まず才能についての話をする前に、重たい話を1つさせてください。
なぜ人がこの世に存在しているのかというお話です。
才能を見つけ、磨き、生かす話をするうえで、この話を初めにしておきたいのです。
得意なことや才能を磨いていると、自分はある目的を持ってこの世にいるのではないかと思うようになってくることでしょう。
過去を振り返れば似ている経験が不自然に集まっていて、何かの意味があり起こるべくして起こったのではないのかと思うのです。
自分の才能が磨かれ輝くほど、単なる偶然ではなく、起こるべくして起こったことであることに気づきます。
才能には「見つける過程」と「磨く過程」「生かす過程」の3つがあります。
自分にどんな才能があるかに気づき、ある程度まで磨き上げれば、最後にはその才能を生かすことが大切です。
せっかく身につけた能力や技術は、生かさなければ、宝の持ち腐れです。
一般に公開し、人の役に立ててもらおうと思うなら、その完成度はできれば高くありたいものです。
しかし、公開したところで、人からとげのある一言が飛んできそうで怯えてしまう気持ちもあることでしょう。
「たったこれだけ?」
私にはHAPPY LIFESTYLEを運営しているうえで、失敗した経験は数え切れないくらい山ほどあります。
特に今回紹介しておきたい失敗とその教訓があります。
恥ずかしい話ですが、以前に私はアフィリエイトにのめり込み大失敗を犯したことがあります。
役立つのかどうかというのは、自分が決めることではありません。
自分ではなく、ほかの人が見て感じ、思うことです。
ある人によっては本当に必要がないと思うこともあるでしょう。
一般の人が、一流の人に勝負をかけるときには、まず質で勝負しては負けてしまいます。
その道に通じた達人たちを質で上回るには、時間も努力も圧倒的に劣っています。
達人たちは質で目立っていますから、同じようにあなたが質で追い抜くためには、もう1つの視点から策を考える必要があります。
私は文章を書くときには、あるポイントをいつも意識しながら書き始めています。
これを意識しないことには、うまく書き始められません。
そのポイントとは「誰のために書くのか」という意識です。
才能を人の役に立てるためには「誰のために」を意識することがポイントです。
そのための良い工夫として、自分の大好きな人と結びつける方法があります。
自分のために一生懸命になることもいいのですが、誰かのためにやってあげようと思うことも底力が出てくるものです。
簡単そうで、頭を悩ませる問題があります。
自分の才能について、人に話すかどうかです。
話すかどうかの選択肢でありながら「この人に話すべきかどうか」と考えてしまい、エネルギーを使ってしまいます。
一点に集中して学び続けると、どんなジャンルだろうと、最後は専門家になれます。
才能を磨き続けていくと、上手になり知識が蓄えられ、それに関する経験も豊富になります。
自分が求めれば求めるほど、それに関係したことが集まってくるようになり、専門家へと近づくのです。
才能を生かす段階に入ると、磨いているときにはなかった「もう1つの恩恵」がやってくるようになります。
それが「人から喜んでもらえる」という恩恵です。
自分の才能が形となったことは何であろうと、人に感動を与え、喜びをもたらします。
自分の才能が、ある程度、形になれば、まず親に見てもらいましょう。
父と母は、人生では欠かせない存在です。
親から見てもらい、役立ててもらうことで、恩返しができるようになります。
自分のレベルが高くなるというのは、高くなることではありません。
より低くなることです。
より細かな「気づき」ができるようになり、レベルが上がるにつれて目線は下がり、ささいなことに気づけるようになるのです。
過去の偉人を振り返ってみれば、世界を変えた始まりは、いつもたった1人の人間から始まっていることがわかります。
世界には何十億もの人がいます。
多くの人に影響を与える存在は、人の塊であるグループや団体によるものだと思われがちですが、そうではありません。
才能を発揮し、社会に貢献している人は、決まって「知恵」を残すことができています。
人種や性別に関係なく、勇気づけて生活が向上できる言葉を残し、今までの経験を一言に凝縮させています。
書店に行けばそんな偉人たちの名言集という本も出版されています。
才能を生かす際に、欠かせない大切なことがあります。
わかっていても、これが実行できていない人が多いため、あえてここでもう一度念を押しておこうと思います。
それは「自分の才能を売り込むのはいいが、それを押し付けてはいけない」ということです。
音楽、作品、演技、公演。
自分ができることの1回目は、無料でプレゼントすることがポイントです。
見たことも聞いたこともないのに、最初からお金を出すのは、購入する側にとって不安があります。
質の前には「量」が必ず存在します。
質が得られるというのは、その前にたくさんの量が存在しています。
人がまだ字も読めない状態から言葉が話せるようになるのは、大量の言葉を聞いて、真似をするから発音ができるようになります。
人はどうしてもかっこいいことばかりに目を向けがちです。
かっこいいほうが印象よく思われ、好印象を持たれるからです。
しかし、成功している人に共通している点は、かっこいい経験より恥ずかしい経験のほうが圧倒的に多いということです。
アルバート・アインシュタインが発表した「特殊相対性理論」という理論があります。
原子爆弾の開発に応用された理論として有名です。
もちろんアインシュタインが望んだわけではありません。
ときどき、こんな悩みを持つことはありませんか。
「どんな商品をつくればいいのだろうか」
「どのようなサービスがいちばん売れるだろうか」
自分が好きなことで楽しんで発揮できた結果は、自分にとって喜びであり、幸せです。
才能をうまくアウトプットできた、ということです。
ほかの人にも広まっていけば、一緒に幸せと喜びを広めていけます。
才能を活用できる段階というのは、教えることができる段階ということです。
今までは先生や本から学ぶことで自分が教わっていた立場でした。
しかし、レベルがある一定以上までくれば、今後は教える立場になっていきましょう。
自分のためだけに磨く才能なら、周りは気にすることはありません。
いい意味で自分の世界に入り、集中できることは、1つの贅沢な時間です。
私も自分が楽しんで文章を書いているときには、周りがまったく見えなくなるときがあります。
才能を生かすことを想像するときには、まずコップの水を想像するとわかりやすくなります。
才能を見つけ、磨く段階というのは、まだコップに水をため続けているという段階です。
才能を磨く段階と生かす段階との境界線は、曖昧です。
人と才能との関係は、花とその美しさの関係によく似ています。
花はまず芽を出し、茎を伸ばし、最後にきれいで大きな花を開かせます。
これは人の一生でいうと、才能を見つけ、磨いて大きくさせ、最後に活用することで生かす段階に当たります。
自分が良いと思っているものが、ほかの人にとっても良いものであるとは限りません。
人にはそれぞれ趣味の違いや考え方の違いがあるため、良いという基準もばらばらです。
たとえ自分が最高の出来栄えだと思っていることでも、ある人には「なにこれ?」ということがよくあります。
才能発揮について考えるとき、歌うときのことを考えればわかりやすくイメージが浮かびます。
歌を歌うときには、大勢で歌う「合唱」と、1人だけで歌う「ソロ」の2パターンがあります。
大勢で歌うときには大きな声が出て、ボリュームのある力強さがあります。
才能を生かすためのまとめを言えば「自分の使命を全うするために活用する」ということです。
常に意識していただきたいと思います。
