「余命3日」を想像してみてください。
あと3日しか生きられないとしたら、どうしますか。
3日間でできることもありますが、少なくとも選択肢は限られるでしょう。
万能人間になろうとしていませんか。
何もできない人より、何でもできる人のほうが、良いに決まっています。
できることなら、すべてを完璧にしたいと思うでしょう。
過去を振り返ったとき、当時の自分を恥じることがあります。
「どうしてあんなばかなことをしたのだろう」と思うことがあるでしょう。
若気の至りで、むちゃをしでかしたこと。
自分の正直な心の声を無視していませんか。
自分の気持ちを無視して、楽な道を選んでいませんか。
本当は興味関心のあることでも「大変そうだから」という理由で諦めることがあります。
私たちは、勝ち方を学ぼうとします。
いかに相手を負かすか。
どうすれば相手より上に立てるか。
「いつか誰かが私を助けに来てくれる」
そんなことを考えていませんか。
「友人が私を助けにやってきてくれるだろう」
あなたが最後に人を憎んだりねたんだりしたのはいつですか。
自分をより幸せな人がいると、ねたんでしまうかもしれません。
「幸せそうで悔しい。それに比べて、自分はなんて情けないのだろう」
夢を実現できるのは、堂々と夢を語れる人です。
人に夢を語れないうちは、叶えられません。
堂々と人に語れるくらい、熱い情熱と強い信念を持つ人が、実際に夢を叶えます。
けんかに勝つためには、どうすればいいのでしょうか。
相手の弱点を突く。
論理的な話術で攻める。
うっかり嘘をついて慌てることがあるでしょう。
わからないことを「わかる」と言ったり、できないことを「できる」と言ったり、経験がないことを「ある」と言ったりなど。
見栄やプライドがあったり、体裁や世間体を気にしたりして、うっかり口が滑って嘘をつくことがあるもの。
「人に認められたい」
そんな気持ちを持っていませんか。
たしかに人に認められたい気持ちは大切です。
逃げるべきか、とどまるべきか。
その判断は「後悔するかどうか」で決めると、うまくいきます。
もちろん判断基準は数多くあるでしょう。
睡眠時間を自慢していませんか。
ときどき睡眠時間の短さを自慢する人がいます。
「昨日は3時間しか寝ていない」
後悔を減らすにはどうすればいいのでしょうか。
後悔にもさまざまな出来事がありますが「これをやったら確実に後悔する」という行いがあります。
それは「キレること」です。
怒りが生じたとき、安易に爆発させるのは要注意です。
怒りを暴力的・破壊的な方法で発散させると、後悔が待っています。
あとから「どうしてあんなことをしてしまったのだろう」と愚かな自分を悔やみ、人生の後悔を増やすことになります。
私たちの日常では、最後通告を言ってしまう瞬間があります。
「認めてくれないと、訴える」
「今度約束を破ったら、縁を切る」
人間関係がこじれたら、仲直りが必要です。
「仲直りがしたい!」
そう思っているあなたは、真剣に仲直りの方法を考えているでしょう。
あなたは今日、何回お礼を言いましたか。
正午を過ぎているにもかかわらず、まだ1回も言っていないなら大変です。
どこかでお礼を言い忘れています。
1年には何度かプレゼントをする機会があります。
誕生日やクリスマス。
父の日、母の日、敬老の日。
解決策といえば「完全に問題を解決できる方法」を思い浮かべます。
問題が一度に片付く方法はないだろうかと、頭の中でさまざまな可能性を考えます。
人間には、高度な頭脳があります。
自分の気持ちに素直になっていますか。
もちろん素直になりたくてもなれない状況もあります。
ビジネスなら、素直になりたくても難しい場面があるでしょう。
あなたは、いつ死ぬのでしょうか。
どんな死に方をするのでしょうか。
それは誰にもわかりません。
運のいい人と悪い人の、違いの1つ。
それは「ストライクゾーンの広さ」です。
許容範囲がどれだけ広いかということです。
親はあなたに影響を与えています。
あなたは生まれてから今まで、親から多くの影響を受けてきたでしょう。
言葉、言葉遣い、礼儀作法。
行動すべきときは、しっかり行動することです。
たとえば、急ぎの仕事があるときです。
急を要する仕事があって、早めに対応しなければいけないときは、やはり行動です。
褒められることと叱られること。
「どちらがいいか」と聞けば、誰もが「褒められること」を選ぶでしょう。
褒められるのは誰にとっても嬉しいこと。
日常では「無駄」と思う瞬間があります。
自分のミスで無駄になることもあれば、仕方ない事情で無駄になることもあります。
たとえば、衝動買いをしたときです。
人と出会ったら、こう考えましょう。
「この人と会えるのは今日が最後かもしれない」と。
「そんなことはあり得ない」と思うかもしれませんが、絶対ないとは言い切れません。
「私たちは、生きている」
普通に考えるなら、そう思うでしょう。
親から命を授かり、この世に誕生して、長い月日が流れました。
人生、80年と言われます。
もちろん遺伝や病などの影響で、寿命に多少の違いはありますが、だいたい80年と考えてみます。
では、一生を80年としたとき、人は何日間、生きることになるのでしょうか。
「余命3日」を想像してみてください。
あと3日しか生きられないとしたら、どうしますか。
3日間でできることもありますが、少なくとも選択肢は限られるでしょう。
時間がないと、実現させたいことがあってもできません。
取り組んだとしても、中途半端に終わるでしょう。
実現したいことが大きいことであればあるほど、まとまった時間が必要になります。
何をしようか考えているうちに、3日間が過ぎてしまうかもしれません。
「あのときこうしておけば良かった」「もっと早く取り組んでいれば良かった」と後悔することが出てくるはずです。
死の間際に、後悔しない生き方を心がけても遅いのです。
残り時間が限られた状態では、できることが限られます。
くよくよ後悔しながら死を迎えるのだけは避けたい。
人生の残り時間は人それぞれですが、少なくともこの世に存在する生き物には、すべて寿命があります。
人間にも寿命があります。
寿命は、逃れられない宿命です。
残された時間は人それぞれですが、少なくとも有限であるのはたしかです。
私たちは幸い、まだ残された時間があります。
ぼんやり生きるのではありません。
有意義な生き方をしましょう。
生まれてしまったから仕方なく生きる人生は良くありません。
人生の残り時間で何をするか考えるのです。
後悔しない生き方は、死の間際ではなく、今すぐ始めましょう。
好きなことを後回しにするのもナンセンスです。
いつかしようと思っていても、そのときまで生きている保証はありません。
生きていたとしても、健康である保証もありません。
自分を偽っていても疲れるだけです。
自分を偽って生きていると、年齢を重ねてから後悔することになるでしょう。
最初から正直になって生きたほうが、大変なこともありますが、後悔だけは減らせます。
少なくとも残り時間があれば、さまざまなことに取り組めるチャンスがあります。
勉強をする時間があります。
スキルを磨く時間があります。
思い出をつくる時間があります。
海外旅行に行く時間があります。
好きなことをする時間があります。
夢に挑戦する時間があります。
人生をやり直す時間もあります。
残り時間があるのは、なんて素晴らしいことなのでしょう。
時間さえあれば、さまざまなことに挑戦ができ、多くのことが実現できます。
まとまった時間があれば、それだけ大きな夢も実現できるでしょう。
今まで不真面目な生き方をしていたなら、今から真面目な生き方をすればいいのです。
人生は何度でもやり直せます。
人生の残り時間を意識して、今後の人生を有意義に過ごしてください。
まだまだ人生は続きますが、残された時間で自分がしたいこと・できることを考えるのです。
それが、後悔しない生き方をする基本です。
万能人間になろうとしていませんか。
何もできない人より、何でもできる人のほうが、良いに決まっています。
できることなら、すべてを完璧にしたいと思うでしょう。
頭がよくて、スポーツもできる。
すべての人から好意を持たれる。
あらゆる能力を身につけ、何でもできる。
世の中のすべてを知り尽くしている。
できないことは1つもなく、まさに万能の力を手に入れている。
万能人間になれば、さぞ幸せな人生を送れると思うでしょう。
しかし、ここに落とし穴があります。
万能人間を目指すのは、響きはよくても、大変危険です。
世の中の情報は、無限にあると言っても過言ではありません。
世の中のすべてを知り尽くそうとすると、いくら時間があっても足りません。
勉強しているうちに人生が終わってしまうでしょう。
あらゆる能力を身につけたくても、人には「適正」があります。
適正のあることならスムーズに上達しますが、適正のないことはなかなか上達しません。
適正のないことを無理やり上達させたところで、才能のある人があっさり抜いていくでしょう。
すべての人から好かれたくても、相性が合わない人もいるはずです。
人の好みは人それぞれであり、千差万別です。
どうしても生理的に受け付けない人もいるでしょう。
無理やりすべての人から好かれようとすると、八方美人になってしまい、自分を見失ってしまいます。
人の頭脳には限界があります。
人の肉体にも限界があります。
人間関係にも限界があります。
あれもこれも完璧にしようとすると、どれも中途半端で終わります。
夢を追いかけるのは大いに結構ですが、実現不可能な夢を追いかけるのは不健全です。
では、どうするか。
万能人間になるのは諦めることです。
人生では諦めないことが大切ですが、万能人間だけは例外です。
それは、不可能だからです。
最初から不可能なことは、最初から潔く諦めておくのが賢明です。
万能を諦めると、肉体的にも精神的にも余裕が出てきます。
万能人間になるのではなく、自分の適正と才能に集中しましょう。
