芸能人がトラブルを起こすと、ここぞとばかりに叩く人がいます。
メディアで誰かが炎上すると「私も!」と言わんばかりに加担する人がいます。
本人はあくまで「正義感からの行動」だと思っています。
人に期待に応えようと頑張っている人がいます。
「親の期待に応えたい」
「先生の期待に応えたい」
なぜあの人は、人の失敗を許せるのでしょうか。
なぜあの人は、人の失敗に優しくなれるのでしょうか。
それは、自分も失敗したことがあるからです。
あなたが生まれて親から最初にもらったプレゼントは何でしょうか。
名前です。
あなたにとっては最初から普通にあるものなので、何とも思っていないかもしれません。
みんな、おいしいものを探しています。
「おいしいお店はどこ?」
「おいしい料理は何?」
料理を食べて幸せな気分になったとき、どんな言葉で表現しますか。
まず思いつくのは「おいしい」という言葉ではないでしょうか。
料理を褒めるときの定番のセリフであり、最もシンプルでストレートな表現です。
知り合いが松葉づえをついて歩いている人がいると、どんなリアクションをしますか。
普通は心配になって事情を聞くのではないでしょうか。
「足、どうしたんですか。大丈夫ですか。何があったんですか」と。
飲食店では、時間帯によって店員さんが少ないときがあります。
お店も経営の都合で、十分な人を確保できないのでしょう。
人件費は、経費の中でも大きな割合を占めます。
「お出かけ日和」といえば、どんな天気を思い浮かべるでしょうか。
多くの人は「晴れの日」を思い浮かべるのではないでしょうか。
もちろんそれも1つの正解です。
「前にうまくいかなかったから、二度とやりたくない」
そんな気持ちになることがあるものです。
同じ失敗は繰り返したくありません。
運が悪い人には、ある口癖があります。
「運が悪い」という口癖があり、ことあるごとに口にします。
「私は昔から運がない」
日常では、調子が悪くて苦しめられるときがあります。
なぜか元気が出ません。
思うように仕事が進みません。
余裕を出したいなら、まず笑顔になりましょう。
笑えるような出来事はなくていいのです。
楽しい気分でも面白い気分でもないかもしれませんが、とにかくまず笑顔になることが大切です。
「V字回復」という言葉があります。
低下していた業績が、Vの字を描くように急激に回復することです。
「企業業績がV字回復」「昨年の大赤字からV字回復」といったニュースを見かけることがあるでしょう。
仕事の失敗、お金の失敗、人間関係の失敗。
失敗を100%避けることは不可能です。
人間ですから、失敗することはあります。
興味がないからといって、将来ずっと興味がないとは限りません。
今は興味がなくても、何かがきっかけで、ふと興味を持てるようになることがあります。
ささいなことがきっかけで、興味のスイッチが入ることがあるものです。
誰もが時間をプレゼントされたいと思っています。
時間は貴重なものですから、1分1秒でも節約したいし、大事に使いたいもの。
「お金を払ってでもいいから時間が欲しい」と考える人も少なくありません。
アールヌーボーの代表画家といえば、アルフォンス・ミュシャです。
女性に花や流線を組み合わせた華麗なデザインで有名です。
女優サラ・ベルナールを描いたポスター『ジスモンダ』は、誰もが一度は目にしたことがあるでしょう。
「褒められないとできない」と言う人がいます。
残念ながら、それは本当の意味で、好きなことではありません。
好きだと思い込んでいるだけの錯覚です。
「飲みに行こう」「遊びに行こう」と誘いを受けることがあるでしょう。
もちろん興味があって都合も合うなら喜んで参加すればいいのですが、そうでないこともあります。
誘われるのは嬉しいものの、乗り気がしなかったり、都合が合わなかったりすることもあるでしょう。
不安は誰しも持っているものです。
不安のない人はいません。
すべての人が、大なり小なり、不安を抱えながら生きています。
お酒を飲むと、普段抑えていることが解放されます。
私たちは普段、理性によってストッパーが働いています。
不満に思うことがあっても、表に出しません。
試合に負けて悔しいときは、悔し涙が流れます。
悲しい気持ちで流れるときもあれば、腹立たしい気持ちで流れるときもあります。
悔しくてたまらないときは、自然と涙があふれます。
あなたが愛用しているまな板を見てみてください。
表面には刃物の傷跡がびっしり付いているでしょう。
浅くて小さな傷もあれば、深くて目立つ傷跡もあるでしょう。
テレビでは時折「番組終了」のお知らせを見かけます。
視聴率の低下や広告収入の低迷など、終了の理由はさまざまです。
出演者のトラブルによって終了することもあります。
付き合いが悪いのは、悪いことなのでしょうか。
いいえ、違います。
むしろその逆です。
「1分だけいいですか」と話しかけられることがあります。
用事があって人に声をかけるとき、普通は「少しいいですか」「ちょっとだけいいですか」などのセリフが定番です。
すぐ終わるような話でも、あれこれ波及して、少し長くなってしまうこともあります。
飲み会の誘いがあったとき、よく聞かれるセリフがあります。
「行けたら行く」というセリフです。
「今度の金曜に飲み会があるんだけど来る?」
恋人に好きなアイドルの話をすると、焼き餅を焼かれることがあるものです。
「この人、かわいいよね、かっこいいよね。見とれちゃうよね」
アイドルのことを褒めるやいなや、恋人の態度が一変します。
あなたが最後に砂浜をはだしで歩いたのはいつですか。
子どものころ、砂浜に行くと、はだしでよく歩いたものです。
誰に言われたわけでもなく、自分から靴と靴下を脱ぎ、砂浜を駆け巡っていたでしょう。
芸能人がトラブルを起こすと、ここぞとばかりに叩く人がいます。
メディアで誰かが炎上すると「私も!」と言わんばかりに加担する人がいます。
本人はあくまで「正義感からの行動」だと思っています。
「悪いことをしたのだから罰を与えないといけない。裁きが必要だ。ストレス解消にもなる」と思っているのです。
しかし、こうした行動には注意が必要です。
他人を叩いたところで、何の意味もありません。
そんなことに貴重な時間やエネルギーを使わないことです。
「罰を与えないといけない」といいますが、そもそも自分には関係のないことです。
他人のトラブルを叩いたところで、自分の生活が良くなるわけでもなく、豊かになるわけでもありません。
裁きは、裁判所に任せればいいことです。
他人を叩くことでストレスを解消させるのも、良い趣味とはいえません。
ますます自分がむなしくなるだけです。
貴重な時間とエネルギーが奪われてしまい、自分の生活が圧迫されていきます。
ストレスを解消させるなら、自分の好きな趣味に没頭したほうがはるかに健全です。
他人を叩きたくなったとき、大切なことがあります。
他人ではなく、自分を叩くのです。
重い腰を上げたいときは、自分の尻を叩きましょう。
やるべきこと・やりたいことがたくさんあるはずです。
なかなかやる気が起きないときは、自分の尻をびしっと叩けばいい。
重い腰が上がって行動できるのです。
気合を入れたいときは、自分の頬を叩きましょう。
スポーツの世界では、両手で自分の頬を叩いて気合を入れる選手を見かけることがあります。
それは私たちにも活用できる方法です。
大きく深呼吸をして頬をびしびし叩けば、気合が入ります。
弱気が吹き飛び、勇気がみなぎります。
「やるぞ!」という気持ちになって、前に踏み出せるのです。
他人を叩く暇があれば、自分を叩いてください。
尻を叩けば重い腰が上がり、頬を叩けば気合が入ります。
少々強く叩いても、自分で自分を叩くなら、意味のあるものとして受け入れられます。
同じ「叩く」という行為でも、人に向けるか、自分に向けるかで、未来が変わるのです。
人を叩いても、未来はありません。
自分を叩けば、未来があるのです。
人に期待に応えようと頑張っている人がいます。
「親の期待に応えたい」
「先生の期待に応えたい」
