残り時間が少ないからといって諦めてはいけません。
もう逆転できないに決まっているとさじを投げていけません。
どんなに残り時間が少なくても、終了の合図があるまで試合は続いています。
夜空を素早く横切るひとすじの光といえば何でしょうか。
そうです、流れ星です。
夜空を眺めていると、ごくまれに流れ星を見かけることがあるでしょう。
どんなピンチもチャンスに変えてください。
「どうしようもない状況だ」
「ピンチはピンチでどうしようもない」
アクションを起こす前に、タイミングを伺う人がいます。
「もう少し待てば、安くなるかもしれない」
「もう少し待てば、楽になるかもしれない」
試験では、運の要素があります。
ヤマを張ったところがぴったり的中して、高得点が取れることがあります。
たまたま易しい問題が多く出題されることがあります。
ネットでは、アンチから絡まれることがあるかもしれません。
インターネットの特徴である匿名性は、誹謗中傷を助長させることで知られています。
何かと悪口を言うのが好きな人がいるものです。
今日のあなたのチャレンジを申し上げます。
相手のいいところを見つけて、褒めてください。
相手は誰でもかまいません。
問題が発生したとき「トラブル」と決めつけていませんか。
トラブルだと思うと「大変だ!」と焦ってしまい、強く動揺してしまいます。
頭がいっぱいになって、急に余裕が失われます。
人から八つ当たりされた経験はありませんか。
こちらに非はないのに、急に怒鳴られたり強く当たられたりです。
どうやら何か腹立たしいことがあったようです。
努力も何もしていないに、神様に祈る人がいます。
「うまくいきますように!」
「成功しますように!」
クリエイティブな人にとって、ネタ探しは重要です。
クリエイティブといっても、無からアイデアを生み出すわけではありません。
アイデアを生み出すには、ネタやヒントが必要です。
あるところに、レストランでカフェを楽しんでいる人がいました。
午前の仕事が一段落して、しばしお昼休みのひとときを過ごしていました。
昼休みは誰にとってもリラックスタイムです。
「何かアイデアはないだろうか」
うんうんうなって頭をひねっているとき、アイデアが浮かびました。
ところが、平凡なアイデアです。
勝ち目がない戦いに挑むのは愚かなことでしょうか。
必ず負けるとわかっている試合をすることが愚かなことでしょうか。
いいえ、愚かなことではありません。
試合で負けたにもかかわらず、嬉しそうな表情をする選手がいました。
握り拳を作った両手を大きく突き上げて、勝利の喜びを見せています。
白い歯を見せて、涙を流しながら喜んでいます。
「たぶんできないだろう」
そう思うことがあれば、チャンスです。
悪いほうではなく、良いほうに考えてください。
最も不吉な夢といえば、何でしょうか。
何と言っても「自分が死ぬ夢」でしょう。
事故や病気で自分が死んでしまう夢を見て、飛び起きたことがあるかもしれません。
世の中には「スーパースター」と呼ばれる人たちがいます。
スポーツ界のスーパースター、将棋界のスーパースター、映画界のスーパースター、音楽界のスーパースター。
スーパースターには国民的な人気・世界的な人気があります。
学校の試験では、やけに簡単な問題と遭遇することがあります。
「普通の簡単」ではなく「驚くほど簡単」というレベルの試験問題です。
「簡単じゃないか。サービス問題なのだろう。ラッキー!」
あるとき、落とし物を見つけることがあります。
道ばたであったり、お店やトイレの中であったりします。
落とし物を見つけたとき、どうしますか。
大人になってから昔を振り返ったとき、当時の未熟な自分に気づかされることがあります。
マナーを知らなくて恥をかいたことがあるでしょう。
一時の感情に流され、判断を過ったことがあるでしょう。
レッテルを貼る癖がある人を見かけることはありませんか。
レッテルを貼る癖とは、人や物事に対し、偏見や先入観だけで一方的に評価する行為のことをいいます。
たしかにある程度人生を生きていると「こんな生活を送る人はこんな傾向がある」といえる状況もあるでしょう。
若いうちに経験しておきたいのは「長いトンネル」です。
長いトンネルの中にいるときは、本当に不安でたまりません。
不安に押しつぶされそうな日々が続くでしょう。
行動も何もしないで、祈ってばかりの人がいます。
「成績が上がりますように」
「試合で勝てますように」
あるときあなたは初対面の人から自己紹介をされました。
「初めまして。○○といいます。よろしくお願いします」
1対1の場面で自己紹介をされたとき、どんなリアクションをしていますか。
好きなことでお金を稼げるなら、素晴らしいことです。
好きなことができ、そのうえお金までもらえるのですから、文句の付けようがありません。
これ以上幸せなことはないでしょう。
重要な場面では胸を張ってください。
目線は前を向き、少し両肩を引いて背中を反らせ、胸を張り出すポーズを取ります。
プレゼンのときは、胸を張りましょう。
どんな成功も、自分一人の力と思ってはいけません。
どんな成功にも、必ず仲間がいて、支援者がいます。
陰で支える存在がいます。
買いたいものがあってお店に行くと、お目当ての商品が売り切れていることがあります。
欲しかった靴、カバン、洋服、書籍、小物雑貨、生活用品。
「この前あったのに、今日買いに行ったら売り切れていた」ということがあるでしょう。
人生では、諦めなければいけないことがあります。
成果が出ないのに延々と続けるわけではいきません。
なかなか成果が出ないと、建設的な未来が描けません。
残り時間が少ないからといって諦めてはいけません。
もう逆転できないに決まっているとさじを投げていけません。
どんなに残り時間が少なくても、終了の合図があるまで試合は続いています。
奇跡が起こるのはいつも「終了直前」と決まっています。
終了直前には、奇跡の神様がいるからです。
終了直前のシュート。
終了直前のフリーキック。
試合終了直前のワンアクションで得点を決め、逆転勝利を飾ることは珍しくありません。
奇跡の神様は、終了直前にやってきます。
どんなに残り時間が少なくても、諦めてはいけません。
周りは諦めていても、あなただけは奇跡を信じましょう。
諦めの空気が漂っていても、あなただけは諦めないでください。
試合終了まで3秒であれば「まだ3秒ある」と考えることです。
3秒あれば、奇跡は起こります。
たった1秒でも、起こり得るのです。
残り時間が少なくなったら、奇跡の神様を信じてください。
試合終了の合図があるまで、何が何でも諦めないこと。
奇跡の神様は、最後まで諦めない人を応援します。
見えなくても、そこにいるのです。
最後まで諦めなければ、奇跡の神様が舞い降りて、素晴らしい力を与えてくれるのです。
夜空を素早く横切るひとすじの光といえば何でしょうか。
そうです、流れ星です。
夜空を眺めていると、ごくまれに流れ星を見かけることがあるでしょう。
「流れ星が光っている間に願い事をすると、願いが叶う」といわれています。
「あっ、流れ星だ。願い事をしよう!」
流れ星を現れてから願い事を考えるのでは間に合いません。
流れ星が流れるのは一瞬です。
突然現れたと思えば、次の瞬間には消えています。
「早く願い事をしなきゃ!」と思っているうちに終わってしまいます。
流れ星は一瞬の天体ショー。
気づくと、とっくに消えていて、タイミングを逃しているのです。
肩を落とすところですが、がっかりすることはありません。
本当のことを言うと、願い事が間に合わなくてもいいのです。
流れ星を見られること自体が、奇跡的にラッキーなことだからです。
流れ星は、いつでもどこでも見られるものではありません。
ずっと夜空を眺めていても、まったく見られないことが多い。
流れ星を見ることなく、長い時間が過ぎることも少なくありません。
流れ星は、探すものでもつくるものでもありません。
ただひたすら偶然に恵まれるのを待つだけです。
流れ星を見ること自体が非常に低い確率であり、奇跡に近い出来事です。
そんな珍しい一瞬の天体ショーが、偶然目の前で起こったのです。
これをラッキーと言わずして何というのでしょう。
願い事が間に合わなくても、気を落とすことはありません。
流れ星を見ることができたら、それだけで喜んでください。
