笑顔が大切です。
無表情で「ありがとうございます」と言われても、決まり文句のように感じます。
感謝は感謝ですが、あまり嬉しくありません。
うっかり人に迷惑をかけてしまったときは「申し訳ないことをした」と思います。
配慮不足、注意不足、力不足など、ふがいない自分を責めてしまうでしょう。
人間ですから、ミスはあります。
勝ったかどうかで、強いかどうかが決まるのではありません。
勝利は、実力もありますが、偶然勝ってしまうことがあります。
天候やタイミングに左右されることもあります。
本当の敵とは、弱気です。
弱気になっていると、あらゆることが不可能に近づきます。
勉強も恋愛も仕事も人間関係も、弱気になっていると、なかなかうまくいきません。
本当の敵は、弱気です。
弱気は、あらゆることを不可能に近づけます。
また、本来の実力すら奪ってしまう力もあります。
人間にとって、本当に大切な食事とは何でしょうか。
ご飯、パン、水、お菓子、果物。
さまざまなことを思い浮かべますが、最重要ではありません。
本当のプロは、横柄な態度になりません。
横柄な態度の人は、たとえプロと名乗っていても、怪しいと考えたほうがいいでしょう。
横柄な態度になっている時点で「自分は熟練者。すごい人間。偉い人間」と偉そうになっています。
少しでも見返りを求めるなら、本当の愛ではありません。
見返りを求めるのは、ギブ・アンド・テイクです。
「与えるから、お返しもしてね」という状態です。
病気を憎むのは良くありません。
もちろん憎みたくなる気持ちはあるでしょう。
痛みや苦しみがあると「こんな病気が憎い」「この病気のせいで、人生がめちゃくちゃになった」と思って当然です。
大人になって、子ども心を忘れるわけではありません。
思い出せなくなるだけです。
子どもと接していると、優しい気持ちになることはありませんか。
イメージしてみてください。
あなたは今、天国のような場所にいるとします。
空には、きれいな青空が広がっています。
「あの人のようになりたい」
人生では、素晴らしいお手本に憧れを抱くことがあります。
行動や考え方など、尊敬できる一部を真似するならいいのです。
私たちが一般的に考える成功とは、財産・地位・名誉が基準になっています。
高い地位や多くの財産を得て、社会的に認められることを成功と考える人が、多いのではないでしょうか。
しかし、本当の成功とは、財産ではありません。
失敗を避けるためには、どうすればいいのでしょうか。
「失敗を避けるには、行動をしないのがいちばん」
そう考える人もいるのではないでしょうか。
お金がなくなるのは、致命的ではありません。
「お金がないと死ぬ」と言いますが、本当でしょうか。
お金がなくなることに、必要以上の恐怖を抱く人が多いように思えます。
謙虚とは、何でしょうか。
謙虚とは、自分の能力や地位などにおごることなく、素直な態度で人に接することを言います。
人間関係では、謙虚が大切だといわれています。
本当のスタートとは、何でしょうか。
世間では「ゼロから始める」という声をよく聞きます。
振り出しから始めることで、物事がスムーズにいくという考え方です。
本当の絶望とは、何でしょうか。
お金がすべてなくなったときでしょうか。
受験で失敗したことでしょうか。
豊かな時間の意味を、私たちは誤解しています。
豊かな時間と言えば、お金・物・空間などを贅沢に使うイメージがあります。
高級ブランド品を買ったり、大きなプールで泳いだり、ケーキの食べ放題であったりなどです。
あなたの好きなことは、何ですか。
きっとたくさんあるでしょう。
本を読むこと、音楽を聴くこと、映画を見ること。
学力とは何でしょうか。
辞書で意味を調べると「学習によって得られた能力」と書かれています。
では、学習によって得られた能力とは何でしょうか。
正義とは何でしょうか。
これは少し難しい問題です。
それぞれの辞書によって記載内容が若干異なりますが、要約すると、おおむね以下のとおりです。
幸せとは、何でしょうか。
あなたが幸せと感じる瞬間を、思い出してください。
大金を手に入れたとき。
努力とは何でしょうか。
努力とは、ある目的のために、気を抜かず励むことです。
資格取得のために勉強を励んだり、仕事の成果を得るために力を尽くしたりなどです。
優しさとは、何でしょうか。
優しさといえば、親切で上品に接する様子をイメージするでしょう。
思いやりや慈しみの心が感じられるときも、優しいと感じる人も多いでしょう。
男らしさとは何でしょうか。
身長が高いこと。
かっこいい顔立ちであること。
女らしさとは、何でしょうか。
本当の女らしさとは「美しさ」を意識することです。
やはり、女性に美しさは欠かせません。
恥をかくといえば、何をイメージするでしょうか。
文字を読み違えたこと。
度忘れしたこと。
コミュニケーションとは何でしょうか。
言葉を交わしているだけでは、本当のコミュニケーションではありません。
単に、言葉を交わしているだけでは、社交辞令です。
親孝行とは何でしょうか。
親孝行とは、親を敬い、大切にし、真心を持って尽くすことを言います。
たとえば、生活に困る親に仕送りをしたり、年老いた親を介護したりなどです。
笑顔が大切です。
無表情で「ありがとうございます」と言われても、決まり文句のように感じます。
感謝は感謝ですが、あまり嬉しくありません。
心がこもっていない言葉は、言われても感動しません。
本当の感謝とは、言葉より表情です。
笑顔なのです。
感謝をするときには、笑顔になって「ありがとうございます」と言いましょう。