「上司の期待に応えたい」
もちろんそれは結構なことです。
せっかく期待されているなら、なんとかそれに応えたいと思うもの。
信頼している人からの期待に応えようと思うと、自然とやる気が出るでしょう。
心理学では「ピグマリオン効果」といって、他人から期待されることで学習や作業などの成果が上がる現象もあります。
しかし期待されることは、嬉しい反面、プレッシャーも感じます。
人の期待に応えてばかりでは疲れてしまうし、自分のこともどんどん後回しになってしまいます。
過度になると「人の期待に振り回される」という状態にもなりかねません。
時には、自分が本当にやりたいことを見失うこともあるのです。
自分のことを後回しにするばかりでは良くありません。
人の期待に応えることも大切ですが、もっと大切なことを忘れていませんか。
それが「自分の期待に応えること」です。
あなたにはきっと「自分に期待している何か」があるはずです。
やってみたいこと、叶えたい夢、達成したい目標。
自分の内なる声に耳を傾けてみてください。
「これが私の第1希望」「これこそ私がいちばんやりたいこと」と言えるものがあるはずです。
それを叶えるのです。
自分の期待に応えるのです。
たとえば、英語の勉強をしている人なら、英検1級を目指して頑張る。
趣味で小説を書いているなら、入賞を目指してチャレンジする。
ハワイ旅行に行きたい夢があるなら、そのための貯金をつくるため、一生懸命バイトに励む。
それは、親でも上司でも誰でもない、まさしく「自分の期待に応えること」になります。
いま一度「人生の主役は自分」ということを思い出してください。
自分の命は1つしかないし、人生も一度しかありません。
自分の期待に応えると、後悔はありません。
うまくいかなくても「自分のために頑張った」「やるだけのことはやった」と思えるので、納得できます。
自分のためなら、やる気やモチベーションも自然と高まります。
自分の期待に応えるために頑張りましょう。
人の期待に応えることも大切ですが、自分の期待に応えることはもっと大切です。
なぜあの人は、人の失敗を許せるのでしょうか。
なぜあの人は、人の失敗に優しくなれるのでしょうか。
それは、自分も失敗したことがあるからです。
その人は、同じ失敗や似たような経験をしています。
しかも一度や二度ではなく、何度も経験しています。
自分も同じ失敗をしていれば、おのずと優しくなれます。
過去の自分を思い出し、重ね合わせることで、優しい気持ちが湧いてくるのです。
「私も同じ経験がある」「偉そうなことは言えない」と、自然と許せてしまうのです。
うっかりミスをしたことがあれば、人のうっかりミスを許せるようになります。
「私もうっかりミスをしたことがある」と思えるからです。
「大丈夫だよ」「なんとかなるよ」と優しい声をかけられるようになります。
体調不良で迷惑をかけたことがある人は、人の体調不良も大目に見られるようになります。
「私も同じ経験がある」と思えるのです。
「あまり無理しないでね」「気をつけていても体調を崩すことはあるよね」と優しい声をかけられるようになります。
そこには昔の自分に語りかけるような感覚があるのです。
優しい人は、いろいろな失敗をしてきた人です。
たくさん失敗を重ねてきたからこそ、自然と人の失敗を許せるようになり、結果として優しくなっています。
失敗することがあれば「これでまたひとつ優しくなれた」と思ってください。
失敗は、ないほうがいいと思われがちですが、あったらあったで役立ちます。
さまざまな失敗をしておくと、多くの場面で優しくなれます。
失敗は、無駄なものどころか、人生に必要な大切な経験です。
優しい人になりたいなら、どんどん失敗をしに行きましょう。
失敗は、柔らかい心を育てる栄養なのです。
あなたが生まれて親から最初にもらったプレゼントは何でしょうか。
名前です。
あなたにとっては最初から普通にあるものなので、何とも思っていないかもしれません。
しかし、これほどありがたいことはありません。
あなたの名前には「決められた経緯」があります。
自分の名前は、最初からあるものではありません。
あとからつけられたものです。
無作為で決まったわけではなく、慎重に考え抜いた末に決まったものです。
想像してみてください。
あなたがこの世に誕生して、まだ名前についていないころのことです。
親は、あなたの名前を決めるために考えた時間があります。
「どんな名前にしようかな。こういう名前がいいだろうか。ああいう名前がいいだろうか。悩ましいなあ」
うんうんうなりながら考えた時間があります。
頭を抱えながら悩んでいたことでしょう。
画数を気にしていたかもしれません。
名前辞典を見ながら考えていたかもしれません。
パートナーと相談して、時には意見の対立があったかもしれません。
少なくとも時間と労力をかけていたのは間違いありません。
考え抜いた末、ようやく決まったのが今のあなたの名前です。
最初から普通にある名前ですが、決まるまでには多くの時間と労力がかかっています。
まったく記憶にないことでしょうが、あなたの名前が決まる前には、たしかにそういう時間が存在していたのです。
だから、もっと自分の名前を好きになってください。
もっと自分の名前に愛着を持ちましょう。
手間暇のかかった自分の名前を再認識してください。
手間暇をかけて決めてくれた親にも感謝することです。
名前には、親から子への願いを込められています。
「こんなふうに育ってほしい」「こんな人生を歩んでほしい」という気持ちが詰まっています。
子への思いだったり、将来の願いだったりです。
それは平凡な名前でも同じです。
無味乾燥な文字列ではありません。
親からの意味や愛情が込められた格言です。
名前を「格言」と捉えれば、格式と品格が感じられるはずです。
名前は、生まれてから死ぬまで一生持ち続けるものです。
消えたり離れたりすることはありません。
泥棒に盗まれる心配もありません。
名字は、人生の途中で変わることはありますが、名前は一生変わることはありません。
自分の名前の重要性に気づきましょう。
名前ほど、素晴らしいプレゼントはありません。
親からの愛情を感じてください。
あなたの名前は、親が時間をかけて考えてくれた、最高のプレゼントです。
みんな、おいしいものを探しています。
「おいしいお店はどこ?」
「おいしい料理は何?」
「おいしいものはどこにあるの?」
雑誌では、おいしいお店や料理の紹介が定番になっています。
友人との会話でもおいしい料理や料理のお店について話題が出るでしょう。
食欲は、人の三大欲求の1つ。
食は、すべての人に共通の話題です。
おいしいものを食べたい気持ちは、誰でも同じです。
おいしいものを食べると、それだけで幸せを感じますね。
腹だけでなく、心まで満たされるものです。
もちろんおいしいものを探すことも大切ですが、もっと大切なことがあります。
「おいしく味わう力」です。
おいしいものを探すこともいいのですが、基本に立ち返って気づいてほしいことがあります。
私たちが普段食べているものも、十分おいしいのです。
いま一度、普段口にしている食べ物をじっくり味わってみてください。
いつも口にしているので、特別感はなく、普通の味に思うかもしれませんが、ここがポイントです。
特別感はないかもしれませんが「おいしくない」わけではありません。
しっかり集中するのです。
まず前提として「ながら食べ」はしません。
テレビは見ず、スマホも触らず、目の前にある食べ物にしっかり集中しましょう。
そして食べるとき「味わうこと」に集中しましょう。
味や食感に意識を向け、ゆっくり噛んで食べてみてください。
噛めば噛むほど唾液が出て、味わいが増していくでしょう。
香りがあるなら、一緒に香りも楽しんでください。
見た目も楽しみましょう。
シンプルな見た目でも、あらためてみると、おいしそうな雰囲気が出ているはずです。
そうすれば、十分おいしく味わえます。
食の幸せも感じられるのです。
豪華な料理である必要はありません。
