「いつもの感じでお願いします」
高校時代は行きつけの理髪店があり、よくこの言葉を使っていました。
いつも行き慣れている理髪店なら、本当にこれだけで通じます。
高校時代のある日、理髪店で髪を短く切られてしまったことがありました。
私の説明が抽象的だったせいです。
イメージがうまく伝わらず、お坊さんのように短く切られてしまいました。
小学校や中学校までの勉強は、暗記でなんとかなります。
そもそも覚える量が少ないからです。
覚えることも単純であり、すぐ理解できる内容が多い。
世間では「筋肉も脳も同じだ」という言葉をよく耳にします。
面白いたとえですね。
どちらも鍛えることができ、強化させることができるからです。
学力の向上は、右肩上がりとは限りません。
むしろ、すぐ結果が出るのはまれです。
なかなか結果が出なくて、もどかしいことでしょう。
日本の江戸時代には「士農工商」という身分制度がありました。
武士・農民・職人・商人という明確な上下関係です。
さらに低級な身分もあったと言います。
あまり勉強していないのに成績がいい人がいます。
特別がむしゃらに勉強している様子はありません。
授業を受けているところは見かけますが、それ以外は友人と遊んでいたり部活動を楽しんでいたりします。
高校生にもなると、おしゃれに興味が出てくる時期です。
美容院に行ってパーマをかけたり、特殊な道具を使って眉を整えたりします。
お化粧道具をそろえ、スキンケアにも力を入れたくなります。
「受験勉強」という言葉には、なぜか暗い印象があります。
毎日、明けても暮れても勉強ばかり。
机の前では、いつも教科書とにらめっこ。
高校3年のころ、受験勉強のため、いつも夜遅くまで学校に残っていました。
家で勉強するのもいいですが、学校にはほど良い緊張感があり、勉強に最適でした。
放課あとから夜遅くまで、学校に残って勉強していました。
あなたには苦手な科目がありますか。
得意科目がある人は、幸せです。
時間をかけた分だけ、点数が伸びていきます。
勉強に、才能は不要です。
まずそれに気づくことです。
生まれつき、記憶力に多少の違いはあります。
「この本を買えば、勉強ができそうな気がするぞ」
本屋で手に取った参考書の中身を見たときに、そういう気持ちにさせるものがあります。
より良い参考書を選べば、勉強もはかどることでしょう。
本屋の受験コーナーを見れば、立派な参考書がたくさん並んでいます。
どの参考書も頼りがいがあるように見えます。
「買うからにはできるだけ立派な参考書を選びたい」
「テストで悪い点を取ってしまった。落ち込むなあ」
誰でも悪い点を取ったら、ショックを受けます。
普通の人はまず落ち込みます。
受験生のときの、ある日のことです。
母から気に障るようなことを言われ、いらいらして自分の部屋のドアを蹴ってしまったことがありました。
実は母から何を言われたのかは、覚えていません。
学生時代、学校用と家庭用とで、別々のシャープペンシル、消しゴム、ノートがありました。
家で使うタイプと学校で使うタイプが別々だったので、使い心地も違い、違和感がありました。
違和感があると気になり、集中力を奪われてしまいます。
「わかる」と「覚える」は、なんとなく意味が似ている言葉です。
「わかりました」
「覚えました」
受験生の中には「小→中→大」で勉強を進める人がいます。
細かいことから覚えて、あとから全体をつかむというやり方です。
たとえば、歴史の勉強をするときに、年号・登場人物・戦争・建造物の名称などから、正確に覚えようとします。
私が本腰を入れて受験勉強を始めたのは、高校1年の冬からでした。
それまでは、勉強らしい勉強をしたことがなく、初めは手探りの状態でした。
勉強そのものに慣れていないため、効率が悪いものも多く、まずそこから改善しなければいけないと気づきました。
社会で仕事をしていると、ささいなことが命に関わる場面が数多く登場します。
ぼうっとしていると、赤信号なのに横断歩道を渡ってしまい、車にひかれそうになります。
自動車でハンドル操作を誤れば、事故を起こしてしまい、人をはねてしまうばかりか、自分の命を落とすこともあります。
「受験に専念したい。部活はやめたほうがいいだろうか」
受験生の間ではよく話題になる話です。
普通に考えれば、勉強に集中する時期ですから、部活をやめて勉強に専念するほうがいいと思います。
受験期には、つい勉強のことばかりを考えてしまいがちです。
勉強ばかりの毎日であることはたしかですが、現実はそうはうまくいきません。
風船は、空気を入れ続ければ、いずれパンと破裂してしまいます。
受験は競争です。
成績を上げるためには、やはり勉強の絶対量を増やすことです。
・他の受験生より長く勉強する
「たまたま苦手な問題が出題された」
「勉強の時間が少なかった」
「当日、調子が悪かった」
学生時代は、さまざまな友人の部屋に遊びに行きました。
友人の中には成績のいい人もいましたし、逆に悪い人もいました。
田舎の小さな学校なので、生徒同士あまり壁がなく、みんなが分け隔てなく交流していました。
学生時代には、さまざまな友人の部屋を見せてもらいました。
その中で成績がいい人の部屋には、3つの共通点があることを発見しました。
(1)教科書や参考書が並んだ本棚
高校1年のころ、虫歯になって歯医者に行きました。
たまたま歯医者の受付のお姉さんと仲良くなり、会話の中でふと、意味ありげな言葉を言われました。
「若くていいね。今のうちに一生懸命に勉強してね」
寝る直前に、父に叱られたことがありました。
すると、夢の中で父から叱られる続きを見てしまうことがありました。
寝る直前に好きな人のことを考えていたことがあります。
図書館は、勉強するのに絶好の環境です。
しんと静まり返っていて、室内は勉強一色という雰囲気に包まれています。
図書館にいるだけで、頭が良くなったような気がするから不思議です。
「いつもの感じでお願いします」
高校時代は行きつけの理髪店があり、よくこの言葉を使っていました。
いつも行き慣れている理髪店なら、本当にこれだけで通じます。
顔と髪型が一致していて「この人の『いつもの感じ』とは、このくらいの髪型だろう」とわかってくれます。
私はこの言葉が楽で、頻繁に使っていました。
ある日、転機が訪れます。
高校2年の夏、たまたま行きつけの理髪店がお休みだったため、仕方なく違う理髪店に行きました。
なんとなく、嫌な予感がしました。
慣れていない理髪店で、髪を切る担当になった人とは、お互いが初対面でした。
初対面ですから「いつもの感じで」とは言えません。
「いつもの感じで」を言い慣れていると、いざ髪型を具体的に説明しようとするときに、うまい言葉が口から出ない。
髪型を説明するのは、難しいです。
イメージは頭に浮かんでいても、具体的に表現する言葉が思い浮かびません。
「夏だから、いつもより少し短いほうがいいかな」
とっさに思いついた言葉は「短めで」という言葉でした。
これが失敗でした。
いつも行きつけの理髪店なら、私の言う「短め」という意味をわかってくれます。
しかし、たしかに短めとはいえ、意味が広い。
初めて私を担当する新人は「短め」という言葉を「とても短く」と思ったようです。
結果「青くなるような短め」で切られてしまいました。
お坊さんのような状態です。
泣きそうになりました。
次の日、学校に行きたくはありませんでしたが、仕方なく行きました。
友人から笑われたのは言うまでもありません。
なぜこういうことが起こったのか。
私の説明が下手だったからです。
理容師は、たしかに私の指示のとおり「短く」切ってくれていました。
説明の言葉が、不足していました。
この経験を通して、ようやく「ボキャブラリーの重要性」を痛感しました。
理髪店に限りません。
美容院でも病院でも勉強でも起こりうるトラブルです。
ボキャブラリーが乏しいと、誤解されたりトラブルの原因になったりします。
私の場合、まだ髪型だけだったので、良かった。
時間がたてば髪は伸びますし、取り返しがつきます。
しかし、もしこれが病院での手術や大金が絡む契約の場合、笑っては済まされません。
もちろん恋愛でも、相手に気持ちを伝えるために「ボキャブラリー」があるに超したことはありません。
「愛している」言葉だけでなく「顔が見たい」「触れたい」など、愛を表現するボキャブラリーがあれば恋愛は豊かになるでしょう。
学生時代は、徹底的に勉強してボキャブラリーを増やす時期です。
どうやって増やすのかというと、受験勉強を通して増やします。
受験勉強で培った言葉は、日常でも大活躍します。
「リトマス試験紙のような役割がある」
「スフィンクスのような格好をしている」
「宮本武蔵のように両手に刀を持っている」