自分と周りの幸せと喜びのためになるなら、才能の活用方法は自由です。
まず才能についての話をする前に、重たい話を1つさせてください。
なぜ人がこの世に存在しているのかというお話です。
才能を見つけ、磨き、生かす話をするうえで、この話を初めにしておきたいのです。
「人は何のために生きているのか」というところを整理しておかないと、これからの話の意図がうまく伝わっていかないと思います。
少々堅い話になりますが、ほんの少しだけお時間をください。
この世に存在している人すべて、みな自分の力でこの世に誕生したのではなく「誕生させられた」という状態で生まれてきました。
頼んでもいないのに、父と母がこの世に送り出してきたのです。
「ある第三者」によって自分がつくり出され、この世に送り出されたということです。
「気づけば、この世にいた」という感覚が正直なところでしょう。
あなたも私もこの世に「生み出された」わけです。
私も自分の力でこの世に出てきたわけではなく「気づけば」この世にいました。
では、なぜ人間が交尾をして、子を産み続けていくのかというと、そのいちばんの目的は「種の存続のため」です。
長く種を生存させ生き永らえるために、ライオンもシカも、ヒラメや金魚も交尾の末、子どもを産み、種の生存を目指しています。
自分の力では自分をつくり、生むことはできず、生んでもらうしかないのです。
しかし、種の存続だけが目的ではありません。
ここからが大切なところです。
神はもう1つ「ある目的」を願って、この世に私たちを送り出しました。
その目的が幸せと喜びです。
初めに自分の力で誕生することはできず「誕生させられた」と言いました。
では、何のためにこの世に誕生したのかというと幸せと喜びという目的を果たすために生まれてきたわけです。
使わされた命、すなわちこれを「使命」と言います。
人によって特別な能力を持った人がいます。
絵を上手に書ける人、上手に歌が歌える人、上手に文章を書ける人、上手に話ができる人。
不思議なことに、初めからこうしたことが得意であったり、そうなるような環境に初めから置かれていたりする場合があります。
障害を持った人も同じです。
障害をつらいと感じる人が多いでしょうが、だからこそ痛みやつらさがわかり、ほかの人にはできないことができるようになります。
「初めからそうであった」
「そうなるしかない状況におかれていた」
「生まれと育ちが、そうさせた」
人生という演劇において幸せと喜びを達成すべく、あらかじめキャスティングとストーリーがあるのです。
こうした状況を幸せと喜びのためにぜひ活用しなさい、という神様からのプレゼントなのです。
この世を少しでも素晴らしくするために、生き物それぞれに特別な能力を与えて、生きている間に活用してほしいのです。
才能は、神様からのプレゼントと考えましょう。
目的を達成してほしいがゆえに、初めに才能のタネを植え付けてくれたのです。
得意なことや才能を磨いていると、自分はある目的を持ってこの世にいるのではないかと思うようになってくることでしょう。
過去を振り返れば似ている経験が不自然に集まっていて、何かの意味があり起こるべくして起こったのではないのかと思うのです。
自分の才能が磨かれ輝くほど、単なる偶然ではなく、起こるべくして起こったことであることに気づきます。
私はこのように文章を書いていますが、こうなれたのも過去につらい経験や失敗、出会いや別れ、私の考え癖があったからです。
初めは単なる偶然でそうなっていたのかと思っていました。
またつらい経験に自分の人生を恨んだり「なぜ自分に限ってつらい目に遭わないといけないんだろう」と思ったりもしました。
しかし、自分のやるべきことを突き詰めると「何かの目的を達成するために用意されていた出来事」と感じるようになるのです。
子どものころに叱られたことは大切なことに気づき、今、文章を書くための経験として与えられたのではないかと思います。
つらい別れや人とのトラブル、すれ違いなど、文章を書くために、経験として与えられ、大切さに気づくことができています。
ある目的を達成するためにこの世に生かされていると気づいたとき、その「ある目的」とは「使命」と呼ばれるようになります。
まさにその字のとおり「使わされた命」です。
この世に誕生できたのは、単なる種の保存だけが目的なのではなく、それ以外のほかの目的もあわせてこの世にやってきたのです。
この世には、才能と言われる多種多様なジャンルがあります。
スケートが上手な人がいれば絵が上手な人もいます。
編み物が好きで得意な人もいれば、研究することが得意な人、発明することが好きな人もいます。
しかし、そんな才能も、共通していることは「人に感動を与え、喜びを与えること」にあるのです。
どんな才能であろうと、その結果向かうところは幸せと喜びです。
人が何のために生まれ、生きているのかというと幸せと喜びという使命を全うするために生きているのです。
人々の生活が豊かになるのは、物質的な物が増えることではなく、精神的豊かさに満ちあふれたときです。
物がそろった生活でも嫌いな人との生活は地獄である反面、物はなくても好きな人との生活ができれば幸せにつながります。
最終的に人間が幸せと感じるのは、物ではなく心であり、その心が精神的豊かさにつながるのです。
才能を磨き、いずれ人に喜びを与えていくことが、すべての才能に共通しています。
人も含めた生き物すべてが幸せになり、喜びに満ちあふれることを目的として存在しています。
「この世の仕組み」には、今までの出来事に1つも無駄はなく、人生でも1つも無駄がないと気づきます。
自分も他人も含めた全体が幸せになるように才能を生かすことがポイントです。
才能には「見つける過程」と「磨く過程」「生かす過程」の3つがあります。
自分にどんな才能があるかに気づき、ある程度まで磨き上げれば、最後にはその才能を生かすことが大切です。
せっかく身につけた能力や技術は、生かさなければ、宝の持ち腐れです。
どんな能力であろうと、磨き上げた能力は、必ず誰かの何かの役に立つようになります。
ここで積極的に人のために役立てようとした人が、世の中にインパクトを与え、貢献できるようになります。
エジソンが発明した白熱電球が、完成しても秘密にしていれば、夜でもいまだ暗いままの世界だったことでしょう。
どんな才能も役立てて、初めて本当の価値が出てくるものなのです。
とはいえ、当初の才能磨きはそんな人のためにしているなどとは考えもしなかったことでしょう。
発明好きだったエジソンも、初めから世の中を白熱電球によって明るくさせようと発明に没頭していたわけではありません。
好きな発明を突き詰めていった結果、出来上がったということです。
これが才能の面白いところです。
初めから、人のためや世の中のためにやろうとしていると、うまくいかないものです。
その一方で自分が好きで楽しんで行っていることのほうが、結果として大きな才能の花を開かせることができるようになります。
才能を見つけて磨く過程は、自分のためにやります。
しかし、磨き上げて輝くようになれば、今度は積極的に人のために役立てるように活用してみましょう。
そうすることで自分の存在価値が生まれ、人の役に立っているということで充実感も得られるようになるのです。
一般に公開し、人の役に立ててもらおうと思うなら、その完成度はできれば高くありたいものです。
しかし、公開したところで、人からとげのある一言が飛んできそうで怯えてしまう気持ちもあることでしょう。
「たったこれだけ?」
「こんなもんなの?」
そんな言葉が飛んでくるのが怖くて、一般に公開する前にできるだけ完璧を目指そうとしてしまいます。
「もっともっと」と突き詰めてしまい、いつまで経っても公開できないというサイクルに陥ることがよくあるのです。
