今のあなたは、可能性の塊です。
「自分に可能性があるなんてとんでもない。可能性があるどころか、なくなっている」
いいえ、それは誤解です。
あなたに足りないのは、能力ではありません。
行動です。
結果は、能力があって、残せるのではありません。
あなたの武器は何でしょうか。
それは、時間をかけて身につけたことです。
誰でも1つのことを、時間をかけて集中して打ち込めば、上達してうまくなります。
知り合いに、ささいなことで、わんわんとよく泣く人はいませんか。
悲しい映画を少し見ただけで、滝のように涙を流します。
友人からの失恋話を聞いているだけで、自分のことであるかのように、泣き始めます。
小さなことにこだわることは、素晴らしい能力です。
人生のさまざまな局面を、より細かく気づける能力だからです。
小さな1つのことから、たくさんの気づきが得られます。
「常識がわかっていないね」
そう言われると、落ち込みます。
当たり前のことを、自分だけがわかっていないような印象があります。
ピサの斜塔は、傾くことで有名になりました。
もちろん最初は垂直の塔を建設する予定でしたが、建設中に地盤が緩んで陥没したため、傾いてしまったのです。
現在の斜度はおよそ4度で、なかなか傾き具合です。
神社では、お守りを買うことがあります。
家内安全や商売繁盛など、種類はさまざまです。
お守りの力を、信じますか。
できないことがあっても、基本的には、再挑戦です。
諦めたら、最後です。
できないこととはいえ、何度も挑戦すれば、いつかできるようになるものです。
人生では、自分の弱さを痛感する場面があります。
大きな仕事に挑んでも、1人の限界を感じて、実現できなかった。
やりたいことがあっても、限界があって、諦めざる得なかった。
できない理由を見つけるのが上手な人がいます。
「時間がなくてできない」「お金がなくてできない」「もう年だからできない」「スペースがないからできない」など。
頭をひねって知恵を振り絞り、さまざまな視点からできない理由を見つけます。
本気の理想は、1日中です。
1日中、本気になれば、驚くほど現実が快適に進むことでしょう。
しかし、あくまで理想であって、現実的ではありません。
なぜ人は、失敗を恐れるのでしょうか。
つまずいて転んだときを想像すれば、わかります。
つまずいて転ぶと痛いですが、大したことではありません。
「私には才能がありません」
いいえ、才能がないのは、勘違いです。
すべての人に、才能があります。
見えない努力を、どれだけたくさんしていますか。
多くの人が、見えない努力より、見える努力をしがちです。
見える努力をしたほうが、よく褒められます。
宝物を探していませんか。
「素晴らしい宝物を手に入れたい」と、あちこち探し回っている人がいます。
「どこかに素晴らしい宝物があるはずだ。それさえ手に入れれば、最高の人生を送れる。幸せになれる」と思っているのです。
私たちは今、守られて生きています。
家庭に守られたり、学校に守られたり、会社に守られたりです。
親、友人、先生、上司などに守られています。
「非常識な人だね」
「常識が身についてないね」
上司や先輩から常識がないことを指摘されることはありませんか。
自分の中には、どんな才能があるのか。
それを知る手がかりは、ある日常の一瞬に存在します。
テレビ番組で、ある分野におけるプロを紹介する場面を見かけることがあります。
あなたが苦手なことは何ですか。
誰にでも苦手なことが、1つや2つあるでしょう。
「私はこれが苦手だ」
なかなか結果が出なくて、悩んでいませんか。
誰より結果が出るのが遅いと、なおさら焦ってしまうでしょう。
大丈夫です。
嘘をつくのは良くありません。
普通に嘘をつくと、誰かが傷つきます。
しかし、普通の嘘はダメでも、大げさな嘘をつくのはOKです。
人と話をする第1は、相手の話をよく聞くことです。
話をよく聞いて理解しないことには、コミュニケーションが成り立ちませんね。
話をよく理解できると、返事や相槌もうまくなるでしょう。
あるところに、コンテストに落選した、2人の画家がいました。
1人の画家は、ひどく落ち込み、こう言いました。
「コンテストに入賞しないなんて、自分には才能がないのだろう」
ビギナーズラックを経験したことはありますか。
ビギナーズラックとは、賭け事などで、初心者が好結果を収めることをいいます。
初心者は、勝負に対して、真っ白な状態で挑みます。
人とけんかをして、謝れない人には共通点があります。
プライドが高いのです。
プライドがあり、なかなか謝りません。
人生で壁にぶつかったとき、どう出るかです。
壁にぶつかれば、別の道に進めます。
壁を避ける生き方をすれば、人生をスムーズに進められるでしょう。
「あんなに頑張って覚えたのに、忘れてしまった……」
そんな経験が誰でも一度はあるのではないでしょうか。
一生懸命覚えたにもかかわらず、しばらく時間を置くと、記憶から消えていることがあります。
以前、年齢を尋ねると、面白い答え方をする人がいました。
「若い」としか、答えてくれないのです。
「いくつですか」と聞いても「見てのとおり、若いよ。わはは」とだけ言います。
あなたはまだ、本気になっていません。
「本気になりたいな」とだけ、思っています。
本気とは、冗談や遊びではない、真剣な気持ちを抱くことです。
今のあなたは、可能性の塊です。
「自分に可能性があるなんてとんでもない。可能性があるどころか、なくなっている」
いいえ、それは誤解です。
可能性がないどころか、たくさんあります。
「可能性の塊」と言っても過言ではありません。
「お金がないからできないよね」
「時間がないから無理だよね」
「もう若くないから今さら遅いよね」
できない口実をつくることで、勝手に「無理」「不可能」と思い込んでいるだけです。
諦めていることがあるなら、あらためて考えてみてください。
「本当に実現が不可能なのか」と。
もちろんいくら本気とはいえ、完全に実現不可能なこともあるでしょう。
年齢制限を超えていたり、すでに終了していたりすることは、どうしようもありません。
過去に戻ることも、死んだ人を生き返らせることも、不可能です。
どんなに体を鍛えて筋肉をつけても、100トンを持ち上げることは、肉体の限界を超えているため不可能です。
しかし、それはごく一部であり、例外中の例外です。
心の底から本気になってください。
本気になれば、時間・お金・年齢は、ほとんど関係なくなります。