「上昇気流に乗ることができる」
「ピカソのような絵」
会話レベルの向上は、受験勉強が鍵を握っています。
受験時代ほど、さまざまな言葉を短時間で吸収できる時期はありません。
勉強のためだけに、ボキャブラリーを増やすのではありません。
自分が望む人生を歩むために、ボキャブラリーを増やします。
自分の発言によって、希望どおりの人生を歩んだり、トラブルを避けたりするために必要です。
ボキャブラリーが豊富なら、自分の意志をうまく表現できるようになるのです。
高校時代のある日、理髪店で髪を短く切られてしまったことがありました。
私の説明が抽象的だったせいです。
イメージがうまく伝わらず、お坊さんのように短く切られてしまいました。
髪型を伝えるのは難しい。
切られている途中から、切りすぎだということに気づきましたが、切ってからはどうすることもできません。
切りすぎというのは、切った後に気づきます。
しかし、切った後はもうどうしようもないので「違います」とも言いにくい。
自分の思うように髪を切ってもらうのは、なかなか難しい問題ですね。
かっこ悪い髪型になったので、外出が嫌になりました。
恥ずかしいので誰にも会いたくない。
誰にも見られたくない。
日に当たるのさえ嫌になり、日光がいつもよりまぶしく感じます。
しかし、そうは言っても学校はいかなければなりません。
次の日、しぶしぶ学校に向かいましたが、案の定、友人からは大笑いされました。
「髪が伸びるまでの辛抱だ」
恥ずかしい気持ちを抑えて、あまり余分な行動をしなくなりました。
それからしばらくの間、学校が終われば人目を避けるため、逃げるように下校しました。
急いで自転車置き場に向かい、ペダルをいつもより早くこいでいました。
もちろん寄り道もしていません。
友人に「これから町に遊びに行かない」と誘われたこともありました。
「今日はちょっと用事がある」と嘘をついて、家に帰りました。
思春期は、髪型の変化を強く意識する時期です。
今思えば、大して恥ずかしいような髪型ではないですが、当時は恥ずかしくてたまりませんでした。
しかし、これが意外な効果を生み出します。
勉強時間が増えました。
学校が終わればすぐ下校、寄り道もなくなり、1人になる時間が増えました。
できることといえば、人目のないところで勉強をするくらいです。
寄り道をせずに早く家に帰り、勉強に取り組む。
髪が短くなった副作用が、勉強に集中しやすい姿勢へと変わりました。
なにより髪が短いと、不思議と澄み切った気持ちになれました。
お坊さんが邪念を払うため髪を切る、という体感ができました。
欲望が抑えられ、邪念が消え、余計なことは考えない意味があります。
まさかこんな失敗で、お坊さんの気持ちがわかるとは思いませんでした。
髪が長いと、下を向いたときにだらりと髪が落ちてきて、気になって指で触ったりいじったりします。
しかし、髪が短いと、そういう余分なこともなくなり、目の前にある教科書へ集中できる。
いつもより集中して勉強ができます。
理髪店や美容院で失敗したときにあった、切った人への恨みが消えました。
むしろ短く髪を切った人は神様だったのかもしれません。
勉強できるチャンスを与えてくれ、短い髪型のよさを教えてくれたのです。
小学校や中学校までの勉強は、暗記でなんとかなります。
そもそも覚える量が少ないからです。
覚えることも単純であり、すぐ理解できる内容が多い。
意味がわからないことでも、無理をして暗記すれば、テストはなんとか乗り越えられます。
これに味を占めて「勉強といえば徹夜」と勘違いしてしまう人がいます。
たしかに徹夜で試験勉強を乗り越えられる時期はあります。
しかし、徹夜が通用するのも、中学校までです。
高校生になると、徹夜は完全に通用しなくなります。
試験範囲が広大で、覚える量が急に増えます。
すぐ理解できないことが増え、基礎の積み重ねがないと、吸収できないことも増えてきます。
英文を読むためには、文法や熟語を知らなければならない。
文法や熟語を理解するためには、単語を覚えておかなければならない。
単語を覚えるためには、単語の読み方を知っておかなければならない。
このように段階的で、時間もかかることがあります。
一晩で試験範囲をカバーできなくなります。
小学・中学までは成績がいいのに、高校になって急に成績が下がる人がいます。
その人は、これまで徹夜型の勉強をしていたからです。
小学校や中学校で徹夜型勉強の成功体験があるから、高校でも通用すると思っています。
そういう人が急に成績を落とします。
今、あなたが徹夜型の勉強なら、今すぐ「こつこつ型の勉強」へと切り替えましょう。
「徹夜型の勉強」の限界に、気づく時期です。
やはり最後に力になるのは、こつこつ積み上げた結果です。
「すぐ結果を求めようとする性格」を改め「結果には時間がかかるもの」だということに気づく時期なのです。
世間では「筋肉も脳も同じだ」という言葉をよく耳にします。
面白いたとえですね。
どちらも鍛えることができ、強化させることができるからです。
たしかに鍛えれば、思いバーベルを持ち上げられるようになります。
初めは30キロのバーベルしか持てなかった人でも、筋力を鍛えれば、100キロのバーベルを持つことができるようになります。
勉強が苦手な人も、積み重ねることで、より難しい問題を解くことができるようになります。
「鍛えることで強化される」
この点は、たしかに筋肉も脳も同じです。
同じではありますが、実は「決定的な違い」が1つだけあります。
「筋力には限界があり、脳力には限界がない」という点です。
筋力を鍛えて、100キロのバーベルを持つことができるようになったとします。
では、1トンものバーベルはどうでしょうか。
いくら筋力は鍛えられるといっても限界があります。
さすがに1トンは無理でしょう。
そもそも人間の体は、1トンに耐えられるような骨格をしていません。
筋力には、肉体的な限界があります。
しかし、脳には限界がありません。
頭のいい人なら、重いものを持ち上げる道具をつくることができるからです。
クレーンやショベルカーは、頭のいい人が作った道具です。
脳は、重いものを持ち上げるだけが長所ではありません。
感動させたり、喜んでもらえたりするような力。
苦しい病を回復させる薬をつくる力。
海の向こうへ飛んでいく力。
人類を月にまで送り込む可能性さえあります。
これまで人類が発明してきた科学技術は、脳の力が土台になっています。
受験勉強は、その脳力を鍛えるという大きな可能性を秘めているということです。
「勉強が嫌い」という理由だけで、学びを避けていると、大きな可能性を捨てることになります。
きちんと勉強すれば、今は大変でも、将来は楽になります。
体力や肉体の限界を、脳によって克服できるからです。
そういう大事な時期だと気づくことです。
学力の向上は、右肩上がりとは限りません。
むしろ、すぐ結果が出るのはまれです。
なかなか結果が出なくて、もどかしいことでしょう。
ほとんどの場合、なかなか結果が出なくて、あるとき急に結果が出ます。
学生たちの思い描く成長曲線は「右肩上がり」を想像しています。
漫画ではよく登場する光景です。
まっすぐ右肩上がりの線は、理想的な成長ですね。
しかし、受験勉強では右肩上がりで伸びることはまれです。
急に伸びたと思ったら、次の瞬間は急に落ちます。
また伸びたと思ったら次の瞬間には、また落ちます。
波を描いて、全然進歩がないように思えます。
学力の向上がなかなか成績の結果に表れず、勉強を投げ出したくなるでしょう。
考えても見てみましょう。
大学受験の試験範囲というのは、高校3年分です。
それだけ広大な試験範囲を、ひととおり目を通すだけでも時間がかかります。
しかも1つの教科だけ集中できればいいですが、複数の科目を勉強しなければならない。
しかも、人間ですから忘れます。
覚えては忘れ、覚えては忘れという繰り返しになりそうですが、膨大な復習でカバーします。
それだけ勉強してもテストに出るのはほんの数十問。
あるときには勉強し終わった範囲から出題されたり、あるときはまだ勉強していない分野から出題されたりと波があります。
得意な問題が出るときもあれば、苦手な問題が出るときもある。
だから、成績は波を描きます。
結果が急によくなったり、急に悪くなったりする繰り返しで当たり前です。
諦めず、その波をしばらく続けてください。
「結果には時間がかかるもの」であることを知る時期です。
すると、波を描きながら、少しずつ右肩上がりになっていることに気づくことでしょう。
波線が右肩へと上がります。
勉強を続けていると、勉強が終わった範囲が増えて、だんだん点数が取れるようになります。
