「自分は不幸でいい」
ときどきそんな諦めの言葉を漏らす人がいます。
家庭・仕事・人間関係などに恵まれないと、自分の人生が嫌になり、ため息しか出なくなります。
人並みの幸せすら、諦めそうになる。
頑張ることに疲れてしまい、半ば自暴自棄の気持ちになる。
諦めや自己犠牲の気持ちが強くなったとき、ふと「自分は不幸でいい」と言ってしまいます。
また、誰かの人生を支えるために、自分を犠牲にしてでも応援したくなることもあるでしょう。
わが子のために自己犠牲をする親もいれば、大好きなアイドルのために自己犠牲で応援する熱狂者もいます。
「自分は不幸になってもいいから、この人だけは幸せになってもらいたい」と願う。
そんなときも「自分は不幸でいい」といった発言が出てくることがあるでしょう。
しかし、これはよくありません。
「自分は不幸でいい」と嘆いた瞬間、自分の幸せを諦めることになります。
「自分は不幸でいい」ということは「自分は不幸になってもいい」ということになります。
知らず知らずのうちに自分を不幸におとしめる行動を取るようになります。
「ほら、やっぱりね。自分は不幸が似合っている」と自分を納得させてしまいます。
どんどん不幸の悪循環に陥るのです。
「自分は不幸でいい」と諦める必要はありません。
私たちは、誰にでも幸せになる権利があります。
私たちは、幸せになるために生まれてきました。
不幸でいいと思うのは、自然な生き方に反することになります。
日常生活の彩度も明度も下がってしまい、灰色の人生になってしまいます。
使命・天命に逆らうことになり、神様からも嫌われます。
そもそも「自分は不幸でいい」と嘆くのは、自分の親にも失礼です。
親は、不幸な人生を送るために産んだわけではありません。
どんな親でも、わが子には幸せになってほしいと願っています。
自分を不幸におとしめたところで誰も喜びません。
悲劇の主人公を演じたところで不毛であり、ますます惨めになるだけ。
たとえ誰かを応援するために自分を犠牲にしたとしても、応援された側は喜びません。
「自分は不幸でいい」と思う必要はありません。
むしろ思ってはいけないのです。
もっと幸せに対して積極的になりましょう。
どんなときにも、幸せを目指しましょう。
私たちは、幸せになるために生まれてきました。
幸せを求めて生きることが自然であり、そういう人生こそ人間らしいのです。
自分も周りも明るく照らします。
自分が幸せになれば、産んでくれた親も喜ぶのです。