年齢を重ねるにつれて、確実に減っていくものがあります。
それは「叱られること」です。
子どものころは毎日叱られていました。
ところが大人になると、その機会は驚くほど少なくなります。
年齢を重ねるにつれて、自分より年上が減るからです。
親の立場になったり、職場での立場が高くなったりすると、ますます叱られることが減ります。
中年以降ともなれば、ほぼ皆無です。
間違ったことをしても、誰も注意してくれません。
周りの人は見て見ぬふり。
その一方で、自分はどんどん「叱る側」になります。
そうして知らず知らずのうちに、マナーの悪い大人、配慮のない大人になっていくのです。
自分の間違いに気づくのは、叱られたときです。
人から言われないと、なかなか気づけないことがあります。
叱られることが減るのは、自分の間違いに気づく機会が減ることを意味します。
自分では悪いことをしているつもりはなくても「いつの間にか」ということがある。
自分の間違いに気づけないのは、恐ろしいことです。
マナー違反をしても、誰にも何も言われない。
非常識な行動をしても、誰も指摘してくれない。
それは一見「快適なこと」に思えるかもしれませんが、自分の間違いに気づけないのは危険なことです。
自分のマナー違反や非常識な行動に気づけないままでは、知らず知らずのうちに嫌われ、疎まれる存在になります。
気づかないうちに信頼を失っているのです。
だからこそ叱られる機会を、意識的に作るのです。
叱られることで自分の間違いに気づき、行動を修正できます。
考え方を見直すきっかけにもなります。
それはゆくゆく、人生の軌道修正にもつながることです。
叱られる機会は、年齢を重ねるにつれて減ることだからこそ、対策が必要です。
叱られる機会を増やすにはどうするか。
習い事なのです。
習い事では、自分より上の立場である先生がいます。
「違いますよ、こうですよ」と、先生からびしっと言われる機会が得られます。
時にはあなたの甘さや緩みを見逃さず「もっと真剣にやってください」と叱ってくれることもあるはずです。
習い事を通して叱られる機会を得ることで、自分の間違いに気づけます。
行動や考え方を修正できたり、心や精神を磨いたりできるのです。
叱られることで心も磨かれ、いつまでも柔らかさを保てます。
硬くなりがちな大人の心に、良い刺激をもたらしてくれるのです。
「お金を払ってまで叱られるなんておかしい」と思うかもしれません。
そうでもしないと叱られる機会が得られないのです。
マナー違反をしても誰にも何も言われないし、非常識な行動をしても誰も指摘してくれません。
叱られる機会がないと、自分に悪いところがあっても気づけません。
自分の悪いところに気づけないまま生きるほうが、はるかに大きな損失です。
叱られるのは誰でもストレスですが、必要なストレスです。
叱られる機会は、お金を払ってでも得るものです。
習い事を通して叱られる機会を増やす人は、年齢に関係なく、いつまでも成長します。
行動を正し、心が鍛えられ、視野が広がるからです。
厳しい先生であれば、なおさらラッキーです。
習い事で叱られる機会を増やす人が、成長するのです。