「そういうもの」とわかるだけでも、成長ありです。
すぐ成果が出なくても、くよくよする必要はないのです。
日本の江戸時代には「士農工商」という身分制度がありました。
武士・農民・職人・商人という明確な上下関係です。
さらに低級な身分もあったと言います。
そうした階級の違いがあったため、生まれつき将来の可能性が限定されていました。
職業の選択が限定されていました。
引っ越しも限定されていました。
藩から藩の移動は認められておらず、無理にしようものなら打ち首でした。
武士と平民は結婚できず、結婚相手も限定されていました。
なにより、今は当たり前にできる勉強も、限られた人のみできることでした。
今でこそ当たり前であるこの「3つの自由」は、当時にはありませんでした。
そもそもそういう社会でした。
初めから、どうしようもない壁があった。
生まれつき「どんなに努力しても超えられない壁」に嘆く人も多かったことでしょう。
しかし、その後、時代は大きく変容を遂げます。
大政奉還によって江戸時代が終わり、社会制度が大きく変わりました。
明治時代には「四民平等」というスローガンのもと、身分制度の差別をなくしていこうという運動も起こりました。
結婚は誰とでもできるようになり、職業も自由に選択できるようになり、引っ越しもどこへでも自由にできるようになりました。
この変化を起こすまでに大勢の人が犠牲になり、命が失われました。
そうした過去の人たちの改善と努力のすえ、今の時代が続いています。
今あなたは、これまでの歴史上、最も恵まれた時代に生きています。
勉強さえすれば、簡単に未来を切り開くことができるからです。
大げさに言ってはいません。
事実です。
実は、これまでの歴史の中で、今ほど「頑張る人ほど報われる」という時代はありません。
「勉強が大変だ」と愚痴をこぼす人がいます。
勉強は、しないほうが大変です。
職業が限定され、収入が限定され、未来が限定されます。
未来を切り開くために、実は勉強ほど楽なことはありません。
「学歴社会」という言葉を否定的に受け止める人がいます。
これも考えようです。
昔は、したくてもできなかった勉強が存分にできます。
しかも、義務教育の間は無償です。(日本国憲法26条)
自由に勉強ができるようになった過去を知れば、おのずから勉強ができるありがたみが湧くのではないでしょうか。
自由に勉強ができる社会ができるまでに、多くの人が犠牲者になっています。
自由に学問ができる社会をつくろうと命を捧げ、血を流した人もたくさんいる。
そういう人がいますから、あなたも命懸けで勉強してほしい。
学歴社会を敵にするのではなく、味方にしましょう。
学歴社会という言葉は「頑張る人が報われる」という意味です。
勉強が大変だと思ったら、勘違いです。
勉強ができるという贅沢を、いま一度気づいて楽しむことです。
これほど恵まれたことはないのです。
あまり勉強していないのに成績がいい人がいます。
特別がむしゃらに勉強している様子はありません。
授業を受けているところは見かけますが、それ以外は友人と遊んでいたり部活動を楽しんでいたりします。
ほかの人と同じ様子があって、がっつり勉強している様子はありません。
いつも涼しそうな顔をして、マイペースを楽しんでいる様子すら見受けられます。
にもかかわらず、抜群に成績がいいのです。
もともと頭がいいからだと思っていませんか。
いいえ、違います。
「私とは頭の出来が違う」と、うらやましくなるところではないでしょうか。
勉強しているところを見かけないからといって「生まれつきの天才」というわけではありません。
不思議な裏技を使っているようにも見えますが、それも違います。
あまり勉強していないのではなく、そう見えているだけです。
実は陰でしっかり勉強を頑張っています。
あなたの前で勉強している姿を見せていないだけです。
塾や自宅での勉強に時間を割いています。
食事中や入浴中にも、勉強をしていることもあるはずです。
遊ぶ時間があるのは、集中力があるからです。
高い集中力を発揮すれば、短時間でも質の高い勉強が可能となります。
そういうところは表に出ないので見えません。
成績がいい人に限って「あまり勉強していない」が口癖です。
この言葉を真に受けてはいけません。
「陰では必死に勉強している」と正直に言えば、ガリ勉の印象が強くなったり嫌みを言われたり仲間外れにされたりしかねません。
できるだけ「普通の人」を演じるためにも「あまり勉強していない」が定番の口癖になっています。
生まれつきの頭の良しあしにそれほど差はありません。
記憶力や集中力の差はあっても微々たるものです。
結局のところ、勉強しているかどうかです。
勉強していないように見せているだけで、陰ではしっかり勉強に打ち込んでいて、地道な努力を積み重ねています。
相手の様子から判断しないことです。
成績がいい人に「頭がいいね」と言うのは失礼です。
頭がいいのではなく、勉強をしているのです。
成績がいい人には「努力家だね」「たくさん勉強したんだね」「陰では頑張っていたんだね」と言ったほうが喜ばれます。
そもそも勉強は陰でするのが基本です。
勉強は学校だけでするものではありません。
勉強は予習と復習が重要であり、予習も復習も学校以外で行います。
自宅・塾・図書館など人目の少ないところでするのが基本ですから、あまり勉強するところを見かけないのが一般的です。
そのため成績がいい人ほど勉強しているように見えない状況になります。
成績を上げたいなら、やはり勉強をするに尽きるのです。
高校生にもなると、おしゃれに興味が出てくる時期です。
美容院に行ってパーマをかけたり、特殊な道具を使って眉を整えたりします。
お化粧道具をそろえ、スキンケアにも力を入れたくなります。
私服では、はやりの服を着たくなるでしょう。
中には、お化粧をして学校にやってくるという人までいるから驚きです。
思春期ですから、おしゃれの1つもしたい気持ちはあって当然です。
おしゃれな友人を見かけていると、自分まで「もっとおしゃれをしないといけない」という気になります。
周りの人はおしゃれを楽しんでいるのに、自分は勉強のせいでおしゃれの余裕がないため、情けなくなります。
「自分は、なんてださいのだろうか」
本来、受験勉強を始めると、おしゃれに対して余裕がなくなります。
特に本腰を入れて受験勉強をし始めると、完全におしゃれを忘れそうになるといっても過言ではありません。
髪はぼさぼさ。
着る服もいつも同じものばかり。
場合によっては、肌が荒れます。
しかし、大丈夫です。
「おしゃれがしたくてもできない」というのは、それだけ勉強に集中できている証拠です。
おしゃれができる余裕がなくていい。
そもそも受験勉強の時期というのは、そうなって当たり前です。
人生には、集中しなければならない時期があります。
受験期なら、勉強に集中する時期です。
むしろおしゃれをしている人のほうがおかしいです。
勉強に集中ができていないということです。
おしゃれをしたいけど、できる余裕がないあなたは、そのままでいい。
むしろいい兆候です。
高校時代におしゃればかりに気を使っていた人は、受験に失敗してしまいます。
一方、おしゃれに余裕がないほど勉強している人は、見事大学に受かることでしょう。
いい大学で、友人にも恵まれ、入学後にはおしゃれをする余裕が出てきます。
そこで立場が大逆転するのです。
「受験勉強」という言葉には、なぜか暗い印象があります。
毎日、明けても暮れても勉強ばかり。
机の前では、いつも教科書とにらめっこ。
受験勉強という言葉を使うから、より難しく聞こえます。
少し言い方を変えましょう。
「モグラ叩きゲーム」です。
「受験勉強をしています」という言葉を「モグラ叩きゲームの練習をしています」と言ってみましょう。
すると、ほら、少し肩の力が抜けませんか。
受験勉強とは、モグラ叩きゲームと同じです。
モグラ叩きゲームは、あらかじめ地面に穴が開いていて、モグラが飛び出てくる場所がわかっています。
わからないのはタイミングだけです。
しかし、モグラが出てくる場所はあらかじめわかっています。
穴から出てきたモグラをすぐ叩く準備さえできていれば、タイミングにかかわらず、高得点を獲得できます。
少々モグラの動きが速くなっても、練習を重ねればうまく叩けるようになり、安定したスコアが出せるようになります。
受験も同じです。
あらかじめ範囲が決められて、出題される部分がわかっています。
わからないのは、どんな問題が出るかだけです。
しかし、一定の出題範囲から出題される部分も限られていますから、回答できる力をつけていれば、怖くもなんともない。
少々、問題の難易度は変わりますが、応用力がついていれば回答できるようになります。
ほら!
