幸せは、誰かに決めてもらうものではありません。
自分の幸せは、自分で決めるものです。
人生の主役は自分ですから、幸せの価値観も、自分が決めます。
いい人になったからといって、幸せになれるとは限りません。
似ていますが、まったく別物と考えてください。
「いい人」と聞けば、どんなイメージを持つでしょうか。
「はあ。今日も平凡な1日だったなあ」
おや、大きなため息をついて、どうしましたか。
平凡な1日で、特に変わったことはありませんでした。
手っ取り早く幸せを感じたければ、いい方法があります。
不幸な人のところへ行くことです。
不幸な人がいるところに身を置けば、今すぐ幸せを感じます。
自分の幸せは、独り占めしたいと思います。
せっかく手に入れた幸せです。
漏らさず逃がさず、しっかりつかんで、独り占めしたいと思うでしょう。
前向きになれないのは、蓄積を意識していないからです。
行動して、何も残らなければ、意味がありません。
貴重な時間とお金を浪費しただけで、かえって落ち込みます。
世間で「人生は楽がいちばん」という声を、聞くことがあります。
たしかに楽な人生を送ることができれば、快適な毎日を過ごすことができるでしょう。
悩みがなく、仕事もしなくていい楽な人生は、理想的であるように思えます。
最高の出会いとは、居心地のいい状況にはありません。
居心地のいい状況とは、何も問題のない状況です。
すでに満足しています。
苦しいときに、自分一人で乗り切ろうとする心がけは素晴らしいですが、理想的ではありません。
もし乗り越えられなければ、自分がつぶれます。
つぶれてからでは、遅いです。
横断歩道を渡るときには、まず左右の確認です。
右側だけ確認では、不十分です。
左側から車が来ているかもしれません。
恥をかくのは、恥ではありません。
誰にでも、自分の欠点や過失などに気づいて、恥をかくことはあるものです。
恥をかいても「すみません。間違えました。うっかりしていました」と言えば、許してもらえます。
「どこかに自分と合う友人はいないかな」と探していませんか。
人それぞれですから、出会ったときから合いやすい人もいれば、合いにくい人もいるでしょう。
自分と合った人が見つかれば、すぐ親友になるだろうと思います。
あなたの人生がうまくいかないのは、間違いのせいではありません。
本当の原因は、間違いを避けていることです。
清く、正しく、美しい道ばかりを選んでいます。
メールを送っても、返事が来ないときがあります。
メールの返事が来ないとき、どうしていますか。
「前回メールを送ったから、次は相手が送る番だ」と思い、ずっと待ち続けていませんか。
今、悩んでいることは、大きなことだと思うでしょう。
「もしうまくいかなければ、生きていけない」
人生を左右するような、大きな課題に苦しんでいます。
この世に、悩みのない人なんていません。
「私に悩みはありません」という人がいれば、嘘つきです。
もし本当に悩みのない人がいれば、すでに死んでいます。
「さあ、今からやるぞ」
勉強や仕事をする前、メリハリをつけるために、気合を入れることがあります。
頭の中で、スイッチを入れ替える感覚です。
日常生活では、むかむかすることがあります。
むかつきは、不快感の塊です。
こみ上げるような不快感があると「気持ち悪い」と思い、すぐ吐き出したくなります。
幸せな気分になったときの感情を、2倍に大きくさせる方法があります。
お金も時間もかかりません。
夢のような話ですが、簡単にできます。
あなたは今、何を必要としていますか。
こう聞かれても、すぐ答えられる人は少ないことでしょう。
自分のことは、自分でもよくわからないものです。
かまってもらいたい姿勢とは、受け身の姿勢です。
ぼうっと立って、待っているだけです。
「自分のことを気にしてほしい。世話をしてほしい。相手にしてほしい」です。
風を感じていますか。
「風なんて吹いていない」と思うのは、勘違いです。
外に出て歩けば、多少の風は吹いているものです。
歩いているとき、道端に目を向けてみましょう。
道端の草花に、目を向けます。
どんなに都会でも、道端を探せば、1つや2つの草花があります。
もう少し口を閉じましょう。
あまりぺらぺらと話をしすぎると、言いすぎてしまうことがあります。
勢いよく話をするのは元気がいいのですが、深く考えることなく、口にするのは良くありません。
失敗といえば、どのような色を想像しますか。
「失敗=悪い」というイメージのためか、黒や灰色など、暗い色を想像している人が多いのではないでしょうか。
失敗は、成功につながるきっかけですから、明るいものです。
お寺に行くと、大きな鐘があります。
鐘の音が鳴り響くとき、気持ちのいい余韻がしばらく続きます。
大きな鐘ほど、長く余韻が響き続けます。
10の願いがあれば、すべて叶ってほしいと思います。
ただし、10の願いがあっても、すべて叶うのは、まれです。