万能人間を諦めると、限られた資源を有効活用できるようになります。
万能人間を諦めることで切り開ける道があります。
あれもこれもやろうとするのではなく、自分ができることに集中しましょう。
何でも得意になろうとするのではなく、得意なことができるだけでいい。
自分ができることに集中して、その分野を突き詰めることです。
すべてを知る必要はなく、仕事や生活に必要な知識で十分です。
必要になれば、そのときになって勉強しても間に合います。
間に合わないなら、専門家の力を頼ればいいだけです。
すべての人と仲良くなるのではなく、気の合う人と仲良くなればいい。
すべての人に好かれる必要はなく、一部の人から好かれていれば十分です。
時には手抜きも必要です。
上手な手抜きも処世術の1つです。
手抜きができるところは、賢く手抜きします。
うまく省略することで、品質を保ちながら余裕をつくれます。
すべてを完璧になる必要はありません。
自分の守備範囲に集中するだけでいいのです。
自分らしく生きることが、いちばん幸せです。
万能人間を諦めることで、仕事と生活のバランスが整い、人間らしい人生が歩めます。
万能人間を諦めた人が、健全な人生を歩めるのです。
過去を振り返ったとき、当時の自分を恥じることがあります。
「どうしてあんなばかなことをしたのだろう」と思うことがあるでしょう。
若気の至りで、むちゃをしでかしたこと。
世間知らずで、非常識なことをしてしまったこと。
軽率な衝動で、トラブルを起こしてしまったこと。
時間の使い方が未熟で、無意味なことばかりしていたこと。
自分の身勝手な行動で、周りの人に迷惑をかけてしまったこと。
感情のコントロールが下手で、一過性の欲に溺れてしまったこと。
過去に後悔がない人は、1人もいないでしょう。
誰でも安易な考えで後悔を生んだ経験があるはずです。
特に学生時代は「どうしてあんなばかなことをしたのだろう」と思うことが山ほどあるでしょう。
思い出すたびに自分が恥ずかしくなり、大きなため息をついてしまいます。
過去の自分を振り返ったとき、あまりに情けなくて、赤面せずにはいられない出来事もあるでしょう。
タイムマシンがあるなら、過去に戻ってやり直したい。
できることなら過去の自分を叱ってやりたい。
消したい過去・やり直したい過去もあるのではないでしょうか。
しかし、どうか落ち込まないでください。
「どうしてあんなばかなことをしたのだろう」と思う理由に気づいてください。
「どうしてあんなばかなことをしたのだろう」と思うのは、それだけあなたが成長した証拠です。
当時と比べて、常識や社会性が身につきました。
洞察力と判断力が向上しました。
知識と知恵を身につけました。
視野や価値観が広がりました。
世の中の仕組みがわかるようになりました。
多くの経験を積んで、人生の意味と価値を理解できるようになりました。
過去の自分を恥ずかしく思うのは、それだけ現在の自分が成長している証拠です。
過去の自分を恥ずかしがるのではありません。
現在の自分に誇りを持ってください。
恥ずかしい過去があったとしても、過去は過去です。
もう終わったことであり、今さらどうしようもありません。
生きているのは、あくまで現在です。
過去を悔やむ気持ちもあるかもしれませんが、くよくよしたところで仕方ありません。
過去の自分を恥ずかしがるくらいなら、現在の自分を誇りに思うことです。
きちんと自分が成長していることに気づきましょう。
「今はきちんとできている。これから立派に生きよう」と思えばいい。
そして、もっと立派な社会人になることを誓いましょう。
過去の後悔は、未来を生きるバネに変えればいいのです。
現在の自分に誇りを持てば、心が強くなり、今を生きやすくなります。
今の生き方なら、今のあなたしだいです。
「どうしてあんなばかなことをしたのだろう」と思うことがこれ以上増えないよう、今をしっかり生きることが大切です。
自分の正直な心の声を無視していませんか。
自分の気持ちを無視して、楽な道を選んでいませんか。
本当は興味関心のあることでも「大変そうだから」という理由で諦めることがあります。
たしかに手間暇やストレスは、モチベーションに直結する問題です。
手間暇やストレスが多いと、おっくうな気持ちが出てくるでしょう。
興味関心はあっても、面倒やトラブルを増やしたくないので、もっと楽な道を選びたくなるでしょう。
楽な道のほうが、仕事も人生もスムーズに進むように思えます。
しかし、この瞬間こそ大事な場面です。
自分の気持ちを無視して、楽な道を選ばないこと。
自分の気持ちを無視することは、自分に嘘をついていることになります。
自分の気持ちに嘘をついていると、自分らしくない人生を歩むということ。
自分らしくない人生を歩むと、その先には何が待っているのか。
後悔が待っているのです。
自分の気持ちを無視して楽な道を選ぶと、そのときは問題なくても、あとから悔やむことになるでしょう。
自分の気持ちを無視した行動をしていると、自分らしくない生き方になるため、心に違和感が生じます。
もやもやした気持ちになります。
気持ち悪いストレスをためます。
なかなか満足感も得られません。
喉に魚の骨が引っかかっているような違和感に苦しむでしょう。
「あのとき自分の気持ちを無視すべきではなかった」といずれ悔やむことになる。
自分の気持ちを無視すると、後悔の人生が待っているのです。
楽な道だとしても、安心はできません。
しばらくすると、楽な道はつらい道に変わるでしょう。
「楽がいい」という惰性で生きていると、油断が生まれ、どんどん心身が衰えます。
責任感や緊張感が低下して、心と体がたるみ始め、弱っていきます。
最初は楽な道でも、ストレス耐性が低下すると、あとからつらい道に変わっていくのです。
気持ちのいい温泉に浸かっていても、ずっと浸かり続けていると、のぼせるのと同じです。
「大変そうだから」「面倒だから」という理由で、安易に避けないことです。
大切なことは、自分の気持ちです。
いま一度、自分の気持ちに正直になりましょう。
心のアンテナを伸ばしてください。
心の声に耳を傾け、正直な気持ちに気づいてください。
恥ずかしいことでも、好きなことならやってみましょう。
少し緊張するかもしれませんが、きっと有意義な時間が待っているはずです。
大変そうなことでも、興味関心があればやってみましょう。
ストレスがあったとしても、きっと楽しい時間が待っているはずです。
自分が自分の気持ちを尊重しなくて、誰が尊重するのでしょう。
楽か大変かではありません。
自分の気持ちを無視するか従うかです。
自分の気持ちを尊重して、自分らしい道を選んでください。
たとえつらい道だとしても、自分の気持ちに従った選択なら「これは自分が選んだ道」と納得できます。
自分の気持ちを尊重すると、納得のいく人生が待っているのです。
私たちは、勝ち方を学ぼうとします。
いかに相手を負かすか。
どうすれば相手より上に立てるか。
学校では、勉強でもスポーツでも、勝つことが大切です。
勝ち負けがあるなら、勝ったほうが良いに決まっています。
勝ってこそ認められ、褒められ、評価されます。
では、大人になって社会に出てから勝ち方が大切かというと、そこに注意が必要です。
世の中は、勝ち方だけがすべてではありません。
負けたほうがスムーズに行くこともあります。
特に社会に出て、組織の中で仕事を始めると、勝ち方だけでなく負け方も大切になってきます。
「勝って何が悪い」と思いますが、時と場合によります。
円滑にビジネスを進めるためには、上手に負けることが有効になる場面があります。
たとえば、取引先との接待でゴルフをするときです。
もともとゴルフが得意なら、取引先をこてんぱんにできるでしょうが、注意が必要です。
大差で圧勝してしまうと、取引先を不快にさせてしまい、関係に悪影響が及ぶことがあります。
勝てるゲームでも、本気を出しているふりをしながら、上手に負けたほうがいい場合があります。
上司と知識量を競うときも、同じです。
自分のほうが博識でも、言い方によっては角が立ちます。
上司をばかにしているような雰囲気が出ることもあるでしょう。
知識で圧勝してしまうと、上司のメンツをつぶしてしまうかもしれません。
本当は自分のほうが詳しくても「○○さんにはかないません」と謙虚になっておくほうが、後々スムーズになるでしょう。
クレーム対応では、自分が悪くなくても、謝らなくてはならないでしょう。
お互いが主張を譲らないと、ますますヒートアップします。
口論で勝ち負けを競っても仕方ありません。
自分が正しくて、お客さまが間違っていても「申し訳ございません」と素直に謝っておくほうがスムーズです。
「勝つことがすべて」と思わないことです。
勝ち方を学べば十分とは限りません。
何でもがつがつ勝とうとせず、あえて負けることでも大切です。
勝ち方も大切ですが、負け方はもっと大切です。
わざとらしくない様子で上手に負けるのは、勝つ以上に難しいこと。
社会で円滑なビジネスを実現するには、わざと負けたほうがいいこともあります。
不条理もありますが、それが世の中。
世の中とは、矛盾と不条理の大海原。
矛盾と不条理の大海原では、勝ち方さえ知っていればいいわけではありません。
矛盾と不条理をするりとかわすために役立つのが、負け方です。
時にはわざと負けることが大切になることもあります。
「負けるが勝ち」という状況があるのです。
「いつか誰かが私を助けに来てくれる」
そんなことを考えていませんか。
「友人が私を助けにやってきてくれるだろう」
「先生が私を救いにやってきてくれるだろう」
「国や市町村の職員が何か対策を打ってくれるだろう」
残念ですが、その可能性は限りなくゼロに近いと言っていいでしょう。
みんな、自分のことで精いっぱいです。
それぞれ自分の仕事があって、わざわざあなたを救いに出してくれる余裕はありません。
やることが山ほどあって、睡眠時間を削らなければいけないほど、忙しい日々を送っています。