素晴らしい1日の締めくくりができます。
日記をつけている人なら、今日のネタとしてうってつけです。
流れ星を見ることができただけで、十分ラッキーなのです。
どんなピンチもチャンスに変えてください。
「どうしようもない状況だ」
「ピンチはピンチでどうしようもない」
そう思っているなら誤解です。
チャンスは、ピンチという形でやってきます。
チャンスに変えることができないピンチはありません。
ピンチと思うからピンチであって、チャンスを思えばチャンスになります。
ピンチをチャンスに変えられないのは「ピンチをチャンスに変えられない」と思っているからです。
「ピンチをチャンスに変える! 必ずできる」と思えば、できます。
受け身の姿勢ではなく、攻めの姿勢になりましょう。
頭をひねれば、ピンチをチャンスに変えるアイデアが浮かぶはずです。
笑われてもかっこ悪くてもいいので、とにかく意地でもピンチをチャンスに変えてください。
会社が倒産してピンチに直面したら、ただ途方に暮れるのではありません。
さっと気持ちを切り替え、次の就職先を探してください。
もっと待遇が良くて、もっと自分に合った職場があるはずです。
より良い企業に転職できれば、ピンチをチャンスに変えることができます。
「あのときのピンチがあって良かった。おかげで人生のステージがワンランク上がった」と言えるようになるでしょう。
交際相手から振られたら、ただ泣くばかりではいけません。
「これ以上の人はいない」と思うかもしれませんが、誤解です。
世界は果てしなく広がっていて、まだまだ多くの異性がいます。
前より魅力的な人を見つければ、ピンチをチャンスに変えることができます。
「あのとき失恋して良かった。おかげでもっと魅力的な人と出会えた」と言えるようになるでしょう。
なかなかチャンスに変えられないときもあるかもしれませんが、最後まで諦めてはいけません。
「何が何でもチャンスに変えてやる!」という意気込みが大切です。
ピンチになったからといって、絶望が決定したわけではありません。
まだ時間は残されているはずです。
追い詰められて苦しい状況かもしれませんが、限られた中でできることがあるはずです。
ピンチがやってきたら、ガッツポーズをしましょう。
素晴らしいチャンスがやってきたのです。
アクションを起こす前に、タイミングを伺う人がいます。
「もう少し待てば、安くなるかもしれない」
「もう少し待てば、楽になるかもしれない」
より良い条件のために、タイミングが来るのを今か今かと待っています。
たしかにタイミングによっては、得になったり楽になったりなど、メリットを得られる場合があります。
時には粘り強く待つことも必要です。
タイミングによって、仕事の進み方に違いが出ることがあるのも事実です。
そんなタイミングを伺う人にありがちなパターンがあります。
いざタイミングがやってくると「欲」が出てしまうのです。
「もう少し待てば、もっと良い条件が巡ってくるかもしれない。もうしばらく様子を見てみるか」
つい欲が出て、余計な考えにとらわれてしまい、もうしばらく待つことになります。
そしてタイミングがやってきても、再び欲が出てしまい「もう少し待てば、さらに良い条件が巡ってくるかもしれない」と考えます。
結局行動を先送りしてしまい、なかなか動き出せません。
タイミングを伺っていると、いつまで経ってもアクションを起こせないジレンマに陥ってしまうのです。
恐ろしいのはそれだけではありません。
タイミングを伺っていると、別の人に先を越されるかもしれません。
あるいは、チャンス自体が消滅する恐れもあります。
もたもたしていると、品切れになったり廃盤になったりすることはよくあることです。
思いもよらない事態が起こって、諦めざるを得なくなることもあります。
タイミングを逃してから「あのときに動いておくべきだった」と悔やんでも「時すでに遅し」です。
時間は巻き戻せません。
何かをしたい気持ちになったら、直ちに行動しましょう。
もちろんわざわざ最悪のタイミングで動く必要はありませんが、客観的に良いタイミングなら、さっさとゴーサインを出すことです。
ベストのタイミングではなく、ベターのタイミングで十分。
事情があって今すぐ動けないなら仕方ありませんが、そうでなければ、タイミングを伺うのはかえってハイリスクです。
神様は、もたもたしている人が苦手です。
下手にタイミングを伺ってもたもたしていると「やる気がない」と見なし、チャンスを取り上げます。
何事もスピードが命です。
早く重い腰を上げましょう。
下手にタイミングを伺うより、今すぐ動き出すほうが大事なのです。
試験では、運の要素があります。
ヤマを張ったところがぴったり的中して、高得点が取れることがあります。
たまたま易しい問題が多く出題されることがあります。
本番直前にチェックしたところがたまたま出題されることもあるでしょう。
思った以上の高得点が取れて、合格できることがあるものです。
スポーツにも、運の要素があります。
相手がミスをして、得点できてしまうことがあります。
たまたまその日は調子が良くて、実力以上のパフォーマンスを発揮できることがあります。
本来なら負ける相手にもかかわらず、運が味方して、勝ててしまうことがあるものです。
勉強でもスポーツでも、運の要素があるのは事実です。
だからといって、最初から運を求めるのは良くありません。
運はあくまで運です。
基本的に「ないもの」と考えるのが良いです。
運があることを知ってしまうと、つい期待してしまいます。
運を期待してしまうと、努力をしなくなります。
運頼み・神頼みをするようになり、勉強や練習がおろそかになるのです。
練習をサボる人が試合に勝つことはありません。
勉強をサボる人が試験に合格することもありません。
日頃からこつこつ努力をしているから結果を出せるのであって、勉強や練習をしない人が結果を出すことはありません。
大切なのは「日頃の努力」です。
運を期待して天に祈る暇があれば、日頃から努力をしましょう。
きちんと実力が身についていれば、難しい問題が出題されても回答できます。
強い相手でも打ち負かせます。
これは勉強やスポーツに限った話ではありません。
「仕事運」「恋愛運」という言葉があるように、仕事でも出会いでも何でも運の要素はありますが、最初から運を求めないことです。
運は基本的に「ないもの」と考えるのが妥当です。
運に期待せず、日頃の努力を大切にしてください。
こつこつ地道な努力を積み重ねて、実力を身につけていくことです。
きちんと実力が身についていれば、仕事のチャンスに恵まれたとき、しっかり生かせます。
きちんと自分磨きができていれば、素晴らしい人が目の前に現れたとき、しっかり相手に魅力が伝わって、振り向いてもらえます。
地道な努力を積み重ねることで、実力を身につけていきます。
どんなことにも運の要素は存在しますが、運のことは忘れて取り組むのがベストです。
「運に恵まれたらラッキー」と思うくらいでちょうどいい。
運に頼らなくてもうまくいく状態になっている人が、うまくいきます。
日頃の努力に勝るものはありません。
運は「ないもの」と考え、地道に努力していくことで人生を切り開いていけるのです。
ネットでは、アンチから絡まれることがあるかもしれません。
インターネットの特徴である匿名性は、誹謗中傷を助長させることで知られています。
何かと悪口を言うのが好きな人がいるものです。
根拠のない悪口を言われ、心が傷ついたこともあるかもしれません。
何も悪いことをしていないのに、ばかにされたり反論されたり揚げ足を取られたりして厄介な存在です。
ブログやSNSでアンチに絡まれ、ひどい思いをした人も多いことでしょう。
アンチにはどう対応するのがいいのでしょうか。
基本的な対応は「スルー」です。
反応しないことです。
反論したくても、衝動をぐっと抑えてください。
言い返したくても言い返しません。
そこで真面目に反応すると、アンチは面白がってもっと叩いてきます。
毒を吐くと火に油を注ぐことになり、ますます攻撃がエスカレートしていきます。
時には炎上に発展することも少なくありません。
いらいらしても腹立たしくても、相手にしません。
ぐっとこらえてスルーを貫き、無反応に徹するのが賢明です。
そうすれば、次第にアンチはおとなしくなります。
反応がないと面白くないので、別のところに向かうのです。