10の願いがあっても、思うようには叶いません。
電車に乗ったとき、まずどうしていますか。
「われ先に」と言わんばかりに、あいている席に座ろうとしていませんか。
電車の中は、椅子取りゲームの修羅場のようです。
付き合いの長い友人ほど、当たり前を忘れがちになります。
言葉遣いが乱暴になったり、態度やマナーが悪くなったりするものです。
仲が良くなるほど「助け合って当然」という意識が強くなります。
完璧な人にはなれません。
勉強もスポーツも万能で、礼儀やマナーもパーフェクトにするのは、不可能です。
完璧な人を目指そうとしますが、人はそもそも不完全であるため、完璧にはなれません。
幸せは、誰かに決めてもらうものではありません。
自分の幸せは、自分で決めるものです。
人生の主役は自分ですから、幸せの価値観も、自分が決めます。
世界でも、自分しか決められません。
答えは、自分の中にあります。
周りから「つまらない」と言われても、自分は「楽しい」と感じるかもしれません。
周りから「不幸に見える」と言われても、本人が喜んでいるなら、誰かが幸せだと思うことを、追い求めるのではありません。
自分が幸せだと思うことを、追い求めましょう。
自分にとって、心が満ち足りる瞬間を探すのです。
どんなことに、楽しみや喜びを感じるのかです。
見つければ、深めましょう。
どんどん深めるほど、幸せになれます。
自分が幸せだと思うなら、間違いなく、幸せになれます。
いい人になったからといって、幸せになれるとは限りません。
似ていますが、まったく別物と考えてください。
「いい人」と聞けば、どんなイメージを持つでしょうか。
たくさんの友人に囲まれている。
どんなときも、優しい。
仕事は、不満を漏らさず、真面目にしている。
たしかにいい人でしょう。
しかし「いい人」という響きはよくても、そこを目指すのは要注意です。
たくさんの友人はいても、何でも話せる本当の友はゼロかもしれません。
優しいのはいいのですが、嫌われるのが怖いだけかもしれません。
仕事は真面目でも、いやいややっているだけかもしれません。
これではいい人でも、素晴らしい生き方とは言えません。
いい人になるのではありません。
幸せな人になりましょう。
たくさんの友人をつくるのではなく、本当の友をつくります。
何でも話せる友人がたった1人いるだけで、人生は華やかになります。
ただ優しくなるのではなく、時には厳しくなることも必要です。
間違ったことは、きちんと「間違っている」と伝えたほうが、お互いのためになります。
仕事は、無味乾燥にするのではなく、楽しみます。
たとえ給料が少なくても、好きな仕事ができるなら幸せです。
いい人ではなく、幸せな人になるのが、あなたが目指すべき目標です。
幸せな人を目指すから、幸せになれるのです。
「はあ。今日も平凡な1日だったなあ」
おや、大きなため息をついて、どうしましたか。
平凡な1日で、特に変わったことはありませんでした。
「平凡な1日」という言葉の響きのためでしょうか。
平凡な1日であると、悪い1日であるように思えますが、誤解です。
平凡は、素晴らしい1日です。
今日の自分を、振り返ってみましょう。
遅刻を、しませんでした。
人とけんかをすることも、ありませんでした。
仕事で大きな失敗も、ありませんでした。
車や自転車にぶつかることも、ありませんでした。
体調が悪くなることも、ありませんでした。
犬の糞を踏むこともなければ、ハトに糞を落とされることもありませんでした。
うまくやれているではありませんか。
成功を果たすだけが、人生ではありません。
手柄を得るより、トラブルを避けるだけでいいのです。
トラブルを避けることも、成功の1つです。
うまくやれている自分に、気づくことです。
平凡な1日でいいのです。
平凡な1日のほうがいいのです。
平凡な1日は、うまくトラブルを避けることができているから、平凡です。
非凡な1日より、平凡な1日のほうが、幸せです。
その調子です。
これからもトラブルを避け、平凡な毎日になるように心がけましょう。
手っ取り早く幸せを感じたければ、いい方法があります。
不幸な人のところへ行くことです。
不幸な人がいるところに身を置けば、今すぐ幸せを感じます。
「自分はまだましだ」と思うからです。
一見すると、これで解決したかのように思えますが、そうではありません。
本質は、解決していません。
むしろ悪化しています。
不幸な人がいるところに身を置くと、自分に不幸が移ります。
無気力、消極的、あら探しなどです。
不幸な人の、悪い習慣に接していると、自分の心もどんどん腐っていきます。
その結果、余計に幸せから遠ざかるのです。
本当に幸せになりたければ、幸せな人のところへ行くことです。
幸せな人のところに身を置くと、最初は少しだけ、居心地が悪いです。
「自分はまだまだだ」と思うからです。
緊張したり、恥ずかしくなったり、焦ったりします。
ここからが、勝負です。
