今回のお話は、自分で驚きました。
私はまだ、父親になったことはありません。
しかし、不思議なことに、今回のお話はとても書きやすく、あっという間に書き終えてしまいました。
家庭の中で学ぶ大切なことの1つに「優しさ」があります。
優しさは、本から学ぶことも、テレビを見て学ぶことでもありません。
家庭の中で学ぶことです。
尊敬される父親とは「熱心に教える姿勢」と「放任できる姿勢」の両方を持ち合わせています。
相反する2つの姿勢ですが、実は2つで1つなのです。
一方だけではバランスが悪く、必ず両方が揃ってこそ、教育は成り立ちます。
父はもちろん大人ですから、世の中のことを知っています。
指導そのものは間違っていませんが、教え方が大切なのです。
尊敬できる父親とは「あれをやれ。これをやれ」とは指示しません。
「積極性を学ばせる」ということは、なかなか難しいテーマです。
積極性も、本やテレビで学ぶことではありません。
親が積極的になることで「え! こんな恥ずかしいことをしてもいいの!」と思い、子どもも積極的になります。
子どもに「勉強しろ」という親は多いものです。
子どものためを思って口にするのはわかるのですが、それにしてもあからさまです。
父親は大人ですから、もう少し工夫を凝らして育てることが必要です。
「父親としての威厳が欲しい」
そういうお父さんのために、まずこのポイントを押さえておきましょう。
寡黙になることです。
どれだけ物静かな父でも、感謝の言葉まで省略するのはよくありません。
感謝の言葉まで省略してしまうと、威厳より、人としての当たり前の人格が失われます。
感謝をまめにする父を見て、子どもは「お父さんのためにもっと頑張りたい」と考えるようになります。
学校では、普段は優しい先生ほど、怒ると怖いものです。
「普段は温厚なのにどうしたのだろう」
一瞬、生徒は困惑します。
父親の威厳は、寡黙になるほど出てきます。
ただし、寡黙になるだけでは不十分です。
寡黙になると同時に、行動の量を増やすことが必要です。
ときどき「家族のために、働いているんだぞ」という言葉を口にするお父さんがいて、驚くことがあります。
口にしている側は「当然だ」「当たり前だ」と思っているようですが、耳にする側には違和感を覚えます。
「家族のために」という言葉は、他人に責任を押し付けている感じがするからです。
私の父は、現役のころ、仕事の関係からいつも帰宅は夜遅い時間でした。
夜の9時や10時は当たり前。
時には、深夜1時や2時を回ることさえあります。
「守破離」という言葉を聞いたことがありますか。
不白流茶道を開いた川上不白が、著書『不白筆記』の中で、茶道の習得段階を記した言葉です。
茶道における成長段階を「守」「破」「離」という3段階に分けて、説明しています。
父に反抗する子どもは、父を超えようとする姿です。
父より素晴らしい手本を見つけたから、父の言うことに反抗しようとします。
それが「反抗期」です。
子どもはある程度成長すれば、親から離れようとします。
茶道の教えである守破離と同じように、成長した子どもは最終的に親から離れようとします。
しかし、親離れをしたい子どもがいても、子離れをしたくない親なら問題です。
父として子どもにできることといえば、手本を見せることです。
前向きな姿勢という手本です。
手本を見せることでしか、子どもに対して姿勢、威厳をアピールすることはできません。
私が今、父に感謝していることは、私を手放してくれたことです。
高校卒業後、アメリカへ留学したいとき、許してくれました。
日本に帰り、今後は東京で就職したいときも、許してくれました。
子どもから見ると、すぐ怒鳴る父は、尊敬の対象ではなくなります。
間違ったことをしたからとはいえ、怒鳴って怒るのはいけません。
感情に振り回されている姿に見え、大人らしくないように見えます。
子どもをすぐ怒鳴る父親は、尊敬されなくなります。
そうはいえ、子どもを怒らないわけにはいかない場合もあることでしょう。
そんなときには、怒鳴ることで教育するのではありません。
「自分は仕事をしているから、子育ては妻に任せればいい」
「男は仕事さえできていればいいんだ」
そのように考えているお父さんは、要注意です。
父親は、仕事ばかりしている自分は、子どもからかっこよく見られていると思っています。
しかし、子どもは、仕事ばかりしている父親を、かっこ悪いと思います。
ここで、双方のギャップが生まれます。
子どもは、父の車の運転をよく見ています。
車の運転で見せる姿が父親の本性だと思っています。
ハンドルを握ると性格が変わる人がいます。
子には、自分の両親に対して誇りを持ってもらわなければなりません。
自分の両親がばかだと、そんなばかな親に育てられている自分もばかなんだと思います。
とにかく子どもは、自分の両親を一番大切な存在として見て、考えます。
「叱る」という教育のさらに上に「褒める」という教育があります。
叱ることは、間違ったときに感情的にならず、正しさを教えることです。
褒めるということは、間違ったときには、良いところをピックアップして褒め、悪いところも一緒に直してもらう方法です。
大胆なたとえになりますが、教育のうまい親とは、調教師とよく似ています。
動物を調教するプロを思い出しましょう。
動物を、叩いたり、殴ったり、痛めつけたりして教育しようとしません。
褒めることは、子どもも親も元気になる教育方法です。
しかし、褒めることがよいことだと頭ではわかっているが、なかなか褒めることで教育できない親が多い。
なぜでしょうか。
「勉強、頑張れ!」
「運動会、頑張れ!」
「部活、頑張れ!」
私の父は、どんな選択であろうと、子どもの意思なら何でも許してくれました。
昔から、よくこんな言葉をかけてくれました。
「貴博の好きなようにやれ」
「父親は、子どもから嫌われることが仕事なのよね」
以前、行きつけの美容院のおばさんが小さな声で言った言葉に、私は妙に納得してしまったことがあります。
私の母と同じくらいの年齢のおばさんでした。
子どもを手放すというのは、最も親がしたくないことです。
最愛のわが子ほど、いつまでも手元に置きたいと思います。
しかし、一方で、手放すことができる親は、本当に愛の深い親でもあります。