人生では、向上心を持つことが大切です。
向上心とは、より優れたところに達しようとする気持ち。
現状に満足せず、より優れたところを目指して自らを高めようとする心のことをいいます。
社会人が1カ月に読む本は、何冊かご存じでしょうか。
平均すると「2~3冊」といわれています。
社会人なのでもっとたくさん本を読んでいるのかと思いきや、意外と少ないのが現実です。
「宿題=人から与えられるもの」と考える人は少なくありません。
たしかに宿題といえば「人から与えられる」というシチュエーションが一般的でしょう。
学校や学習塾では、先生から宿題を出されます。
誰もが「成長をしたい」と考えています。
誰もが「達成感を得たい」と考えています。
成長や達成感を得ると、大きな喜びと快感があります。
あなたには「美学」がありますか。
美学とは何か。
こだわりや価値観のことを言います。
あなたの身近に「なんだか品がある」という人はいませんか。
服装は普通なのに、なぜか品を感じる人。
顔立ちは普通なのに、どこか上品な雰囲気が出ている人。
世の中には、多くの抗菌グッズが市販されています。
「抗菌」とつくものには、有害な細菌が増えるのを抑える効果があります。
抗菌シート、抗菌スプレー、抗菌ベッド、抗菌カーテン、抗菌カーペット。
あなたには「得意分野」がありますか。
胸を張って「これが得意です!」と言えることがあればいいのです。
得意分野は未来を切り開く武器になります。
「応援されないとできない」
もしそういうことがあれば、厳しい現実をお伝えします。
残念ですが、挫折は時間の問題です。
狭い道で車の運転をしていると、向こうからも車がやってくることがあります。
1台が通るには問題ないが、2台の車がすれ違うほどのスペースはない道です。
こういうときには、どちらかの車がバックをして、道を譲らなければなりません。
決断力を鍛えたいなら、まず鍛えておくべきことがあります。
「判断力」です。
決断と判断は似ていますが、まったく別物です。
高尚な人間を目指そうとしていませんか。
もちろん高尚な人間を目指すのは素晴らしいことです。
・気品と品格を兼ね備えている
「乱暴な言葉遣いは苦手」と言う人がいます。
言葉には、人を元気づけたり勇気づけたりする力がある一方、傷つけたり不快にさせたりする力もあります。
乱暴な言葉遣いは、聞くだけでもストレスを感じるでしょう。
「年齢を重ねれば、自然と角が取れ、性格が円くなる」
そんな言葉を一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。
たしかに年配者の多くは、穏やかな性格の人が多く見られます。
人の悪口を言うのはNGです。
悪口は、人を傷つける行為です。
ましてや悪口をストレス解消の手段にするのは、品格を損ねます。
健康に自信があって、健康診断を受けない人がいます。
「体に問題は何もないから、健康診断も必要ないだろう」
「健康的な生活を送っているから、健康診断を受けなくても大丈夫だよね」
行動するときには、友人と行動します。
友人と電話で話して、お互いの友情を確かめ合います。
恋人をつくって、愛を確かめ合おうとします。
かっこつけるのがかっこいいとは限りません。
むしろかっこ悪いことです。
かっこつける行為は、自分をよりよく見せようと体裁を整えることです。
立派に見えるのと、立派であるのとは、別問題です。
きれいな服を着ている人でも、心が汚れている人かもしれません。
堂々としている人でも、偉そうにしているだけかもしれません。
猫背は、直したほうがいいのは間違いありません。
どれだけ顔立ちが良かろうと、どれだけファッションが洗練されていようと、猫背だとすべての魅力が帳消しです。
誰が見ても、猫背は美しくありません。
今日から言い訳をするのをやめてみましょう。
何の言い訳をやめるかというと、言い訳です。
あなたの人生から「言い訳」という言葉をなくすくらいでかまいません。
あなたは本番に強いほうですか。
それとも弱いほうですか。
本番に強いというなら素晴らしい。
「間に合うかな」
そう焦ったら、スポーツの審判員になったつもりで、自分にこう言い放ってください。
「アウト!」です。
いきなり圧倒的な差をつけようと思わないでください。
本音としては「いきなり圧倒的な差をつけたい」と思うところでしょう。
もちろん十分なリソースがあれば、すぐ圧倒的な差をつけることも可能でしょう。
ビジネスパーソンとして求められる基本能力の1つ。
それは「問題解決能力」です。
どれだけ早くスムーズに問題を解決できるかということです。
いつも自分を見ているもう1人の自分がいると、トラブルを未然に防げるようになります。
自分の目から見た主観的な情報がすべてではなく、他人から見た客観的な自分も意識しておきます。
そうすると、自分の行動を2重にも3重にも考えることができるようになります。
相手の話を遮る人がいます。
話をしている途中にもかかわらず、急に遮って自分の話をし始めます。
相槌を打つのかと思いきや、そのまま自分の話を話し始めます。
100分の1の人間になる方法があります。
本を読む習慣を身につけることです。
たまたま本を読む状況のことではありません。
今、本を買って読む人は少なくなっています。
本を読む人は、100人のうち1人といわれています。
そのくらい本を読む人が少ない。
本を読む習慣を持つだけで、100分の1になれます。
ほとんどの人が本を読みません。
そんな中、本を読む習慣があるだけで、あなたは100分の1の人間になれます。
人生では、向上心を持つことが大切です。
向上心とは、より優れたところに達しようとする気持ち。
現状に満足せず、より優れたところを目指して自らを高めようとする心のことをいいます。
自分を高めていこうとする気持ちを持つことで、成長が促されます。
向上心を持てば、背筋が伸びて、目線が上向きになります。
積極的に知識を吸収できたりチャレンジ精神が高まったりなど、ポジティブな効果があります。
自らを高めようとする心があるからこそ、やる気が出たりモチベーションも高まったりします。
向上心は、未来を切り開く力の1つです。
向上心のない人よりある人のほうが、より豊かで充実した人生を送れます。
ここで大切なことがあります。
まず向上心を持ってください。
まだ具体的な変化がなくてかまいません。
まだ向上もレベルアップもなくてもかまいません。
実際に向上できるかどうかは後の話です。
昨日と同じままで大丈夫です。
大切なことは、向上心を持つことです。
何も向上していないと思いますが、違います。
向上心を持つことも、向上の1つです。
「向上心を持とう」と思った時点で、すでに向上できています。
表向きは同じでも、内面ではポジティブな変化が生まれています。
わずかではありますが、心が向上しました。
この事実に気づくことが大切です。
向上心を持つことは、向上の第一歩です。
向上心を持ったら、自分に拍手を送ってください。
「向上できたね」と喜んでいい。
心の中で向上ができました。
すでに向上心を持っている人もいるでしょう。
そういう人は、現状に満足せず、もっと強く意識するようにしてください。
向上心が強くて困ることはありません。
向上心は成長力と比例します。
向上の意識レベルが高まることもまた、向上です。
一気に向上する必要はありません。
「こつこつ」「少しずつ」「1歩ずつ」でいいのです。
1ミリでも前に進めればよしと考えましょう。
向上心を持てば、失敗や苦しい経験も、成長の糧に変えることができるようになります。
向上心は、あなたの生き方に影響します。
心が変化することで、見える世界も変わります。
見える世界が、今より明るく変わるのです。
社会人が1カ月に読む本は、何冊かご存じでしょうか。
平均すると「2~3冊」といわれています。
社会人なのでもっとたくさん本を読んでいるのかと思いきや、意外と少ないのが現実です。
社会人の多くは、学校を卒業すると本を読まなくなります。
読みたい本があっても日々の仕事に忙殺されてしまい、なかなか読む時間が取れません。
意外な事実にショックを受けるところですが、これが現実です。
さて、この話には続きがあり、本当に驚くのはこれからです。
世の中には読書の習慣がなく、まったく本を読まない人も少なくありません。
「月に0冊」という人は、全体のおよそ4割から5割を占めるといわれています。
文化庁の平成30年度「国語に関する世論調査」によると、月に1冊も読書しない人の割合は47%です。
【URL】https://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/tokeichosa/kokugo_yoronchosa/pdf/r1393038_02.pdf