たとえ親でも、親も自分の仕事がたくさんあって、なかなかわが子のことまでかまっている余裕はありません。
白馬に乗った王子様が救い出しに来てくれることもなければ、石油王があなたを助けにやってくることもありません。
「いつか誰かが私を助けに来てくれる」と待つのは受け身です。
自分からアクションを起こしていません。
自分の幸せを、誰か他人任せにしています。
じっと待っているだけで救われるなら、誰も苦労しないのです。
「いつか誰かが私を助けに来てくれる」と待つのは、もうやめましょう。
助けを待つのはもうやめましょう。
助けを期待することもやめます。
非現実的な妄想を膨らましていると、いつまで経っても現実は変わりません。
じっとしていても変化はゼロ。
「自分を救い出すのは自分」と考えましょう。
助けを待つのではなく、自ら動き出すことです。
自分一人でできることは限られているかもしれませんが、諦めるのはまだ早い。
小さなことでいいので、できることから始めていけばいいのです。
いきなり現実を変えるのは難しくても、少しずつ変えていくことならできます。
時間の猶予はたっぷり残されています。
時間・健康・体力があるのなら、十分希望があります。
体力がないなら、体力がなくてもできる範囲から始めましょう。
体を動かしていくうちに体が鍛えられ、体力がついてきます。
お金がないなら、お金がなくてもできることから始めましょう。
お金がなくても、手間暇をかければ、ある程度は実現できます。
時間がないなら、時間がなくてもできることから始めましょう。
短い時間でも、積み重ねていけば、大きなことが成し遂げられます。
最初は、大きな成功ではなく、小さな成功から目指していきましょう。
自分で自分を救い出していくのが最も現実的です。
しばらくすると、努力しているあなたを見た人たちが、救いの手を伸ばしていくでしょう。
自ら努力するあなたに心を動かされるのです。
大変なのは最初だけです。
途中から楽になって、どんどん救われていきます。
あなたが最後に人を憎んだりねたんだりしたのはいつですか。
自分をより幸せな人がいると、ねたんでしまうかもしれません。
「幸せそうで悔しい。それに比べて、自分はなんて情けないのだろう」
時には相手の幸せを邪魔したくなる衝動に駆られることもあるでしょう。
嫌いな人がいると、視界に入るだけでいらいらしてしまうかもしれません。
「むかつくな。なんとかひどい目に遭わせてやりたい」
嫌いな人がいると、不幸にさせてやりたい気持ちが湧いてくるかもしれません。
しかし、この状況を客観的に見ると、実に滑稽です。
わざわざ自分で「敵」を増やして、余計なストレスをつくり出しているのです。
何も生むわけでもなければ、何かを高めるわけでもありません。
ただただ貴重なパワーが失われる一方。
人をねたんだり憎んだりするだけでも、軽視できません。
ねたみも憎しみも、ネガティブなパワーが強烈なので、ひどく精神を消耗します。
人をねたんだり憎んだりしていると、自分の人生がうまくいかなくなり、かえって自分が不幸になってしまう。
表情も悪くなるので、人から避けられるようにもなります。
結局のところ、人をねたんだり憎んだりしていちばん苦しいのは、自分です。
人を憎んだりねたんだりすることほど、人生で無駄なことはないのです。
人をねたんだり憎んだりするパワーがあるなら、自分の成長や向上に使うことです。
大事な練習に打ち込む。
自分の仕事に集中する。
大切な人との時間に使う。
ねたみや憎しみの気持ちが収まらないなら「負けてたまるか」という反骨精神に転換すればいいのです。
マイナスのパワーも、ひっくり返せば、プラスのパワーになります。
人をねたんだり憎んだりするパワーは、より生産的・建設的なことに使ったほうが、はるかに有意義です。
限りある時間や体力を、正しい方向に向けて使いましょう。
パワーの使い方さえ間違えなければ、余計なストレスに振り回されなくなり、楽に生きられます。
あなたはもっと幸せになれます。
憎んだりねたんだりすることがなくなれば、あなたの表情も柔和になります。
夢を実現できるのは、堂々と夢を語れる人です。
人に夢を語れないうちは、叶えられません。
堂々と人に語れるくらい、熱い情熱と強い信念を持つ人が、実際に夢を叶えます。
では、夢さえ語ることができれば実現するかというと、それは違います。
大切なのは「語り方」です。
語ることはできても、本気の度合いで語り方が違います。
夢を語る人には、2種類います。
「ふざけて語る人」と「真剣に語る人」です。
どちらも夢を語る点は同じですが、実現力が違います。
夢をふざけて語る人は、ネタとして語ります。
「こんな夢を持っているよ」と言いつつ、表情は緩んでいて、へらへらしています。
冗談口調で語っていて、真剣味がありません。
夢の計画も、まだ決まっていなかったり抽象的だったりします。
話は面白くて、人の興味を引き付けることはできますが、そこで終わりです。
実際に夢に向かって具体的な行動をすることがありません。
「命がけで頑張る」「必ず実現させる」「絶対諦めない」と口先だけは達者です。
ペラペラ話すことにパワーを使って、肝心な夢を実現するパワーが残っていません。
夢を熱く語る自分に酔いしれています。
夢を熱く語ることで、夢が叶ったような気分になっています。
残念ながら、こうした人が語る夢が実現することはありません。
話すことで満足してしまい、具体的なアクションをおろそかにします。
話のネタくらいならいいですが、いずれ「あの人は口だけだよね」と陰で笑われることになるでしょう。
夢が、夢のままで終わるのです。
一方、真剣に夢を語る人もいます。
きりりとした表情で、目つきも本気です。
語り方には覇気と勢いがあり、話す内容も具体的かつ計画的です。
夢も、聞くと応援したくなるような内容です。
自分の欲望を満たすための夢ではなく、人類と社会の発展につながる夢です。
夢を実現するまでの具体的なプランもあります。
そういう人は、多くの人から応援されます。
共感され、人の心を動かします。
「ぜひ協力させてほしい」と自然と人が集まってきて、ますます実現に向かっていきます。
夢が実現するのは、真剣に語る人です。
真剣に語れば必ず夢が叶うとは限りませんが、夢が叶う人は必ず真剣に語っています。
夢に対する姿勢が、本気か中途半端かの違いです。
あなたはどちらの人間ですか。
けんかに勝つためには、どうすればいいのでしょうか。
相手の弱点を突く。
論理的な話術で攻める。
厳しい言葉を浴びせる。
たしかにどれもけんかに勝つ方法として有効です。
嫌いな相手なら、負けたくない気持ちもひとしおでしょう。
相手にダメージを与える手段があれば、立場が有利になって、勝ちやすくなります。
怒りが大きいと、徹底的に叩きのめしたくなるかもしれません。
しかし、いったん本格的なけんかが始まると、仲直りが難しくなります。
決着がつくまで醜い戦いが続きます。
体力も精神も消耗して、疲れるばかりです。
けんかをすることになれば、大なり小なり、お互いがダメージを受けます。
けんかに勝ったところで、自分はよくても、相手はむかむかが残るでしょう。
けんかは、勝っても負けても後味が悪い。
当然ですが、暴力を使った勝ち方は言語道断です。
暴力を使って勝とうとすると、相手に深刻なダメージを与えます。
時には消えない傷を負わせ、一生の後悔を生む可能性が大きくなります。
けんかは、本当に最後の手段と考えることです。
相手に勝つ手段を考えるなら、もっと手前で考えておきたいことがあります。
けんかを避ける方法です。
けんかに勝つ方法より、そもそもけんかをしないで済む方法を考えましょう。
関係がこじれかけたとき、穏便に済ませる方法を考え、対策を立てるのです。
誤解があるなら、誤解を解く機会をつくります。
相手の機嫌を損ねてしまったら、素直に謝り、早めに関係を改善します。
相手からけんかを売られても、事を荒立てずに、うまくかわすようにします。
自分が悪くなくても、謝ったほうがいいときもあるでしょう。
2人だけでどうしようもないなら、第三者に仲介してもらうのもいいでしょう。
けんかに勝つ方法よりけんかを避ける方法のほうが大切です。
たとえけんかを避けるためにお金や手間暇がかかったとしても、けんかを避けるメリットは大きい。
お互いがダメージを受けなくて済み、絶交や絶縁を回避できます。
けんかに勝つ人がかっこいいのではありません。
けんかを避ける人がかっこいいのです。
避けられるけんかは、避けることです。
心に怒りが満ちているときは、なかなか冷静に考える余裕はないかもしれませんが、そういうときこそ正念場です。
けんかのデメリットを思い出し、なんとかけんかをしないで済む方法を考えてください。
けんかをしないで済む方法を考え、見栄もプライドも気にせず行動できる人こそ、大人です。
けんかに勝つ方法より、けんかを避ける方法を考えることが、本当の知性です。
うっかり嘘をついて慌てることがあるでしょう。
わからないことを「わかる」と言ったり、できないことを「できる」と言ったり、経験がないことを「ある」と言ったりなど。
見栄やプライドがあったり、体裁や世間体を気にしたりして、うっかり口が滑って嘘をつくことがあるもの。
頭では「嘘はよくない」とわかっていながら、相反することをしてしまい、自分が恥ずかしくなることがあるでしょう。
「しまった!」と思ったときには、時すでに遅し。
聞いた相手は完全に信じ込んでいて、引くに引けなくなるときもあるはずです。
正直に事実を告白して謝れば済むことですが、そういう空気ではなく、正直に言い出せないこともあるはずです。
嘘をついたことが悔やまれるなら、ひとつだけ挽回方法があります。
あとから努力して、嘘を真実に変えればいいのです。
わからないことを「わかる」と嘘をついたなら、必死で調べて知識を吸収します。
不慣れにもかかわらず「慣れている」と嘘をついたなら、何度も経験して慣れます。