シンプルな塩おにぎりや卵かけご飯でも、十分おいしく感じられます。
ジャムをつけたトーストでも、味わうことに集中すれば「おいしい!」と幸せを感じるはずです。
おいしいものを探すのではありません。
おいしく味わう力をつけることのほうが大切です。
「おいしく味わう力」をつければ、3食すべてが美食に感じられます。
おいしいものは、わざわざ探しに行かなくても、普段の日常にたくさんあるのです。
料理を食べて幸せな気分になったとき、どんな言葉で表現しますか。
まず思いつくのは「おいしい」という言葉ではないでしょうか。
料理を褒めるときの定番のセリフであり、最もシンプルでストレートな表現です。
もちろんそれでも十分ですが、毎回「おいしい」という表現ばかりでは平凡になってしまいます。
たまには「おいしい」以外の言葉で、おいしさを表現してみませんか。
「おいしい」以外にも、いろいろな褒め言葉があります。
「ほっぺが落ちそう」
「心に染みる味だね」
「やみつきになる味だね」
「生地が柔らかい」
「すごくいい香り」
「彩りが美しい」
「口当たりがなめらか」
「ソースがアクセントになってる」
「もちもちした食感で、食べ応えがある」
「口の中が幸せになる」
少しオーバーな表現でもかまいません。
頭の体操のつもりで取り組んでみましょう。
ゲーム感覚で取り組んでみると「おいしさ」だけでなく「楽しさ」も感じられるようになります。
繰り返していくうちに、少しずつボキャブラリーも増えます。
表現の幅が広がると、おいしさの感じ方も広がります。
たくさんの表現を知っていると、より深く味わえるようにもなり、食べたときの余韻もますます良くなるでしょう。
言葉を豊かにすることは、食を豊かにすることにもつながるのです。
知り合いが松葉づえをついて歩いている人がいると、どんなリアクションをしますか。
普通は心配になって事情を聞くのではないでしょうか。
「足、どうしたんですか。大丈夫ですか。何があったんですか」と。
松葉づえをついていると、一目で何かあったことがわかります。
知り合いであれば当然心配になるし、詳しい事情を聞きたくなります。
もちろんそれも優しさです。
相手は自分が心配されていると感じるでしょう。
しかし、それだけが優しさだけではありません。
相手の立場になると、見える景色が変わります。
会う人ごとに「足、どうしたんですか?」と聞かれるでしょう。
10人会えば10人から聞かれ、20人会えば20人から聞かれます。
その都度けがをした経緯を説明しなければいけません。
これはなかなか大変です。
心配されるのは嬉しいですが、何度も聞かれると、だんだん説明するのに疲れてしまい、気がめいってしまいます。
会うと聞かれ、事情を説明しなければいけなくなるので、人を避けたくなります。
説明疲れのせいで、けがの回復が遅くなることもあるかもしれません。
そこで優しい人は、あえて触れないでおくのです。
無関心というわけではありません。
相手の立場になって、あえて聞かないのです。
「いろいろな人から足のことを聞かれて説明に疲れているだろうから、あえて今は触れないでおこう」と思う。
気になって事情を聞きたい気持ちはあるものの、相手の立場を察して、あえて質問は控えるのです。
心配して事情を聞くことも優しさですが、その限りではありません。
相手の身になって、あえて事情を聞かないことも優しさなのです。
飲食店では、時間帯によって店員さんが少ないときがあります。
お店も経営の都合で、十分な人を確保できないのでしょう。
人件費は、経費の中でも大きな割合を占めます。
時には「店員さんが1人だけ」というケースも見かけます。
普段は数人体制でも、急にお休みメンバーが出たためか、1人だけなのです。
大変なのは一目で明らか。
調理から接客まで1人でやっていて、猫の手も借りたいと言わんばかりにどたばたしているのです。
そんなとき優しい人は、同情や励ましの声をかけます。
よく見かけるのは、お会計のときに声をかけるパターンです。
「忙しそうだね。今日は1人だけなの? 大変だね。大丈夫? ほかの人は風邪で休んだの? 猫の手も借りたいねえ。無理しないでね」
少しでも気が楽になればと、善意の気持ちから同情や励ましの声をかけます。
店員さんも、自分の立場を理解してもらえると、ほっとするでしょう。
一言で心が救われることもあるものです。
もちろんそれも優しさです。
しかし、それだけが優しさではありません。
視点を変えると「余計な時間が取られる」ともいえます。
だいたいそういうときは、いろいろなお客さんから声がかかるのです。
何度も繰り返し「忙しそうだね。今日は1人だけなの? 大変だね」と声をかけられるのも、なかなかつらいものがあります。
1人だけならまだしも、5人10人となるとそれだけ時間が取られます。
ただでさえ忙しいのに、ますます忙しくなるのです。
そこで優しい人は、あえて話しかけるのを控えます。
無関心というわけではありません。
本当は同情や励ましの声をかけたいものの、自分のせいで余計な時間を取らせると申し訳ないので、あえて話しかけないのです。
「いろいろなお客さんから声をかけられ、それはそれで大変だろうから、自分の場合はあえて話しかけないでおこう」と思う。
相手の立場を察して、見守るだけにするのです。
同情して話しかけたくなるのも優しさですが、その限りではありません。
相手の身になって、あえて話しかけないことも優しさなのです。
「お出かけ日和」といえば、どんな天気を思い浮かべるでしょうか。
多くの人は「晴れの日」を思い浮かべるのではないでしょうか。
もちろんそれも1つの正解です。
きれいな青空が広がっていれば、外を歩きやすく、気持ちがいいでしょう。
もちろん傘を持つ必要もありません。
しかし、晴れの日だけがお出かけ日和ではありません。
雨の日も、大切なお出かけ日和です。
多くの魅力やメリットがあるからです。
雨の日は、美術館や博物館もすいています。
屋内なので、到着さえすれば、傘を差す必要はありません。
人気の企画展でも、館内は人が少なく、ゆったり鑑賞できるのです。
雨の日は、レストランがすいています。
昼時でもすんなり入れます。
注文した料理もすぐ出てきます。
お店によっては「雨の日はポイント2倍」「ドリンク1杯無料」というお得なサービスを提供しているところもあるのです。
雨の日は、銭湯もすいています。
お客さんがまばらで、大きな湯船でゆっくりできます。
サウナも自分一人だけということがあります。
雨の日は、フィットネスクラブもすいています。
お客さんが少ないので、マシンは使い放題で、プールも泳ぎやすい。
スタッフも仕事に余裕があるので、会話も弾みます。
雨の日は、テーマパークもすいています。
雨の日は客足が減るので、園内をすいすい動けるし、屋内のアトラクションも乗り放題です。
いつもは2時間待ちのアトラクションも、10分程度ですんなり入れます。
雨にぬれるのが嫌なら、かっぱを着ればいいのです。
雨の中で楽しむテーマパークも、それはそれで良い思い出になるものです。
雨の日は、外出を控える人が多くなります。
雨にぬれたくないと思うのは誰でも同じです。
その逆を行くのです。
「人の行く裏に道あり花の山」です。
雨だから中止にするのでは、決行しましょう。
大雨でさえなければ、大したことではありません。
「いい天気」とは、晴れの日だけでなく、雨の日も含まれます。
雨の日こそ、絶好のお出かけ日和なのです。
「前にうまくいかなかったから、二度とやりたくない」
そんな気持ちになることがあるものです。
同じ失敗は繰り返したくありません。
わざわざトラブルに飛び込んでいくように感じられるでしょう。
失敗すると、やはり落ち込むし、精神的ダメージもあります。
落ち込みを引きずって、くよくよすることもあります。
時間やお金の無駄も発生します。
しかし、前回うまくいかなかったからといって、再チャレンジも同じ結果になるとは限りません。
そのときは、初めてだったから、要領がわかりませんでした。