しかし、いくら完璧を目指したところで、本当の完璧はやってこないようになっています。
どんなに磨いた能力も100点ということはなく、どこかが抜け落ちているものなのです。
この抜け落ちたところは自分ではなかなか気づけず、厄介な穴になっています。
この穴を見つけるために必要なことは、ある程度まで完成すれば見切り発車でスタートしてしまうことです。
そうすると人からいろいろな意見をもらえるようになり、気づけなかった抜け落ちた部分も教えてもらえるようになります。
自分だけだと主観的になり見えないところが出てきますが、他人の意見を取り入れることで客観的になります。
見えないところが見えるようになります。
さらに100点に近づいていける結果につなげることができるのです。
むしろ見切り発車をしないことには、いつまで経っても自分の欠点を見つけることができないと考えておきましょう。
完璧になる前に公開して意見が飛んでくれば、それを踏み台にして上へと上っていくのです。
私はいつもHAPPY LIFESTYLEで公開する文章は、完璧を目指さないようにしています。
というより完璧な状態は、私1人の力では難しいため、あえて見切り発車をしています。
公開してからしばらくして「ここを直したほうがいい」「こうしたほうがいい」と修正意見や改善案が飛んでくるようになりました。
私がどれだけ完璧だと思っても主観的であるには変わりなく、間違っていることを自分で正しいと思い込んでいることがあるのです。
他人から見れば、いとも簡単に傷に気づけます。
他人から頂いた指摘を受け、さらに修正や改善をしていく繰り返しにより、だんだん完成度を上げていくことができているのです。
見切り発車をしない人は、いつまで経っても主観的に縛られてしまい、本当のレベルアップはできないのです。
私にはHAPPY LIFESTYLEを運営しているうえで、失敗した経験は数え切れないくらい山ほどあります。
特に今回紹介しておきたい失敗とその教訓があります。
恥ずかしい話ですが、以前に私はアフィリエイトにのめり込み大失敗を犯したことがあります。
アフィリエイトとは、ウェブページに企業の広告を貼り、クリック回数や広告で購入した成功報酬により、お金を頂くシステムです。
広告代理店をやっていると言えば、わかりやすいことでしょう。
HAPPY LIFESTYLEをやりながらお金を稼げればいいなと思っていたのです。
やり始めると当初思い描いていたこととは異なり、脱線してしまう出来事が起こり始めます。
いつも、お金のことしか考えなくなるということです。
やり始めてからしばらくして、どれだけクリックされたか、どれだけお金が稼げているのかをいつも気にしてしまう自分がいました。
「もっとお金を稼がなければ!」
「できるだけたくさんの人にクリックしてもらわないといけない!」
こんなことばかりを考えてしまうのです。
気が散るどころか、本来好きでやり始めた執筆に集中ができなくなり、支障が出てくるようになりました。
お金のためにやっていると、モチベーションがお金のほうへ偏ってしまいます。
文章を書くことが好きでやり始めたことなのに、その純粋な気持ちが濁ってしまい、楽しいことも大変でつらくなってしまうのです。
せっかく楽しんで書いていた文章も、アフィリエイトをやり始めてから「書く楽しみ」に集中できなくなってしまうありさまです。
すぐやめてしまいました。
やめてからは、すぐいつもどおりの自分を取り戻し、書く楽しみを味わえる毎日が戻ってきました。
お金とはありがたいなと思う反面、怖いなと思う出来事でもありました。
輝いた才能は、どんなことであろうと、お金を稼げるようになります。
人から喜ばれ、役立っていることは、またお金を交換できるようになります。
自分が好きなことをやって、そのうえお金も稼ぐことができれば至れり尽くせりで申し分ないように思えます。
しかし、お金を稼ぐことはできても、お金のためにやってはいけないということです。
一見矛盾しているような考え方ですが、つまり好きだという気持ちは常にいちばん上に置くということです。
才能は自分が好きでやり続けていることです。
お金をもらうどころか、お金を払ってでもいいからやらせてほしいと思うものなのです。
しかし「お金のためにする」という考えがあると「お金がもらえない仕事はしたくない」と考えるようになります。
気持ちが散漫になり、好きで楽しい気持ちに集中できなくなってしまうのです。
HAPPY LIFESTYLEが長続きし、大きくなっているいちばんの要因は、私が好きでしていることだからです。
お金のためにやっているわけではないと言うことも、また大きなポイントなのです。
役立つのかどうかというのは、自分が決めることではありません。
自分ではなく、ほかの人が見て感じ、思うことです。
ある人によっては本当に必要がないと思うこともあるでしょう。
しかし、ごくまれに「これを待っていた!」と言う人がいます。
人それぞれによって問題意識が違い、何を必要としているのかもそれぞれだからです。
たとえ同じ人でも、時が変われば悩みも変わるというものです。
そのときにどんな問題やトラブルを抱えているかで、必要としてくることも変わってきます。
恋愛に悩んでいるときには恋愛についての解決を求め、けんかをしているときにはけんかの解決策を求めます。
自分が「こんなことは役立つわけがない」と思うことでも、ほかの人には待ち望んでいる可能性が大きいのです。
ビーズアクセサリーをつくることが大好きな人がいるとします。
アクセサリーをつくって「何か役立つのかな」と思っても「それが欲しい!」と言ってくれる人が、世界のどこかに必ずいます。
役立つかどうかを決めるのではなく、ただひたすら、好きで楽しくしていることをやり続けていればいいのです。
自分がいいなと思うものは、どこかの誰かが同じようにいいなと思い、必要としてくれます。
ただ自分が好きなことをやっていれば自然に力が身につき、必要とする人が現れてくるのです。
一般の人が、一流の人に勝負をかけるときには、まず質で勝負しては負けてしまいます。
その道に通じた達人たちを質で上回るには、時間も努力も圧倒的に劣っています。
達人たちは質で目立っていますから、同じようにあなたが質で追い抜くためには、もう1つの視点から策を考える必要があります。
それが「量での勝負」です。
才能の質で達人に勝てなければ、量によって目立つことです。
「質が高い」と言われる前に「量が多い」という評価を受けることが、偉人たちが歩んできた道のりです。
エジソンがなぜ有名になったかというと、発明家だったからではありません。
実はエジソンの時代にも、ほかの発明家はたくさん存在していました。
では、なぜほかの発明家と違い、1人有名になったかというと、発明した数がほかの発明家と比べて圧倒的に多かったからです。
発明していく作品の数が圧倒的に多く、とてつもない数の特許も取得しています。
立て続けに発明作品が発表され、数が圧倒的に多ければ、人々は「彼の実力は本物だ」と思い、評価するようになります。
たくさんの小さな発明をこなしていたなかで、野球のホームランのように大きなヒット作が生まれたものが、白熱電球や蓄音機です。
初めから質を第一にやっていたのではなく、量を軸にしてこなすことで経験量が増え、結果として知識や技術が蓄積されます。
それがある瞬間に質へと転化していくのです。
ほかの人より一歩前に出るためにほとんどの人が質で勝負を仕掛け、敗北し、諦めてやめていきます。
初めから質から勝負していくのは、達人相手に負けに行くようなものなのです。
質は量をこなした先にやっと手に入れられるものであって、下から這い上がっていくためには、なにより量が第一に必要なのです。