「○○が得意」と嘘をついたなら、あとからたくさん練習を重ねて、本当に得意技にします。
「ハワイに旅行したことがある」と嘘をついたなら、あとからハワイに旅行して、自分の身をもって体験します。
「弊社では○○の技術もあり対応可能です」と嘘をついたなら、あとから技術力を高め、対応できるようにします。
口にした時点で嘘でも、あとから努力して可能に変えてしまえば、嘘が本当に変わります。
嘘が真実に変われば、もう怖くありません。
あとから確認されることがあっても胸を張っていられます。
できるようになってから披露すれば、嘘だとばれません。
必要な時間・お金・労力は「嘘をついた罪滅ぼし」と思えばいい。
もちろん頑張っても実現できないケースもありますが、一部の例外を除けば、努力しだいで可能になるはずです。
嘘を現実に変えていくことで、ステップアップの機会となります。
スキルアップやキャリアアップとなれば、結果として自分の成長にもつながります。
人生では「後付けの努力」もありなのです。
「人に認められたい」
そんな気持ちを持っていませんか。
たしかに人に認められたい気持ちは大切です。
承認欲求はすべての人にあります。
人から「いいね」「素晴らしいね」「かっこいいね」と褒めて認められると、誰でも喜びや嬉しさを感じるでしょう。
人に認められると、自尊心をくすぐられ、承認欲求を満たせます。
やる気やモチベーションも湧いて、心に活力が生まれるでしょう。
特に自分に自信がない人ほど、人に認められたい気持ちも強くなるはずです。
しかし、人に認められたい気持ちはあっても、強すぎるのは要注意です。
「人に認められたい」ということは、そういう自分を演じなければいけなくなります。
人に認められるとはいえ、大変です。
わざわざ褒められるような行動を頑張らなければいけません。
嫌いなことでも、我慢しなければいけません。
気が進まないことでも、進んでしなければいけません。
常に人からどう見られているのか気にしなければいけません。
いつも相手の顔色をうかがって行動しなければいけません。
自分の本音を隠しながら、相手に迎合しなければいけません。
認められるために自分を演じようとすると、余計な行動と気遣いが増える。
精神的にも肉体的にも疲れやすくなります。
相手の価値観・考え方で動かなければいけないので、余計な精神を消耗してしまいます。
人に認められるような行動を繰り返していると、八方美人になって、自分を見失います。
エスカレートすると、本当の自分がわからなくなります。
過度の承認欲求は、人生の歯車を狂わせる原因になります。
人に認められたい気持ちで生きると、偽りの幸せが待っているのです。
今すぐ自分を変えましょう。
もうつまらないことに手間暇をかけるのはやめましょう。
人から認められたい気持ちを捨ててしまうのです。
人から認められたい気持ちは、つまらない価値観です。
「人からどう思われてもいい」
「ばかと思われてもいい」
「人に嫌われてもいい」
そう思った瞬間、呪縛から解き放たれます。
自分を縛り付ける鎖が消え、自由な思考と行動が手に入ります。
そして、新しい未来が見えてくるでしょう。
本当に大切なのは「自分らしさ」です。
自分らしい価値観で判断して、自分らしい考え方で行動しましょう。
自分らしい価値観と考え方で行動してこそ、自分らしい人生が歩めます。
自分が「良い」「素晴らしい」と思ったら、周りの声に関係なく、それが正解です。
自分が「悪い」「合わない」と思ったら、それも正解です。
ありのままの自分を大切にしましょう。
たとえ周りから「おかしい」「かっこ悪い」「非常識」と批判されることがあっても気にしないことです。
周りからかっこ悪く映っても、自分の中でかっこよければいいのです。
人は人であり、自分は自分です。
もし人間関係が変わっても、それでいい。
ありのままの自分で付き合っていける人と一緒にいたほうが、自分も楽です。
自分らしさを貫きましょう。
自分らしさを貫くと、自分らしい生き方を実現できます。
自分らしさを貫くと、本当に幸せが待っています。
逃げるべきか、とどまるべきか。
その判断は「後悔するかどうか」で決めると、うまくいきます。
もちろん判断基準は数多くあるでしょう。
お金、時間、健康、人間関係。
一般的な判断基準はきちんと考える一方「後悔するかどうか」という点については見落としがちです。
嫌なこと・苦しいことなら逃げたい。
つらいことは、ストレスが多くて大変です。
なかなかやる気や元気が出なくて、厳しいときもあるでしょう。
その一方で逃げると、損失や被害が出たり、悪印象や低評価につながったりします。
特に費やした時間やお金が大きいなら、もったいない気持ちが湧いて、なかなか諦めきれないでしょう。
投資したことが無駄になるのですから、惜しい気持ちが出てきて当然です。
また人に迷惑をかけてしまうときも逃げにくい。
人に迷惑をかけると、心理的な抵抗感が出てきて、やめたくてもやめにくくなります。
逃げたい気持ちととどまりたい気持ちが対立して、判断が難しい場面があるもの。
判断基準はそれぞれですが、忘れてはならないポイントがあります。
それが「後悔するかどうか」なのです。
「後悔するかどうか」という視点で考えると「人生の本質」に注意が向くようになります。
「本当に必要なのか」
「本当に大切なことは何なのか」
「人生にどれだけ影響が出るのか」
人生の本質に関わる自問自答を繰り返すことです。
視野と見識が広がり、大局的な見方ができるようになる。
人生の本質を軸に考えることで、より冷静に重要性を判断しやすくなるのです。
後悔しないなら、逃げてもかまいません。
後悔しないということは「さほど重要ではない」ということです。
さほど重要ではないことに、延々と執着していても仕方ありません。
貴重な時間が過ぎてしまい、余計な無駄遣いが増えてしまうでしょう。
時間やお金に無駄が生じたり、人に迷惑をかけたりするかもしれませんが、頑固に続けていても不毛です。
後悔しないなら、さっさと逃げてしまいましょう。
一方、後悔するなら、逃げないほうがいい。
後悔するということは「取り返しがつかないほど重要」ということです。
取り返しがつかないほど重要なら、できるだけ逃げないのが得策です。
逃げれば後悔することなら、苦しくて大変かもしれませんが、できるだけ立ち向かうのがいいでしょう。
なかなか現時点で判断しにくいかもしれませんが、できるだけ想像力を働かせて判断してみてください。
自分がどんな気持ちになるか想像してみてください。
人生は、満足を増やすより、後悔を減らすことのほうが大切です。
満足を増やすことは後悔を減らすとは限りませんが、後悔を減らすことは満足を増やすことにもつながります。
「後悔するかどうか」で考えてみると、逃げるべきかどうかの判断がしやすくなります。
後悔しない生き方を心がけることは、幸せな生き方につながるのです。
睡眠時間を自慢していませんか。
ときどき睡眠時間の短さを自慢する人がいます。
「昨日は3時間しか寝ていない」
「今週の平均睡眠時間は、4時間くらいかな」
「寝不足だけど、今日も体にむちを打って頑張っているよ」
げっそりした表情で、自慢げに語ります。
目の下にくまができていて、表情には覇気がなく、顔色は青白い。
いかに自分が頑張っているのか、相手にアピールします。
たしかに睡眠時間が短ければ「頑張っている感」は出るでしょう。
繁忙期で仕事が忙しい時期だと、どうしても睡眠時間が短くなることもあります。
睡眠時間が短くなるにつれて、起きている時間が長くなるため、生産性も向上するような気がします。
「すごいね」「頑張っているね」と認められたい気持ちがあると、睡眠時間の短さを自慢しがちです。
しかし、本当に自慢になっているかどうかは疑問です。
睡眠時間が短くなると寝不足の影響で、頭の回転が悪くなります。
なかなか集中力が発揮できず、仕事の生産性が低下します。
新陳代謝が衰えて、肌も荒れやすくなります。
ストレスもためてしまい、健康にも良くありません。
いくら起きている時間が長くても、実際はぼうっとしている時間が長いだけなら要注意。
どんなに睡眠時間が短くても、日中にろくな活動ができていないなら、意味がないのです。
睡眠時間の短さを自慢したところで、実は自慢になっていないと気づくことです。
自慢の空回りしかなっていないのです。
では、本当に自慢できることは何か。
睡眠時間の短さを自慢するのではありません。
起きている時間の集中力と生産性を自慢するのです。
「起きている時間に、どれだけ集中ができ、どれだけ仕事をこなせたか」
ここが重要なポイントです。
いちばん大切なのは、高い集中力を発揮でき、多くの仕事をこなすことです。
集中力と生産性を発揮できてこそ、質の高い仕事が実現できます。
集中力と生産性を自慢すれば、周りから「すごい」「素晴らしい」と褒められるでしょう。
あくまで結果を出すことが重要ですから、こだわるなら、睡眠時間の短さではなく、集中力と生産性です。
起きている時間の集中力と生産性に注目してください。
寝不足のせいで集中力と生産性に悪影響が出ているなら、もっと睡眠時間を確保しましょう。
周りに睡眠時間の短さを自慢する人がいても、無視することです。
自慢するなら、睡眠時間の短さより、起きている時間の集中力と生産性です。
高い集中力と生産性を発揮できているほうが上手な生き方です。
起きている時間の集中力と生産性を発揮できてこそ、本当の自慢になります。
後悔を減らすにはどうすればいいのでしょうか。
後悔にもさまざまな出来事がありますが「これをやったら確実に後悔する」という行いがあります。
それは「キレること」です。
「キレる」とは、我慢が限界に達し、理性的な対応ができなくなることをいいます。
理性と自制心を失って、感情的に行動すると、その先には必ず後悔が待ち受けています。
理性と自制心を失った様子ほど、恥ずかしい姿はありません。
大声を荒らげ、鬼のような形相になります。
