才能には「見つける過程」と「磨く過程」「生かす過程」の3つがあります。
前回の「自分の隠れた才能を見つけるコツ!」に続き、今回は「才能を磨くコツ!」というテーマで紹介します。
実際に自分のやりたいことを見つけ、それをどう大きくさせていくかということです。
良い環境というのは、初めからそこに存在しているだけではありません。
努力しだいによって、自分で意図的につくり出せます。
東京大学のような、初めから恵まれた環境がありますが、自分しだいでそれくらい良い環境をつくり出せます。
才能開花には、環境や基盤といった土台にはしっかりお金をかけることです。
才能に対してどのようなところにお金をかけないといけないかというと、しっかりした環境をつくるためにお金をかけるのです。
恵まれた環境というしっかりした土台がないと、次へ進もうにもぐらぐら足元がぐらついて不安定になります。
意外なことかと思うかもしれませんが、1人になることも才能発揮の重要な基盤の1つです。
1人になるためにお金をかけることは悪いことではありません。
友人と一定の距離を置くために、お金を使うと言ってもいいでしょう。
本屋に並ぶ本は、どれも優秀な先生たちです。
どの1冊を選ぶかは、どの先生の、どの授業を受けるのかと同じことに例えられます。
ただ違うところは、実際の授業より自由があるというところです。
童話『アリとキリギリス』というお話は、現代の社会人には学ぶ点の多いお話です。
今までの日本人はアリのように遊ぶことなく、一生懸命に働き続けるという生き方が尊敬されていました。
朝早くから夜遅くまで仕事を続ける人が「すごい!」と絶賛される時代でした。
才能を磨いている生き方というのは、一見好きなことばかりをしている生き方に見えます。
他人からだけでなく、本人までも遊んでいると感じてしまい、頑張っている感覚もありません。
やりたいことができていて自然と笑顔になり充実感もあふれ、ほかの人から見てもすぐわかります。
「遊んでばかりいないで勉強しなさい!」
子どものころは、勉強せずに遊んでばかりいると必ず親の怒鳴り声が飛んでくるものです。
たしかに勉強は大切ですが、勉強がすべてと思っている親のもとでは驚くべきことに才能をなかなか磨くことはできません。
若い時期をどう生きるかで、人生が大きく変わります。
人生の最も大切な時期の1つは、学生時代の送り方です。
学生のころは、親の援助のおかげで、学生生活を送れます。
お金を使うことは「投資」「浪費」「必要経費」の3種類があります。
「必要経費」は、ご存じのとおり家賃や食費、光熱費といった生活費です。
最低限の生活を営んでいくうえでどうしても欠かせない費用であり、これは生きていくうえで必要な費用です。
失敗経験も、れっきとした財産です。
早いうちに失敗をしておくことも、若いうちにしておくことの1つです。
若い時期の失敗は、比較的小さな痛みで済み、立ち直りも早くできます。
才能の開花には、量で勝負するのがいちばんです。
世間では、2つの言葉が飛び交っています。
「量が大切」と「質が大切」です。
才能は常に自分が発揮するものであり、他人が発揮するものではありません。
自分の中に眠る能力を引き伸ばしていくためには、その答えも自分の中にあると考えましょう。
自分のスタイルは個性を引き出し、能力を最大限に発揮できるようになるためのキーポイントです。
欲の塊である人間は、行動するときには人からどう見られるかをつい考えます。
「かっこよく思われるか」
「尊敬されるか」
才能を磨くために、3年くらいは捨ててください。
人生の中で人目を気にせず、何か1つのことに一心不乱に打ち込んだ経験があるかないかで、後の人生に大きな差が出てきます。
花を咲かせるには時間がかかるように、才能を大きくさせていくときにも時間がかかるものです。
「我慢します」と言うと「偉い! すごい!」と言われるのが日本人です。
日本人は「我慢」という言葉に美意識を持っているようで、我慢をすることが偉いことだと思っています。
しかし、実際の我慢は偉くもなんともなく、ただストレスがたまるだけで何の役にも立ちません。
才能を発揮させるためには、できるだけ早く自分の模範となるような人物に出会い、徹底的に真似をすることです。
頭のてっぺんから足のつま先まで、すべてを心底信じきれる尊敬できる手本に出会えるかどうかで、才能の行方も変わってきます。
手本というのは、言い換えればつまり「本物」ということです。
人には、長所と短所の2つがあります。
日本には「長所を伸ばすこと」より「短所を穴埋めすること」に力を注ぐ教育がいまだに根強く残っています。
平均的が大好きな日本人は、一部分が突出していることに違和感を抱いてしまいます。
行動を起こすとき、リスクとリターンがつきものです。
リターンを考えるときはリスクを考えなければいけませんし、リスクを考えるときもリターンを考えないわけにはいきません。
複雑そうに見えるこの2つも、シンプルに考えればいいだけのことです。
人間には5段階の欲求があるといわれています。
心理学者マズローの「マズローの5段階欲求説」によると、人間には5種類の欲求があり、段階的になっているとされています。
具体的にその5段階の欲求とは、次のようなものになります。
「努力、辛抱、我慢、踏ん張り、耐える」
こうした言葉には悲しくも勇ましい様子が漂い、明るい印象がありません。
いかにも眉間にしわを寄せ、しかめ面でやっている姿が想像できます。
実力をつけるためには、基本に沿ってやることです。
基本を忘れていては、できることもできなくなります。
そんな大切な基本の1つに「小さく始めて、あとから大きく」ということが挙げられます。
習慣によって得られる影響には大きなものがあります。
無意識に体が動いてしまう習慣には、本人は気づいておらず、努力もしていないのに同じ動作を繰り返してしまいます。
そんな習慣は、できるだけ素晴らしいものであってほしいものです。
私は小さいころからエジソンが大好きで、彼の伝記は読み干してきました。
伝記には「~を発明した。~も発明した」としか書かれていませんが、一つひとつの発明の背景には膨大な失敗の量が隠れています。
1つの発明には、とんでもない量の失敗があり、そうしてようやくつかみ取った成功なのです。
夢を果たせないいちばんの原因は「諦めてしまうこと」です。
諦めたときに、すべてが止まってしまいます。
どんなに実力があっても、目標が達成できずに諦めてしまえば、そこでThe Endになります。
才能を発揮できるか否かは「親が子に、どのような教育をしていくかで決まる」と言っても過言ではありません。
鳥籠のように保護された環境では、子どもは外へ出て、戦うことのできる強さを身につけることができません。
つまり、過保護の環境では、子どもは自由な行動ができないのです。
「氷山の一角」という言葉があります。
「海に浮かぶ氷山の小さな頭は、山の頂上の部分でしかなく、水面下にはさらに大きな氷がある」という意味です。
わかりやすく言うと、以下のような図になります。
世間では「努力」というのも1つの才能だといわれています。
自分の才能を信じ、日々努力を怠らず精進できるという姿勢も才能の1つだと言われますが、その真相はちょっと違います。
本当のところ、好きなことをテーマにしていれば、努力せずとも努力してしまうのが現実です。
バッティングセンターに通う少年がいます。
バッティングセンターに通う人の共通点は、野球がうまいことです。
バッティングセンターでは、お金が必要です。
才能には、多種多様なジャンルがあります。
絵画・野球・音楽・作家・学問など、ジャンルそのものは幅広く多種多様で、共通点はありません。
しかし、どの才能をとってもそうなのですが、磨きに磨き上げたとき、いずれ人の役に立つようになります。
才能には「見つける過程」と「磨く過程」「生かす過程」の3つがあります。
前回の「自分の隠れた才能を見つけるコツ!」に続き、今回は「才能を磨くコツ!」というテーマで紹介します。
実際に自分のやりたいことを見つけ、それをどう大きくさせていくかということです。
才能は、花に例えると大変にわかりやすくて、イメージが湧きやすくなります。
まずタネを見つけ、土の中に埋めて、水を根気よくやり続け、初めて芽を出します。
芽を出してからも、日光の当たるところへ花を置き、水を適度にやり続けて、そうしてようやく花が開くのです。
もしあなたが花を育てたことが一度でもあれば、この流れのイメージは湧きやすいことでしょう。
花がきれいに咲くためには、まずは水より、しっかりした土が必要です。
もちろん水も大切ですが、そもそも土がないと、茎を伸ばしたくても伸ばせません。
まずは最初に土があって、次に水の順番になります。
土というのは、現実の世界で言えば「環境」です。
才能を育てる重要なことは、いかに恵まれた環境に身を置くかです。
何もない貧しい環境では、土の中に栄養分がないことと同じように、花も育ちにくくなります。
本当に良い土とは、栄養分が豊富に存在します。
ただ土があればいいわけではなく、いかに栄養分が含まれ、水を吸収しやすい土であるかがポイントです。
いかに良い人に恵まれて、良い学校に良い本に恵まれるか、1人の時間や、集中できる場所に恵まれるかなどが重要です。
せっかくやりたいことを見つけても、それを育てる土壌がなければ台無しなのです。