一方、本を愛する読書家もいて、1カ月に何十冊も読む人もいます。
こうしたことから、単純に平均で算出すると、集団の読書量が正しく反映されず、実態から少し離れてしまうところがあります。
そこで「平均」ではなく、より実態に近い「中央値」で考えるとどうなるのでしょうか。
社会人が1カ月に読む本は「1冊」となるのです。
あなたが1カ月に1冊読めば、社会人の中央値に達することになります。
月に1冊読むくらいであれば簡単に達成できるのではないでしょうか。
わざわざ難しい本を読む必要はありません。
興味のある本でいいのです。
小説でもビジネス書でも実用書でもいいのです。
2冊読んだら、たっぷり自分を褒めることができます。
「たった2冊」と思うかもしれませんが、社会人の中央値を上回っているのは事実です。
社会人の中央値の2倍を達成することになります。
たくさん本を読んでいる人の部類に入り「読書家」と呼ぶレベルに達します。
3冊読むことになれば、中央値を3倍も上回っていることになります。
大きな達成を遂げたことになり、向学心のある立派な社会人として胸を張れます。
年に36冊のペースとなり、ほかの人と大きな差がつくのは間違いありません。
今月は何冊の本を読んだでしょうか。
まだ0冊でも大丈夫です。
まだ来月まで時間は残っているので、読書のチャンスがあります。
とりあえず月に1冊は本を読みましょう。
移動時間や休憩時間を使えば、それほど無理なく達成できるでしょう。
平日に忙しいなら、週末を使って読書をしましょう。
読書の時間は、自然できるものではなく、つくるものです。
余裕があれば、月2冊にチャレンジです。
週に1冊のペースで読書をすれば、月に4冊は読むことになり、社会人として驚異的な読書量になります。
本は、知識や教養の幅を広げてくれるツールです。
たくさん活字に触れることで、あなたの世界観はどんどん広がっていくのです。
「宿題=人から与えられるもの」と考える人は少なくありません。
たしかに宿題といえば「人から与えられる」というシチュエーションが一般的でしょう。
学校や学習塾では、先生から宿題を出されます。
会社の上司から宿題を出されることもあるでしょう。
宿題がサボると叱られてしまい、時には居残りをさせられることもあります。
しかし、成長をしたいなら発想を変えてください。
宿題を「人から与えるもの」と思っているようでは、成長が限られます。
人に与えてもらうまで成長できません。
受け身に姿勢になってしまい、成長が遅くなります。
自分の宿題は、自分で出すのです。
人に宿題を出されるのを待つのではなく、どんどん自分で自分に宿題を出していきましょう。
自分自身が上司や先生になったつもりで、自分に宿題を出していくのです。
「今日はここを復習する」
「自宅に帰ってから読み直す」
「○○月○○日までに、これを終わらせる」
自分で自分に宿題を出すと、自発的になるので、やる気を出して取り組めます。
記憶力も高まって、学びの吸収力も高くなります。
ストレスが大きなことでも、自分からやれば、小さく感じられるもの。
自分で出した宿題のほうが、スムーズに進みやすいのです。
人から宿題を出されるのを待つ必要はありません。
どんどん自分に宿題を出してください。
「自分に宿題を出す人」になりましょう。
難しすぎる宿題や膨大な量の宿題を出す必要はありません。
自分のレベルに合わせた宿題を出していけばいいのです。
自分が出す宿題の量や難易度は、その都度調整できます。
宿題が終わらなくても、叱られることはありません。
やり残した宿題は、別のタイミングに回せばいいことです。
自分で自分に宿題を出せるようになれば、成長力が爆発的に上がることを保証します。
自分で自分に宿題を出す人が、成長するのです。
誰もが「成長をしたい」と考えています。
誰もが「達成感を得たい」と考えています。
成長や達成感を得ると、大きな喜びと快感があります。
嬉しさがあり、気分も最高で、自己肯定感も上がります。
成長や達成感を得るためには、大事な前提があります。
「自分でやること」です。
人にやらせては意味がありません。
自分がやるからこそ、意味があります。
登山で山頂に立ったときには、成長と達成感があります。
誰かが自分の代わりに登頂したところで、成長も達成感はありません。
その人の成長になり、その人が達成感を得ることになります。
自分の力で登るから成長があり、自分が登頂するから達成感があります。
仕事を人にやらせてしまっては、成長も達成感もありません。
自分が頑張るからこそ成長でき、成し遂げたときの達成感もあります。
スキルアップになる仕事やキャリアに結びつく仕事なら、あえて人に任せず、自分がやってみることも大切です。
資格の勉強も、人にやらせては意味がありません。
そもそも誰かにやってもらうことはできません。
親は、子どもの勉強を代わりにできません。
親ができるのは、サポートすることだけです。
子どもが学力を上げるには、本人が勉強するしかありません。
自分で勉強するから知識が身につき、成長できます。
自分が努力して勝ち取った合格だからこそ、達成感も味わえ、自己肯定感も上がるのです。
自分でやるのは大変です。
疲れるし、時間もかかるし、苦しい思いもします。
「誰か代わりにやってほしい」と思うこともあるはずです。
しかし、誰か代わりにやってもらえば、楽である代わりに、成長や達成感はありません。
成長と達成感を得たいなら、大きな苦労があっても、自分でやるしかないのです。
自分でやるから、成長できます。
自分が成し遂げるから、達成感も得られます。
「大変だけど、これは自分のためだ」と思うことです。
成長と達成感を得たいなら、自分でやることが大切なのです。
あなたには「美学」がありますか。
美学とは何か。
こだわりや価値観のことを言います。
もちろん美学を持つ持たないは、個人の自由です。
興味がない人も多く、持たないからと言ってデメリットはありません。
しかし、美学にメリットはあってもデメリットはありません。
損はないのですから、あったほうがいいのです。
美学とは「美の哲学」です。
美学があると、生き方にも美が生まれ、洗練されます。
思考や行動に「軸」が生まれ、生き方が「かっこよさ」が生まれます。
迷う場面や悩ましい場面があったとき、美学があれば「こうすればいい!」と判断・決断がスムーズになります。
誘惑に負けそうなときがあっても、美学があれば抑止力となります。
美学はどんなことでもいいのです。
あなたにとって「かっこいい」と思えることを、ぜひ美学にしてください。
どれも当たり前のことに思えますが、素晴らしい美学です。
1つでかまいません。
1つあれば十分です。
もちろん2つや3つあってもいい。
一度決めたら、それを一生貫くようにしてください。
子どもが心がけるようなことでも、それを徹底厳守するとなると強い意志が必要です。
行動や考え方がかっこよくなります。
美学は自分と約束ですから、死守することが欠かせません。
美学とは、人生にプラスの作用をもたらすものです。
かっこいいから美学を持つのではありません。
美学を持つからかっこよくなれるのです。
美学のある人は「美しい生き方」が実現します。
あなたの身近に「なんだか品がある」という人はいませんか。
服装は普通なのに、なぜか品を感じる人。
顔立ちは普通なのに、どこか上品な雰囲気が出ている人。
話し方も振る舞い方も普通なのに、どことなく気品を感じる人。
きっとあなたの身近にもそんな人がいるはずです。
「なんだか品がある」という人には、ある共通点があります。
「それは背筋が伸びている」ということです。
背筋を伸ばすと、体のシルエットが美しくなります。
体のラインが整って、全体の雰囲気が良くなるため、背筋を伸ばすだけで品があるように見えてくるのです。
言葉遣いは普通でも、背筋を伸ばすだけで品のある人に見えてきます。
服装や顔立ちが普通でも、背筋が美しく伸びていると「実は教養のある人なのかな」と思ってしまいます。
人間心理として、そう見えてしまうのです。
たかが背筋とはいえ侮れません。
服装を気にするより、背筋を気にしてください。
身だしなみが乱れていても、背筋を伸ばしていれば、品が出てくるようになります。
背筋を伸ばすと、少し痩せて見えるようになるメリットもあります。
「へえ、なるほど」と思っているあなた。
人ごとだと思って感心している場合ではありません。
実はここに、あなたの品が良くなるポイントが隠れています。
つまり、あなたも背筋を伸ばすだけで「なんだか品がある」という人になれるということです。
服装は普通で構いません。
顔立ちに恵まれていなくても大丈夫です。
体型もぽっちゃりまでなら大丈夫です。
少しくらい髪がぼさぼさでも問題ありません。