ところがここで別の問題が生じます。
アンチを無視で対応しても、ストレスだけはたまります。
アンチは無視できても、ストレスは無視できません。
ひたすら耐えるだけになるので、ストレスはたまっていく一方となります。
アンチに絡まれたときの、上手なストレス解消法があります。
「書くだけ書いて投稿しない」という方法です。
アンチにむっとしたら、反論を書いてください。
本音を書いてかまいません。
毒や暴言を吐いてもOKです。
書いて、書いて、書きまくります。
ただし、投稿しないのです。
書くだけ書いたら、投稿しないで削除します。
スマホやパソコンであれば、ファイルを削除しましょう。
紙であれば、びりびり破ってごみ箱に捨てましょう。
投稿さえしなければ、相手の目に触れることはありません。
証拠も残らないので安心です。
回数制限もなく、気が済むまで何度でもできます。
たっぷり吐き出した感があって、心がすっきりするのです。
今日のあなたのチャレンジを申し上げます。
相手のいいところを見つけて、褒めてください。
相手は誰でもかまいません。
知人や友人、部下や同僚、家族や恋人など、日常で接する人がいるでしょう。
接する人の中からいいところを見つけて、どしどし褒めていくのです。
じっくり相手を観察すれば、何かいいところが見つかります。
仕事のできる同僚なら「仕事が早いですね」という一言が言えるでしょう。
友人に優しく接してもらえたなら「優しいですね」という一言が言えるでしょう。
気が利くなら「気が利きますね」という一言が言えるでしょう。
相手がいつもと違ったネクタイをしていたら「かっこいいネクタイですね」と褒めることができるでしょう。
相手は「よく気づいてくれましたね!」と驚き、喜んでくれるでしょう。
誰でも褒めてくれると嬉しいもの。
たとえ服や持ち物でも、褒められて嬉しくない人はいません。
あなたが上司であれば、部下のいいところを見つけて褒めてください。
あなたが子を持つ親であれば、わが子のいいところを見つけて、本人に伝えてください。
相手の性格でも持ち物でも何でもいいのです。
良いところが1つもない人はいません。
どんな人にも、必ずいいところがあります。
じっくりその人を観察すれば、良いところが見つかるものです。
ただし、目上の人に対しては注意点があります。
褒めるという行為は、上の立場の人が、下の立場・同じ立場の人に向かってすることです。
目上の人を褒めるのは失礼に当たるため、ストレートに褒めるのは避け、少し表現を工夫してください。
褒める代わりに「認める言葉」をおすすめします。
たとえば「さすがですね」「すごいですね」「素晴らしいですね」といった一言がもってこいです。
認める言葉も、褒める言葉と同じように「承認」に当たるため、目上の人はもちろん、誰に対しても喜ばれます。
自分が楽しむつもりで、ぜひトライしてみてください。
相手を褒めても仕方ないと思っているなら誤解です。
「気づきの力」「褒める力」を鍛えるトレーニングになるので、自分のためにもなります。
相手の良いところが見つけて褒めれば、人間関係にもプラスに働き、ますます良いことずくめです。
遊び心を持って、今日のチャレンジを楽しんでいきましょう。
合言葉は「相手の喜びは自分の喜び」です。
相手の喜びを自分の喜びとして考えると、わくわくしながら取り組めます。
問題が発生したとき「トラブル」と決めつけていませんか。
トラブルだと思うと「大変だ!」と焦ってしまい、強く動揺してしまいます。
頭がいっぱいになって、急に余裕が失われます。
パニックになることも少なくありません。
トラブルという言葉には「悪いこと」「あってはならないこと」といったネガティブなニュアンスがあるため、拒否反応が出ます。
ストレスを強く感じてしまうため、やる気が起きなかったり、逃げたい気持ちに駆り立てられたりするのです。
トラブルが発生したら「与えられた試練」と考えるのです。
与えられた試練と思えば「立ち向かうべきだ!」という考えに変わります。
前向きに取り組む気持ちが高まり、トラブル解決のモチベーションも高まります。
ストレスを感じても「試練だからあって当然」と納得でき、踏ん張る力も高まるのです。
人生のあらゆる問題は「与えられた試練」です。
今の自分に必要なことだから、目の前に現れました。
天から与えられた試練に無駄はありません。
それは、今の自分にとってベストなタイミングでしょう。
難易度も、乗り越えられる範囲に収まっているはずです。
目の前の出来事には、何かしらの意味があります。
時には理不尽に感じることもあるかもしれませんが、それをどう意味づけるかは自分で選べます。
「受けて立つ」という考え方で、喜んで取り組みましょう。
難しく感じるかもしれませんが、腹を決めて立ち向かえば、きっと乗り越えられるでしょう。
試練に取り組むことで、自分の課題をあぶり出すきっかけにもなるはずです。
すべてのトラブルは、成長の糧となります。
大変であればあるほど、自分のためになります。
与えられた試練と思えば、ありがたい気持ちさえ湧いてくるのです。
時間がかかってもいいので、ぜひ乗り越えていきましょう。
乗り越えた先には、新しい自分が待っているはずです。
人から八つ当たりされた経験はありませんか。
こちらに非はないのに、急に怒鳴られたり強く当たられたりです。
どうやら何か腹立たしいことがあったようです。
感情のブレーキが弱く、うっかり表に出てしまいました。
その結果、身近な人に八つ当たりです。
いきなり八つ当たりされると不快な気持ちになるところですが、ここはひとつ大人になって「心のコントール」を意識したい。
その人に悪意はありません。
ちょっと油断して、感情を表に出してしまっただけです。
感情のコントロールが緩んで、うっかり八つ当たりをしてしまっただけです。
八つ当たりをしそうになることは、誰にでもあることです。
もちろん八つ当たりは良くないことですが、普通に相手を責めるのも大人げありません。
あなたもいらいらして神経が高ぶっているとき、八つ当たりの衝動に駆られたことがあるでしょう。
人間ですから感情のコントロールが緩むときがあるもの。
つい誰かに当たってしまい、あとから悔やんだ経験があるのではないでしょうか。
ここで大切なのは、大人の発想です。
人に八つ当たりされることがあれば、こう考えてください。
「ストレス解消のお手伝いができた」と。
相手はあなたに八つ当たりしたことで、少しだけストレスを解消できたでしょう。
八つ当たりされるとストレスを感じるところですが、相手のストレス解消のお手伝いができたと思えば、意義が生まれます。
あなたに八つ当たりしたことでストレスが軽くなり、ほかの人に八つ当たりしないで済んだかもしれません。
ぶつけられたストレスは、さらりと受け流すようにしましょう。
悪意があったわけではありません。
ただの八つ当たりですから、深く気にしたところで仕方ありません。
「何か嫌なことがあったのですね」と思えばいいこと。
八つ当たりされても、気にしなければ、ノーダメージです。
自分は特にダメージがなく、相手のストレス解消をお手伝いできたことになります。
これが超ポジティブです。
能天気な考えと思う人もいるかもしれませんが、少なくとも前向きです。
前向きな考え方をすることで、心の折り合いが付きます。
八つ当たりをした人は、しばらくすれば、われに返るはずです。
自分の愚かな行動に気づいて、反省するに違いありません。
あなたが大人の対応をすることで、それとなく静かに相手を諭すことになるのです。
努力も何もしていないに、神様に祈る人がいます。
「うまくいきますように!」
「成功しますように!」
「合格しますように!」
祈るのは良いのですが、祈るだけでは良くありません。
大切なのは、努力です。
努力も何もしていなければ、残念ですが、神様が振り向くことはありません。
努力がゼロなら、ご利益もゼロです。
運もチャンスも得られないでしょう。
神様を振り向かせたいなら、努力が必要不可欠です。
神様は、努力している人しか振り向きません。
仕事の神様も、学問の神様も、恋愛の神様も、どんな神様も同じです。
神様は、努力している人が好きです。
努力は、神様を引き寄せる磁石です。
努力をしていれば、神様が振り向いて、手を貸してくれます。
見るに見かねて放っておけなくなり、少しだけ実現を援助してくれるのです。