本気になったところで、すべてのことが実現できるわけではありませんが、大半のことは実現できるはずです。
習い事を始めたいなら、本気になれば始められます。
海外旅行に行きたいなら、本気になれば行けるはずです。
恋愛をしたいなら、本気になればできるはずです。
1人暮らしを始めたいなら、本気になれば始められるはずです。
通いたい大学があるなら、社会人になってからでも通えます。
高校を卒業したタイミングを逃しても、社会人になってから通えばいいことです。
高校を卒業していなければ、大学入学資格検定に合格すればいいことです。
もちろんバンジージャンプもスキューバダイビングもスカイダイビングも、本気になればできます。
フルマラソンの完走も、しっかりトレーニングをすれば、達成できるでしょう。
走るのが遅かったり走れない事情があったりするなら、時間制限のないフルマラソンに出場すれば、実現率が高まるはずです。
お金がかかるなら、計画的にお金を貯めればいいことです。
時間がかかるとしても、永遠に時間がかかるわけではないでしょう。
視点や発想を変えてみると、希望と可能性の光が見えてくるでしょう。
「不可能に思えても、本気になれば、大半のことができる」という現実に気づいてください。
無理なのではありません。
本気になっていないのです。
いつの間にか勝手な思い込みで諦めている自分に気づいてください。
「自分にはできない」「今さら遅い」という心の声を振り払いましょう。
あなたが「不可能」と思っていることの大半は、本気になって行動すれば、実現できることばかりのはずです。
この現実に気づき、まだまだ自分の中に存在してる可能性に気づいてください。
少ないどころか、たくさんあることに気づくはずです。
だから、今のあなたは可能性の塊です。
今からでも遅くはありません。
本気で叶えたいことがあるなら、余計な先送りはせず、今すぐアクションを起こしましょう。
「諦めろ」「くだらない」「意味がないよ」といった批判の声が聞こえてきても、無視することです。
自分の人生なのですから、人が決めることではなく、自分が決めることです。
一度しかない人生なのですから、悔いのない生き方をすることが大切です。
自分が納得した選択は、すべて正解です。
不可能に思えても、本気になれば、大半は実現できます。
あなたに足りないのは、能力ではありません。
行動です。
結果は、能力があって、残せるのではありません。
結果は、行動があって、残せるものです。
どんなに能力があっても、行動がなければ、結果も残せません。
どんな能力も、行動がなければ磨かれません。
行動があってこそ能力が磨かれ、能力が磨かれるから結果が残せます。
まず必要なのは、行動することです。
とにかく行動しましょう。
「ちょっとやってみよう」という軽い気持ちで十分です。
軽い気持ちで、さまざまなことを挑戦していくうちに、できることが増えます。
失敗しても「もう一度やってみよう」です。
すぐ再挑戦をすれば、落ち込む暇もありません。
落ち込む暇がなければ、再挑戦もしやすくなります。
立ち直りが早くなれます。
立ち直りに精神力は不要です。
能力は、行動しながら、少しずつ身につきます。
いつの間にか、できることが増えて、大きな能力が身についています。
「自分には能力がない」と嘆く暇があるなら、行動しましょう。
行動があってこそ、能力も磨かれるのです。
あなたの武器は何でしょうか。
それは、時間をかけて身につけたことです。
誰でも1つのことを、時間をかけて集中して打ち込めば、上達してうまくなります。
かけた時間の長さに比例して能力も伸びるため、強力な武器になります。
さて、本題はここからです。
大切なのは「なぜ時間をかけることができたのか」という点です。
時間をかけるというのは、簡単なようで、意外に難しいことです。
苦労や努力ばかりなら、途中で嫌になり、投げ出すでしょう。
義務や命令で無理に続けることはできますが、いつかは限界に達して、最終的にやめるはずです。
では、なぜ時間をかけることができたか。
そこに、あなたの才能が隠れているからです。
苦労を苦労と思わず、楽しめる。
努力を努力と思わず、面白がれる。
もともとあなたの個性が、それと一致しているため、あらゆることを楽しめます。
だからこそ、苦労や努力をものともせず、事前と時間をかけることができます。
能力が高くなるのは、その結果にすぎません。
苦労や努力を感じないで打ち込めることを探しましょう。
むしろ苦労や努力を楽しめることを探しましょう。
今はまだ小さな能力かもしれませんが、最初はそれでいいのです。
こつこつ続けていけば、時間はかかりますが、着実に実力が伸びていきます。
もし苦労や努力ばかりでつらいと思うなら、おそらくその分野には才能がないでしょう。
苦労や努力を楽しめることが、あなたの才能です。
こつこつ磨いていけば、あなたの本当に武器になります。
知り合いに、ささいなことで、わんわんとよく泣く人はいませんか。
悲しい映画を少し見ただけで、滝のように涙を流します。
友人からの失恋話を聞いているだけで、自分のことであるかのように、泣き始めます。
よく泣く人は、泣き虫と言われるでしょう。
泣き虫と言えば、弱々しいイメージがありますが、そうではありません。
心の優しい人なのです。
ほかの人より感受性が高く、優しい心を持っているから、ささいなことでもよく泣きます。
涙をよく流す人で良かった。
涙をまったく流さない人より、よく流す人のほうが、人間味にあふれます。
もし自分が泣き虫だと思うなら、自分のよさに気づくチャンスです。
よく泣く人は、人一倍よく感動し、人生を楽しんでいます。
もし泣きやすい友人がいれば、ぜひ大切にしましょう。
きっと、いい友情が築けるに違いありません。
小さなことにこだわることは、素晴らしい能力です。
人生のさまざまな局面を、より細かく気づける能力だからです。
小さな1つのことから、たくさんの気づきが得られます。
人生を、より深く味わえる潜在的な能力です。
つまり、潜在的に、ほかの人より人生を人一倍、楽しむ可能性を秘めています。
私も、小さなことにこだわってしまう性格です。
普通は誰もが気に留めないことを、気にしてしまう性格です。
「水口君は(沈黙)出身はどこなの」と言われたとき「その沈黙はどういう意味なのか」と思ってしまいます。
「何か深い意味があるのではないか」「本当は別のことを聞こうとしているのではないか」と考えます。
