ある日、私はふと気づいたことがあります。
クリスマスシーズンになれば、クリスマスツリーが登場します。
小さなツリーから大きなツリーまで、規模はさまざまです。
特に巨大なクリスマスツリーは、その存在だけで、ツリーの周りになぜか多くの人たちがたくさんやってきます。
クリスマスツリーが、美しいからです。
人間は心の中では潜在的に「癒されたい、感動したい」と思っています。
美しいものを見たときに、癒しと感動を求め、近づこうとします。
美は、癒しであり、感動です。
しかし、です。
私は、信じられない人を発見しました。
目をこすりましたが、夢ではありません。
ほとんどの人は美しさに引かれて近づきますが、まったく興味がなさそうにしている人を発見してしまいました。
腕を組んでタバコを吸い、クリスマスツリーをほとんど見ることはありません。
「こんなに美しいクリスマスツリーがあるのに、全然興味がなさそうだな」
事実、その人は本当に興味がないのでしょう。
美しさの価値観が違います。
大切なことは「何を美しいと感じるかは、人によって大きく異なる」ということです。
人によって価値観が違えば、美しいと感じる基準もまったく異なります。
美しいクリスマスツリーを見て感動するのは、わかりやすい例です。
人によっては、まったく別の対象に美しさを見いだします。
平凡な壺に見える古美術品でも、秘められた奥深い歴史に気づき、魅力を感じる人もいます。
画伯が描いた、一見すれば理解できない絵でも、鋭い感性で描いた傑作だと感じ、鳥肌が立つ人もいます。
難しい数学の方程式に、美しさを感じる人もいることでしょう。
宇宙の神秘に対して、美しさに感動し、涙を流す人もいます。
何に対して美しさを感じるのかは、人それぞれということです。
そういうことは自分には理解できなくても、理解できる人には最高の癒しであり感動です。
ということは、見方によっては、すべてが美しいです。
美しいものはそこら中にあって、問題はそれらをどう見るかです。
感じる感性があるかどうかです。
あなたが美しくないと感じることでも、人によっては感動して涙を流すことがあります。
「すべてのものは美しい」という前提で、あらゆるものを見てみましょう。
それは今あなたの目の前にある平凡な小物でも、見方を変えれば、美しいはずです。
「それに気づくか。感じられるか」です。