幼児は、まだ分別のついていない時期です。
私たち大人は、すでに常識や作法が身についていますし、道具の使い方も熟知しています。
自分たちが知っているので、つい自分たちの感覚で子どもたちも知っているように考えてしまいますが、違います。
使い方を知らない子どもたちは、思いもよらない道具の使い方をしようとします。
常識も作法もまだわかりません。
その結果、奇抜で意表をつくようなことをします。
私は幼いころ、新聞はごみだと思って、川に捨てたことがありました。
「ごみは捨てましょう」と教わっていたので、新聞もごみだと思っていました。
大人たちには情報がたくさんの新聞も、まだ字の読めない子どもには、模様や柄に見えます。
そもそもごみはごみ箱に捨てるものですが、なぜ川に捨てたのかも意味不明です。
新聞はごみではありませんし、川もごみ箱ではありません。
今考えると、とんでもないことをしたなと思いますが、そのときは真剣にごみを捨てた気持ちになっていました。
まだ、新聞を川に捨てる程度だったからよかった。
別に大けがをするわけではない。
しかし、場合によっては、けがにつながることをすることもあります。
食事に使うスプーンが喉に突き刺さったり、穴掘りの道具で体を痛めてしまったりすることもあるでしょう。
上の階に上るための階段を、なぜか寝るところだと勘違いし、狭い階段で寝ようとします。
物を買うためのお金を、食べるものだと勘違いし、飲み込もうとする。
1万円札を、ためらいなく破ります。
もしかしたら、私のように1万円札をごみだと勘違いし、川に捨てる子だっているかもしれませんね。
まったくもって、子どもたちの動きは予想できません。
大人たちにとって当たり前のように使っている物品でも、子どもたちはまだそれがわかっていない。
何であるか、どう使うのかわからないからこそ、大人が予想もしない使い方をしようとします。
「まだわかっていない」と子どものことを、大人たちがわかってあげる必要があるのです。