背筋をぴんと伸ばしましょう。
あなたから品のある雰囲気が漂い始めます。
背筋を伸ばすだけですから簡単です。
特別な訓練も、道具も必要ありません。
背筋を伸ばすときは、反らないように注意してください。
背筋を伸ばすのが良いとはいえ、反った姿勢になると不自然に見えます。
背中の筋肉も酷使するため疲れます。
歩くときも、背筋を伸ばした姿勢を意識しましょう。
イメージとしては、胸を張るのではなく、頭の上から糸で引っ張られているような姿勢です。
周りからあなたを見る目が変わるでしょう。
背筋を伸ばすだけで「なんだか品がある」という人になれます。
世の中には、多くの抗菌グッズが市販されています。
「抗菌」とつくものには、有害な細菌が増えるのを抑える効果があります。
抗菌シート、抗菌スプレー、抗菌ベッド、抗菌カーテン、抗菌カーペット。
抗菌の文房具もあれば、抗菌の家電製品もあります。
文房具から日用品まで、抗菌効果のあるものがあふれています。
世の中は「抗菌」のラベルのついた商品であふれかえっています。
抗菌グッズを買いそろえる人も多いことでしょう。
きれい好きの人なら抗菌は欠かせません。
抗菌グッズが増えれば増えるほど、清潔を保ちやすくなります。
抗菌効果のあるものを使うことが日常になって、抗菌グッズに囲まれている生活を送っているでしょう。
もちろん抗菌グッズも大切ですが、ここであなたに知っておいてほしいことがあります。
抗菌グッズが増えるにつれて大切になることがあります。
免疫力を高めることです。
抗菌グッズが増えるにつれて、無菌生活に近づいていきます。
菌に触れていないと、体は免疫力を鍛える機会がなくなります。
菌に触れる機会がないと、どんどん免疫力が下がっていき、病弱な体質になってしまいます。
病気になりやすくなったり病気が治りにくくなったりです。
免疫力の低下は、自然治癒力の低下も招きます。
体調不良が長引けば、生活に支障を来すことも少なくありません。
免疫力の低下は、自覚症状がないだけに怖い。
痛みも不快感もなく、トラブルが起こって、そのリスクを実感します。
抗菌グッズに頼って無菌生活を送っていると、あとからしっぺ返しを食らうのです。
もちろん抗菌グッズを利用するのはいいのです。
抗菌グッズはいいですが、きちんと免疫力のことも意識してください。
「抗菌グッズがあるから大丈夫」ではありません。
「抗菌グッズがあるからこそ、免疫力を意識しないといけないね」が正解です。
抗菌グッズを多用している人ほど無菌生活になりやすいため、免疫力の向上を意識することが必要です。
人と免疫力は、切っても切れない関係です。
抗菌グッズは素晴らしいですが、頼りすぎないことです。
きちんと免疫力を高める習慣を持ちましょう。
免疫力を高める、4つの基本があります。
どれか1つではなく、すべてを心がけるようにしましょう。
当たり前のことかもしれませんが、きちんとできている人は意外と少ないもの。
特に睡眠は、最低でも7.5時間は確保したいところです。
抗菌の恩恵を受けつつ、免疫力に意識を向け、鍛えていきましょう。
抗菌グッズを利用しつつ、きちんと免疫力も高めておけば、怖いものなしです。
あなたには「得意分野」がありますか。
胸を張って「これが得意です!」と言えることがあればいいのです。
得意分野は未来を切り開く武器になります。
自信につながったり仕事で生かされたり周りからの尊敬を集めたりができます。
得意分野がある人は、すでに仕事や日常で生かされていることでしょう。
願わくは、現状のレベルで満足するのではなく、どんどん磨いてもっと素晴らしい武器に変えていきましょう。
未来を切り開く武器として、ますます輝くに違いありません。
さて、得意分野がある人はいいのですが、一方で「得意分野がない」という人もいるでしょう。
落ち込まないでください。
得意分野がなければ、つくればいいのです。
得意分野は、後天的な要素です。
才能や性格は先天的要素が大きい一方で、得意分野は後天的要素が大きいのが特徴です。
努力することで新しく身につけることができ、トレーニングによって強化していくことが可能です。
得意分野とはいえ、世界一を目指す必要はありません。
「比較的上手にできる」「比較的慣れている」という程度で十分です。
必死で料理の腕を磨けば、料理が得意分野になるでしょう。
プロに引けを取らないレベルまで上達しているかもしれません。
歴史を1年間こつこつ勉強すれば、歴史が得意分野になるでしょう。
「歴史博士」と呼ばれるようになっているかもしれません。
毎日マイペースでランニングを続けていれば、マラソンが得意分野になるでしょう。
1年後にはフルマラソンでサブフォーを目指せるレベルになっているかもしれません。
勉強やトレーニングをすれば、年齢に関係なく、新しく得意分野をつくることができます。
しかも1つだけでなく、努力しだいでいくつでも身につけることが可能です。
人間の可能性には本当に驚かされますね。
得意分野がなければ、これからつくっていきましょう。
得意分野は何でもいいのです。
仕事に役立つものでもいいですが、もちろん仕事に関係のないものでもいい。
完全な趣味や遊びでもOKです。
得意分野の習得は、年齢を重ねてからでも可能です。
学生はもちろん、社会人になってからもつくれます。
人生の中盤を過ぎてから新たな得意分野をつくっていくことも十分可能です。
還暦を過ぎてから身につける得意分野は、ひときわ大きな輝きを見せるはずです。
得意分野をつくるのに遅すぎることはないのです。
「応援されないとできない」
もしそういうことがあれば、厳しい現実をお伝えします。
残念ですが、挫折は時間の問題です。
それは好きなことではありません。
才能もありません。
応援しないとできないことは「その程度」ということです。
応援されているときはいいのです。
「頑張ってね!」
「期待しています!」
「あなたならきっとできるよ!」
応援されると期待されていることがわかり、嬉しくなります。
応援の言葉に励まされてパワーをもらい、やる気も湧いてきます。
しかし、応援されないとできないということは、応援がなくなれば、できなくなるということです。
応援されないとできないことは、好きなことではありません。
本気でやりたいことでもありません。
背中を押されているから仕方なく頑張っている状態です。
応援されないとできないことは、才能もありません。
いくら頑張っても、伸びしろが目に見えているので、早めに見切りをつけるのがいいでしょう。
本当に好きなことなら、応援されなくてもできます。
あなたが好きな趣味を思い出してください。
好きな趣味であれば、応援されなくても普通にできるはずです。
やる気を出そうとしなくても、勝手にやる気が出てくるでしょう。
誰かに「やれ」と命令されなくても、自分から進んで取り組むでしょう。
頑張らなくても、自然と集中してしまうはずです。
壁にぶつかっても、積極的に試行錯誤をして、なんとか解決しようとするはずです。
たとえ周りから邪魔されても、めげることなく、好きなことを貫こうとするはずです。
本当に好きなことなら、応援は必要ないのです。
意外なことですが、本当に好きなことなら「応援が邪魔」と感じることも少なくありません。
応援されると、気が散って集中が妨げられます。
期待に応えなければいけないプレッシャーが生まれ、気持ち悪く感じます。
本当に好きなことは純粋に没頭したいので、外部からの余計な刺激は不要になります。
応援されないとできないことは、早々にやめるのが賢明です。
本当に好きなことではないからです。
時間・お金・労力も有限です。
気力・体力・精神力にも限りがあります。
人生は、長いようで短い。
好きでもないことに貴重なリソースを費やしていると、あっという間に時間が過ぎていき、気づけば年を重ねているでしょう。
晩年、死の間際になってから「本当に好きなことではなかった」と気づいても遅いのです。
貴重な人生は、好きなことに費やすのが正解です。
そのほうがあなたも喜び、人生も喜び、神様も喜びます。
充実感があって、後悔もなくなります。
狭い道で車の運転をしていると、向こうからも車がやってくることがあります。
1台が通るには問題ないが、2台の車がすれ違うほどのスペースはない道です。
こういうときには、どちらかの車がバックをして、道を譲らなければなりません。
もちろんどちらの車も早く先に進みたいことでしょう。
しかし、1台しか通れないような道で、車がすれ違おうとするのは無理があります。
単純な話ですね。
車の運転では間違えませんが、人生という道では、うっかり忘れている人が多いのです。
人とぶつかるというのは、1台しか通れない道を、すれ違って進もうとしている車の状態と同じです。
そもそも1台しか通れるスペースがないのですから、ぶつかるのは当然です。
