「純粋は、先天的なもの」
「純粋は、生まれつきの性格」
「純粋は、内面的なことだから、今さら変えようがない」
純粋を「生まれつきの性格」と決めつけていないでしょうか。
たしかに私たちの日常生活では「純粋な性格」というフレーズがよく聞かれます。
「あの人は純粋だよね」
「なんて純粋な人なのだろう」
「子どものように純粋になりたいな」
一度は言ったことがあるセリフではないでしょうか。
「あの人は純粋だね」と聞けば、「純粋な性格なのだな」と思うでしょう。
生まれつきの性格の問題であれば、後天的に変えるのは難しいように思われます。
しかし、ここに誤解があります。
私たちはみんな、子どものころ純粋でした。
あなたの子ども時代を思い出してください。
本音で話していたでしょう。
素直に人の言うことを聞いていたでしょう。
嬉しいことがあれば、人目を気にせず、大喜びしていたでしょう。
偏見や固定観念を持たず、そのまま吸収していたでしょう。
間違ったことをしてしまったら、素直に謝っていたでしょう。
人のアドバイスには、純粋に従っていました。
打算や損得勘定を考えることもなかったはずです。
あなたは昔、きらきら輝くほど純粋だったはずです。
私たちは本来、純粋なのです。
ところが成長過程において、少しずつ心持ちが変わっていくことがあります。
悪い情報を知って、ショックを受ける。
騙されたり裏切られたりして、不信感が募る。
社会の裏側・世の中の不条理・人生の不公平に気づいて、失望する。
衝撃的な出来事によってトラウマができることもあるでしょう。
気づくと、いつの間にか純粋を失っていることがあるのです。
ここで気づいてください。
純粋とは、生まれつきの性格ではありません。
もちろん才能でもない。
純粋は、遺伝も関係ありません。
「誠実」「協調性」という遺伝子は見つかっていますが「純粋」という遺伝子は見つかっていません。
純粋とは、心持ちであり、行動習慣です。
純粋になるのではありません。
純粋を取り戻すのです。
純粋は、本人の意識と努力によって取り戻せます。
たとえば、本音で話す習慣です。
本音で話す習慣は、性格に関係なく、本人の心がけで実現できます。
相手を傷つけそうな言葉なら、言葉を選んだうえで本音を話すようにすればいいでしょう。
本音を話す習慣があれば、自然と純粋な雰囲気が出てきます。
違和感のある意見でも、否定せず聞き入れるのは、意識をすることで実現できます。
「これは自分に足りない考え方」と受け入れれば、違和感のある意見でも、スムーズに受け入れられるでしょう。
相手の話を否定せず「なるほど」「そういう考え方もありますね」と受け入れれば、純粋な印象も出てきます。
人目を気にせず、自分らしく振る舞うことも大切です。
人目が気になっても「人は人、自分は自分」という哲学を思い出すことで、自分に集中することができます。
自分らしく振る舞っていれば、心がまっすぐになっていき、純粋を取り戻していけます。
本来これらの習慣は、昔できていたはずです。
昔できていたのですから、性格の問題ではなく、意識的な取り組みによって実現できます。
大人になってからでも、純粋を取り戻すことが可能です。
「自分の心は汚れている」という自覚のある人でも、諦めないでください。
ふてくされていると、ますます純粋になれません。
たとえ純粋を失った人でも、昔の自分を思い出して意識的に取り組めば、純粋を取り戻すことが可能なのです。