「食べ方は個人の自由だ」
「食べ方を、他人からとやかく言われたくはない」
「好きな食べ方をさせてほしい」
ときどき食事マナーに関して、こうした意見を持つ人がいます。
言い分はわかります。
食事の味の感じ方は、人それぞれです。
食べ方くらいは、自分の好きなように食べたいと思います。
しかし、それではマナーの意味がなくなります。
何でも許容してしまうと、マナー違反が、さらなるマナー違反を呼びます。
たとえば、自分がおいしいと思えば、それで良しと考えてみましょう。
和食には「醤油にわさびを溶かさない」というマナーがあります。
それくらい、いいだろうと思います。
しかし、1つ例外ができれば、2つも3つも同じだと考えるようになります。
さらに気持ちが緩み始め、マナー違反の連鎖が始まります。
食べ方は個人の自由だからと言って、わさびをお茶に入れる。
ご飯に、醤油を直接かける。
味噌汁に、ご飯を入れる。
その結果、野生動物が食い散らかしたかのような見苦しい状態になるのです。
何でも許された状態に、美しさはありません。
自由であるほど、見苦しさが出てきます。
たしかに個人の好みは大切ですが、何でも許容してしまうと、一転して見苦しい状態になるのです。
マナーとは、周りに迷惑をかけず、おいしく食べるためのルールです。
「食べ方は個人の自由」ではありますが、自由すぎる状態は、勧められません。
たしかに自分がおいしいと思えばそれでいいかもしれませんが、限度があります。
最低限、越えてはいけない一線があります。
その超えてはいけない一線が、マナーなのです。