何かに取り組むとき、理由を考えていませんか。
始める理由を難しく考えすぎていませんか。
何かを新しく始めるには、理由が必要と思います。
理由があって始めるのが常識であり、当たり前と思います。
きちんとした理由がないと、体裁が整わないため、行動を諦める人も多いでしょう。
もちろん理由は、ないよりあったほうがいいでしょう。
きちんと理由のある行動のほうが、明確な意味が伴っているため、モチベーションが上がります。
意欲や熱意があり、責任感も感じられます。
大きなことに取り組むなら、大きな理由も必要になると思われるでしょう。
理由が明確なら、人に聞かれたとき、上手に説明できます。
響きがよくて立派な理由のほうが、かっこよく聞こえるでしょう。
しかし、ここに先入観があります。
行動に理由は必要ありません。
響きがいい理由もかっこいい理由も大義名分も不要です。
そもそも「行動に理由が必要」という法律もあれば、ルールもありません。
義務教育で染みついた、誤った思い込みです。
はっきりした理由を見つけるまで待っていると、行動が遅くなります。
大きな理由を見つけようとすると、なかなか始められません。
スムーズに未来を切り開くことができなくなるのです。
始める理由はもっと気軽でかまいません。
はっきりした理由はなくていい。
「なんとなく」でいいのです。
「それでは理由にならない」と思いますが、誤解です。
明確に言語化はできないが、心の中でぼんやりした気持ちがあるということです。
少なくともぼんやりした気持ちがあるのですから、それも理由の1つです。
なんとなく心が引かれたら、ゴーサインです。
「理由が曖昧だとすぐ諦める」と思うのは誤解です。
意外と曖昧な理由で始めたほうが長く続きます。
「理由のない行動はうまくいかない」と思うのも誤解です。
肩の力が抜けるので、着手が速くなります。
期待も気合も入っていないため、不必要に悩んだり落ち込んだりすることが少なくて済むので、意外とうまくいきます。
「なんとなくという理由は無責任」と思うのも誤解です。
最初は責任感がなくても、進めていくうちに本格的になって、責任感も出てきます。
たとえ大きな決断が伴うことであっても「なんとなく」という理由で始めてOKです。
むしろ大きな決断が伴うことだからこそ、なんとなく始めましょう。
「どうして始めたのですか」と聞かれたら、こう答えましょう。
「なんとなくです」と。
普通とは違った始め方かもしれませんが、非常識な始め方のほうが非常識が達成できます。
大きな決断をあっさり始めてしまう非常識が、人生を面白くさせるのです。