なぜ今日を一生懸命生きるのでしょうか。
今日の日付は今日だけ、もう二度とやってこないからです。
今日は何月何日ですか。
人の目は、前にしかありません。
生物の進化の過程で、目が後ろにあっても、不思議ではありません。
目が後ろにあったほうが、後ろから迫る危険を察知して、避けることができるはずです。
子どもは、みんな元気です。
子どもは、元気の塊のようなものです。
笑顔を絶やさず、いつもはしゃぎ回っています。
飲食店では混み合う時間帯になると、人の声が目立つようになります。
このとき、どう表現するかです。
(1)「うるさい」
年を取ると、平凡な景色に感動できるようになります。
もちろん今までも感動はしていましたが、心の震え方がより強くなるのです。
子どものころは、花を見たとき「美しい」と思うことはあっても、浅いものでした。
観光していると、施設にボランティアガイドがいて、案内してもらうことがあります。
ボランティアガイドには、共通点があります。
みんな、生き生きしているのです。
神社で参拝の際、ときどき拝むのが長い人を見かけることはありませんか。
「自分の場合は10秒くらいであっさり終わるのに、あの人はやけに長く拝んでいるな」
ぶつぶつ口元が動いていて、小声が聞こえてくることもあります。
新しい服を買うと嬉しい。
さっそく着て、出かけたくなります。
誰かと会いたくなります。
ビジネスで企業を訪問する際、スーツは、建物に入る前に着るのがマナーです。
よほど暑い状況を除いて、スーツを着てから訪問しましょう。
外のお手洗いで身だしなみを整えてから企業を訪問するとスムーズです。
気持ちを明るくするためには、楽しいことを考えることが大切です。
ただし、楽しいことなら、何でもいいわけではありません。
問題は、過去か未来かです。
アパレルショップに行くと、店内に入るやいなや店員が近づいてきて、接客が始まります。
「いらっしゃいませ。お仕事の帰りですか。そちらは出たばかりの新作です」
お願いしてもないのに詳しい案内が始まったり勝手におすすめされたりして、買い物のペースが乱されます。
大型デパートの地下といえば「グルメ」です。
地下一面に広がる食品売り場が定番になっており、夕食前の時間になると、夕飯のおかずを買いに来る大勢の客でにぎわいます。
新鮮な魚・出来立てのパン・おいしそうなおかずなど、勢ぞろいです。
つまみ食いは不思議です。
つまみ食いには、特別なおいしさがあります。
料理をつくりながら、途中で「どんな味かな」と気になり、一口だけ口に運びます。
人と会う約束をするとき、どのような言い方をしていますか。
「いつごろが暇ですか」
「暇なときに会いましょう」
陳腐なギャグを言われたとき、あなたは笑うタイプですが、笑わないタイプですか。
陳腐なギャグはつまらなくて、面白いところがないように思われます。
笑いたくても、笑えないかもしれません。
「私は車酔いしやすい体質です」と言う人がいます。
車酔いをしやすい人は車を少し走らせただけで気持ち悪さを感じます。
車の揺れの影響を受けやすく、すぐ吐き気がしたり頭痛になったりするのです。
なぜ私たちは「大切」とわかっていても、見落としてしまうのでしょうか。
それは「当たり前」と思う心理に隠されています。
一般的に、重要であることほど、頻繁に目にします。
過去の栄光なんて自慢しないことです。
過去に輝かしい栄光があると、つい人に言いたくなるでしょう。
すごいと思われたい気持ちがあればなおさらです。
カフェのコーヒーは、コンビニコーヒーより一回り値段が高いです。
倍近くすることも少なくありません。
カフェのコーヒーの値段を見て「普通のコーヒーなのにどうしてこんなに高いの?」と疑問や不満を口にする人がいます。
一人暮らしを始めると、ときどき親と連絡を取り合うことになるでしょう。
実家暮らしはいつでも直接話ができましたが、一人暮らしを始めると、話す機会がぐっと減ります。
親の声を聞くとほっとするでしょう。
何事も新しく学ぶときには、基本から始めるのが王道です。
いきなり高度なことに取り組んでも挫折するだけ。
基本を知らない人は、高度な話が理解できず、応用もできません。
海の映像には「誘眠効果」があります。
自然系の映画やテレビ番組では、ときどき海の映像が流れることがあります。
果てしなく広がる海だったり、穏やかな海中の光景だったりです。
バラエティー番組はいつも活気に満ちています。
司会者も出演者もにこにこしています。
面白い話が飛び交っていて笑いが絶えません。
感動を生む要素の1つに「ハッピーエンド」があります。
念願の勝利シーン、奇跡の逆転シーン、感動の再会シーンなど、さまざまな種類のハッピーエンドがあります。
アニメやドラマのシリーズといえば、ハッピーエンドで締めくくられるのが定番です。
映画には人生を変える力があります。
自分の人生は一度きりですが、映画を通じて別の人生を疑似体験できます。
映画とは、経験の拡張につながるものです。
あるところに「歴史の勉強は無駄だ」と思う学生がいました。
彼は、歴史の先生に、こう問いかけました。
「なぜ、歴史の勉強をするのですか。歴史の勉強なんて意味がないですよ。過去の話を知ったところで、何の役にも立ちません」
歴史を勉強すると、選挙に行きたくなります。
民主主義の実現までに、多くの困難と苦労があったことを思い知るからです。
民主主義も選挙も、最初から当たり前にあったものではありません。
有名人になれば孤独から抜け出せると思うなら、大間違いです。
有名人ほど、孤独を感じている存在はありません。
心の穴を埋めるためだけに有名になろうとすると、失敗します。
なぜ人は、年齢を重ねるにつれて優しくなるのでしょうか。
やらかした経験が増えるからです。
長く生きていると、成功体験だけでなく、失敗体験も増えます。
世界が変わるのを待っていませんか。
「もっと政治が良くなれば、平和になるだろう」
「もっと景気が良くなれば、収入も増えるだろう」
なぜ今日を一生懸命生きるのでしょうか。
今日の日付は今日だけ、もう二度とやってこないからです。
今日は何月何日ですか。
よくある普通の1日に思えますが、違います。
今日の日付は、人生一度きりです。
泣いても笑っても、逆立ちをしようと裸踊りをしようと、今日と同じ日付は二度とやってきません。
人生で一度きりだし、歴史上でも一度きりです。
「しまった! 今日をやり直したい」と思っても無理です。
タイムマシンはないのでやり直せません。
どれだけ大金を積もうと、どれだけ悪あがきしようと、今日の日付は今日だけです。
だから今日を一生懸命生きるのです。
今日の日付を確認してください。
今日の重みを噛み締めましょう。
平凡な1日に思えますが、実は貴重な1日です。
やるべきことをやり、やりたいことをやりましょう。
後悔がないよう、今日1日を全力で生きるのです。
人生は、1日の積み重ねです。
しっかり今日を生きて、後悔のない1日を積み重ねていけば、後悔のない人生につながります。
毎日全力で今日を生きる人には、必ず明るい未来が待っています。
人の目は、前にしかありません。
生物の進化の過程で、目が後ろにあっても、不思議ではありません。
目が後ろにあったほうが、後ろから迫る危険を察知して、避けることができるはずです。
なぜ人の目は、前にしかないのでしょうか。
「後ろは振り向かず、前向きに生きればいい」という、神様からのメッセージが込められているからだと考えます。
後ろに目がないから、前に進むしかありません。
ただひたすら、前へ進みましょう。
できるだけスピードを意識しながら前に進めば、後ろから危険が迫っていても、関係ありません。
前に進むスピードが速ければ、後ろから危険が迫っていても、追いつけないからです。
人生は、一方通行です。
前に進む道のりしかありません。
後ろは振り向かず、ただひたすら前に進みましょう。
スピードを意識して、前に進むことです。
人の顔は、よくできたものです。
人生の理想的な生き方が表れているのです。
子どもは、みんな元気です。
子どもは、元気の塊のようなものです。
笑顔を絶やさず、いつもはしゃぎ回っています。
あまりにも元気すぎて、少し分けてもらいたいくらいです。
ところが、大人になるにつれて、だんだん落ち込みやすくなります。
なぜでしょうか。
大人になるにつれて、過去や未来を考えるようになるからです。
子どもは、まだこれという過去がありません。