私は文章を書くときには、あるポイントをいつも意識しながら書き始めています。
これを意識しないことには、うまく書き始められません。
そのポイントとは「誰のために書くのか」という意識です。
自分の好きなことをだらだらやるだけなら特別に意識する必要もありません。
しかし、誰かの役に立ててもらおうという前提で始めるとなると、当然、対象も意識しないといけません。
以前はただ書いていただけなのですが、対象を明確にしていなかったため軸がぶれ、抽象的な作品になっていました。
誰に向かって書いているのかわからない、曖昧な内容でした。
しかし、役立てるということは、対象となる人がいるはずです。
対象を想像しながら書くと、かなり具体的に書けるようになったのです。
絵を描くときにも対象が明確になっているほうが、具体的に描けます。
恋愛について書いているときには、恋愛に悩んでいる人を想像しながら書きます。
自分にも恋愛の経験があるだけに、そのときの心情や苦しみを想像すると文章が書きやすく、読みやすくなるのです。
過去に恋愛に苦しむ自分に語りかけるように書いてみると、内容が具体的になり語りかけに強みが出てきます。
抽象的な表現はもやもやしすぎてイメージが湧きづらく、読み手にとってもためになりません。
「空に雲が浮かんでいます」という表現より「空に車の形をした雲が浮かんでいます」という表現のほうが、具体的です。
これは、文章に限った話ではありません。
花を生けるとき、絵を描くとき、料理をつくるときも、同じです。
まず「誰のために」を意識していれば、具体的な作品が出来上がるのです。
才能を人の役に立てるためには「誰のために」を意識することがポイントです。
そのための良い工夫として、自分の大好きな人と結びつける方法があります。
自分のために一生懸命になることもいいのですが、誰かのためにやってあげようと思うことも底力が出てくるものです。
好きな人のためであるだけにモチベーションは高くなり、熱が入ります。
「自分のためだけ」という感覚では味わえないパワーが出てくるのです。
大好きな人は恋人のことだけを指しているのではありません。
妻であったり、自分の子どもであったり、自分の家族なら同じように当てはまります。
「自分のために」というパワーと「好きな人のために」というパワーの2つを、うまく活用していきましょう。
誰しも自分のために一生懸命になりますが、余裕が出れば、好きな人のために活用していくことが上手な才能の生かし方です。
得意なことがある程度まとまった形となれば、愛する人や好きな人のために表現していくことは、うまい才能の活用法なのです。
簡単そうで、頭を悩ませる問題があります。
自分の才能について、人に話すかどうかです。
話すかどうかの選択肢でありながら「この人に話すべきかどうか」と考えてしまい、エネルギーを使ってしまいます。
才能を磨くのは、基本的に自分一人で行うことです。
自分の才能は自分で把握し、磨き方も自分で探し研究します。
好きなことをやっていると、自然に張り切ることができ、上達もそれほど難しくはありません。
もし難しいとすれば、周りからの批判攻撃をどうやって避けていくかということくらいです。
夢のない人たちは、夢のある人のことを悪く言います。
自分に夢がないために、夢があり生き生き生きている人たちがうらやましくてたまらないのです。
「そんな夢を持っても叶うわけがない」
「世の中、そんなに甘くない」
「もっとちゃんとしたことをしたほうがいいよ」
話したとたんに、何かと否定的な言葉を飛ばしてきます。
大きな力を身につけるまでにこういうことを立て続けに言われては、精神的な挫折をしてしまいます。
肉体的なダメージではなく、精神的ダメージのほうがモチベーションに大きく関わるため、よりつらく感じてしまうのです。
「本当に自分はもうダメなのかもしれない」と周りからの言葉で暗示をかけられ、せっかくの才能の芽もつぶれます。
ある程度大きな力を身につけるまでは、できるかぎり他人に話さないほうがいいのです。
もちろん本当に信頼できる友人や応援してくる家族がいるなら、話してもいいでしょう。
しかし、磨く段階では、信用できる人や応援してくれる人を除いて、公開は控えたほうがいいでしょう。
つまらない中傷の返事をする手間が省けるからです。
才能磨きは少なくとも自分との戦いなのですから、他人からの評価を気にする必要もなければ、あえて口に出すこともないのです。
一点に集中して学び続けると、どんなジャンルだろうと、最後は専門家になれます。
才能を磨き続けていくと、上手になり知識が蓄えられ、それに関する経験も豊富になります。
自分が求めれば求めるほど、それに関係したことが集まってくるようになり、専門家へと近づくのです。
世の中では、ゼネラリスト(平均的な人)よりスペシャリスト(専門家)のほうが生き残っていける世界です。
社会では何でもできる人は、どれも中途半端であるため、なかなかお呼びがかかりません。
「あれもできてこれもできますよ。でもどれも中途半端です」
意外なことにこういう人は必要とされません。
学校では、どの教科もできるように教育を受けてきましたが、社会では一転して事情が変わります。
「~しかできませんが、この分野に関しては立派にやり遂げることができます」
こういう人が求められるのです。
中途半端にやる人より、1つでも完璧にこなせる人を集め、組み合わせることで大きな仕事を完成させるパターンが多いのです。
必要とされるのは中途半端な人ではなく、専門家です。
才能を磨き、一点豪華主義になることは、これからの時代では大きな強みとなるのです。
才能を生かす段階に入ると、磨いているときにはなかった「もう1つの恩恵」がやってくるようになります。
それが「人から喜んでもらえる」という恩恵です。
自分の才能が形となったことは何であろうと、人に感動を与え、喜びをもたらします。
野球が上手な人は、人々に興奮や勇気を与えることができます。
美しい絵が描ける人は、安らぎを与えることができます。
お笑いのセンスを持った人は、ユーモアで人々の心を温かくさせることができます。
料理が得意な人は、おいしい食事で人に喜んでもらえます。
スケートが上手にできる人は、美しい演技で人々を魅了させることができます。
優れた文才を持った人は小説を書き、感動できるストーリーで人々に訴えかけることができます。
このように得意とすることを発揮し活用していけば、多くの人に喜んでもらえ、喜びが次への原動力につながるのです。
私も物を書いていて何がいちばん嬉しいのかというと、人から喜んでもらえたときです。
自分を表現した作品が書けることも十分に幸せなことですが、さらに人の役に立ち、喜んでもらえたときがいちばん嬉しい瞬間です。
喜んでもらえればもらえるほど私も嬉しくなり、やりがいも出てくるので、もっと楽しくなります。
自分では大したことがないと思っても、人によっては求めていた情報や、当然と思われる話でも再認識する機会にもなります。
自分はただ好きなことを突き詰めているだけでも、ある程度のレベルまでいくと人の役に立てるほどになるのです。
自分の才能が、ある程度、形になれば、まず親に見てもらいましょう。
父と母は、人生では欠かせない存在です。
親から見てもらい、役立ててもらうことで、恩返しができるようになります。
生まれてから育ててくれた人に、成長ぶりを見てもらうことも、恩返しです。
料理をつくれるようになり、誰にまず食べてもらうのかというと、親に食べてもらいましょう。
絵が上手に描けたら、まず親に見てもらいましょう。
スケートにしろ、ダンスにしろ、体操にしろ、成長ぶりは親に見てもらうことがいちばんです。
私も、自分の作品が初めてできたときには、親に見てもらいました。