才能を開花させるためには、環境という要素はまずなにより前提となると考えましょう。
どうしても無視はできない、いちばん重要なポイントです。
たとえば大学へ進学するときには、どのような大学に行こうか迷うことがあります。
私も大学選びには、とても迷いました。
やりたいことを実現するために、適した学部があるか、どんな先生がいるのか、どのくらいの規模の学校なのかと、迷いました。
あなたも大学進学ではとても迷ったのではないでしょうか。
それは自分で無意識に「環境は大切である」ということに、うすうす気づいているからです。
環境によっては、自分の能力をさらに伸ばし発揮できる場所であったりします。
教え方のうまい先生に出会えると、上達は飛躍的です。
競争できるライバルができれば、良い刺激になり、勉強もやる気が出ます。
生徒たちの質も上がれば、自分も同じくして質が向上します。
広い教室や緑の多いキャンパスなら、伸び伸びと勉強ができるというものです。
環境は常に、能力発揮の土台になるのです。
この土台がしっかりしていなければ、せっかくのあなたの人生も台無しです。
いくらやる気があっても、先生の教え方が悪かったり、授業内容が乏しかったりすると、自分の能力も十分に発揮できません。
しっかり大きな花が健全に育つためには、しっかりした土壌が必要です。
自分の才能を大きく開花させるためには恵まれた環境という「基盤(インフラ)」が必要なのです。
ピラミッドでいう底辺にあたり、大きく生活を占める部分です。
ここでしっかり固めておかないと大きなピラミッドがつくれないのです。
あなたの才能も、しっかりした基盤(環境、インフラ)があれば、それだけ大きなピラミッドをつくれるのです。
良い環境というのは、初めからそこに存在しているだけではありません。
努力しだいによって、自分で意図的につくり出せます。
東京大学のような、初めから恵まれた環境がありますが、自分しだいでそれくらい良い環境をつくり出せます。
いえ、むしろどんな環境が自分にいちばん合っているのかは自分でないとわからないため、この考え方は重要となるのです。
たとえば、学校に優秀な先生がいなければ、優秀な家庭教師を雇えばいいのです。
学校の先生は、学部や教科によってはあらかじめ決められており、自分の選択に自由が少ないものです。
しかし、家庭教師なら、お金さえあれば優秀な先生を雇えます。
東大卒のベテラン家庭教師にも、お金さえあれば教えてもらえます。
万が一、気が合わなかったり性格が合わなかったりしたとしても、別の家庭教師に交代してもらえばいいだけです。
学校の授業では先生が嫌いだからほかの先生に代えてもらうことはできませんが、家庭教師なら可能となるのです。
自分で環境を整えるというのは、選択肢が広く、自由があり、こちらに選択権があるのです。
私の場合、本を書くときには必ず1人きりになって書くようにしています。
うるさい場所や音楽を聴きながら書くことはいくらでもできますが、私にとって妨げになることを知っています。
話し声の多い場所では会話の内容が気になり集中できず、タバコの煙の多いところでは頭が回らず、苦労した経験があります。
そうした集中できない環境だと、良いアイデアも浮かばず、作品の品質に影響を及ぼしてしまうのです。
本当に自分を発揮したければ、自分で自分の環境を整えることは大切です。
環境に恵まれなければ、自分で恵まれた環境をつくることです。
私は、意図的に東京へ出てきました。
もともとは愛媛県の田舎出身ですが、本当に田舎で、何もないのです。
刺激がないため、逆に成長が難しいことに気づいた私は、物とお金と人が集まる東京へやってきました。
私は今、三軒茶屋に住んでいます。
東京の中では「若者の街」で知られているところです。
ここには若いパワーがあり、いろいろなお店が近場にたくさんあるので、買い物にはとても助かっています。
もちろん東京での生活は、田舎の生活よりお金がかかります。
しかし、それで自分の才能を発揮できる環境が、自分の自由と選択で整えられるとしたら、大変に安上がりなことなのです。
人生は一度しかなく、特に若い時期というのは限られています。
若いパワーとやる気のあるうちに、お金はかかっても適した環境を意図的に選択し、つくり出すことは、自分への投資になります。
環境によって得られるパワーは絶大です。
自然とやる気の出る場所。
一緒にいて元気になる人。
集中できるところ。
便利なお店(コンビニ、本屋、遊び場など)が近場にある。
こうした恵まれた環境に、自分から意識的に身を置くことで、後は自動的に体が動いていきます。
「自動的に体が動く」というのは、それだけ環境に恵まれているということです。
恵まれた環境は、才能を開かせるためにはなくてはならない土台なのです。
才能開花には、環境や基盤といった土台にはしっかりお金をかけることです。
才能に対してどのようなところにお金をかけないといけないかというと、しっかりした環境をつくるためにお金をかけるのです。
恵まれた環境というしっかりした土台がないと、次へ進もうにもぐらぐら足元がぐらついて不安定になります。
土台となるところにこそ、まずしっかり足元を固めておくことが必要なのです。
逆に使わないところには極力お金を節約し、本当に望んでいることに対しては、その環境をしっかり整えることです。
たとえば料理の勉強をするときには、キッチンは必須です。
キッチンこそ、まず料理をするためには必要であり、これがなくては始まりません。
本を読んだところで、キッチンに立って料理をつくってみないことには、机上の空論になってしまい実践には結びつきません。
必要最低限の料理道具と食材をそろえ、勉強と実践につぎ込むのです。
料理に関しては、キッチンと食材こそが土台になるのです。
しかし、一方で、安い家賃のアパートに住み、お金を節約することです。
インテリアコーディネーターや、デザイナーになるわけでもなく、寝るだけの部屋なら狭くても安くても関係はないはずです。
本当に夢に近づける道にだけどんとお金をつぎ込み、一方でどうでも良いところにはとことん節約し、質素になることです。
これが才能に対するいちばん正しいお金の使い方というものです。
私は本を書くために必要なノートパソコンと本、ホームページをつくるためのサーバーやCGIの費用には、たらふくお金をかけます。
これらが私にとってやりたいことをやるための基盤であり、削ることができない部分です。
なければ何も始められず、足止めをくらいます。
できないと、この上ない不幸を感じてしまい、極端に言えば何のために生きているのか目標を失い、精神的におかしくなります。
その代わり恵まれてさえいれば、常に伸び伸びとやりたいことをやることができ、アクセルを思いきり踏めます。
部屋が安くて狭くても関係はありません。
携帯電話もほとんど使わないので電話代も節約できています。
私は普段からあまりテレビを見ません。
テレビを見ることが私のやりたいことではないため、見る時間があれば自分のやりたいことに時間を回しています。
時間とお金は、本当に大切なことに対して使うことがポイントなのです。
意外なことかと思うかもしれませんが、1人になることも才能発揮の重要な基盤の1つです。
1人になるためにお金をかけることは悪いことではありません。
友人と一定の距離を置くために、お金を使うと言ってもいいでしょう。
世間では1人きりの人を「孤独」「友人がいない」「寂しそう」と冷やかしますが、それらは気にしなくてもかまいません。
恵まれた環境とは、1人になって集中できるという環境であり、友人とわいわい騒いでいるところに才能発揮はありません。
「友人とわいわい騒いで飲んでいたら、才能発揮ができました」なんていう話は聞いたことがありません。
友人と一緒にいるとはかどると勘違いしている人がいるようですが、実際にははかどるどころか妨げになっています。
友人との話に意識が向いてしまい、今目の前にあることに集中ができず、身につかなくなります。
大学で友人と一緒に勉強することはあっても、本当の勉強は帰宅後の集中しながらの1人勉強です。
たしかに質の良い授業や、やる気を出させてくれる仲間たちと一緒にいると元気になります。
しかし、本当に質の高い勉強は、復習の時間であったり予習の時間であったりします。
将来について考えているときも、友人の話に流されている自分ではなく、1人になって自分について考えている時間です。
1人にならないと、周りからの雑音がうるさくて自分を見失ってしまいます。
私は本を読むときや本を書くとき、考えるときなど、自分がやりたいことがあるときには、基本的に1人になります。
周りに人がいてもかまいませんから、1人中心で活動できる場所へ行きます。
そうしないと本当に自分と向き合えないからです。
自分の頭で考え、自分の責任で行動するときがいちばん身につき、自分のためになります。
これ以上ない恵まれた環境の1つは、1人きりの時間なのです。
本屋に並ぶ本は、どれも優秀な先生たちです。
どの1冊を選ぶかは、どの先生の、どの授業を受けるのかと同じことに例えられます。
ただ違うところは、実際の授業より自由があるというところです。
学校の授業では、教える速度は先生の判断に委ねられます。
早口で話の展開が速い先生もいれば、のろのろしか進まない授業もあります。
教えるスピード、教え方、先生のその日の気分など、主導権はすべて向こう側にあります。