ささいなことを深く解釈してしまう性格です。
この性格で良かったと思っています。
恨んだこともありましたが、生かすことにしました。
生かす方向に向けたから、これだけたくさんの文章が書くことができています。
文章を書くことで「気持ちが楽になりました」という言葉をいただくこともあります。
考えすぎて疲れることもありますが、気づけるおかげで楽になることも、たくさんあります。
小さなことにこだわることを、生かすか殺すかは、自分しだいです。
生かす方向に向けて、活用したいですね。
「常識がわかっていないね」
そう言われると、落ち込みます。
当たり前のことを、自分だけがわかっていないような印象があります。
仲間外れにされたような気持ちになります。
しかし、落ち込む必要はありません。
常識がわかっていないのは、素晴らしいことの1つです。
いつまでも、子どもの心を持ち続けている証拠だからです。
常識とは、誰もが共通して持っているはずの知識や分別のことです。
たしかに社会の知識や分別がわかるのは、大切なことです。
常識があるおかげで、社会をスムーズに生きていけます。
しかし、程度によります。
常識を学びすぎると「童心を忘れてしまう」という副作用があります。
常識が頭に入るほど、童心が失われ、決まりきった考えや行動しかできなくなります。
ルールのとおりに動く素晴らしさもあれば、ルールのとおりにしか動けない、つまらなさもあります。
常識という枠にとらわれ、行動や考え方が形式的になって、発想力や想像力が乏しくなってしまうのです。
大人になっても子どもの心が残っているのは、素晴らしいことです。
単純なことに、感動できます。
物事を素直に、楽しんだり喜んだりできます。
子育てのときは、子どもの気持ちを理解できる親になるでしょう。
常識がわかっていなくて、大いに結構です。
常識がわかっていないことも、大切な魅力の1つなのです。
ピサの斜塔は、傾くことで有名になりました。
もちろん最初は垂直の塔を建設する予定でしたが、建設中に地盤が緩んで陥没したため、傾いてしまったのです。
現在の斜度はおよそ4度で、なかなか傾き具合です。
ピサの斜塔は、世界7不思議の1つであり、ガリレオ・ガリレイが落体による重力実験を行った場所でも有名です。
1173年に起工して、ピサの斜塔1350年に完成。
過去に4回の大地震を経験したにもかかわらず、600年以上も間、一度も倒れることなく立ち続けています。
あるとき「塔を垂直に直そう」という話が出ました。
すぐ大反対の声が上がりました。
「垂直に直してしまうと面白くない。普通の塔になってしまう」と。
結局、垂直に直す工事の話は取りやめになり、傾きを少し修正する工事だけになりました。
現在でも傾いたままの状態が続いています。
そんなピサの斜塔は、今や世界遺産です。
傾いているから個性的な塔として注目され、多くの人から愛されています。
あなたの中にも「傾き」があるかもしれません。
傾きがあれば、ぜひ大切にしてください。
直そうと思ってはいけません。
直してしまうと、個性が消え、普通になり、つまらなくなってしまいます。
どこにでもいるような平凡な人になってしまいます。
これほど残念なことはありません。
傾きは、あなたの大事なアイデンティティーですから、どうか大切にしてください。
人は、ちょっと傾いているほうが魅力的なのです。
神社では、お守りを買うことがあります。
家内安全や商売繁盛など、種類はさまざまです。
お守りの力を、信じますか。
お守りの効果は、人によって違いがあります。
「とても効果があった」という人もいれば「まったく効果がなかった」という人もいます。
中には逆に「悪くなった」という人さえいるようです。
天と地ほどの差がありますね。
なぜ、これほど違いがあるのでしょうか。
人によって、信じる力が違うからです。
「いかに信じるか」です。
「本当に効くのかな」と疑っていると、お守りの効果はありません。
お守りの力を信じていなければ、実生活に特別な変化はありません。
むしろ疑うことでネガティブな力が働き、かえって生活が悪化することがあります。
お守りを持つだけも、いけません。
持つだけの状態は、疑っても、信じてもいません。
いつもと変わらない生活で、終わりです。
お守りは「必ず効く」と信じるから、力が働きます。
心の支えになるからです。
心の支えになることで、やる気や勇気が出てきます。
「私は今、お守りを持っている。きっとうまくいくはず。よし、やってみよう」
そう信じて、1歩踏み出します。
いつもより活動的になります。
その結果、実生活が向上したり改善されたりして、より良い結果をもたらすのです。
お守りを持つだけではいけません。
お守りを持ち、お守りの力を信じて行動するからこそ、効果があるのです。
できないことがあっても、基本的には、再挑戦です。
諦めたら、最後です。
できないこととはいえ、何度も挑戦すれば、いつかできるようになるものです。
人生では、諦めずに、再挑戦を繰り返すことが大切です。
しかし、人生ではまれに、これが当てはまらないこともあります。
根本的に無理である手応えを、感じるときです。
「勝てる気がしない」
「うまくいく気配がない」
「ぴくりともしない」
「あまりにも大きな力の差を感じる」
「成功のめどが立たない」
1つの目安として「一生」です。
一生かかったとしても、うまくいく気配がないなら、こう考えましょう。
「方向転換」という神様からのアドバイスです。
絶対に無理なことは、早々に諦めるのも、手です。
無理なことは、その事実を認めて、うまくいく方向へ転換すればいいのです。
能力がないことを認めるのも、1つの能力です。
時間も現実も、待ってくれません。
「根本的に無理」という手応えを感じることは、むしろ素晴らしいことです。
見方を変えれば、喜ぶべきことです。
無駄な時間やお金などを、節約できるからです。
得意な人に道を譲り、あなたは自分だからできる道に方向転換しましょう。
人生を、効率よく進むことができるようになります。
人生では、自分の弱さを痛感する場面があります。
大きな仕事に挑んでも、1人の限界を感じて、実現できなかった。
やりたいことがあっても、限界があって、諦めざる得なかった。
やる気を出して本気で挑んだものの、自分の限界を感じて、途中で失敗に終わる経験です。
そんな挫折を味わったとき、ふとこんなことを思います。