当時はまだ留学中であり、ロサンゼルスにいました。
印刷した大量の紙の束を、国際郵便で郵便局に持っていったことを覚えています。
初めての作品は、特別です。
もちろん友人にも見てもらいましたが、なにより親にいちばん見てもらいたかったものです。
批判されたり反対されたりするかもしれませんが、いちばん参考になります。
またここまでの自分が生きてこられているのは、親のおかげであるという実感を味わえる良い機会にもなります。
大きくなれたというのは、自分一人ではなく、まずは「育ててくれた存在」を意識するようになるからです。
自分が誕生した原点は親であり、その原点に振り返るためにも、親を意識した生活が大切です。
自分のレベルが高くなるというのは、高くなることではありません。
より低くなることです。
より細かな「気づき」ができるようになり、レベルが上がるにつれて目線は下がり、ささいなことに気づけるようになるのです。
レベルが低い人は、高い位置から物事を大ざっぱにしか見ることができません。
鳥のように全体像は把握できても、その一つひとつの細かく小さなところまでは注意が行き届かない状態です。
一方でレベルの高い人は、高いところから見ることができるだけでなく、低い位置からも見ることができます。
目線が下がることで低い位置から物事を見ることができるようになるのです。
顕微鏡で例えて言えば、高い倍率で物事を観察できるようになることを言います。
より細かく、見えなかったところが、見えてくるようになるのです。
たとえばサッカーです。
素人にはプロのサッカー選手が放つシュートは、技術やタイミングの素晴らしさがわからないので「蹴っただけ」としか映りません。
「蹴った。ゴールした」
こんな程度にしか映らず、それまでの選手たちの思考状態や裏に潜んだ練習の大変さなどが理解できません。
しかし、サッカーにたけている人は、たった1つのシュートでも大きな感動があります。
共感できる人は、難しさやタイミング、興奮や緊張状態を理解できるため、自分のことのように興奮してしまうのです。
これが、レベルが高くなることで、低い位置から見ることができるようになるということです。
高い位置からの大ざっぱな位置しか見られないのは、高いといってもレベルが高い状態ではなく、逆に低い状態なのです。
本当にレベルの高い人は、目線を落とし、低い位置から見ることができ、人が気づけないことにまで気づくことができるのです。
過去の偉人を振り返ってみれば、世界を変えた始まりは、いつもたった1人の人間から始まっていることがわかります。
世界には何十億もの人がいます。
多くの人に影響を与える存在は、人の塊であるグループや団体によるものだと思われがちですが、そうではありません。
たった1人の人間の才覚によって、世界全体に影響を及ぼしている結果になっているのです。
アインシュタインの特殊相対性理論。
エジソンの白熱電球。
レオナルドダビンチの「最後の晩餐」。
野口英世の黄熱病治療薬。
リンカーンによる奴隷解放宣言。
ファーブルによる「ファーブル昆虫記」。
ベートーベンの「第九」や「エリーゼのために」。
ノーベルによる「ダイナマイト」。
世界平和に大きく貢献した「マザー・テレサ」。
こうした世界的な作品や発明、貢献は、いつも1人の人間によるものです。
これが才能を発揮させ、生かした方々の共通点です。
才能というのは一人ひとりが単位となり、自分がかなめになっていることがわかります。
逆に言えば、学校や会社に頼った才能発揮は、過去を振り返ってもその例が少ないことがわかります。
「~の学校へ行けば、~ができるようになる」
「あの会社は上場企業だから大きく成長できる」
こんな会話をときどき耳にします。
自分を最大限に発揮した才能は常に個人が単位となっているため、学校や会社による能力アップには限界があることなのです。
誰かに頼ったりすがったりした才能発揮は見込めないということです。
才能を発揮し、社会に貢献している人は、決まって「知恵」を残すことができています。
人種や性別に関係なく、勇気づけて生活が向上できる言葉を残し、今までの経験を一言に凝縮させています。
書店に行けばそんな偉人たちの名言集という本も出版されています。
名言集の中には、有名人や偉人たちのためになる言葉が一言で書かれています。
ということは、どういうことなのか。
あることに気づきませんか。
何かたくさんの要素が複雑に入り組んで出来上がったわけではなく、1つのポイントにまとめてしまうことができるということです。
たとえば次のような言葉を聞いたことがありませんか。
「発明とは、1%のひらめきと99%の努力だ」
これはエジソンが晩年「ここまで発明ができた理由は何ですか」という問いに対して答えた世界的に有名な言葉です。
エジソンは、1,000以上の発明の特許を取得し、白熱電球や蓄音機など、数多くを発明した偉人です。
そんなエジソンも、発明に関するポイントを1つに絞ればたったこの一言に圧縮させてしまえるということなのです。
才能を発揮し、活用している人の頭の中は、いろいろなことを考えているのであろうと思われがちです。
ですが実際は、シンプルというわけです。
難しいことを考えているのではなく、自分の哲学をシンプルに考えているからこそ、頭の中が整理整頓されます。
1つに集中でき、大きなことを成し遂げることができたのです。
あなたが今まで成し遂げた成功の理由を、一言でまとめてみませんか。
大きな成功である必要はなく、小さな成功でもかまいません。
成功できた理由やポイントを一言でまとめてみると「知恵」となり、今後の生活に役立てることができるようになります。
一度できた知恵は、ほかのいろいろなことにも応用が利くのです。
才能を生かす際に、欠かせない大切なことがあります。
わかっていても、これが実行できていない人が多いため、あえてここでもう一度念を押しておこうと思います。
それは「自分の才能を売り込むのはいいが、それを押し付けてはいけない」ということです。
必要としている人に自分ができることがベストタイミングで提供ができれば、結構なことです。
困っている人を助けるということにつながり、相手もこちらも嬉しいものです。
しかし、その一方で必要としていない人に、無理やり押し付ける方法はしないようにすることです。
押し付けてしまうと、良い印象より悪い印象のほうが前に出てしまい、せっかく素晴らしい才能があっても嫌われてしまうからです。
嫌われてしまっては終わりです。
営業でも「こういうものがありますがいかがですか」と言われた時「いいえ。結構です。間に合っていますから」と言い返します。
しかし、その後も「少しだけ聞いてください」としつこければ、商品にかかわらず、逃げたい気持ちになります。
洋服を見ているときも店員に「こんなお洋服はいかがですか」と頼んでもいないのに言い寄られると困ってしまい、集中できません。
私も自分の書いた文章をしつこく誰かに読んでもらうために押し付けないように気を使っています。
「読みたい」「知りたい」という人には、もちろん見せます。
しかし、中には「別にいいよ」「いらない」「興味ない」という人も大勢います。
そういう人には、私もそれ以上は話をしないようにしています。
ある日の営業マンのように、しつこいと嫌われてしまっては終わりだからです。
友人まで失っては、元も子もないのです。
音楽、作品、演技、公演。
自分ができることの1回目は、無料でプレゼントすることがポイントです。
見たことも聞いたこともないのに、最初からお金を出すのは、購入する側にとって不安があります。
私が中学生のころに実際にあった話です。
男友達にバンドをやっている人がいて「今度、バンドやるから見に来てよ。チケットは1,000円」と誘ってきました。