衝突は「譲ることを忘れたとき」に発生します。
初めから「ここは2人分が通れるスペースはないな。私が道を譲ろう」と思えば、こういうことにはならないはずです。
面倒かもしれませんが、自分が譲る側になるほうがいいのです。
結果として、衝突がなくなり、いらいらが減り、時間の節約にもなります。
どうすればいいのかわからなければ、ひとまず「譲る」という行為に出れば間違いありません。
「譲る」という行為は、衝突をなくす心の習慣です。
狭い道を無理して進もうとするから、途方に暮れるのです。
進めなくて困ったときには、相手にけしかけるのではなく、譲るのです。
譲れば、道ができます。
すると、前へと進めるようになります。
壁に当たったときというのは、あなたが譲ることを忘れている証拠なのです。
譲ることを忘れているから、進めないだけです。
決断力を鍛えたいなら、まず鍛えておくべきことがあります。
「判断力」です。
決断と判断は似ていますが、まったく別物です。
判断とは、物事についての考えをまとめて定めることをいいます。
決断とは、きっぱりと心を決めることをいいます。
判断と決断は似て非なるものであり、役割も別なのです。
私たちが何かを決断する前は、まず判断します。
選択肢から選ぶ際、知識と経験を総動員して「最適な選択肢はどれだろうか」と考えます。
試験の4択問題と同じ要領です。
じっくり考えた結果「これが良いだろう」と判断して、それを決断して、実行に移します。
判断ができるから、次のステップである決断ができます。
正しい決断には、正しい判断が必要です。
正しい判断ができるから、正しい決断もでき、素晴らしい結果をもたらします。
判断しないまま決断することも可能です。
ただし、判断のない決断は大きなリスクが伴います。
「いいかげんな決断」になるからです。
判断しない決断は、運に頼った状態です。
判断しないままの決断は、素晴らしい結果をもたらすとは限りません。
むしろミスや失敗を招き、不幸に至る可能性があります。
決断力を鍛えたいなら、まず判断力を鍛えましょう。
物事の真偽や善悪を見極められるようになることです。
判断力を鍛えるには、次の2つの方法があります。
まず、さまざまな情報を身につけることが欠かせません。
判断のもととなる情報がなければ、判断のしようがありません。
書籍・雑誌・インターネットなど、さまざまな媒体を通して多くを学んでいきましょう。
経験も大切です。
さまざまなことにチャレンジして、経験を増やしていきましょう。
成功体験だけでなく失敗体験も貴重な糧です。
痛い目に遭うことで教訓が得られます。
情報が豊富にあればあるほど判断材料になるため、正しい判断がしやすくなります。
普段から自分の頭で考える習慣をつけることも欠かせません。
判断には「考える力」が求められます。
考える力は、普段考えない人が「やれ」と言われ、すぐできるものではありません。
自分の頭で考える習慣がない人が、いきなり判断を求められても言葉に詰まります。
豊富に知識を身につけていても、知識をうまく活用できなければ意味がありません。
判断には、さまざまな基準や情報に基づいた総合的な考え方が求められます。
視点を変えたり視野を広げたり発想を変えたりします。
時には思い込みをなくし、ゼロベースで考えることも有効です。
結局のところ、自分の頭で考えることが欠かせません。
普段から自分の頭で考える習慣を続けることで、思考力が高められ、判断力が鍛えられていきます。
高尚な人間を目指そうとしていませんか。
もちろん高尚な人間を目指すのは素晴らしいことです。
高尚な人間を目指せば、周りから注目されるでしょう。
「素晴らしい」「かっこいい」「ほれぼれする」と称賛されるに違いありません。
人は誰でも「褒められたい」「認められたい」という承認欲求があります。
夢を叶えるためにも、高尚な人間を目指そうとしている人も多いのではないでしょうか。
ここで注意したいことがあります。
最初から高尚な人間を目指すのは大変です。
高尚な人間になるのは、言うのは簡単でも、実現は困難です。
文化的・芸術的な学問を身につけなければいけません。
マナーや礼儀作法をしっかり身につけなければいけません。
心と精神を磨き、人間性を高めなければいけません。
人生経験を積み重ね、多くの困難を乗り越え、人格を磨かなければいけません。
時間もかかり、労力も必要です。
センスもタイミングも要求されます。
高尚な人間を目指すのはいいですが、いきなり最初から目指すには難易度が高すぎます。
必ずうまくいくとは限らず、報われないこともあります。
挫折を招くリスクが高くなります。
高尚な人間を目指すのもいいですが、もっと先に心がけたいことがあります。
まず低俗な人間を避けるのです。
つまり「加点を狙うより減点を避ける」ということです。
人は、快より不快の感情に敏感です。
快の感情は一時的ですが、不快の感情は記憶に深く長く残ります。
どれだけ行為が素晴らしくても、低俗な行為が目立つと、台無しです。
いったん評判や信用を落とすと、取り戻すのに時間がかかります。
場合によっては、取り戻せない可能性もゼロではありません。
そのため、高尚な人間を目指すより、低俗な人間を避けることから始めるのが得策です。
実際のところ、低俗な人間さえ避けられれば、十分な合格ラインです。
1人の人間として、恥じることなく、堂々と胸を張って生きていけます。
低俗な行為を避けて、余裕ができれば、次に高尚な行為を目指していけばいいでしょう。
高尚な人間を目指すより、低俗な人間を避けましょう。
減点を避けることから始めたほうが、余計なトラブルを防げます。
高尚に向かうレベルアップもスムーズになるのです。
「乱暴な言葉遣いは苦手」と言う人がいます。
言葉には、人を元気づけたり勇気づけたりする力がある一方、傷つけたり不快にさせたりする力もあります。
乱暴な言葉遣いは、聞くだけでもストレスを感じるでしょう。
心がぎゅっと締め付けられ、不快な気分になり、時には息苦しさすら感じます。
口が悪い人とは距離を置きたくなるでしょう。
ところが、ここでありがちなケースがあります。
「乱暴な言葉遣いは苦手」と言いつつ、自分の言葉遣いが乱暴になっているケースがあるのです。
人の言葉遣いには敏感でよく気づけても、自分の言葉遣いは鈍感になっていることが少なくありません。
普段は丁寧な言葉遣いがきちんとできていても、感情的になったときが危ない。
むっとしたりいらいらしたりしたとき、つい気が緩んで汚い言葉を吐いてしまうことがあります。
これは良くありません。
「乱暴な言葉遣いは苦手」と言いつつ、意外と自覚のないケースが少なくないのです。
自分の日頃の言葉遣いを振り返ってみてください。
乱暴な言葉遣いが苦手であれば、自分の言葉遣いも、きちんと丁寧な言葉遣いを心がけることが必要です。
つらいことや嫌なことがあっても、感情をコントロールして丁寧な言葉遣いを徹底します。
黙っているのが苦痛で、どうしても何か言いたいなら「丁寧な言葉で不快感を表現すること」をおすすめします。
一呼吸置いて、丁寧な言葉に言い換えましょう。
「残念です」
「不愉快です」
「納得ができない」
「憤りを感じる」
フォーマルな場であれば「遺憾」という言葉が適切でしょう。
丁寧な言葉で不快感を表現することが可能です。
乱暴な言葉遣いは、百害あって一利なしです。
「年齢を重ねれば、自然と角が取れ、性格が円くなる」
そんな言葉を一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。
たしかに年配者の多くは、穏やかな性格の人が多く見られます。
おっとりしていて、器量が大きく、温和な性格の方が多い。
年配者ご本人からも「若いころと比べればずいぶん性格が円くなった」「いつの間にか性格が円くなった」などの声が聞かれます。
なぜ角が取れて、性格が円くなったのでしょうか。
まず挙げられる理由は「加齢に伴う体力の低下」があります。
年齢を重ねて老いてくると体力が低下して、ちょっとしたことで疲れやすくなります。
特に怒りは、体力を奪われる感情の1つです。
感情的になると体力が奪われるため、できるだけ穏やかで過ごそうという価値観に変わります。
それが円い性格として映ることがあります。
こういう話を聞くと「年齢を重ねれば、誰でも自然と性格が円くなる」と思うかもしれません。
年齢を重ねるにつれて自然と穏やかな性格に変わっていくように感じられますが、肝心なのはここからです。
誰でも年齢を重ねるにつれて自然と性格が円くなっていくわけではありません。
現実を見てください。
年配者の多くは円い性格の方ばかりですが、ときどきそうでない人も見かけます。
依然として、角が立っている年配者も少なからず存在します。