「自分はちっぽけな人間だ」と。
非力な自分に気づいてしまう。
つくづく弱い自分が恥ずかしく、消えてしまいたい気持ちになる。
自分一人でできることは範囲が限られています。
どんなにやる気があっても、やる気だけではどうしようもないことがあります。
体は1つしかありません。
体力も技術もお金も、自分一人には限界があります。
限界を感じる経験があると、あらためて自分はちっぽけな存在であると自覚します。
弱い自分に気づかされると、無力感や絶望感が押し寄せ、落ち込むかもしれません。
「自分という存在なんて、この世から必要ないのではないか」とさえ考えてしまいがちです。
しかし「自分はちっぽけな人間だ」と思ったときが大切です。
「自分はちっぽけな人間だ」と思ったら、そこで止めるのではなく、次の言葉を続けてください。
「でも、大きな可能性がある」と。
ちっぽけな人間でも、大きな可能性があります。
可能性の種類は無限です。
可能性の大きさに上限もありません。
たとえば、ちっぽけな人間でも、トレーニングを重ねれば、フルマラソンを完走することが可能です。
毎日こつこつトレーニングを積み重ねて、体力や持久力を鍛えていけば、以前はできなかったことができるようになるでしょう。
ちっぽけな人間でも、複数人と協力すれば、大きな仕事でも実現できるようになります。
組織化なり法人化なり、複数人と連携する仕組みをつくれば、1人ではできない大きな仕事でも実現できるようになります。
ちっぽけな人間でも、世の中を変える商品やサービスを送り出すことも可能です。
筋肉の力は有限ですが、脳の力は無限です。
想像力や発想力を十分生かせば、素晴らしいアイデアが思い浮かび、芸術的で創造性の高い仕事ができるでしょう。
たった1人でも、ゆくゆくは世の中にインパクトを与えることも可能になります。
物理的には小さいな存在でも、秘めている可能性は大きいのです。
どれだけ可能性を大きくできるかは、あなたしだいです。
努力しだいでは、驚くほど大きく膨らませることも可能です。
力は有限でも、可能性は無限です。
自分に秘められた可能性に気づくことです。
あなたはちっぽけな人間でも、大きな可能性があります。
「自分はちっぽけな人間だ」に続く言葉は「でも、大きな可能性がある」なのです。
できない理由を見つけるのが上手な人がいます。
「時間がなくてできない」「お金がなくてできない」「もう年だからできない」「スペースがないからできない」など。
頭をひねって知恵を振り絞り、さまざまな視点からできない理由を見つけます。
何かアドバイスをしても「○○だからできない」と別の理由を持ち出しては行動を拒絶します。
できない理由を見つけるのが上手な人は、もはや才能すら感じてしまいます。
着眼点といい発想力といい、世の中にはできない言い訳をする天才がいるものですね。
できない理由を見つけるのが上手な人は、一見すると、救いようのないダメ人間に思うかもしれません。
ところがそうとも限らないのです。
むしろ大化けする可能性があります。
見つける対象を逆にするだけです。
見つける対象を「できない理由」ではなく「できる理由」にひっくり返せばいいのです。
「理由を見つける」という点は同じです。
できない理由を見つける天才が、いざ本気になって、できる理由を見つけ始めたら最強です。
どんな困難な状況であろうと「できる」と言い始めるでしょう。
優れた着眼点と発想力を生かして、何が何でもできる言い訳を始め、どんどん未来を切り開いていけます。
できない理由を見つけるのが上手な人は、見つける対象を逆にするだけで、ポジティブ思考の天才に大化けするのです。
あなたができない理由を見つけるのが上手なら、自分に秘められた可能性に気づいてください。
できない理由を見つけるのが上手な人は、ちょっとしたことで、ポジティブ思考の天才に大化けする可能性を秘めています。
言い訳の方向を逆にするだけでいいのです。
その優れた着眼点と発想力を生かし、できる理由を見つけることに生かしましょう。
できない理由を見つける天才は、できる理由を見つける天才に変わります。
本気の理想は、1日中です。
1日中、本気になれば、驚くほど現実が快適に進むことでしょう。
しかし、あくまで理想であって、現実的ではありません。
そもそも本気になる時間は、短いものです。
スーパーマンもスパイダーマンも、本気を出している時間は短いです。
ウルトラマンも、短い時間しか戦えません。
どのヒーローを見ても、本気を出している時間は、短いです。
本気になると、体力の消費が激しくなるため、戦う時間も短くなってしまうのです。
人間も同じです。
1日中、本気になるのは理想的ですが、現実的ではありません。
1日中、本気になる必要はありません。
体力の限界があるため、1日、ほんの数時間でいいのです。
1日5時間だけの本気でもいいです。
5時間が難しければ、3時間でもいいでしょう。
3時間が難しければ、1時間でもいいです。
短い時間ほど、パワーが発揮しやすくなります。
本気になる時間だけは、目の前以外のことは、一切忘れます。
携帯電話もメールもチェックをやめます。
音楽も聴かず、テレビも見ません。
目の前のことだけに、全神経と全力を、集中しましょう。
驚くべき成果を発揮できるのです。
なぜ人は、失敗を恐れるのでしょうか。
つまずいて転んだときを想像すれば、わかります。
つまずいて転ぶと痛いですが、大したことではありません。
擦り傷が痛むかもしれませんが、ばんそうこうを貼っておけば、なんとかなります。
本当は、転んだ姿を見られるのが、恥ずかしいのです。
周りに人がたくさんいるほど、情けない姿が強調され、恥ずかしくなります。
擦り傷より、何倍も痛いのです。
失敗も同じです。
私たちが恐れているのは、失敗そのものではありません。
実は、失敗を見られるのが、恥ずかしいのです。
つまずいて転んだ姿を見られるのが恥ずかしいため、失敗を恐れます。
大勢の人から笑われて、心が痛むのです。
精神的苦痛は、肉体的苦痛より、長く深く傷みます。
では、どうすればいいのでしょうか。
度胸をつける修行だと思えばいいのです。
恥ずかしさを我慢する修行です。
度胸をつける修行だと思えば、失敗を見られても、恥ずかしさを受け入れられるようになります。
恥ずかしいほど、度胸が身につくのです。
見られていいではありませんか。
見られたら、見られたです。
それもまた、成長につながります。
