高校時代のある日、理髪店で髪を短く切られてしまったことがありました。
私の説明が抽象的だったせいです。
イメージがうまく伝わらず、お坊さんのように短く切られてしまいました。
髪型を伝えるのは難しい。
切られている途中から、切りすぎだということに気づきましたが、切ってからはどうすることもできません。
切りすぎというのは、切った後に気づきます。
しかし、切った後はもうどうしようもないので「違います」とも言いにくい。
自分の思うように髪を切ってもらうのは、なかなか難しい問題ですね。
かっこ悪い髪型になったので、外出が嫌になりました。
恥ずかしいので誰にも会いたくない。
誰にも見られたくない。
日に当たるのさえ嫌になり、日光がいつもよりまぶしく感じます。
しかし、そうは言っても学校はいかなければなりません。
次の日、しぶしぶ学校に向かいましたが、案の定、友人からは大笑いされました。
「髪が伸びるまでの辛抱だ」
恥ずかしい気持ちを抑えて、あまり余分な行動をしなくなりました。
それからしばらくの間、学校が終われば人目を避けるため、逃げるように下校しました。
急いで自転車置き場に向かい、ペダルをいつもより早くこいでいました。
もちろん寄り道もしていません。
友人に「これから町に遊びに行かない」と誘われたこともありました。
「今日はちょっと用事がある」と嘘をついて、家に帰りました。
思春期は、髪型の変化を強く意識する時期です。
今思えば、大して恥ずかしいような髪型ではないですが、当時は恥ずかしくてたまりませんでした。
しかし、これが意外な効果を生み出します。
勉強時間が増えました。
学校が終わればすぐ下校、寄り道もなくなり、1人になる時間が増えました。
できることと言えば、人目のないところで勉強をするくらいです。
寄り道をせずに早く家に帰り、勉強に取り組む。
髪が短くなった副作用が、勉強に集中しやすい姿勢へと変わりました。
なにより髪が短いと、不思議と澄み切った気持ちになれました。
お坊さんが邪念を払うため髪を切る、という体感ができました。
欲望が抑えられ、邪念が消え、余計なことは考えない意味があります。
まさかこんな失敗で、お坊さんの気持ちがわかるとは思いませんでした。
髪が長いと、下を向いたときにだらりと髪が落ちてきて、気になって指で触ったりいじったりします。
しかし、髪が短いと、そういう余分なこともなくなり、目の前にある教科書へ集中できる。
いつもより集中して勉強ができます。
理髪店や美容院で失敗したときにあった、切った人への恨みが消えました。
むしろ短く髪を切った人は神様だったのかもしれません。
勉強できるチャンスを与えてくれ、短い髪型のよさを教えてくれたのです。