まったくもって、モグラ叩きゲームではないですか。
受験勉強と考えるから、暗い印象があります。
明るく楽しいモグラ叩きゲームだと考えましょう。
朝起きて「さあ、モグラ叩きの練習をしよう」と思えばいいのです。
高校3年のころ、受験勉強のため、いつも夜遅くまで学校に残っていました。
家で勉強するのもいいですが、学校にはほど良い緊張感があり、勉強に最適でした。
放課あとから夜遅くまで、学校に残って勉強していました。
夜の9時くらいまで学校に残っていました。
今考えると、よくやったなあと思います。
なぜか勉強は夢中になると面白くて、集中すると時間はすぐ過ぎてしまいます。
気づけば、いつも夜になっていました。
それくらい毎日遅くまで勉強していますから、先生の間ではちょっと有名でした。
「水口君はいつも熱心だな」
「今日も遅くまで残るのかい?」
「どんな勉強しているの?」
いつのころからか、ときどき先生たちが顔をのぞきに来てくれるようになりました。
数学の先生や英語の先生などが励ましに来てくれました。
各担当の先生が現れるたびに、タイミングがいいので、わからなかった問題を聞きました。
普段より親身になって教えてくれ、助かったことを覚えています。
授業中より、はるかに優しく協力的です。
そのころから、先生たちの態度が急に変わりました。
協力的な態度に変わりました。
先生のほうから、何かわからないところがあったらいつでも言ってくれ、と言ってくれるほどでした。
いつもは学校が夜の9時に鍵をしめますが、私を気遣ってぎりぎりまで伸ばしてくれました。
普段より先生たちが協力してくれるようになり、優しく丁寧に教えてくれました。
先生たちの変わりように驚きました。
そのとき、わかりました。
協力者は、現れるものではありません。
すでにいる人が、そうなります。
「自分には協力者がいない」と嘆いている人は、まだ努力の程度が小さいからです。
一生懸命に努力をしていると、周りの人たちは感動します。
自然に協力や援助をしたくなるのです。
あなたには苦手な科目がありますか。
得意科目がある人は、幸せです。
時間をかけた分だけ、点数が伸びていきます。
得意科目がある人は、受験ではとても有利になります。
確実に高得点が取れる科目が1つあるだけでも、やはり有利になります。
自分に向いている科目は集中しやすいです。
難しい問題も根気で乗り越えられることでしょう。
徹底的に勉強して、確実に点が取れるように仕上げます。
「100点が取れるまで仕上げるのか」
いえ、難しいのはここからです。
たしかに得意な科目だからこそ、確実に高得点が取れるようになるでしょう。
しかし、高得点といっても完璧を求めてはいけません。
どんなに得意な科目であろうと、100点を取るのには膨大な勉強量と時間が必要だからです。
徹底的に仕上げようとする意気込みは結構ですが、受験では時間に限りがあります。
「100点」を取る必要はありません。
「合格点」さえ取れればいい。
限られた時間の中で、できるだけ最高の得点を挙げられるように、ベストな勉強時間の配分を調整します。
簡単に言ってしまいましたが、これがなかなか難しいです。
「完璧を求めつつも、完璧を目指そうとしない」
どこまで勉強を深めていくかです。
応用と言っても、奥を深めれば切りがありません。
「これ以上、深く勉強するべきかどうか」
「さらに突っ込んで勉強するべきかどうか」
「さらに勉強を進める必要はあるのか」
この迷いが発生します。
この加減が、受験時代に学ばなければいけない部分です。
限られた時間の中で最高の結果を出すための、手加減を勉強する時期なのです。
勉強に、才能は不要です。
まずそれに気づくことです。
生まれつき、記憶力に多少の違いはあります。
ありますが、微々たる差です。
あなたは自分の名前が言えますよね。
自分の家の住所を覚えていることでしょう。
それだけの記憶力があれば、十分な受験に通用するだけの記憶力があると言えます。
そんな程度の記憶力でいい。
では、受験で才能が必要なければ、何が必要なのでしょうか。
「やるか、やらないか」
それだけです。
やれば成績が上がりますし、やらなければ成績は上がらない。
「勉強」という行動さえきちんとできていれば、多少の才能の差は気になりません。
記憶力の差は関係なしです。
復習をすれば、記憶力なんて、いくらでも強化できるからです。
大切なことは、復習をするかしないかです。
それができる人は成績が伸びますし、しない人は伸びません。
自分の頭の悪さを、才能のなさにしているのは、ただ勉強から逃げているだけです。
才能の差は言い訳になりません。
差がついているのは「才能の差」ではなく「行動力の差」です。
それに気づくのです。
「この本を買えば、勉強ができそうな気がするぞ」
本屋で手に取った参考書の中身を見たときに、そういう気持ちにさせるものがあります。
より良い参考書を選べば、勉強もはかどることでしょう。
レジを通して、参考書を買ったまではいいですが、問題なのはここからです。
買ったのはいいですが、そこで終わってしまう人がいます。
立派な参考書を選び、買った時点で満足して、終了になっている。
勉強できそうな参考書を買ったら、自然に学力も上がると勘違いしそうになります。
参考書を買っただけでは、まだ勉強は始まっていません。
勉強ができそうな参考書を買っても、使わないのではまったく意味がありません。
使わなければ、お守りにしかなっていません。
お守り目的のために買っているわけではありませんよね。
参考書は、買う前より買った後のほうが大切です。
いかに使い倒すことができるかです。
隅から隅まで目を通して、書いてあることをすべて吸収するくらい活用することです。
手垢がついて汚れ、何度もページをめくるので、一部が破れるくらいで上等です。
使って汚れて友人から「その参考書どうしたの」と驚かれるくらいでいい。
それくらい活用してこそ、参考書の意味が出てきます。
立派な参考書があるのではありません。
立派な参考書へと仕上げます。
あなたが徹底的に使い倒した参考書は、何度も繰り返し使うほど、立派な参考書になります。
慣れが出てきて読みやすくなります。
復習効果は、同じ本を何度も繰り返すときに出てきます。
本屋の受験コーナーを見れば、立派な参考書がたくさん並んでいます。
どの参考書も頼りがいがあるように見えます。
「買うからにはできるだけ立派な参考書を選びたい」
数多くの参考書の中から時間をかけて吟味し、最も自分に合っていそうな1冊を選びます。
たしかに参考書には、善しあしがあります。
解説が詳しいもののほうが理解しやすくなります。
カラーのほうが見やすくて、一目で理解できることでしょう。
図やグラフなどがたくさんあれば、理解もスムーズに進むはずです。
多種多様な参考書がありますが、その差は微々たるものです。
参考書の善しあしに違いはありますが、どれも大手出版社の専門家がきちんと研究を重ねているので、内容は確実です。
どの参考書を使っても、きちんと勉強すれば成績を上げることができます。
立派な参考書というのは、最初からあるのではありません。
立派な参考書へと変えていくものです。
立派にできるか否かは、あなたの問題です。
買っただけでそのままにしていれば、意味がありません。
ほこりをかぶってインテリアくらいにはなりますが、それ以上の意味はありません。
いくら立派な参考書でも、あなたがそれを使って勉強しないと意味がない。
しかし、平凡な参考書でも、きちんとあなたが繰り返し勉強していれば、世界一の立派な参考書へと変わります。
評判が悪くて、多少読みにくかったりわかりにくかったりしても、何度も復習していれば、だんだん立派な参考書へと変わります。
参考書は買った後が問題です。
いかに使い倒すか。
いかに慣れ親しむか。
いかに真剣に取り組むか。
世界一の立派な参考書に仕上げるには、あなたの力が必要なのです。
「テストで悪い点を取ってしまった。落ち込むなあ」
誰でも悪い点を取ったら、ショックを受けます。
普通の人はまず落ち込みます。