恥ずかしい姿を見られるのが怖くなくなったとき、あなたはとても強くなります。
「私には才能がありません」
いいえ、才能がないのは、勘違いです。
すべての人に、才能があります。
もしかして才能のことを「世界でいちばんうまくできる能力」と、勘違いしているのではないでしょうか。
誤解しています。
才能は、それほど大げさなことではありません。
ほかの人より上手にできることが、才能です。
才能とは、いわば、相性です。
たとえば、人には「相性」というものがありますね。
「この人とはそりが合わない」という人もいれば「この人とは自然と仲良くなれる」という人もいます。
相性がいい人とは、あっという間に意気投合して、すぐ仲良くなります。
その相性は、人だけでなく、物事にもあるのです。
いろいろなことに挑戦してみましょう。
いろいろなことに挑戦するうちに、努力を少しするだけで、大きく伸びる分野があるはずです。
「この分野は苦手だ」ということもあれば「この分野なら得意だ」ということもあるはずです。
どんな人にも相性のいい人がいるように、どんな人にも相性がいい分野が、必ずあります。
ないと思うなら、まだ見つかっていないだけです。
種類を問わず、いろいろなことに挑戦して、相性のいい分野を探しましょう。
できるだけ早く行動したほうが、早く見つかります。
相性のいいことを見つければ、時間・お金・体力を、集中投資します。
ぐいぐい能力が伸びて、ほかの人より、上手にできるようになります。
それが、才能なのです。
見えない努力を、どれだけたくさんしていますか。
多くの人が、見えない努力より、見える努力をしがちです。
見える努力をしたほうが、よく褒められます。
「偉いね。すごいね。頑張っているね」と言われると、嬉しいですね。
褒められるとやる気も出ますから、余計に頑張りたくなるでしょう。
しかし、見える努力には、重大な欠点があります。
集中しにくいことです。
人前ではやる気が出ますが、人のいないところではサボってしまいます。
褒められるためにしている努力ですから、見てくれる人がいないと、やる気が起きないのです。
人からどう見られているかを、いつも気にする必要があるため、集中もしにくいです。
本当に集中するためには「見えない努力」が必要です。
人が本当に集中するためにふさわしいのは、1人になることです。
自分一人で努力するから、よく身につきます。
1人になる時間ですから、誰にも見られません。
誰にも見られないため、褒められることもありません。
孤独との戦いですが、自分に集中できているため、最も可能性が伸びやすい状態なのです。
褒められなくていいのです。
自分さえ「自分は努力している」とわかっていれば、十分です。
他人から褒められなければ、自分で褒めればいいだけです。
見えないところでいかに努力しているかが、本人の成長につながります。
見えない努力をたくさんしている人は、報われます。
見えない努力を続けていると、自然と体の外に表れるからです。
発言が鋭くなったり、態度が堂々としたり、生き方がしっかりしたりします。
努力は見えなくても、人間的な成長として、自然と表に表れるようになります。
見る人が見れば「見えないところで努力しているんだね」とわかってくれるのです。
宝物を探していませんか。
「素晴らしい宝物を手に入れたい」と、あちこち探し回っている人がいます。
「どこかに素晴らしい宝物があるはずだ。それさえ手に入れれば、最高の人生を送れる。幸せになれる」と思っているのです。
それは違います。
宝物は探すものではありません。
気づくものです。
実はすでに持っています。
家族、友人、恋人、ペット、仕事、趣味、愛用品、健康。
「それならすでに持っている」と思うことでしょう。
そうです、すでに持っているのです。
どれも素晴らしい宝物です。
心の土台となり、人生を豊かにしてくれます。
金額では計れない価値があります。
しかも代わりがきかないものもあります。
すでに宝物を持っているのですから、わざわざ探すなんてナンセンスです。
宝物を探しに行く人は、どこまで行っても見つかりません。
「これは違う」「あれも違う」の連続となり、宝物探しの旅が終わりません。
そしてそれを失ってから「宝物だった」と気づくのです。
失ってからでは遅いのです。
あなたはすでに宝物を持っています。
1つではなく、いくつも持っています。
すでに宝物を持っていることに気づき、それを大切にしてください。
宝物は、遠いところではなく、案外身近にあるものです。
宝物は「探す」ではなく「気づく」のです。
限られたリソースは、宝物を探すことより、今持っている宝物を大切にすることに使うほうが得策です。
今持っている宝物を大切にすれば、ますます輝きを増します。
「いつか幸せになる」ではなく「すでに幸せ」なのです。
私たちは今、守られて生きています。
家庭に守られたり、学校に守られたり、会社に守られたりです。
親、友人、先生、上司などに守られています。
たくさんのことに守られているおかげで、今日も動揺することなく、平凡な1日を過ごすことができています。
もはや、無菌状態です。
問題なく過ごせるのは素晴らしいですが、守られすぎるのも困りものです。
守られすぎると、精神力が低下します。
ささいなことでひどく取り乱してしまい、自分のコントロールが下手になるのです。
無菌状態にいると、免疫力が低下するのと同じです。
免疫力をつけるには菌が必要であるように、精神力を身につけるためには傷が必要です。
たまには守られていないところに出かけましょう。
必要なのは「動揺する経験」です。
「人生は経験が大切だね」と思いながら、動揺することを恐れていませんか。
動揺する経験がないと、精神力は鍛えられません。
たまには動揺を経験することで、精神力が身につきます。
守られていない場所に行くと、精神的に動揺します。
むかっとしたり、怖がったり、恥ずかしがったり、驚いたり、焦ったりできるような経験です。
誰かに誘われてから、行動するのではありません。
自分から行動するから、意味があります。
自分から飛び込むから、勇気が身につきます。
動揺する経験に飛び込むことで、精神力は鍛えられます。
自分の可能性が広がるのです。
「非常識な人だね」
「常識が身についてないね」
上司や先輩から常識がないことを指摘されることはありませんか。
常識がないと言われると、悪いことのように感じる人が多いもの。
人として欠陥があるように感じる人もいるかもしれません。
