学生時代に、貧乏ゆすりが癖になっている人が、1人はいるものです。
私の学生時代にも、地震が起こるくらいの貧乏ゆすりをする人がいました。
授業中でしたから、余計に目立ちます。
集中ができなくて困りました。
動きも気になるし、繰り返される貧乏ゆすりの音も小さい音なのですが、周りの人は気になってしまうものです。
食事中にも同じことが言えます。
食事中に貧乏ゆすりをしてしまっては、下品に見えます。
別に罪を犯しているわけではないのですが、少なくともかっこいい食事マナーとは言えません。
私の家庭では、貧乏ゆすりをしながら食事をすると、父のげんこつが飛んできます。
「みっともない。やめなさい」と、小さいころはよく叱られたものです。
父は食事のマナーには、人一倍気を使う人です。
食事マナーを知らない恥ずかしい人間になってほしくなかったのでしょう。
小さいころから私の家は、作法にうるさい家庭でした。
私も父に似ていて、貧乏ゆすりには敏感です。
小さいころの親の影響とは、大きいものです。
親の哲学が、子どもの哲学になります。
貧乏ゆすりをしている人を見ると、その人の親も貧乏ゆすりをしてしまう人なのかと思います。
貧乏ゆすりをする親になっては、子どもにも貧乏ゆすりが移ってしまいます。
これから生まれるであろう子どものためにも、今から貧乏ゆすりをやめるように心がけましょう。