これまでの修行といえば「山奥ですること」というイメージがあります。
髪を剃って、山奥のお寺にこもり、座禅や滝に打たれて修行をするというイメージが、今も根強くあります。
宗教では、そういう特色を持って修行を進めているところが少なくありません。
修行とは「悟ること」です。
「人生で大切なこと」
「宇宙の法則に気づくこと」
「自分が生かされていること」
これらに気づき、体感・体現することです。
都会の雑踏の中では、誘惑や刺激が強く、心の内面に意識を向けにくいので、刺激の乏しい山奥が好まれています。
しかし、山奥のお寺にこもり、座禅や滝に打たれないと悟れないのかというと、そうではありません。
悟れるか否かの最も重要なポイントは「静かな1人の時間があるかどうか」です。
「1人で静かな時間」があれば、場所や時間は、どこでもいつでもいい。
1人で静かな時間を持つと、人生について落ち着いて考え直し、見つめ直せます。
山での修行が大切なのは、そうした静かな1人の時間の環境を、容易に手に入れることができるからです。
しかし、です。
たしかに山での人生修行も大切ですが、やはり主体は「現実世界」です。
いくら山で修行を積んで人生を悟った気になっても、実際の浮世の世界でうまくいかないのでは、意味がありません。
悟りを開き、かつ、都会の雑踏の中でもうまく社会生活が送れることが、最も理想的ですね。
山奥で悟っても、浮世の世界に帰って元どおりになるのでは意味がありません。
修行はすでに、今、そこですぐできます。
むしろ雑踏の中のほうが、修行に適しています。
雑踏の中のほうが、たくさんの人との出会い、誘惑、物、出来事があるからです。
足りないとするならば「静かに自分を振り返る時間」だけです。
それさえできれば、山奥でなくても、都会で十分に可能です。
都会でたくさんの経験を積みながら、時には、静かに1人でもの思いにふける時間があれば、最高です。
都会にいながら、悟りを開けます。
現に私はHAPPY LIFESTYLEを、東京という都会のど真ん中で書いています。
都会のど真ん中だからこそ、書けたのだと思います。
さまざまな人、物、出来事に触れて、たくさんの経験と静かな1人の時間を使い、たくさんの悩み解決につなげています。
都会の中でも、悟りを開くことは十分に可能なのです。