しかし、ここに誤解があります。
「ない」という否定語が含まれているためでしょうか。
常識がないことを悪いこととして受け止めている人がいます。
これは違うのです。
「常識がない=悪いこと」というのは固定観念です。
迷惑をかけるのはよくありませんが、常識がないこと自体は悪いことでも何でもありません。
常識がなくても生きていけます。
笑われたり恥をかいたりすることはあるかもしれませんが、気にしなければいいことです。
常識がないと言われて落ち込む必要はありません。
むしろ喜んでください。
「常識がない」というフレーズは、次の言葉に言い換えてください。
「型破りな発想ができる」です。
常識がないことは、型破りな発想ができる可能性を秘めています。
エジソンもライト兄弟も、常識はありませんでした。
葛飾北斎や岡本太郎、ウォルト・ディズニーやスティーブ・ジョブズも、非常識な人として有名でした。
だからこそ型破りな発想が生まれ、これまでにない新しいものを創造して、世の中に大きなインパクトを与えました。
常識がなくて落ち込む必要はありません。
型破りな発想を生かして仕事をしていきましょう。
生かすも殺すもあなたしだいです。
常識がないと言われてくよくよするようではいけません。
常識がないことは、マイナスではなくプラスとして受け止めることが大切です。
「常識がない」は「型破りな発想ができる」と言い換えるだけ、素晴らしい武器になります。
型破りな発想を生かして、斬新なアイデアを生み出しましょう。
これまでにない新しい価値・新しいビジネスを創造してください。
世の中には残念ながら、常識がないことのデメリットばかりに注目して、メリットを見ていない人がいるのも事実です。
理解のない人はほうっておきましょう。
わかってもらおうと躍起になる必要はありません。
常識がないことを攻撃する人がいれば、その人に理解がないだけです。
職場で常識がないことを責められるようであれば、もっと自分を生かせる職場に転職しましょう。
あまりに非常識のため、自分に合った会社や職場がないなら、独立するのも1つの選択肢です。
独立すれば、自分の裁量で好きなビジネスができます。
すべて自己責任のためリスクはありますが、そういう道があることも頭の片隅に入れておいて損はないでしょう。
自分の中には、どんな才能があるのか。
それを知る手がかりは、ある日常の一瞬に存在します。
テレビ番組で、ある分野におけるプロを紹介する場面を見かけることがあります。
プロが考え方・心がけ・仕事術など、さまざまな紹介があるでしょう。
それを見ているとき「これなら自分にもできそうだ」と思う瞬間はありませんか。
プロには失礼なのですが、時間をかけて努力すれば、自分にもできそうな感覚を抱くことがあります。
この瞬間なのです。
もし自分にまったく才能がなければ「これなら自分にもできそうだ」とは思いません。
「どんなに頑張っても、自分には絶対無理だ」と思うはずです。
「これなら自分にもできそうだ」と思ったときは、あなたの才能が反応した瞬間です。
つまり、あなたにも、その才能の芽がある証拠なのです。
さて、ここからが大切です。
「これなら自分にもできそうだ」と思って、何もしないか、実際に挑戦してみるかです。
何もしなければ、新しい展開はないでしょう。
テレビ番組の内容を楽しんで終わりになるだけです。
一方で、実際に取り組めば、才能を見いだすきっかけになる可能性があります。
最初はなかなかうまくできなくても、途中からぐっと伸びることもあるでしょう。
実際にやってみて「やはり自分には合わない」と思えば、やめればいいだけです。
「これなら自分にもできそうだ」と思った瞬間を、生かすか殺すかは、あなたしだいです。
試してみるだけの価値はあるはずです。
あなたが苦手なことは何ですか。
誰にでも苦手なことが、1つや2つあるでしょう。
「私はこれが苦手だ」
そう思っていることがあれば、ぜひ一度自分に問いかけてほしいことがあります。
「実は苦手と思い込んでいるだけではないか」という問いかけです。
それは、本当に苦手なのでしょうか。
きちんと苦手と確認できていることならいいのです。
過去に経験があり、その結果「苦手」と確認できたことなら間違いないでしょう。
自分の五感を通して得た情報には間違いがありません。
実際に試したことがあるなら、誤解や勘違いでもなく、確信が得られます。
しかし、1回も経験したことがないのに苦手と思っているなら、話は別です。
人間は、思い込みをする生き物です。
厄介なことに、思い込みのほとんどは「無自覚」という特徴があります。
一度思い込みが生まれると、無自覚であるゆえに、自分で気づくのが難しくなります。
食わず嫌いと同じ現象です。
においや見た目が悪いと、印象だけで「苦手」と判断していることがあります。
先入観であり、固定観念です。
食わず嫌いと同じ現象が、仕事や勉強などでも起こっていることがあります。
実際に経験することなく、印象や直感だけ苦手と決めつけていないでしょうか。
印象は、あくまで印象です。
実際に経験してみると、想像とは違った印象を受けるかもしれません。
直感も頼りになる感覚ですが、必ず正しいとは限りません。
直感が外れるのはよくあること。
たとえ直感が強く働いたとしても、間違いや勘違いということがあります。
どんなに直感の鋭い人でも、外れることがあります。
どれだけ勘や直感に現実味が帯びていようと、あくまで感覚の一種にすぎないのです。
大切なことは「実際に経験してみる」ということです。
印象やイメージだけで結論を出すのではありません。
実際に経験してみて「本当の様子」「本当の手応え」を確かめましょう。
苦手な人、苦手な食べ物、苦手な勉強、苦手な仕事、苦手な洋服、苦手なスポーツ。
実際に経験してこそ、本当に苦手なのかがわかります。
つまらない思い込みをすると、人生のチャンスや可能性を逃すことにもつながります。
無自覚を自覚しましょう。
いま一度、自分の苦手を疑ってみてください。
1回も経験がなくて苦手と思っていることなら、なおさら一度は経験してみるのが得策です。
悪印象でも、実際に経験してみると、意外と好印象を受けるかもしれません。
苦手どころか、意外と自分に合っていることもあり得るのです。
なかなか結果が出なくて、悩んでいませんか。
誰より結果が出るのが遅いと、なおさら焦ってしまうでしょう。
大丈夫です。
結果が出なくて、焦り始めたときは、こう考えましょう。