高齢にもかかわらず、乱暴な言動が目立つ年配者を見かけることがあるでしょう。
「年齢を重ねれば、自然と角が取れ、性格が円くなる」と言いますが、半分は本当である一方、半分は嘘です。
何もしないでぼうっと年齢を重ねるだけでは、円い性格になるわけではありません。
なぜ年齢を重ねるにつれて、角が取れて、性格が円くなるのか。
大切なのは「人生経験」です。
人生では、さまざまな経験を積むことが欠かせません。
生きている時間が長いとさまざまな人生経験を通して、人や世の中のことを知ることになります。
成功と失敗、出会いと別れ、数多くの苦労や困難、世の中の移り変わり。
さまざまな人生経験を積むことで「私も過去に経験がある」「時にはこういうこともある」という場面が増えます。
人の気持ちがわかるようになったり物事に対する理解が深まったりします。
自然と角が取れ、器が広くなり、結果として円い性格になっていくのです。
年齢さえ重ねればいいわけでありません。
性格が円くなるためには、さまざまな人生経験を積みながら年齢を重ねていくことが大切です。
失敗を恐れず、どんどんアクションを起こしてください。
人生経験の数を増やすことにハズレはありません。
狭い場所で満足するのではなく、外に飛び出て、広い世界を見に行きましょう。
さまざまな人と出会い、さまざまな景色を見て、さまざまな経験を積むことです。
挫折も失敗も何もかも、すべては人生経験です。
成功だけでなく、失敗も経験しておくことです。
明るい経験や楽しい経験だけでなく、つらい経験や苦しい経験も必要です。
年齢を重ねるごとに「人生は有限」という実感が強くなり、生きているのではなく生かされていることに気づきます。
人生経験を積むにつれて、角が取れ、性格が円くなっていくのです。
人の悪口を言うのはNGです。
悪口は、人を傷つける行為です。
ましてや悪口をストレス解消の手段にするのは、品格を損ねます。
悪口を言われて喜ぶ人はいません。
自分がされて嫌なことは、人にもしないことです。
悪口を言って、自分はすかっとして気持ちいいかもしれませんが、悪癖・悪趣味に変わりありません。
「相手に聞こえないから大丈夫」と思いますが、大きな油断です。
意外と本人に届くものです。
悪い噂ほど広まるように、悪口もまた人づてで伝わっていき、本人の耳に届きます。
悪口を言えば言うほど、人間関係が悪化します。
そもそも「相手に聞こえないから大丈夫」という考え方が良くありません。
それは「人に気づかれなければ悪事を働いてもいい」という考え方と同じであり、危険な要素をはらんでいます。
「私はひそかに悪いことをたくらんでいます」と公言しているのと同じことです。
「犯罪者予備軍」と言っても大げさではありません。
仏教では「十悪」と呼ばれる、10種の罪悪が定められています。
悪口は十悪の1つです。
仏教で十悪と定められているほど、よくない行為であるとわかれば、いかに危険の可能性があるか実感できるでしょう。
人の悪口は禁句にしましょう。
さて、ここからが本題です。
人の悪口を言うのがいけないなら、自分で自分の悪口を言うのは許されるのでしょうか。
ここがポイントです。
自分の悪口を言うのもいけないのです。
悪口であることに変わりないからです。
自分の悪口を言ってはいけません。
ちょっとした自虐ネタなら、まだいいのです。
人を笑わせるために、面白い自虐ネタを披露することがあるでしょう。
自虐ネタは、本気ではありません。
あくまで遊びと冗談が混じっているため、悪影響はほとんどありません。
しかし、遊びでも冗談でもなく、真面目に自分の悪口を言うのは良くありません。
自分への悪口は人に迷惑をかけません。
人に迷惑をかけないため「いくら言っても大丈夫」と考える人がいますが、ここに落とし穴があります。
悪口の悪影響が自分に向かうだけです。
言えば言うほど、自分を落ち込ませます。
自信を失い、尊厳が損なわれます。
自己評価が悪くなり、自己肯定感も下がります。
ついには自分のことが嫌いになってしまうのです。
自分のことを嫌いになると、人を好きになるのも難しくなります。
人の悪口を言わないのはもちろんのこと、自分の悪口も言わないように注意してください。
自分への悪口でも、十悪の1つを犯すことになります。
健康に自信があって、健康診断を受けない人がいます。
「体に問題は何もないから、健康診断も必要ないだろう」
「健康的な生活を送っているから、健康診断を受けなくても大丈夫だよね」
「体調がいいから健康診断を受ける必要はないだろう。問題がないに決まっている」
たしかに違和感がなければ、健康に問題がないように思えるでしょう。
普段から食事や運動に気を遣い、健康的な生活を心がけていれば、健康を保ちやすくなります。
体調がよければ、健康診断の必要性を疑問に思う人もいるでしょう。
しかし、これは違うのです。
自己感覚や自己判断を頼りにするのは良くありません。
体調の良しあしと健康の良しあしは、別問題だからです。
体調に問題なくても、健康診断を受けたところ、何らかの異常が見つかるのはよくあることです。
高血圧や高コレステロールが見つかることは、珍しくありません。
普段から食事や運動に注意していても、何らかの異常が見つかり、再検査が必要になることもあります。
自覚症状のない病気もあります。
たとえば、すい臓や肝臓に関する病気です。
すい臓や肝臓は別名「沈黙の臓器」と呼ばれています。
すい臓や肝臓は、悪化の初期段階ではほとんど症状がないため、なかなか自覚が難しい現実があります。
自覚症状が出始めたときは、かなり進行している状態です。
すでに手遅れという可能性もゼロではありません。
こうしたケースがあることから、感覚だけで判断するのは良くありません。
体調の良しあしと健康の良しあしは、別問題です。
体調に問題なくても、体が悲鳴を上げていることがあるのです。
年に一度は健康診断を受けましょう。
体調の良しあしにかかわらず、健康診断は毎年受けるのがベストです。
健康診断を受ければ、体の状態が「数字」でわかります。
健康診断の結果は、少なくとも受けた時点の状態を正しく表しているものです。
検査を受けてから結果を受け取るまでに時間差はありますが、少なくとも1カ月以内には受け取れるでしょう。
自己判断とは違い、外部の専門機関による検査であるため、信用できる結果です。
自己感覚だけを頼りにするのは良くありません。
健康診断では、感覚や雰囲気だけではわからないことがわかります。
普段から謙虚を心がけているなら、態度や振る舞いだけでなく、健康にも意識を向けてください。
年に一度でいいのです。
体調の良しあしにかかわらず、年に一度は健康診断を受けましょう。
健康診断の受診も、謙虚の1つです。
行動するときには、友人と行動します。
友人と電話で話して、お互いの友情を確かめ合います。
恋人をつくって、愛を確かめ合おうとします。
誰かと一緒にいるから楽しさは倍増して、悲しいことがあっても半減します。
こうして私たちは「誰かと一緒にいる時間」を積極的につくろうとします。
これは、良いことに思えますが、実はここに落とし穴があります。
人と一緒にいる時間が多いと、1人になる時間がなくなります。
私たちは、寂しいから「孤独の時間」を避けようとします。
自分を高めたいなら、孤独の時間は避けるのではなく、求めなければいけません。
人が本当に成長できるのは「人といる時間」ではなく「孤独の時間」です。
誰かと一緒にいるときはたしかに楽しいひとときを過ごせますが、集中が周りに向くため、自分を省みることができません。
誰かと一緒にいすぎてしまうと、他人に流されてしまいます。
気づけば「こんなはずではなかった」という人生になるでしょう。
そうならないためにも、1日1回は孤独の時間をつくって、自分や生活を振り返ることが大切です。
1人になった孤独の時間にこそ、自分を省みることができ、成長できます。
読書も旅行も映画鑑賞も、1人で楽しむほうが、いつも以上に味わいが深く感じられます。
1人になる時間が、1日1回でもあったほうがいい。
自分のことについてじっくり考える時間は貴重です。
かっこつけるのがかっこいいとは限りません。
むしろかっこ悪いことです。
かっこつける行為は、自分をよりよく見せようと体裁を整えることです。
マナーとして身だしなみを整える程度ならいいのですが、それ以上に見た目をよく見せるのは要注意です。
かっこつけたがる心理は、裏を返すと「普段の自分はかっこ悪い」「素の自分には自信がない」と言っているのと同じことです。
より良い自分をアピールするのはいいのですが、往々にして余計な力が入っています。
「どうだ、かっこいいだろう! 私に惚れなさい!」と言わんばかりの感じがあって暑苦しい。