どんなものなのかわからなかったので、ほとんど無策で体当たりの状態でした。
それでは失敗するのも当然です。
もはや失敗をしに行くようなものだったのです。
しかし、2回目以降は違います。
すでにどんなものかわかっています。
何があって、どんな雰囲気で、どんな流れになるかも予想できるので、対策が立てられます。
前回の失敗を踏まえた対策を立てればいいのです。
しっかり対策を立てたうえで再チャレンジすれば、きっとうまくいくでしょう。
2回目もうまくいかなかったらどうするか。
さらなる対策を立てたうえで、3回目のチャレンジをすればいいのです。
より徹底した対策ができていれば、前回よりうまくできるはずです。
3回目もうまくいかなかったら、同じことを繰り返します。
要は「諦めないこと」です。
そうして何度もチャレンジしていけば、いつかきっとうまくいきます。
それだけのことなのです。
フォード・モーターの創設者ヘンリー・フォードは「失敗は、より賢く挑戦するためのチャンス」という名言を残しています。
失敗したら「もう二度とやらない」ではありません。
「対策を立てて、またやってみる」です。
フォードの言葉「失敗は、より賢く挑戦するためのチャンス」と考えることが、未来を切り開くきっかけになるのです。
運が悪い人には、ある口癖があります。
「運が悪い」という口癖があり、ことあるごとに口にします。
「私は昔から運がない」
「仕事運もない。恋愛運もない」
「いつも運の悪いことばかりで嫌になっちゃう」
暗い顔で「運が悪い」と言っていると、自然とどんよりした暗い雰囲気が漂います。
そういう人には、少し近寄りがたい。
あたかも「不運を運んでくる人ですよ」と、遠回しに言っているようなものです。
あまり関わっていると、自分まで不運が移ってきそうな、不吉な印象を受けるのです。
「運が悪い」と嘆く人は、そうすることで、ますます運を悪くさせています。
きちんと日常を観察すれば、運がいいことも感謝すべきこともあるはずですが、それには目を向けず、とにかく不満を漏らします。
「運が悪い」という口癖があると、人も運も逃げていくのです。
一方、運がいい人には「運がいい」という口癖があります。
「運がいいことばかりが起こっている」
「幸運なことに仕事がうまくいっている」
「多くの人に支えられ、運にも恵まれている」
にこにこしながら「私は運がいい」と口にする人は、自然と明るくポジティブな雰囲気が漂います。
その姿は、きらきら輝いているように見える。
その人と関わっていれば、自分にも幸運が移ってきそうな感じがあります。
そう思わせる魅力があるのです。
運がいいというのは、日々の当たり前に感謝している証拠でもあります。
運がいいことは普段から起こっていて、きちんとそれに気づき、感謝しているのです。
「運がいい」という口癖があると、おのずと前向きな考え方が身につき、世の中の見え方が良くなります。
それを「運がいいことだ」と前向きに解釈しているのです。
「運がいい」という口癖があると、結果として、人も運も引き寄せられるのです。
日常の口癖は、運の良さに影響します。
運を良くしたいなら「運が悪い」ではなく「運がいい」という口癖を身につけましょう。
良い口癖には、幸運を引き寄せる力があります。
「運がいい」という言葉そのものが、運を引き寄せる魔法の言葉なのです。
日常では、調子が悪くて苦しめられるときがあります。
なぜか元気が出ません。
思うように仕事が進みません。
なかなかアイデアが思い浮かびません。
意欲や熱意はあるのに、空虚な空回りばかりで、むなしく時間が過ぎていきます。
けがや病気をしているわけでもないのに、妙に調子が悪くて悩まされることがあるもの。
厄払いを受けに行こうか考える人もいるかもしれません。
「おかしいなあ。調子が悪いなあ」と首をかしげることがあるのではないでしょうか。
調子が悪いときは仕方ありません。
そういうときもあります。
このとき注意したいのは、自分を責めてしまうことです。
「自分が情けない」
「なんて自分はダメなのだろう」
至らない自分を悔やんで、自責の念を感じそうになりますが、気にすることはありません。
焦ったり不安になったりするかもしれませんが、悩むだけ損です。
悩んでいると、ストレスをためてしまい、ますます調子が悪くなってしまいます。
調子が悪くても、落ち込まないでください。
あなたは悪くありません。
誰も悪くありません。
ただそういうタイミングです。
とりあえず調子が悪いことを受け入れましょう。
調子が悪いだけであり、それ以上でもそれ以下でもありません。
「こういうときもあるよね」の一言で、自分を優しく慰めましょう。
不安や焦燥感はあるかもしれませんが、しばらくじっと耐えるのみです。
思い出してください。
別のタイミングでは、調子の良いときもあるはずです。
特別なことはしてないのに、物事がスムーズに行くときがあるでしょう。
なぜか元気で生き生き過ごせるときがあるでしょう。
不思議と仕事がとんとん拍子で進むときがあるでしょう。
面白いほどアイデアがぽんぽん浮かぶときがあるでしょう。
人生はうまくできています。
調子が良いときもあれば悪いときもあって、長い目で見れば、帳尻が合うようにできています。
調子とは波のようなものです。
上がったり下がったりして、上下の変化があります。
平均すると、ちょうど真ん中くらいなのです。
調子が悪いときはどうするか。
気持ちを切り替えてください。
良い意味で「こういうときもある」と開き直るのです。
調子が悪いときは、悪いまま受け止めつつ、無難に過ごしましょう。
仕事を中断するのも良し。
楽な予定に変えるのも良し。
早めに仕事を切り上げるのも良し。
適当に気晴らしをして過ごすのも良し。
調子が悪くてもできることをするのも良し。
無理をせず、適当に過ごしていれば、OK。
それでいいのです。
調子が悪いのですから、無理をしないのがベストです。
ずっと調子が悪いままということはありません。
明日は明日の風が吹きます。
しばらくすれば、調子が上向いているはずです。
余裕を出したいなら、まず笑顔になりましょう。
笑えるような出来事はなくていいのです。
楽しい気分でも面白い気分でもないかもしれませんが、とにかくまず笑顔になることが大切です。
にこにこしていると、脳は「今この人はハッピーなのだな」と判断して、ベータエンドルフィンという物質を放出します。
ベータエンドエルフィンは、別名「幸せホルモン」と言われ、心に幸福感をもたらす効果があります。
その結果、気持ちが前向きになり、心に余白が埋まれ、余裕が生まれるのです。
余裕が出るから笑顔になるのではなりません。
笑顔になるから余裕が出るのです。
お笑い番組を見て笑うのも良し。
友人と楽しいおしゃべりをして笑うのも良し。
笑いのネタがなければ、今すぐ口角を上げて、にこにこしていればいいのです。
つくり笑いでOK。
にこにこしているだけでも、ベータエンドルフィンが放出されることが確認されています。
多忙な状況でいっぱいいっぱいのときもあるでしょうが、そういうときこそ、なんとか笑顔を意識してください。
笑顔の時間をたっぷり過ごした後は、不思議と心に余裕が生まれ、底力が湧いてくるはずです。
根拠のない自信がみなぎっていて「まだまだやれそう!」という気になっているでしょう。
笑顔になると、自分が明るい気持ちになるのはもちろん、周りの人にも明るさを伝えていくことができます。
笑顔になっている人は魅力的に見えます。
笑顔には素晴らしい力を秘められているのですから、活用しない手はありません。
笑顔の力を生かして、いつも余裕のある自分でいるようにしましょう。
「V字回復」という言葉があります。
低下していた業績が、Vの字を描くように急激に回復することです。
「企業業績がV字回復」「昨年の大赤字からV字回復」といったニュースを見かけることがあるでしょう。
V字回復を果たした企業には、共通点があります。
社長がV字回復を信じ、闘志を燃やし続けていたことです。
「ここで終わるわけにはいかない!」
