がなくても食べるものです。
どんどん好きな食べ物を食べて、どんどん明るい気持ちになって、笑顔のあふれる毎日を送ってください。
人生は有限です。
生きているかぎり、いつか私たちは寿命を迎えます。
これは命があるものの定めであり、免れることはできません。
不老不死の人はいません。
人生は長い旅ですが、いつか終わるときがやってきます。
私たちは、死から逃れられない運命があり、必ずいつか死を迎えることになっています。
人生を80年とすれば、日数に換算して、およそ30000日です。
少し長生きをして90年としても、およそ33000日です。
さらに長生きをして100歳の天寿を全うするとすれば、およそ36000日です。
人によって寿命は異なりますが、少なくとも有限であるのは間違いありません。
ここで気づいてほしいことがあります。
「命は有限」ということは「食事回数も有限」ということです。
食事とはいえ、無限に楽しめるわけではありません。
死んでしまえば、もう食事を楽しめません。
大好物を一口も食べることができなくなります。
実際は有限であり、回数制限があります。
死んでしまえば、食事をしたくてもできなくなります。
当たり前のことですが、あらためて自覚しておきたいところです。
どの食事も、有限の1回であることを理解してください。
人生の食事回数はどのくらいになるのでしょうか。
1日3食を前提に考えるとします。
人生を80年とすれば30000日となり、およそ90000回です。
少し長生きをして90歳まで生きたとすればおよそ33000日になり、およそ100000回です。
もちろん人によって寿命が違うため、正確にはわかりません。
早死にする人もいれば、長生きする人もいます。
1日2食のときもあれば、1日4食のときもあるでしょう。
食事回数は状況に応じて変わりますが、1つ確実に言えるのは、有限ということです。
食事回数は有限であることを自覚すれば、食への意識が高まるはずです。
1回1回の食事を大事にする意識が芽生えるでしょう。
食事は、大事にしてもしすぎることはないのです。
「無限に食事を楽しめるわけではない」と思うことです。
有限の事実に気づけば「いただきます」「ごちそうさま」という言葉が、いつも以上にずっしり重く感じられるはずです。
食事を「宝物」として考えてください。
食事という名の宝物を味わっていると思えば、感謝と幸福感が増すでしょう。
食事は、素晴らしいことであり、ありがたいことです。
たとえ質素な食事であろうと、真剣に受け止めることが大切です。
今日もあなたは、そんな限りある食事の1回を楽しむところです。
貴重な1回として存分に楽しみましょう。
平凡な食事かもしれませんが、貴重な1回です。