そのためかっこつける人は、どこかに不自然な様子があります。
無理をしている様子があると、痛々しく見えることも少なくありません。
かっこつけるのは疲れます。
つま先立ちで歩くのが大変なように、かっこつけながら生きるのも大変です。
疲れることは長続きしません。
一時的にかっこつけることはできても、ずっと続けるのは大変です。
長期的に続けるのはもっと大変です。
無理にかっこつけると、素の自分とのギャップも大きくなります。
かっこつけていればいるほど、どんどん本来の自分からそれていきます。
無理に自分を着飾ったところで、それが自分らしくない姿であれば、嘘の自分を見せていることになります。
かっこいい状態を保てているときはいいのですが、うっかり油断したときが大変です。
「えっ?! 本当はそんな姿だったの?」と驚かれ、うっかり素を見られたときのインパクトが大きくなります。
「どちら様ですか」と本人だと気づいてくれないこともあります。
では、本当にかっこいい姿とは何か。
かっこつけないことです。
すなわち「自然体で生きる」ということです。
肩の力を抜いて余計な力は入れずリラックスします。
無理に着飾ることもなく、いつもどおりの自分を見せます。
素の自分を大切にすると、自分らしく生きられます。
自然体を大切にすると、素の自分でいられます。
普段の自分を見せていけばいいので気楽です。
余計な力を入れなくて済む分、疲れにくくなります。
周りの目を気にしないのは、強い心と自信がある証拠です。
自然体でいる人は「周りからどう見られようとかまわない」という意思表示です。
「周りからどう見られようとかまわない」という考え方は潔くて、自信にあふれています。
きちんと自分を持っていて、周りに流されない力があります。
人目を気にせず、自然体を大切にして貫いているのがかっこいい。
素の自分が好きだから、自信があります。
本人が自然体を楽しんでいるなら、見た目に関係なく、最高に幸せです。
無理に自分をよく見せて疲れるくらいなら、最初から潔く素を見せて、自然体でいるほうがいい。
自分らしく生きるということは、人生で最も価値のあるチャレンジです。
そこには「本当のあなたらしさ」があります。
無理にかっこつけず自然体でいることが、本当にかっこいいのです。
立派に見えるのと、立派であるのとは、別問題です。
きれいな服を着ている人でも、心が汚れている人かもしれません。
堂々としている人でも、偉そうにしているだけかもしれません。
早口で話す人は、自分の劣等感を繕おうとしているだけかもしれません。
見た目と実際は、必ずしも一致するとは限りません。
立派に見せるのは、お金と知恵さえあれば、なんとかなります。
何もできない人でも、スーツを着て髪型を整えれば、立派に見えるでしょう。
立派に見せるのも結構ですが、もっと大切なのは、立派な行動をする人になることです。
人が評価されるのは、その人が果たした行動です。
自分は何も行動しないであれこれ言う人は、ただの評論家です。
歴史を振り返ればわかるとおり、評論するだけで偉業を成し遂げた人はいません。
言うだけなら、誰でもできます。
どんなに立派なことを言っても、何も行動していなければ、立派とは言えません。
大切なのは、立派に見せる人ではなく、立派な行動をする人になることです。
どれだけ人を助け、社会に貢献できたかです。
世の中に貢献できさえすれば、年齢・性別・学歴を問わず、すべて立派な人です。
たとえ見かけは地味で無口の人でも、立派な偉業を果たしたなら、立派な人なのです。
猫背は、直したほうがいいのは間違いありません。
どれだけ顔立ちが良かろうと、どれだけファッションが洗練されていようと、猫背だとすべての魅力が帳消しです。
誰が見ても、猫背は美しくありません。
伸びた背筋がかっこいいことはありますが、猫背がかっこいいということはありません。
猫背で忘れてはならないのは、健康面への悪影響です。
背中がCの字になっていると、背筋に無理な負荷がかかって疲れやすくなります。
血行が悪くなり、新陳代謝の低下を招きます。
猫背が長期にわたると、腰痛の原因にもなるため、きちんと治しておくに越したことはありません。
猫背は、外見面だけでなく健康面にも影響するため、治しておくのが賢明です。
「猫背が治りません。気を抜くと、すぐ背中が元に戻ります」
なかなか猫背が治らなくて嘆く人がいます。
背筋を伸ばしてしばらく美しい姿勢を維持できていても、気を抜くと再び背中が曲がって猫背に戻ってしまう。
意識して背筋を伸ばしてはまた元に戻り、意識して背筋を伸ばしてはまた元に戻るという繰り返し。
少し油断すると「もう一生猫背は治らないのかな」と思ってしまうところでしょう。
もちろんけがや病気などの影響で背筋を伸ばせない事情があるなら別です。
背骨に異常があり、物理的に背筋を伸ばせないなら、猫背が治らないのも仕方ありません。
しかし、けがや病気などの事情がないにもかかわらず、猫背が治らないのは不思議な話です。
その人は、猫背が治らないのではありません。
治す気がないだけだけです。
「猫背が治らない」と嘆く人のほとんどは、治らないのではなく、治す気がないことに原因があります。
猫背は、本気になれば、必ず治せます。
イメージとしては「頭の上から糸で引っ張られているような姿勢」です。
緩やかなS字カーブを描くようにしながら、背骨の上に重心を置くようにしましょう。
このとき、少しだけ顎を引くと、見た目がぐっと良くなります。
背筋を伸ばすと疲れそうに思えますが、誤解です。
背筋が真っすぐになると、背筋への負荷が軽くなるため、一転して疲れにくくなります。
きちんと背筋の傾きを解消できれば、むしろまっすぐに伸ばしているほうが楽になります。
忘れやすいなら、意識しやすくなる工夫をしてください。
たとえば、注意の言葉を紙に書いて壁に貼ったり、スマホの待ち受け画面にしたりするといいでしょう。
注意喚起が自然と目に飛び込んでくるようにすれば、生活の中で自然と意識できるになります。
猫背とはいえ、結局のところ癖です。
癖の中身を変えるだけのこと。
猫背が癖になっているなら、ぴんと伸びた背筋も癖にできるはずです。
普段からぴんと伸びた背筋を意識して習慣にすれば、猫背は治ります。
今日から言い訳をするのをやめてみましょう。
何の言い訳をやめるかというと、言い訳です。
あなたの人生から「言い訳」という言葉をなくすくらいでかまいません。
言い訳をやめて、素直に一言謝ればいいのです。
「そうですね。私の落ち度でした。申し訳ございません」
素直に非を認め、謝ります。
言い訳が喉まで出そうになっても、そこでぐっとこらえます。
そして、過ちが起こった理由は自分にあると考えるのです。
中には、自分が直接の原因ではない場合もあるでしょう。
しかし、よくよく振り返ってみれば、できる対策があったことに気づくはずです。
たとえば、交通機関の乱れで遅刻したとします。
直接の原因は交通機関の影響であり、自分は悪くありませんが、本当に遅刻を防げなかったのでしょうか。
十分な余裕を持って自宅を出れば、たとえ交通機関が乱れたとしても、間に合ったはずです。
「もっと早めに家を出るべきだった。自分の配慮が足りなかった。次から気をつけよう」
反省するからこそ早めに家を出る重要性を痛感します。
今後の行動が見直されるのです。
反省する力が倍増して、成長のスピードが速くなります。
周りの人は、あなたの言い訳をしない姿勢に感銘を受けるでしょう。
言い訳をやめると、あなたの魅力は格段にアップするのです。
あなたは本番に強いほうですか。
それとも弱いほうですか。
本番に強いというなら素晴らしい。
理想的なことであり、申し分ありません。
今後もその意識を続けください。
得意な本番で素晴らしい結果を残していきましょう。
素晴らしい底力を発揮でき、新記録を出せるに違いありません。
問題は「本番に弱い」という場合です。
「本番に限って実力を発揮できない」
「本番前はいつも体調を崩してしまう」
「しっかり準備をしていても、本番となるといつもうまくいかない」
本番に弱い自覚があるなら、注意したいことがあります。
「本番に弱い」と思ってはいけません。
ネガティブな自己暗示がかかり、ますます悪化するからです。
本番に弱くても「本番に弱い」と思ってはいけません。
ネガティブな自己暗示がかかって、ますます本番前のストレスに弱くなります。
潜在意識に刻み込まれ、心の防御力が低下します。
本番に弱いと考えるだけで、心にも体にも悪影響が生まれます。
体調が悪くなくても、本当に悪くなります。
ストレス性の下痢を引き起こしたり、体調不良を招いたりします。
「本番に弱い」という思いは、不必要に緊張を高めてしまい、スムーズな実力の発揮を妨げます。
自信の喪失を招き、自己肯定感を下げてしまいます。