歯を見せましょう。
たくさんしわをつくりましょう。
頭を下げましょう。
相手がいちばん求めているのは、その嬉しそうな表情です。
にこにこした笑顔で「ありがとう」と言うとき、最も感謝が伝わります。
笑顔に勝る感動はありません。
これが、本当の感謝です。
うっかり人に迷惑をかけてしまったときは「申し訳ないことをした」と思います。
配慮不足、注意不足、力不足など、ふがいない自分を責めてしまうでしょう。
人間ですから、ミスはあります。
しかし、やみくもに自分を責めてばかりでは、何の成果も得られません。
落ち込んで、自分を責めるだけでは、相手も迷惑になるでしょう。
自分を責めてばかりでは、不毛です。
誰かに迷惑をかけて自分を責めるなら、まずいいことをしましょう。
1つ迷惑をかければ、その3倍、人にいいことをします。
1つの迷惑につき、3つの善行です。
困っている人を助けたり、人に優しく接したり、今後の改善に尽くしたりします。
これからの善行によって、罪の気持ちを晴らします。
それで、すべての罪が消えるわけではありませんが、今できることの中で、最も建設的です。
自分を責めてばかり生きるより、はるかに意義があります。
それが、本当の反省です。
勝ったかどうかで、強いかどうかが決まるのではありません。
勝利は、実力もありますが、偶然勝ってしまうことがあります。
天候やタイミングに左右されることもあります。
本当の強さとは、諦めないかどうかで、決まるのです。
諦めないのは、偶然ではありません。
本人に強い信念や精神力がなければ、果たせないことです。
負けても負けても、諦めない。
100回負けても、諦めない。
これは、勝っている人以上に強いことです。
諦めるのは簡単ですが、諦めないのは難しい。
落ち込んだ気持ちを立て直すのは、強いパワーが必要です。
だから、本当の強さとは、諦めないことを言います。
強くなりたければ、諦めないことです。
たとえ負けたとしても、諦めなければ、あなたは強いことになります。
本当の敵とは、弱気です。
弱気になっていると、あらゆることが不可能に近づきます。
勉強も恋愛も仕事も人間関係も、弱気になっていると、なかなかうまくいきません。
基本が逃げる姿勢になっていると、何をやってもダメです。
また弱気になっていると、本来の力さえ発揮できなくなります。
弱気になると、緊張や恐怖が増して、手足が震え始めます。
足腰に力が入りにくくなります。
「どうせできない」「ダメだろう」というマイナス思考のせいで、本来の実力さえ発揮できなくなるのです。
弱気とは、挑戦する前から、すでに負けている状態です。
人生最大の敵は、あなたの内側にいます。
その魔物を、あまり刺激しないことです。
弱気になった瞬間、えたいの知れない魔物が、内側で暴れ始めます。
どんなことがあっても弱気にならないことです。
弱気こそ、人生最大の敵なのです。
本当の敵は、弱気です。
弱気は、あらゆることを不可能に近づけます。
また、本来の実力すら奪ってしまう力もあります。
では、逆に、本当の味方とは何でしょうか。
弱気の逆です。
強気です。
強気になっていれば、あらゆることが可能に近づきます。
勉強も恋愛も仕事も人間関係も、強気なら、うまくいきやすくなります。
強気になっていると、積極性が生まれるため、勇気が生まれます。
元気が生まれ、勢いが出て、新しい道が切り開かれます。
行動力も強くなります。
どんどん実現に向かうのです。
また、強気になっていれば、実力以上の力も発揮しやすくなります。
強気が、あなたの背中を押してくれます。
まさしく、味方なのです。
人生最大の敵も味方も、あなたの内側に存在します。
どちらを引き出すかは、あなたしだいです。
人間にとって、本当に大切な食事とは何でしょうか。
ご飯、パン、水、お菓子、果物。
さまざまなことを思い浮かべますが、最重要ではありません。
ご飯やパンは、食べなくても、しばらく生きていけます。
おなかが減っても、ある程度、我慢できます。
本当に大切な食事とは、もっともっと、手前にあります。
空気なのです。
息をとめて、空気を吸うのをやめれば、ほんの数分で死ぬでしょう。
つまり、それだけ重要な食事なのです。
生きるために、必要不可欠な食事です。
逆に言えば、たくさん吸えば、元気が出るのです。
元気のない人は、呼吸が浅くなっています。
食事の量が少ないので、元気も出ないのです。
幸い、私たちはこの素晴らしい食事を、いつでも無料で食べられる状態にいます。
いつも当たり前の吸える空気への感謝を、忘れているのではないでしょうか。
ささいなことですが、幸せです。
世界一おいしい食事は、今、目の前にあります。
目に見えませんが、目に見えないことほど大切です。
ゆっくり大きく空気を吸いましょう。
深呼吸です。
空気をたくさん吸えば吸うほど、体中の37兆個の細胞が喜び、活性化されます。
無料でいただけるのですから、できるだけたくさん取り込んで、今日も元気になりましょう。
本当のプロは、横柄な態度になりません。
横柄な態度の人は、たとえプロと名乗っていても、怪しいと考えたほうがいいでしょう。
横柄な態度になっている時点で「自分は熟練者。すごい人間。偉い人間」と偉そうになっています。
人を見下していることもわかります。
つまり、向上心が失われているのです。
向上心が失われているのは、すでにプロではありません。
実力はあるかもしれませんが、目線が下を向いているため、まもなく成長が衰え始めるでしょう。
偉人の伝記を読んでみてください。
偉人は、必ず謙虚です。
横柄な偉人は、1人もいません。