「下積みを積んでいる最中なのだ」と。
結果は、早く出せばいいわけではありません。
大切なのは、誰より大きな結果を出すことです。
誰より結果が出るのが遅ければ、誰よりたくさんの下積みを積んでいる状態です。
誰よりたくさんの下積みを積んでいる分、結果が出るときには、大きいのです。
今でこそ、まだ結果は出ていませんが、出るときには一気に出ます。
ダムが決壊するかのようにです。
早く結果が出た人を、一気に抜き去ります。
誰よりたくさんの下積みを積むことは、大切なことです。
人生で、冷静さを失ったら、終わりです。
焦って早く結果を出そうとすると、かえって質の低いものが出てしまいます。
早く結果を出す人に振り回されないことです。
結果が出ないときは、下積みの時期であると考えることです。
焦らず、急がず、こつこつ実力をつけていきましょう。
いつか必ず花開くときがやってきます。
もうしばらくすれば、先に結果が出た人を抜き去る快感が味わえます。
嘘をつくのは良くありません。
普通に嘘をつくと、誰かが傷つきます。
しかし、普通の嘘はダメでも、大げさな嘘をつくのはOKです。
同じ嘘でも、意味合いが違います。
大げさな嘘は、もはや冗談です。
聞いた瞬間、明らかに嘘だとわかります。
嘘であると、相手がはっきりわかるなら、傷つくことはありません。
大げさな嘘は、周りの人を笑わせたり楽しませたりできます。
たとえば、友人を食事に誘うときです。
「普通のレストランを知っているよ」と誘うのでは、つまらないです。
普通ほど、つまらない言葉はありません。
「普通なら、別に行きたくない」と思ってしまいます。
普通のレストランにもかかわらず、テンションが下がります。
そういうときこそ、大げさな嘘です。
「世界一おいしいレストランを知っているよ」と言って、誘ってみましょう。
大げさな言葉から、明らかに嘘とわかります。
しかし、そう言われると、テンションが上がります。
「よし。じゃあ、行ってみようではないか」と乗り気になります。
大げさな嘘は、自分も相手も、ぱっと明るくなれます。
嘘も、一線を越えると、人を幸せにするのです。
人と話をする第1は、相手の話をよく聞くことです。
話をよく聞いて理解しないことには、コミュニケーションが成り立ちませんね。
話をよく理解できると、返事や相槌もうまくなるでしょう。
しかし、話の理解さえできれば十分かというと、そうではないのです。
話の理解ばかりに重点を置くと、どうなるでしょうか。
「話の内容がわかりました」「言いたいことが理解できました」で、終わりです。
会話が淡々と流れ、堅苦しいです。
悪くないけど、よくもない状態です。
何かが足りません。
大切なことが、抜けています。
「気持ちの理解」です。
コミュニケーションとは、話の理解だけでなく、気持ちの理解も大切です。
車の両輪のようなものです。
両方があって、初めて前に進みます。
「どういう気持ちだったのかな」と意識をしながら話を聞くと、共感しやすくなります。
「寂しかったね」
「大変だったね」
「怖かったね」
気持ちの理解を心がけると、気の利いた返事もしやすくなります。
「話の理解」と「気持ちの理解」の両方があって、初めて心地よいコミュニケーションが成り立つのです。
これからは、今まで足りなかった気持ちの理解に、意識を向けましょう。
たわいない共感の一言で、いいのです。
私たちは日常、気持ちを共有したいから、話をします。
楽しいときには一緒に笑い、悲しいときには一緒に悲しみましょう。
気持ちを共有できれば、一緒にいたいと思い、人間関係もよくなるのです。
あるところに、コンテストに落選した、2人の画家がいました。
1人の画家は、ひどく落ち込み、こう言いました。
「コンテストに入賞しないなんて、自分には才能がないのだろう」
青ざめた顔で、ため息をつきました。
その後も、何度もコンテストに応募しましたが、いつも落ちてばかりです。
「もうダメだ。完全に自信をなくした」
途方に暮れて、ついに画家になる夢を諦めました。
持っている色彩用具を全部捨てて、まったく別の道を歩み始めました。
もう1人の画家は、違いました。
コンテストに入賞しないことを、喜んだのです。
「担当者の理解を超える、ハイレベルの感性を持っている証拠だ。自分はきっと大物になる」と考えていたのです。
「入賞しないのは、自分のレベルが高すぎるせいだろう」という発想です。
その後も、何度もコンテストに応募しましたが、いつも落ちてばかりです。
落選するたびに、喜びました。
そうして彼は勢いをつけて、独自の世界観をつくり出しました。
独自の世界観が珍しく、しばらくして、彼は世界的に有名になりました。
その画家こそ、フランスの印象派の画家、ルノアールだったのです。
ビギナーズラックを経験したことはありますか。
ビギナーズラックとは、賭け事などで、初心者が好結果を収めることをいいます。
初心者は、勝負に対して、真っ白な状態で挑みます。
先入観も、戦術も、価値観もありません。
その状態が、勝負に対して有利に働き、初心者にもかかわらず、大勝利を収めることがあるのです。
ビギナーズラックがいつまでも続いてほしいのですが、その名のとおり、ビギナー(初心者)のときだけです。
慣れ親しんでくるほど、だんだん詳しくなります。
詳しくなると、余計なことを考えてしまうようになり、かえって勝負に弱くなることがあります。
知識や技術の向上も大切です。
それ以上に大切なのは、初心の気持ちを抱き続けることです。
初心の気持ちを抱き続けることは、知識や技術の向上より、難しいです。
熟練者とは、知識や技術が洗練されている人のことではありません。
本当の熟練者とは、初心の気持ちを抱き続けられる人のことをいいます。
熟練者ほど、戦いに挑むとき、頭を真っ白にします。
初めて経験したときと、同じ気持ちになります。
初心の気持ちを忘れなければ、熟練者でも、ビギナーズラックが当たります。
初心の気持ちを抱き続けることが、知識や技術を越える、最後の切り札になるのです。
人とけんかをして、謝れない人には共通点があります。
プライドが高いのです。
プライドがあり、なかなか謝りません。
「謝ると自分が負けることになるため、何が何でも謝らない」と、意地を張っています。
勝ち負けを意識するプライドは、誤ったプライドです。
プライドではなく、頑固です。
頭が固くなっていて、柔軟な考えができなくなっています。