バツ印を見ると、自分を否定されているような気がします。
誰でもショックで、涙を流す人もいることでしょう。
点数の悪いテストなんて見たくはありません。
破ってごみ箱に捨てたくなります。
しかし、見たくないと思うテストの結果こそ、きちんとみましょう。
特に見るべき部分は、丸印より、バツ印です。
バツ印になったところは、問題の回答に間違った部分です。
つい目を背けたくなりますが、その部分こそ直視しないといけない部分です。
「嫌だ。見たくない」
そう思っているうちは、まだ本当の受験生ではありません。
勉強ができる受験生は、バツ印から目を背けるのではなく、直視します。
なぜバツになっているのかというと、知識や理解が不足しているからです。
自分の知識の抜けや、理解不足があることがようやくはっきりわかる瞬間です。
見かけこそ悪いバツ印ですが、実はいちばんおいしい部分です。
「試験を受けて良かったな」と思える部分です。
そのポイントをしっかり補完し復習すれば、テストを受けた意味があったということです。
より完璧に近づけるようになるのです。
受験生のときの、ある日のことです。
母から気に障るようなことを言われ、いらいらして自分の部屋のドアを蹴ってしまったことがありました。
実は母から何を言われたのかは、覚えていません。
覚えていないくらい、ささいなことです。
受験のストレスをため込んでいる時期には、ささいなことでも強く反応してしまいます。
強く蹴ったせいで、ドアの下側には大きな穴が開いてしまいました。
一度開いた穴は、ドアごと変えないかぎり、修復が難しい状態でした。
そのときはストレスでいっぱいでしたが、あとから冷静になったとき、自分のしたことを恥じました。
「ぶつける対象が悪かったな」と反省しました。
せめてぶつける対象を、もっと別のものにすれば良かった。
誰にも迷惑がかからず、自分のためになるような吐き出し方です。
そこで思いついたのは、ダンベルでした。
私の部屋には、体操部だったころに使っていた8キロのダンベルがありました。
いらいらしたときには強いパワーが発生します。
パワーが発生して吐き出したい状況と、パワーが必要なダンベルの条件が一致しました。
その後、いらいらしたときには、ダンベルで筋トレをするようになりました。
ドアをけるのはやめて、ダンベルを持ち上げます。
ダンベルを使った筋トレでストレスを吐き出すようになり、ストレスコントロールがうまくできるようになりました。
体格が良くなり、筋肉がついたせいか、風邪も引きにくくなりました。
笑える話ですが、これはこれでおすすめです。
吐き出し方を少し工夫すれば、意外な利益をもたらします。
あなたも、いらいらする気持ちになるときがあるでしょう。
そのときは、無理にいらいらを抑えるのではなく、吐き出しましょう。
ただし、吐き出し方を少し工夫しましょう。
近所の人通りの少ない道に出て、思いきり100メートルダッシュをしてみましょう。
一瞬にして気持ちがすっきりするはずです。
もちろん100メートルダッシュが苦手な人は、ジョギングでもOKです。
スイミングでもいいでしょう。
筋トレのいい機会です。
いらいらは、すぐ解決するものなのです。
学生時代、学校用と家庭用とで、別々のシャープペンシル、消しゴム、ノートがありました。
家で使うタイプと学校で使うタイプが別々だったので、使い心地も違い、違和感がありました。
違和感があると気になり、集中力を奪われてしまいます。
学生にとってシャープペンシル・消しゴム・ノートは毎日使います。
毎日使うものだからこそ、少し変わるだけで気になります。
ある日、違和感解消のため、学校と家とで使うシャープペンシルと消しゴムを統一させました。
これまで教科ごとに別々のタイプのノートを使っていましたが、すべて同じタイプのノートに変えました。
同じタイプのものを選んだ理由は、環境を統一させたかったからです。
すると、これまであったような違和感がなくなり、より勉強に集中できるようになりました。
いつも使い慣れているので安心感があり、勉強の効率が上がりました。
このころから「統一」のよさを知るようになります。
何でもそうですが「慣れ」というのは受験で大きな力を発揮します。
使い慣れたシャープペンシル、消しゴム、ノートなら、書いたり、消したりメモを取ったりするときに、スムーズになります。
使い心地だけでなく、気持ちの面でも、摩擦がなくなります。
別々の道具を使っているなら、ぜひ「統一」をおすすめします。
「わかる」と「覚える」は、なんとなく意味が似ている言葉です。
「わかりました」
「覚えました」
よく耳にする言葉ですね。
先生たちも、あまりに基本的なことすぎるのか、きちんと説明してくれない場合が多い。
本腰を入れて受験勉強をするなら、この意味の区別をきちんと理解して整理しておくことが必要です。
「わかる」と「覚える」の意味をきちんと把握すれば、受験勉強がやりやすくなります。
突然ですが、この違いをきちんと説明できるでしょうか。
どちらも頭を使うことには変わらないので、だいたい同じ意味だと思っている人がいるようです。
たしかに頭を使うという点では同じですが、意味はまったく異なります。
簡単に説明すれば、次のようになります。
まず「理解する」とは「筋道が理解できること」をいいます。
わかるときの特徴は、面白くて期待や喜びで嬉しくなり、落ち着かないことです。
意味がわかって理解できると、勉強が面白くなります。
「なるほど、そういうことなのか」と、うなずく場面があれば「わかった」という瞬間です。
「そうか。なるほど」とうなずいた瞬間があれば、理解ができている証拠です。
不思議なことに、その瞬間、同時に覚えることもできています。
わかるためには、筋道を理解する必要があります。
筋道を理解するからこそ、一度理解できると忘れにくくなります。
一方で「覚える」とは「記憶すること」をいいます。
覚える作業は、面白みがなく、わくわくもなく飽きやすいのが特徴です。
覚える対象に意味はありません。
うなずく場面はありません。
hatという英単語の意味は「帽子」だということに、大きな理由はありません。
ただ、そうなのです。
厳密には理由はありますが、深く追求すると話が膨らみすぎるので、そのまま覚えます。
覚えることは、前後関係も意味もないため、覚えやすく忘れにくいです。
歴史の教科書を読んで、流れをつかむのは「わかる」です。
しかし、登場人物の名前や年号を頭に叩き込むのは「覚える」です。
植物の光合成の仕組みを理解するのは「わかる」です。
しかし、光合成の中で登場するミトコンドリア・葉緑素・DNAなどの役割を頭に叩き込むのは「覚える」です。
このように勉強には「わかる」と「覚える」があるのです。
受験生の中には「小→中→大」で勉強を進める人がいます。
細かいことから覚えて、あとから全体をつかむというやり方です。
たとえば、歴史の勉強をするときに、年号・登場人物・戦争・建造物の名称などから、正確に覚えようとします。
これはおすすめできません。
小さな項目のほうが絶対数は多い。
小項目を覚えるのは後回しで結構です。
時間がかかるうえに、覚えにくく、忘れやすいからです。
星の数ほどの小項目から勉強を始めるのは、挫折しやすくなります。
最初にしなければならないのは「全体の把握」からです。
勉強をするときの王道は「大→中→小」です。
大きな項目だけを拾って、全体像をつかみます。
全体が理解できて、だんだん小さなことへと焦点を合わせていきます。
大きな項目のほうが絶対数は少ない。
あまり時間がかからないうえに、覚えやすく忘れにくいからです。
勉強は、全体を把握することから始めます。
まずこれに気づくことです。
本を読むときもそうです。
書店で本を吟味するとき、200ページ以上ものページを見て、すべての文字を拾うのは大変に時間がかかります。
そういうときには、目次から見ればいい。
目次で大きな項目を見れば、その本に書いてあることがおおむね理解できるようになります。
一目で本全体がわかるはずです。
そのことを受験時代には、できるだけ早く気づいてほしい。