私は彼の音楽がどんなものか詳しくは知りません。
音楽のジャンルも公演の場所の地図もチケットには書かれておらず、はっきりわかりません。
しかし、友人がバンドをしていることもあり、多少の興味と義理で、そのときは1,000円のお金を払いました。
1,000円といっても中学生には、大きな金額です。
その友人はチケットが売れないと、スタジオ代が払えないようで、売ろうとする勢いがありました。
「来なくてもいいから、チケットだけでも買って」と言わんばかりです。
私以外にも教室中の何人かが誘われ、実際にチケットを買っている人がいましたが、中には買わされている人もいたようです。
無理やり買わせたりするのは、最初はよくてもあとから気まずくなります。
1回目は義理で買ってもらえますが、それで大したものでなければ、もう次からは買ってもらえなくなります。
最初は自腹でチケットを買い、プレゼントをする形にしておくことです。
自分でアルバイトをするなどしてお金を稼ぎ、自分でチケットを購入して、プレゼントしていきます。
最初からお金を払わせて買ってもらう方法はリスクがあります。
デパートでは、化粧品の無料お試しセットを提供しているシーンを見かけませんか。
無料であるからには、提供側がお金を負担しています。
最初からどんなものかもわからず買う人は少ないことを知っているからです。
「1回目は無料」という手法は、マーケティングとしては定番です。
質の前には「量」が必ず存在します。
質が得られるというのは、その前にたくさんの量が存在しています。
人がまだ字も読めない状態から言葉が話せるようになるのは、大量の言葉を聞いて、真似をするから発音ができるようになります。
だんだんコミュニケーションができているわけです。
私もそうです。
あなたも同じです。
言葉をマスターできたのは、父親母親から「言葉の大量の雨」を浴びることができたおかげです。
量をこなすことで結果として、あとから質がついてきたわけです。
実際、小学校に入るころにはみんなが言葉をぺらぺらと話せる状態になっています。
日常生活では困らないほどのコミュニケーションが、教科書1つ読んでもいないのに習得できているというのは、驚異的なことです。
しかし、本当の勉強はそこからです。
小学校では、ひらがなの書き方、漢字の読み書き、文法、辞書の引き方などを覚えて、次には質を意識した言葉の習得を目指します。
量の後には質が手に入り、質の後には質そのものに意識を向けた方法がいちばん身につく方法なのです。
才能を磨いて量をこなせば、次には質を意識した磨き方に変えてみましょう。
どちらも大切な要素ではありますが、順番というものがあるのです。
人はどうしてもかっこいいことばかりに目を向けがちです。
かっこいいほうが印象よく思われ、好印象を持たれるからです。
しかし、成功している人に共通している点は、かっこいい経験より恥ずかしい経験のほうが圧倒的に多いということです。
成功しているかっこいい人は、過去にたくさんの恥ずかしい経験をくぐり抜けてきた人です。
かっこよさは、恥ずかしい経験をして、初めて得られるものなのです。
つらい経験をして初めて物事のありがたみや大切さに気づくことと一緒です。
どこかで赤裸々な恥ずかしい経験をしておくのです。
したくもない経験を早めにしておかないと、物の本質が見極められないようになるのです。
どこまでがOKで、どこからがNGなのかを早めに知っておくと、上手に調節ができるようになり、かっこよさを演出できます。
恋愛の初心者は、していいこととしてはいけないことの区別がわかりません。
「こういうことを言ってはいけない」「このシチュエーションでこの発言はNG」というようなことがわからないのです。
経験をたくさんして、OKとNGの境界線を早めに体感しておくことが大事です。
してみないことにははっきりわからず、たいてい1回目は恥ずかしい思いをします。
気づかず相手を傷つけてしまったり、デートのマナーを間違えたりと恥ずかしい思いをしてしまいます。
しかし、それを一度でも経験しておくと、あとからうまくなるのです。
これが、恥ずかしい経験によってかっこよくなれるということです。
かっこ悪いと悩んでいる人は、決まって恥ずかしい思いをした経験が足りないのです。
たいてい何も行動していない人が悩み、行動していないので怖がってばかりで、恐怖を自分の中で増幅させています。
一方で女性にモテる人の話を聞いていると、恥ずかしい失敗経験ばかりが出てきます。
けんかをしたとか、顔を叩かれたとか、そうしたいざこざの話がよく出てきます。
しかし、そうした経験が蓄積され「していいこと」と「してはいけないこと」の区別ができるようになります。
「女性と接するうまさ」が自然と身についているわけです。
かっこよくなるためには、恥ずかしい経験が必須なのです。
アルバート・アインシュタインが発表した「特殊相対性理論」という理論があります。
原子爆弾の開発に応用された理論として有名です。
もちろんアインシュタインが望んだわけではありません。
第2次世界大戦の上官幹部たちが、特殊相対性理論を応用し、大量虐殺に利用していったのです。
のちにアインシュタインは自分が打ち出した理論が、結果として人を死に至らしめた事実に苦しみます。
広島原子爆弾投下の事実を知って来日し、平和活動を行いました。
「平和に活用されるのはいいが、それで人を傷つけることはあってはならない」
このように強く主張しています。
どのような素晴らしい才能も、使い方によっては凶器のような鋭さを発揮します。
よく切れる包丁は、凶器としても強力だということです。
自分の才能が素晴らしく秀でていることであるほど、使い方によっては人を傷つける武器にもなってしまうことです。
光が強いほど、それだけ影も濃くなるということです。
どれほど優れた才能も、使い方しだいです。
間違っても、人を傷つけることのないように十分に気をつける必要があります。
私もこうした想定はすでにしています。
HAPPY LIFESTYLEでは、恋愛に関する文章もたくさん紹介しています。
もちろん幸せな恋愛を望んで書いているわけですが、これがいつか人を傷つける結果になるのではないかと心配しています。
間違った恋愛をしていることに気づいた女性が彼氏との別れに踏み切り、彼氏から恨まれるのではないかという不安があるのです。
たくさん書けば書くほどその力が強くなり、誰かが幸せになり、一方で誰かが不幸になることが想像できるのです。
結局才能は、使い方しだいです。
善のために活用する方法もあれば、悪のために活用されてしまうこともあり、使う人の意思が大きく関わってくるのです。
物事には光と影の2面性があり、活用すべきは光の側なのです。
間違っても影側を使って、悪用してはいけないのです。
ときどき、こんな悩みを持つことはありませんか。
「どんな商品をつくればいいのだろうか」
「どのようなサービスがいちばん売れるだろうか」
「どんな方法で進めるのがいいだろうか」
考えれば考えるほど、周りの目が気になるところですね。
そこでひらめくのが、マーケティングです。
世間の欲求を知ることは大切です。
消費者や利用者の目線に立つことで、商品なりサービスなり、ヒットしやすくなるでしょう。
しかし、マーケティングとはいえ、参考程度にすることです。
マーケティングにのめり込んでしまっては意味がありません。
周りの声に振り回されるため、自分が本当にやりたいことを見失いやすいからです。
マーケティングは参考にしつつも、のめり込みすぎないことです。
いちばん大切なのは、自分の正直な気持ちです。
自分が「いいな」と思う作品に専念するのが、いちばんいいのです。
自分が「いいな」と思うものだから、能力を最大限に発揮できます。