幸せな人を、恨むのではありません。
「いいな。自分もあんなふうになるぞ」と奮起して、追いつけるように頑張りましょう。
幸せな人がいるところに身を置くと、幸せな人の考え方や気持ちが移ってきます。
どんどん幸せな人の真似をしましょう。
明るい挨拶をしたり、積極的になったり、褒めたりなどです。
幸せな人の、素晴らしい習慣に接していると、自分の心もどんどん磨かれます。
幸せな人のところにいるほうが、自分も幸せになれるのです。
自分の幸せは、独り占めしたいと思います。
せっかく手に入れた幸せです。
漏らさず逃がさず、しっかりつかんで、独り占めしたいと思うでしょう。
しかし、幸せは独り占めするにつれて、減っていきます。
1人で花火をすると、寂しくなります。
1人でディズニーランドに行くと、悲しくなります。
せっかく幸せを手に入れても、独り占めをしているなら、やがて不幸になるでしょう。
幸せを独り占めしようと考える時点で、もはや幸せではないのです。
幸せを増やしたければ、みんなに分け与えることです。
少なくていいのです。
少なくても、分け与えることはできるはずです。
分け与えたとき、驚いて喜ばれます。
自分の分は少し減りますが、分け与えることで、周りのみんなが喜んでくれます。
「ありがとう」「助かりました」と喜ばれる顔が見られるのは、嬉しいです。
人間関係が良くなり、自分がもっと幸せになれるのです。
幸せとは、人間関係があってこそ、感じられるものです。
人間関係に幸せを使うことで、幸せはもっと増えます。
あなたが手にしている幸せを、今から誰かにプレゼントしましょう。
それだけで、もっと幸せになれるのです。
前向きになれないのは、蓄積を意識していないからです。
行動して、何も残らなければ、意味がありません。
貴重な時間とお金を浪費しただけで、かえって落ち込みます。
ざるで水をすくうように何も残らなければ、むなしさを感じて当然です。
人生で大切なのは、蓄積です。
自分の中で、積み木が積み上がっていくイメージを持つことが大切です。
行動するたびに、1つずつ積み木が高くなり、だんだん大きくなっています。
日常のあらゆる面で、蓄積を意識してみましょう。
仕事をするときも、蓄積を意識します。
仕事を通して、慣れ、技術、人脈が得られています。
映画を見たときも、蓄積を意識します。
映画を見た経験が増え、素晴らしい物語から学べました。
食事をするときも、蓄積を意識します。
体にいい栄養素が取り込まれ、健康な肉体がつくられます。
友人と会話するときも、蓄積を意識します。
楽しい会話によって、思い出が1つ増え、仲も深まりました。
この文章を読んでいるあなたも、蓄積している最中です。
新しい知識や知恵を身につけることで、また1つ、賢くなりました。
あらゆる行動は、蓄積です。
あなたは毎日何かを行動することで、どんどん蓄積が大きくなっています。
「蓄積、蓄積」と思っていると、もっと行動したくなります。
あらゆる行動に意味を見いだせ、元気が出てくるのです。
世間で「人生は楽がいちばん」という声を、聞くことがあります。
たしかに楽な人生を送ることができれば、快適な毎日を過ごすことができるでしょう。
悩みがなく、仕事もしなくていい楽な人生は、理想的であるように思えます。
しかし、何でも楽を求めようとする姿勢は、良くありません。
本当に楽な人生になると、1日中、ぼうっとして過ごすことになります。
ぼうっと生きている楽な人生は、理想的な人生ではありません。
生きている実感が湧かないからです。
生きている実感がなければ、生きていても、死んでいるようなものです。
楽をして生きるのではありません。
本当に理想的な人生は、有意義に生きることです。
価値のある時間を過ごし、自分の人生に重みをつくることが大切です。
苦しくてもいいのです。
苦しくても、自分の夢につながる努力なら、乗り越えたときに達成感が得られます。
悩みがあってもいいのです。
悩んでも、自分のやりたいことに関係していれば、楽しく悩めます。
仕事が大変でもいいのです。
自分の仕事によって、誰かが助かり「ありがとう」と感謝される仕事は、気持ちいいです。
苦しんだり悩んだり大変だったりしても、有意義なら、生きている実感が得られます。
生きている実感があってこそ、人生なのです。
最高の出会いとは、居心地のいい状況にはありません。
居心地のいい状況とは、何も問題のない状況です。
すでに満足しています。
満足しているときに出会う人とは、求め合う意識が小さくなります。
もちろん仲良くなれますが、最高の出会いにはなりにくいです。
「どうしてもいてくれないと困る」という状況ではないからです。
最高の出会いとは、最悪の状況で出会えるものです。
命が関わるような最悪の状況では、誰かを必死に求めます。
たとえば、災難です。
災難が襲ってきたときは、お互いが苦労します。
そんなときに、お互いが協力し合うことで、絆が結ばれます。