感情のコントロールができなかったことにより、醜態をさらすことになります。
そのときは仕方なくキレたつもりでも、しばらく時間がたつと「キレるべきではなかった」と必ず後悔するのです。
人間は、感情の生き物です。
誰にでも感情があり、怒りもあって当然ですが、それをコントロールする理性と自制心があります。
現代社会はストレス社会でもあります。
ストレスにもまれながら生きていると感情的になることもありますが、それでもキレることだけは避けたい。
キレない方法を考えましょう。
「キレない方法はあるのか」と思いますが、もちろんあります。
キレそうになれば、その場から離れて、時間を置くといいでしょう。
どんな興奮も、時間がたてばば、静まります。
しばらく時間を置けば、興奮が収まり、冷静になれます。
どうしても言いたい不満があるなら「クレーム」として伝えるようにしましょう。
大声で怒鳴り散らしながら話すのではありません。
丁寧な言葉遣いで落ち着いて話します。
たとえクレームでも、礼儀正しく話せば、相手も好意的に受け入れてくれるでしょう。
子育てで、わが子にいらいらしたときも大切な場面です。
子どもが言うことをきかないと、親としてはだんだんいらいらしてきますが、ここが正念場です。
怒るのでは良くありません。
怒るのは、キレるのと同じ状態です。
理性的な対応ができず、感情をぶつけるだけになります。
親がキレると、その様子を真似して、子どももキレやすくなります。
ではどうするのかというと、怒るのではなく、叱るのです。
叱るのは「理性的に諭す」ということです。
「何が悪いのか。どうすれば良かったのか」について、淡々と話します。
感情に流されず、丁寧に落ち着いて諭せば、言葉に愛情を込めることができます。
子どもは素直な気持ちになり、親の言うことを受け入れやすくなります。
キレたところを見せて、相手に脅してやろうなんて考えないでください。
キレると、恐怖に注意が向いて、肝心の話の内容が伝わりにくくなります。
醜態をさらすことにもなり、恥ずかしい思いをすることになるでしょう。
キレると、後で必ず悔やむことになります。
「キレなくて良かった」はありますが「キレて良かった」はありません。
常に理性と自制心を保つように心がけてください。
常に冷静な対応ができてこそ、大人です。
ビジネスだけでなく、プライベートでも、心がけは同じです。
後悔を減らしたいなら、まずキレないことから始めましょう。
もしキレることがなくなれば、人生の後悔を激減できます。
怒りが生じたとき、安易に爆発させるのは要注意です。
怒りを暴力的・破壊的な方法で発散させると、後悔が待っています。
あとから「どうしてあんなことをしてしまったのだろう」と愚かな自分を悔やみ、人生の後悔を増やすことになります。
たとえ激しい怒りが生じても、ストレートに発散させるのは良くありません。
怒り方が悪ければ、一生消えない後悔を生む可能性もあります。
では、どうするか。
怒りが生じたら、とにかく運動です。
とりあえず歩きましょう。
自宅の一駅前で降りて歩いて帰れば、体を動かす機会になるでしょう。
歩くだけでは気持ちが収まらないなら、走りましょう。
「地球を蹴っている」というイメージで体を動かすと、面白く感じて、有酸素運動もはかどるでしょう。
大した運動ではないと思うかもしれませんが、誤解です。
体の筋肉の7割は下半身に集中しているので、歩いたり走ったりするだけでも効率よく全身の筋肉を動かせます。
しっかり体を動かして、額に汗がにじみ出るころには、怒りも収まっているでしょう。
ベストは有酸素運動ですが、もちろん無酸素運動も効果的です。
いらいらした気持ちを、筋トレで爆発させればいい。
腹筋運動、腕立て伏せ、スクワット。
ダンベルやペンチプレスなど、器具を使ったトレーニングもOKです。
筋肉が悲鳴を上げるくらいまで頑張ってみる。
体が疲れ果てるまで筋トレを頑張れば、どんな怒りも消えています。
人や物に怒りをぶつけるのはよくありませんが、運動にぶつけるなら、いくらでもOKです。
どんなにぶつけようと、誰の迷惑にもなりません。
むしろ健康につながります。
肉体と精神はつながっています。
体が鍛えられることで、以前より精神面が鍛えられ、ストレス耐性も向上します。
体力や筋力に自信がつくことで、耐えられる怒りの幅も大きくなります。
怒りが湧いたら、とにかく体を動かしましょう。
運動、運動、また運動。
怒りが大きくなるにつれて、パワーも出やすくなるので、運動もはかどります。
これは健全なストレス解消法です。
「怒りをバネにして体を鍛える」ということです。
怒りが生じたときは、運動がはかどるチャンスです。
怒りの発散は、運動がいちばんなのです。
私たちの日常では、最後通告を言ってしまう瞬間があります。
「認めてくれないと、訴える」
「今度約束を破ったら、縁を切る」
「結婚してくれないと、別れる」
「正直に言ってくれないと、本気で怒る」
「返してくれないと、なかったことにする」
い良いよ我慢の限界に達したときに使われる一言です。
大げさな発言で、相手の注意を引きたい狙いがあるのかもしれません。
もちろん相手が何度も同じ迷惑を繰り返し、一向に改善が見られないなら、最後通告を出すのもわかります。
改善しない相手に、いつまでも付き合っているわけにはいきません。
お金も時間も有限です。
いくら器の大きい人でも、我慢の限界があります。
何度言っても改善されないなら、見切りを付けるため、最後通告を出すならいいのです。
しかし、安易に最後通告を言うのが癖になっているなら注意が必要です。
最後通告は、インパクトの強い言葉です。
一度言ってしまうと、発言が大げさな分だけ、後に引けなくなります。
思わぬ方向に話が傾いて途中で考えが変わっても、予定変更がしにくくなる。
相手を追い込むつもりが、かえって自分が追い込まれることがあります。
チャンスを逃したり人生を台無しにしたりすることがあるでしょう。
あとから「あんなことを言わなければ良かった」と後悔することもあるのです。
最後通告の使い方には、十分注意することです。
最後通告が禁止というわけではありませんが、本当に最後の手段とすることです。
最後通告の口癖に心当たりがあるなら、改善したほうがいいでしょう。
普段から大げさな発言で気を引いていると、いずれ誰も相手にしてくれなくなります。
最後通告を出す前に、一度落ち着いてから、穏便な対応を考えてみてください。
もっと別の解決法がないか慎重に考えると、突破口が見いだせるかもしれません。
できるだけ寛大な対処のほうが、余計な後悔を増やさなくて済みます。
人間関係がこじれたら、仲直りが必要です。
「仲直りがしたい!」
そう思っているあなたは、真剣に仲直りの方法を考えているでしょう。
都合のいいタイミングを見計らいます。
反省の気持ちが伝わりやすいよう、良い言葉を考えます。
時には第三者による仲裁を検討することもあるでしょう。
少しでも仲直りがスムーズに進むよう、さまざまなシミュレーションを考え、段取りを考えていることでしょう。
もちろん仲直りの方法を考えることは良いことです。
タイミングがよければ、話し合いもしやすくなるでしょう。
相手の心に響く言葉があれば、仲直りも早くなるでしょう。
自分の過ちを反省して、丁寧な言葉を使えば、スムーズに仲直りができるでしょう。
慎重に考えたことなら、円滑な仲直りに役立つはずです。
しかし、仲直りの方法ばかりを考えていても仕方ありません。
仲直りの方法を考えるのはいいですが、限度があります。
あまり深く考えていると、どんどん深みにはまります。
良い案を思いついては「もっと良い案があるのではないか」と深く考えてしまいます。
完璧な方法を考えていると、いくら考えても物足りないように感じます。
仲直りの方法を考えることは大切ですが、考えすぎていると、思考の堂々巡りが始まります。
貴重な時間も過ぎるばかり。
時間がたつにつれ、仲直りをしたい気持ちも冷めてくるでしょう。
タイミングを考えているうちに、ベストタイミングを逃してしまうでしょう。
どれだけ仲直りの方法を考えていても、行動に移さなければ、実現はゼロ。
考えてばかりで行動に移せず、仲直りができなくなってしまうのです。
もうややこしいことは考えません。
仲直りの方法を考える暇があるなら、さっさと謝ってしまいましょう。
謝罪の言葉やタイミングは、考えても考えすぎないこと。
タイミングが少し悪くても、さっさと謝っておくほうがいい。
素直な気持ちは、素直な言葉で伝えましょう。
言葉もタイミングも、ベストでなく、ベターで十分です。
大切なのは「仲直りをしたい」という気持ちです。
純粋な気持ちさえ伝われば、言葉やタイミングが少し悪くても、仲直りはできます。
どちらが悪いか、こだわりすぎないこと。
見栄もプライドも捨ててしまえばいい。
たとえ自分が悪くなくても、ひとまず謝ってしまったほうが仲直りはスムーズです。
実際に行動に移せば、あっさり仲直りが実現できるでしょう。
仲直りの方法は考えすぎないことが大切です。
深みにはまりそうなら、さっさと謝ってしまうのが得策です。
あなたは今日、何回お礼を言いましたか。
正午を過ぎているにもかかわらず、まだ1回も言っていないなら大変です。
どこかでお礼を言い忘れています。
日常にお礼を言う機会は少ないと思っているなら、誤解です。
大きな親切だけをお礼の対象にするのではありません。
大きな親切だけでなく、小さな親切まで注意を向けると、お礼を言う機会はたくさんあります。
バスから降りるとき、タクシーから降りるとき。
レストランで注文するとき、料理が運ばれてきたとき、レジでお金を支払うとき。
仕事を手伝ってもらったとき、役立つ情報を教えてもらったとき、わからないことを教えてもらったとき。
友人から応援されたとき、褒められたとき、物を借りたとき。
スーパーで試食させてもらったとき、おまけをしてもらったとき、丁寧なサービス精神を感じたとき。
「お礼を言う機会は山ほどある」と言って差し支えありません。
