教育とはいえ、家庭それぞれにやり方があると思います。
しつけの方法、程度などは家庭それぞれでしょう。
そんな中、ときおり次のような教育論を掲げている家庭を見かけます。
「自由奔放」
子どもにこれといったしつけを施さない。
自由にさせ、好きなことを好きなだけやらせる。
子どもの自由を最大限に強調した教育です。
一見すると、子どもの意思を最大限に尊重した素晴らしい内容のように思えます。
自由にさせることで、のびのび子どもは育つだろうと思いますが、本当にそうでしょうか。
もちろんさすがに高校生のような分別も考える力もつく時期になれば、そのやり方は合理的です。
分別がつく年齢になれば、自分のことは自分が一番よく知っています。
自由にさせることで才能や成長が最大限に引き延ばされるでしょう。
しかし、まだ幼稚園や小学生のような幼い時期に、自由奔放はよくありません。
子どもをほったらかしにすれば、人に迷惑をかけたり、楽な方向へと傾いたりするからです。
自由にさせると、自分のことを第一に考え始めます。
たとえば、おもちゃ屋でほしいおもちゃがあれば、わがままを言うでしょう。
それでも自由にさせるなら、盗んでしまうかもしれません。
「物を盗んではいけない。時には我慢も必要である」
親は、そういう社会ルールを教える必要があります。
食事もしつけが必要です。
「ご飯とケーキのどちらが食べたい」と聞けば、子どもなら十中八九、ケーキを選びます。
甘くておいしいですから、毎日でも食べたいと思います。
本当に自由にさせるなら、毎日ケーキを食べることでしょう。
しかし、ケーキをご飯の代わりにするとどうなるか、想像できますね。
健康面では最悪です。
甘いものばかり食べていると虫歯の原因にもなりかねません。
幼い時から毎日甘いものばかり食べていると、糖尿病のリスクも高くなります。
そこで親はしつけが重要です。
甘いものばかりを食べているとどうなるのか、教えます。
野菜のように、味が薄くて苦い食べ物も、体のために我慢して食べる必要があるとしつける必要があります。
食事が終わった後の対応も、しつけが必要になる点です。
自由にさせれば、食器をほったらかして終わりです。
誰も後片付けをしようなんて思いませんし、面倒だと思います。
食事の後は、後片付けですね。
身長はまだ低くて、食器を洗うのが難しくても、せめて食べ終わった食器などを台所へ持っていくくらいならできるはずです。
食べたら終わりではありません。
後片付けするまで教えてこそ、しつけです。
次に、食事が終われば歯磨きです。
子どもにとって歯磨きは面倒と感じるのは当然であり、しつけないまま自由にさせていると、歯を磨かないまま寝てしまいます。
歯は虫歯でぼろぼろになって大変です。
まだ生え替わる乳歯ならいいですが、生え替わった後の永久歯の場合は、虫歯になれば取り返しがつきません。
「食後は歯磨き」というしつけをしていると「食後は歯磨きをしないと落ち着かない」と感じ、歯を磨く習慣が根づきます。
「物を盗んではいけない」
「甘いものをご飯の代わりにしない」
「食後は後片付けをする」
「寝る前の歯磨きをする」
こうした、しつけが必要です。
どれも面倒ですが、子どものためにどうしても必要なことです。
まだ分別が十分についていない時期だからこそ、親の介入が必要です。
それこそ「しつけ」の意義です。
子どもをいじめるわけでも、虐待するわけでもありません。
社会で生きていくために、最低限守らなければいけないマナーを、できるだけ早い時期に叩き込みます。
常識・礼儀・作法のある子どもへと育てるのが、大切な親の役目です。
「自由奔放は教育ではない」と断言します。
単に親が楽をしたいだけです。
親がそんなふうにだらしないと、子どもも当然そういうだらしない子へと育ちます。
かわいい子ほど、幼い時期に、ある程度の厳しいしつけが必要なのです。