神様を振り向かせたいなら、まず努力をしてください。
無理をする必要はなく、自分にできる範囲のことでいいのです。
自分を信じて、最善を尽くすこと。
一時的な努力ではなく、継続的な努力を心がけていきましょう。
なかなか結果が出なくても諦めないこと。
疲れたときは、休憩です。
充電ができたら、また動き出しましょう。
努力を山のように積み重ねていくことです。
努力、努力、また努力です。
あるとき素晴らしい奇跡に恵まれるのです。
クリエイティブな人にとって、ネタ探しは重要です。
クリエイティブといっても、無からアイデアを生み出すわけではありません。
アイデアを生み出すには、ネタやヒントが必要です。
ネタやヒントを探すため、できるだけいろいろなところを動き回ることが必要です。
では、どういうところでネタ探しをするかというと、特定の場所ではありません。
ネタ探しは、どこか決まった場所でできるものではない。
ありとあらゆる場所でできます。
街を歩いているときは、周囲をきょろきょろ見渡しながらアイデアを探します。
バスや電車に乗っているときも、外の風景や車内広告に目を向けて、ネタを探します。
本を読んでいるときも、映画を見ているときも、音楽を聴いているときも、そこからネタ探しをしています。
たとえ家族と休暇を楽しんでいるときでも、完全にネタ探しを忘れているわけではありません。
アンテナを張っていて、頭の片隅ではネタ探しのことを考えています。
わざわざ意識しなくとも、無意識に行っていることも多い。
そうして何でもない日常から面白いネタを見つけていくのです。
「そこまでするのか!」と思いますが、クリエイティブな人は、このくらいやっているのが普通です。
ネタ探しが日常的になっているので、本人は特別なことだと思っていません。
クリエイティブな脳とは、ネタ探しが無意識の習慣になっていることをいいます。
大変なことに思えますが、アンテナを張っているだけであれば、さほどエネルギーは消耗しません。
クリエイティブな人にとって、ネタ探しに場所は関係ありません。
すべての場所が仕事場です。
どこにでもネタがあると考えています。
意識したところが仕事場になります。
ネタ探しが無意識に行われるようになれば、あなたはすでに立派なアイデアパーソンです。
あるところに、レストランでカフェを楽しんでいる人がいました。
午前の仕事が一段落して、しばしお昼休みのひとときを過ごしていました。
昼休みは誰にとってもリラックスタイムです。
おいしいコーヒーを飲みながらまったりしていて、幸せなひとときを楽しんでいました。
ところが、隣のお客さんの「ある一言」によって事態が一変します。
「頼んだ料理はまだ出てこないの? 時間がないんだ! 早くしてくれ!」
店員さんは「申し訳ございません。すぐお持ちいたしますのでもう少々お待ちください」と深く頭を下げています。
どうやら隣のお客さんは、注文した料理がなかなか出て来なくて困っているようです。
厳しい口調で、しかも大きな声で店員さんにクレームを伝えていました。
その一言で、リラックスタイムは台無しになりました。
安らぎのひとときは、たった一言で簡単に壊れます。
怒鳴り声が聞こえると、いい気がしません。
その人のいらいらした感情が、自分にも伝わってきくるとストレスを感じます。
怒り気味の一言によって、心がざわついて、心地よい気分が吹き飛びました。
せっかくのリラックスタイムが台無しになったので、早々にレストランを立ち去ることになったのです。
クレームを伝えるのはいいのですが、問題は「伝え方」です。
自分の一言が、誰かのリラックスタイムを台無しにすることがあります。
店員さんにクレームを伝えるのはいいのですが、周囲への配慮は必要です。
周りの人は、リラックスタイムを楽しんでいるかもしれません。
商談中のビジネスパーソンがいるかもしれません。
楽しげな家族連れやデート中のカップルもいるかもしれません。
せっかくのリラックスタイムを壊されると、クレームを言う人にもクレームを言いたくなるでしょう。
店員さんにクレームを伝えるなら、周りへの配慮を心がけましょう。
小さな声で伝えたり、優しい口調に整えたりなど、ちょっとした配慮でいいのです。
丁寧な伝え方を心がければ、クレームが周りの人の耳に声が届いても、不快な気分にさせることはありません。
自分の一言が誰かのリラックスタイムを壊さないよう配慮することが大切なのです。
「何かアイデアはないだろうか」
うんうんうなって頭をひねっているとき、アイデアが浮かびました。
ところが、平凡なアイデアです。
ありきたりで、目新しさもゼロ。
ひねりもセンスも面白みもなく、そのままでは使えません。
誰でも思いつきそうなアイデアで、いまひとつでした。
アイデアが浮かんだのはいいのですが、秀逸とはほど遠いことがあるものです。
さて、こんなときどうするか。
「平凡なアイデアで役立たない。不採用にするのがいいだろう」
軽く扱ってしまいそうになりますが、ちょっと待ってください。
こういう場面があれば、ぜひ一度立ち止まってほしい。
それは神様からのヒントです。
思いついたのではありません。
神様から与えてもらったのです。
神様は、アイデアを「完成形」で与えることはありません。
「ヒント」という形で与えます。
あなたが一生懸命頭をひねっているので、神様がちょっとだけ手を貸してくれました。
「頑張って考えているね。よし、ヒントだけ与えてあげよう」
ヒントですから未完成で当然です。
そこから大きく膨らませていくのです。
しっかり磨いて、輝きを出していくのです。
神様から与えられたヒントですから、輝きを放つ可能性を秘めています。
ボツにするのではなく、そこから発展させて、大きく膨らませてください。
「肉付けをする」「工夫を加える」「深掘りをする」など。
大きく膨らませていけば、素晴らしいアイデアに化けます。
平凡なアイデアが秀逸なアイデアに大化けする可能性もゼロではありません。
平凡なアイデアだからといって、軽率に扱わないことです。
神様から与えられたヒントを大切にしましょう。
神様からのヒントを大切にする人は、素晴らしいアイデアに恵まれるのです。
勝ち目がない戦いに挑むのは愚かなことでしょうか。
必ず負けるとわかっている試合をすることが愚かなことでしょうか。
いいえ、愚かなことではありません。
そこに「意味」があればいいのです。
100%勝てないとわかっていても、そこに意味があれば、挑む価値があります。
はるか格上の相手と戦ったところで、実際はまったく歯が立たないでしょう。
子どもが大人と戦うような展開になるはずです。
一方的な試合になり、完膚なきまでに打ちのめされるに違いありません。
それでも意味があればいいのです。
はるか格上の相手は、いわば「お手本」です。
洗練されたプレイを目の当たりにすることで、動き方や取り組む姿勢など、得られることがあるでしょう。
直接対戦することで、トップレベルがどういったものなのかよくわかります。
時に私たちは、勝ち目がなくても、戦いに挑まなければいけないときもあります。
家族のためであったり、愛する者のためであったり、自らのプライドを貫くためであったりです。
自らの威信をかけて戦うときもあります。
自分のレベルに合った人だけが、対戦相手ではありません。
レベルがまったく違う、格上の相手でも、そこに意味があれば、戦わせていただきましょう。
練習試合でも親善試合でもいいのです。
ぼろぼろの負け方をしてもいい。
大敗の中から得られることがあります。
「絶対勝てないのにどうして戦うの?」と聞かれたら「成長のため」「将来のため」「大切な人を守るため」と答えればいい。
そこに意味があれば、挑む価値があるのです。
試合で負けたにもかかわらず、嬉しそうな表情をする選手がいました。
握り拳を作った両手を大きく突き上げて、勝利の喜びを見せています。
白い歯を見せて、涙を流しながら喜んでいます。
審判は「なぜ喜んでいるのか」と意味がわからず、ぽかんと口を開けて見ています。
試合内容を知らない人が、その様子だけを見れば、勝者と敗者を見間違えるに違いありません。
どうしたのでしょうか。
自己新記録を出したのです。
試合には負けましたが、自己新記録を更新できました。
今までなかなかできなかった自己新記録の更新を達成でき、喜びの涙を流しているのです。