「必ず復活する!」
「ここから這い上がる!」
社長がそう信じて奮励努力したからこそ、実際にV字回復を果たせたのです。
たまたま成し遂げたわけではないのです。
「諦めたらV字回復を果たせました」はありません。
「もう終わりだ」と思っていると、本当に終わってしまいます。
希望を捨てず「ここから這い上がる」という思いで闘志を燃やし続けたから、現実になったのです。
つまり、V字回復は、信じた人だけが起こせる奇跡ということです。
どんなに厳しい状況でも「腐らないこと」「諦めないこと」が重要です。
社長に限った話ではありません。
学生でも会社員でも同じことが言えます。
成績や給料が下がって、気持ちが落ち込んでしまうことがあるものです。
じわじわ下がっていくと、未来も暗いような気がしてくるもの。
「もうダメだ」「もう終わりだ」と思ってしまいがちですが、そんなときこそ、V字回復を信じましょう。
奇跡を起こしたいなら、まず信じることです。
目線が下がりそうなときこそしっかり上げ、ファイティングポーズを取ってください。
「ここから這い上がる」という気持ちが大切です。
V字回復を信じることで、希望を持てます。
前向きな気持ちになるし、やる気も出てくるのです。
すぐに結果が出なくても、復活を信じて闘志を燃やし続けることです。
V字回復を信じてファイトしている人に、V字回復が起こります。
仕事の失敗、お金の失敗、人間関係の失敗。
失敗を100%避けることは不可能です。
人間ですから、失敗することはあります。
人生は、生まれてから死ぬまで失敗の連続です。
だからこそ大切なのは「失敗したときの姿勢」です。
失敗したら、自分を許すのです。
自分の失敗を許せないと、失敗をするたびに落ち込むし、ため息も出るし、人生にブレーキがかかります。
自己肯定感が下がって、生きる力まで奪われます。
失敗を許せる自分になってください。
「失敗しちゃったなあ。まあいいか」でOK。
失敗をしても「大丈夫、大丈夫」と自分に言い聞かせましょう。
事実、大半の失敗は大丈夫です。
世の中には取り返しのつかない失敗もありますが、それはわずかしかありません。
本当に数が限られます。
死ぬこと以外の失敗は、たいていなんとかなるのです。
「失敗することもあってよし!」と思えば、気持ちがすっと楽になります。
失敗するからわかることはたくさんあります。
転んだときの痛みは転んでみないとわからないように、失敗したときの痛みも失敗しないとわかりません。
いちいち小さなことを気にして落ち込んでも仕方ありません。
失敗してつらくなったときは「失敗から得られたこと」に注目しましょう。
どんな失敗でも、失敗から得られたこと学びがあるはずです。
「失敗は成功の母」という言葉もありますね。
お金の失敗をしたら「高い授業料だったけど勉強になった」と思えばいいのです。
多少こじつけもあってよし。
とにかくポジティブに受け止めれば、万事解決、すべてうまくいきます。
失敗に感謝すらできるようになります。
失敗を許せる自分になれば、人の失敗も許せるようになります。
「私も失敗することがあるから人のことは言えない。あなたの失敗も許しますよ」という考え方になります。
おのずと寛大になれるのです。
失敗した人に対しても「大丈夫、大丈夫」と優しい声をかけられるようになります。
おのずと性格が円くなり、穏やかでいられるのです。
失敗を許せる自分になることは、人生を明るく生きていくうえで必要な心の習慣です。
興味がないからといって、将来ずっと興味がないとは限りません。
今は興味がなくても、何かがきっかけで、ふと興味を持てるようになることがあります。
ささいなことがきっかけで、興味のスイッチが入ることがあるものです。
自分の過去を振り返ってみてください。
「昔はまったく興味がなかったけど、今は興味津々」ということがあるものです。
たとえば「以前は料理に興味がなかったけど、一人暮らしを始めて自炊するようになったらはまった」という話はよく聞きます。
「学生時代は歴史に興味がなかったけど、社会人になってから急に興味が出てきた」ということもあるかもしれません。
そうした経験は、きっとこれからも起こり得ます。
人生のステージが前に進むと、新しい自分に生まれ変わります。
成長したり立場や環境が変わったりすると、興味関心のターゲットも変わるのです。
興味を持てさえすれば、後は早い。
自然と勉強したくなるし、すいすい頭に入ってきます。
興味がないことを勉強するのはつらいものですが、興味のあることを勉強するのは楽しいものです。
長時間の勉強でも苦になりません。
自然と集中できてしまうし、難しいことでも根気が出ます。
「私はこれに興味がない。一生興味を持てない」と希望を捨てるのではありません。
「いつか興味を持てればいいな」と希望を持っておくことです。
完全に可能性を閉ざすのではなく、可能性の扉は開けておきましょう。
そうすれば、未来に期待ができます。
「興味のあることが増える=熱中できることが増える」です。
興味のあることが1つでも増えると、それだけ人生は楽しくなり、華やかにもなります。
「一生興味が持てない」より「いつか興味が出る日がくるかもしれない」と思うほうが、未来にわくわくできるのです。
誰もが時間をプレゼントされたいと思っています。
時間は貴重なものですから、1分1秒でも節約したいし、大事に使いたいもの。
「お金を払ってでもいいから時間が欲しい」と考える人も少なくありません。
時間をプレゼントされたいなら、まず自分から先に時間をプレゼントしましょう。
時間のプレゼントとは「相手の手間を減らすこと」です。
たとえば、買い物に行くとき、気を利かせてみてください。
「今から買い物に行きます。ついでに何か買ってきましょうか」と職場の人に声をかけてみましょう。
周りの人は「じゃあ、ついでにこれをお願い」とリクエストが出てくるかもしれません。
誰かのお使いをついでに引き受けるのです。
自分の負担は少し大きくなりますが、あくまで買い物のついでなので大したことではありません。
小さな親切ですが、きっと相手に喜ばれるでしょう。
時間をプレゼントしたことになるからです。
こうした親切を何度か繰り返してみてください。
今度は相手から「買い物に行きますが、ついでに何か買ってきましょうか」と声をかけ合う空気が生まれるでしょう。
相手の仕事を減らす行為も、時間のプレゼントの1つです。
コピー機でコピーをすることがあるでしょう。
このときも「コピーを取りに行きますが、コピーしておくものがあれば、一緒にやっておきますよ」と周りに声をかけます。
ちょうどコピーをお願いしたい人がいるかもしれません。
人のコピーも引き受けることになっても、自分の分とまとめて行うだけなので大した手間にはならないでしょう。
こうした親切が何度か続けば、今度は相手から「ついでにコピーしておくものはありますか」と声をかけ合う習慣が育つでしょう。
これもれっきとした時間のプレゼントです。
飲み会を開くとき、初めてのお店で、行き方がわかりにくいというケースがあるでしょう。
そんなときは、率先して行き方を調べ、情報をまとめておきます。
「初めて行く場所なので、行き方を調べておきました」と、まとめた情報を参加メンバーと共有します。
自分で調べる手間が減って喜ばれるでしょう。
そうした親切があると、周りの人は見習い、別の飲み会でも、社内で行き方の情報を共有するのが習慣となるでしょう。
巡り巡って、自分も助けられるのです。
時間をプレゼントするのは難しいことではありません。
ちょっと気を利かせるだけでいいのです。
自分が施した親切は、自分に返ってきます。
時間をプレゼントする人が、時間をプレゼントされるのです。
アールヌーボーの代表画家といえば、アルフォンス・ミュシャです。
女性に花や流線を組み合わせた華麗なデザインで有名です。
女優サラ・ベルナールを描いたポスター『ジスモンダ』は、誰もが一度は目にしたことがあるでしょう。
色使いも美しく、見とれてしまうのです。