ですから、後悔をしません。
子どもは、将来、自分がどうなるのかも知りません。
ですから、不安に怯えることもありません。
子どもは、ただ今この瞬間だけに、集中しています。
食事のときには、しっかり味わいます。
面白い遊びには、時間を忘れて夢中になります。
ですからいつも元気なのです。
たしかに過去や未来を考えることは大切です。
しかし、考えすぎるのは良くありません。
過去も未来も存在しますが、あってないようなものです。
過去も未来も、頭の中だけにある世界です。
私たちにとってある現実は、今だけです。
今以外は、すべて妄想です。
今しかないのですから、今だけに集中すればいいのです。
落ち込まない性格になるのは、シンプルです。
今だけに集中することです。
子どもたちの様子から、大切な時間の使い方を学べます。
常に今を一生懸命に生きれば、子どものように、いつも元気になれるのです。
飲食店では混み合う時間帯になると、人の声が目立つようになります。
このとき、どう表現するかです。
どちらも言わんとしていることは同じです。
人の声が目立っている様子を表現しています。
しかし、感じ方や受ける印象は違います。
「うるさい」という言い方の場合、不快な感じがあって、ストレスが多い印象を受けます。
一方「にぎやか」という言い方の場合、活気や明るい感じが強調され、楽しげな印象を受けます。
同じ状況でも「うるさい」と表現すれば、ネガティブに感じられ「にぎやか」と表現すると、ポジティブに感じられる。
言い方を変えるだけで、感じ方まで変わります。
なぜ言葉選びは大切なのか。
言葉によって感じ方ががらりと変わるからです。
ネガティブな言葉を選べば、ネガティブに受け止めることとなり、そういう人生となります。
ポジティブな言葉を選べば、ポジティブに受け止めることとなり、そういう人生となります。
決まった状況があるのではありません。
どういう言葉を選ぶかで、どう受け止めるかが決まり、感じ方にも影響します。
それは結局、自分のためになります。
「遅い」というか「丁寧」と言うか。
「地味」と言うか「シンプル」と言うか。
「まずい」と言うか「面白い味」と言うか。
「古くさい」と言うか「雰囲気がある」と言うか。
「運が悪い」と言うか「試されている」と言うか。
「忙しい毎日」と言うか「充実した毎日」と言うか。
「あと1時間しかない」と言うか「まだ1時間もある」と言うか。
「失ってしまった」と言うか「手放せた」と言うか。
「面倒」というか「やりがいがある」というか。
「もうダメ」と言うか「さあ、これから」と言うか。
明るく前向きな言い方をしたほうが、明るく前向きな気持ちを味わえます。
ストレスが減って、パワーも出てきます。
ポジティブな言葉を選ぶことで、人生が明るくなり、周りとの関係も良くなるのです。
人生は一度きりです。
せっかく生きるのであれば「良い気分」「楽しい時間」「心地よい感覚」を少しでも増やそうではありませんか。
そのためにも、できるだけポジティブな言葉を選んでください。
すべてをポジティブな言葉にするのは難しくても、少しずつ増やすことならできるはずです。
人生は選択の連続です。
それは言葉選びの連続でもあります。
ポジティブな言葉を使ったほうが、同じ状況でも、ポジティブ寄りになります。
あなたが口にする言葉が、人生を形作るのです。
年を取ると、平凡な景色に感動できるようになります。
もちろん今までも感動はしていましたが、心の震え方がより強くなるのです。
子どものころは、花を見たとき「美しい」と思うことはあっても、浅いものでした。
深く感動するほどではありません。
「普通のきれいな花」と思って終わりです。
青空や夕日を見ても「きれいだな」と思うことはありましたが、心にじんと来るほどではありませんでした。
涙を流すほどではありませんでした。
「普通のきれいな青空」「普通のきれいな夕日」と思って終わりです。
子どものころは「きれいといえばきれいだね。でもだから何?」という、あっさりした感想や浅い感動が多いものです。
ところが年齢を重ねて、ある程度長く人生を生きると、感じ方が変わります。
以前より心の震え方が大きくなります。
真の感動を覚えます。
花を見たとき「うわあ、なんてきれいなのだろう!」と心から感動できるようになります。
そして時を忘れて見とれます。
青空や夕日を見たとき、普段と変わらない景色なのに、以前より深い感銘を覚えるようになります。
感動の鳥肌が立ちます。
涙がこぼれることも少なくありません。
花も青空も夕日も、数え切れないほど何度も見ているから見飽きるはずなのですが、逆に以前より感動が強くなります。
感動センサーが敏感になったかのようです。
なぜ年を取ると、感動が大きくなるのか。
「人生の残り時間」を意識するようになるからです。
私たちは長く生きるにつれて、人生の残り時間が短くなります。
若いころは、人生が無限にあるような気持ちで過ごしていました。
ところがある程度の年齢に差し掛かると、人生は有限であることをだんだん自覚するようになります。
すると、ものの見方が変わります。
「この花を見られるのも、あと何回だろうか」
「この青空を見られるのも、あと何回だろうか」
「この夕日を見られるのも、あと何回だろうか」
今まで無限に見られると思っていた景色も、実はそうではないことに気づかされます。
無限ではなく、有限だとわかる。
だから、深い感動を覚えるのです。
余命宣告をされた人が、当たり前のことに感動するようになるという話がありますが、それと同じことです。
有限を意識すると、平凡なことでも当たり前のことでも、以前より感動できるようになるのです。
感動を増やすために「人生の残り時間」を意識してみてください。
「これを見られるのはあと何回だろう」と思うようになります。
おのずと日常の感動が増えます。
花でも青空でも夕日でも、普通の風景に感動を覚えるようになります。
お盆や正月で帰省するときも「親と会えるのはあと何回だろう?」と思えば、自然と感謝の念が湧き、しみじみするはずです。
意識改革は若い人でも可能です。
人生の残り時間はまだまだたくさんありますが、永遠ではありません。
人生は有限です。
命があるものの宿命として、いつかはこの世を去る日がやってきます。
不慮の事故で急に亡くなる可能性もゼロではありません。
若い人でも、人生の残り時間を意識すると、世の中の見え方が変わります。
人も風景も、食事も運動も、仕事も遊びも、すべてです。
何気ないことがいとおしく感じられます。
一つひとつのことに感動を覚え、感謝したくなります。
身の回りの感動が増えるのです。
観光していると、施設にボランティアガイドがいて、案内してもらうことがあります。
ボランティアガイドには、共通点があります。
みんな、生き生きしているのです。
ボランティアガイドは、無給で案内をしています。
昼食代や交通費の支払いはあっても、あくまで自主的な社会貢献活動なので、仕事自体は無給です。
無給で働いているので、だらだらした態度になってもおかしくないところですが、実際はその逆です。
とても生き生きしていて、積極的なのです。
熱く案内してくれる人ばかりです。
案内している本人が、にこにこ楽しそうにしています。
私が大分の臼杵磨崖仏に行ったときも、ボランティアガイドがいて、案内してもらいました。
とても生き生きしていて、ボランティアとは思えないほどの丁寧なガイドでした。
こちらが質問すると「待ってました」と言わんばかりに、細かく丁寧に答えてくれます。
新宿にある林芙美子記念館に行ったときも、ボランティアガイドに案内してもらいましたが、やはり生き生きしていました。
「こうなんですよ。ああなんですよ」と積極的に案内してくれます。
熱く語っていて、聞いているこちらまで元気をもらえるのです。
今まで多くのボランティアガイドのお世話になりましたが、無給にもかかわらず、みんな生き生きしている点は共通しています。
なぜボランティアガイドは生き生きしているのか。
好きでやっていることだからです。
お金のためにやっているわけではありません。
あくまでボランティアなので、収入目的の仕事ではありません。
「歴史が好き」「案内が好き」「地元を愛している」といった理由で、楽しくやっています。
純粋に好きでないと、無給でやろうとは思いません。
それをやっているということは、心から好きなことで、無給でもやりたいということです。
これが「好きの力」です。