どんな試合でも、本当の競争相手は自分です。
競争相手は、敵ではありません。
むしろ味方です。
競争相手は、自己新記録を出すために協力してくれる、お手伝いさんです。
潜在能力を引き出すために、わざわざ手間暇をかけて手伝ってくれています。
相手の協力に報いつつ、自分は自分のことだけに集中しましょう。
自分にできるのは、常に自分を超えることです。
競争相手を間違えていませんか。
本当の競争相手は、他人ではなく、自分です。
常に自己新記録を狙っていれば、競争に苦しむことなく、生きることができます。
自己新記録を追い求めていれば、いずれ世界記録に到達することも不可能ではありません。
「たぶんできないだろう」
そう思うことがあれば、チャンスです。
悪いほうではなく、良いほうに考えてください。
「たぶんできないだろう」ということは、100%不可能というわけではありません。
あくまで可能性が低いにすぎない。
少なからず可能性があります。
可能性がゼロ%で不可能が確定しているなら、諦めるのもわかります。
しかし、わずかでも可能性があるなら話は別です。
そこには光があります。
「たぶんできないだろう」ということは、裏を返せば、わずかな可能性があるといえます。
「たぶんできないだろう」と思うことがあれば「できるかもしれない」と言い換えてください。
これだけで、未来に希望が感じられます。
もちろん普通に取り組むだけでは残念な結果に終わるでしょうが、本腰を入れれば、話は変わるはずです。
しっかり頭に汗をかいて、知恵を絞ります。
すべてを出し切るつもりで、ベストを尽くすのです。
そうすれば、実現の可能性がぐっと上がります。
「回数を重ねる」というシンプルな方法があることも忘れないでください。
10%の可能性があるとします。
10%だけ考えると、低い可能性に思えますが「10回のうち1回うまくいく」と考えるとどうでしょうか。
「10回チャレンジするだけ」と思えば、光が見えてくるはずです。
1%の可能性であれば「100回のうち1回うまくいく」と考えることができるはずです。
回数は必要であり、体力勝負になるかもしれませんが、そういう前向きな考え方が突破口となることもあります。
「たぶんできないだろう」と思うことは「できるかもしれない」ということですから希望を持ってください。
人生では、悪いほうに考えるのではなく、良いほうに考えることが大切です。
「たぶんできないだろう」という心の声が聞こえてきたら「できるかもしれない」に言い換え、建設的な未来を描きましょう。
最も不吉な夢といえば、何でしょうか。
何と言っても「自分が死ぬ夢」でしょう。
事故や病気で自分が死んでしまう夢を見て、飛び起きたことがあるかもしれません。
あるいは、誰かに殺される夢を見たこともあるかもしれません。
「もうダメだ。人生が終わる」と思った瞬間、ぱっと目が覚めます。
「なんだ夢か……」とほっとする。
汗で全身がびっしょりで、心臓の鼓動がばくばくしている。
自分が死ぬ夢を見たら、なんだか不吉な出来事が起こりそうで不安になるかもしれません。
精神的に病んでいるのかなと思ってしまうこともあるでしょう。
後味が悪くて、朝からもやもやするかもしれませんが、ここで大切なことがあります。
死ぬ夢を見たら、喜んでください。
生きていることに感謝する機会にしましょう。
「生きていることはなんて素晴らしいのだろう!」と、生きている実感を味わう機会にするのです。
死ぬ夢から目が覚めたら、まず生きていることを喜んでください。
「ああ、夢で良かった。生きていて良かった!」と。
夢とはいえ軽視できません。
夢でも、疑似体験の1つとしてカウントできます。
現実さながらのリアル体験ができたでしょう。
夢から覚めた瞬間、生きていることがどれだけ素晴らしいことか、身に染みるはずです。
生きているのは当たり前に感じますが、そうとは言い切れません。
普通に生きているのはありがたいことです。
おいしいものを食べたり、趣味に打ち込んだり、友人とおしゃべりを楽しんだりできるのも、命があるおかげです。
仕事や勉強ができるのも、もちろん命があってのこと。
生きているからこそ、この世でいろいろなことができます。
世の中には、生きたくても生きられなかった人もいます。
死ぬ夢を見ると、不吉な予感がするかもしれませんが、あくまで夢にすぎません。
悪夢とはいえ、現実になる根拠はないので安心してください。
命があるのはありがたいこと。
生きているのは素晴らしいこと。
死ぬ恐怖と引き換えに、生きている感謝が得られます。
生きていると大変なこともありますが、それ以上に楽しいこともあります。
死ぬ夢を見たら、生きている喜びを実感する機会にしましょう。
命の尊さを噛み締めることで、現実の見え方が違って見えるはずです。
死ぬ夢が死生観を変えるきっかけになることもあるのです。
世の中には「スーパースター」と呼ばれる人たちがいます。
スポーツ界のスーパースター、将棋界のスーパースター、映画界のスーパースター、音楽界のスーパースター。
スーパースターには国民的な人気・世界的な人気があります。
素晴らしい記録を樹立したり、前代未聞の偉業を成し遂げたりです。
世の中に明るい影響を与え、世間を大いに盛り上げてくれます。
「今後の活躍が楽しみ! 次はどんな活躍を見せてくれるのだろう」をわくわくさせてくれますね。
スーパースターが活躍するニュースを見るたびに元気や勇気をもらえます。
今この瞬間も、素晴らしい記録を打ち立て、世間を明るくしているかもしれません。
スーパースターの活躍ぶりに感動するばかりですが、ここでひとつ気づいてほしいことがあります。
「スーパースターと同じ時代を生きているあなたは運がいい」ということです。
想像してみてください。
生まれた時代がずれていれば、リアルタイムでスーパースターの活躍を楽しめません。
あなたがもっと遅い時代に生まれていれば「過去のスーパースター」として知るだけで終わっていたでしょう。
あなたがもっと早い時代に生まれていれば、そもそも知ることすらなかったでしょう。
リアルタイムでスーパースターの活躍を見ることができるのは、同じ時代を生きているからです。
スーパースターと同じ時代を生きられることは本当に運がいいことです。
あなたとスーパースターには「同じ時代を生きている」という共通点があります。
スーパースターと同じ時代を生きているから、リアルタイムで大活躍を楽しめます。
歴史を塗り替える瞬間に出会えます。
世界的アーティストの生ライブコンサートを楽しんでいるようなものです。
単なる偶然に思うかもしれませんが、最高に運がいいのは間違いありません。
「あのスーパースターと同じ時代を生きているなんて、私はなんて幸せなのだろう」
スーパースターと同じ時代を生きていることに喜びを感じてください。
この時代に産んでくれた親にも感謝してください。
たまたま同じ時代に生まれただけで、最高に運がいい。
素晴らしい奇跡に感謝しましょう。
学校の試験では、やけに簡単な問題と遭遇することがあります。
「普通の簡単」ではなく「驚くほど簡単」というレベルの試験問題です。
「簡単じゃないか。サービス問題なのだろう。ラッキー!」
簡単な問題に喜ぶ人も多いでしょう。
しかし、簡単と決めつけるのは早い。
深く考えることなくさっと解答用紙に書き込みたくなりますが、ここには落とし穴があります。
たいていこの手のパターンは「引っかけ問題」です。
簡単と見せかけることで試験者を油断させ、引っかける狙いがあります。
ときどき試験では、こういう引っかけ問題が出題され、惑わされることがありますね。
難しい問題があるなか、急に簡単な問題が混じっていると、ますます不自然に感じられます。
試験慣れしている人であれば「妙に簡単な問題=怪しい」と直感が働くようになります。
簡単すぎる問題があれば、さっと解答するのではありません。
もう一度問題文をよく読み、何か見落としていることがないか、しっかり確認することが大切です。
「なるほど、こういう裏があったのか?! 危ないところだった!」
見落とし部分が見つかるに違いありません。
試験慣れしている人であれば「簡単すぎる問題には要注意」ということを感覚的にわかっているのではないでしょうか。
これは試験に限った話ではありません。
人生でも起こることです。