マイナスの作用があるだけで、プラスの作用は1つもありません。
「本番に弱い」と思えば思うほど、そのとおりの未来を招いてしまいます。
逆のことを考えましょう。
本番に弱い人は「本番に強い」と考えてください。
事実は忘れてください。
実際は本番に弱くても気にしません。
いったん頭を真っ白な状態にして忘れましょう。
いい意味で、自分に嘘をつくのです。
「本番に強い」と思えば、ポジティブな自己暗示がかかります。
ネガティブな自己暗示はNGですが、ポジティブな自己暗示ならOKです。
思い込みでいいのです。
思い込みでも本気で信じれば、本当にそうなります。
「自分は本番に強い人間だ」と何度も思っていると、だんだん心が強く変化していきます。
本番前の緊張が気持ちよく感じられ、ストレスをプラスに変えることができます。
潜在意識まで浸透していき、成功体質へと変化していきます。
本番に強いと思えば、本当に本番に強くなります。
嘘が本当になるのです。
「間に合うかな」
そう焦ったら、スポーツの審判員になったつもりで、自分にこう言い放ってください。
「アウト!」です。
「間に合うかな」と焦りながら現地に向かい、ぎりぎり間に合ったとします。
時間だけ見れば、ぎりぎりセーフです。
しかし、時間前に到着できたとしても「良かった」とは言いがたい。
「運が良かった」というだけです。
時間には間に合っていますが、余裕がありません。
移動中、何か少しでも遅延があれば、間に合わなかったでしょう。
「時間に間に合うかな」と焦る時点で、余裕がありません。
「間に合うかな」と焦る時点でアウトなのです。
「間に合えばいい」という考え方は要注意です。
油断が生まれるため、ぎりぎりの行動を増やす原因になります。
スムーズに移動できればいいですが、少しでもトラブルがあると遅刻します。
公共交通機関の遅延はよくあることです。
急な体調不良でトイレに駆け込むこともあるでしょう。
思いも寄らないトラブルがあって、足止めを食らうこともあるはずです。
ぎりぎりで出発すると、移動中に何かあると、遅刻が確定です。
「こんなはずではなかった」と悔やむことになります。
いくら悔やんでも、遅刻をした事実は変えられません。
謝って相手は許してくれても、遅刻した事実は残ります。
「○○のせいです」と、つまらない言い訳をすることにもなります。
つまらない言い訳は、ますます相手の気分を害するだけです。
遅刻は、自己管理能力のなさの露呈につながります。
十分な余裕を持って出発しましょう。
目安は「焦りを感じない程度」です。
十分な余裕を持って出発すれば、少しくらい遅れることがあっても平気でいられます。
時計とにらめっこすることはありません。
急ぎ足で歩く必要もありません。
はらはらして心拍数が上がったりすることもありません。
早めに到着して時間があれば、本を読んだり仕事の確認をしたりすればいいことです。
普段から余裕を持った行動をすることで、一つひとつの仕事を丁寧かつ確実に達成できます。
常に穏やかな気持ちでもいられるのです。
いきなり圧倒的な差をつけようと思わないでください。
本音としては「いきなり圧倒的な差をつけたい」と思うところでしょう。
もちろん十分なリソースがあれば、すぐ圧倒的な差をつけることも可能でしょう。
実力・経験・技術が十分あれば、短期間で圧倒的な差をつけることもできるでしょう。
お金・道具・人手といったリソースに余裕があれば、高い生産性を発揮して、一気に突き放すことも不可能ではありません。
しかし、実際はどうでしょうか。
誰でも簡単にできることではありません。
一部の実力者に限ります。
大きな実力やリソースがない人にとって、短期間で圧倒的な差をつけるのは難しいのが現実です。
実力もリソースも、十分持っている人より、不足している人のほうが多いでしょう。
運も必要になります。
いきなり圧倒的な差をつけようとしないことです。
大きなリスクが伴います。
うっかり油断すると、大やけどを負うかもしれません。
許容範囲を無視して取り組むと、無理が生じて挫折する可能性もあります。
運や奇跡に頼らず、確実に差をつけていくには「現実的な戦略」が必要です。
圧倒的な差をつける、最も現実的な戦略とは何か。
小さな差を積み重ねていくことです。
1つの差は小さくていいのです。
「小さな差で十分」と考えてください。
物足りなく感じるかもしれませんが、差がついているのは事実です。
小さな差を積み重ねていくと、どんどん差が開いていきます。
1ミリの差でも、10回繰り返せば、1センチになります。
1センチの差でも、100回繰り返せば、1メートルになります。
いずれ圧倒的な差に変わっていくのです。
一発で圧倒的な差をつけようとするから、挫折します。
小さな差を積み重ねていけば、挫折しません。
挫折しないから長く続けることができ、小さいながらも着実な差をつけていけます。
小さな差を積み重ねるためには、何が必要なのか。
地道な努力に尽きます。
陳腐なことかもしれませんが、これほど重要なことはありません。
こつこつ地味な努力を続けていきましょう。
休憩することはあっても、途中でやめることなく続けてください。
時間はかかりますが、それが最も現実的な手段です。
小さな差は、圧倒的な差をつくる第一歩です。
「それでは間に合わない」という状況もあるかもしれません。
だからといって無理は禁物です。
無理をしたところで自分の体を壊すだけです。
感情的になってアクセルを踏みすぎると、スピードを出しすぎてしまい、マイペースが崩れてしまいます。
息切れを起こし、ついには棄権することになるでしょう。
無謀な挑戦は、挫折や失敗を招く原因になります。
間に合わないように思えても、そうするほかありません。
小さな差を積み重ねていくことが、挫折をしないための最も堅実な手段です。
間に合わないように思えても、意外と間に合うことも少なくありません。
地道な積み重ねは、運や奇跡を引き寄せる力があります。
ある程度の差が積み重なると、あるときチャンスに恵まれ、ブレイクスルーが起こることが少なくありません。
あるいは、先を走っていたライバルたちが、何らかの事情から途中棄権していきます。
先行者がどんどん脱落していき、何もしていないのに自分の順位が上がっていくのです。
奇跡が起こることを信じて、自分ができることを着実に積み重ねていきましょう。
ビジネスパーソンとして求められる基本能力の1つ。
それは「問題解決能力」です。
どれだけ早くスムーズに問題を解決できるかということです。
思考力・発想力・想像力を総動員させ、試行錯誤をします。
書籍・雑誌・インターネットを使って、幅広く調べます。
時には経験者からアドバイスをもらったり、上級者の助けを得たりなど、外部の協力を仰ぎます。
問題解決能力がなくて困ることはあっても、あって困ることはありません。
問題解決能力が高い人は、より難しい仕事も対応できるので、評価が上がりやすくなります。
私たちは学校教育を通して問題解決能力を鍛えてきました。
問題解決能力が高ければ、ビジネスパーソンとして立派な仕事をこなしていけると思うでしょう。
「仕事ができる人=問題解決能力の高い人」と考えている人も多いのではないでしょうか。
もちろん問題解決能力が大切なのは事実ですが、実はもっと大切な能力があります。
それは「問題発見能力」なのです。
学生のうちは、親や先生が問題を与えてくれましたが、社会に出ると違います。
社会に出ると、自分で問題を見つけなければいけません。
問題が、問題の姿をしているとは限りません。
見えなかったり隠れていたりします。
問題の存在に気づかないと、そもそも問題解決に取り組めません。
どれだけ問題解決能力が高くても、問題発見能力が低いと、仕事ができないのです。
私たちは、問題解決能力を重視する一方、問題発見能力を軽視しがちです。
そもそも問題発見能力の存在すら見落としている場合も少なくありません。
ビジネスをするうえでは、問題解決能力より問題発見能力のほうが、はるかに重要です。
そもそも単純な問題解決なら、ITとコンピューターのほうが便利で有利という状況もあります。
単純な問題の解決策なら、インターネットで検索すれば、すぐ見つかるでしょう。
単純な処理や計算なら、コンピューターに任せたほうが、速くてスムーズです。
問題解決能力の重要性は、ITとコンピューターの進化に伴って、年々低下しつつあります。
一方、問題発見能力は学校教育では身につきません。
学校では、問題解決能力を鍛える機会は多い一方、問題発見能力を鍛える機会は少ない。
問題発見能力は、自発的に高めていく必要があります。
したがって、ビジネスパーソンとしての価値を高めるなら、問題解決能力より問題発見能力を重視するのが得策です。