ほかにも生徒がたくさんいる中で、自分が理解できず「待ってください」とはたしかに言いづらいですよね。
先生は「わからなければ言ってください」と言いますが、実際のところ「質問があります」を何十回も言っていられません。
またその逆のパターンもあります。
授業が遅すぎていらいらしてしまうというパターンです。
自分は予習をしてとっくに理解し、できているのに、必要以上にゆっくり教える先生では、うつらうつら眠くなります。
内容はよくてもスピードが遅すぎるなら、自分のペースに合っていないということになります。
先生とはいえ、当たり外れは大きいのです。
当たればいいのですが、外れた場合は授業料と時間が無駄になった気分になります。
しかし、本は違います。
本は、実際の先生のようにころころ気分を変えることはありません。
いつも落ち着いて話しかけてくれる先生です。
わからないところがあれば、いくらでも立ち止まることができるし、本の途中から始めてもいいのです。
どの本を読んでもいいし、本の難易度もこちらで選択ができ、決めることができます。
学校では飛び級はできませんが、本なら飛び級はいくらだって可能です。
子どもが大人向けの難しい内容の本を読むことも可能です。
難しすぎれば途中でやめてもかまいませんし、だからと言って叱られるわけでもありません。
ぱらぱらめくり、つまみ食いのような学び方もできます。
本は、いわば一対一の勉強です。
家庭教師も一対一であるように、本も、著者と読者の一対一のやりとりになるのです。
友人の話に邪魔されるわけでもなく、1人になって学べますから、集中ができ、身につきやすいのです。
私は、本を読む習慣を身につけてから、生活が劇的に変わりました。
何が変わったのかというと、本のほうが学ぶ効率が良いため、普段の何倍もの速さで勉強できるということです。
たとえば、ある人の自伝を1冊読めば、その人の一生で得た学びを勉強できたことになります。
何十年も生きた人の人生を、2時間足らずで学べるのです。
本の値段が安すぎて、申し訳ないと思ってしまうほどです。
時間にせよお金にせよ、元手が多くかかりません。
本は効率的であり、効果的なのです。
本ほど、自由度の高い先生はいません。
自分のやりたいことや才能を発揮させるためには、先生となるべき本を探し徹底的に研究し読み尽くすことが大切です。
すでに一流である人の話や技、技術や知恵を学べば、学校の先生たちより効率よく進めることができるのです。
童話『アリとキリギリス』というお話は、現代の社会人には学ぶ点の多いお話です。
今までの日本人はアリのように遊ぶことなく、一生懸命に働き続けるという生き方が尊敬されていました。
朝早くから夜遅くまで仕事を続ける人が「すごい!」と絶賛される時代でした。
しかし、もはや、この生き方には限界がくるようになりました。
仕事ばかりでは人間ですからストレスがたまり、やがて燃え尽きてしまう日が来てしまいます。
そのため最近ではストレスに悩む人が増え、うつになる人が多くなりました。
アリの生き方が最も良いわけではなく、限界があるのです。
『アリとキリギリス』のお話では、キリギリスの生き方も出てきます。
働くことはせず、一生遊び続けて死んでいくという生き方です。
しかし、遊んでばかりだから寒い冬を乗り越えられず、食べるものにも困ってしまいます。
始めはよくても、後が大変になる生き方です。
『アリとキリギリス』のどちらの生き方が良いのかというと、本当のところ、どちらの生き方にも限界があるわけです。
では、どんな生き方をすればいいのでしょうか。
これからの時代は、アリとキリギリスが一緒になった「アリギリス」的な生き方が求められます。
一生懸命働き、一生懸命遊ぶという生き方です。
これが、これからの新しい時代の生き方になります。
アリギリスとは、仕事をするときは一生懸命にして、終われば次は一生懸命遊ぶという生き方です。
このようにオンとオフをしっかり区別していることで、気持ちの整理がつくようになります。
しかし、せっかくですから、もう1つレベルの高い生き方を紹介しましょう。
それは「仕事が遊びであり、遊びが仕事である」という生き方です。
これが「真のアリギリス」という生き方です。
自分の好きなことややりたいことをしていると、遊んでいるような感覚になります。
充実した時間を過ごすことができ、ストレスがたまるどころか発散させることができます。
その遊びを仕事にしてしまえばいいのです。
自分の才能や特技を生かし、遊びながらにして仕事をこなしてしまうのです。
仕事と遊びの融合です。
こうなれば、仕事をするのが楽しくなり、遊んでいる感覚なので楽しく、長続きします。
本当に才能を発揮したければ、仕事と遊びを区別するより、仕事と遊びを一緒にしてしまえばいいのです。
そうすることで1日中自分のやりたいことに打ち込むことができ、この上ない充実感を得られることができます。
私を例にお話しします。
私は仕事でコンピューター関係の仕事をしていますが、これは私にとってサイトをつくるために必要な知識や知恵を学ぶ場です。
そこで得たことを次のサイト作成や本の執筆に生かします。
自分には仕事が遊びの一部になり、遊ぶために仕事をしているような感じになっています。
仕事は私には欠かせません。
仕事をしていても遊びの延長のような気がします。
遊びをしていても仕事の延長をしているような感じです。
仕事と遊びが1つになっているのです。
仕事と遊びの融合が、これからの新しい時代の生き方となるのです。
才能を磨いている生き方というのは、一見好きなことばかりをしている生き方に見えます。
他人からだけでなく、本人までも遊んでいると感じてしまい、頑張っている感覚もありません。
やりたいことができていて自然と笑顔になり充実感もあふれ、ほかの人から見てもすぐわかります。
人生の何が有意義なのかというと、やりたいことをやりたいだけ自由にできるということです。
自分のパワーを才能にぶつけ、一生懸命に楽しんでいると、必ずそれなりにお金もかかるようになります。
ですが面白いことに、失われたお金も好きなことをすることで得られたノウハウによって、やがて回収できるようになります。
むしろ失ったお金より多く回収できるほどです。
自分の好きなことですから集中して取り組むことができれば、生きたノウハウが得られます。
実際に体験し肌身で感じた感覚やコツは、その人の財産になります。
奇抜で、白い目で見られるようなおかしなことほど、得られるノウハウも希少価値があるため、強い武器へと進化していくのです。
私も同じような現象を体験しています。
自分が好きでやり始めたサイトつくりも、好きで面白いがゆえに一生懸命やっていました。
まったく遊んでいる感覚そのものでしかありません。
しょっちゅう時間を忘れ没頭し、気づけば4時間5時間も経っているということは日常茶飯事です。
ですが、そこで得られた知識や知恵が、仕事上で生かすことができるようになり、収入として回収できるようになりました。
一生懸命遊べば遊ぶほどお金はかかりますが、ノウハウが蓄積され、仕事で生かすことができれば、現金が手元に戻ってくるのです。
使ったお金より、多い金額で返ってくるようになります。
このサイクルをつくり出していくことで、仕事と遊びの融合を可能とできます。
一生懸命遊ぶことが一生懸命仕事をすることになります。
今までは遊んでいるばかりの人生は、良い目で見られることはありませんでした。
遊びという響きがいかにもだらしなく怠けている印象を与えますが、好きなことで遊ぶときほど充実できる時間はないのです。
「遊んでばかりいないで勉強しなさい!」
子どものころは、勉強せずに遊んでばかりいると必ず親の怒鳴り声が飛んでくるものです。
たしかに勉強は大切ですが、勉強がすべてと思っている親のもとでは驚くべきことに才能をなかなか磨くことはできません。
いまや大リーグで活躍しているイチロー選手の才能発揮に関しては、陰でお父さんの存在が影響しています。
お父さんは、イチロー選手が野球に明け暮れている毎日でも、やるべき勉強さえできていれば止めようとしなかったそうです。
野球をしているときの彼の姿はとても生き生きして、止められないほどのオーラが出ていたというのです。
最低限の勉強をしっかりしていれば、お父さんはイチロー選手をとことん野球漬けにしてあげる寛大な心を持っていたのです。
もしここで「遊んでばかりいないで勉強しなさい!」という言葉が飛んでいれば、今のイチロー選手の姿はなかったはずです。
遊んでいることに否定的な親のもとでは、才能を磨くことはできないのです。
歴史上の偉人たちの親は、どの親も遊びに対して寛大であり、理解がありました。
好きなことをやっているときこそ、個性が発揮され、能力が伸びると知っていたからです。
エジソンは小学校を3カ月で退学してしまうという学歴しかありません。
退学を許した親に驚きです。
学校を退学してしまったエジソンは、どこで勉強したかというと、家で勉強したのです。
最低限の勉強は親が先生になり、教えたのです。
発明ばかりに明け暮れるエジソンに対しても決して止めようとせず「好きなだけやらせる」というスタイルを貫いていました。
才能が開花されたのです。
勉強ばかりをやらせる親のもとでは、あり得ないことです。