好きなことだと、自然とパワーが湧いて積極的になれます。
お金がどうこうではないのです。
ボランティアガイドは「好きの力」を教えてくれる存在なのです。
神社で参拝の際、ときどき拝むのが長い人を見かけることはありませんか。
「自分の場合は10秒くらいであっさり終わるのに、あの人はやけに長く拝んでいるな」
ぶつぶつ口元が動いていて、小声が聞こえてくることもあります。
中には1分以上拝み続けている人もいます。
参拝者の中にはしっかり拝んでいる人がいるものです。
「しっかり拝んでいる」
「何を拝んでいるのだろう?」
不思議に思うかもしれませんが、おかしなことではありません。
実を言うと、拝むのが長くなるのは自然なことです。
神社で神仏に拝むことは「3つ」あるからです。
「報告」「感謝」「宣誓」です。
報告・感謝・宣誓は、拝むときの基本です。
それぞれの役割についてみていきましょう。
まず自分の近状を報告します。
最近あった出来事の中から、神仏に伝えたいことを心の中で念じます。
出来事の良しあしは関係なく、印象的な出来事を報告しましょう。
「念願の内定をいただきました。ようやく就職活動が終わります」
「無事、大きな仕事を終えることができました。今はほっとしているところです」
「来年の春、結婚することになりました。相手は素晴らしい人です」
「もうすぐわが子が小学校に上がります。子どもの成長が楽しみです」
特別な出来事がなければ「おかげさまで無事平穏な日々を送っております」と伝えるといいでしょう。
感謝すべきことを思い出し、心の中で念じましょう。
「いつも見守ってくださりありがとうございます」
「素晴らしいご縁を与えていただきありがとうございます」
「希望に満ちた日々を与えていただき、ありがとうございます」
心を込めて、一言一言、じっくり感謝の言葉を述べましょう。
最後に宣誓を述べます。
「次は○○を目標として努力をしていきます」
「ご先祖様の名に恥じぬよう精進いたします」
「これからもベストを尽くしてまいります」
「○○を使命として努力を重ねていきます」
はっきり宣言して、神仏の前で誓います。
言葉を濁さず、はっきり意思を表明することが大切です。
神社で拝む際は、報告・感謝・宣誓の3つを過不足なくゆっくり落ち着いて念じましょう。
するとどうでしょう。
この3つを念じると、それなりの時間がかかるはずです。
内容によっては1分くらいかかっても不思議ではありません。
拝むのが長い参拝者は、報告・感謝・宣誓の一つひとつをじっくり丁寧に伝えています。
だから、つい拝むのが長くなってしまうのです。
神仏に向かって報告・感謝・宣誓の3つを述べると、しっかり参拝ができます。
報告・感謝・宣誓が大切なのは、神社の参拝だけでなく、お墓参りの際も同様です。
お墓参りで手を合わせるときも、天にいるご先祖様に向かって報告・感謝・宣誓の3つを伝えましょう。
やはり自然と時間が長くなることでしょう。
お墓参りでも長く拝んでいる人を見かけたら、報告・感謝・宣誓を述べているに違いありません。
順番は入れ替わってかまいません。
基本順は「報告→感謝→宣誓」ですが、入れ替わってもかまいません。
「感謝→報告→宣誓」「報告→宣誓→感謝」になっても、3つの過不足がなければ、きちんと拝んだことになります。
参拝やお墓参りの際は、報告・感謝・宣誓の3つをしっかり伝えるようにしましょう。
これであなたも、素晴らしい参拝者の仲間入りです。
新しい服を買うと嬉しい。
さっそく着て、出かけたくなります。
誰かと会いたくなります。
買ったばかりの服を着ると、自然と身も心も弾んで「どきどき」「わくわく」が止まりません。
新しい服を着るだけで、新鮮な気分・明るい気持ちになるから不思議です。
出無精な人も、買ったばかりの服を着たら、外を歩きたい気持ちになります。
ところが、ここでよくありがちな出来事があります。
買ったばかりの服を着ているときに限って、すぐ汚してしまうのです。
タレがついたり、飲み物をこぼしたり。
きれいな服が台無しです。
きれいな服は、小さな汚れも目立ちます。
より汚れを落としにくい油物なら最悪です。
すぐシミになってしまい、一気に気分が落ち込んでしまいます。
「汚れちゃった! 新品なのに! 買ったばかりなのに!」と叫びたくなります。
新しい服を着てすぐ汚してしまうのは、あるあるの出来事の1つ。
買ったばかりの服を着て、24時間以内に起こるのです。
あたかも神様がいたずらをしているかのように感じます。
経験のある方も多いのではないでしょうか。
なぜ買ったばかりの服を着ているときに限って、すぐ食事で汚してしまうのか。
いつの間にか普段と違った動きをしているからです。
買ったばかりの服を着ているときは、うきうきします。
独特の高揚感があって落ち着きません。
身も心も弾んでいる影響で、いつもより所作が荒くなったり大きくなったりして、普段と違った動きになります。
これは自分でも気づかず、無意識のレベルです。
結果として、食事や飲み物をこぼして、服を汚してしまうのです。
買ったばかりの服を着るときは、服を汚しやすいタイミングです。
普段と同じ動きをしたいところですが、これはなかなか難しい。
買ったばかりの服を着たら、誰でもうきうきします。
身も心も弾むのは当然のことです。
無理やり高揚感を抑えたら、それはそれで面白くありません。
うきうきするのは、新しい服を着る醍醐味です。
ではどうするか。
別の観点から対策を立てましょう。
それは「食事と飲み物の種類に注意すること」です。
ラーメン、カレーうどん、ミートスパゲティなど、つゆやタレが飛び散りやすい食事は避けます。
コーヒー、トマトジュース、オレンジジュースなど、色の付いた飲み物は避けます。
食事と飲み物の種類に注意したうえで「慎重な所作」を心がけることも大切です。
コップは、ゆっくり丁寧に持つようにします。
うっかりコップを倒すことがないよう、底の広いコップを使うこともおすすめです。
ナイフやフォークを使うときも、いつも以上に慎重を心がけたい。
高揚感が落ち着くまで、食事や飲み物の種類に注意したり、慎重な所作を心がけたりしましょう。
もしうっかり汚れることがあれば、ご愛嬌です。
「私はうきうきしていたんだね」「心が躍っていたんだね」と思えばいいことです。
前向きに考えることも大切です。
服が汚れたからといって、わあわあ騒ぎ立てるほどのことではありません。
すぐ洗ったりクリーニングに出したりすればいいこと。
買ったばかりの服を着るときは、できるだけ服が汚れないよう注意しましょう。
ビジネスで企業を訪問する際、スーツは、建物に入る前に着るのがマナーです。
よほど暑い状況を除いて、スーツを着てから訪問しましょう。
外のお手洗いで身だしなみを整えてから企業を訪問するとスムーズです。
一方、コートの場合は逆です。
企業を訪問する際、コートは、建物に入る前に脱ぐのがマナーとされています。
さて、ここでひとつ疑問が浮かびます。
どちらも服ですが、心がけるべきマナーは逆です。
スーツは着てから入りますが、コートは脱いでから入ります。
なぜ服装によって、建物に入る前の「着るべき・脱ぐべき」というマナーが異なるのでしょうか。
理由は「正装であるかどうか」です。
ビジネスにおいて、スーツは正装である一方、コートは正装ではありません。
スーツは必須ですが、コートはあくまで任意。
ビジネスで企業を訪問する際、スーツの着用は必要ですが、コートは正装ではないため、脱ぐのがマナーとされています。
もう1つ加える理由として「コートに付いた汚れを建物の中に入れない」という意味もあります。
以上の理由のため、スーツとコートでは、建物に入る前の脱着マナーが異なるのです。
気持ちを明るくするためには、楽しいことを考えることが大切です。
ただし、楽しいことなら、何でもいいわけではありません。
問題は、過去か未来かです。
たとえば、楽しかった過去を思い出すと、息苦しくなった経験はありませんか。
楽しいことを考えているにもかかわらず、なぜかため息が出ます。
楽しかった過去を思い出すのは、相対的に「今はつまらない」と言っているようなものです。
今を否定しているわけではありませんが、遠回しに今を否定している状態に近いのです。
もちろんたまには旧友と懐かしい思い出を楽しむのはいいでしょうが、やりすぎには注意が必要です。
子どもは過去を振り返りません。
常に、これからのことを考えています。