時間や労力の無駄をなくすためです。
早く気づける人ほど、限られた時間や労力を有効に活用でき、スムーズに勉強が進むようになります。
私が本腰を入れて受験勉強を始めたのは、高校1年の冬からでした。
それまでは、勉強らしい勉強をしたことがなく、初めは手探りの状態でした。
勉強そのものに慣れていないため、効率が悪いものも多く、まずそこから改善しなければいけないと気づきました。
勉強法が悪いと、ざるで水をすくうようなものです。
覚えては忘れ、忘れては覚えるという繰り返しになり、効率が悪い。
その後、勉強法のマニアになりました。
学校の帰りにはいつも書店に立ち寄って、勉強法なる本を見ては「これは使えそうだ」という方法を探りました。
毎日立ち寄っていたので、書店の人には顔を覚えられていたと思います。
さまざまな本の、さまざまな著者が勧める勉強法は、多種多様でした。
合格体験記もかなり目を通しましたが、合格者ごとに勉強法も十人十色でした。
驚くべきことに、中には正反対のことが書かれているものもありました。
「勉強は夜のほうがいい」と書かれているものもあれば「勉強は朝のほうがいい」と書かれているものもあります。
「ノートをきれいに取ろう」と書いているものもあれば「ノートは取らず先生の話に集中する」と書かれているものもあります。
そういう内容を読んでいると、途中から頭がおかしくなります。
どれを信じていいのかわからなくなります。
右往左往していたとき、気づきました。
「どれがベストの勉強法であるかは、人それぞれである」
つまり、やはり自分に合った勉強法は、自分で見つけるしかありません。
著者が進める勉強法は、たしかに著者には良い勉強法なのでしょう。
しかし、必ずしも万人に通用するものとは限りません。
これに気づけただけでも、大きな収穫でした。
人それぞれに合う勉強法は異なることに気づいた私は、さっそく片っ端から試していきました。
試してみなければ、合っているかどうかわからない。
大切なことは、まず試してみることです。
素直にまず試す。
ダメなら、不採用。
うまくいけば採用です。
うまくいったものは、もっと効果を伸ばすことができないか、さらに試行錯誤します。
自分らしい勉強法を確立していきます。
もちろん見つけるまでの作業は大変ですが、見つけることさえできれば、勉強ははかどるようになります。
そこで見つけることができた自分らしい勉強法は、受験期に限らず、社会に出てからも十分通用します。
もし、受験期に自分らしい勉強法を確立できていなければ、もうチャンスはありません。
受験ほどストイックになって勉強する時期だからこそ、勉強法を試しやすいです。
個性を見つけられる時期です。
私が今取り入れている勉強法のほとんども、やはり受験時代に培ったものです。
膨大な勉強をしなければならない状況に置かれるからこそ、知恵も働きます。
効果があるものと、そうでないものがよくわかります。
受験期は、自分らしい勉強法に気づく時期なのです。
社会で仕事をしていると、ささいなことが命に関わる場面が数多く登場します。
ぼうっとしていると、赤信号なのに横断歩道を渡ってしまい、車にひかれそうになります。
自動車でハンドル操作を誤れば、事故を起こしてしまい、人をはねてしまうばかりか、自分の命を落とすこともあります。
電車の運転手が操作を間違えれば、脱線事故を起こしてしまうでしょう。
医者が手術中に間違っては、患者の命を奪いかねません。
これはすべて事実です。
1つの間違いが、命に関わるのは大変恐ろしいことです。
それもほんのささいな間違いでも、アウトです。
それに比べれば、受験なんて大した話ではありません。
どんなに間違っても、命まで取られるわけではない。
0点を100回とっても、別に死ぬわけではありません。
難しく考える必要はない。
にもかかわらず、受験にびくびくする人がいます。
「間違うのが怖い」
「悪い点を取るのが怖い」
「勉強は難しいなあ」
かわいい悩みです。
間違いを恐れず、全力でぶつかってください。
間違ったところは反省して、次から正解するようになればいい。
それだけのことです。
大げさに考えすぎです。
命に関係しませんから、そもそも間違いを恐れる必要もないのです。
「受験に専念したい。部活はやめたほうがいいだろうか」
受験生の間ではよく話題になる話です。
普通に考えれば、勉強に集中する時期ですから、部活をやめて勉強に専念するほうがいいと思います。
異を唱える人も少ないはず。
部活には時間も取られますし、勉強に専念している人より不利になるように思えます。
しかし、ここを見落としやすいです。
実は、部活をやめないほうが受験はうまくいきます。
もちろん義務的でいやいややっている部活なら、すぐやめたほうがいいでしょう。
好きでもない部活をやっていても、ストレスがたまるだけです。
勉強でも部活でもストレスがたまるのでは、両方とも崩壊するのは時間の問題です。
しかし、部活が楽しくて続けたければ、勉強のために無理してやめる必要はありません。
ぜひ、そのまま続けましょう。
実は、勉強と部活は、相性がいい。
勉強をしてストレスがたまり、たまったストレスを部活で発散させます。
部活でストレスを発散させるからこそ、勉強にも集中できるようになります。
ストレスをためると吐き出す、というバランスが取れ、充実した受験生活を送ることができるようになります。
むしろ、勉強ばかりの人のほうが大変になります。
ストレス発散のはけ口がないため、勉強の効率が下がってしまいます。
一度しかない高校生活です。
「どちらか」と言わず「どちらも」でいい。
勉強と部活の両方のバランスが取れ、充実するのです。
受験期には、つい勉強のことばかりを考えてしまいがちです。
勉強ばかりの毎日であることはたしかですが、現実はそうはうまくいきません。
風船は、空気を入れ続ければ、いずれパンと破裂してしまいます。
人も同じです。
人間は、ストレスをため続ければ、いずれ崩壊してしまいます。
発狂しそうになったり、燃え尽き症候群になりそうになったりします。
そこで受験期には「勉強以外のもう1つ大切な課題」に気づきます。
「いかにストレスを吐き出すか」という課題です。
勉強と同じくらい、あるいはそれ以上に大切な課題です。
ストレスをうまく吐き出さないと、長期にわたる受験を乗り越えるのは難しいからです。
もしすでに部活をやっているなら、その部活はぜひ続けましょう。
楽しくて充実した部活なら、自然とストレス発散になるからです。
足し算の後引き算になり、ちょうどいい具合になります。
しかし、問題なのは、最初から部活動に所属していない人です。
部活がない人は、どうストレス発散をすればいいのでしょうか。
「遊び」を見つければいい。
サッカーでも、ジョギングでも、旅行でも、体を動かすことができれば何でもOKです。
女性なら、お風呂に2時間くらいつかったり、エステティックサロンに通ったりでもいいでしょう。
美容院では頭皮のマッサージをしてくれるところがありますから利用するのも名案です。
遊びは、お堅い受験期の潤滑油。
ストレス発散になるような遊びがあるから、大変な受験が乗り越えられるのです。
受験は競争です。
成績を上げるためには、やはり勉強の絶対量を増やすことです。
まずはこれが基本ですね。
競争ですから、他の人よりいかに多くの勉強時間を費やすかに気を使ってしまいます。
そう思えば思うほど、なぜか時間は短く感じられるようになります。
24時間なんて、あっという間。
「勉強が足りない。もっと時間があればいいのに」
なかなか勉強が思うように進まなくて悩み、時間がもっとありさえすれば、勉強はうまくいくだろうと思います。
そういうとき、ほとんどの受験生が陥るパターンがあります。
睡眠時間を削ってしまいます。
寝る時間を減らして、勉強の時間に回せば、たしかに起きている時間は長くなります。
多くの受験生は「たくさん寝ること=悪」と勘違いしてしまい、どんどん睡眠不足になります。
一昔前には「四当五落」という言葉もありました。