横柄な態度は、プロにふさわしい姿ではありません。
本当のプロは「自分はまだまだ」「少しでも向上したい」と言って、謙虚に振る舞います。
どんなに名高い勲章を授与されても、控えめな意見が印象的です。
「私だけでなく、多くの人の協力によって、ここまで来ることができました」
「これからが、本当の始まりだと思っています」
「先輩たちの足元にも及びませんが、1つの励みとして、これからも精進していきます」
「まだまだ」と謙虚になれるのは、向上心がある証拠です。
どんなにレベルが高くなっても、謙虚な姿勢を忘れないことです。
謙虚な姿勢になると、目線が上を向くため、今後も成長が続くでしょう。
だから、プロとして、より磨きがかかるのです。
プロと呼ばれても、謙虚な姿勢を見せている人が、本当のプロです。
少しでも見返りを求めるなら、本当の愛ではありません。
見返りを求めるのは、ギブ・アンド・テイクです。
「与えるから、お返しもしてね」という状態です。
受け取ることを前提に与えるなら、本当の愛ではなく、偽善の愛です。
嘘があります。
偽りがあります。
愛にあふれた態度に見えても、裏にたくらみがあるなら、本当に愛があるとは言えません。
本当の愛とは何か。
本当の愛とは、ギブ・アンド・ギブです。
一切の見返りは求めず、期待もしないのです。
相手の幸せのため、ただ与えるだけに徹します。
与えたことで相手が喜んでくれることが、自分の幸せになる状態です。
たとえば、大切なわが子を育てるときには、一切の見返りは求めません。
「育ててあげたからお金をくれ」とは思いませんね。
わが子がすくすく育ってくれるだけで、十分幸せだと思います。
まさしくギブ・アンド・ギブの状態です。
一方、片思いで悩むのは、偽物の愛です。
「私はあなたが好きだから、あなたも私を愛してほしい」と、見返りを求めています。
愛のように見えますが、裏にたくらみがあるのです。
もし片思いの人が「恋愛が成就しなくてもいいから、相手が幸せになれば、自分も幸せ」と思えば、本当の愛になります。
病気を憎むのは良くありません。
もちろん憎みたくなる気持ちはあるでしょう。
痛みや苦しみがあると「こんな病気が憎い」「この病気のせいで、人生がめちゃくちゃになった」と思って当然です。
しかし、よく考えてみてください。
病気を憎んだところで、いいことは1つもないのです。
むしろ、悪いことがさらに増えます。
痛みを憎むと、そこに注意が向くため、苦しみが余計に強く感じられるでしょう。
しかも憎めば憎むほど、回復まで遅くなります。
マイナスの感情が免疫力を低下させ、病気の回復を妨げるのです。
病気に立ち向かう、正しい姿勢とは何でしょうか。
本当の闘病とは、回復する自分を想像することです。
日に日に痛みや苦しみが消えて、元気になっていく自分を想像します。
その結果、普通に生活が送れるようになり、仕事や趣味を通して、人生を満喫している自分も想像しましょう。
苦しみや痛みがあって考えにくいかもしれませんが、まず回復する自分を想像することが大切です。
回復する自分を想像するのは、ポジティブ思考です。
医学的にポジティブ思考は、体の免疫機能が向上することが証明されています。
回復する自分を想像していると「ナチュラルキラー細胞」が活性化されて、体の免疫機能が向上します。
その結果、痛みや苦しみが和らいだり、回復が早くなったりすることがあります。
しばらく動けないなら「人生の夏休み」と思うことです。
病気によって不便ができれば、不便を楽しむと考えることです。
本当の闘病とは、ネガティブに憎むことではなく、ポジティブに戦うことです。
大人になって、子ども心を忘れるわけではありません。
思い出せなくなるだけです。
子どもと接していると、優しい気持ちになることはありませんか。
心の奥底に隠れていた子ども心が、表面化したからです。
「そういえば、昔はこんな遊びをしていたな」
「昔の自分を見ているようだ」
無邪気な子どもと接する機会を通して、昔の自分と重なり、忘れかけていた子ども心を思い出します。
子どもと接することで、自分の本来の生き方や考え方を見直すことができるのです。
大人の心しか知らない大人になるのではありません。
大人の心しか知らない大人なんて、つまらないです。
お金しか価値を感じない人間になってしまいます。
本当の大人とは、大人の心だけでなく、子どもの心も抱いている人です。
素直・正直・初心など、大切なことほど、子どものような心です。
これは、大人になっても必要です。
心のバランスを保つためです。
理想的な大人とは、子ども心を抱きながら、現実を生きている状態です。
子どもと大人の両方の心を大事にすることで、バランスを保ちながら、現実を生きられます。
人生に迷いかけたときは、子ども心を思い出しましょう。
子どもと接することで、子ども心を思い出せます。
お金の話しかできない大人になんて、ならないことです。
大人になると、子どもが先生になります。
子どもは、初心を思い出させてくれる先生です。
今度子どもに会ったときは、人生の基本について、いろいろ教えてもらいましょう。
イメージしてみてください。
あなたは今、天国のような場所にいるとします。
空には、きれいな青空が広がっています。
平野には、美しい花々が咲き乱れています。
とても静かで、空気も澄み切っています。
ちなみに足元には、一生困らないほどの大金もあります。
イメージだけで考えると、天国のような場所ですね。
さて、ここに1つ条件を加えると、明るい雰囲気は、一変します。
「自分しかいない」という状況にしてください。