だから、いつも元気で生き生きしています。
大人は、こうした子どもの心がけを学ぶ必要があります。
過去はもう終わったことです。
いくら楽しかった過去とはいえ、終わったことをやみくもに思い出しても仕方ありません。
大切なのは、これからです。
人生は有限です。
限りある貴重な体力や時間は、過去より未来のために使うほうが、建設的です。
楽しいことを考えるなら、楽しかった過去より、楽しくなる未来を考えましょう。
これからの未来がもっと楽しみになるように、今できることをします。
自分の未来にわくわくしましょう。
そのとき、本当の意味で、明るい気持ちになるのです。
アパレルショップに行くと、店内に入るやいなや店員が近づいてきて、接客が始まります。
「いらっしゃいませ。お仕事の帰りですか。そちらは出たばかりの新作です」
お願いしてもないのに詳しい案内が始まったり勝手におすすめされたりして、買い物のペースが乱されます。
店員さんからの接客をうっとうしく思う人もいるかもしれません。
がつがつ売り込みをされているようで苦手に感じる人もいるはずです。
「1人でゆっくり見たいのになあ」と思うことがあるでしょう。
「わざと買い物の邪魔をしているの?」といった印象を受けることもあるかもしれません。
アパレル店員の積極的な接客が苦手な人も多いのではないでしょうか。
これには理由があります。
購入の邪魔をするために声をかけているわけではありません。
店員さんはあくまで販売員でありサービス業ですから、お客さまに声をかけて買ってもらうことが仕事です。
そのために店員さんは積極的に声をかけて、購入の後押しをすることになっています。
また上の人から「積極的に声をかけるように」といった指示を受けていることも少なくありません。
お客さまに声をかけず放置していると、上の人から仕事をサボっているように見えて誤解されます。
「お店の売上に貢献しないといけない」
「お客さまに嫌がられるかもしれないが、指示されているので仕方なく声をかけている」
販売員としての立場や事情があるため、積極的な接客姿勢を見せてくるのです。
アパレル店員から接客をされても、むっとしないでください。
店員さんの立場や事情を考えれば、声をかけられるのは当然のことです。
「普通に仕事をしているだけだよね」「上からの指示には逆らえないよね」と思えばいいことです。
裏を返せば、真面目にきちんと仕事をしている姿です。
接客が不要であれば「接客は不要です。ありがとうございます」と一言を言えばいいだけです。
店員さんは、きちんとお客さんの気持ちを尊重してくれます。
すぐ接客を控えてくれ、自分のペースで買い物ができるようになります。
販売員の立場や事情を理解すれば、いらいらすることもないのです。
大型デパートの地下といえば「グルメ」です。
地下一面に広がる食品売り場が定番になっており、夕食前の時間になると、夕飯のおかずを買いに来る大勢の客でにぎわいます。
新鮮な魚・出来立てのパン・おいしそうなおかずなど、勢ぞろいです。
これだけおいしそうなものが並んでいると、何も買わないで出るほうが難しい。
しかし、そんなデパートの地下にはある特徴があります。
「時計がない」という特徴です。
お気づきでしょうか。
あなたがいつも買い物に行っているデパートの地下を探しましょう。
時計がないはずです。
店員が付け忘れたわけではなく、実はあえて時計を外しています。
なぜ時計がないのでしょうか。
理由は、お客さんに時間を忘れて買い物を楽しんでいただくためです。
もし、デパートの地下に時計があるとします。
時計が視界に入った瞬間「もうこんな時間。早く帰らなければ」と焦ってしまいます。
時間が気になってしまうと、急いでしまい、買い物をじっくり楽しむことができません。
買い物を楽しむことに専念してもらうための工夫です。
この手法を、スローライフでもぜひ活用しましょう。
自分の部屋に、あえて時計を置きません。
身につけている腕時計も外してしまいましょう。
理由は、先のデパートと同じです。
生活を心から楽しむことに専念するためです。
一つひとつの行動に専念して、心から楽しみを味わうためです。
見える場所に時計があると、時間が気になります。
映画を見たり読書を楽しんだりするときに、時間が気になり、楽しみに集中しにくくなります。
時計を外せばいい。
時間を忘れることで、映画にしろ読書にしろ、じっくり内容に専念できます。
時計はたしかに便利な道具です。
しかし、スローライフでは、時計はそっと隠しておくのです。
つまみ食いは不思議です。
つまみ食いには、特別なおいしさがあります。
料理をつくりながら、途中で「どんな味かな」と気になり、一口だけ口に運びます。
「つまみ食いは必ずおいしい」という法則があります。
贅沢な一品料理に匹敵するおいしさがあるから不思議です。
未完成の状態にもかかわらず、妙においしく感じられるのです。
なぜつまみ食いは、あんなにもおいしく感じるのでしょうか。
出来たてだからです。
こっそり食べるからです。
おなかが空いているときに食べるからです。
つまみ食いは、おいしく感じるための条件がぴったりそろっているのです。
「つまみ食いをしてはいけません」という声が聞かれます。
もちろんそのとおりなのですが、真面目な考えばかりも面白くありません。
食の可能性を広げるには、柔軟な考えも大切です。
たまにはつまみ食いを楽しんでいいのです。
やりすぎはNGですが、一口だけならOKです。
「味見のため」という理由にすれば、背徳感もありません。
つまみ食いほどおいしいものはありません。
おいしいものを食べることはストレス解消の1つですが、それならつまみ食いがうってつけです。
つまみ食いを楽しむことも、遊び心の1つ。
世界でいちばんおいしいのは、つまみ食いです。
人と会う約束をするとき、どのような言い方をしていますか。
「いつごろが暇ですか」
「暇なときに会いましょう」
「暇なら会おう」
こうした言い方に心当たりがあれば要注意です。
会ってもらいにくくなる誘い方だからです。
「暇なとき」という言い方が良くありません。
誰でも暇な人間と思われたくはありません。
「暇な時間があるか」と聞かれれば、反射的に「ない」と答えたくなります。
「暇な時間」という言葉に、ネガティブな印象を受けます。
もちろん誘う側に悪気はないのでしょうが、大切なことは「相手がどう感じるか」です。
相手が快く思わない言い方は避けるに越したことはありません。
「暇なとき」と言えば、相手は自由に時間を選べそうですが、実際は逆効果です。
失礼な印象があって、悪いほうに誤解されやすい。
会うチャンスを逃しやすくなるのです。
「暇なとき」というフレーズは禁句なのです。
会う約束は、具体的にするのがポイントです。
「明日の3時はいかがですか」という具体的な言い方が理想的です。
いきなり時間を決めるのは失礼ではありません。
むしろ相手に喜ばれます。
はっきり時間を言うことで「本気で会いたがっている。それだけの価値が自分にある」という気持ちが相手に伝わります。
喜んで、会ってもらえるようになります。
時間の都合が悪ければ、相手の状況を尋ねて、時間を調整すればいいだけです。
ささいな言い方で出会いが変わるのです。
陳腐なギャグを言われたとき、あなたは笑うタイプですが、笑わないタイプですか。
陳腐なギャグはつまらなくて、面白いところがないように思われます。
笑いたくても、笑えないかもしれません。
「寒い」「つまらない」「面白くない」と、冷たいリアクションを返す人もいるでしょう。
「それを面白いと思っているの?」と、相手を責める人もいるかもしれません。
「笑ってなるものか」と反抗的な態度を見せる人もいるかもしれません。
笑えないのは陳腐なギャグを言った人に問題があるように思われます。
しかし、違うのです。
もちろんユーモアセンスを磨く必要はあるかもしれませんが、問題があるのは相手ばかりではありません。
笑えない自分にも懸念点があります。
なぜ陳腐なギャグを笑えないのは問題なのか。
笑いの許容範囲が狭くなっているからです。
陳腐なギャグに笑えなくなったら、自分にイエローカードを出してください。
笑いの感度が鈍くなっています。
笑いのセンスを感じる能力も低下しています。
面白いと感じにくくなっていて、つまらないと感じやすくなっています。
自分でも気づかないうちに、笑顔の数も減っているに違いありません。