あるときあなたの目の前に「簡単すぎる問題」が現れるかもしれません。
「なんだ、簡単だね。すぐできるね」
簡単な問題だからといって油断してはいけません。
さっさと処理したくなるかもしれませんが、要注意です。
それは、神様からの引っかけ問題です。
深く考えることなく取り組むと、思いもよらないエラーを引き起こすことになるでしょう。
後になって「まんまとやられた!」と後悔することになるのがオチです。
簡単すぎる問題があれば、喜ぶのではありません。
「引っかけ問題ではないか。何か見落としていることはないか」と考えてください。
じっくり問題と向き合って、本当にこれでいいのか、もう一度よく確認してみてください。
仕事の裏を読んだり、相手の意図を考えたりです。
よく確認してみると「おや?!」と思うところが見つかるかもしれません。
引っかけ問題に引っかかってはいけません。
「簡単すぎる問題には要注意」という感覚を、試験だけでなく、人生にも生かしてください。
引っかけ問題に強い人は、人生でもうまくいくのです。
あるとき、落とし物を見つけることがあります。
道ばたであったり、お店やトイレの中であったりします。
落とし物を見つけたとき、どうしますか。
そのままほうっておくのも悪くないでしょう。
自分のものではないのですから、放置していても問題ありません。
しかし、できることなら、きちんと拾って届けることをおすすめします。
いざ自分が落とし物をしたとき、神様が味方をしてくれるからです。
街で落とし物を見つけたら、交番に届けましょう。
お店の中で落とし物を見つけたら、お店の人に届けましょう。
誰も見ていないようですが、実はきちんと見ている存在がいます。
神様です。
神様は、いつでもどこでも、あなたをきちんと見ています。
落とし物を拾って届ければ、神様がにっこりうなずいてくれます。
「素晴らしいね」
「いいことをしたね」
「きっと相手に喜ばれるよ」
あなたの良識と行動力を褒めたたえるでしょう。
すると神様は、あなたの味方になってくれます。
自分が落とし物をしたとき、神様が捜し物を見つける手助けをしてくれ、きちんと戻ってくるのです。
落とし物を見つけたら、いつか自分が落とし物をしたときのためにも、きちんと届けましょう。
たとえお金やお財布を拾ったとしても心がけることは同じです。
自分の良心が試される瞬間です。
よこしまな考えが浮かんでもしっかり振り払いましょう。
自分の良心に従って正しい行いをするだけです。
ちょっとしたボランティア活動と思えばいい。
届ける手間暇は少しかかりますが、少なくとも社会的に良い行いであるのは間違いありません。
ないことに気づいた本人は、きちんと捜し物が見つかってほっとするでしょう。
大人になってから昔を振り返ったとき、当時の未熟な自分に気づかされることがあります。
マナーを知らなくて恥をかいたことがあるでしょう。
一時の感情に流され、判断を過ったことがあるでしょう。
若さの勢いで無分別な行いに走ったことがあるでしょう。
自我が強かったり、精神的に未熟だったり、社会常識が足りなかったり、感情のコントロールが下手だったりなど。
当時はそれが正しいと思っていても、あとから振り返ると「間違っていた」と悔やむことがあるでしょう。
そのときは真剣に振る舞っているつもりでも、客観的に見ると、空回りということがあります。
未熟な時期は、未熟なことすら気づけません。
何が良くて何が悪いのか、区別したくてもできないことが多い。
大人になってから昔を振り返ると「あのときは子どもだった」を赤面することがあるものです。
ここで気づいてほしいことがあります。
「あのときは子どもだった」と思うのは、それだけ大人に成長した証拠です。
たしかに当時は未熟だったかもしれませんが、少なくとも当時より大人に成長できているということ。
より大人に成長できていることは喜ばしいことです。
大切なのは、今の成長を喜ぶことです。
子どもだった過去を悔やむのではありません。
昔の未熟な自分を恥じるより、成長した今の自分を喜びましょう。
「あのときは子どもだった」と思うことがたくさんあれば、それだけ多くの点で大人に成長したといえます。
自分の成長に気づけば、自分に自信がつきます。
忘れてはならないのは「これからも成長は続く」ということです。
成長は今ここで終わるのではありません。
今後ともずっと続きます。
もちろんぼうっとしていては変わりませんが、きちんと自己研鑽を積んでいけば、まだまだこれからも成長の連続です。
今すっかり成長したつもりでも、数十年後に振り返ると「あのときは子どもだった」と思うことになるはずです。
これは仕方ありません。
むしろそれでいいのです。
どんどん成長を続けていれば、過去を振り返るたびに「あのときは子どもだった」の繰り返しになります。
大切なのは「引き続き自己研鑽を積んでいくこと」です。
10年後20年後に振り返ったとき、少しでも恥が小さくなるよう、今を真剣に生き、引き続き自己研鑽を積んでいきましょう。
恥をゼロにすることはできませんが、減らすことならできるはずです。
成長を続けるかぎり、過去を振り返ると、自分の未熟さに気づかされますが、それをよしとすることです。
今ここで成長を止めるのではなく、これからも成長を続けていきましょう。
肉体面の衰えは年齢に関係しますが、精神面や人間性の成長は年齢に関係しません。
過去を振り返って恥じることがあるのは、きちんと成長の階段を上っている証拠なのです。
レッテルを貼る癖がある人を見かけることはありませんか。
レッテルを貼る癖とは、人や物事に対し、偏見や先入観だけで一方的に評価する行為のことをいいます。
たしかにある程度人生を生きていると「こんな生活を送る人はこんな傾向がある」といえる状況もあるでしょう。
今まで見聞きしたことから、一定のイメージや経験則が形成されるものです。
しかしだからといって、一概に決めつけるのも良くありません。
世の中には、すぐレッテルを貼ってしまう人がいます。
もちろんどれも偏見であり、誤った認識です。
相関関係がゼロとは言い切れず、一部にそういう人たちもいるかもしれません。
だからといって、決めつけたようにレッテルを貼るのは注意が必要です。
レッテルを貼ることの怖さは、視野をぐっと狭めてしまうことにあります。
レッテルを貼ってしまうと、そういう見方しかできなくなり、自分で自分の見え方や感じ方を固定させてしまいます。
いったん自分の中でイメージが定着すると、なかなか解消が難しくなります。
レッテルを貼ることが癖になっていると、固定観念にとらわれることが多くなり、柔軟な思考を妨げるのです。
私たちを取り巻く環境には、さまざまな例外があります。
人は状況でいくらでも変わります。
レッテルを貼る癖があると、一面的な見方しかできなくなります。
「思い込みが強くなった自分」となってしまい、人付き合いに悪い影響を及ぼしてしまうのです。
一度嘘をついただけで「裏切り者」のレッテルを貼るのは大げさです。
人なら誰でも嘘をつくことがあります。
励ましや勇気づけのために、優しい嘘をつくこともあるでしょう。
不登校の生徒に対して「怠け者」のレッテルを貼るのも誤りです。
登校の意思があっても、健康問題や家庭事情があって難しいのかもしれません。
就職をしない人に対して「社会不適合者」のレッテルを貼るのは早合点です。
しばらく充電期間としてのんびりしていることもあるでしょう。
仕事を探しているものの、なかなか見つからないだけかもしれません。
事情があって、仕事ができない状況もあり得ます。
毎日お酒を飲んでいる人に対して「アルコール依存症」のレッテルを貼るのも要注意です。
毎日お酒を飲む人は珍しいことではありません。
「飲みニケーション」という言葉があるように、お酒にはコミュニケーションを円滑にする働きもあります。
もちろん酔いつぶれるまで飲むのはNGですが、きちんと適量を守った、節度ある飲み方をしているなら問題ありません。
柔軟な思考を手に入れたいなら、レッテルを貼る癖をやめてしまうことです。
心当たりがあれば、今すぐ見直しをおすすめします。
真っ白な頭で見る癖をつけましょう。
若いうちに経験しておきたいのは「長いトンネル」です。
長いトンネルの中にいるときは、本当に不安でたまりません。
不安に押しつぶされそうな日々が続くでしょう。
必死にもがいているにもかかわらず、なかなか思うようにいきません。