絆は、いきなりできるものではありません。
絆をつくるためには、災難が必要です。
最悪の状況ほど、助け合えば、強い絆を結ぶきっかけになります。
お互いが、人生の恩人になるのです。
命を救ってくれた人は、命の恩人です。
大きなトラブルから救ってくれた人は、人生の恩人です。
最高の出会いとは、最悪の場所で出会えるものです。
運命の出会いは、運命が左右しているときに、出会えるものです。
困難に直面しているときに、目の前に現れます。
今が最悪の状況だと思うなら、最高の出会いをしやすいチャンスなのです。
苦しいときに、自分一人で乗り切ろうとする心がけは素晴らしいですが、理想的ではありません。
もし乗り越えられなければ、自分がつぶれます。
つぶれてからでは、遅いです。
自分が苦しんでいるときは、人に頼りましょう。
不満や愚痴を1人でため込まず、身近な人に相談しましょう。
友人、恋人、家族、先生などです。
話を聞いてもらうだけでもいいのです。
話を聞いてもらうだけでも、心の負担はずいぶん軽くなるものです。
頼る人は、強い人です。
人の力を、うまく自分に取り込むことができ、人生を力強く歩めます。
その代わり、人が苦しんでいるときは、甘えさせてあげましょう。
自分が苦しんでいたときの恩返しとして、できるかぎり、力になります。
不満や愚痴を、聞いてあげましょう。
人の話を聞くだけ、人助けです。
食事に誘って、おいしいものを食べに行くのもいい方法です。
食事は、元気の源です。
おいしいものを食べれば、元気になります。
苦しんでいるときは、お互いさまです。
苦しんでいるときは、甘えたり甘えさせたりすることで、人間関係も深まるのです。
横断歩道を渡るときには、まず左右の確認です。
右側だけ確認では、不十分です。
左側から車が来ているかもしれません。
左側だけ確認でも、不十分です。
右側から車が来ているかもしれません。
一方向では不十分です。
左右を確認して、初めて横断歩道を安全に渡れます。
これは、人生でも同じです。
何かを決断して、前に進むときには、左右をよく確認しましょう。
人生では、2面性が大切です。
自分のことばかりではなく、相手のことも考えます。
メリットばかり見るのではなく、デメリットも見ます。
問題がないことを確かめてから、前に進みましょう。
左右をよく見ることで、初めて人生を安全に渡ることができるのです。
恥をかくのは、恥ではありません。
誰にでも、自分の欠点や過失などに気づいて、恥をかくことはあるものです。
恥をかいても「すみません。間違えました。うっかりしていました」と言えば、許してもらえます。
過ちを素直に認めると、許してくれるものです。
完璧な人はいません。
恥をかいた人を見たとき、自分にも心当たりがあるため「まあ、そういうこともあるよね」と寛大になれます。
自分にも同じ経験があると、良心が痛み、あまり強く言えません。
少し笑われるかもしれませんが、すぐ笑いが止まります。
自分が思うほど、恥は恥にはなりません。
見方を変えれば「勉強になった」「いい経験になった」とも言えます。
本当の恥は、恥を隠すことです。
ごまかしたり、曖昧にしたりして隠そうとすると、かっこ悪い姿に見えます。
恥を隠そうとするのは、見ればわかります。
不自然な言葉や態度は、すぐ表に出るものです。
よく知らないので、物事の進め方が不自然です。
自分ではスムーズにやっているつもりが、たどたどしく映るのは、滑稽です。
知らないのを恥だと思い、知ったかぶりして使い方を間違えるほうが、いちばんかっこ悪いです。
恥は、隠すより見せたほうが、楽なのです。
「どこかに自分と合う友人はいないかな」と探していませんか。
人それぞれですから、出会ったときから合いやすい人もいれば、合いにくい人もいるでしょう。
自分と合った人が見つかれば、すぐ親友になるだろうと思います。
しかし、いい友人は、探すものではありません。
つくるものです。
知り合って、たくさんのコミュニケーションを交わして、仲を深めていくものです。
「たまたま知り合った」という偶然で、十分です。
知り合えただけでも、素晴らしい巡り合わせです。
「これも1つの縁ですね」と言えば、縁が続きます。
「あまり合わないな」と思うのは、まだコミュニケーションが不十分だからです。
誰でも最初は「あまり合わないな」と思うものです。
そのギャップを楽しんだり、尊重したりするのが、人間関係です。
ギャップを尊重するのは、お互いを認め合うことです。
ギャップを尊重しながらコミュニケーションを交わしていけば、自然と仲が深くなります。
気づけば、いい友人になっているのです。
あなたの人生がうまくいかないのは、間違いのせいではありません。
本当の原因は、間違いを避けていることです。
清く、正しく、美しい道ばかりを選んでいます。
間違いを避ける姿勢を続けているから、自分に悪い点があっても、気づくことができません。
うまくいくきっかけも、なかなかつかめません。