「笑ってなるものか」と意地を張るのも要注意。
素直な心が小さくなっていて、頑固な心が大きくなっています。
このままでは「頭が固い」と言われるのも時間の問題です。
笑えないのは陳腐なギャグを言う相手に原因があると思われがちですが、実は自分にも一因があるといえるのです。
笑いの許容範囲が狭くなっていませんか。
陳腐なギャグでも、積極的に笑っていきましょう。
笑いの許容範囲は、狭いより広いほうがいい。
笑いにくいかもしれませんが、できるだけ笑えるようになってください。
陳腐なギャグは、本当に100%つまらないのでしょうか。
「ひねりもセンスも感じられない」と思うかもしれませんが、誤解です。
面白いと思える点が1つくらい見つかるはずです。
「布団が吹っ飛んだ」「チョコレートをちょこっと食べた」は陳腐なギャグの定番ですが、つまらないとは断言できません。
きちんと韻を踏んだギャグになっています。
センスはゼロとは言えないでしょう。
大笑いはできなくても、くすっと笑うことくらいならできるはずです。
どれだけ陳腐なギャグでも、少しでもセンスが感じられれば、笑う価値があります。
面白いギャグはもちろん、陳腐なギャグも、どんどん笑っていきましょう。
少しでも面白いと感じたら、口角を上げてください。
素直な心を大切にして「面白い!」と思うことが大切です。
陳腐なギャグでも、笑うことです。
笑ってみると面白くなります。
つまらないと思うからつまらないのであって、面白いと思えば面白くなります。
「ひねりやセンスが少しでもあれば、笑う!」という姿勢がベストです。
笑ったほうが明るい気持ちになれ、会話も弾み、そして楽しい人生を送れるに違いありません。
陳腐なギャグを笑う人は、頭が柔らかいのです。
「私は車酔いしやすい体質です」と言う人がいます。
車酔いをしやすい人は車を少し走らせただけで気持ち悪さを感じます。
車の揺れの影響を受けやすく、すぐ吐き気がしたり頭痛になったりするのです。
酔い止めを飲んでも効かないという、車酔いの達人のような人もいますね。
ところが、そんな車酔いをしやすい人でも「ある場面」では車酔いをしません。
紅葉を見に行ったときは、不思議と車酔いをしないのです。
頭痛も吐き気もなく、普通に感じられます。
山道は、カーブや急勾配が多くて車酔いをしやすいはずですが、紅葉鑑賞のときは不思議と車酔いをしません。
なぜ紅葉を見に行ったときに限って、車酔いをしないのか。
実はここに、車酔いをしないためのコツが隠されています。
車酔いを防ぐには、次の2つがポイントです。
車から近くばかりを見ていると、上下の揺れが多くて視点も不安定になり、車酔いが悪化します。
逆に遠くを見ると、上下の揺れが小さくなり、視点が安定します。
また外の景色を楽しむことも大切です。
海沿いを走っているなら、美しい海を楽しみます。
山道を走っているなら、外は山の景色を楽しみます。
眼前に広がる美しい景観を楽しめば、そちらに気をとられ、自分が車酔いの体質であることも忘れます。
紅葉ドライブのときは「できるだけ遠くを見る」「外の景色を楽しむ」の2つの条件を自然とクリアしています。
だから車酔いをしないのです。
これは普段の運転のときにも通じる話です。
車酔いをしやすい人は「できるだけ遠くを見る」「外の景色を楽しむ」の2つを強く意識してください。
市街地を走っていても、できるだけ遠くに目をやります。
視点を遠くの建物や街路樹に向けましょう。
そしてできるだけ景色を楽しみましょう。
見慣れた市街地や走り慣れた道路でも、じっくり見ると、感動の景色があるはずです。
できるだけ遠くを見つつ、眼前の景色を楽しめば、不思議と車酔いがしなくなるのです。
なぜ私たちは「大切」とわかっていても、見落としてしまうのでしょうか。
それは「当たり前」と思う心理に隠されています。
一般的に、重要であることほど、頻繁に目にします。
重要なことですから、日常のいろいろなところで見聞きできます。
人から聞いたり、本で読んだりします。
テレビで見たり、学校で学んだりすることもあるでしょう。
ここなのです。
日常で頻繁に触れすぎるため、脳が「既知」を「実施済み」と勘違いしてしまうのです。
当たり前だからできているとは限りません。
「知っている」と「できている」は別です。
「当たり前」と思うことを「できている」と勘違いして、見落としてしまう。
だから、大切であればあるほど、見落としやすくなります。
重要なことだから繰り返し強調した結果、見落としやすくなるという逆効果を生んでいます。
皮肉であり、難しい問題ですね。
そこでひとつ、提案です。
あなたは本を読むとき、大切だと思ったところだけ、印をつけているでしょう。
もう1つ、条件を加えてください。
「大切だ」と思った部分だけ印をつけるのはでなく「当たり前」と思った部分にも印をつけるのです。
できれば「当たり前」と強く思った部分ほど、強調して印をつけてほしい。
「当たり前」と強く思うことほど、重要性が高い傾向が強いからです。
そうすれば、当たり前を見落とさずに済みます。
「当たり前だけど、できていない」という事実に気づき「次から行動しよう」と心がけるきっかけになります。
取り返しのつかないミスを、未然に防げるのです。
過去の栄光なんて自慢しないことです。
過去に輝かしい栄光があると、つい人に言いたくなるでしょう。
すごいと思われたい気持ちがあればなおさらです。
「これだけがんばった!」
「これだけの成果を出した!」
自分を大きく見せたくて、つい自慢したくなることもあるでしょう。
しかし、過去の栄光を自慢すると、その後むなしさが襲ってきます。
なぜか暗い気持ちになり、ため息が漏れる。
自慢している最中は上機嫌でいられても、話し終わってしばらくすると、言いようのない空虚感に襲われるのです。
なぜ過去の栄光を自慢すると、むなしさを感じるのか。
すればするほど、相対的に今がみすぼらしく感じるからです。
過去の栄光を自慢することは「今は輝いていない」「今は自慢できるような栄光がない」と言っているのと同じです。
過去の栄光を自慢すればするほど、今がくすんで感じられるようになります。
結果として空虚感に襲われるのです。
過去の栄光なんて自慢するものではありません。
暗い気持ちになり、今を生きる力が奪われます。
そもそも自慢話は人間関係にもマイナスです。
聞かれてもいないのにずけずけ自慢していると、周りからうっとうしく思われるでしょう。
自己顕示欲が強いと思われるのがオチです。
あまりしつこいとうんざりされ、煙たがられます。
過去の栄光を自慢することは、心の健康にも人間関係にも良くありません。
考えるのはこれからの未来にしましょう。
過去に輝かしい栄光があったとしても、もう終わったことです。
たしかに素晴らしい過去があったのかもしれませんが、あくまで過去の話です。
過去は過去であり、今は今です。
過去を振り返ってばかりいると、目線が後ろ向きになってしまい、今がおろそかになってしまいます。
そこにリソースが奪われ、今に向ける集中力が損なわれてしまいます。
大切なのは「今」であり「これからの未来」です。
将来の夢を語りましょう。
目指している目標について話しましょう。
生きているのは今であり、やってくるのは未来です。
時間は前にしか進まないのですから、目線は常に前を向いていることが大切です。
過去の栄光は「聞かれたら答える」「ちょっとした昔話で紹介する」という程度にしておくのが賢明です。
カフェのコーヒーは、コンビニコーヒーより一回り値段が高いです。
倍近くすることも少なくありません。
カフェのコーヒーの値段を見て「普通のコーヒーなのにどうしてこんなに高いの?」と疑問や不満を口にする人がいます。
それは「人件費」「場所代」「雰囲気代」がかかっているからです。
カフェには、すてきな店員さんがいます。
明るくて親切で、スマートな接客があります。
注文するときのちょっとした雑談から、元気や癒やしをもらえることもあるでしょう。
店内にはゆっくり座れるスペースがあり、空調も効いていて、快適に過ごせます。
雰囲気も上質です。
心地よい音楽が流れていたり、おしゃれな絵画や装飾があったりして、洗練された雰囲気が漂っているのです。
こうしたおかげで、カフェでは心地よいひとときを楽しめます。
慌ただしい毎日を送っていても、そこに行けば、現実を忘れさせてくれるのです。
高級ホテルのラウンジで飲むコーヒーにも同じことがいえます。