きちんとお礼を言いましょう。
「ありがとう」
「ありがとうございます」
「感謝します」
着飾った言葉を並べる必要はなく、シンプルな感謝の言葉で十分です。
本当にお世話になったときには、より丁寧にお礼を言うといいでしょう。
「本当にありがとうございます!」と言えば、感謝の気持ちが相手にしっかり伝わります。
笑顔でお礼を言うと、感謝の気持ちがよく伝わります。
お礼は、どんなに言っても嫌われることはありません。
「うっとうしく思われそう」と心配する人もいるかもしれませんが、気にする必要はありません。
お礼は、言い足りないことはあっても、言いすぎることはありません。
言えば言うほど、感謝の気持ちが伝わって、相手に喜ばれます。
たとえうっとうしく思われたとしても、悪いことをしているわけではありませんから、堂々としていればいいのです。
少なくとも礼儀作法がきちんとしていることは伝わります。
お礼がなくて嫌われることはあっても、お礼があって嫌われることはありません。
あらゆる習慣の中でも、お礼の習慣だけは、サボらないように注意してください。
お礼は、人間関係における、最重要な習慣の1つです。
人間関係の基本であり、極意でもあります。
感謝の気持ちがあなたから相手に伝わることで、心のこもったやりとりができます。
お礼の回数に上限はありません。
お礼を言えば言うほど、人間関係がスムーズになり、人付き合いの運も上がります。
さて、今日は何回お礼を言えるでしょうか。
少なくとも1日に10回以上は言うようにしたい。
多ければ多いほど素晴らしい。
「あの人は『ありがとう』が口癖だよね」と、陰で噂になるくらいになれば合格です。
お礼は「言いすぎ」と言われるくらいでちょうどいいのです。
1年には何度かプレゼントをする機会があります。
誕生日やクリスマス。
父の日、母の日、敬老の日。
大切な仲間の送別会。
大切な日には、プレゼントです。
普段お世話になっている気持ちを、プレゼントを通して表現できます。
少し出費はありますが、大切な人のためなら安いものです。
プレゼント選びは、渡す瞬間も楽しいですが、選ぶ時間も楽しい。
「どれを贈ると喜んでもらえるかな」とわくわくしながら選ぶのも、プレゼントの楽しみの1つです。
そんなプレゼント選びでは、ときどき複雑な葛藤に悩まされることがあります。
損得を考え始めてしまうことです。
「これを贈ったら、どんな得があるだろうか」
「これは値段が安すぎるかな」
「これは値段が少し高すぎるかな」
考えてはいけないとわかっていながら、つい考えてしまう。
値段が気になって損得を考え始めると「コストパフォーマンス」といったビジネスチックな雰囲気になります。
せっかく楽しいプレゼント選びが台無しになる。
祝いたい気持ちに邪念が交じり始め、決めにくくなるのです。
人間ですから、損得を考えることもあって当然ですが、悩ましい場面でしょう。
こういうとき、良い方法があります。
プレゼント選びで損得を考え始めたら、その人が喜んでいる笑顔を思い浮かべましょう。
プレゼントを渡したとき、相手がどんな様子で喜ぶか、鮮明にイメージするのです。
相手の性格を熟知しているあなたなら、きっと喜んでいるときの様子も具体的に想像できるはずです。
ぱっと明るい笑顔になっているところでしょうか。
「ありがとう」と喜んでいるところでしょうか。
嬉し涙を浮かべているところでしょうか。
その人が喜んでいる笑顔を思い浮かべた瞬間、祝うときの大切な気持ちを思い出せるでしょう。
初心に返れ、贈り物をするときの純粋な気持ちがよみがえります。
よどんでいた心に、再び透明感が戻ります。
その人が喜んでいる笑顔を思い浮かべているあなたも、きっと笑顔になっているでしょう。
プレゼントを選ぶ時間が、再び楽しくなるのです。
解決策といえば「完全に問題を解決できる方法」を思い浮かべます。
問題が一度に片付く方法はないだろうかと、頭の中でさまざまな可能性を考えます。
人間には、高度な頭脳があります。
人間は、地球上で最も脳が発達した生き物です。
不可能と思えるような難問でも、英知を結集することで、素晴らしい解決策を編み出せます。
もちろん完全な方法があるならベストです。
こじれていた問題が、たった1つの方法ですべて解決できるなら最高です。
さっそくその方法を使って、取り組めばいいでしょう。
問題を解決することで、邪魔していた壁がなくなり、次のステップに進めます。
ここに盲点があります。
完全に問題を解決できる方法だけが、解決策ではありません。
不完全な解決策でもいいのです。
たとえば、解決できる範囲が3割や5割といった一部でもOKです。
「それでは解決になっていない」と思うかもしれませんが、誤解です。
一部でも解決できているのは事実ですから、立派な解決策です。
たとえ1%しか解決できなくても「1%が解決できている」という事実に目を向けてください。
全体としては中途半端に見えるかもしれませんが、少なからず一部が解決できているのは間違いありません。
もちろん解決できていない部分は、放置するわけではありません。
解決できていない部分は、新しい解決策を考えて取り組めばいいだけです。
未解決の範囲が前回より小さくなっているので、最初は浮かばなかった方法が浮かびやすくなります。
いくつかの解決策を組み合わせて、最終的に完全な解決が達成できればいい。
思考に柔軟性を持たせれば、解決策を考える敷居はぐっと低くなるでしょう。
「解決策は、完全に問題を解決できる方法でなければいけない」という先入観をなくしてください。
途中まで解決できていれば、部分点がもらえる数学の試験と同じです。
不完全な解決策でもいい。
一部しか解決できなくても、解決策です。
「完全な解決策が見つかればラッキー」と思うくらいでちょうどいい。
解決策を考えるときは、完全だけでなく、不完全も選択肢に入れてください。
自分の気持ちに素直になっていますか。
もちろん素直になりたくてもなれない状況もあります。
ビジネスなら、素直になりたくても難しい場面があるでしょう。
会社では仕事が優先です。
金銭と雇用契約が関係しているなら、上司の指示に従ったり、お客さまの要望に応えたりする必要があるでしょう。
自分に与えられた仕事なら、素直な気持ちを抑え込み、責任を持って対応しなければいけません。
わがままな考えや自己中心的な行動では、周りに迷惑がかかります。
組織の中で仕事をしているなら、調和とチームワークを意識しながら振る舞う必要があるでしょう。
素直を我慢する場面があるのも事実ですが、だからとはいえ、完全に素直を無視すればいいわけでもありません。
自分の気持ちに素直にならないと、人生の後悔を増やすことになるからです。
自分の気持ちを無視すると、どんな人生になるでしょうか。
やりたいことでも、我慢してやらない。
やりたくないことでも、我慢してやる。
自分の気持ちは後回しにして、常に相手の気持ちを最優先で考える。
素直な気持ちに無視していると、自分らしくない行動になります。
自分の心を抑え込んでいると、ストレスもたまります。
数カ月後・数年後、ふと現実を振り返ったとき「どうして私はこんなことをしているのだろう」と戸惑うことになるでしょう。
「あのとき、もっと素直に行動しておくべきだった」と悔やむことになる。
自分の気持ちに素直にならないと、人生の後悔を増やしてしまうのです。
もっと自分の気持ちに素直になりましょう。
わがままではありません。
素直なのです。
素直に自分を表現することは、自分らしくなることです。
周りから「わがまま」「自己中心」とけなされても、気にしないことです。
自分の人生は、自分が主役です。
人生の後悔を減らすためにも、自分に素直になっておくのが正解です。
あなたの人生は、あなたのもの。
心で感じたことを大切にしましょう。
頭で考えたことも大切ですが、心で感じたことはもっと大切にしたい。
いつも自分の気持ちに素直になるのが難しくても、増やすことならできるはずです。
100%素直になれなくても、割合を上げるくらいならできるでしょう。
難しい場面もありますが、少しでも素直になれる場面を増やしてください。
ビジネスで素直が難しいなら、せめてプライベートだけでも、素直を大切にしたい。
自分の気持ちに素直になることは、人生の後悔を減らすことにつながります。
あなたは、いつ死ぬのでしょうか。
どんな死に方をするのでしょうか。
それは誰にもわかりません。
長生きができるとは限りません。
老衰で天寿を全うするとは限りません。
病気のせいで、短命に終わるかもしれません。
交通事故に遭って、来週死ぬかもしれません。
無差別殺人に巻き込まれ、明日死ぬかもしれません。
どれも可能性がゼロとは言い切れません。
意外と知られていませんが、健康な人でも、突然死ぬことがあります。
それは、心臓発作です。
心臓発作は誰にでも起こりえます。
健康診断で異常がなかったにもかかわらず、ある日突然、心臓発作で亡くなった例は数知れません。
「そんなばかな」と思いますが、現実の話です。
健康な人が突然の心臓発作で亡くなった例は、いくつも報告されています。
年配者だけでなく、若い人でも起こることがあります。
「なぜ心臓発作になったのだろう。あれほど健康だったのに」と悔やまれるケースは世界中に存在します。
あらためて考えると、私たち人間は、いつ死ぬかわかりません。
可能性は、1%未満かもしれませんが、0%ではありません。
不謹慎な話ですが、事実としてあり得る話なのです。
だから、やりたいことがあるなら、できるだけ早いほうがいい。
「時間があるときにしよう」
「来年になったらしよう」
「○○歳になってから始めよう」
「わが子が独立してから始めよう」
「定年を迎えてからしよう」
なんてのんきな話なのでしょう。
長生きできる保証なんてありません。
悠長なことを言っていると、いつまで経っても取りかかれません。
そのときまで生きている保証はない。