間違いを避けることが、いちばんの間違いなのです。
うまくいきたければ、自分から間違いを求めることです。
間違いには、正解のタネが隠されています。
間違うと、悪い点がわかります。
悪い点がわかるから、反省や改善ができれば、正解につながります。
間違っても、正解に近づければ、間違いではありません。
間違いという名の正解です。
間違いを求める姿勢を取ったとき、人生が好転し始めるのです。
メールを送っても、返事が来ないときがあります。
メールの返事が来ないとき、どうしていますか。
「前回メールを送ったから、次は相手が送る番だ」と思い、ずっと待ち続けていませんか。
順番はわかりますが、意識しすぎです。
形にとらわれすぎています。
メールを待っているだけでは、もどかしいです。
待つのも疲れます。
待ちくたびれるくらいなら、もう1通、メールを送ってみましょう。
メールは、2通連続で送ってもいいものです。
「待ちきれず、またメールしてしまいました」と書けば、悪い気はしません。
あなたが2通連続で送るアプローチをすれば、相手も2通連続で送るアプローチをしやすくなります。
人間関係は、少しずれたことをしたほうが、深くなります。
「おや」と思い、よく印象に残るのです。
メールをよく受け取る人より、よく送る人になりましょう。
メールをよく送る人は、愛情をよく与える人です。
人生は、与える人になるほうが、幸せになれるのです。
今、悩んでいることは、大きなことだと思うでしょう。
「もしうまくいかなければ、生きていけない」
人生を左右するような、大きな課題に苦しんでいます。
しかし、そう考える多くは、考えすぎです。
妄想です。
大きな悩みだと妄想を膨らませているだけで、現実では、どうということはありません。
10年前の自分を、思い出してみましょう。
10年前も何かに悩んでいたはずですが、今では、どうでもよくなっているはずです。
当時の自分は、まだ器が小さかったため、ささいな悩みを大げさに考えていました。
その状況は、今も同じです。
今の自分もまだ器が小さいため、ささいな悩みを大げさに考えてしまいがちです。
人生は、そのときの成長に応じた課題がやってきます。
器に入るか入らないかの、ぎりぎりの課題です。
悩みに疲れたときは、10年後の自分を想像してみましょう。
10年後のビッグになった自分が、10年前を振り返っている様子です。
今、悩んでいることは、10年後にはどうでもよくなります。
小さなことで悩んでいると、気づくのです。
この世に、悩みのない人なんていません。
「私に悩みはありません」という人がいれば、嘘つきです。
もし本当に悩みのない人がいれば、すでに死んでいます。
死後の世界は、悩みのない世界です。
生きているかぎり、すべての人に、何らかの悩みがあります。
世界一の大金持ちでも、何かに苦悩しています。
「悩みがあるから不幸」と思うのは、思い違いです。
悩みがあるから、幸せです。
悩みとは、幸せのタネです。
タネがあるから、芽が出て育ち、収穫が得られます。
苦しいかもしれませんが、乗り越えると、大きな幸せが育ちます。
その後、大きなことが得られるのです。
悩みがあるから、進化や成長ができます。
苦しいと思うから、苦しくなります。
楽しいと思えば、楽しくなります。
今、どんな悩みを抱えていますか。
悩みを、楽しんでみましょう。
悩みに囲まれているあなたは、今、幸せ者です。
悩みを乗り越えたとき、新しい自分に出会えます。
成長して、強くなった自分です。
成長していく自分を想像しながら悩みを乗り越えていけば、生きているのが楽しくなります。
人生は、悩んでは乗り越える繰り返しです。
常に悩むということは、死ぬまで成長できるということです。
だから、人生は素晴らしいのです。
「さあ、今からやるぞ」
勉強や仕事をする前、メリハリをつけるために、気合を入れることがあります。
頭の中で、スイッチを入れ替える感覚です。
自分なりに、気合を入れる儀式を持つ人も多いことでしょう。
食事を終えて、トイレに行き、深呼吸をして、心の準備を整えます。
おや、少し堅苦しいのではないでしょうか。
肩に力が入りすぎていると、すぐ肩こりになりますよ。
気合を入れるのはいいのですが、もう少し上手な気合の入れ方があります。
動詞を「楽しむ」に変えてみましょう。
「今から勉強する」を「今から勉強を楽しむ」に変えます。
「今から仕事をする」を「今から仕事を楽しむ」に変えます。
ほら、ずいぶん印象が前向きになりましたね。
あらゆることは、遊びです。
楽しむからこそ、やる気も出ます。
わくわくしながら勉強や仕事を始めることができ、はかどるに違いありません。
行動に、遊び感覚を取り入れることが大切です。
勉強を、楽しみましょう。
仕事も、楽しみましょう。
あらゆることを、楽しみましょう。
少し考え方を変えるだけで、人生はもっと、楽しくなるのです。
日常生活では、むかむかすることがあります。