そんなミュシャが有名になったきっかけとして、おもしろいエピソードがあります。
若いころのミュシャは、まだ無名のイラストレーターで、なかなか芽が出ませんでした。
リトグラフ工房に勤め、挿絵の仕事でほそぼそと生計を立てていました。
そんな彼に転機が訪れたのは、34歳のクリスマスのことです。
工房のスタッフはクリスマス休暇を取っていましたが、真面目なミュシャは、他の人の代わりに仕事をしていました。
そんなとき、大女優サラ・ベルナールが、急きょ1月公演のポスターを制作してほしいと工房にやってきました。
期間は1週間しかありません。
ほかのデザイナーはみんな休暇を取っていたので、未経験ながらもミュシャが駆り出されることになったのです。
彼は千載一遇のチャンスに恵まれます。
そこで描いたポスターこそ、かの有名な『ジスモンダ』です。
優美なポスターの出来栄えに、サラは魅了され、大変気に入りました。
その後サラは、ミュシャと専属契約を結ぶことになります。
サラが活躍するたびにミュシャのポスターが発表され、ミュシャのポスターのおかげで、サラもますます注目を集めました。
そうして無名画家から人気画家へと一気に階段を駆け上がっていったのです。
ミュシャはまさに、美術界のシンデレラボーイです。
ミュシャは、誰もが休みたがるクリスマスに仕事をしたことで、チャンスをつかみました。
真面目に仕事をしていたミュシャに、神様がチャンスを与えたのかもしれません。
仕事をしていると、誰もが休みたがる日があるものです。
そんなとき、真面目に仕事をしていると、思わぬチャンスに恵まれるのです。
「褒められないとできない」と言う人がいます。
残念ながら、それは本当の意味で、好きなことではありません。
好きだと思い込んでいるだけの錯覚です。
好きなことなら、褒められなくてもできます。
料理が好きな人は、人に褒められなくても、料理をします。
本を読むのが好きな人は、人に褒められなくても、本を読みます。
登山が好きな人は、人に褒められなくても、登山をします。
絵を描くのが好きな人は、人に褒められなくてもするし、絵を描きます。
これは趣味に限らず、何でもそうです。
褒め言葉を求めていません。
人目も評価も気にしていません。
たとえけなされてもできます。
承認欲求とは無縁です。
好きなことは、褒められるかどうかに関係なく、自然と動けるのです。
そもそも好きなことは、褒められるためにやっているわけではありません。
「自分が楽しむこと」をモチベーションにしています。
それをしているだけで楽しく、嬉しく、充実した時間を過ごせます。
ハッピーな時間を過ごせるのです。
もちろん褒められると嬉しいのですが、それを原動力としていません。
好きなことの原動力は、体の内側から自然と湧き出るものです。
「ただやりたいからやる」「楽しいからやる」がモチベーションです。
「好きだから」という理由だけで、体が動きます。
それをしている時間が幸せなのです。
褒められないとできないことは、そもそも好きなことではありません。
褒められないとできないことは、思いきって手放してしまいましょう。
好きなことは、褒められなくても、やる気がなくてもできることです。
褒められなくてもできることをするのが、人生の正解です。
「飲みに行こう」「遊びに行こう」と誘いを受けることがあるでしょう。
もちろん興味があって都合も合うなら喜んで参加すればいいのですが、そうでないこともあります。
誘われるのは嬉しいものの、乗り気がしなかったり、都合が合わなかったりすることもあるでしょう。
正直行きたくないと思うときもあるのではないでしょうか。
大切なのは「きちんと誘いを断れるか」です。
「断ったら嫌われそう」
「断ったら次から呼ばれなくなりそう」
そんな不安があって、つくり笑いで仕方なくOKすることがあるかもしれません。
しかし、まったく興味がなかったり、ほかにやるべきことがあったりするなら、やはり断るのがベストです。
嫌われたくないからといって、なんでもOKしていると、時間とお金が奪われるばかりです。
無理して付き合えば、ストレスが増えます。
相手に流されてしまい、自分の人生に集中できなくなります。
「断ったら嫌われそう」と思うかもしれません。
断ったくらいで嫌われるなら、その程度の関係です。
遅かれ早かれ、切れる関係だったのです。
早く結果がわかって良かったと考えましょう。
嫌われたくらいで人生は終わりません。
人間関係を1つ失っても、また新しい人間関係をつくればいいことです。
「断ったら次から呼ばれなくなりそう」と思うかもしれませんが、考えすぎです。
「今は○○で忙しいから少し厳しい。参加できなくてごめんなさい」と丁寧に理由を説明すれば、相手は納得してくれます。
そのうえで、次につながる言葉を添えるようにしましょう。
「良かったら、また声をかけてください」
「都合が合えば、次は参加できると思います」
「今度はぜひ参加したいです」
こうした一言があればポジティブな印象が伝わり、また次の機会に誘ってくれるでしょう。
「断る力」を身につけましょう。
断ることで、時間とお金を節約できます。
断ることは、未来を開くためのアクションです。
不安は誰しも持っているものです。
不安のない人はいません。
すべての人が、大なり小なり、不安を抱えながら生きています。
あなたの周りを見てください。
いろいろな人がいるでしょう。
バスや電車の中から、多くの乗客がいるでしょう。
カフェやレストランなら、飲食を楽しむお客さんがいるでしょう。
職場なら、上司・部下・同僚がいるでしょう。
その人たち全員、何らかの不安を抱えています。
お金の不安、勉強の不安、仕事の不安、健康の不安、人間関係の不安、家族の不安。
表向きは平然とした表情をしていて普通に見えますが、心の中ではもやもやとした不安を抱えています。
1つどころか、いくつもの不安を抱えていることも少なくありません。
にこにこしている人や笑っている人もいるかもしれません。
そんな人でも、実は心の中では必ず不安を抱えています。
これには1人の例外もいないのです。
ここで気づいてほしいのです。
不安を抱えているのは自分だけではありません。
実はみんな同じです。
大なり小なり、みんな何らかの不安を抱えながら生きています。
「私だけではないね。みんな同じなんだね」と考えましょう。
仲間がたくさんいると思えばいいのです。
不安になっているのは自分だけではないと思えば、少しは不安が軽くなるはずです。
不安は「悪いもの」ではなく「良いもの」として考えてください。
不安は強力なモチベーションになります。
お金の不安があるから貯金を頑張ろうと思い、勉強の不安があるから勉強を頑張ろうと思います。
これは仕事でも健康でも同じです。
一生不安と付き合って生きていく運命なのですから、逆に「利用してやろう」とポジティブ思考でいくことです。
不安を抱えていても、ポジティブでいることは大切です。
どんな不安も前向きに受け入れ、行動のモチベーションとして生かしましょう。
不安は、未来を切り開くカンフル剤です。
お酒を飲むと、普段抑えていることが解放されます。
私たちは普段、理性によってストッパーが働いています。
不満に思うことがあっても、表に出しません。
言いたいことがあっても、ぐっと飲み込んでいます。
優しい人や真面目な人ほど、我慢する傾向が強いものです。
「仕事中は真面目にしなければいけない」「大人らしく振る舞わなければいけない」と、自分をコントロールしています。
素の自分を抑えているのです。
ところが、お酒を飲むと、アルコールの力でストッパーが外れます。
理性で抑えていたことが、どっと吹き出し、表に出るのです。
お酒を飲むと、笑い上戸になる人もいれば、泣き上戸になる人もいます。
笑い上戸になる人は普段、笑いを我慢しているのです。
本当はおしゃべりで明るい性格なのですが、仕事中は理性が働き、衝動を抑えています。
笑いたくてもぐっとこらえ、冗談を言いたくても控えています。