好きなことを好きなだけやることがだらしないことだと思っている親は、子の才能をつぶしている親です。
本当に子の才能を発揮させたければ、好きなことを好きなだけやらせるのです。
好きなことを好きなだけやらせたときに、才能は発揮されるのです。
若い時期をどう生きるかで、人生が大きく変わります。
人生の最も大切な時期の1つは、学生時代の送り方です。
学生のころは、親の援助のおかげで、学生生活を送れます。
これは親に感謝しなければなりません。
高い学費を払っていくことは、学生1人の身分だけではあまりに負担が大きすぎます。
アルバイトで稼ごうものなら、バイトだけで貴重な学生時代があっという間に過ぎてしまいます。
おかしな矛盾に気づきませんか。
勉強をするために学校に入り、学費を払うために朝から晩までバイトに明け暮れる。
勉強するために学校に入ってもお金がなくてバイトとなれば、勉強する時間がなくなってしまうのです。
勉強するために学校に行っているのか、アルバイトをするために学校に行っているのかわからなくなります。
この当たり前の事実に気づかないと、貴重な学生時代があってないようなものになります。
才能を磨くために思いきり勉強したければ、親の援助をありがたく頂くのが近道です。
たしかに喜ばれる方法ではありません。
ですが、学生時代を生かしきるには、アルバイトに明け暮れている場合ではないのです。
仕事は社会人になってからやればいいことです。
一度社会に出てからでは、今度は勉強する時間を捻出することが難しくなります。
親は、あなたが一生懸命に勉強をしてくれることを願って、お金を出してくれます。
子どもが好きなことを勉強し、将来はそれを生かした仕事に就いて稼いでくれるよう願っています。
親は、子どもに一時的に投資をしていると考えているからこそ、すねをかじらせてくれているのです。
学生時代の貴重さは、若い時期にはわかりにくいですが、学校を卒業してから気づきます。
そうなってしまってからでは遅いのです。
人生の中でも親からの援助があり、自分の勉強が思う存分できる時期は、この時期しかないのです。
一度社会人になってから、勉強するだけの時間をまとめてとろうと思うと、大変です。
仕事があるため、時間に限りがあります。
仕事が終わってから勉強をしようと思っても、勉強するだけの元気がありません。
学生時代は、勉強をするためのゴールデンタイムです。
この時期にどれだけ才能を磨いておくかで、後の人生が決まるのです。
お金を使うことは「投資」「浪費」「必要経費」の3種類があります。
「必要経費」は、ご存じのとおり家賃や食費、光熱費といった生活費です。
最低限の生活を営んでいくうえでどうしても欠かせない費用であり、これは生きていくうえで必要な費用です。
一方で「浪費」という使い方があります。
お金の使い方が下手な人に共通することは、常に「浪費の癖」があり、そのため何の蓄積もないことです。
水のようにお金を使い、ざるのように何も残らないのです。
たとえば、ギャンブルにお金を使い込んでしまうことです。
ギャンブルは、負けやすいようにできていますから、大金持ちになることはできません。
それが才能につながる能力になるかというと、そうでもありません。
短い時間の間に大金がはじけ飛んでしまい、そのうえ自分の中に何かが残るかというと、悔しい思い出以外何も残りません。
ギャンブルを始めたころはよく当たりを出し「これならいける」と思います。
パチンコ開店日には、罠があります。
開店当日に客が押し寄せることを予想し、店はわざと当たりを出やすいようにパチンコ台を設定します。
特に開店当日は、最も玉が出やすいように設定します。
パチンコ開店日は、玉が出やすく当たりやすいのです。
客は「ビギナーズラックだ!」「今日はついている!」「この店は玉が出やすい!」と浮かれ、店側の罠にはまっているのです。
開店から日数が経てば、また設定を元に戻します。
一方で「この店は玉が出やすい」と思い込んだ客が押し寄せ、損をさせるようにしているのです。
ギャンブルを本格的にやり始めると、ビギナーズラックの快感が忘れられず、お金を費やしてしまうことになるのです。
時間とお金の浪費以外、何でもありません。
ギャンブルは人間心理を突いた、うまい金儲けの仕組みなのです。
3つ目には「投資」というお金の使い方があります。
自分の中に「財産」が残るような使い方のことです。
自分の中に残る財産とは、知識や知恵、経験や失敗を言います。
これらの心の財産は、そのときかぎりのものではなく今後の一生にわたってずっと使い続けることのできるものです。
自分の才能を伸ばすために使われるお金はすべて「自己投資」と考えましょう。
その蓄積は将来の自分の大きな武器と変わり、元手より大きなお金を取り戻すことができるようになります。
才能を磨くためのお金とは、こうしたことに使われるお金のことを言います。
この部分にどれだけお金を使って、自分を磨くかで、能力が変わり、品が変わり、将来が変わってきます。
生活の中で唯一大きなリターンを期待できる、有意義な使い方なのです。
失敗経験も、れっきとした財産です。
早いうちに失敗をしておくことも、若いうちにしておくことの1つです。
若い時期の失敗は、比較的小さな痛みで済み、立ち直りも早くできます。
そのうえ、自分の弱いところを知ることができ、今後の対策を立てられるようになります。
得られるノウハウは、成功体験より失敗体験のほうが、たくさんあります。
大切なのは「なぜ成功したのか」より「なぜ失敗したのか」という考え方です。
失敗から学ぶ姿勢を持つほうが、自分の悪い点を見つけやすくなります。
たとえば、私には失恋の経験が何度かあります。
初めての失恋の経験は、中学2年のころでした。
当時付き合っていた人と、友人の女の子から「別れたいらしいよ」という遠回りをしたアプローチで恋が終わりました。
初めての経験で落ち込みはしましたが、大金を失ったわけでもなければ、顔を叩かれたわけでもありません。
小さな心の傷だけで終わりました。
肉体的にも精神的にも金銭的にも、若い時期は小さな痛みで済ませやすくなります。
元気が有り余っているので行動力もあり、次への行動も早くなります。
失恋を経験して「なぜそうなったのか。どこがいけなかったのか」と、具体的に考えられるようになりました。
実際に体験した失恋は、テレビドラマだけでは得られない、本当の苦しさが味わえます。
早い時期に涙する経験がありましたが、早くに具体的に考えることができるようになったということです。
失敗ごとは、できるだけ早いうちに経験しておくほうが、あとから差が出てきます。
生きた知恵の豊富さや慣れの度合い、免疫の強さといい、どれをとっても有利になれるからです。
したくないという経験ほど、人生の早めのうちにしておくことです。
ワインのように、後になるほど失敗経験には味が出てくるようになり、差が大きく開くのです。
失敗を恐れていると、いつもびくびくしてしまいます。
私は何度か失恋を経験したおかげで、失恋には以前ほどびくびくしなくなりました。
「一度も経験したことがない」という状態と「一度でも経験したことがある」という状態では、大きな開きがあります。
一度でも経験しておくと、どのような気持ちになり、心理状態になるのかを考えることができるようになるため、免疫ができます。
必要な失敗ほど、避けるのではなく、今からでも経験することです。
人生の中で一度は経験するであろうことは、早めに体験して痛みを味わい、二度目が起こらないように次へと生かしておくことです。
失敗は、早めにしておかないといけないのです。
才能の開花には、量で勝負するのがいちばんです。
世間では、2つの言葉が飛び交っています。
「量が大切」と「質が大切」です。
どちらも大切に聞こえます。
最終的に才能として大切なことは「質」になります。
しかし、考えてみると当然のことですが、最初から高い質を得ている人はいません。
最初は質が低く、うまくやることさえままなりません。
高い質を持っている人は、過去に圧倒的な量をこなしたという経緯があります。
職人にも、スポーツ選手にも、芸術家にも言えることです。
たくさんの量をこなして経験を積んだからこそ、初めて得られる感覚があります。
「慣れ」といったものです。
慣れこそが、質へと変わるのです。
質の正体は、慣れです。
慣れの正体は、圧倒的な量というわけです。
「質を得たい」「才能を開花させたい」と願うなら、質へ真っ先に飛びつくのではなく、量をこなそうと考えればいいのです。
たくさんの量をこなしていれば、必ず「慣れ」が出てきて、いつの間にか質へと変わります。
量は慣れへと転化し、慣れは質へと転化していくのです。
オリンピックの金メダリストのほとんどは、早い幼少時期から経験を始めています。
いちばん早い時期から始め、いちばん量をこなした人が、表彰台に上がっているのです。
早い時期から始めたので必然的に練習量が増え、当然のごとくほかの人より早く慣れ、質を圧倒させていったのです。
勉強も同じく早い時期から始めていると、頭が勉強に慣れてくるようになり、うまく考えることができるようになります。
「飲み込みが早い」という言葉を聞いたことはありませんか。
これは頭が冴えている人によく使われる言葉です。
初めから頭がよくて飲み込みがいいのではありません。
たくさんの勉強をした経験から、頭の中に入っている情報の1つに当てはめて考えているため、飲み込みが早いだけです。
