「親が嫌いだ」という人の話を聞く機会が、これまで何度かありました。
そういう人の育ちを聞くと、たいてい共通点があります。
幼いころ親から、ひどい体罰を頻繁に受けていた話が必ず登場します。
叩かれたり、殴られたり、蹴られたりなどです。
そんな人の1人に、親から殴られたあざを見せてもらったこともあります。
一歩間違えれば、虐待になるような体罰です。
おそらく親は、教育熱心だったのでしょう。
子どものためにと思って、言ってもわからないことは、痛みでわからせようとした。
それでもなかなか教育が思いどおりにいかず、体罰もさらに強くなっていった。
熱心すぎて、子どもには、つらい経験しか残っていません。
その人は「親とは会いたくない」と言っていました。
体罰された子は、親を否定し始めます。
痛いことは誰でも嫌です。
幼い子どもならなおさらです。
もし親が「しつけだ、教育だ」と言って体罰を与えながら教育すると、そういう親も嫌いになります。
もちろんすべての体罰が即、虐待につながるわけではありません。
大事な場面での体罰によって、子どもにはっきり「絶対にしてはいけない」という社会のルールを伝えることができます。
しかし、あくまでも特殊な例です。
やはり体罰なしで教育を進めることが基本です。
大切なことを伝えるために、痛み以外の何か別の手段で伝える方法がないか模索してみましょう。
体罰は一番手っ取り早いですが、最も低俗でレベルの低い教え方なのです。