自分以外、誰もいないのです。
すると、さっきまで天国のようだった場所が、急に怖い場所に思えるはずです。
強い孤独、寂しさ、焦り、恐怖に襲われるでしょう。
何をすればいいか、途方に暮れるでしょう。
最終的には、発狂するはずです。
仮に天国と言われる場所に行っても、自分1人しかいなければ、地獄のように感じます。
どんなに環境がよくても、1人だけでは、むなしいのです。
この事実に気づいてください。
天国の本質とは、環境ではありません。
本当の天国とは何か。
人なのです。
人間関係です。
人のいる場所こそ、天国です。
天国とは、行くものではなく、つくるものです。
徹底的に親しい人をつくり、もっと人を大切にすることです。
まず家族を大切にしましょう。
親しい友人をつくり、仲を深めましょう。
会社の仲間と、仲良く協力しましょう。
一緒に笑ったり、遊びに行ったり、自由に話せたりする人間関係をつくります。
すると、その人と接している場所が、天国になります。
親しい人であればあるほど、その空間が、素晴らしい天国になります。
どこかにあるのではなく、あなたの周りにいる人たちが、天国をつくるための手がかりと考えてください。
「あの人のようになりたい」
人生では、素晴らしいお手本に憧れを抱くことがあります。
行動や考え方など、尊敬できる一部を真似するならいいのです。
一部を参考にするなら、良いお手本になり、うまく吸収できるでしょう。
人間がよりよく生きるために、やはりお手本は必要です。
しかし、顔も髪型も考え方もすべて同じになろうとするのは、非現実的です。
残念ですが、不可能です。
チューリップのタネが「バラの花になりたい」と言っているようなものです。
チューリップのタネからは、チューリップしか咲きません。
チューリップのタネが、バラの真似をしても、中途半端な状態にしかなれません。
かえって不自然な成長になるため、途中で枯れてしまうかもしれません。
あなたが生きるべき真の道は、自分らしい道です。
チューリップのタネからは、チューリップしか咲かないのと同じです。
あなたは、あなたにしかなれません。
他人の真似をしても、完全にその人になることはできないのです。
自分の本当の生きる道とは、自分らしさをとことん極める生き方です。
その道が、普通や平均から外れていても、気にしないことです。
自分らしい道に、平均や普通は関係ありません。
私たちは、生まれたときから、もともと備わっている素質や特徴があります。
それを見つけ、伸ばし、生かすのです。
自分らしい道を歩むとき、もっとも健全に成長できます。
自分らしい花が咲くでしょう。
そうなる道こそ、あなたが本当に生きるべき道です。
私たちが一般的に考える成功とは、財産・地位・名誉が基準になっています。
高い地位や多くの財産を得て、社会的に認められることを成功と考える人が、多いのではないでしょうか。
しかし、本当の成功とは、財産ではありません。
地位でも名誉でもありません。
財産・地位・名誉を中心で考えるなら、何も持たない赤ちゃんは、最大の失敗者になります。
そうではありませんね。
では、本当の成功とは何でしょうか。
植物を見てください。
たとえば、ヒマワリの花にとって、成功とは何でしょうか。
ヒマワリが、財産・地位・名誉を持つことはありません。
ヒマワリの成功とは、自分らしく生きることです。
タネから芽を出し、すくすく茎と枝を伸ばし、最後に大きくてきれいな花を咲かせる。
花を咲かせた瞬間だけが、成功ではありません。
花を咲かせる途中も、自分らしく成長していますから、成功といえます。
つまり、本当の成功とは、自分らしく生きることなのです。
人間も同じです。
人間の成功も、財産・地位・名誉が得られた瞬間ではありません。
自分らしく生きたときのことをいいます。
財産・地位・名誉がなくても、あなたが自分らしく生きれば、今すぐ成功者になれます。
自分を正直に表現し、素直に生きている。
自分の好きなことを存分に楽しみ、人生を満喫している。
これほどの成功はないのです。
自分らしく生きているか、自分に問いかけてみてください。
「自分らしく生きている」と思うなら、財産・地位・名誉にかかわらず、あなたはすでに成功者です。
失敗を避けるためには、どうすればいいのでしょうか。
「失敗を避けるには、行動をしないのがいちばん」
そう考える人もいるのではないでしょうか。
たしかに行動しなければ、失敗を確実に避けられそうな気がします。
しかし、誤解です。
本当の失敗とは「何もしないこと」です。
何もしなければ、何も起きないのではありません。
何もしなければ、何も得られないから、失敗なのです。
人生の貴重な時間を、完全に無駄にしたのです。
行動しなければ、経験もゼロです。
これほどの失敗はありません。
失敗を避けるには、とにかく何か行動しましょう。
結果は関係ありません。
もし行動をして失敗をしたなら、失敗という結果が得られます。
失敗によって、失敗の理由を発見できるのですから、1つの前進です。
何をしていいのかわからなければ、まず活字から始めるといいでしょう。
新聞でも、雑誌でも、本でもかまいません。
だらだらでもいいですから、活字を読んでいれば、新しい情報が得られます。
新しい情報を得ることで、自分に変化が生まれるでしょう。
頭を使うのが嫌なら、体を動かしましょう。
散歩をするだけでも意味があります。
だらだら適当に歩いているだけでも、体力の維持になります。
さまざまな景色が見えて、気分が爽快になるでしょう。
何か行動することで「何もしない」という失敗を避けられます。