知識の多い人は、いろいろな物事に関連づけて覚えられるため、飲み込みも早くなります。
「飲み込みが早い」の正体も、たくさんの勉強量をこなした結果にすぎません。
世の中にあるほとんどすべての「質」は、その手前に圧倒的な「量」が存在しています。
質のためにあれやこれやとつべこべ考えず、ばか正直にただ量をこなしていけばいいのです。
常に量を土台にすれば、いつの間にかあとから質がついてくるのです。
才能は常に自分が発揮するものであり、他人が発揮するものではありません。
自分の中に眠る能力を引き伸ばしていくためには、その答えも自分の中にあると考えましょう。
自分のスタイルは個性を引き出し、能力を最大限に発揮できるようになるためのキーポイントです。
他人と自分の方法のどちらがいいのかといえば、必ず自分の方法のほうが自分には合っているのです。
ほかの人は「この方法のほうがいい」「あの方法のほうがいい」と聞いてもいないアドバイスを始めます。
たしかに中には参考になる方法もあります。
一度話を聞いて「これはいい!」と思えば自分の中に取り込み「自分には合わないな」と思ったときには不採用にすればいいのです。
とにかく自分なりの方法を見つけ「自分スタイル」を確立することです。
他人の話は参考程度にとどめ、最終的な決定と行動は、すべて自分でやっていくのです。
そうしなければ「個性」を発揮できないからです。
私はいつも作業をするときには「自分のスタイル」を土台にして考えるようにしています。
時間的に短縮できたり、ストレスが少しで済んだりする方法などありますが、私は「自分に合ったスタイル」を優先しています。
自分のスタイルにあっていなければ体が拒否反応を起こし、なかなか行動しづらくなります。
たとえばもともと私は、体を動かすのが速く、そのため行動も同じく速めになっています。
生まれつきの性格で、普段からスピードを出してしまうのです。
小学校中学校では特に努力をしてもいないのに校内でいちばん走るのが速く、キーボードを打つ速さも速めです。
話す速さも早口口調で、HAPPY LIFESTYLEの文章も速さ重視で書いています。
この性格のために友人とすれ違うこともしばしばです。
友人からは「せっかち」とよく言われます。
約束をするときも「いつにする?」という話になれば、つい私は「今から」と言ってしまいます。
友人はそれを聞いて「それはちょっと……」と眉をひそめ、乗り気ではありません。
私としては「今からがいちばんいい」と、本当に心からそう思っているので言っているだけです。
友人はどうしても1週間後のほうがいいと言いますから「じゃあ、1週間後ね」と仕方なく言い、その場を立ち去ります。
時は経ち、実際に1週間後になると、私の気持ちは案の定、当の昔に冷めてしまっていてやる気が起きません。
うすうす私はこの状態になるだろうと予感していましたが、実際にそのとおりになってしまいました。
友人にはちょうどいい気分になっているようですが、一方で私は白けてしまっているのです。
こうしたすれ違いを何度も経験していくと「自分らしく動くには1人がいちばん。最も自分を発揮できる」と思ったものです。
人によって性格も違い、当然方法もスタイルも変わってきます。
私は文章を書くのも速いのですが、正確さより速さ優先で書いています。
というより、元から備わった性格上、速さ優先でしか書けないからです。
約束の例と同じように、時間がたってゆっくりやってしまうと、気持ちが覚めてしまい文章が書けなくなります。
何を書こうとしているのか、忘れてしまうときだってあります。
ときどきお客さまから誤字脱字が多いという指摘を受けます。
たしかに書くスピードを上げているので字の間違いはあります。
しかし、書くスピードを遅くしてしまうと、書きたいモチベーションが下がってしまうのです。
誤字脱字のチェックどころか、書きたい気持ちが消えてしまうのです。
そこで、自分の方法を貫くことにしました。
それがいちばん私らしい能力を発揮できるからです。
自分にはこの方法が最も自分に合っていて、実際にそうしているから最大限に能力を発揮できているのです。
スタイルは、10人いれば10とおりあり、あなたにも独自のスタイルがあります。
私がここに書いているたくさんの話も、すべてを丸飲みにするのではなく「参考」にしましょう。
「そうだな」と思うことがあればまるごと吸収すればいいし「自分には合わないな」と思うことがあれば無視すればいいのです。
「遅いほうが自分に合っているからいい」と言う人もいれば「のんびりやるのが自分に合っている」と言う人もいるでしょう。
誰かの言いなりになり、ほかの人の言葉に流されるのではなく、自分の方法で進めていくことです。
「自分スタイル」を早く見つけておきましょう。
「朝が弱い」「覚えるのが得意」「怒りっぽい」など、自分の性格を知り、自分に合った方法を早めに見つけるだけでいいのです。
自分に合った方法が、いちばん個性を発揮でき、最大限に才能を発揮できるのです。
欲の塊である人間は、行動するときには人からどう見られるかをつい考えます。
「かっこよく思われるか」
「尊敬されるか」
「褒められるべきことか」
「正しい行為か」
「おかしくないか」
自分のことですから自分を基準にしてやればいいものを、人目を一生懸命に気にしてしまっているのです。
周りの目を気にしてしまうことは「制限」であり「脱線」を意味します。
周りを気にしながらの状態では、やりたいことをやるための「制限」となり、力を100%発揮できなくなります。
他人から、なんと言われようがそれを貫いたときに、初めて大きなことを達成できます。
空中飛行を世界で初めて実現させたライト兄弟は、飛行機の生みの親とされています。
世界で始めて作ったのですから当時は大変、注目されたと思われがちですが、成功した後のことです。
成功する前のことは、伝記には書かれておらず省かれているのですが、当時は変人扱いされていました。
まだ飛行機がなかった時代です。
「空を飛ぶ乗り物などできるわけがない」とライト兄弟の考えを笑っていたのです。
「空を飛ぶものをつくるなど、悪魔でもつくり出すつもりか」という非難もありました。
協力者も少なく、周りから「おかしなことを考えるんじゃない」とひどいことを言われていたのです。
それでもライト兄弟は「必ずつくる!」という一心で周りの人の言葉を気にせず飛行機づくりに打ち込みました。
貫いたわけです。
やがてその成果が報われ、実際に空中飛行をする飛行機をつくり上げてしまいます。
周りの人の言葉を本当に信じていれば、モチベーションは下がり、自信が持てなくなります。
大きなことを成し遂げようとすればするほど、周りからひどい言葉を浴びせられることになります。
しかし、それは、今までにない新しくて大きなことを実現させようとしているからこそ飛んでくる言葉なのです。
行っていることが壮大であることには変わりないのです。
周りを信じるのではありません。
自分を信じるのです。
自分の行っていることを信じ、空に浮かぶ曇り空のように、貫いたときに明るい光があるのです。
才能を磨くために、3年くらいは捨ててください。
人生の中で人目を気にせず、何か1つのことに一心不乱に打ち込んだ経験があるかないかで、後の人生に大きな差が出てきます。
花を咲かせるには時間がかかるように、才能を大きくさせていくときにも時間がかかるものです。
特に最初の時期が大変です。
花では、タネを植えて最初の芽が出るまでに、長い時間がかかります。
なかなか芽が出ず「やっぱりダメかな」と思ったときに、小さな芽が出てきます。
しかし、芽が出てきてからが本当に大切な時期です。
水の量や日光の当て具合、風で倒れないように補強するというふうに、気にすることがさらにたくさん出てきます。
手間も暇もかかってしまうのです。
才能も同じように、タネを植えて今すぐぱっと出るわけではありません。
ある程度にまで大きくさせるためには、それこそ始めの時期には膨大な努力と時間がかかります。
「将来はこれで食べていく」
「これを自分の武器にしたい」
どれだけ才能に打ち込んだ経験があるかで、大きさが決まります。
自分の「これだ!」と思う才能に、3年くらい捨ててしまう勇気を持つことです。
適当にチョコチョコとやっていたのでは、実際の花と同じように中途半端な成長で終わってしまいます。
英語を勉強するならアメリカに行って3年間は徹底的に勉強する。
料理の勉強をしたければ、3年間はそれだけに打ち込み集中する。
漫才師になりたければ、できるだけ早く弟子になります。
最初の3年間は、師匠のすべての技を、徹底的に吸収していく。
集中して勉強する時期があれば、短期間に能力が伸びていくのです。
このように自分の才能磨きのためには「徹底的」を「最低3年」は続けないといけないのです。
人生とは、あなたが将来どのような道に歩みたいのかを試すように、うまくできています。
本当に才能へ打ち込むべき時期に限って、いちばん遊びたい時期と重なるからです。
「もっと恋愛したい、合コンしたい、カラオケがしたい、旅行に行きたい」
そう思う時期ほど、勉強するべき時期と重なり、一方を選択する決断が必要です。
遊べば勉強はできません。
だからとはいえ勉強していると遊べません。
中途半端に両方していると、どちらも中途半端で終わります。