誰もあなたの未来を正確に予想することはできません。
当たると評判の占い師ですら、あなたの未来を100%見通すのは不可能です。
事情がなければ、できるだけ着手は早いほうがいい。
開始時期を早めましょう。
やりたいことはすべて前倒しにしましょう。
「少し前倒し」ではなく「大幅な前倒し」でOKです。
着手の理想は「今すぐ」です。
事情がないかぎり、なるべく先延ばしをしないことです。
来年からと言わず、今年から始めましょう。
明日からと言わず、今から始めましょう。
いつ死ぬかわからない現実に気づけば、行動も早いほうがいいことに気づくはずです。
見たい映画があるなら、早めに楽しみましょう。
読みたい本があるなら、早めに読みましょう。
行きたいところがあるなら、早めに行きましょう。
登山やスキューバダイビングがしたいなら、早く始めましょう。
旅行も遊びも何もかも、いつかやりたいことがあるなら、今すぐしましょう。
恋愛がしたいなら、今すぐ行動開始です。
急に告白するのが難しいなら、話しかけるくらいならできるはずです。
何事も始めるのは早いほうがいい。
ためらうことなく、直ちに実行するのが正解です。
着手が早くなることで、費用が少し割高になるかもしれませんが、それでもいいのです。
余分にかかったお金は、あとから稼げばいいことです。
時間はお金より貴重なので、最短のスケジュールで進めるのが正解です。
あなたが「いつかやりたい」と思っていることの大半は、今すぐできます。
今すぐするのが無理なら、近日中にできるはずです。
行動が遅くて困ることはあっても、早くて困ることはありません。
何も行動しなくて後悔するくらいなら、きちんと行動して後悔したほうが気持ちいい。
行動しすぎてしまっても「とりあえずできたから、まあいいか」と思うようになるでしょう。
私たちはいつ死ぬのかわかりません。
いつ死ぬのかわからないから、できるだけ早めに行動しておくのが正解です。
運のいい人と悪い人の、違いの1つ。
それは「ストライクゾーンの広さ」です。
許容範囲がどれだけ広いかということです。
運の悪い人は「ストライクゾーンが狭い」という特徴があります。
食べ物の好き嫌いが多く、食事を残すこともしばしばあります。
人のえり好みが激しく、嫌いな人と接すると、すぐ不機嫌になります。
興味の範囲も狭く、興味のある話なら楽しみますが、興味のない話には知らんぷりです。
音楽の好みが激しく、好きではない音楽を聴くと眉間にしわを寄せます。
楽しいと感じる対象が狭いため、限られた場面しか楽しめません。
ストライクゾーンが狭ければ、可能性が制限されます。
これでは運が悪くなるのも当然なのです。
一方、運の悪い人は違います。
運のいい人は「ストライクゾーンが広い」という特徴があります。
食べ物の好き嫌いが少なく、いろいろなものを食べます。
人間関係でも、分け隔てなく接するので、誰とでも仲良くなれます。
心がオープンなので、興味のある話だけでなく、興味のない話も楽しみます。
楽しむ音楽のジャンルも幅広く、さまざまな音楽を楽しめます。
楽しいと感じる範囲が広いので、さまざまな場面を楽しめます。
ストライクゾーンが広いということは、許容範囲も広いということ。
許容範囲も広いということは、さまざまな可能性を受け入れられるということ。
すなわち、運を高めることにつながるのです。
野球でストライクゾーンはすでに決まっていますが、自分のストライクゾーンは自分が自由に決めることができます。
運のいい人になりたいなら、できるだけストライクゾーンを広げておくのがベターです。
ストライクゾーンの広さに比例して、運もよくなります。
ひとまず受け止めておけば、そのとき役立たなくても、あとから役立つこともあります。
あなたのストライクゾーンは、どれだけ大きいですか。
親はあなたに影響を与えています。
あなたは生まれてから今まで、親から多くの影響を受けてきたでしょう。
言葉、言葉遣い、礼儀作法。
話し方、考え方、振る舞い方、働き方、生き方。
いつの間にか影響を受け、親から多くのことを学んできました。
あるとき、親の不足や欠点に気づくこともあるでしょう。
親に不足や欠点があれば、自分も悪い影響を受けます。
時には、親を非難することもあるでしょう。
「もっといい親なら良かったのに」
「もっときちんとした親であってほしかった」
「自分がこうなったのは、親の教育が悪いせいだ」
親に頼りない点があって、不平不満を漏らしたこともあるでしょう。
たしかに一理あるのかもしれません。
親とはいえ、完璧ではありません。
親も人間です。
人間ですから、未熟なところや不完全なところがあります。
ましてや親も、初めて親を経験します。
親としての振る舞い方がわからず、思いどおりにいかないこともあります。
しかし、ここでひとつ気づいてほしいことがあります。
あなたも親に影響を与えているのです。
あなたの言葉や態度から、親にさまざまな影響を与えています。
あなたの振る舞いを通して、親を喜ばせることもあれば、悲しませることもあるでしょう。
より良い親を求めるなら、自分もより良い子どもとして生きることです。
「自分は親の子どもだから」と思うかもしれませんが、すでにあなたは立派な1人の人間です。
10歳を超えたら、自分で物事を考え、自分の意思で行動できる年齢です。
責任を持ち、善悪の判断ができ、自分を律することができるでしょう。
立場は「子ども」でも、実際は「独立した1人の人間」です。
物理的には親の近くにいても、精神的には親から離れ、1人の人間として独立しています。
「自分も親に影響を与えている」という自覚を持つことです。
子どもという立場から、親にさまざまな影響を与えています。
あなたも、生まれて初めて「子ども」という立場を経験します。
子どもとしての振る舞い方がわからず、思いどおりにいかないこともあるでしょう。
一方的に親を非難するのもおかしな話です。
被害者ぶったところで、不毛な時間が過ぎ、成長が停滞するだけ。
じたばた騒いでかまってもらおうとするのはやめることです。
あまり騒いでいると、かえって自分が惨めになるだけです。
なかなかうまくいかないこともありますが、お互いさまです。
悪い影響を与える親を非難する前に、自分も親に悪い影響を与えていないか振り返ってみることです。
独立した1人の人間として、親に少しでも良い影響を与えられるようにしましょう。
影響を与えているのも受けているのも、お互いさまなのです。
親に不満があるなら、親より素晴らしい人間になろうと心がけましょう。
親に良い影響を与えられる人間を目指すことです。
あなたが立派になることで、親に良い影響を与えることができます。
あなたから影響を受けた親は、少しずつ変わっていきます。
行動すべきときは、しっかり行動することです。
たとえば、急ぎの仕事があるときです。
急を要する仕事があって、早めに対応しなければいけないときは、やはり行動です。
金銭と責任が伴った仕事なら、放置するわけにはいきません。
やる気がなくても「仕事は仕事」と割り切り、しっかり打ち込むことが大切です。
必要とあらば、残業や徹夜をしてでも対応しなければいけないときもあるでしょう。
また、チャンスに恵まれたときも同様です。
もたもたしていられません。
あまりもたもたしていると、貴重なチャンスが逃げてしまいます。
長く待ち望んでいたチャンスなら、可能性を生かすために全力で行動するのがいいでしょう。
行動すべきときに行動することが、人生を有意義に生きるコツです。
行動すべきときはしっかり行動することで、結果が得られます。
成功も幸せも得られるのです。
では、常に行動すればいいかというと、それは違います。
待つべきときは、きちんと待つことが大切です。
世の中には、じっと耐えて待たなければいけないときがあります。
たとえば、新型機種を購入する場合です。
ほしい商品機種があっても、数週間後に新型機種の発売予定があるなら、待つのが正解でしょう。
「早くほしい」という気持ちがあっても焦らないこと。
入手時期は少し遅れますが、同じ値段で買うなら、より高品質の製品を選んだほうが便利です。
旧型機種を買うにせよ、新型機種が発売された後のほうが、安くなるはずです。
値段が高いときに買うのもいいですが、安くなってから購入するほうが経済的にお得です。
節約できたぶんだけ自由に使えるお金が増えるので、今後の生活も楽になります。
とにかく急いで行動すればいいわけではない。
適切なタイミングがあるなら、そのときまでじっと待つことも大切です。
人生を変えるにはまず行動が大切ですが、行動一辺倒にならないことです。
世の中には、待つことで得られる結果やチャンスもあります。
意味のある待ち時間なら無駄にはなりません。
「行動すべきか、待つべきか」
どちらが良いのかは、そのときの状況によります。
行動に迷ったときは、どちらに該当するか、冷静になって考えてみてください。
待つべきとわかったなら、余計な焦りやいら立ちを感じず、落ち着いて待てます。
気持ちが高ぶって興奮状態なら、少し時間を置いて、落ち着いてから考えるのがいいでしょう。
人生に関わる選択なら、なおさら冷静な状態で考えることが大切です。
褒められることと叱られること。
「どちらがいいか」と聞けば、誰もが「褒められること」を選ぶでしょう。
褒められるのは誰にとっても嬉しいこと。
自分の存在価値が認められると、自尊心と承認欲求が満たされ、満足できるでしょう。
褒められると自信がつき、自己肯定感も高まります。
「もっと頑張ろう」とやる気も出て、生きる元気が湧いてきます。
一方、叱られるのは誰でも嫌でしょう。
厳しい言葉を言われると、暗い気持ちになります。
ストレスを感じて、悲しくなったり落ち込んだりします。
自信に傷がつくだけでなく、心に傷ができることもあります。
あまり言葉が厳しいと、叱ってくる人を恨んでしまうこともあるでしょう。
たしかに「快・不快」で考えるなら、褒められるほうが嬉しいですが、別の見方も忘れないでください。
