私は生まれたときから親と共に暮らしてきましたから、親の行動パターンや考え方、理解力も手に取るようにわかります。
「これを言えば、親ならどう言うか?」
「こんなとき、親ならどうするか?」
生まれてずっと一緒に暮らしてきている親なら、こういうことはいつの間にかわかってくるようになります。
私の父は、器の大きい人です。
少々のことで動揺することはなく、いつも物事を冷静に見て判断しています。
そんな父親を見ているといつの間にかその「思考パターン」や「考え方」が私にも移ってくるのです。
このように私は今、いろいろな物事について書くことができていますが、父親の器の影響をとても大きく受けています。
親の器の大きさによって、子どもの器の大きさも変わってきます。
親の器が大きければ大きいほど、子どもの器も大きくなります。
子どもがどれだけ大きな器を手に入れるかは、意外なことに親の器の大きさにかかっているのです。
器とは「理解力」と言えばわかりやすいことでしょう。
いろいろな出来事やトラブルなど、それらを大きく受け入れて包み込む根底には、大きな「理解力」があるのです。
理解力があれば「こんなこともある。あんなこともある」とトラブルやいざこざがあっても冷静に判断できます。
1つ同じ屋根の下で家族が暮らしていれば、いろいろな状況においてトラブルや話しあわなければならないときも出てきます。
そんなときの親の対処を、子どもはじっと見ています。
親は父でも母でも同じです。
こういうときに親はどう出るのかという場面では、子どもはじっと親を観察して見習っているのです。
子どもは親のようにそっくりになり、それ相応の理解力を持つようになるのです。