体力も元気もやる気もある若い限られた時間に、あなたがどちらを選ぶかで将来が決まるように、人生の行方が変わるのです。
若い時期はあなたのゴールデンタイムです。
その時期の3年間は、40代や50代になってからの3年間と比べて、重みが全然違うのです。
「我慢します」と言うと「偉い! すごい!」と言われるのが日本人です。
日本人は「我慢」という言葉に美意識を持っているようで、我慢をすることが偉いことだと思っています。
しかし、実際の我慢は偉くもなんともなく、ただストレスがたまるだけで何の役にも立ちません。
むしろストレスや恨み、憎しみやいらいらがたまってしまうだけで、元気が失われてしまう避けておきたいことの1つです。
なぜダイエットがいつも失敗してしまうのかというと、我慢になっているからです。
無理やり自分を抑えて、我慢を重ね体重が減ったところで、本人がやつれて表情が悪くなれば、意味がありません。
モテたくてダイエットに挑戦した女性が、逆にやつれてモテなくなる現象です。
嫌いなことを我慢して無理をしていても、将来の武器になるかというとそうはなりません。
我慢をせざるを得ない状況にアレルギーができ、そんなことをさせている人も一緒に嫌いになります。
我慢をして才能が伸びることはありません。
我慢が蓄積につながりはしません。
むしろ不幸の連続となってしまうだけです。
「無理をする、我慢をする」をしていると周りからは「すごいね、偉いね」なんて言われるかもしれません。
しかし、そうした言葉に乗せられてむやみに我慢を続けても、大きなことは達成できないでしょう。
精神的苦痛は、その人の性格を歪ませ、不幸になり、表情も人生も悪くなってしまうだけです。
我慢を美化しすぎないことです。
才能を発揮させるためには、できるだけ早く自分の模範となるような人物に出会い、徹底的に真似をすることです。
頭のてっぺんから足のつま先まで、すべてを心底信じきれる尊敬できる手本に出会えるかどうかで、才能の行方も変わってきます。
手本というのは、言い換えればつまり「本物」ということです。
生半可の中途半端な偽物とは違い、本物には「見習うべきところ」が数多く存在します。
そのうえ、質が上等です。
自分が尊敬する上司がいた場合、その人の仕事の仕方や態度、接し方、話し方、生活習慣まで、徹底的に真似をするのです。
人間は1からすべてをやろうとすると、膨大な労力と時間がかかります。
しかし、真似をするだけなら、どうすればいいのかがわかるので、短い時間で習得しやすくなります。
人間はもともと、真似をすることが得意な生き物です。
仕事ができる上司を手本として、真似させてもらいましょう。
必ず、あなたも同じように仕事ができるようになります。
人との接し方が上手なマナーを手本にすれば、あなたも人と接するのが上手になるでしょう。
仕事ができる人を手本にすれば、あなたも仕事ができるようになるに違いありません。
手本となる人物が「本物」であるほど、あなたが得るであろう要素も多くなり、また中身の濃いエッセンスとなるのです。
これがもし、偽物ならどうでしょうか。
だらしない中途半端な人の真似をしてしまえば、真似をしたところであなたも同じように中途半端でだらしなくなります。
だらしない親に育てられた子どもも同じくだらしなくなってしまうように、子どもは無意識に親の真似をしています。
「カエルの子はカエル」になってしまうのです。
自分で「この人は本物だ!」という尊敬できる人物をたくさんの人の中から選び出し、一度選んだら徹底的に真似をするのです。
尊敬できる人のオーラに引っ張られ、あなたも一緒にレベルアップができるのです。
手本となる尊敬できる人物を見つけ出し、真似ることに対してもっと積極的になることです。
それが成長の近道なのです。
人には、長所と短所の2つがあります。
日本には「長所を伸ばすこと」より「短所を穴埋めすること」に力を注ぐ教育がいまだに根強く残っています。
平均的が大好きな日本人は、一部分が突出していることに違和感を抱いてしまいます。
それよりできるだけすべてを同じように平均的にしたがる傾向があります。
「出る杭は打たれる」という環境があるのです。
私も小学生だったころ、当時担任だった先生にこういうことを言われたことがあります。
「先生、算数で95点取ったよ。見て見て」
すると先生はこう言いました。
「算数はもういい。それより国語の30点をなんとかしなさい」
これを聞いた私は、喜んでいたのに、落胆してしまったわけです。
自分の得意だったところを見て褒めてもらいたかったのに「できるところ」より「できないところ」を強調されたのです。
長所をもっと伸ばせばいいものの、そんな時間があるなら短所を穴埋めすることに努力を注ぐような教育でした。
こうした教育は、私だけに限らず皆さんも同じように経験したことがあるのではないでしょうか。
長所を伸ばすのではなく、短所を穴埋めする教育です。
学校では一教科が100点で残りは30点という偏った状態は悪いことだとされています。
学校では、偏ることそのものに良い印象を持ってもらえません。
「100点取ってしまうような教科はもう勉強しなくていいから、ほかをなんとかしなさい」
良い点を取っても、悪い点を強調され、逆に叱られるのです。
これが日本には平均的な人が多く、一方で1つのことに突出した専門家が少ない理由です。
社会に出ると、何でもできる人は選ばれにくく、1つのことに突出した専門家のほうが必ず才能を発揮できる共通点があります。
テレビに出ているスポーツ有名選手は、常に1つのことに才能を発揮させたスペシャリストたちばかりです。
2つのことを同時に成し遂げようとすると、時間も努力も倍以上かかります。
結果として、スペシャリストにはなれないからです。
2つのことに手を出すと、結果も2分の1で終わってしまいます。
何でもうまくやろうとすると、すべてが中途半端で終わってしまうのです。
過去の偉人を振り返っても、才能を1つに絞って発揮させた人ばかりです。
「あれもこれも手をつける人は、才能を発揮できない」という法則があります。
エジソンが発明で偉業を成し遂げられたのも、発明に集中して才能を発揮したからです。
もし発明をしながら別のことにも力を注いで世界一を目指していたなら、大発明を成し遂げられなかったでしょう。
多くのことに着手していると、集中が分散され、結果が半減します。
アインシュタインが特殊相対性理論を発表し有名になれたことも、物理学というテーマ1本に絞り、勉強をしていたからです。
物理学をやりながら棒高跳びに精を出し、棒高跳びのスペシャリストを目指していたならば、相対性理論は完成しなかったでしょう。
時間に余裕がなくなるからです。
フランスの昆虫学者ファーブルも、昆虫の研究に専念したから『ファーブル昆虫記』を完成できた。
もし虫の研究をしながら小説家も目指して努力していたなら、どちらも中途半端になります。
大きな才能を発揮できるポイントとは、自分が得意とするテーマ1つに絞って、それにすべてを投資することです。
有名人の共通点は、何か1つを極めている点です。
一点豪華主義者なのです。
行動を起こすとき、リスクとリターンがつきものです。
リターンを考えるときはリスクを考えなければいけませんし、リスクを考えるときもリターンを考えないわけにはいきません。
複雑そうに見えるこの2つも、シンプルに考えればいいだけのことです。
「リスクとリターンを数字に置き換え、リターンのほうが大きいなら迷わずやればいい」
ただこれだけのことです。
10回やって1回しか成功しないという確率であるとします。
10回に1回の成功が、9回分の失敗より大きなリターンであるならば、結果として得になるのですから迷うことはないのです。
たとえば営業です。
営業ではほとんどの訪問先で断られます。
中には「二度と来るな」と怒鳴られたり「厚かましい」と罵声を浴びたりすることもあります。
100件回っても、99件は断られるかもしれません。
だからとはいえ命までとられるわけでもないため、リスクは小さいものです。
99回の失敗があっても、1回の成功というリターンのほうが大きいですから、行動するのみという判断になります。
単純に行動量を増やして数を増やせば増やすほど、成功できるわけです。
リスクが小さくて見返りが大きいことをしていけば、自然と成功していくのです。
人間には5段階の欲求があるといわれています。
心理学者マズローの「マズローの5段階欲求説」によると、人間には5種類の欲求があり、段階的になっているとされています。
具体的にその5段階の欲求とは、次のようなものになります。
このように5種類の欲求があり、それぞれが順を追って段階的になっています。
最も特徴的なのは「前の段階の欲求を満たされていなければ、次の段階へと進めない」という点です。
たとえば、安全欲求にステップアップするには、まず「生理的欲求」が満たされていなければなりません。
食べるものに困り、死にそうなときには「安全」という欲求より食べて生き延びるための「生存」欲求が優先されます。
自分の命に困らず、十分な食料と睡眠を取ることができて、初めて「生存」が保障され、次に「安全」を求めるようになるのです。
安全を確保したい欲求が働くということは、すでに生存が保障されているということです。
この欲求は常に段階的であることを覚えておきましょう。
