幼いころ、おもちゃが欲しいと言っても、たいていの場合は断られました。
買ってもらうためには、厳しい条件があったからです。
「前回買ったおもちゃを徹底的に遊び尽くすこと」です。
「それくらいすぐできるだろう」と思っているのではないでしょうか。
これがなかなか難しいです。
一度遊んだくらいではいけません。
当然「飽きたから」という理由も通用しませんでした。
おもちゃが壊れるほど、1つのおもちゃをさまざまな角度から遊び尽くします。
ある日「迷路ゲーム」を買ってもらったことがありました。
普通は入り口からスタートして、ゴールまでたどり着けば終わりです。
だから次のおもちゃ……とはいきません。
親は「まだ楽しめるはず。もっと別の楽しみ方、別の遊び方を見つけなさい」と言います。
私は「そう言われてもなあ。スタート地点から入ってゴールして終わりじゃないか」と不満を漏らしていました。
しかし、ふとした瞬間、別の遊び方が浮かびました。
スタートからゴールを目指すのではなく、逆にゴールからスタートを目指すという遊び方です。
まったく逆方向ですが、迷路らしい楽しみを見つけました。
同じ迷路でも、2通りの楽しみ方を発見できます。
さらに頭をひねって別の楽しみ方が浮かびました。
「タイムアタック」です。
私と妹とで、どちらが早く迷路のゴールまでたどり着けるかを、時間を計って競い合います。
早くゴールまでたどり着いたほうが勝ちです。
ゴールまでいかに早くたどり着けるか、というスリル感がたまりませんでした。
なぜ親は、子どもが欲しがる物を何でも買い与えなかったのか。
説明書には書かれていない楽しみ方を見つける力を引き出すためでした。
「あれも欲しい! これも欲しい!」
子どもは好奇心旺盛です。
しかし、その子どもの好奇心のままに、欲しがっている物を何でも買い与えるのはよくありません。
何でも買い与えると、そのおもちゃの本当の楽しみや奥深さを見つけられなくなるからです。
おもちゃとはいえ、侮れません。
使い方によっては、深い楽しみを見つけることができます。
見つけるためには、おもちゃを骨の髄まで楽しみ尽くすことが大切です。
上から見たり、下から見たり、裏返したりなど、さまざまな角度から、思いつくだけの楽しみ方を発見します。
使い倒して、ぼろぼろになるまでです。
1つのおもちゃでも、いろいろな楽しみ方があります。
説明書にも書かれていないような楽しみ方を、自分で発見したり作ったりします。
1つのおもちゃでも、実質、たくさんのおもちゃを手に入れているのと同等になります。
自分なりにいかにたくさん見つけるかです。
迷路ゲームに限らず、どんなおもちゃでも共通です。
1つのおもちゃから、いかにたくさんの楽しみを引き出すかです。
親は「物をたくさん持つのではなく、少ないものからたくさんの楽しみを引き出す方法」を教えていました。
その教えが「子どもが欲しがる物を何でも買い与えない」という教育方法でした。
何度も迷路を楽しみ、ぼろぼろになるくらいまで使い込んで、ようやく次のおもちゃを買ってもらえる許しが得られます。
物をたくさん持つより、1つの物で多くの遊び方を工夫できるほうがいい。
子どもが欲しがる物を何でも買い与えないのは大切です。
その「制限」があるからこそ、子どもなりに試行錯誤して、楽しみを引き出す力を身につけるのです。