お金がなくなるのは、致命的ではありません。
「お金がないと死ぬ」と言いますが、本当でしょうか。
お金がなくなることに、必要以上の恐怖を抱く人が多いように思えます。
お金がなくなれば、また稼げばいいだけです。
家がなければ、親戚や友人の家にいそうろうさせてもらいます。
格安の宿泊施設もあります。
最悪、路上生活もあります。
重い障害や複雑な事情があって働くことが難しければ、生活保護という手段もあります。
ごみ箱をあされば、食べ物が捨てられている時代です。
本当にお金がないだけで死ぬのは、現代社会では難しいでしょう。
本人に「生きたい」という気持ちさえあれば、見かけは悪くても、実際は生きられる時代です。
欲や見栄を捨て、贅沢さえしなければ、生活は苦しくても生きられます。
しかし、お金をなくすことはあっても、希望だけはなくしてはいけません。
本当に怖いのは、お金より希望を失うことです。
希望は、お金より大切です。
希望を失い「生きていても無駄」「死にたい」という気持ちになれば、お金はあっても、生きられません。
自分から死を選ぶことになるでしょう。
人は、お金ではなく、希望を失ったとき、死んでしまうのです。
私たちは「お金、お金」と言って拝金主義に走りがちです。
実際は、お金より希望のほうが、はるかに大切です。
どんな状況でも、希望だけは持つことです。
希望さえあれば、再起のチャンスがあります。
人と会って話をして、笑うこともできます。
散歩をして、自然を楽しむこともできるでしょう。
お金より、希望を大切にしてください。
謙虚とは、何でしょうか。
謙虚とは、自分の能力や地位などにおごることなく、素直な態度で人に接することを言います。
人間関係では、謙虚が大切だといわれています。
しかし、謙虚について誤解している人がいるようです。
「否定することが謙虚」と思っているなら、要注意です。
否定は、謙虚ではありません。
横柄なのです。
たとえば、あなたが人から褒められたとします。
このとき、謙虚のつもりで否定していませんか。
「大したことありませんよ」
「私なんて、単なるばかです」
否定することで謙虚を表現しているように思えますが、これは違います。
謙虚ではなく、横柄なのです。
否定するということは、それに関わるすべての存在まで否定することになるからです。
自分だけ否定しているわけではありません。
自分を否定したと同時に、自分を産み育てた親まで否定していることになります。
「親の育て方が悪い」「親は最低だ」「情けない親だ」と言っているようなものです。
同時に、親を産み育てた祖父母やご先祖様も否定していることになります。
もっと幅を広げれば、地球や宇宙まで否定していることになります。
スケールの大きな話になりますが、否定すると、それに関わるすべての存在を否定することになります。
だから、謙虚のつもりで否定するのは、横柄な言葉なのです。
では、本当の謙虚とは何か。
本当の謙虚とは、褒められたとき、素直に感謝することです。
自分を認めるということは、自分を産み育てた親も認めるということです。
同時に、親を産み育てた祖父母や、ご先祖様のすべても認めていることになります。
大きなスケールで考えれば、地球や宇宙の素晴らしさまで認めていることになります。
本当の謙虚とは、否定ではなく、感謝です。
「素晴らしいですね」と言われたときは「ありがとうございます」と素直に感謝しましょう。
それが、本当の謙虚です。
本当のスタートとは、何でしょうか。
世間では「ゼロから始める」という声をよく聞きます。
振り出しから始めることで、物事がスムーズにいくという考え方です。
しかし、ここに大きな誤りがあります。
ゼロから始めるのではありません。
ゼロから始めても、うまくいかないでしょう。
ゼロから始めるという状況は、いわば、突然のスタートです。
準備がゼロの状態のため、不足があって取り乱し、不満足な結果で終わるでしょう。
ゼロではまだ甘い。
スタートラインは、前に出すぎです。
本当のスタートは、マイナスから始めるのが正解です。
スタートラインより、ずっと後ろに下がって、マイナスから始めましょう。
マイナスから始めるとは「準備から始める」ということです。
しっかり準備を整えるから、ゼロからのスタートもうまくいきます。
さらに後ろへ下がり、準備の準備から始めてもいいでしょう。
目的を定め、計画を立て、意識を高め、モチベーションを上げておきます。
あらゆる準備を万端にしてから始めると、素晴らしいスタートができます。
本当のスタートとは、マイナスから始めることなのです。
本当の絶望とは、何でしょうか。
お金がすべてなくなったときでしょうか。
受験で失敗したことでしょうか。
家が燃えてしまったときでしょうか。
泥棒によって、すべての家財道具を盗まれたときでしょうか。
職を失ったときでしょうか。
交通事故に遭って、手足を失ったときでしょうか。
いいえ、どれも違います。
よく見てください。
どれも、本気になれば、やり直しができることばかりです。
お金がなければまた稼げばいいし、職を失っても再就職すればいい。
たとえ、手足を失ったとしても、義手や義足があります。
私たちの多くは、絶望を誤解しています。
本当の絶望とは、命を失ったときです。
失われた命だけは、どんなに大金や時間があっても、やり直せないし、取り戻せない。
命を失ったとき、完全にすべての可能性が失われます。
つまり、生きているうちに、本当の絶望は体験できません。
絶望して落ち込んでいるのは、勘違いです。
命という素晴らしい宝物が、最後に残っています。
人生は、何度でもやり直せます。