むかつきは、不快感の塊です。
こみ上げるような不快感があると「気持ち悪い」と思い、すぐ吐き出したくなります。
吐き出すのも、1つの解消方法です。
吐き出した瞬間、すぐ気持ちよくなります。
しかし、むかつきをすぐ吐き出すのは、最善の解決策ではありません。
人にぶつけると、けんかになります。
壁にぶつけると、穴が開きます。
周りの人が驚いて、近寄りにくくなります。
むかつきを吐き出せば、すぐ解決しますが、副作用が大きいです。
しかも、本質は解決していません。
吐き出すのは、逃避の1つです。
むかつく現実から目を背けているだけです。
では、どうするのかというと、吐き出すのではなく、飲み込むのです。
むかつくことは、食べ物とは違い、消化に時間がかかります。
むかつきを飲み込むと、初めは気持ち悪いですが、時間をかけて消化していきましょう。
むかつきは、自分が成長するためにあります。
むかつきは、栄養の塊です。
自分が成長するため、飲み込むものです。
自分なりに、むかつきの消化を心がけることで、体の栄養になります。
理性を保つトレーニングになります。
気持ちの整理の仕方を学ぶこともできます。
現実の問題点を見つめて、改善するきっかけにもなります。
きちんと消化できるまで、1週間かかるときもあれば、1カ月かかるときもあります。
1年以上かかることもあります。
時間がかかってもいいですから、消化することが大切です。
むかつきをきちんと消化できるようになったとき、一回り大きな自分に出会えます。
幸せな気分になったときの感情を、2倍に大きくさせる方法があります。
お金も時間もかかりません。
夢のような話ですが、簡単にできます。
鏡を見ることです。
幸せな気分になったとき、鏡を見ましょう。
明るい気分を表情に出して、鏡を見るだけでいいのです。
嬉しいときに鏡を見ると、嬉しい表情をした自分が映ります。
楽しいときに鏡を見ると、楽しい表情をした自分が映ります。
幸せそうな表情をしている自分を見ると、もっと幸せな気分が2倍になるのです。
鏡の反射する作用を、うまく活用した方法です。
鏡は、自分の姿を確認する道具だけではありません。
鏡は、感情を2倍にする道具です。
嬉しいことがあったとき、いい表情をしている自分を鏡で見て、幸せ気分を大きくしましょう。
あなたは今、何を必要としていますか。
こう聞かれても、すぐ答えられる人は少ないことでしょう。
自分のことは、自分でもよくわからないものです。
往々にして、自分に必要なこととは、ぼんやりしたものです。
ぼんやりしているから、何をどうすべきなのかも、はっきりしないのです。
そのときに頼りにしたいのが「ぴんときた瞬間」です。
本を読んでいると、ぴんときたフレーズに出合うことがありませんか。
「なぜか、このフレーズに引かれた」という感覚です。
平凡な1文にもかかわらず、反応してしまう瞬間です。
なぜ、ぴんときたのでしょうか。
今のあなたに必要な言葉だからです。
潜在意識が、反応したのです。
意識としてよくわかっていないことでも、潜在意識はよくわかっています。
ぴんときたことは、潜在意識の声です。
「これが大切なんだよ。ここにヒントがあるよ。気づいてよ」と、潜在意識が語りかけています。
求めていたことだから、反応します。
この瞬間を、見逃さないことです。
ぴんときたフレーズを、メモしましょう。
ぴんときたフレーズは、今の自分に必要な言葉です。
そのフレーズが、次の一手の手がかりになります。
本を読むたびに、ぴんとくるフレーズは変わります。
時と場合に応じて求めることも異なるため、ぴんとくるフレーズも、本を読むたびに変わるのです。
かまってもらいたい姿勢とは、受け身の姿勢です。
ぼうっと立って、待っているだけです。
「自分のことを気にしてほしい。世話をしてほしい。相手にしてほしい」です。
受け身になっている人には、愛情も魅力も感じません。
「面倒だ」と思われ、余計にほったらかしにされます。
「かまってもらいたい」と思うほど、周りの人が逃げていきます。
「ごめん。用事を思い出したから、そろそろ行かないと」と言って、うまく逃げていきます。
余計にかまってもらえなくなるのです。
「かまってあげる」のです。
かまってあげようとすると、魅力が出るようになります。
人をかまうとき、見返りは求めないことです。
ただ与える気持ちだけで、接しましょう。
無償の愛を持ってかまってあげることです。
モテる人は、かまってあげる人です。
誰かを励ましたり元気づけたりすると、人間らしい魅力が出てきます。
魅力が出てくると「自分もかまってほしい」という人が、もっと集まってきます。
かまってあげる姿勢は、人気者になる条件なのです。
風を感じていますか。
「風なんて吹いていない」と思うのは、勘違いです。
外に出て歩けば、多少の風は吹いているものです。
強かったり弱かったりなど、自然の風が流れています。
