私は愛媛県の田舎で育ちました。
田んぼと緑に囲まれ、自宅からは山と海の両方を眺めることができる、自然を満喫するにはもってこいの場所です。
そんなところで幼少期はずっと暮らしていましたから、緑だけでなく昆虫にも大変親しみを持っています。
カタツムリやカマキリ、ホタルやトンボ、アメンボ、チョウなど、昆虫たちとはひととおりの付き合いをしてきました。
自然だけでなく昆虫たちにも囲まれていると、自然と虫取りをしたくなります。
私が「チョウが欲しい」と言うと、母はチョウではなく、虫取りアミを与えてくれる人でした。
欲しいという物をそのまま直接に与えるのではなく、手に入れるための「手段」を与えてくれる人でした。
私はいつも、その虫取りアミを持って緑を駆け巡ります。
チョウ1匹とはいえ、捕まえるためには苦労するものです。
実体験を通して「自分の力で手に入れる喜び」を、自然から教えられました。
後になるほど、あのときの母の教育は抜群だったということに気づきます。
子どもの成長のためには「物」を与えるのではなく「手段」を与えることが大切です。
子どもは与えられた手段で、どう手に入れようか頭を使って考え始めます。
虫取りアミだけを手渡されて、手段を手に入れたとしても、チョウをなかなか捕まえられずに苦労をします。
チョウが隠れていそうなところはどこだろうかと考えます。
手際よくチョウを捕まえるために、飛び方を観察します。
このように母はいつも私に「手段」を与え、私は手段を使ってどうやりたいことを叶えていくかを考えます。
母は決してすべてを援助することはなく、手段だけを与えて残りの努力は本人にさせる方法で育てていました。
この教育方法が、私の今の力につながっています。
やりたいことをまず真っ先に頭に思い浮かべます。
何でもかまいませんから、自分が一番叶えたい夢を頭に思い描きます。
それを叶えるためのあらゆる手段や方法を、手当たり次第に思い浮かべます。
そして、自分にできるであろう最も効率のよい方法で夢に近づいていきます。
時には自分に合った手段がない場合もあります。
そんなときは、自分で手段を作ってしまいます。
こうした行動の原点は、幼いころに母が私に与えた「虫取りアミ」にあったのです。
子どもが欲しいと言うものを何でも与えてしまう親がいます。
しかし、本当に子どもの成長を願うなら、直接に物を与えるのではなく、そのための手段を与えるほうがいいのです。
子どもにははじめこそ苦しく感じるかもしれませんが、自分の力で手に入れる喜びを知るよい機会となるのです。