もし、あなたが今「愛情」を求めるということは、すでに「生存」と「安全」が満たされているということです。
「人から認められたい」「すごいと言われたい」と承認欲求があることは、生存・安全・愛情が満たされている証拠です。
最後の5段階目の実現欲求は最後の段階であり、この欲求が働くということは、前提の4段階をクリアしているということです。
もし「今は夢を叶えるどころではない」と思うなら、その前の段階のどこかでつまずいているということです。
こう考えることで、少なからず原因が見つけやすくなります。
「努力、辛抱、我慢、踏ん張り、耐える」
こうした言葉には悲しくも勇ましい様子が漂い、明るい印象がありません。
いかにも眉間にしわを寄せ、しかめ面でやっている姿が想像できます。
好きでもないことをいやいやさせられているときに、起こる現象です。
ましてや嫌いなことを我慢して好きになった、という話は聞いたことがありません。
嫌いなことを我慢してやっていても嫌いになってしまうだけで、多少の力は付いてもやめてしまえば無駄になってしまうのです。
好きでしていることしか長続きせず、楽しんでやっているときに本当の実力が身につきます。
脳がもっと欲するようになり、引き寄せる力が強くなるため、身につきやすくなるのです。
常に実力は、自分が心から楽しんでいるときに蓄積され、身につくものなのです。
もし自分の中に「努力、辛抱、我慢、踏ん張り、耐える」という言葉が浮かんできたら要注意です。
それは「生活を見直しなさい」という脳からの警告です。
私はいつも我慢しないように文章を書いて、サイトをつくるようにしています。
理由は単純で、自分が嫌がることをやっても楽しくも面白くもないからです。
疲れたらやめるし、やる気が出ないときには素直にやりません。
できるだけ「もっと楽しく、もっと面白く」なるような生活スタイルを考えて、実行するようにしています。
そのほうが自分にとって居心地がよく、より楽しく感じられるからです。
楽しいなと感じればもっとやりたいと思うようになり、結果として長続きし、力が蓄積されていくのです。
実力をつけるためには、基本に沿ってやることです。
基本を忘れていては、できることもできなくなります。
そんな大切な基本の1つに「小さく始めて、あとから大きく」ということが挙げられます。
いきなり始めから大きなことをどんとしてしまうと、挫折する可能性が高くなります。
筋力を鍛えるときに、20キロものバーベルをいきなりもって鍛えると、すぐ体を痛めてしまいます。
大きなバーベルのほうが早く鍛えられそうな気がしますが、逆に体を壊してしまうのです。
まずは、たった3キロのバーベルでもいいため、小さくて軽いものからやって確実に力をつけていくことが基本です。
確実に筋肉が付いてから、次にもう少し重たいバーベルに手をつけ、だんだん負荷を大きくしていくのです。
この方法は、筋肉を鍛えるだけの話だけではなく、学力や実力、能力といった「力」が付くことにはすべて当てはまります。
学力でも、小学生1年生に微分積分を教えてもちんぷんかんぷんです。
数学の前には算数をやる必要があり、まずは足し算引き算ができてから、掛け算割り算という「正しい順番」があるのです。
始めは小さく、あとから大きくしていきましょう。
この順番を間違えないだけで、確実に力をつけていくことができるのです。
習慣によって得られる影響には大きなものがあります。
無意識に体が動いてしまう習慣には、本人は気づいておらず、努力もしていないのに同じ動作を繰り返してしまいます。
そんな習慣は、できるだけ素晴らしいものであってほしいものです。
食生活の偏りによる病「生活習慣病」という病気があります。
甘いものばかり食べ、運動不足。
そのうえ、肉類ばかりを食べ、野菜を避けてしまう習慣。
このように食や生活に大きな偏りがある習慣によって引き起こされる病気です。
私の祖母も(父方の母)、糖尿病でした。
私が小さいころからよく甘いものを食べていて、チョコレートやお菓子が大好きでした。
よく甘いものばかり食べていましたから、一緒にいる私もつられて、よく甘いものを食べていたものです。
祖母が糖尿病になってから、習慣の影響力を痛感しました。
習慣をどんなものにしておくかで、人生の行方まで変えてしまう小さいながらも大きな影響力を持った癖なのです。
習慣の組み合わせは、重要です。
なかなか習慣付けようとしても長期間にわたる習慣はなかなか身につくものではありません。
しかし、ここに誰でも簡単に始められる夢を実現できる習慣があります。
「夢を書いた紙を壁に貼る」ということです。
なぜこれが習慣の1つになるのかというと、朝起きて壁を見れば目標が書かれた紙を眺める習慣が身につくからです。
自分の部屋の壁は、見てしまいます。
起きたときや寝るときなど部屋に入るたびに、目に飛び込んできて、避けることはできません。
努力を必要とせず、かつ習慣的であり効果の大きな方法です。
どんなに怠けものの人間でも、これなら習慣にできます。
紙に自分の目標や夢を書くだけなら、子どもでも簡単にできてしまいます。
特別に難しいことでも何でもありません。
毎朝起きて目に飛び込んできて、家に帰ったときにも目に飛び込んできます。
れっきとした習慣になってしまう、とっておきの方法なのです。
私ももちろん、この習慣を大活用しています。
自分が得た教訓や気をつけないといけないことは紙に書いて壁に貼っています。
最近壁に貼っている教訓としては「お金がかからず効果の大きいことをしよう」があります。
以前私は、大金を使ったにもかかわらず効果の小さいことを経験しました。
その一方でお金はほとんど必要ないにもかかわらず効果の大きいことを経験したことがありました。
「お金の量に比例して、効果が得られるわけではないのだな」と強く実感し、忘れないうちに書きとめた教訓の1つです。
ほかにも生活上、ふと思いついたことや気づいたことは紙に書いて、壁に貼るようにしています。
「買い物リスト」から「1日のToDoリスト」など、頭の中にため込まず、紙に書き出しては壁に貼るようにしています。
実際そうするようになってから、極端に私は物忘れが減りました。
紙に書いているので私が覚える必要がなく、個人の記憶力はまったく関係ありません。
壁に貼っているため、毎日視界に入ります。
うっかり忘れることがないため習慣になるのです。
私は小さいころからエジソンが大好きで、彼の伝記は読み干してきました。
伝記には「~を発明した。~も発明した」としか書かれていませんが、一つひとつの発明の背景には膨大な失敗の量が隠れています。
1つの発明には、とんでもない量の失敗があり、そうしてようやくつかみ取った成功なのです。
特に有名な話は、白熱電球を完成させる前の失敗談です。
エジソンは、白熱電球を発明する前には、およそ5,000回もの失敗を繰り返していました。
エジソンが、成功するために5,000回もの失敗を続けることができたのかというと、失敗も1つの前進と考えていたからです。
たとえできなかった結果でも、立派な1つの成果です。
やってみてできなかったことがわかれば「できない」という結果が得られます。
やってみないことにはわからない、具体的なデータを手に入れられないのです。
諦めてしまう人はできなかったときに「もうダメだ」とため息をつきます。
しかし、成功する人は「できないと言うことがわかった」と前向きに考え、前進と考える習慣を持っているのです。
夢を果たせないいちばんの原因は「諦めてしまうこと」です。
諦めたときに、すべてが止まってしまいます。
どんなに実力があっても、目標が達成できずに諦めてしまえば、そこでThe Endになります。
自分の才能を発揮できる人に共通していることは「成功し続けるまでやり続ける」という「習慣」です。
「1回やってみてダメだったからやめよう」と思うのではなく「1回しかやっていないからまだうまくいかないんだ」と考えます。
10回やってもうまくいかなければ「じゃあ、100回やってみよう」と考えます。
うまくいくまで、ただ諦めることなくやり続けてしまえばいいのです。
さあここで、あなたはきっとこう思ったのではないでしょうか。
「そんなこと言ったって、いつまでも結果が出ないのにやり続けられるわけがないだろう」
当然、結果が出ないのに普通の人はいつまでも我慢してやり続けることができません。
自分が前に進んでいるかどうかもわからないスランプのような状態が延々と続いていると、さじを投げたくなるのも当然です。
結果が出ないからやめてしまおうと思うことは、つまりあなたが目指す才能ではないということです。
「隠れた才能を見つけるコツ!」の最初にお話ししたとおり、才能の正体は「好き」という感情です。
本当に心から好きだと感じることは、結果などどうでもよくなります。
ただそれをやっているだけで楽しく、充実できることです。
本当は結果が出なくても、ただそれをしているだけで幸せになれる、もっとやっていたいなと思うものなのです。
「結果が出ないからもうやめた」と言う人は、楽しいからやっている人ではありません。
好きだからやっているわけではなく、実は結果が前提でやっているという考えを持っていたということなのです。
いずれ長続きしないのも時間の問題です。
「結果が出ないのにもかかわらず、それでもやり続けられるか」
ここが「続けられる人」とそうでない人の、分かれ道なのです。