忙しいと、風の存在を、忘れがちになります。
自分のことで頭がいっぱいになり、周りに気を配る余裕がなくなるのです。
風は、自然のクッションです。
夏には熱い風が吹き、冬には冷たい風が吹きます。
温かい風や冷たい風を、気持ち悪く思うのではありません。
季節感のある、自然の風です。
熱い風は、夏らしいではありませんか。
冷たい風も、冬らしいではありませんか。
ありのままを感じると、心地よく感じます。
風をきちんと感じると、クッションに抱かれているように、気持ちいいものです。
幸せとは、ささいな出来事に気づくことです。
風の存在に気づけない人が、どう日常のささいなことに、気づくのでしょうか。
自然を感じられなくなれば、不自然な人になります。
いま一度、自分に触れる風に、意識を向けてみましょう。
風を感じるとは、季節を感じることです。
風を感じると、季節を体全体で実感できます。
「おや、こんな風が吹いていたのか」と気づけば、今すぐ、心地よい感触を味わえるのです。
歩いているとき、道端に目を向けてみましょう。
道端の草花に、目を向けます。
どんなに都会でも、道端を探せば、1つや2つの草花があります。
アスファルトで埋め尽くされた道端でも、草花は必ずあります。
よく見てみると、アスファルトのひび割れた隙間から、こっそり咲いているのです。
小さな草花でもいいですから、目を向けましょう。
草花を見て、癒やされるのです。
疲れが取れない毎日は、癒やされるものを見落としているだけです。
通勤通学の途中にある草花は、あなたのサポーターです。
あなたを癒やすために、今日も頑張って咲いています。
草花に感謝です。
きちんと目を向けて、癒やされましょう。
色鮮やかな草花をよく見るほど、疲れが取れます。
生き生きした草花の様子を見ているうちに「自分も頑張ろう」という元気が出てきます。
たっぷり見るほど、草花も喜びます。
見られると気持ちいいのは、草花も同じです。
見られる期待に応えるように、草花はどんどん大きくなるでしょう。
草花も人も、お互い元気になれるのです。
もう少し口を閉じましょう。
あまりぺらぺらと話をしすぎると、言いすぎてしまうことがあります。
勢いよく話をするのは元気がいいのですが、深く考えることなく、口にするのは良くありません。
誤解を生むもとです。
うっかりした発言で誤解され、人間関係がこじれることがあります。
一瞬の油断が、一生の後悔を生みます。
言葉を丁寧に選べば、もう少し口数を減らせます。
話をするにも、体力を使います。
口数が減れば、体力を温存できます。
温存できた体力を、本来の仕事に向けると、仕事の質も量も向上します。
その一方で、目はもう少し開きましょう。
目に力が入っていないと、元気がないのかと思われます。
目は、言葉以上に語る部分です。
目を開けば、目力が出てきます。
表情もよくなります。
同時に、現実もはっきり見えるようになります。
現実を見るからこそ、現実が生きられます。
見るべきものを見て、正しい現実の姿を視界に入れましょう。
もっと上手に生きられるようになります。
失敗といえば、どのような色を想像しますか。
「失敗=悪い」というイメージのためか、黒や灰色など、暗い色を想像している人が多いのではないでしょうか。
失敗は、成功につながるきっかけですから、明るいものです。
しかし、失敗には、悪い印象のほうが大きいため、イメージをする色も暗くなりがちです。
イメージをする色が暗ければ、なおさら悪いことであるように感じます。
今日から失敗のイメージカラーを、変えましょう。
失敗のイメージカラーは、ピンクやオレンジです。
生き生きした明るい印象です。
ピンク色の桃やオレンジ色のミカンを、手に取るようなイメージです。
明るくてきれいな色をしているほど、味わい深いです。
明るい色をしていると、失敗も怖くなくなります。
手に取りたくなるのです。
お寺に行くと、大きな鐘があります。
鐘の音が鳴り響くとき、気持ちのいい余韻がしばらく続きます。
大きな鐘ほど、長く余韻が響き続けます。
鐘の音は、気持ちのいい音です。
鐘の音を聞くと、心が浄化されるかのようです。
嫌なこともつらいことも苦しいことも、しばらく忘れることができます。
気持ちのいい、鐘の音が聞けるのは、お寺だけとは限りません。
お寺に行かなくても、もっと身近なところに、鐘の音が存在しています。
人です。
人は、大きな鐘と同じです。
気持ちのいい余韻に浸りたければ、困っている人を助けましょう。
自分ができる範囲でベストを尽くし、何かの役に立つのです。
人を助けるのは、鐘をつくのと同じです。
人を助けると「ありがとうございます」と言われます。
「ありがとうございます」というお礼は、鐘の音と同じです。
言われた後、しばらく気持ちのいい余韻が響き渡ります。
これが気持ちいいのです。
しばらくの間、嫌なこともつらいことも苦しいことも、忘れることができます。
心を浄化したければ、誰かを助けることです。