そんな人がお酒を飲むと、ストッパーが外れ、普段抑えていることが解放されます。
我慢の反動で一気に吹き出し、その結果、笑い上戸になるのです。
そういう人には、どんどん笑ってもらいましょう。
普段我慢しているのですから、お酒の席くらいたっぷり笑ったほうがいいのです。
笑うことは最高のストレス解消でもあります。
笑っている顔を見れば、こちらも元気をもらえ、自然と笑顔になってくるのです。
一方、お酒を飲むと、泣き上戸になる人もいます。
そういう人は普段、涙を我慢しているのです。
つらいことや悲しいことがあっても、普段はそれを表に出しません。
泣きたくなっても「いい年をした大人が泣くのはみっともない」と思い、涙腺を締めています。
感情を抑え、平静を装い、大丈夫なふりをしています。
そんな人がお酒を飲むと、理性が緩み、心のふたが開きます。
我慢していた分だけ、どっと吹き出します。
だから涙が止まらなくなるのです。
そういう人には、たっぷり涙を流してもらいましょう。
我慢は体に良くありません。
涙を流すことには、ストレスを吐き出す効果があります。
こういうときくらい泣いてもらわないと、ストレスが溜まる一方です。
たっぷり泣いて、しっかり涙を流すことで、心が軽くなります。
笑い上戸であれ泣き上戸であれ、それを止めるのではなく、むしろどんどん表に出してもらいましょう。
プライベートの場なら、何も問題もありません。
お酒を飲んでいるときくらい、しっかり解放させてあげることが優しさです。
吐き出すことは、心の健康を保つための大切な行動なのです。
試合に負けて悔しいときは、悔し涙が流れます。
悲しい気持ちで流れるときもあれば、腹立たしい気持ちで流れるときもあります。
悔しくてたまらないときは、自然と涙があふれます。
悔し涙を流せるときは、流せるだけ流しておきましょう。
思いきり泣いてもいいし、むしろ思いきり泣いたほうがいいのです。
悔し涙ほど、美しい涙はありません。
自分では恥ずかしく感じるかもしれませんが、端から見ると、実に美しく感じられます。
悔し涙が流れるくらい、本気だったということです。
一生懸命頑張ったということです。
だから悔し涙が流れるのです。
悔し涙は、いつでも流せるものではありません。
悔し涙を流せるのは「直後のみ」です。
しばらくたてば、落ち着きを取り戻します。
時間は心の万能薬です。
どんなに感情が荒れ狂っていても、時間がたてば、安定してきます。
悔し涙を流した後は不思議と気持ちがすっきりしています。
すると今度は悔し涙を流そうと思っても、流せないのです。
長い人生を見ても、悔し涙を流す機会はなかなかありません。
意外と少なく、ほんの数える程度しかありません。
あなたの人生を振り返っても、今まで悔し涙を流した経験は数える程度しかないはずです。
悔し涙を流せるのは貴重な機会といえるのです。
しっかり悔し涙を流しておくことは「成長の原動力になる」という意味もあります。
悔し涙は「力」になります。
悔し涙をバネに変えてください。
悔し涙をたっぷり流すと、流した涙の量だけ強いバネに変わります。
「ここで終わってなるものか! 次こそは結果を出す!」という気持ちが湧いてきて、成長の原動力になるのです。
「あのときの悔し涙が私を成長させてくれた」という日がやってくるのです。
あなたが愛用しているまな板を見てみてください。
表面には刃物の傷跡がびっしり付いているでしょう。
浅くて小さな傷もあれば、深くて目立つ傷跡もあるでしょう。
まな板は、傷つく仕事にひたすら堪えて頑張っています。
もちろん分厚い板なので平気ですが、傷だけは避けられません。
まな板は、傷つけられる仕事しかしていません。
にもかかわらず、一言も文句を言わず、淡々とあなたの調理をサポートしています。
逃げることも嫌がることもなく、いつも真正面からあなたの刃物を受け止めています。
「それがまな板の仕事」と言ってしまえばそれまでですが、まな板の身になってみてください。
まな板はあなたが調理をするたびに鋭い刃物を向けられ、ばんばん叩かれています。
出番のたびに刃物を向けられ、傷つけられてばかりの毎日で、さぞお疲れでしょう。
刃物で傷つけられる危ない仕事をしているのは間違いありません。
まな板の表面にある傷が、その証拠です。
ちょっとストレスをためているに違いありません。
頑張り屋のまな板に、たまには感謝をしましょう。
「いつも調理を手伝ってくれてありがとう」とお礼を伝えるのです。
まな板に感謝してもしすぎることはありません。
まな板のおかげで、スムーズな調理ができています。
忘れてはならないのは、まな板のお手入れです。
漂白剤を使ってきれいにすれば、脱臭や除菌ができ、まな板の表面がすっきりして清潔になります。
台所にも清潔感が漂い始めるでしょう。
きれいにまな板をお手入れすることは、あなたができる、せめてもの恩返しです。
「いつもお世話になっています。これからもよろしくお願いします」
日頃の感謝の気持ちを伝えながらお手入れをすれば、まな板も「きれいにしてくれてありがとう」と喜んでくれるでしょう。
次の調理のときも、陰のサポート役としてしっかり頑張ってくれます。
まな板のお手入れも、感謝の表現の1つです。
テレビでは時折「番組終了」のお知らせを見かけます。
視聴率の低下や広告収入の低迷など、終了の理由はさまざまです。
出演者のトラブルによって終了することもあります。
日頃見ている番組が終了するとなると、驚きと同時にがっかりするものです。
自分では面白いと思っていても、実際は見ている人が少なく、視聴率が低いこともあります。
どんな番組もいつかは終了します。
永遠に続く番組はありません。
どんな番組もいつかは終わります。
何十年も続いている長寿番組も、まだ終わっていないだけであり、いずれは終わるのです。
ぐちぐち文句を言ったところで、テレビ局の決定が覆るわけがありません。
時代は、刻々を移り変わります。
永遠に続くものはありません。
あらゆるものは必ず終わりを迎え、それを止めることはできません。
テレビ番組も例外ではありません。
がっかりすると、余計なエネルギーが消耗され、いいことはありません。
ここであなたにご提案です。
番組終了とわかったら、がっかりするのではありません。
新しく始まる番組にわくわくしましょう。
番組が終了すれば、後続の新番組があるはずです。
「次はこんな番組が始まるのか。楽しみだな!」と思えばいいのです。
まだ新番組の発表がなければ「次はどんな番組が始まるのかな」と楽しみにすればいい。
未来に目を向け、わくわくすることが大切です。
そうすれば明るい気持ちになれるし、未来を生きるのも楽しみになるのです。
変化に抵抗するのではありません。
変化を受け入れ、楽しむ人になることが、幸せの近道です。
付き合いが悪いのは、悪いことなのでしょうか。
いいえ、違います。
むしろその逆です。
付き合いが悪いのも、良いことです。
「断れた」「ノーと言えた」ということです。
「正直に言えた」「自分らしくいられた」ということです。
「1人の時間ができた」「余計なストレスを避けられた」ということです。
良いことがたくさんあるのです。
世間では「付き合いが良い人=良い人」と思われがちです。
しかし、そうとは限りません。
付き合いが悪くても、良い人です。
嫌われたくないからといって、行きたくもない飲み会やイベントに参加する必要はありません。
無理に相手に合わせるのも考えものです。
嫌なら、きちんと断りましょう。
「金欠だから」「ちょっと用事があるので」「気が進まないので」など、適当な理由で断ればいいのです。
相手から「付き合いが悪い」と思われてもいいのです。
開き直って「付き合いが悪いと思われてもいい」と考えましょう。
断ったくらいですぐ切れるなら、その程度の関係です。
その人は、あなたを理解がなかったことになります。
あなたを理解してくれる人と付き合えばいいのです。
できるだけ本音で生きたほうが、人生は明るくなります。
一度しかない人生なのですから、自分の正直な気持ちを大切にすることが、後悔しない生き方につながります。
