テレビの中には人が入っていない。
ラジオの中にも人が入っていない。
父のやっていることを真似ているうちに、こうした衝撃の事実を知ることになりました。
実のところ、精密部品の塊です。
小さな役目を持った部品が、芸術的な組み合わせによって、大きな役割を発揮しています。
そういう現実を知ってしまいました。
私は、家にある物を片っ端から分解しました。
それが本当かどうか、自分の目で確かめてみたかった。
今まで自分が夢を見ていた反動でした。
「事実を知りたい!」「現実を見たい!」という強い欲求でした。
電球を割ってみたり、電卓を分解したり、電動のマッサージ器を分解したりしました。
これだけではありません。
ラジオカセット、ビデオデッキも分解です。
せっかく親に買ってもらった「ゲームボーイ」というゲーム機も分解しました。
今、思えばとんでもないことをしていたと思います。
水口家の家電製品を、片っ端から壊していきました。
破壊行為もいいとこです。
水口家のどら息子のせいで、水口家の被害総額はかなりのものになっていたと思います。
しかし、それに動じない父がいました。
本来なら、当然叱られるはずですが、父は「まあいいか、勉強になるだろう」と許してくれました。
父は機械系の仕事をしていたので、そうしたことに寛大でした。
さすがに子どもの手で分解ができない物もありました。
自動車・エレベーター・エスカレーター・ダンプカー・ブルドーザー・自動販売機などです。
そんなとき、父はある本を差し出しました。
『機械の図解』という学習本です。
A4サイズの大きな本です。
機械の中の状態が、子どもにもわかるように、カラーの立体的な絵で解説されていました。
これには参りました。
本に穴が開くほど、貪るように読みふけりました。
理系に火がつき、どんどんとのめり込んでいきました。
機械に対する抵抗はなくなり、着実に得意分野へ変わっていきました。
父は、学びとはまず「興味・関心」から始まることを悟っていました。
子どもが興味や関心を抱いたことを、できるだけ邪魔せず、伸ばそうとしていました。
時には破壊行為に見えても、子どもにはいい勉強になっている。
それを許せる親かどうかです。
それで子どもの一生が決まるくらいですから。