アメリカでは、家の中も寝室も土足で入るのが一般的です。
ずっと靴を履き続けるのは蒸れたり疲れたりするので、家庭によっては、スリッパやサンダルなどに履き替える家庭もあるようです。
しかし、まだ少数であり、土足文化は根強くあります。
私がアメリカに留学した際、訪問したホスト先ではやはり土足でした。
すべての部屋に土足で入ることに、最初は違和感を覚えた記憶があります。
一方、日本には靴を玄関で脱ぐ文化があります。
畳は神に通じる神聖なものだという言い伝えがあるからです。
そういう文化の中で生活していますから、文化にのっとったルールを守ることが大切です。
では、玄関でただ靴を脱げばいいのかというと、そうでもない。
脱いだ靴が、きちんと出船に備えられていることが大切です。
脱いだ靴を、きれいに揃える。
なぜかというと、マナーや文化だけの問題ではありません。
脱いだ靴の状態で、その人の生まれや育ちまで判断されてしまうからです。
玄関できれいに揃えられた靴を見ると、いい印象を受けますね。
「まあ。脱いだ靴をきれいに揃えて偉い」
「親からのしつけがきちんとなっているのね」
「マナーがいいね」
きれいに靴のかかとを揃えている人のほうが、賢い印象を受けやすいから不思議です。
一方、靴が散らかっているとどうでしょうか。
「何てマナーが悪いのだろうか」
「親のしつけができていない」
「普段もやんちゃで、いたずらばかりしているに違いない」
靴が散らかっていると、ネガティブな印象を持たれがちです。
「信じられない。脱いだ靴くらいで人間性を判断させてたまるか」
たしかにそのとおりです。
脱いだ靴くらいで人間性まで判断されてはたまったものではありません。
しかしです。
いくら自分がそう思ったところで、そう判断してしまう世の中があります。
実際のところ、脱いだ靴でその人の育ちを判断してしまう場合のほうが多いです。
そういう世間であり、世の中です。
単なる玄関で脱ぐ靴とはいえ軽視できません。
親は、子どものころに玄関で靴を脱いだら、きちんと揃えることをしつけることです。
子どものためです。
しつけるときも、親が靴を揃えるのではありません。
それでは意味がない。
子どもが脱ぎ捨てた靴が散らかっていれば、子どもを呼んで、きれいに整えさせます。
「脱いだ靴はきれいに揃える」という常識を、徹底的にしつけます。
「当たり前のこと」と思わせるくらいに、しつけておくことです。
この基本があるかないかで、その後の人生で得をします。
きれいに靴を脱ぐだけで「きちんとした人だ」と判断されるようになるのです。