命があるかぎり、諦めるのはまだまだ早いのです。
豊かな時間の意味を、私たちは誤解しています。
豊かな時間と言えば、お金・物・空間などを贅沢に使うイメージがあります。
高級ブランド品を買ったり、大きなプールで泳いだり、ケーキの食べ放題であったりなどです。
たしかにお金や物を必要以上に使うと「贅沢だ。幸せだ」と思うこともあるでしょう。
しかし、お金や物が基準になって、豊かさが決まるのではありません。
高級ブランド品を買ったとしても、そもそもブランド品に興味がない人には、大きな荷物になるだけでしょう。
大きなプールがあっても、泳げない人には、意味がありません。
おいしいチーズケーキがあっても、チーズが大嫌いな人には、まずく感じるでしょう。
価値観は人それぞれで、一概には言えません。
本当の豊かさとは、好きなことをすることです。
値段や物量は関係ありません。
自分が「好き」と感じることをしましょう。
好きな場所、好きな趣味、好きな人などです。
好きに関することは、すべて豊かです。
好きなことをしている時間は、心が躍っています。
読書する様子が地味に見えても、心が躍っているなら、豊かな時間です。
値段が安くても、自分の大好物を食べて幸せを感じるなら、豊かな時間です。
好きなことをしていますか。
豊かな時間を過ごすために、大金が必要とは限りません。
好きなことをするだけでいいのです。
地味に見えても、好きなことをしていれば、豊かな時間です。
さっそく今日も、豊かな時間を過ごすために、好きなことを始めましょう。
あなたの好きなことは、何ですか。
きっとたくさんあるでしょう。
本を読むこと、音楽を聴くこと、映画を見ること。
絵を描くこと、人と話すこと、おしゃれを楽しむこと。
好きなことがたくさんある人は、幸せです。
好きなことに囲まれていれば、充実した人生を送ることができるでしょう。
さて、さらに突き詰めた質問があります。
このうち、本当に好きなことは、どれでしょうか。
「愛している」「これがないと生きていけない」「生きがいだ」と言えるほど、大好きなことです。
なかなか難しい問題ですね。
1つ、簡単な確認方法があります。
無人島でも、できるかどうかです。
私たちが好きなことをするとき、見栄・プライド・世間体が関係している場合があります。
たとえば、読書が好きでも、実は人から博識と思われたい見栄やプライドが関係していることがあります。
おしゃれが好きな人でも「ださい」と思われたくない世間体が、関係している場合があります。
見栄・プライド・世間体が関係していることは、本当に好きなことではありません。
他人に影響されていることだからです。
本当に好きなこととは、自分が本当に心から惚れていることです。
それを確認するには「無人島でもできるか」と問うのが、いちばんです。
無人島は誰もいないため、見栄・プライド・世間体は関係ありません。
「無人島でもできるか」という基準で確認すると、自分にとって本当に好きなことがわかるでしょう。
無人島でも、読書やおしゃれが楽しめるなら、心から好きである証拠です。
あなたが、無人島でも楽しめることは何ですか。
それが、あなたにとって、本当に好きなことです。
学力とは何でしょうか。
辞書で意味を調べると「学習によって得られた能力」と書かれています。
では、学習によって得られた能力とは何でしょうか。
私たちが学校で学ぶ学力は、知識力・計算能力・問題解決力の3つが中心です。
これらを高めれば、試験で高得点が取れるため、学力と考える傾向があります。
もちろん知識力・計算能力・問題解決力も学力の1つでしょうが、本当の学力といえば、違和感があります。
もし、これらを軸にするなら、コンピューターのほうが優秀です。
CPUやハードディスクを駆使すれば、人をはるかに超えた知識力や計算能力を発揮できるでしょう。
問題解決力についても、チェスや将棋で、コンピューターがプロを打ち負かすニュースが、世間を騒がせています。
知識力・計算能力・問題解決力を学力と考えるなら「コンピューターには学力がある」と言えることになります。
何か違いますよね。
その違和感の正体は、コンピューターの受け身の姿勢です。
本当の学力とは、何でしょうか。
本当の学力とは、自分から疑問を見つけ、考え、解決するまで積極的に取り組む力をいうのです。
これは、コンピューターにはできません。
コンピューターは、与えられた問題だけを解決する機械です。
自分から疑問を見つけて解決に導く姿勢は、意識を持つ人間だからできることです。
受け身ではなく、積極的な姿勢があってこそ、本当の学力なのです。
地球では今、さまざまな問題が発生しています。
環境汚染、遺伝子操作、宗教戦争、少子化。
あなたの身の回りにも、たくさんの問題があるでしょう。
仕事の問題、家庭の問題、将来の問題などです。
自分で問題を見つけ、考え、解決するまで積極的に取り組む姿勢が大切です。
それが、本当の学力です。
正義とは何でしょうか。
これは少し難しい問題です。
それぞれの辞書によって記載内容が若干異なりますが、要約すると、おおむね以下のとおりです。
「社会全体の幸福を実現すること」です。
世界では「正義のために戦う」という大義名分で、暴力や破壊行為を見かけることがあります。
時には、殺人を犯す場合もあるようです。
しかし、いくら正義とはいえ、暴力・破壊・殺人は違います。
暴力・破壊・殺人をする時点で、社会の秩序を乱し、幸福を奪っているからです。
正義のために暴力・破壊・殺人を犯すなら、利己主義が横行して、世界中が戦争になるでしょう。
