あるとき、落とし物を拾う場面があります。
お手洗いで誰かがポーチを置き忘れていた。
飲食店の椅子のところに、誰かがコートを置き忘れていた。
道ばたで、誰かが落としたと思われる貴重品を拾うこともあるでしょう。
落とし物を見つけたとき、あなたならどうしますか。
落とし物の中には高価なものもあり、なかなか見過ごしにくい場面です。
「自分には関係ないよね」
「そのままにしておけばいいだろう」
「別に自分が拾わなくてもいいだろう」
無視してスルーすることもできますが、ここは大切な場面です。
落とし物を拾う場面があれば、こう考えてください。
「100パーセントいいことができる場面」と。
飲食店で落とし物を拾ったら、お店の人に渡して、預かってもらいましょう。
道ばたで落とし物を拾えば、交番に届け出ましょう。
落とし物を見つけたら、届け出るだけでいい。
落とし物を届け出ることは、確実に素晴らしいことです。
誰も非難しません。
間違いなく人として立派な行動です。
すべての人から「良い行い」として認められ「素晴らしい」と感謝されるでしょう。
落とした人は「どこに落としたのだろうか。見つかるだろうか」と、冷や汗をかきながら寿命が縮む思いで困っています。
きちんと届け出ると、後から持ち主が探しに戻ってきたとき、スムーズに受け取れます。
持ち主は「見つかってよかった!」とほっとします。
貴重で高価なものなら、涙目で喜ぶでしょう。
高価なものであればあるほど、それが見つかったときの喜びもひとしおです。
落とし物を届け出ることを非難する人はいません。
必ずいいことができるのですから、ぜひ届け出ましょう。
魔のささやきが聞こえてきても、しっかり振り払いましょう。
落とし物を見つけたら「自分が試される場面」と考えてください。
悪質な心を持つ人が拾うと盗まれますが、善良な心を持つ人が拾えば、きちんと届け出ることができます。
あなたは、きれいな心を持った人間です。
きれいな心を持った人間ですから、モラルと良心に従った行動をするだけです。
困っている持ち主の顔を思い浮かべながら、拾った持ち物を届け出ましょう。
たとえ感謝されなくてもいいのです。
感謝されなくても、人として「いいこと」をしているのは間違いありません。
落とし物を届け出れば「今日もいいことをできた!」と喜べます。
人として立派な行動ができれば、自分が誇らしく思え、自己肯定感も高まります。
誰から感謝されなくても、神様は感謝しています。
普段から落とし物を届け出る人は、いざ自分が落とし物をしたとき、戻ってきやすくなります。
日頃の行いがいいので、神様が見つかるのを手伝ってくれるのです。