すべての集中力やエネルギーを投下した分、より良い結果も生まれやすくなるでしょう。
自分がいいと思うものは、世界のどこかに認めてくれる人がいます。
もちろんすべての人に認められることはまれですが、少数でも認めてくれる人がいればいいのです。
少数でも認めてくれる人がいれば、ビジネスは成り立ちます。
才能を生かすためには、自分の気持ちに従って進むことです。
自分が本当に心からいいと思えるものができたとき、ほかの人にとってもいいものと思えるのです。
自分が好きなことで楽しんで発揮できた結果は、自分にとって喜びであり、幸せです。
才能をうまくアウトプットできた、ということです。
ほかの人にも広まっていけば、一緒に幸せと喜びを広めていけます。
たとえ、人から中傷を受けることがあっても、やはり自分を生かせる喜びは、最高です。
好きには、大きなパワーが秘められています。
人生に影響を与えます。
大リーグで活躍しているイチロー選手も「野球が好きだからやっている」と言っています。
自分が大好きでやっていた野球を突き詰め、プロのプレーヤーになることができました。
結果として自分が幸せになれ、そんなイチロー選手のプレーを見ている人まで一緒に喜びを伝えていけます。
自分の才能を突き詰めていけば、その最終地点は幸せであり、またほかの人へも幸せを伝染させていけるという力を持つのです。
私も自分が知っていることを、ウェブサイトを通して提供できることに、大きな幸せを感じています。
自分を表現できているのは、この上ない喜びです。
すればするほど、充実感と満足感が大きくなり、次の活力が生まれます。
単純に自分が好きでしているだけなのですが、結果として、ほかの人の役に立ててもらえているわけです。
たくさんの人にも幸せにちなんだ考えや知恵を知ってもらい、一緒に幸せと喜びを感じてもらえたらいいと思っています。
才能を活用できる段階というのは、教えることができる段階ということです。
今までは先生や本から学ぶことで自分が教わっていた立場でした。
しかし、レベルがある一定以上までくれば、今後は教える立場になっていきましょう。
「私は教えるほどの柄じゃないし」
「教えるほど詳しくないよ」
このように思うかもしれませんが「次の世代へ引き継ぐ」という意味で教えてあげていかないといけないのです。
知識や知恵は、人が長い時代にわたって語り引き継いでいます。
途中でその糸を途切れさせないためにも、どんどんとあとから来る人たちに教えてあげていくことが大切なのです。
今まで自分がいろいろな人たちから教わった恩返しとして、あとから来る人たちに引き継ぐと考えればいいのです。
あなたほど詳しくなくても、あなた以上に知りたがっている人はたくさんいます。
あなたのレベルや知識量がどうのこうのより、次々と後の人に教えてあげることが必要なのです。
才能を活用する段階とは、次の世代に教えていくという段階のことをいうのです。
自分のためだけに磨く才能なら、周りは気にすることはありません。
いい意味で自分の世界に入り、集中できることは、1つの贅沢な時間です。
私も自分が楽しんで文章を書いているときには、周りがまったく見えなくなるときがあります。
音が聞こえなくなり、人が見えなくなり夢中になります。
しかし、自分だけからの目(主観的)だけでなく、ほかの人からの目(客観的)も意識する必要があるのです。
自分が自分のためにだけにやったことは、癖がありほかの人には見づらかったり触りづらかったり読みにくかったりします。
自分はよくても、他人から見れば残念な状態であるということです。
せっかくの才能ですから、ほかの人にも活用してもらうために、できるだけ手にとりやすい形に変えるのも1つの手なのです。
才能を活用する段階では、客観的な目が必要です。
ほかの人の意見を取り入れ、改善を繰り返す必要がある。
「ここはこうすればもっとよくなる。使いやすくなる。見やすくなる。楽しみやすくなる」
提案も批判もクレームもどんどん取り入れ「才能を活用できる形」へと仕上げていきましょう。
才能を生かすことを想像するときには、まずコップの水を想像するとわかりやすくなります。
才能を見つけ、磨く段階というのは、まだコップに水をため続けているという段階です。
才能を磨く段階と生かす段階との境界線は、曖昧です。
自分は活用する段階だと思っても、ほかの人から見ればまた磨くべきだと思われることがあります。
自分はまだ磨く段階だと思っても、他人から見ればもう活用すべき段階に十分入っていると思われるときもあります。
「今の才能を活用すべきか。それともまだ磨くべきか」
この曖昧な境界線を区切るのは、自分に心の満足がどのくらいあるかで決まるのです。
十分に才能を楽しみ、満足しきっている状態は、いわばコップに水がいっぱいにたまり、あふれ出ている状態です。
満足とは、コップの水が満たされきっているということです。
いっぱいになっているにもかかわらず、まだ水が入り込んでくるなら、当然コップから水がどんどんとあふれ出てしまいます。
そんな状態なら「才能は活用すべきですよ」というサインです。
嬉しい楽しい気持ちが心の中に十分に満たされており、本人は幸せでもう飽きがきているということです。
しかし、その一方で、コップの水がまだいっぱいになっていない状態もあります。
「まだまだ満足ではなく、もっと楽しみたい」「まだやりたいことがたくさんある」という気持ちのときです。
本人の心の問題であり、満足ではなくもっと嬉しい楽しいという水を、コップの中につぎ込みたいときです。
当然まだコップの水は、いっぱいではない状態です。
こんなときはまだ磨く段階であり、活用する前に本人の気持ちが十分に満たされるまで、さらに磨きをかけて楽しむことが大切です。
「まだ十分に楽しみきっていない」というほうがぴんとくるかもしれませんね。
もっと楽しんで遊びきってから多少の飽きがきて、分け与える余裕が出てきたときに「人のために活用してみよう」と思います。
才能そのもので磨くと活用を区切るのは難しく、本人に満足があるかないかで決まるのです。
「もう遊びきった。楽しみきった。次のステップに移りたい」というときには活用の段階です。
「まだまだ楽しみが足りない。もっとトライしたい」というときはまだまだ磨く段階ということです。
活用する段階に入る前に、まず自分の気持ちを振り返ってみましょう。
もう十分に楽しみきりましたか。
嬉しい、楽しい、満足で、コップの水がいっぱいであふれていますか。
そうなって初めて「人のために活用しよう」という気持ちにたどり着くのです。
人と才能との関係は、花とその美しさの関係によく似ています。
花はまず芽を出し、茎を伸ばし、最後にきれいで大きな花を開かせます。
これは人の一生でいうと、才能を見つけ、磨いて大きくさせ、最後に活用することで生かす段階に当たります。
しかし、花には、最後に朽ち果てるという結末が待っています。
考えたくない現実ですが、どんなに美しい花もそれは永遠というわけではなく、最後には枯れて、朽ち果ててしまうのです。
花はそれを知ってか、種の存続を願うためタネをばらまきます。
タネをばらまいて、自分が朽ち果てた後でも同じような美しさを持つ花を次の世代へと引き継がせていきます。
人間も同じです。
どんなに恵まれた才能の持ち主でも、いずれ寿命を迎え、死に至ることになります。
人生のある一点が折り返し地点となり、逆らうにも逆らえない時間という絶対的な流れによって体は衰えます。
できることもできなくなり、やがて病や老衰のため、一生を終えることになります。
絵の才能を持っている人だけ寿命が長くなるわけでもなく、世界一のスケートができるからと10歳若返ることもありません。
