自分のレベルが高くなるというのは、高くなることではありません。
より低くなることです。
より細かな「気づき」ができるようになり、レベルが上がるにつれて目線は下がり、ささいなことに気づけるようになるのです。
レベルが低い人は、高い位置から物事を大雑把にしか見ることができません。
鳥のように全体像は把握できても、その一つ一つの細かく小さなところまでは注意が行き届かない状態です。
一方でレベルの高い人は、高いところから見ることができるだけでなく、低い位置からも見ることができます。
目線が下がることで低い位置から物事を見ることができるようになるのです。
顕微鏡で例えて言えば、高い倍率で物事を観察することができるようになることを言います。
より細かく、見えなかったところが、見えてくるようになるのです。
たとえばサッカーです。
素人にはプロのサッカー選手が放つシュートは、技術やタイミングの素晴らしさがわからないので「蹴っただけ」としか映りません。
「蹴った。ゴールした」
こんな程度にしか映らず、それまでの選手たちの思考状態や裏に潜んだ練習の大変さなどが理解できません。
しかし、サッカーにたけている人は、たった1つのシュートでも大きな感動があります。
共感できる人は、難しさやタイミング、興奮や緊張状態を理解できるため、自分のことのように興奮してしまうのです。
これが、レベルが高くなることで、低い位置から見ることができるようになるということです。
高い位置からの大雑把な位置しか見られないのは、高いといってもレベルが高い状態ではなく、逆に低い状態なのです。
本当にレベルの高い人は、目線を落とし、低い位置から見ることができ、人が気づけないことにまで気づくことができるのです。