結果が出ないのにやり続けるほどの「好き」を、人生の中でいかに早く見つけ、熱心に打ち込むかが才能を開かせるポイントです。
才能を発揮できるか否かは「親が子に、どのような教育をしていくかで決まる」と言っても過言ではありません。
鳥籠のように保護された環境では、子どもは外へ出て、戦うことのできる強さを身につけることができません。
つまり、過保護の環境では、子どもは自由な行動ができないのです。
才能があっても、発揮できる場所や機会を親に奪われるのでは意味がありません。
過保護であったり、禁止事項が多かったり、失敗をしても許してもらえなかったりする親では、子どももやる気が出ません。
親からの干渉をできるだけ避けるために「いい子ちゃん」として振る舞い「おとなしくしていよう」と思います。
できるだけ親は、子どもを過保護にさせないことです。
子どもがやりたいということに多少の危険があっても、本人の意思を尊重して経験させてあげましょう。
あえて、けがをさせてあげる優しさを持つことです。
けがをする経験も、子どもには貴重な勉強です。
もしあなたが子ども側であり、親の過保護に悩んでいるなら、一度親から離れる決断をおすすめします。
具体的に言えば「一人暮らし」をしてみるということです。
自分でお金を稼いで、自分で部屋を探し、食べるものや着るものも全部自分で責任を持ち、自分の力でコントロールしていくのです。
一見つらいと感じても、自由が経験できたり経験をよく吸収できたりするため、成長が飛躍的にアップします。
お金の使い方、時間の使い方、生活の仕方など、自己管理能力を磨く機会になります。
「氷山の一角」という言葉があります。
「海に浮かぶ氷山の小さな頭は、山の頂上の部分でしかなく、水面下にはさらに大きな氷がある」という意味です。
わかりやすく言うと、以下のような図になります。
*~~~~~~~~~ 海面
***
*******
*********** ← 氷
***************
********************
――――――――――
海面に浮かんだ頭は、ほんのわずかでしかありません。
しかし、その頭は、巨大な山のてっぺんでしかないのです。
いくら海面に出た頭が小さな氷の塊でも、その下には大きく巨大な氷があります。
成長というテーマも、この氷山の一角と同じです。
成長というのは普段はなかなか生活の中には表れず、しているのかどうなのかわからないことがほとんどです。
たとえば経験です。
「経験が大切」とは言いますが、具体的に経験がどう役立っているのかは、すぐはわかりません。
経験しても、すぐ役立つということはまれです。
ほとんどが無駄な経験と思えるようなことばかりです。
「経験を生かす」とは、たくさんの経験の蓄積が、ほんの一部が生活の表面に少し顔を出すことです。
その顔が大きければ大きいほど、その下には膨大な経験が隠れています。
幅広くて奥深い経験を積めば、それだけ山が大きくなり、揺るぎない土台が出来上がります。
隠れている部分が大きくて、多ければ多いほど、それだけ土台がしっかりしているということなのです。
私は今、HAPPY LIFESTYLEを運営しながら、普段の仕事もしています。
普段の仕事もIT関係の仕事ですが、ほとんどがHAPPY LIFESTYLEとは無関係で意味がないようなことばかりです。
資料をチェックしたり、手順書を作成したり、オペレーターをしたりと、関係がなく無駄な時間と努力をしているように思えます。
しかし、こうした経験をどれだけしておくかで、その氷山の一角が変わってきます。
しっかりした氷山の一角をつくるためには、巨大で膨大な量の経験の山が必要です。
私が書いている文章は氷山の一角で、その下には仕事上で経験する数多くの無駄な経験が蓄積され、土台になっています。
仕事を通して身についたことやわかったこと、経験できたことを生かし、HAPPY LIFESTYLEをつくっているのです。
無駄を侮辱する人は、大きな山をつくれない人です。
いざというときに役立つ力を発揮できるのは、普段は無駄と思える経験ばかりなのです。
世間では「努力」というのも1つの才能だといわれています。
自分の才能を信じ、日々努力を怠らず精進できるという姿勢も才能の1つだと言われますが、その真相はちょっと違います。
本当のところ、好きなことをテーマにしていれば、努力せずとも努力してしまうのが現実です。
ほとんどの場合「好きなことをやっているから続けて努力できた」のです。
もし嫌いなことで力をつけようと思うと、大変な無理が生じます。
初めからやる気も出ないし、やっていても何の充実感も得られない。
つまらないし面白くないことを、努力して続けても精神的に耐えられません。
いずれたまりにたまったストレスが爆発し、発狂気味に「もう嫌だ!」とさじを投げてしまうわけです。
努力というのは才能ではありません。
努力とは、好きなことをやっていれば自然と身につくことです。
努力せずとも、うっかり努力をせずにはいられない姿勢があるかどうかで、本当に自分の好きなことなのかどうかが判断できます。
才能とは、本人が好きで楽しくしていることが長続きし、蓄積として力となっていくことです。
私も同じく、このサイトをつくることは好きでしていることです。
うっかり熱が入ってしまっています。
努力もしているのでしょうが、私にはどちらかというと「遊んでいる」という感覚です。
子どもがテレビゲームを何時間もしていることが努力ではなくて遊んでいる感覚であるように、私も好きで遊んでいるわけなのです。
他人から見れば、努力として見えるかもしれませんね。
私としては「どれくらい遊びに深くのめり込むか。追求できるか」というゲームを、長々と楽しんでいるわけなのです。
バッティングセンターに通う少年がいます。
バッティングセンターに通う人の共通点は、野球がうまいことです。
バッティングセンターでは、お金が必要です。
誰かにボールを投げてもらい、バットで打っていればお金もかからないし、バッティングセンターまで行く必要もありません。
しかし、自宅や学校でも練習だけでは満足できず、わざわざバッティングセンターまで行きます。
お金を払ってまで練習したいと思う情熱は、人並み以上です。
そこまで思う人は、本当の野球好きです。
そのときうまくなくても、必ずうまくなるでしょう。
つまり「お金を払ってでも、やりたい気持ちがあるかどうか」です。
「もっと楽しみたい。お金を払うから、やらせてくれ」という「情熱」です。
才能を開花できた人たちは、みな共通してお金を払ってまでやり続けた過去があることです。
野球界で活躍している有名選手たちは、みなバッティングセンターに通い詰めた過去があります。
松井選手やイチロー選手も、バッティングセンターに毎日通っていました。
ゲームセンターや野球だけの話ではなく、音楽でも同じです。
バンドを組み、腕を磨くためには、わざわざ有料のスタジオを借りて、練習をします。
自分のお金を支払えるのは、本当に音楽をやりたい気持ちがある証拠です。
ギターのうまい人ほど、お金のかかる本格的なギターを持ち、楽譜や練習のための費用にお金をかけています。
お金をもらうからやる仕事とは違います。
「お金を払いますからやらせてください」という姿勢です。
本気さがうかがえるのです。
才能を磨き上げることは、お金のためにやることではありません。
むしろお金稼ぎのためにやることではなく、お金を払ってまでやりたいと思うことが才能になるのです。
才能には、多種多様なジャンルがあります。
絵画・野球・音楽・作家・学問など、ジャンルそのものは幅広く多種多様で、共通点はありません。
しかし、どの才能をとってもそうなのですが、磨きに磨き上げたとき、いずれ人の役に立つようになります。
不思議な現象と思われることでしょう。
好きで楽しんでしていることが、経験・知識・実力として蓄積され、人のために役立つほどの力を持つようになることです。
これは好きであるゆえに続けられる「努力」と、またそれに伴って蓄積された「経験、知識、実力」があってのことです。
本当に心から好きでしていることは、お遊びごとでは終わらせたくない気持ちが強くなり、本格的に楽しみ遊ぶようになるのです。
のめり込み、没頭し、夢中になり、気づけば力をつけていたということです。
本人は楽しんでいても、実際に「経験、知識、実力」といった力として蓄積されていることには変わりありません。
いかに早くはじめ、蓄積できるかが、どれだけ大きな力を持てるかにつながり、人のために活用できるようになるかも決まるのです。
才能が、人の役に立つまでには次の3段階のフェーズがあります。
1段階目自分の才能を見つけ、気づくこと。
2段階目才能を磨き、開花させること。
3段階目花開いた才能を使って、今度は人のために生かすこと。
この3段階は、世の中にインパクトを与えてきた人がみな歩んできている道のりです。
ヘレンケラー、エジソン、アインシュタイン、野口英世、豊臣秀吉、ベートーベン、モーツァルト。
といった偉人たちは、みな幼いころに自分の才能(使命、役割)を見つけ、その才能一筋に自分の一生を捧げた人たちなのです。
初めからどんと大きな力を持っていたわけではなく、少しずつの蓄積が最終的に大きな花へと変わっています。
それが最終的に、人の役に立ち、世の中や人類に大きなインパクトを与える力になっているのです。