頭が固くなっているため、自分の誤った考えにすら、気づきません。
もはや、末期症状です。
意地を張っているから、得られる協力が得られず、できる成長もできません。
孤立してしまうのです。
では、本当のプライドとは何でしょうか。
本当のプライドとは「プライドを捨てること」をいうのです。
これがいちばん難しいです。
人生を快適に生きるためには、仲の悪い人を、1人でもなくすことです。
「仲の悪い人は1人もつくらない」と意識することが大切です。
協力者が1人でも多くいれば、それだけ人生は生きやすくなります。
素晴らしいことです。
どうせプライドを持つなら、謝らないプライドより、謝るプライドを持つべきです。
人とけんかをしたとき、プライドを捨てて、謝りましょう。
「プライドを捨ててでも、謝って、仲直りするぞ」という意気込みです。
そういう人は、きちんと仲直りができます。
これが、本当のプライドなのです。
人生で壁にぶつかったとき、どう出るかです。
壁にぶつかれば、別の道に進めます。
壁を避ける生き方をすれば、人生をスムーズに進められるでしょう。
しかし、別の道へ進む前に、本当に壁を越えることができないのか、よく考えることが大切です。
壁を乗り越えなければ、いずれまた同じ壁にぶつかります。
人生には、似たような壁がたくさんあります。
逃げて一時的に楽になっても、しばらくすれば、また同じ苦しみがやってきます。
いま一度、立ち止まって考えてみましょう。
「なぜ、その壁が、目の前にあるのか」です。
実は、神様があなたに成長してほしいから、用意された壁です。
神様は、人に強くなってもらおうと、ときどき壁を与えます。
障害物という壁です。
神様は人に、乗り越えられない試練は与えません。
勇気を出したり、知恵を振り絞ったりすれば、乗り越えられるはずです。
逃げるのは簡単ですが、なんとかして乗り越えられないか、全力で考えてみましょう。
自分一人でできなければ、友人と協力してもいいでしょう。
少しタイミングをずらせば、なんとかなるかもしれません。
人生とは、壁を壊すためにあります。
今、目の前にある壁は、自分そのものです。
自分という壁を壊して、自分を乗り越えるチャンスなのです。
「あんなに頑張って覚えたのに、忘れてしまった……」
そんな経験が誰でも一度はあるのではないでしょうか。
一生懸命覚えたにもかかわらず、しばらく時間を置くと、記憶から消えていることがあります。
英単語だったり、人名や地名だったり、計算方法だったり、話の内容だったり。
「えっと、なんだっけ。思い出せない。忘れてしまった……」と悔しい思いをするのです。
記憶が消えてしまうのは悔しいもの。
時間をかけて一生懸命覚えたことを忘れているときは、ショックもひとしおですね。
しかし、それは本当に「忘れた」のでしょうか。
もちろん本当に忘れていることもありますが、実際はそうでないことも多いのです。
忘れていると誤解しているだけで、実は忘れていないというケースが少なくありません。
たとえば、歴史の勉強をして、人名や出来事を一生懸命覚えたとします。
時間を置いてからチェックすると、言葉が出なくて忘れたように思えますが、実際は違います。
答えをチェックしたとき「そうそう、それだ!」と思うことがあるのではないでしょうか。
「そうそう、それだ!」という感覚があるのなら、幸いです。
忘れていたとはいえません。
かすかに記憶が残っているということです。
本当にきれいさっぱり完全に忘れているなら「そうそう、それだ!」という感覚にはなりません。
「初めて聞いた」という感覚になるはずです。
記憶に残っているから「そうそう、それだ!」となるのです。
忘れたのではありません。
思い出せないだけです。
「忘れた」と「思い出せない」を勘違いしていませんか。
「忘れた」と「思い出せない」は似て非なるものです。
もちろん一夜漬けで覚えたことはすぐ忘れますが、時間をかけて覚えたことは、なかなか忘れないものです。
短期記憶は「海馬」というところで一時的に記憶されます。
その後復習を繰り返すうちに、脳が「これは重要なことだ」と判断します。
すると記憶が脳の「側頭葉」というところに移動し、長期記憶されるのです。
いったん記憶が側頭葉に移れば、記憶が定着する形となって忘れにくくなります。
私たちがよく口にする「忘れた」の多くは、実際のところ「思い出せない」という状態です。
「忘れた」と「思い出せない」を区別しましょう。
私たち人間の記憶力は、意外といいのです。
以前、年齢を尋ねると、面白い答え方をする人がいました。
「若い」としか、答えてくれないのです。
「いくつですか」と聞いても「見てのとおり、若いよ。わはは」とだけ言います。
「わはは」が、すごくいいです。
白髪交じりのひげを生やしていたので、おそらくそれなりの年齢だったのではないかと思います。
見た目からすると、中年くらいと思われますが、答えてくれません。
何度聞いても、答えてくれません。
だんだん、年齢を聞いている自分のほうが、恥ずかしくなってきました。
年齢を聞いて、何をどうしようというのでしょうか。
私の中で、はっと気づくものがありました。
「たしかに年齢なんて、どうでもいいね」と、気づいたのです。
発想が若いのは、心が若いです。
そういう発想といい、大胆な発言といい、たしかに若々しいです。
年齢は、ただの数字です。
自分が若いと思えば、いつまでも若々しくいられます。
年齢を口にしただけで、若い・古いと思われるのも、おかしな話です。
「若いよ」という答え方は、これからの新しい年齢の答え方です。
「年齢はいくつですか」
「若いですよ」
それでいいと思いませんか。
あなたはまだ、本気になっていません。
「本気になりたいな」とだけ、思っています。
本気とは、冗談や遊びではない、真剣な気持ちを抱くことです。
物事に全力で取り組むことです。
スピードと勢いをつけることです。
もっと本気になりましょう。
もし本気になれば、あなたはとても変わります。
本気になった瞬間、この世に怖いものがなくなります。
やれば、何でもできそうな気がします。
記憶力や集中力が、何倍にもアップします。
可能性は広がります。
せっかく生きているというのに、本気にならないのは、もったいないです。
「いつかやろう」ではなく「今やろう」です。
そう思うことが、本気ということです。
さあ、本気になるときがきました。
この文章を読み終わると同時に、本気になって行動しましょう。