子どもが悪いことをしたとき、父親は心がけたいことがあります。
「叱るのはいいが、暴力はいけない」ということです。
たった一言ではありますが、深い意味があります。
往々にして父親は、自分の大切なわが子だからこそ、熱心な教育をしようとします。
その結果、叩いたり殴ったりなど体罰でわからせようとするときがあります。
「自分の子どもだから」と思って、つい叩いてしまいます。
これは絶対によくありません。
子どものためにと思って叩いているのでしょうが、実は子どものためになっていません。
むしろ子どもへ悪影響です。
悪いことをして父親から叩かれた子どもは、どう思うでしょうか。
「悪い人は叩くものなんだ」
「悪いことをする人は叩いていいんだな」
「抑えきれない感情は、吐き出してもいいんだな」
子どもが「暴力」を覚えてしまいます。
すると、子どもが学校で悪いことをした友人を見て、いきなり叩いたり殴ったりします。
自分の父親がそうしているから「そうするものだ」と思っているからです。
悪いことをした人を叩く父を見ているので、子どもも同じようなことをしてしまう。
本人は正義のつもりですが、客観的に見れば、単なる暴力です。
まだ子どものころならいいでしょう。
その子が大人になって社会に出て同じことをすれば、ただでは済まされません。
理性を抑えることができない癖がついて、気に入らないことがあれば、暴力事件を起こしてしまうようになります。
父親がそうしてきた場面が思い浮かび、真似をしてしまいます。
いえいえ、まだそれだけではない。
本当の問題は、いずれその子が父親になったときです。
結婚して、わが子が生まれたとき、同じように体罰でしつけるようになります。
自分がそういうふうに育てられてきたので、生まれてきたわが子にも、そういうふうに育てるものだと思ってしまうからです。
「自分が苦しい経験をして育ってきたから、後から生まれるわが子にも同じ苦しみを与えてやる」という悪い連鎖です。
殴られることが常識になると、殴ることが常識になります。
親子代々、暴力の連鎖の始まりです。
子どものためにと思って、つい手を出してしまいがちですが、ぐっとこらえることです。
悪い連鎖が始まるかどうかのわかれ目です。
父親の教育に「体罰があるかどうか」が鍵を握っています。
痛みや恐怖でわからせようとする教育は、絶対によくないのです。