視点を変えて「貴重」という点で考えてみましょう。
貴重の度合いで考えると、実は褒められるより叱られるほうが圧倒的に貴重です。
褒められるのは大人になってもありますが、叱られるのは大人になるほど減っていきます。
年齢を重ねるにつれて、自分より年上が少なくなります。
社会経験が長くなるにつれて、立場が高くなります。
そうすると、褒めてくれる人はいても、叱ってくれる人がいなくなるのです。
中年以降になると、叱られる経験が一気に減ります。
役職がついたり親が亡くなったりすると、もはや叱ってくれる人はほとんどいなくなります。
病気のとき、病院の医者から叱られるくらいしかなくなるのです。
叱られる経験がないと、自分が間違ったことをしたとき、気づけません。
叱られることがないと、いつの間にか成長の止まった中年になってしまうでしょう。
「たまには誰か叱ってくれよ」と恋しくなります。
叱られることがあるから、自分の誤解や過ちに気づけます。
叱られる経験は不快ですが、貴重と思うことです。
厳しい言葉だからこそ、心に響き、反省しやすくなります。
叱られるのは、今のうちです。
叱られているうちが華です。
「叱られてありがたい。おかげで悪いところに気づけた。おかげでもっと成長できる」と思うことです。
腹を立てるのではなく、感謝をしてもいいくらいです。
むかむかするかもしれませんが、厳しい言葉を誠実に受け止めることで、反省と改善ができます。
身も心も引き締まります。
褒められる経験は貴重ですが、叱られる経験はもっと貴重なのです。
日常では「無駄」と思う瞬間があります。
自分のミスで無駄になることもあれば、仕方ない事情で無駄になることもあります。
たとえば、衝動買いをしたときです。
買うときは魅力的に感じても、買って冷静になると「無駄なものだった」と悔やむことがあります。
返品できないものなら、お金が無駄になります。
自分のせいなので、自分の未熟な行動が情けなくなります。
また、取り組んでいた仕事が、先方の都合で突然キャンセルになることもあります。
ある程度まで進めていた仕事がキャンセルになれば、費やした時間や労力が無駄になります。
仕方ないとはいえ「努力が無駄になった」と思い、もやもやした気持ちが残るはずです。
しかし「無駄」という考え方は良くありません。
無駄という考え方には、未来がありません。
「無駄」と思うと、テンションが下がります。
悔しい気持ちになって、くよくよしてしまいます。
テンションを上げるなら、もっと建設的な考え方が大切です。
「無駄」と思うのではありません。
「いつか役立つ」と考えましょう。
自分の過ちで無駄になったなら、その悔しい経験は「教訓」として残ります。
途中まで頑張っていたことがキャンセルになったなら、少なくとも「経験」として残ります。
教訓や経験は、きちんと頭の中に蓄積されています。
教訓や経験として残るなら、無駄ではありません。
必ずいつか役立ちます。
今すぐ教訓や経験が役立つことはなくても、いずれ別の機会で生かされるでしょう。
したがって「無駄」ではなく「きっといつか役立つ」と思うほうが健全です。
惜しい出来事があっても「いつか役立つ」と考えましょう。
人生に無駄は1つもありません。
表向きは無駄に見えても、すべて自分の糧になります。
失われたお金があるなら「授業料」と思えばいい。
少し高い授業料なら、しっかり学んで、生かすことです。
「きっといつか役立つ」と思うと、テンションが上がります。
失敗に意味を見いだすことで、未来につながる道が見えるのです。
人と出会ったら、こう考えましょう。
「この人と会えるのは今日が最後かもしれない」と。
「そんなことはあり得ない」と思うかもしれませんが、絶対ないとは言い切れません。
急に引っ越して、いなくなるかもしれません。
不運が重なって、二度と会うチャンスがないかもしれません。
その人が事故に遭って、他界するかもしれません。
自分が事故に遭って、他界することもあるでしょう。
可能性は低いですが、ゼロではありません。
実際にあり得る話です。
すべての人と会うとき「この人と会えるのは今日が最後かもしれない」と考えましょう。
初対面の人なら「この人と会えるのは今日が最後かもしれない」と考えましょう。
どこかで再会できる可能性もありますが、二度と再会できない可能性もあるはずです。
「会えるのは今日が最後かもしれない」と思えば、少しでも楽しく有意義に過ごそうと思うでしょう。
貴重な出会いを少しでも素晴らしくしようと思えるはずです。
毎日会う友人でも「この人と会えるのは今日が最後かもしれない」と考えましょう。
接し方が自然と優しくなるでしょう。
丁寧に1分1秒を過ごしたくなるでしょう。
自然と感謝の念が湧いて、心が温かい感情に包まれるはずです。
嫌いな上司でも「この人と会えるのは今日が最後かもしれない」と思えば、穏やかな気持ちになるはずです。
苦手意識が緩和されます。
ちょっとトラブルがあっても、いらいらしなくなります。
親と会うときも同じです。
お店の人と会うときも同じです。
近所のおじさんやおばさん、おじいさんやおばあさんと会うときも同じです。
人生には「まさか」があります。
その「まさか」が起こるのは、今日かもしれません。
誰と会うときも「この人と会えるのは今日が最後かもしれない」と思うこと。
気持ちも接し方も考え方も、すべてが柔和になります。
自然と五感が研ぎ澄まされ、時間の感じ方も敏感になります。
すべての人の存在が、かけがえのない価値として感じるようになります。
もしまた会うことができれば「良かった。また会えた」と純粋に喜べます。
これをきちんと毎日意識できれば、毎日再会の喜びを楽しめます。
人生は生きているだけで素晴らしい。
一期一会の精神を大切にする人は、必ず人生を豊かにできます。
「私たちは、生きている」
普通に考えるなら、そう思うでしょう。
親から命を授かり、この世に誕生して、長い月日が流れました。
もちろん「生きている」という認識に間違いはありません。
呼吸をして酸素を取り込み、心臓を動かして血液と酸素を循環させ、生命活動を維持しています。
自分の判断で物事を決めて、自分の力で道を切り開いています。
体内に宿っている命のおかげで、今日も元気に生きています。
しかしです。
もっと生命の基本や万物の根源に目を向けると「生きている」とは思えない現実に気づきます。
たとえば、心臓です。
心臓は、自分の意思で動かしているわけではありません。
勝手に動いています。
自律神経による働きのおかげですが、その自律神経の制御も、知らないうちに行われています。
新陳代謝も、勝手に行われています。
およそ28日周期で皮膚が新しく生まれ変わっていますが、そのサイクルも、自分の意思ではなく勝手に行われています。
転んで膝をすりむいてけがをしても、自然と出血が止まります。
自分で手当てすることもできますが、血小板や白血球の働きによって殺菌と血液の凝固が行われます。
安静にしていれば、自然と傷口がふさがり、数日後には元どおりになります。
自分の意思とは関係なく働く、免疫システム・再生システムのおかげです。
本能も、勝手に働いています。
細胞分裂も、勝手に行われています。
私たちは自分の意思で行動していますが、実際は生命活動の根源に近い部分ほど、勝手に行われているのが現実です。
私たちの体だけではありません。
雨は、勝手に降ります。
地球は、勝手に回っています。
太陽は、勝手に輝いています。
こうした生命活動・宇宙の営みは、もはや人の意思を超越しています。
宇宙が誕生して、138億年。
偉大なる何かによってこの世が誕生して、宇宙の法則・生命のプログラムによって、万物が誕生しました。
進化と選別を繰り返しながら、今に至ります。
私たちが生きているのは、そうした勝手に行われている活動によるものです。
この状態に気づけば「生きている」という表現は、少し違和感があることに気づけるはずです。
生きているのではありません。
生かされているのです。
生命活動も宇宙の営みも、自分の意思ではなく、勝手に行われています。
あなたを生かすために、不満も文句も言わず、ひたすら無償の労働を続けているのです。
勝手に行われている生命活動・宇宙の営みによって、今日もあなたは生きることができています。
胸に手を当ててみてください。
勝手に心臓が動いているはずです。
今日もあなたを生かすために、生命活動が行われています。
私たちは「生きている」より「生かされている」と考えるのが正解です。
この現実に気づけば、何とありがたいことなのかと感謝の念が湧いてくるでしょう。
そして自然と謙虚な気持ちになるはずです。
「自分は生かされている」と思うほうが、現実を正しく反映しています。
宇宙の素晴らしい仕組みの中で、今日も生かされています。
自動的に動く生命活動・宇宙の営みをありがたいと思えるようになります。
そして「命を大切にしよう」という気持ちにもなるでしょう。
だから、今日もすべてに感謝しながら生きてください。
「生きている」より「生かされている」と思うほうが、謙虚になれるのです。
人生、80年と言われます。
もちろん遺伝や病などの影響で、寿命に多少の違いはありますが、だいたい80年と考えてみます。
では、一生を80年としたとき、人は何日間、生きることになるのでしょうか。
365日に80をかけると、答えがわかります。
だいたい、3万日です。
つまり、人生とは、3万日という有限です。
3万日を、多いと考えるか、少ないと考えるかは、人それぞれでしょう。
私は、少ないと感じます。
朝日を見られるのも、3万回です。
夜を楽しめるのも、3万回です。
朝食、昼食、夕食を味わえるのも、3万回です。
人生は、1日の積み重ねです。
残りの人生を意識することで、人は必死になります。
今日もまた、3万日のうちの1日が、すぎようとしています。
1日を振り返り、満足できる1日だったでしょうか。
貴重な3万日を、1日ずつ、大事に生きましょう。