スタッフには、ホスピタリティにあふれた接客があります。
言葉遣いや立ち振る舞いまでしっかり教育されているのが特徴です。
ラウンジの内装は、洗練された空間を演出するために手間もお金もかかっています。
音楽も装飾も素晴らしく、そこにいるだけで貴族や上流階級になった気分を味わえます。
そのため高級ホテルのラウンジで提供されるコーヒーは、コンビニコーヒーの何倍も値が張るのです。
現代は豊かな時代になりました。
戦後の物不足はすっかり解消され、世の中はいろいろな物であふれています。
所有では差がつきにくくなったため、現在では体験を重視する流れになっています。
私たちの社会は今「物質を重視する時代」から「体験を重視する時代」へとシフトしているのです。
人件費・場所代・雰囲気代がかかっていることを理解すれば、高いことにも納得できます。
街中のカフェのコーヒーも、高級ホテルのコーヒーも「体験」を提供しているのです。
「体験にお金を払っている」と思えば、コーヒーの値段が高いことにも納得できるのではないでしょうか。
現代社会ならではの豊かな体験を楽しみましょう。
一人暮らしを始めると、ときどき親と連絡を取り合うことになるでしょう。
実家暮らしはいつでも直接話ができましたが、一人暮らしを始めると、話す機会がぐっと減ります。
親の声を聞くとほっとするでしょう。
お互いの近状を報告しあって雑談タイムとなります。
「どれだけ遠く離れていても、親は親だな」と実感するときです。
さてこんなとき、必ずと言っていいほど、親の口から出てくるセリフがあります。
「ちゃんと食べてる?」です。
「ちゃんとご飯食べてる?」
「ちゃんと野菜食べてる?」
「ちゃんと栄養のあるもの食べてる?」
あらためて考えると、聞くまでもない質問です。
食べるのを忘れるはずがありません。
食べなければ死んでしまいます。
忘れようにも忘れないことです。
「食べているに決まっている」と当たり前の質問にあきれるところです。
「いちいちうるさいな」と思うこともあるかもしれません。
「ぼけちゃったのかな?」と、むしろ親のほうを心配するかもしれません。
しかし、親はふざけて聞いているわけではありません。
あなたを困らせるわけでもなければ、ぼけたわけでもありません。
なぜ親は「ちゃんと食べてる?」とわかりきったことを聞いてくるのか。
それは、あなたのことが心配でたまらないからです。
親は、離れたところで暮らすあなたが心配です。
子どものことを愛しているからこそ、当たり前のことでも口うるさく言ってしまいます。
当たり前の質問ですが、そんな当たり前のことを聞いてしまうくらい、親としてはわが子のことを深く案じているのです。
あなたも親の立場になり、一人暮らしをしているわが子に電話をすることがあれば、きっと同じセリフを口にするでしょう。
「ちゃんと食べてる?」と。
聞くまでもない当たり前の質問を、つい聞いてしまうはずです。
以前親が口にしていたセリフを、自分も同じように口にするのです。
親の当たり前の質問にあきれたりむっとしたりするかもしれませんが、ここは素直な返事がいちばんです。
「ちゃんと食べているよ」と答えましょう。
普通に答えれば、親も安心します。
もう少し具体的に答えると、安心させることができます。
「昨日の夜は○○を食べて、今日の朝は○○を食べた」
「毎日、卵を使った食事を心がけているよ」
「外食をするときは、いつも野菜を注文しているよ」
具体的な答え方をすれば、親も安心します。
親の一言にきちんと耳を傾けてください。
注意喚起として素直に受け止め、あらためて日々の食事内容を振り返ってみましょう。
親からの一言にはっとして、過食・小食・偏食に気づかされることもあるでしょう。
野菜を食べていても、不定期だったりちょっと偏りがあったりすれば、きちんとバランスの良い食事を心がけます。
親からの注意喚起はありがたく頂戴しましょう。
何事も新しく学ぶときには、基本から始めるのが王道です。
いきなり高度なことに取り組んでも挫折するだけ。
基本を知らない人は、高度な話が理解できず、応用もできません。
面白いことでも、基本が理解できていないと「つまらない」と感じてしまうでしょう。
時間はかかりますが、基本から1つずつ学んでいくことで、スムーズにレベルアップしていけます。
ところが、基本を学ぼうと本を探すとき、よくありがちなことがあります。
基本を教える本には「猿」「ばか」という言葉が使われていることが少なくありません。
「猿でもわかる入門書」
「ばかでもわかる基本講座」
上品とは言いがたい表現です。
もはや「定番のキーワード」と言ってもいいでしょう。
むしろ下品であり、抵抗の心理が働きます。
「猿でもわかる」という本を手に取ると、自分は猿のように愚かに思えます。
「ばかでもわかる」という本を手に取ると、自分がばかだと認めることになります。
「なんだか買いにくいな」と思ってしまいます。
特に見栄やプライドを気にする人は、猿やばかという表現に強いストレスを感じるでしょう。
「自分は猿ではない。ばかでもない!」
自尊心や虚栄心がくすぐられ、ばかや猿という表現が入った本を避けてしまうのです。
しかし、これはもったいないことです。
入門書には「猿」「ばか」という表現がよく使われています。
なぜ入門書に限って「猿」「ばか」という表現が含まれているのでしょうか。
もちろん「猿やばかでもわかるくらい簡単ですよ」という意味もありますが、ほかにも別の意味が隠されています。
それは「見栄やプライドを捨てなさい」という意味が込められているのです。
ばかや猿に過剰反応しているうちは、まだ見栄やプライドにこだわっている証拠です。
見栄やプライドにこだわっていては、それが邪魔になって、スムーズに基本を学べません。
「『猿』や『ばか』に過剰反応している人は、まだ謙虚になりきれていない。基本を学ぶ資格はない」
そうした著者からの無言のメッセージであり、警告でもあります。
基本を学びたいと言いながら、心の奥では、まだ見栄やプライドにこだわっている自分に気づくことです。
「猿でもわかる」「ばかでもわかる」という表現を真に受けないことです。
単なる比喩であり、あくまでわかりやすさを強調した表現にすぎません。
あなたの尊厳を傷つけるものではありません。
「それだけわかりやすいのだろう」と普通に受け止めることが大切です。
「猿でもわかる」「ばかでもわかる」という本を避けるのは、基本を学ぶチャンスを捨てることになります。
「猿」や「ばか」が使われた本でも、基本を学ぶのに適しているなら素直に購入しましょう。
きちんと基本を学ぶから、スムーズにステップアップができます。
見栄やプライドを捨てましょう。
謙虚になって「猿」「ばか」というタイトルが含まれた本を手に取りましょう。
「自分のことを言っているね。私にぴったりの本だね」
「今の自分は猿でもありばかでもあるから、これくらいの本が合っている」
そう思うくらいで、ちょうどいいのです。
「猿」「ばか」という表現が使われていても、本気で基本を学びたいなら、すんなり受け入れられるはずです。
すんなり受け入れられるくらい、素直になることです。
謙虚になるからこそ、きちんと基本を学べるのです。
海の映像には「誘眠効果」があります。
自然系の映画やテレビ番組では、ときどき海の映像が流れることがあります。
果てしなく広がる海だったり、穏やかな海中の光景だったりです。
心地よい波の音、魚たちが泳ぐ様子、青々としたきれいな水色。
きれいな青が画面いっぱいに広がると、心が癒やされていきますね。
自分が魚になって、海の中を泳いでいるような気分になるものです。
さて、しばらくすると、私たちは「ある魔法」にかかることになります。
心地よい眠気が襲ってくるのです。
次第にうとうとしていき、自然とまぶたが下がっていくでしょう。
だんだん眠くなってきて意識がなくなってくる……。
睡眠のスイッチが入ったかのようです。
昼間でも、海の映像を見ているとだんだん眠くなってしまうから不思議です。
自分でもどうしたものかと思ってしまいます。
そんな不思議な経験があるのではないでしょうか。
なぜ海を見ると眠くなるのか。
それは、お母さんのおなかの中にいたころを思い出すからです。
私たちの記憶は、生まれたときから始まるのではありません。
お母さんのおなかの中にいるころから始まります。
自分では覚えていなくても、脳の奥深くではきちんと覚えています。