年齢と時間は、あらゆる万物に公平であり、これに逆らうことはできないのです。
才能のある人たちは「才能を次の世代へ引き継がせたい」と思います。
自分が死んでからも、その素晴らしさが継続されることを願うかのように、芸術なり技術なりを後世に残そうとします。
それが「才能を活用して教えていく」という運動に表れます。
体操のオリンピック選手が体操教室を開いて先生となり、子どもたちに体操を教えるということがよくあります。
また世界プロボクサーのチャンピオンがジムを開いて、ほかのボクサーを育てるということもあります。
また漫才師には弟子をつけ、自分の才能を弟子に見せることで表現や話術を盗ませようとします。
自分が磨き上げたことを、弟子に分け与えることで成長の踏み台にしてもらうためです。
さらに高いところへとレベルアップしてもらいたい気持ちがあるからです。
自分が十分に楽しみきり、満足すれば、今度は人のために役立てたい気持ちへと移り変わります。
自分だけが楽しんでばかりでは申し訳がなく、ほかの人のために自分を動かしたくなるのです。
私は読書が習慣になっており、今までに何千冊と本を読んできました。
この時間は、充実していました。
今思い返しても、素晴らしい知恵を盛り込んだストーリーや偉人の伝記などにたくさん触れることができたことは、贅沢でした。
これだけの楽しみを自分一人が受け取ってきたことに「満足」と「罪悪感」の2つがあるのも事実です。
「これほど素晴らしい知恵を自分だけが知っていてはもったいない。ほかの人にも知ってもらいたい」
たくさん本を読んで、知恵が蓄えられていくと、自分の中のコップがあふれ出るようになり、気持ちの中に満足が生まれたわけです。
もっと本を読んで楽しみたい気持ちはありますが、ひととおり楽しみは十分に受け取ったという「気持ちの区切り」ができたのです。
今このように文章を書いているのは、コップの水があふれた部分に当たります。
満足という器に、楽しさや嬉しさが十分に満たされ、ついにはあふれ出してしまいました。
たくさんの本を読めば読むほど「こんな素晴らしい話を、次の世代へも残していきたい」という気持ちになります。
最初はそんなことを考えもしなかったのですが、考えるようになってしまうのです。
それがこの執筆活動です。
活用する段階であり、次の世代への引き継ぎです。
私がこの世から消えてしまう前に、次の世代の人たちにバトンタッチすることで、読者が楽しみや知恵を受け取れるのです。
花でいえば、朽ち果てる前にタネをばらまいているようなものなのです。
自分が良いと思っているものが、ほかの人にとっても良いものであるとは限りません。
人にはそれぞれ趣味の違いや考え方の違いがあるため、良いという基準もばらばらです。
たとえ自分が最高の出来栄えだと思っていることでも、ある人には「なにこれ?」ということがよくあります。
そりの合わない人とは、無理をして付き合う必要もありません。
無理をして付き合っていても摩擦が生まれ、つまらないところでエネルギーを消費してしまうだけです。
考えの軸がそもそも自分とは違うなら、至る所ですれ違いが生まれ、お互いにとって良いことはありません。
できるかぎり自分と同じ考えを持った人たちを集めることで、素晴らしい協力が生まれ、物事の進行が順調に進むようになります。
小泉純一郎元首相は、郵政民営化を達成しようと、自分の考えに賛同してくれる人たちを集めました。
当初は郵政民営化に反対する人たちが多かったため、一度は国会で否決されてしまいました。
ですが実現に向けて衆議院を解散に踏み切り、再び総選挙を行うことで自分の味方となる人たちを集め直すことができました。
そして、郵政民営化を進展させることができたのです。
敵の多い人たちが周りに多いと、夢の達成は、かっこつけることはできても実現が難しいのです。
自分の夢の実現は、まず賛同してくれる仲間を周りに集めることで、より実現しやすくなります。
自分と合わない人たちと無理をして付き合っても、お互いが不快になるだけです。
才能発揮について考えるとき、歌うときのことを考えればわかりやすくイメージが浮かびます。
歌を歌うときには、大勢で歌う「合唱」と、1人だけで歌う「ソロ」の2パターンがあります。
大勢で歌うときには大きな声が出て、ボリュームのある力強さがあります。
その一方、1人で歌うソロでは、合唱のようなボリュームこそはありませんが、個人の声の美しさが強調される面があります。
どちらが良いのかというと、どちらも良いのです。
合唱には合唱の良いところがあり、ソロにはソロの良いところがあります。
自分が才能を発揮する際には、どちらがより効果的なのかをあらためて考えることで、より才能を引き伸ばしていけます。
あなたが今、楽しくしていることは、個人プレーでやるほうが良いですか。
それとも団体プレーでやるほうが良いですか。
どちらが良いわけではなく、どちらがあなたに合っているか、考えてみましょう。
やはり1人だけのほうが、集中ができて、邪魔もされないからやりやすい人もいるでしょう。
しかし、中にはみんなで一緒に協力してやりたい人もいるでしょう。
私なら、個人プレーが向いていると強く感じています。
もともと物を書くという作業は、1つの哲学を軸にして、軸を中心に語っていくことです。
たくさんの人の考え方を取り入れたり流されたりしてしまうと、軸がぶれ、話の内容に一貫性が取れなくなります。
みんなで考えてつくると考え方がぶつかり「俺が正しい。いいえ、私のほうが正しい」というけんかにさえなってしまうでしょう。
私は、いつも1人になって書くようにしています。
その一方で、団体で動かないと成り立たないこともあります。
代表的なことといえば、会社経営です。
一部の個人で経営している極小会社を除き、ほとんどの株式会社では社長と社員、株主で成り立っています。
会社の経営は社長が行い、大勢の社員が動いて目的を果たします。
しかし、社長のワンマン経営でいくわけにはいきません。
毎年開かれる株主総会で株主からの指摘や考えを取り入れて会社を動かしていく必要があります。
株主は会社に出資をしてくれている(お金を出してくれている)大本です。
株主の発言を無視することはできず、ワンマン経営は難しいのです。
まさに会社経営は、団体だからこそ達成できることなのです。
自分の今おかれている状況を考えて、どちらのほうがパワーを発揮できるか考えてみましょう。
団体か、それとも個人か。
才能には「個人の美しさ」と「団体の強さ」を使い分ける必要があるのです。
才能を生かすためのまとめを言えば「自分の使命を全うするために活用する」ということです。
常に意識していただきたいと思います。
自分と周りの幸せと喜びのためになるなら、才能の活用方法は自由です。
いろいろな表現の仕方はあることでしょう。
素晴らしい絵を描ける才能があるとすれば、単純に紙に書いて見てもらう方法があります。
そのほかには個展を開く方法もいいでしょう。
本にして出版する方法もありますね。
ウェブサイトでインターネットを通じて公開する方法もあります。
これらのうち、どの方法でも自分の才能を生かしていくことはできます。
どんな方法でもいいので自分に合った方法を見つけ、自分にいちばん適している手段で、使命を全うすることが大切です。
私たちは何のために生きているのかというと幸せと喜びのために生きています。
自分だけがよければいいという考えや生き方をするのではなく、みんなが共存共栄していく生き方をすることがポイントです。
使命とは「使わされた命」と書きます。
何のために命を使わされているのかというと、この幸せと喜びのためにこの世に使わされています。
自分が幸せと喜びを感じ、周りの人も一緒になって幸せと喜びが得られる生き方が才能を上手に生かしていることなのです。