「1分だけいいですか」と話しかけられることがあります。
用事があって人に声をかけるとき、普通は「少しいいですか」「ちょっとだけいいですか」などのセリフが定番です。
すぐ終わるような話でも、あれこれ波及して、少し長くなってしまうこともあります。
どのくらい時間がかかるかわからないため「ぼかした言い方」で声をかけるのが一般的です。
そのため「少しいいですか」「ちょっとだけいいですか」などのセリフが定番になっています。
にもかかわらず、その人はあえて「1分」と断言しました。
具体的な数字を使って、声をかけてきたのです。
好印象です。
声をかけられる側としては「1分」はイメージしやすい時間です。
「すぐ終わる話」「1分で終わる話」であることがイメージできます。
「1分だけならいいかな」と思い、話を聞く準備もできます。
具体的な数字を挙げるのは、なかなかできそうでできません。
責任が伴うからです。
タイムリミットは、わずか60秒。
1分と言ったからには、守らなければいけません。
「1分」と言っておきながら、1分を超えたり長話になったりしたら、嘘をついたことになります。
自分の信用を落とすリスクがあるのです。
その人は、ぼかした言い方はせず、信用を落とすかもしれないリスクを引き受けたうえで、具体的な数字を挙げています。
「1分だけいいですか」というセリフには、その人のスピード感だけでなく、責任感や律義な性格も表れています。
「1分だけいいですか」という言い方をする人は、スピードのある仕事をするでしょう。
そして、責任を持って仕事に取り組むはずです。
「1分だけいいですか」と言う人に、悪い人はいないのです。
飲み会の誘いがあったとき、よく聞かれるセリフがあります。
「行けたら行く」というセリフです。
「今度の金曜に飲み会があるんだけど来る?」
「今週末、○○でパーティーがあるんだけど、来る?」
そう言って誘うと「行けたら行くね」と返ってくることがあります。
「行けたら行く」は「行きません」の婉曲表現であることが少なくありません。
遠回しに断りの意味を伝える、定番のフレーズです。
それを理解していれば「ああ、なるほど。行かないということなんだね」とぴんときます。
社会人にとって、ある種の暗黙の了解となっている言い回しです。
あなたも一度は言われたことがあるのではないでしょうか。
「行けたら行く」という表現は、もどかしく感じられる人もいるでしょう。
「はっきり言ってほしい」と思う人もいるはずです。
しかし「行けたら行く」と言う人にも、それなりの理由があるのです。
1つ目の理由は「可能性を残しておきたいから」です。
「行かない」と断言すると、100%行かないことを宣言することになります。
つまり、完全に可能性を閉ざすことになるのです。
これが不都合になるときもあります。
あとから予定が変わって、行けるようになるかもしれません。
あとから気が変わって行きたくなることもあるでしょう。
「行かない」と明言しておきながら、あとから参加すれば「なんで来たの?」という視線を浴びかねません。
だからこそ「行けたら行く」と言い方をすることで、ゼロではない可能性を残しつつ、柔らかく前向きに意思を表現しているのです。
2つ目の理由は「相手を傷つけないため」です。
否定的な言い方は、悪気はなくても、相手にきつく響いたり、がっかりさせてしまったりすることがあります。
断る場面では、特にきつく聞こえがちです。
できるだけ相手を傷つけないよう、丁寧な表現で穏便に断りたいと思います。
そこで「行けたら行く」という肯定表現を使うことで、前向きな響きを残しつつ、やんわりと断る意味を含んでいるのです。
「行けたら行く」は、相手への配慮や優しさがにじむ言い方なのです。
もちろん結婚式のような、出欠を明確にする必要がある場では、曖昧な言い方は避けるべきです。
ですが、途中参加が可能な飲み会やパーティーといった気楽な集まりであれば、あまり堅苦しく考えなくてもいいのです。
「行けたら行く」と言う人の心理を想像すると、優しい気持ちになれるのです。
恋人に好きなアイドルの話をすると、焼き餅を焼かれることがあるものです。
「この人、かわいいよね、かっこいいよね。見とれちゃうよね」
アイドルのことを褒めるやいなや、恋人の態度が一変します。
急にぷんぷんして不機嫌になるのです。
そして機嫌を直してもらうため頑張る、という流れとなります。
「それくらいで不機嫌にならなくてもいいのに」「推しの話をしただけじゃないか」と思う。
すぐ焼き餅を焼く恋人がいて、困ってしまうこともあるかもしれません。
しかし、ここで気づいてほしいことがあります。
焼き餅を焼かれるのは、それだけ相手から愛されている証拠です。
もし相手からの愛情がなければ、好きなアイドルの話をしても、焼き餅を焼かれることはありません。
「へえ、そうなんだ」という薄い反応だけになります。
スルーされて終わりです。
恋人が焼き餅を焼くのは、愛情を向けている存在が自分以外にいるとわかるからです。
それまで抱いていた優越感や独占欲が、他の存在にしのがれそうだと感じ、むっとするのです。
そして、自分の元から恋人が離れて行ってしまうのではないかという危機感も覚えます。
焼き餅を焼かれるのは厄介なことに思われますが、実際は違います。
焼き餅を焼かれるのは幸せなことです。
恋人から愛されている証拠です。
焼き餅を焼いているからといって、その人の心が狭いわけではありません。
だからこそ恋人の前では、相手を嫉妬させないよう配慮したい。
恋人とは別に、好きなアイドルがいるのは自然なことです。
好きなアイドルがいても、恋人の前で露骨に話すのは控えておくのがいいでしょう。
スクリーンの向こうにいるアイドルのせいで、目の前にある交際が壊れることがあってはなりません。
目の前の交際に集中するためにも、アイドルの話は、心の中で思うだけにしておくのがいいのです。
あなたが最後に砂浜をはだしで歩いたのはいつですか。
子どものころ、砂浜に行くと、はだしでよく歩いたものです。
誰に言われたわけでもなく、自分から靴と靴下を脱ぎ、砂浜を駆け巡っていたでしょう。
穴を掘ってみたり、貝殻を見つけて遊んだり、砂浜に絵や文字を描いて遊んだりしたはずです。
ところが、大人になると、砂浜で靴を脱ぐことがほとんどなくなります。
はだしで歩くことが子どものように感じられ、ためらわれがちです。
足の裏も汚れてしまうと思い、靴を履いたまま砂浜を歩くのが当たり前になる。
そもそも海に行く機会すら、ぐっと減るのです。
久しぶりに海に行き、砂浜をはだしで歩いてみませんか。
自宅でもはだしで歩けますが、やはり砂浜の歩き心地は別格です。
はだしになると、足の裏の感覚が研ぎ澄まされます。
足の裏から砂のさらさらした感触が伝わって気持ちいい。
こそばゆいような感覚もあって、普段味わえない不思議な感覚が得られます。
砂浜を歩くたびに足裏が優しく刺激され、大きな癒やしと心地よさが得られるでしょう。
海辺から波の音も聞こえて、耳でも楽しめます。
まさしく自然のリズムです。
波の音ほど癒やされる音楽はありません。
潮の香りも楽しめます。
とても心地よい香りで、落ち着くでしょう。
嗅覚が刺激されると、全身がリラックスできます。
悩んでいることがあっても、大きな海を眺めていると、ちっぽけに感じられるでしょう。
そうした感覚は、海に行くからこそできることです。
疲れたときや悩んでいるとき、ぜひ海に行ってみてください。
はだしになって砂浜を歩いてみましょう。
そして子どものころのように、砂浜で遊んでみてください。
穴を掘ってみる。
貝殻を見つけて遊んでみる。
砂浜に絵や文字を描いて遊んでみる。
はだしのまま浅瀬に足を入れ、冷たい海水の感触を楽しんでみてください。
人目を気にする必要はありません。
童心に返れるし、自然と心が落ち着きます。
海の砂浜には、最高の癒やしがあります。
どんなに疲れていても、どんなに悩んでいても、どんなに落ち込んでいても、元気が出てくるのです。