心地よい海の映像を見ていると、お母さんの胎内にいたころの記憶がよみがえってきます。
羊水の中にぷかぷか浮かんで、心地よく眠っていたころを思い出します。
無意識のうちに「そういえばこんな感じだったよね」と思い出し、自然な眠気が襲ってきます。
覚えていないようで、きちんと覚えているのですね。
自分が生まれた場所を思い出すことで心地よい眠りに誘われます。
お母さんの胎内の環境は、海の環境とそっくりです。
海のことを「母なる海」と呼ぶことがありますが、まさにそのとおりです。
私たちにとって海は原点です。
心地よい海の映像を見ながら、お母さんのおなかにいたころを思い出してください。
たっぷり癒やされてください。
ああ、なんて心地よいのでしょう。
無理に逆らわず、自然のままに受け入れてみましょう。
そこにはあなたの原点があります。
私たちの血の中にも「海」が存在しているのです。
バラエティー番組はいつも活気に満ちています。
司会者も出演者もにこにこしています。
面白い話が飛び交っていて笑いが絶えません。
みんなポジティブで話を前向きに持っていきます。
全体的に明るい雰囲気が漂っていて、テレビのスクリーン越しでもまぶしく感じるほどです。
なぜバラエティー番組はいつも活気に満ちているのでしょうか。
バラエティー番組の「人」ではなく「スタジオ」に注目してください。
明るい壁があって、明るい照明が使用されているでしょう。
かわいいマスコットがあったり、きれいな花が置かれていたり、にぎやかな飾り付けがあったり。
「これでもか」というほど、スタジオ全体に明るい装飾が施されているはずです。
スタジオそのものがすでに明るいのです。
明るいスタジオの中にいると、自然と振る舞いが明るくなるし、笑いや元気も出てきます。
明るく振る舞うから、明るい環境になるのではありません。
明るい環境があるから、明るく振る舞えるのです。
司会者も出演者も、明るい環境からポジティブなパワーをもらっていて、それが番組の活気となっているのです。
これは私たちの部屋にも応用できます。
「明るくいたい」
「元気でいたい」
「ポジティブでいたい」
そう思ったら、バラエティー番組のスタジオのように、部屋を明るい雰囲気にしてみましょう。
明るい色の壁、明るい色のカーテン、明るい色のカーペットにします。
かわいいぬいぐるみを置いてみたり、造花でもいいので明るい花を飾ったりしましょう。
インテリアも、暗い色より明るい色のものを選びます。
おしゃれなポスターを貼ってみたり、にぎやかな飾り付けをしてみたりするのも良し。
バラエティー番組のスタジオさながら、部屋を明るい雰囲気にすれば、自然と心持ちも明るくなれます。
環境は住む人の心に大きな影響を与えます。
環境から明るいパワーをもらえ、自然と明るい気分でいられ、元気も出てくるのです。
おのずとポジティブにもなれるのです。
感動を生む要素の1つに「ハッピーエンド」があります。
念願の勝利シーン、奇跡の逆転シーン、感動の再会シーンなど、さまざまな種類のハッピーエンドがあります。
アニメやドラマのシリーズといえば、ハッピーエンドで締めくくられるのが定番です。
トラブルがうまく解決して、円満な形で整います。
主人公が幸福な生活を送ることになって終わるものであり「めでたし、めでたし」で締めくくられます。
しかし、ハッピーエンドだからといって感動を生むとは限りません。
たとえば、いきなりハッピーエンドのシーンだけを見たとして、感動するでしょうか。
いいえ、ほとんど感動がないに違いありません。
いくら幸せで円満な終わり方でも、いきなり最終回だけ見たところで「ふ~ん、良かったね」となるでしょう。
幸せな形で終わっているのはわかっても、ぐっとこみ上げるものがなく、淡々と感じるはずです。
なぜハッピーエンドの最終回だけ見ても、感動できないのか。
物語がないからです。
どれだけハッピーエンドの最終回でも、物語がないと感動はゼロです。
人を感動させるためには、物語が必要です。
「たくさんのトラブルを乗り越えてきたよね」
「大変なことが多かったけど、ようやく実を結んだね」
「本当に長い道のりだったよね。うんうん、良かった、良かった!」
頭の中でいろいろな場面が走馬灯のように浮かぶから、最終回の実を結んだ場面で、ぐっと心が動かされます。
涙腺が緩んで、気づくとぼろぼろ涙がこぼれ落ちています。
映画『タイタニック』のラストといえば、時計のある階段でローズがジャックと再会するシーンです。
途中の物語を飛ばして、いきなりこのシーンだけ見ても感動しません。
出会いがあり、困難があり、別れがあり、そうした紆余曲折の物語を知ったうえで見るから、大粒の涙がどっと噴き出します。
ハッピーエンドだけこだわるのは愚の骨頂です。
感動を生むためには、ハッピーエンドより、物語に力を入れてください。
ハッピーエンドの感動は、紆余曲折の物語があってこそ生まれます。
ハッピーエンドも大切ですが、物語はもっと大切なのです。
映画には人生を変える力があります。
自分の人生は一度きりですが、映画を通じて別の人生を疑似体験できます。
映画とは、経験の拡張につながるものです。
理解が深まったり、価値観が豊かになったり、世界の解像度が上がったりして、人生が変わっていくのです。
映画サイトでも「人生を変えた映画」という特集をよく見かけます。
素晴らしい映画と出会うため、足しげく映画館に通う人も少なくありません。
それほどまでに、映画とは人生を変える力があるのです。
にもかかわらず、映画を見ても「人生が変わらない」と言う人がいます。
なぜ映画を見ても、人生が変わらない人がいるのか。
それは、行動が伴っていないからです。
映画を見て「ああ、面白かった」で終わってしまっているのです。
それでは何も変わりません。
心の満足は得られますが、そこから先がありません。
行動がなければ、昨日と同じ日々が続くだけです。
大切なのは「映画を見た後に行動を起こすこと」です。
鑑賞を通して得た学びや気づき、やる気やパワー、勇気や希望を生かして、アクションを起こすのです。
本を読んだら行動することが大切であるように、映画を見たときも行動することが大切です。
映画を見た直後は、心が最も動いているゴールデンタイムです。
気持ちが高ぶっていて、普段なら恥ずかしくてできないこともできます。
ロードムービーを見て「いいなあ、自分も旅に出かけたい」と思ったら、実際に出かけてみるのです。
一人暮らしの人が家族映画を見て「やっぱり家族は大切だな」と思ったら、その日のうちに家族へ連絡を取ってみましょう。
戦争映画を見て、胸を打たれたら、鑑賞の後、難民支援団体に寄付をするのもいいでしょう。
恋愛映画を見て心が強くなったら、気になる人にアタックしてみるのです。
実際に行動するのが難しいなら、感想を書くだけでもかまいません。
その映画から得た学びや気づきがあれば、感想として書き留め、記録に残すのです。
感想を書くこともアウトプットであり、立派な行動の1つです。
脳に定着しやすくなり、意識も高まることで、歴史や社会問題への関心が深まるのです。
何でもいいので、映画の力を借りて行動を起こしましょう。
行動こそ、現実を変える手段です。
たとえ小さな行動でも、積み重なることで、いずれ大きなインパクトになります。
「映画鑑賞と行動」をワンセットにすれば、必ず人生は変わります。
あるところに「歴史の勉強は無駄だ」と思う学生がいました。
彼は、歴史の先生に、こう問いかけました。
「なぜ、歴史の勉強をするのですか。歴史の勉強なんて意味がないですよ。過去の話を知ったところで、何の役にも立ちません」
それを聞いた先生は、顔を真っ赤にして、学生の顔を平手で叩きました。
「何をするんですか、先生。痛いじゃないですか」
すると先生は、また生徒の顔を平手で叩きました。
「もうやめてください、先生。何が言いたいんですか」
先生がまた手を振り上げた瞬間、学生は、思いもしない行動に出ました。
平手打ちをしようとする先生の手をつかみ、叩かれるのを防いだのです。
ようやく先生は、口を開きました。
「これが歴史を学ぶ意味だ」と。
歴史を、なぜ学ぶのか。
過去の過ちから、同じ失敗を未然に防ぐためです。
現代の問題の多くは、過去を振り返ると、同じようなパターンが見つかります。
人生80年に対して、人の歴史は2,000年以上もあります。
過去は、現代社会の問題を改善する、回答の宝庫です。
当時の解決策を知ることで、苦しみから抜け出す突破口が見いだせます。