迷子になっているような感覚に陥ります。
ずっと暗闇が続いていると、なかなか希望が持てなくなってきます。
思い返したくないような出来事も少なくないはずです。
長いトンネルにいると、とてつもない不安が襲ってきます。
永遠に続くような気がしてめいってしまいます。
いくら進んでも出口の光が見えないと「死ぬまで一生トンネルの中にいるのではないか」と絶望感を覚えるのです。
しかし、どんなに長いトンネルも、必ずいつか抜けるときがやってきます。
出口のないトンネルはないように、人生の長いトンネルも、いつかは出口の光が見え、抜ける日がやってきます。
時間はかかるかもしれませんが、必ずいつか出口があるのです。
ひとたびトンネルから抜け出せば、状況も感じ方も一転します。
明るい世界が広がって、人生のステージが変わったことがわかります。
長いトンネルは過去のものとなり、良い思い出と変わるのです。
長いトンネルと聞くとネガティブに捉える人がいますが、一概に悪いものではありません。
長いトンネルを経験することで、抜け出した後は、価値観が一変します。
何でも幸せや感謝を感じます。
普通のことや当たり前のことでも恵まれていると感じて、感謝の念を覚えるのです。
大変なことがあっても「あのときの長いトンネルに比べれば」と思うことで、粘り強さが養われます。
トンネルが長い分だけ、抜け出した後は大きく飛躍します。
長いトンネルにいる時間は、つらくて苦しいですが、大切にしてください。
つらくて苦しいほど、あとから良い思い出となります。
たっぷり苦しさを味わった分だけ、抜け出したときの解放感は最高です。
大切なことは「前進を続けること」です。
なかなか出口が見えなくても、どれだけ暗い闇の中にいても、足を止めることだけはやめないでください。
出口のあるトンネルも、前進をやめたら抜け出せなくなります。
前進をしていれば、必ずいつか抜け出せます。
見えない出口に向かって進んでいれば、いつか出口が見えてきます。
それだけのことです。
1歩でも2歩でもいいので、少しずつ前進していきましょう。
這ってでもいいので、前に進み続けることです。
どんなに長いトンネルも、前進を続けていれば、いつか抜けるときがやってくるのです。
行動も何もしないで、祈ってばかりの人がいます。
「成績が上がりますように」
「試合で勝てますように」
「すてきな出会いがありますように」
もちろん祈ることが悪いわけではありません。
祈ることで心が落ち着いたり前向きな気持ちになれたりすることがあるでしょう。
きちんと具体的なアクションを起こしつつ、そのうえで祈るのであればまだいいのです。
しかし問題なのは「行動も何もしないで祈っているだけ」というケースです。
残念ですが、祈ってばかりでは現実は変わりません。
不毛な時間が過ぎるばかりで、明るい未来もやってきません。
現実を変えるのは、一にも二にも「行動」です。
「成績が上がりますように」と祈っているだけでは、成績は上がりません。
成績を上げるためには、まず勉強に打ち込むことが必要です。
勉強するから成績が上がり、成績が上がるから試験に合格できます。
「試合で勝てますように」と祈っているだけでは、試合には勝てません。
試合に勝つためには、まずしっかり練習を積み重ねて実力をつけることです。
練習の数をこなして上達するから強くなることができ、実力があるから勝利を手にできます。
「すてきな出会いがありますように」と祈っているだけでは、出会いはありません。
出会うためには、出会いの場に足を運ぶことが必要です。
必ず運命の人と出会えるとは限りませんが、少なくともじっとしているよりは可能性があります。
祈る暇があれば、まず行動することです。
祈る時間はなくてもいいのです。
現実的な話でいうと、祈る時間がゼロでも、きちんと勉強ができていれば合格します。
しっかり練習して実力が身についていれば、試合には勝てます。
きちんと出会いの場に足を運んでいれば、誰かと出会えます。
現実を変えるのは、行動しかありません。
具体的なアクションに取り組み、足と手をたくさん動かしていくことです。
やるべきことをすべてやったうえで祈るのなら、素晴らしい未来がやってくるでしょう。
祈るのは、やるべきことをすべてやってからするものなのです。
あるときあなたは初対面の人から自己紹介をされました。
「初めまして。○○といいます。よろしくお願いします」
1対1の場面で自己紹介をされたとき、どんなリアクションをしていますか。
「はい、よろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします」
こうした返事で終わらせていないでしょうか。
丁寧な返事に思うかもしれません。
いたって普通で問題ないように思えますが、実はNGポイントがあります。
「よろしくお願いします」という返事だけは物足りない。
一方的な自己紹介になっているのです。
おそらく相手はもやもやした気持ちになっているでしょう。
相手は心の中で「名前がわからない」「自己紹介を返してくれないのだろうか」と思っているはずです。
「名乗れないような事情でもあるのだろうか」と不信感を覚え、余計な邪推を巡らせているかもしれません。
自己紹介でつまずくと、第一印象に影響します。
これはプライベートで起こりがちです。
ビジネスでは名刺交換をするので、お互いの名前がわかります。
一方、プライベートでは基本的に名刺交換がないため、自己紹介をされたらそのまま終わりになるケースがあります。
いつの間にか一方的な自己紹介で終わってしまうケースがあるのです。
自己紹介には、自己紹介を返すのがマナーです。
相手から自己紹介をされたら、こちらも自己紹介を返しましょう。
「初めまして。○○といいます。よろしくお願いします」と返すだけです。
名前は、フルネームが基本です。
自己紹介に自己紹介で返すのは、自己開示の1つです。
自己紹介も、朝の挨拶と同様「先手」を心がけたい。
出会ったら、こちらから先に自己紹介です。
相手も自己紹介で返してくれるはずです。
お互いの名前がわかることで、スムーズに知り合えます。
初対面の印象が良くなって、話が弾むのです。
好きなことでお金を稼げるなら、素晴らしいことです。
好きなことができ、そのうえお金までもらえるのですから、文句の付けようがありません。
これ以上幸せなことはないでしょう。
「こんなうまい話があっていいのか」と思うはずです。
夢のような話で信じられないかもしれませんが、好きなことでお金を稼ぎながら生きていくことは可能です。
世の中には、好きなことでお金を稼いでいる人たちがいます。
もちろん簡単なことではなく、人一倍の努力が必要ですが、そういう生き方もあります。
好きなことを仕事にすることで、趣味を越えた働き方が可能になります。
仕事もプライベートも充実するので、バラ色の人生となります。
しかし、本当のことを言うと、お金が稼げなくてもいいのです。
好きなことができてさえいれば、お金を稼げなくても、幸せです。
お金を失う一方でもかまわない。
好きなことができているからです。
好きなことができれば、お金を得ようと失おうと、楽しみや喜びが得られます。
大きな満足感と充実感が得られます。
好きなことができている時点で、幸せの条件を満たしているのです。
お金を稼げるかどうかにこだわってはいけません。
お金が基準になると、心が曇ってしまい「自分の正直な気持ち」「自分らしい生き方」が見えなくなります。
いちばん大切なことは「好きなことができているかどうか」です。
好きなことさえできていれば、稼げても稼げなくても、幸せです。
お金を失う一方でも、幸せことなのです。
重要な場面では胸を張ってください。
目線は前を向き、少し両肩を引いて背中を反らせ、胸を張り出すポーズを取ります。
プレゼンのときは、胸を張りましょう。
大切な試合に臨むときも、胸を張りましょう。
好きな人に愛の告白するときも、胸を張りましょう。
会議で発言するときも、難しい相手と交渉するときも、胸を張ってください。
自信がなくてもいいのです。
「自信がないのに胸を張るなんてできない」と思うかもしれませんが、それは思い込みです。
演技でも虚勢でもいいのです。
どれだけ自信がなくても、胸を張るくらいならできるはずです。
