「水口さんは、よくそれだけ話が書けますね」
よくこういうお便りをいただきます。
それは正論を持ち込んでいないからだと思います。
正しい、間違っているという考えは、あまり好きではありません。
何だかそう考えると、夢がありません。
それ以上がないからです。
固定されています。
「正しい」「間違っている」を会話に持ち込むと、話の流れは悪くなります。
話がしづらくなります。
何が正しいのか、何が間違っているのかは、状況や人によって違うからです。
自分が正しいと思い込んでいることを言えば、さりげなく、誰かを否定することにもなりかねません。
「失恋はしないほうがいいよね」という会話をすれば、失恋中の人を傷つけます。
何が正しいのか、何が間違っているのかは、状況や人によって違います。
私は、正論は作るものだと思っています。
状況によって、どんな事柄も明るい話になります。
それに気づきました。
「こういう見方をすれば明るくなるよ」という話をしています。
もし暗い話が出たとき、うきうきします。
「さあ、この暗い話をどうやって明るい話に変えてやろうか」
課題を与えられたかのように思え、やる気が出るのです。
そういう課題を解こうとすると、自分も元気になります。
暗い話を明るい話に転化すると、聞いてくれた人も元気になります。
そういう考え、そういう話は、私に限ったことではありません。
世の中にある、あらゆる出来事が前向きになります。
会話でも同じです。
「これは正しい」
「これは間違っている」
正否を求める話をしていませんか。
「正しい話をすれば明るくなる。間違っている話をすれば暗くなる」と思います。
しかし、どちらも大差はありません。
正しい話も間違っている話も、どちらも息苦しさがありませんか。
縛られているような気がするからです。
人間が考え方に縛られている。
そうではないのです。
人間が、考えを自在に操るのです。
正しい、間違っているという話をするくらいなら「こうすれば、明るい話になるよ」という話をしましょう。
それは自分で考え方を広げたり、変化させたりしている状態です。
人間が、考え方を操っています。
見方によっては、どんな話も「これはいいね」という話になります。
そういう話を見つけるのではありません。
そういう見方をしましょう。
だから、次々と話が出てきます。
私の目の前にあるすべてが、ネタになります。
すべてが、明るい話になるのです。