だから、人は、歴史を勉強するのです。
人生に苦しんだときは、歴史の勉強をしましょう。
過去を振り返ると、同じような過ちのパターンが見つかります。
当時の解決策を知ることで、苦しみから抜け出す突破口が見いだせるのです。
歴史を勉強すると、選挙に行きたくなります。
民主主義の実現までに、多くの困難と苦労があったことを思い知るからです。
民主主義も選挙も、最初から当たり前にあったものではありません。
多くの革命があり、多くの戦争がありました。
多くの血が流れ、多くの命が失われ、多くの犠牲を払いました。
民主主義の実現には長い道のりがあり、無数の社会運動を重ねてきました。
そうした壮絶な歴史の末で、ようやく実現したのが、民主主義と選挙です。
自然と得られたものでもなければ、簡単に得られたものでもないのです。
この歴史を知ると、選挙を無視できなくなります。
「これだけの歴史があって、ようやく選挙権を手に入れたんだ」と思うと「選挙に行かなければ!」という気持ちになります。
投票をすっぽかすと、民主化のために命を失った人たちに申し訳がありません。
歴史を学ぶと、選挙権を得るために戦ってきた人たちへのリスペクトが生まれます。
歴史を学べば学ぶほど、選挙に行きたくなるのです。
投票は、あっさり終わります。
投票用紙に名前を書いて、投票箱に入れて終わりです。
一瞬で終わることですが、これができるまでには長い歴史と道のりがありました。
選挙に行くのは少しだけ手間がかかりますが、今まで選挙のために頑張った人の苦労に比べれば大したことありません。
歴史を勉強すると、選挙に行けることがいかにありがたいか思い知ります。
「若い人は投票に行かない、選挙に興味がない」といった声が聞かれます。
若い人でも、歴史を勉強している人は、きちんと投票に足を運んでいます。
大人に比べると少ないだけであり、若い人でも意識の高い人は大勢いるのです。
「私の1票では何も変わらない」と言う人がいます。
変わる・変わらないにかかわらず、選挙には足を運ぶことです。
1票は1票です。
そこには間違いなく社会を変える力があります。
投票日に都合が悪いなら「期日前投票」という手段もあります。
歴史は、知識の詰め込みと思われがちですが、そうではありません。
歴史を勉強すると、ぐっと視野が広がって、意識改革が起こります。
感謝の幅が広がり、平和のありがたさを実感できるようになり、平凡なことでもありがたいと思えるようになります。
過去を知ることは、現在を知ることです。
歴史を勉強すると、おのずと感謝の幅が広がります。
しっかり歴史を勉強して、意識を変えましょう。
有名人になれば孤独から抜け出せると思うなら、大間違いです。
有名人ほど、孤独を感じている存在はありません。
心の穴を埋めるためだけに有名になろうとすると、失敗します。
有名になるのは、孤独になることです。
有名人になると多くの人から愛されそうになりますが、実際は反対です。
有名になるほど、一般人とのギャップが大きくなります。
たしかに知名度は上がりますが、愛されるとは別です。
動物園にパンダを見に行くことはありますが、パンダを愛しているわけではありません。
「うわっ、すごい!」で終わりです。
有名人になるほど、客寄せパンダになります。
有名人は、一般人と立場の差が大きいため、自分の気持ちを理解してくれる人がいなくて、孤独を感じています。
有名人になるほど、一般人とのギャップはさらに大きくなり、自分の気持ちを理解してくれる人が少なくなります。
余計に孤独を感じます。
人間関係には、似通った者同士が、自然と寄り集まる法則があります。
立場が同じなら、気持ちを共有しやすく、心地よいからです。
しかし、あまりに有名になりすぎると、似通った人さえいなくなります。
気持ちを共有できる人が、いなくなります。
なにより有名になるのは、重大なデメリットがあります。
一度有名になってしまうと、無名に戻れないことです。
ある程度有名になると「忘れてください」と言っても、忘れてもらえません。
もう一般人には戻れず、どこへ行っても、客寄せパンダです。
「自分はもう、一生涯孤独なのか」と絶望します。
このとき、真っ暗な孤独を感じるのです。
あまりにも強い孤独に耐えられず、現実を忘れようとして求めるのが、薬物です。
大物俳優やハリウッドスターが薬物に依存してしまうのも、そういう理由からです。
そういう事実を知ったうえでテレビを見ると、有名人を見る目が変わります。
カメラの前では、仕事として明るく元気に振る舞っていますが、実は死ぬほど深い孤独を感じているのです。
なぜ人は、年齢を重ねるにつれて優しくなるのでしょうか。
やらかした経験が増えるからです。
長く生きていると、成功体験だけでなく、失敗体験も増えます。
仕事の失敗、人間関係の失敗、お酒の失敗、お金の失敗など。
40代50代くらいの年齢になれば、誰でもやらかした経験があるものです。
1つや2つどころか、数え切れないくらいあるでしょう。
二度と経験したくないほどの大失敗や、取り返しのつかない大失敗もあるかもしれません。
一定の年齢を重ね、やらかした経験が増えると、だんだん人の失敗に対して寛大になります。
「人のことを言えない」「私も似たような経験がある」となります。
人の失敗に対して、快く許せるようになります。
失敗した人の気持ちにも寄り添えるようになります。
結果として、性格が円くなり、優しくなるのです。
世の中にはとても優しい人がいます。
そういう人は、過去にやらかした経験が山ほどあるのです。
あなたの身近に優しい中高年がいれば、過去にあったトラブルについて聞いてみるといいでしょう。
にこにこしながら、面白い失敗談をたくさん聞かせてくれるでしょう。
優しい顔をした裏では、とんでもない失敗の過去がたくさんあるのです。
逆に言うと、40代50代になって優しくない人は、まだやらかした経験がない人、あるいは少ない人です。
これといった失敗がなく、成功ばかりの人生を歩んでいると、人に厳しく当たってしまいます。
「それくらいできるだろ」「どうしてこんなことができないんだ」「努力をすれば必ずできる」など、パラハラ気味になるのです。
やらかした経験は、ないほうがいいものですが、だからといって全然ないのも良くないのです。
40代50代になって優しくない人は、やらかす経験をしておきましょう。
やらかす経験は、優しくなるために欠かせません。
長く生きるにつれて角が取れていくといいますが、結局のところ、やらかした経験が蓄積されるということです。
失敗をするとき、取り返しの付く範囲でやらかせばいいのです。
取り返しの付く失敗なら、リカバリーが可能です。
リカバリーに大金が必要だったり膨大な時間や労力がかかったりしますが、なんとかなるものです。
やらかしたことがあればあるほど、優しい性格になります。
もっと優しい性格になりたい人は、もっとやらかす経験をしましょう。
どんどん新しいことにチャレンジすればいいのです。
新しいチャレンジをしていれば、知らないこと・わからないことにぶち当たり、おのずとやらかす経験も増えます。
ひどい目に遭って大変ですが、ますます性格が円くなり、もっと優しくなれると思えば、意味はあります。
世界が変わるのを待っていませんか。
「もっと政治が良くなれば、平和になるだろう」
「もっと景気が良くなれば、収入も増えるだろう」
気持ちはわかります。
世界さえ変われば、自分の人生も変わるだろうと思いますよね。
しかし、気の長い話ではありませんか。
法律や習慣など、世界が変わるには長い時間がかかります。
世界が変わるのを待っていれば、人生が終わってしまうでしょう。
しかも良い方向に変わるとは限りません。
悪い方向に変わる可能性もあります。
世界が変わるのを待つより、今すぐ自分を変えればいいのです。
自分を変えるのは、自分しだいです。
自分の努力に応じて、ふさわしい現実が返ってきます。
自分を変えるなら、それほど時間はかかりません。
今すぐ行動するだけです。
政治が良くなるのを待つより、身の回りの人間関係を良くすれば、すぐ平和が手に入ります。
景気が良くなるのを待つより、一生懸命に仕事をしたほうが、収入が上がりやすい。
行動には、現実を変える力があります。
世界が変わるのを待つのは、今日で終わりです。
今からは、自分が変わるようにしましょう。
一人ひとりが自分を変えようとすることで、世界も良い方向へ変わります。