人が子を産んだとき、重要な任務が与えられます。
「子を育てる」という大きな任務です。
子どもを産んだ瞬間から、人は親へとなり、子どもを育てなければならない任務が与えられます。
子どもがどう成長していくかは、実は、親の育て方しだいで決まってしまいます。
子どもの才能を咲かせることができるのかできないのかは、子ども本人より、親のほうにキーポイントが隠されています。
親の育て方で、子どもの一生が決定されてしまうというほど「育て方」は子どもの成長に大きく影響を与えてしまうことなのです。
だらしない子どもを見たときに、私たちはよくこんな言葉を耳にします。
「まあ、なんてだらしない子。親の顔が見てみたい」
まさに本質を突いた一言です。
育てている人に問題があるということです。
親の顔が見てみたいというのは、それだけ育てている人に大きな責任があり、子どもより親が大きな影響を与えているのです。
私が今、このように自分の好きなことをやり、才能を発揮できているのは、自分の努力より、親の育て方がうまかったからです。
私を裏で支え、力になってくれているのは親であり、ここまで成長を促してくれた親の「育て方」がうまかったからです。
番組では、少年犯罪、未成年による事件を取り上げて説明している場面をよく見かけます。
事件を起こしたのは少年であり、当然ながら少年に問題があると話しているニュースキャスターを見て、私はいつも残念に思います。
「本当に問題なのは、少年のほうではなく、そのように育ててしまった親のほうに問題があるのにな」
そう、心から強く思います。
少年犯罪のニュースを見るたびに、私は「親の顔が見てみたい」と、思ってしまうのです。