人間とは不思議なもので、見た目から印象を受ける部分があります。
胸を張ると、自信のある姿となり、かっこよくなります。
アメリカの心理学者アルバート・メラビアンが提唱した「メラビアンの法則」があります。
これは、人とコミュニケーションを取る際、言語・聴覚・視覚の3つの情報から判断していると仮定し、その割合を示した法則です。
メラビアンの法則によると、相手から受ける印象は次の割合とされています。
この結果を見てわかるとおり、見た目からの視覚情報が印象の大部分を占めています。
胸を張っているだけで自信のある印象を与えることができるため、物事がスムーズに運びやすくなるのです。
胸を張るメリットはこれだけではありません。
実際に内面にも、胸を張っているだけで自信がみなぎるというポジティブな効果が確認されています。
胸を張る姿勢になると「テストステロン」の分泌が促されるようになります。
テストステロンは男性ホルモンの一種であり、意欲や闘争心を高め、人をアグレッシブにさせることがわかっています。
この結果、最初は自信がなくても、胸を張っているうちにだんだん自信が湧き上がってくるようになります。
胸を張るだけでこれだけのメリットが享受できるのですから、心がけておかないと損です。
合言葉は「自信がないときこそ胸を張る」です。
重要な場面であればあるほど、胸を張ることが欠かせません。
演技や虚勢でいいのです。
どれだけ自信がなくても、胸を張るくらいならできるはずです。
自信がないときこそ、胸を張りましょう。
どんな成功も、自分一人の力と思ってはいけません。
どんな成功にも、必ず仲間がいて、支援者がいます。
陰で支える存在がいます。
実際は多くの人による支えや応援があります。
手伝ってくれた人たちのおかげです。
励ましてくれた人のおかげです。
導いてくれた人のおかげです。
直接、手を貸してもらうことはなくてもいいのです。
直接的ではなく、間接的に助けてもらったこともあるはずです。
見えるところで支えてくれた人もいれば、陰で支えてくれた人もいるでしょう。
優しく見守ってくれる人もいたかもしれません。
家族やファンなど、遠くから応援してくれた存在もあるでしょう。
たとえ誰にも頼らず、自分一人の力で成功したとしても、この考え方は同じです。
自分一人の力のように見えるだけであり、実際には多くのサポートが存在しています。
人とは限らず、本や道具があったおかげということもあります。
本や道具のおかげということは、それを生み出した人のおかげでもあります。
かわいいペットのおかげで毎日癒やされたなら、そのペットも陰で支えてくれた存在の1つということになります。
自分一人の力でうまくいったと思うのは傲慢な考えです。
これほど恥ずかしいことはありません。
自分一人の力でうまくいったと思うと、支えてくれた人は残念に思います。
どんな成功も、自分一人の力で成し遂げることはありません。
成功を自分一人の力と勘違いしていると、あとから大きなしっぺ返しを食らうことになります。
人望がなくなってしまい、仲間や協力者が離れます。
自分一人の力と思ったら、その成功は長続きしません。
堕落するのは時間の問題。
次から応援されなくなり、近いうちに失敗をすることになるのです。
成功したとき、支えてくれた人たちの存在を忘れてはなりません。
陰で目立たない存在かもしれませんが、支えのおかげで成功できました。
どんな成功も、協力や応援など、支えてくれた人が存在しています。
支えてくれた人がいるおかげで、うまくいきました。
成功をしたときは「自分一人の力」と考えるのではなく「支えてくれた人のおかげ」と思ってください。
支えてくれた人に気づき、きちんと頭を下げ、しっかり感謝を伝えたい。
人だけでなく、本や道具にも目を向けることが大切です。
支えてくれた人に感謝する人は、次も成功します。
買いたいものがあってお店に行くと、お目当ての商品が売り切れていることがあります。
欲しかった靴、カバン、洋服、書籍、小物雑貨、生活用品。
「この前あったのに、今日買いに行ったら売り切れていた」ということがあるでしょう。
ちょっとがっかりする瞬間ですね。
前回見たときは同じものがいくつもあって大丈夫だと思っても、数日たてば売り切れることがあるもの。
自分が「いいな」「欲しいな」と思うものは、ほかの人も「いいな」「欲しいな」と思うもの。
特に人気商品は、在庫があってもあっという間に売り切れることがあります。
ぎりぎり間に合わないと、人に先を越された感じがあるでしょう。
「あのとき買っておけば良かった」と悔やむ瞬間です。
さて、この後の行動が大切です。
「なんだ、売り切れか。残念だなあ」
そそくさ諦め、のこのこ帰っていないでしょうか。
それほど欲しくないものなら仕方ないで済ませるのもありですが、本当に欲しいものなら話は別です。
簡単に諦めてはいけません。
本当に欲しいものなら、あなたの意地を見せる場面です。
売り切れであれば、あらためて注文・取り寄せをすればいいのです。
「売り切れなら仕方ない」ではなく「売り切れなら注文・取り寄せ」という考え方を身につけてください。
大半の商品は、注文を受け付けてくれるはずです。
その店舗では売り切れていても、他店舗であればまだ在庫が残っている可能性があります。
お店の人にお願いすれば、他店舗から取り寄せてもらえることがあります。
注文や取り寄せに別途費用がかかってもいいのです。
お金で解決できるだけ幸いと思ってください。
注文や取り寄せをためらう必要はありません。
お店にとって売上になるのですから、喜んで受け付けてくれるはずです。
手に入れるまでに少し時間はかかりますが、ちょっと待てばいいだけです。
「申し訳ございません。売り切れです」と言われたら、間髪入れず「じゃあ、注文かお取り寄せをお願いします」と返しましょう。
これが諦めない力です。
欲しいものを手に入れられるかどうかは、幸せになれるかどうかです。
小さなことかもしれませんが、こういうところで人生の質に影響します。
欲しいものを手に入れれば、あなたは幸せになれます。
人生では、諦めなければいけないことがあります。
成果が出ないのに延々と続けるわけではいきません。
なかなか成果が出ないと、建設的な未来が描けません。
人生が停滞して、不毛な時間ばかりが過ぎていきます。
若さが失われていき、老いが近づいてきます。
成果の出ない日々が続くと「どこかで諦め、方向転換しなければいけない」という現実に直面するでしょう。
諦めてもいいのです。
ただし諦めるなら、最後にやってほしいことがあります。
最後にもう一度だけ、チャレンジしてみてください。
普通にチャレンジするのではありません。
すべてを出し切るつもりでチャレンジするのです。
諦める前にもう一度、すべてを出し切るつもりでチャレンジしましょう。
気力・体力・精神力をすべて出し切ってください。
全力を尽くし、燃え尽きるようにチャレンジすることです。
「これでダメなら諦める!」と覚悟を決め、本気モードのスイッチを入れ、完全燃焼を目指してください。
もちろん全力で取り組んだところで、普段と同じ残念な結果で終わることもあります。
そのときは仕方ありません。
全力で取り組んだ結果うまくいかなければ、やりきった形となって納得できます。
人生に区切りを付けて、すがすがしい気持ちで方向転換ができるでしょう。
しかし、思いのほかうまくいくことがあります。
「これが最後」と思えば、怖いものがなくなり、すさまじいパワーを発揮します。
底力が生まれ、常識では考えられないほどの並外れたパワーを発揮できるでしょう。
映画でも漫画でもドラマでも、奇跡が起こるのは「最後の1回」と決まっています。
なぜ奇跡は、いつも最後に起こるのか。
すべてを出し切るつもりでチャレンジしているからです。
人はい良いよ追い詰められると、すさまじい力を発揮します。
「これが最後だ!」と思うと、馬鹿力のスイッチが入って、パワーアップの変身が実現します。
ワンランクもツーランクも高い力を発揮できるようになり、結果として奇跡が起こってしまうのです。
あなたの身にも同じことが起こる可能性は十分考えられます。
諦めるなら、最後にもう一度、すべてを出し切るつもりでチャレンジしましょう。
目指せ、完全燃焼!
アクセルペダルを底まで踏み込み、100%全力で突き進むのみです。
素晴らしい奇跡が起こるかもしれないのです。