自分のことしか考えない状態は「社会全体の幸福を実現する」という正義とは、反するのです。
本当の正義とは、何でしょうか。
本当の正義とは、暴力・破壊・殺人を避けながら、社会全体の幸福を実現することを言います。
話し合いをしたり、尊重し合ったり、助け合ったり、分け与えたりです。
完全にお互いの利害が一致すればいいのですが、現実としては難しいでしょう。
そこで必要なのが、妥協です。
多くの意見をまとめた結果、自分が損をすることになるかもしれません。
しかし、結果として、社会全体の幸福が実現するなら、正義です。
自分の損が誰かの得になっても、全体として平等と幸福が実現するなら、正しい意義があると言えるでしょう。
これが、本当の正義なのです。
幸せとは、何でしょうか。
あなたが幸せと感じる瞬間を、思い出してください。
大金を手に入れたとき。
欲しい服を買ったとき。
最新の電子機器を手に入れたとき。
大金や欲しい物を手に入れたとき「幸せだ」と考えることでしょう。
たしかに物質的豊かさは、幸せの1つです。
しかし、本当の幸せかというと、疑問が残ります。
物質的豊かさによる幸せは、一時的です。
手に入れた瞬間は喜びを感じますが、すぐ慣れます。
また、手に入れたときの幸せには、深い満足感が伴っていません。
ニュースを見てください。
お金や物に不自由しないはずの資産家や有名人が、自ら命を絶つニュースがあります。
物で人が幸せになるなら、自殺をするはずがありません。
物は、人を本当に幸せにはしないのです。
深い満足感があってこそ、本当の幸せです。
では、本当の幸せとは何でしょうか。
精神的豊かさなのです。
愛情、愛着、友情などです。
人とのつながりを通して得られる心です。
幸せは、心で感じるものです。
心があってこそ、本当の幸せを感じます。
人とのつながりを通して得られる心に触れたとき、人は深い満足感を抱きます。
人から慕われたり、愛されたり、尊重されたりするとき「幸せだな」と感動し、深い満足感が得られるのです。
自分の生活を振り返りましょう。
心が豊かな生活を送っているでしょうか。
人間関係を大切にしましょう。
家族関係、恋人関係、友人関係などです。
仕事の人間関係も大切です。
本当の幸せとは、物質的豊かさではなく、精神的豊かさです。
努力とは何でしょうか。
努力とは、ある目的のために、気を抜かず励むことです。
資格取得のために勉強を励んだり、仕事の成果を得るために力を尽くしたりなどです。
たしかにこれらも努力の1つですが、本当の努力となると違います。
本当の努力とは何か。
本当の努力とは、諦めそうになってから励むことです。
「ダメだろうな」と思うから、諦めるのではありません。
「ダメだろうな」と諦めそうになっても「いいや、まだ諦めないぞ」と希望を持って、努力を続けることです。
諦めそうになれば、こう声をかけましょう。
「ここからが本当の努力だ」と。
諦めそうになってから、正念場です。
不可能を、可能に変えられる瞬間です。
あなたの本当の努力が、試されるのです。
優しさとは、何でしょうか。
優しさといえば、親切で上品に接する様子をイメージするでしょう。
思いやりや慈しみの心が感じられるときも、優しいと感じる人も多いでしょう。
たとえば、困っているときに助けられると「優しい人だ」と思うはずです。
ここが注意です。
困っている人を助ける様子が、必ずしも優しいとは限りません。
相手は、見返りを求めて、親切に接しているのかもしれません。
いやらしい考えがあって近づいているのかもしれません。
騙そうとして、接しているのかもしれません。
裏がある状態で近づくのは、本当に優しいとは言えないのです。
本当の優しさとは何か。
本当の優しさとは 損得勘定なく、相手のために接することです。
見返りがなくてもいい。
お礼を言われなくてもいい。
嫌われてもいい。
相手の幸せを心から願って接することが、本当の優しさです。
時には、厳しく接することもあるでしょう。
たとえ表面上は厳しく見えても、相手の幸せを願う行為なら、本当の優しさの1つです。
親が子どものために厳しく叱るのも、優しさの表現です。
先生や友人が、あなたに厳しく叱るのも、実は優しいといえます。
相手の幸せを願って接することが、本当の優しさです。
損得勘定なく、誰かのために尽くすことができているでしょうか。
男らしさとは何でしょうか。
身長が高いこと。
かっこいい顔立ちであること。
力が強いこと。
たしかにどれも男らしさの1つですね。
では、身長が男らしさのすべてかと言えば、少し違うと感じるでしょう。
顔立ちの善しあしが、男らしさのすべてというのも、疑問です。
では、本当の男らしさとは何でしょうか。
本当の男らしさといえば、1つしかありません。
力なのです。
体力や筋力などの肉体的な力は、男性らしさに必須です。
肉体的な力がないと、大切な人を守ることができません。
肉体的な力があってこそ、精力的に仕事をしてお金を稼いだり、大切な人を守ったりできます。
ただし、力とはいえ、肉体的な力だけではありません。
力には、経済力・包容力・精神力も含まれます。
いくら力があっても、経済力がないと、頼りなく感じるでしょう。
いくら力があっても、包容力や精神力がなければ、生かされません。
経済力・包容力・精神力があってこそ、肉体的な力も正しく生かされます。
肉体的な力だけでなく、経済力・包容力・精神力がそろっている状態が、本当に男らしい状態です。
こうした力を全般的に高めていけば、身長や顔立ちに恵まれていなくても、十分男らしくなれます。