人は、誰かを助けることで、心を浄化できます。
「何ていい響きなんだろう」と思えば、また同じ響きを聞くために、誰かを助けたくなるのです。
10の願いがあれば、すべて叶ってほしいと思います。
ただし、10の願いがあっても、すべて叶うのは、まれです。
10の願いがあっても、思うようには叶いません。
神様は、いつも大忙しです。
すべての人の願いを叶えたいと思いますが、すべての人の面倒を見切れていません。
そこで忙しい神様は、助ける人の優先順位をつけています。
「すべてを叶えてもらいたい」と思う人を、神様は後回しにします。
10の願いをすべて叶えようと思うことを「欲張り」と言います。
欲張りな人は、神様も近づきにくいです。
願いを叶えたところで「もっと叶えてほしい」と欲張ってくるからです。
欲張りには、終わりがありません。
願いを叶えても喜ばれないのでは、神様もやりがいがありません。
「もっともっと」としつこく要求する人は面倒に思い、後回しにするのです。
神様が好む人は「1つでもいいから、叶えてほしい」と思う人です。
「1つでもいいから、叶えてほしい」と思うことを「謙虚」と言います。
謙虚な人は、神様も近づきやすいです。
1つでも叶えてあげれば、大喜びされるからです。
少しのことで喜んでもらえるなら、忙しい神様も、優先したくなります。
謙虚な人に、幸運はやってきます。
10の願いのうち、1つが叶えば、御の字なのです。
電車に乗ったとき、まずどうしていますか。
「われ先に」と言わんばかりに、あいている席に座ろうとしていませんか。
電車の中は、椅子取りゲームの修羅場のようです。
もちろんひどく疲れているときは、座ったほうがいいでしょう。
疲れているときには、体力回復が優先です。
しかし、さほど疲れていなければ、ぜひ立ちましょう。
立って、外の景色を眺めるのです。
単なる移動時間が、きれいな景色を楽しむ時間に変わります。
立っているほうが、外の景色が遠くまで、よく見えます。
しかも、足腰まで鍛えられます。
きれいな景色が見られるうえ、足腰が鍛えられるのですから、立っているほうが得です。
座席は、お年寄りや妊婦に譲り、自分は外の景色を楽しみましょう。
美しい景色を楽しむ時間を、1分1秒でも増やすことです。
青い空、美しい雲、街並みなどを見て、元気をもらいましょう。
美しい景色をしっかり見て、生きる力をもらいます。
立っていても、十分に癒やされます。
無味乾燥な電車の移動時間が、豊かな時間に変わるのです。
付き合いの長い友人ほど、当たり前を忘れがちになります。
言葉遣いが乱暴になったり、態度やマナーが悪くなったりするものです。
仲が良くなるほど「助け合って当然」という意識が強くなります。
感謝さえ、忘れやすくなります。
助け合って当然ではありますが、お礼の省略まで当然ではありません。
お礼は、省略するべきではありません。
どんなに仲がよくても、お礼は必要です。
むしろ、付き合いが長くなるにつれて、お礼は強調すべきです。
そこで、いつも口にする「ありがとう」というお礼に、少しアレンジを加えてみましょう。
「ありがとう」ではなく「いつもありがとう」です。
はっとする、嬉しい言葉です。
「ありがとう」と「いつもありがとう」は、感謝の度合いがまったく違います。
「ありがとう」という言葉は、今この瞬間だけに対して、感謝しています。
「いつもありがとう」という言葉は、これまでの時間すべてに対して、感謝しています。
昔からの仲が続いていることを、お互いに、はっと再確認できるお礼です。
「ありがとう」に「いつも」がつくだけですが、ずいぶん印象が良くなります。
今この文章を目にしたのも、何かの縁です。
今度、友人との会話中、タイミングが合えば「いつもありがとう」と言ってみましょう。
古くからの仲を再確認でき、喜ばれるに違いありません。
もっともっと、仲良くなれるのです。
完璧な人にはなれません。
勉強もスポーツも万能で、礼儀やマナーもパーフェクトにするのは、不可能です。
完璧な人を目指そうとしますが、人はそもそも不完全であるため、完璧にはなれません。
1つや2つ、不完全な部分があってこそ、人間です。
完璧な人は、なりたくてもなれないものです。
ただし、完璧な人にはなれませんが、完璧な自分にはなれます。
完璧な自分には、なったほうがいいです。
周りの人や時代に流されず、自分らしく生きるだけでいいのです。
自分の心に正直になり、思ったり感じたりしたままに生きます。
1つや2つ、不完全な部分があっても、良しとします。
不完全な部分があるのも、自分です。
不完全な部分を認めるとは、個性を認めることです。
「ありのままの自分を受け入れる」という状態です。
その瞬間、完璧な自分になれます。
短所も欠点も、チャームポイントです。
自分を完璧に受け入れたとき、人生もまた完璧になります。
自分らしく生きているのですから、自然に生きやすい人生が送れるのです。