私は子どものころから、親によその子と比べられたことはありませんでした。
近所には何人か同世代の友人はいましたが「あそこの子がやるから、貴博もやりなさい」とは言われませんでした。
同世代の子が近所にいれば、競争の1つもしたくなるのが親です。
しかし、あえて競争を強制させなかったことで、幼少期からのんびり過ごすことができました。
というのも、親がのんびり屋なので子どもに対しても大きな脅迫を与えることはなく、親の性格が教育にも表れていたのです。
中には競争をすることで、やる気を出して伸びていく子もいることは、たしかです。
資本主義のように、競争させて勢いづかせるのは単純で簡単な方法です。
しかし、一番になれなければ、その人は不幸となってしまうのです。
オリンピックを見ていると、金メダルの人が喜んでいるのはいいのですが、銀メダルの人に笑顔がない場面をよく目にします。
むしろ落ち込んでいるという表情です。
世界には何十億の人がいて、世界で2番目という結果は大変優秀なことです。
にもかかわらず素直に喜べない背景には、やはり他人と比べるという「競争」があるからです。
競争をしていると、一番以外は全員不満が残る結果になります。
競争は長所もありますが、短所もあることを知っておかなければなりません。
一方、そんなオリンピックでも銀メダルや銅メダルでも金メダルの人以上に大泣きしている人も見かけます。
それは他人と比べる競争でオリンピックに出たのではなく、自分と戦い、悔いの残らないほど全力を出し切れた人です。
他人と比べることは後の話で、まずなにより自分が自分と戦い、全力を出し切る戦いができた人なのです。
このように競争をしないほうが、精神的には大きな喜びを得ることができるようになります。
子どもの教育も同じで、近所の子と比べては切りがありません。
それは世界一の優秀な子にならなければ、本当に喜んではいけませんよと言っているようなものです。
喜びを得るということは、本来そうした難しいことではありません。
自分の全力を出し切れたら、それで素直に大喜びしていいのです。
比べるということは、常に他人とすることではなく、自分とするものです。
決してよその子と比べて、勝ったから喜ぶというのではないのです。