4時間しか寝ないで勉強すれば合格し、5時間も寝た人は不合格になる意味です。
ばかばかしいことです。
睡眠時間を恐れてはいけません。
成績を上げたければ、むしろたっぷり睡眠時間を取ります。
なぜ勉強に集中力が出ないのかというと、睡眠不足だからです。
人間ですから眠いときには、やる気も集中力も根気も出るはずがありません。
そうなって当然です。
にもかかわらず、勉強時間を増やすために睡眠時間を削ってしまえば、余計に気力が発揮できなくなります。
勉強スピードも効率も下がって、悪循環になります。
たっぷり寝るからこそ、気力が発揮されます。
ほかの受験生と差をつけたければ、睡眠時間を削るのではなく、むしろ増やしましょう。
たっぷり睡眠時間を取ることで得られるやる気・集中力・根気などの気力で、差をつけます。
睡眠によって勉強に必要な気力が充電されるのです。
「たまたま苦手な問題が出題された」
「勉強の時間が少なかった」
「当日、調子が悪かった」
返ってきたテストの結果を見て、言い訳をする人がいます。
なかなかうまくいかない理由は、自分以外になすり付けようとする行為です。
成績の悪い人には「言い訳をする」という共通点があります。
自分の悪い状況を、うまい言い訳で合理化させてしまいます。
言い訳をする人で、成績のいい人はいません。
また、言い訳をし続けているかぎり、成績が良くなることも絶対ありません。
「そうは言っても、悪い条件があれば仕方ないだろう」
ほらほら、いけません。
その言い訳をしているかぎり、あなたが成長できませんし、成績も上がりません。
勉強は、言い訳をやめるところから始まります。
「何か解決法があるはずだ」
自分なりに、反省点を見いだすことです。
希望を持って試行錯誤して、改善策を打ち立てます。
「出題された問題が悪い」という言い訳をやめましょう。
自分の理解や知識に足りない点があったから、間違えたと素直に反省します。
「勉強する時間がなかった」という言い訳もやめましょう。
たとえ時間がない状況でも、時間をつくる工夫をしましょう。
言い訳をすれば、自然に時間が増えることはありません。
そういう言い訳をしているから余計に時間がなくなります。
テスト当日、たまたま体調が悪い日だったというのも言い訳です。
原因なしに、急に体調が悪くなることはありません。
体調が悪くなるような何かをしていたはずです。
テスト前は、風邪をひかないように注意するのは当然です。
テスト当日におなかを壊さないよう、特別な朝食ではなく、普段どおりの朝食を食べていればいい。
受験では、言い訳ほど無駄なことはありません。
どんなに言い訳しても点数が上がることはありません。
むしろ下がる一方です。
早くそれに気づくことです。
あらゆる結果には、原因があります。
言い訳したい気持ちをぐっとこらえて、原因を見つけて、改善です。
それができたとき、本当の意味であなたが成長します。
改善された勉強態度によって、自然と学力も上がるはずです。
学生時代は、さまざまな友人の部屋に遊びに行きました。
友人の中には成績のいい人もいましたし、逆に悪い人もいました。
田舎の小さな学校なので、生徒同士あまり壁がなく、みんなが分け隔てなく交流していました。
友人の家に遊びに行って、まず拝見するのは、やはり友人の部屋ですね。
さまざまな友人の家に遊びに行き、さまざまな部屋を見せてもらいました。
私は友人の部屋を見るのが好きでした。
他人の部屋を見るというのは、なぜかどきどきしませんか。
秘密をこっそり教えてもらっているようで、友人と遊ぶより部屋を見るほうが楽しみでした。
部屋を見れば、その人がどういう性格で、どういう生活をしているのかよくわかります。
同じ人間なのに、人によって部屋の様子は全然違います。
部屋といっても千差万別です。
こんなにも部屋の光景が違うかと、いつも驚きと感動がありました。
たくさんの友人の部屋を見せてもらった結果、ある日、ふと気づいたことがあります。
成績のいい人と悪い人の「部屋の共通点」を発見しました。
成績が悪い人の部屋には、3つの共通点がありました。
まず第1の共通点は「漫画と雑誌」です。
必ず置いてあります。
いえ、出しっぱなしというほうが適切かもしれません。
成績が悪い人には、十中八九と言っていいほど、漫画や雑誌が部屋に散らばっていました。
その散らばっている様子から「ついさっきまで漫画を読んでいました」というのがよくわかるほどでした。
人気漫画の全巻がそろっている人さえいました。
第2の共通点は「ゲーム機」です。
部屋の中央にどんと置かれているのが印象的です。
部屋に入ってテレビとゲーム機のスイッチを入れれば、すぐ始められるようにスタンバイされています。
そのいつでもゲームができる状態を見て「いつもゲームばかりしているんだな」とわかります。
第3の共通点は「部屋の雰囲気が悪いこと」です。
雰囲気が悪くなる原因は、さまざまです。
日当たりが悪くて、部屋が暗い。
飲みかけの缶ジュースが置いてある。
掃除がされていなくて、ほこりっぽい。
布団は敷いたまま。
パジャマが脱ぎ捨てられている。
布団を何カ月も洗っていないためか、部屋に入った瞬間に汗のにおいがする部屋もありました。
さすがに気持ちが悪くなってしまったこともありました。
どんよりした空気が流れ、とにかく雰囲気が悪いです。
自然と気持ちが下がってしまう部屋でした。
「さすが勉強しない人の部屋だけのことはある」と感心したものでした。
漫画・雑誌・ゲーム機・部屋の雰囲気といい、勉強がしたい気持ちにはなれない部屋でした。
学生時代には、さまざまな友人の部屋を見せてもらいました。
その中で成績がいい人の部屋には、3つの共通点があることを発見しました。
まず第1の共通点は「教科書や参考書が並んだ本棚」です。
必ず目にする光景でした。
学校で使う教科書や参考書だけでなく、塾で使っている教材や通信教育の教材などが、ずらりと本棚に並べられているものでした。
その本棚を見れば「日頃からよく勉強しているんだな」と見てすぐわかります。
手の届く範囲に教科書が置かれているので「いつも勉強しているんだな。さっきまで勉強していたのかな」と思わせるほどです。
どれだけ日頃から勉強しているのか、その本棚を見ているだけで伝わってきます。
第2の共通点は「カレンダー」です。
カレンダーの種類はさまざまですが、とにかく勉強ができる人の部屋に置いてあるお決まりのアイテムでした。
勉強スケジュールが書き込まれていたり、模擬試験や受験日の日程が書き込んであったりしていました。
おそらく勉強の計画を立てるために、カレンダーを活用していたのでしょう。
丸印や色が塗られてあり、時間管理のうまさがうかがえました。
第3の共通点は「標語」です。
これがいちばん驚いたものでした。
人間は、時間がたてば、だれるようになっています。
楽なほうへと心が傾いてしまい、初めは真面目にやっていたことも、サボり始めてしまいます。
その傾き欠けた心を立て直すために、やる気が出るような標語を書いた紙を壁に貼っている人が多かったです。
「飽くなき挑戦」
「絶対に合格」
「自分に負けない!」
友人は「あまり標語は気にしないで」と恥ずかしがっていましたが、私はとても印象的でした。
その人の心の様子や目指している目標がなんとなく伝わってきます。
不思議なことに、成績がいい人の部屋にいると、なぜか澄み切った気持ちになり、自然と勉強がしたくなります。
そういう気持ちにさせてくれる部屋の環境が整っていました。
さて、あなたの部屋はどうですか。
客観的に自分の部屋を見てみましょう。
なかなか勉強がはかどらないのは、あなたが悪いのではなく、部屋の状態が悪いのかもしれません。
勉強の妨げになるような物が置いてあれば、当然勉強に集中できないのも無理はありません。
勉強がしにくい部屋なら、勉強がしたくなるように模様替えです。
今からでも間に合います。
部屋は、あなたの意志で変えることができます。
いつもいる場所だからこそ心理的には大きな影響を及ぼすのです。
高校1年のころ、虫歯になって歯医者に行きました。