もし問題発見能力が高まれば、仕事の幅が広がるため、自然と問題解決能力も高まります。
問題発見能力の重要性を再認識して、高めるようにしてください。
問題解決能力は大切ですが、問題発見能力はもっと大切なのです。
いつも自分を見ているもう1人の自分がいると、トラブルを未然に防げるようになります。
自分の目から見た主観的な情報がすべてではなく、他人から見た客観的な自分も意識しておきます。
そうすると、自分の行動を2重にも3重にも考えることができるようになります。
自分ではいいと思っていることでも、他人から見ればいけないなと思われることもあります。
自分の目だけの情報では主観的になりがちになり、見て感じられる幅も狭くなってしまうのです。
これはこれで仕方ないことです。
人間には目が2つしかなく、自分は自分一人しかいません。
しかし、他人から見ればどう見えているのかという「客観的な目」を持っていると、もう1人の自分をつくれます。
自分の行いをもう1人の自分が監視して、トラブルが起こりそうなときには気づくことができるのです。
私も1つの作業に集中していると、つい周りが見えなくなってしまうときがあります。
集中すればするほど周りが見えなくなり、いつの間にか周りの人に迷惑をかけてしまっているということです。
実際にあった話なのですが、私はよく外で本を書いています。
コーヒーショップやレストランなどです。
書き始めると集中してしまい、勢いに乗れば乗るほど周りが見えなくなります。
そしてお昼どきになり、お客さんがたくさんやってきます。
私は集中しているために、大きなテーブルを占領していていることに気づきませんでした。
少したってからふと気づいて恥ずかしい思いをしたことがあります。
その後、早々にレストランから出てきた経験は何度かあります。
こういうときに集中しながらも、もう1人の私を見る客観的な目を意識しておくようにしておきたいと、何度も反省したものです。
集中するのもいいのですが、他人から見られている自分も意識しておくと、誰かに迷惑をかけることが少なくなるのです。
それ以後私は、お昼どきにはあえて小さなテーブルを選んで座るようになりました。
相手の話を遮る人がいます。
話をしている途中にもかかわらず、急に遮って自分の話をし始めます。
相槌を打つのかと思いきや、そのまま自分の話を話し始めます。
「あっ、そうそう、この前ね(かくかくしかじか)」
これは良くありません。
気持ちよく話していたのに台無しです。
相手は「話している途中なのに」とむっとするでしょう。
会話の雰囲気も悪くなります
相手から強引にボールを横取りしている状態です。
話を遮られて嬉しい人はいません。
相手の話を遮ると、圧迫感を与えたり会話のリズムが崩れたりして、相手に不快な思いをさせてしまいます。
「この人は自分の話ばかりするね」
不信感を与えるため、相手は心を閉ざしてしまい、信用されなくなります。
残念ですが、相手の話を遮る人は信頼関係を築けません。
相手の話を遮らないことです。
相手の話を最後まで聞ける人になってください。
相手の話が長くなってもにこにこしながら聞くことです。
我慢と忍耐が必要ですが、コミュニケーションでは大切な基本マナーです。
自分の話を最後まで話せると、相手に満足してもらえます。
「きちんと最後まで話を聞いてくれた」とあなたに好印象を持つでしょう。
「今度はあなたが話す番です」と、しっかり話を聞いてもらえるようになります。
コミュニケーションのボールがこちらに来て、こちらも気持ちよく話せます。
好意を返したい心理が働いて、相手もあなたの話を最後まで聞いてもらえるでしょう。
会話もリズムもよくなって、話も盛り上がりやすくなります。
信頼関係を築くといえば「約束を守ること」「責任を果たすこと」など思い浮かべますが、それだけではありません。
「相手の話を最後まで聞けること」も、信頼関係の構築につながります。
「話が長いな」
「話がつまらなくて退屈だな」
「早く話が終わらないかな」
そう思ったときが正念場です。
話が長くてもつまらない話でも、最後まで聞きましょう。
相手の話を最後まで聞くことは、コミュニケーションの基本マナーです。
にもかかわらず、意外とできない人が多い。
自分は大丈夫と思う人でも、一度振り返ってみる必要があるでしょう。
人は誰でも話したがり屋です。
相手が話している最中でも、つい話を遮って、ぺらぺら自分の話をしがちです。
そんな中、話を最後まで聞いてもらえると、相手から「この人は信用できる」と思われます。
もはや感動に値します。
相手の話を最後まで聞ける人が、信頼関係を築けるのです。
100分の1の人間になる方法があります。
本を読む習慣を身につけることです。
たまたま本を読む状況のことではありません。
学校や仕事で、強制的に読まなければいけない状況は対象外とします。
あくまで、日頃において本を読む習慣があるかどうかです。
実はほとんどの人が、本を読む習慣がありません。
「そんなばかな」と思うかもしれませんが、実際はそんなものです。
ほとんどの人が本を読むことに積極的ではありません。
世の中には「本を読むのが嫌い」という人さえ大勢います。
たしかに本を読むのは、時間も体力も必要で、大変な一面があります。
しかし、知識を効率的に身につけたければ、やはり本が最適なのです。
本は、知識と知恵の宝庫です。
これまでの先人の知恵がコンパクトにまとめられています。
自分のペースでゆっくり読めます。
後に戻って読み返すこともできれば、繰り返し読むこともできます。
自分専用の家庭教師がいるのと同じです。
「本は高い」と言う人がいますが、誤解です。
先人の知識や知恵をわずかな金額で入手できることを考えれば、高くありません。
むしろ安すぎです。
1週間に1冊でもいいのです。
これだけで、年間52冊の本を読める計算になります。
1週間に1冊が難しければ、2週間に1冊でも、3週間に1冊でもかまいません。
大切なことは、本を読む習慣があるかどうかです。
日頃から本を読む人と読まない人とでは、知識の差がどんどん広がります。
知識の差が、所得の差につながります。
現代社会を賢く生きたければ、本を読むのが最も近道です。
本を読む習慣があるだけで、あなたは100分の1の人間になれるのです。
今、本を買って読む人は少なくなっています。
本を読む人は、100人のうち1人といわれています。
そのくらい本を読む人が少ない。
まとまった時間が必要であり、読むのも疲れます。
「読んだほうがいい」と頭ではわかっていても、実際に読む人は意外に少ないものです。
さて、驚くことが、もう1つあります。
本を読んだ後に行動する人も、100人のうち1人といわれています。
本を読んで終わりでは、意味がありません。
本を読んで学んだことを日常生活に生かしてこそ、意味があります。
ところがほとんどの人は「本を読んで終わり」という状態になっていて、生かしていないのです。
大半の人が、本を読んだまま終わり。
読み終わった瞬間には「いつかやろう」と思っていますが、結局いつまでもやらないのです。
もし本を読んでしっかり行動すれば、あなたは10000分の1の人間になれます。
難しそうですが、やってみてください。
本気になれば、きっと今日にでも、できるはずです。
たとえば、今ここで読んだことを、実際に行動するだけでもいいでしょう。
あなたは今「本を読んで学んだことを行動に移せば、10000分の1の人間になれる」という知恵を学びました。
後は生かすのみです。
これだけで、10000分の1の人間になれるのです。
本を読む習慣を持つだけで、100分の1になれます。
ほとんどの人が本を読みません。
そんな中、本を読む習慣があるだけで、あなたは100分の1の人間になれます。
ところが本を読んでも、ほとんどの人が読んで終わりです。
本を読む習慣があっても、ほとんどの人が「なるほど」とは思っても実行しません。
そんな中、本を読んできちんと行動する人間になれば、10000分の1の人間になれます。
これだけでも珍しい存在なのですが、実はまだ上があります。
1000000分の1の人間になる方法です。
本を読んで、きちんと行動したとしても、残念ながら、うまくいかないことがあります。
ここで、ほとんどの人がすぐ諦めるのです。
では、どうするか。
1000000分の1の人間になりたければ、成功するまで諦めないのです。
最初は、うまくいかなくて当然と考えるくらいがちょうどいいでしょう。
諦めれば、そこですべての努力が無駄になります。
別の手段や方法を探ったり、自分を高めてから再挑戦したりします。
成功するまで、諦めないのです。
成功するまで諦めないようにすれば、成功するしかありません。
これを心がければ、あなたは、1000000分の1の人間になれます。
つまり、成功者になれるのです。