受験では「涙」のシーンが数多く登場します。
試験の結果が悪かったとき。
念願の大学に合格したとき。
思ったより試験の結果がよくて嬉しかったとき。
情けない単純ミスで自分がいやになってしまったとき。
「嬉し涙」なら、さぞ気持ちいいことでしょう。
一生懸命になったからこそ、出てくる涙です。
しかし、厄介なのは「悔し涙」です。
私も、悔し涙を流したといえば、今でも忘れないあのときです。
それは、高校2年の試験のときでした。
得意な数学で確実に解ける問題が出て、調子を出してしまいました。
試験が終わって高得点を期待していましたが、実際の結果は、とても悪かったです。
原因は、単純なミスでした。
掛け算を間違えていました。
たしか、6×7が42となるところを、なぜか48としてしまいました。
当然、後に続く計算もすべてがおかしくなり、目も当てられない結果になってしまいました。
難しい問題が出て、間違えるならまだわかります。
しかし、回答ができて当たり前の問題で単純なミスをしてしまい、自分が嫌になってしまったことがあります。
大学を受験するような年齢になり、小学生レベルの問題でつまずくのはかっこ悪い。
「なんでこんな基本的なところで間違えるかなあ」
自分が情けなくなり、悔しくて泣いてしまったことがあります。
掛け算を間違えて、悔し涙を流したのは、高校生でも私くらいでしょう。
模擬試験が終わった後、悔しくて泣きながら部室へ向かいました。
もう10年も以上も前の話ですが、今でもはっきり覚えています。
そのくらい悔しかったです。
そうした経験をしたことはありませんか。
間違えるのは難しい問題とは限りません。
簡単な問題こそ、油断をして、間違えてしまいます。
基本こそ手を抜かないという話は、先生たちがよく口にする言葉です。
聞いているだけでは「当たり前だ」くらいにしか思わず、本当に納得していなかった。
しかし、実際に自分が経験して、よくわかりました。
本当に納得できるのは、自分が実際に基本でミスをしたときです。
小学生レベルの基本問題で間違えて、悔し涙を流した経験後、考えを一新しました。
「基本問題こそ手を抜かない」という意味がよくわかりました。
油断をして間違えたときは気持ちを引き締め、今後同じような失敗がないように変えるしかありません。
単純ミスをしたときは「手を抜かないこと」の重要性を感じる機会と考えることです。
終わったことは仕方ありませんから、次から同じようなことがないように気持ちを引き締めるのです。