歩いていると、大きな木に出会うことがあります。
お寺・神社・公園などには、そうした大木がしばしば見られます。
大木を目の前にすると、しばらくの間、ぼんやりすることがあります。
「おや。大きな木があるな」
大木を手で触っているうちに、また別の考えが浮かんできます。
「太い幹に緑の葉がいっぱいだなあ。すごい。樹齢はどのくらいなのだろう」
さらに考えは続きます。
「自分より前にここに立っていたのではないか。そのとき周辺はどんな様子だったのだろう。誰がこの木を植えたのだろう」
次から次へと、考えが膨らんできます。
こうした経験が、あなたにもあるのではないでしょうか。
この瞬間を客観的に見てみましょう。
自分一人で考えを膨らませているように思えます。
しかし、違います。
実は自然と「対話」をしています。
いつの間にか自然と対話しているから、考えが膨らんでいます。
声と言えば、耳で聞くものだと思います。
音は、空気の振動によって伝わります。
しかし、人間が声を聞くのは耳だけではありません。
目から印象を受け取り、心で感じることもあります。
手で触れて、心で感じることもあります。
この「自然によって得られる刺激」というのは、重要です。
「自然によって得られる刺激」が「声の代わり」になっています。
自然に触れて、たくさんの刺激を受け取る。
受け取った刺激によって感じた心境で、また自然を見る。
また、別の刺激を受け取る。
この繰り返しこそ、自然との対話です。
ゆえに、大木を目の前に次々と考えが膨らんでいきました。
自然は、声を出すことはできませんが、偉大な印象を受け取れます。
それが自然との対話です。