たまたま歯医者の受付のお姉さんと仲良くなり、会話の中でふと、意味ありげな言葉を言われました。
「若くていいね。今のうちに一生懸命に勉強してね」
高校2年のころです。
自転車に乗って下校途中、目の前の信号が赤になったので、横断歩道で青になるのを待っていました。
ぼうっとしていると、隣にいた中年のおじさんが急に話しかけてきました。
「高校生かね。今のうちに一生懸命に勉強しろよ」と一言言って、去っていきました。
高校時代に通っていた塾がありました。
その塾の先生はいつも「今のうちに一生懸命に勉強しておかないと大変なことになるぞ」と言っていました。
私が高校を卒業し、アメリカ留学中、ナナさんという29歳の女性と知り合いました。
ナナさんは一度社会を経験した後、勉強するために学生に戻っていました。
「なぜ今になって学生に戻っているの?」と尋ねると、真剣な顔で言いました。
「大人になって勉強がしたくなったから。貴博君も今のうちに勉強してね」と。
私が学生時代、両親にアルバイトをしたいと言ったことがありました。
両親は、猛烈に大反対しました。
「学生の仕事は勉強! お金を稼ぐためにアルバイトをするなら、そのお金は出すから、今は勉強に集中してほしい」と。
若いときは、この現象が不思議でたまりませんでした。
大人たちが、陰で口裏を合わせているかのように、同じ言葉を言います。
また、周りにいる大人たちが「勉強、勉強」と語りかけてくるのは、少し耳障りに感じる時期です。
知らない大人からも、急に「勉強したほうがいいよ」と忠告されるくらいです。
当時は、理解できなかったことでした。
今度は社会人である私が、学生であるあなたに語りかけたい言葉があります。
それが「今のうちに勉強してね」という言葉です。
なんと、私もかつての大人たちと同じ言葉を自然と口にするようになりました。
自分が社会人になり、ようやく理由がわかりました。
大人から見れば、学生たちがうらやましくてたまらない。
大人になると、自分の知識が不足していることを痛感します。
社会の勉強、漢字の勉強、歴史の事情など、勉強することはたくさん出てきます。
「学生時代もう少し勉強していれば、今はもう少し理解できていたはずだろう」
そう思います。
それは事実です。
テレビで流れるニュースは、実は学生時代に培った読解力や漢字の力などが土台になっています。
また、テレビで流れるニュースや歴史系番組など、理解をする背景には学生時代に学んだ歴史が必ず絡んでいます。
そもそも私たちが生きている資本主義社会も、いきなり最初からあったわけではなく、さまざまな複雑な経緯があります。
もっとたくさん勉強していれば、もっと深く理解でき、いろいろなことがわかるようになります。
見えなかったことが見えたはず。
感じられなかった感情も味わえたはず。
もっと華やかな人生になったはず。
人生全体が大きく変わったことでしょう。
そう思います。
大人になれば、学生時代にどんなに勉強した人でも、知識不足を必ず感じるようになります。
「もっと勉強しておくべきだった」と後悔すると同時に学生たちに「しっかり勉強したほうがいい」とアドバイスしたくなります。
私も学生時代は、一生懸命に勉強したほうでした。
おかげでこれだけたくさん文章を書いていますが、そんな私でも「知識不足だ。もっと勉強しておくべきだった」と思います。
死ぬほど勉強して大丈夫です。
そんなことをいつも思っています。
私も今、若くて体力があるあなたがうらやましい。
だからつい、面識のないあなたに急に語りかけたくなります。
大人になるまで、まだ時間はたくさんあります。
「今のうちに一生懸命に勉強してね」と。
この言葉の裏には、そうした壮大で深い人生観があるのだと、大人になってから理解できたのです。
寝る直前に、父に叱られたことがありました。
すると、夢の中で父から叱られる続きを見てしまうことがありました。
寝る直前に好きな人のことを考えていたことがあります。
すると、夢の中に好きな人が出てきて、一緒にデートをしている夢を見たことがありました。
次の日、仕事で失敗したらどうしようかと考えていたことがあります。
すると、仕事中に失敗している夢を見てしまったことがありました。
不思議な出来事ですが、おそらくあなたも何度か経験があるのではないでしょうか。
しかも、なぜかそうした夢の出来事は覚えています。
次のような法則をご存じですか。
「寝る前に暗記したものは覚えやすくなる」
日中に暗記するより、寝る直前に暗記したほうが、記憶に残りやすくなります。
これは科学的に証明されている事実です。
睡眠中、脳の活動は一切停止しているわけではありません。
「情報の仕分け作業」を行っています。
日中にインプットした情報のうち、整理しながら、重要だと判別した情報は長期記憶へと移動させる仕事を行っています。
私たちが寝ている間に見えている夢は、短期記憶を整理したときに見る内容です。
情報を仕分けたり、整理したりしているので、夢は支離滅裂です。
部屋を掃除している最中、部屋はめちゃくちゃの状態になるのと同じです。
きれいに整う前には、一度散らかります。
さて、ここまでお話しすれば、なぜ寝る前に暗記すると忘れにくいのかおわかりですね。
寝ている間は、外部からの情報が一切入ってこないからです。
外部からの刺激がないため、脳は情報を仕分けやすくなります。
寝る直前に覚えたことを、長期記憶へと移動させやすくなります。
暗記をするなら、寝る直前に覚えるようにしましょう。
寝る直前にした勉強の続きが、夢に出てくるようになればOKです。
図書館は、勉強するのに絶好の環境です。
しんと静まり返っていて、室内は勉強一色という雰囲気に包まれています。
図書館にいるだけで、頭が良くなったような気がするから不思議です。
気の利いた図書館なら、エアコンが効いています。
暑くも寒くもありません。
まさに勉強するのに最適の環境です。
しかし、その居心地の良さに負けて、眠ってしまっては意味がありません。
図書館は、勉強できる環境を提供しているだけであって、そこで勉強するのはあなたです。
両親は、あなたの通う塾や予備校に多額のお金を払ってくれることでしょう。
大切な子どもですから、親なりに子どもの受験を助けたいと思います。
しかし、どんなにいい塾や予備校があっても、そこに通って教室で勉強するのはあなたです。
塾をサボったり、授業中に居眠りしたりでは意味がありません。
わかりやすくて楽しい授業をしてくれる教師がいます。
たとえば、世界一優れた講師から授業を受けられる機会に恵まれたとします。
ユーモアがあふれ、専門知識が豊富で、わかりやすく噛み砕いて説明をしてくれます。
そんな教師がいても、その授業内容を最後に頭に叩き込むのはあなたです。
あなたが勉強しようという気持ちがなければ、どんなに優れた教師も意味がありません。
仲のいい友人がいます。
仲のいい友人と一緒に勉強会を開けば、楽しく勉強ができるでしょう。
わからないところも教え合えます。
明るく楽しく勉強ができますね。
しかし、勉強会を開いても、勉強とは関係のない雑談で終わっては、単なる時間の無駄遣いです。
勉強会を開いても、勉強しないと意味がない。
世の中には、良質の参考書がたくさんあります。
何年も前に出版され、いまだに売れ続けている参考書は、良書に違いありません。
時代の変化に合わせて、改善が繰り返されています。
専門家が、多くの労力と時間を使って書いて、チェックしています。
しかし、どんなにわかりやすい参考書を買ったとしても、それを使って勉強するのはあなたです。
あなたが勉強するからこそ、参考書のわかりやすい解説が生きてきます。
あなたにプラスになる、条件・人・物など、たくさんあります。
しかし、どんなに両親がお金を出し、講師に恵まれ、素晴らしい参考書があっても、最後に知識を叩き込む場所は、頭の中です。
他人はその直前まで協力はできますが、最後に勉強するのはあなたです。
この当たり前の事実に気づくことです。
頼りになるものはたくさんあります。
しかし「最後の頼りは自分」ということです。
勉強しようとする行動力が、物をいうのです。