肉体的な力だけ偏りすぎず、経済力・包容力・精神力も高めましょう。
それぞれの力をバランスよく鍛えてこそ、本当の男らしさです。
女らしさとは、何でしょうか。
本当の女らしさとは「美しさ」を意識することです。
やはり、女性に美しさは欠かせません。
若者から年配者まで、すべての女性に、美しさは憧れです。
美しさがあってこそ、やはり女性が女らしく見えます。
さて、美しい女性と言えば、何を思い浮かべますか。
高級品を身につけること。
美しく着飾ること。
きれいにメイクをすること。
きれいな肌や顔立ち。
こうした美しさを意識するのではないでしょうか。
たしかにどれも美しさですが、ここで誤解しやすいのです。
多くの女性が、外見の美しさに偏りすぎているのではないでしょうか。
美しさとは、外見だけではありません。
内面の美しさも含まれます。
性格、言葉遣い、作法、人柄などです。
いくら外見が美しくても、性格が悪かったり不作法だったりすると、台無しです。
心や品性を忘れてしまえば、人は猿と同じになります。
外見だけの美しさに偏っていませんか。
内面の美しさも大切です。
外見は、年とともに衰えますが、内面は、磨き続ければ、年とともに輝きが増します。
内面の美しさがあってこそ、外見の美しさも輝きます。
外見と内面の両方の美しさがそろったとき、本当の女らしさが表現できます。
本当に、美しい女性なのです。
恥をかくといえば、何をイメージするでしょうか。
文字を読み違えたこと。
度忘れしたこと。
感情的になり、言いすぎたこと。
レストランで、マナーを間違えたこと。
いつの間にか居眠りをしてしまい、寝顔を見られたこと。
どれも避けたい恥ですね。
しかし、大丈夫です。
幸い、どれも本当の恥ではありません。
人間ですから、うっかりもあります。
恥をかいても「失礼しました」「間違えました」「すみませんでした」と謝れば、許してもらえるでしょう。
では、本当の恥とは何でしょうか。
本当の恥とは、恥を隠すことです。
ごまかしたり、曖昧にしたりするのが、いちばん恥ずかしい姿です。
本人は反省しません。
反省しないため、また同じことを繰り返すでしょう。
しかも、恥を隠そうとする姿は、自然とほかの人にわかるものです。
不自然な様子は、目立ちます。
恥を隠そうとする姿は、反省から逃げている様子に見え、最もかっこ悪く見えるのです。
恥は、隠すより見せましょう。
知らないことは「知らない」と認めたほうが、スムーズに教えてもらえます。
うっかり間違えたことは、素直に認めましょう。
素直に認めて謝ったほうが、きちんと誠意が伝わり、許してもらえます。
恥を認める姿は、素直な姿です。
本人は恥ずかしく思っても、軽くて一時的な恥で済みます。
周りの人も寛大になってくれるでしょう。
コミュニケーションとは何でしょうか。
言葉を交わしているだけでは、本当のコミュニケーションではありません。
単に、言葉を交わしているだけでは、社交辞令です。
「お世辞なのかな」と思う人もいるかもしれません。
一応コミュニケーションが成立していても、感動が乏しく、表面的な会話ばかりなのです。
ただの情報の交換だけになります。
本当のコミュニケーションとは、言葉ではなく、心を交わすことです。
人には、心があります。
心を持つ人がいちばんやり取りしたいと思っているのは、情報の交換より、心の交換です。
心が通い合うコミュニケーションができてこそ「嬉しい。楽しい。幸せだ」と感じます。
心を揺さぶる言葉を言っているでしょうか。
言葉だけにとらわれず、心が伝わっているかどうかです。
たとえば「ありがとうございます」というお礼です。
無愛想で「ありがとうございます」と言うだけでは、決まり文句として言っているだけと誤解するでしょう。
もちろんお礼ではありますが、心がこもっていないのでは、感謝も伝わりにくくなります。
言われた相手も「とりあえずお礼を言っているだけだろう」とわかります。
心を込めて、笑顔で「ありがとうございます」と言ってください。
たった一言でも、まったく印象が変わるはずです。
言葉ではなく、心を交わしましょう。
心がこもった言葉こそ、本当のコミュニケーションです。
親孝行とは何でしょうか。
親孝行とは、親を敬い、大切にし、真心を持って尽くすことを言います。
たとえば、生活に困る親に仕送りをしたり、年老いた親を介護したりなどです。
どれも、親孝行として代表的な行動です。
しかし、本当の親孝行となると、もっと奥の深い話になります。
本当の親孝行は何でしょうか。
これは、あなたが親になったとき、わが子が自分に何をしてほしいかを想像すれば、わかります。
おそらく欲深いことは考えないはずです。
「大きく育ったから、これまで費やした養育費を返せ」と言わないでしょう。
「年を取ったから、自分を看病しろ」と、強制することもないでしょう。
おそらくいちばん願うことは、立派な社会人として育つことです。
わが子が立派に成長して、人と社会に貢献することを、最も願うはずです。
自分の産んだ子が、社会の中で立派に生きていることは、親としていちばん嬉しいことです。
つまり、本当の親孝行とは、人と社会に貢献する生き方をすることです。
親が死ねば、もう親孝行できないかというと、そうではありません。
親が死んでからも、親孝行ができます。
親からいただいた命を、最期の最期まで、人と社会のために最大限生かすことです。
立派に仕事をするわが子を見れば、亡くなった親も、天国で誇らしく思うでしょう。
一生懸命に生きるのです。
だらだら生きるのではなく、人と社会のためになる生き方をすることです。
それが、本当の親孝行です。